2013年

2013/1/1 駒澤大学次期学長に廣瀬良弘氏

 駒澤大学(田中良昭総長・須川法昭理事長)では、石井清純学長の任期が2013年3月末日で満了することから、昨秋学長選挙を実施し、曹洞宗の僧籍を有する文学部の廣瀬良弘(ひろせ・りょうこう)教授が選出された。仏教学以外からの選出は、法学部の雨宮眞也教授(当時)以来。任期は4月1日から4年間。


 廣瀬氏は昭和22年(1947)7月生まれ。駒澤大学大学院人文科学研究科日本史学専攻博士課程満期退学後、87年4月に駒澤大学文学部歴史学科に専任講師に就任。その後、助教授、教授へ昇任。学内では教務部長、駒澤大学陸上競技部部長などを歴任した。現在、日本歴史学協会会長。


 専門は日本禅宗史。文学博士。主な著書に『禅宗地方展開史の研究』『禅とその歴史』(共編著)『禅と地域社会』(単編著)『永平寺史料全書』禅籍編第1~4巻、文書編第1巻、合計全5巻(共編著)など多数。自坊は横浜市鶴見区の寿徳寺。

2013/1/1 本願寺派 新総長に園城義孝氏 異例の再選挙で決定


就任の挨拶を述べる園城新総長 浄土真宗本願寺派では任期満了に伴う宗会議員選挙を受けて第303回特別宗会が12月17日から20日まで京都市下京区の宗務所で開かれ、新総長に宗会議員の園城義孝氏(69・長崎教区島原西組常光寺住職)が選ばれた。同派の総長選は門主が指名する2、3人の候補者の中から選出する方式で行われるが、最初に指名を受けた当選者が就任を辞退し、再指名・再選挙となる極めて異例の事態となった。

 宗会2日目の18日、大谷門主はこれまで教団改革を推進した前総長の橘正信氏と元龍谷大学長の神子上惠群(みこがみ・えぐん)氏の2人を候補者として指名。宗会議員の経験が無い神子上氏に対し、橘氏が〝本命〟と目されていたが、選挙結果は橘氏が27票と伸びず、神子上氏が50票を獲得して当選、議場は異様な雰囲気に包まれた。

 しかし、当選者に対して行われる諾否確認で神子上氏が就任を辞退。総長が決まらず再指名、再選挙が実施される「前代未聞の事態」(ベテラン僧侶議員)となった。

 再指名は翌19日午前、本会議で発表され、再度、橘氏とその所属会派・誓真会の園城氏の2人が候補者として指名された。再選挙の結果は、園城氏が44票、橘氏が31票、白票が2票で園城氏が当選。就任も受諾して園城新総長が誕生した。

 同派の総長選では、候補者に指名された者も、事前に辞退する意向を非公式に伝えるなど、門主の意向を推し量り、宗会が本命候補者を選出するのが通例。神子上氏が仮に当選した場合、辞退する意向であることが選挙前に議員らに漏れ伝わっていたが、今回はそれでも反対票として門徒議員を含む多くの票が神子上氏に流れた。

 ただし、議員の中にはこの反対票が門主の改革への意志に背く投票行動とも教団の外から受け取られかねないことを危惧する者も多く、ある議員は「指名候補者に対して白票を投じるならまだしも、多くの者がそうではなかった」と語り、今後は園城新総長の下で「下部法規を焦点に改革は続く」とみている。

 選挙結果について、大谷門主の意向を受け、橘氏が推し進める宗会の権限を削減するなどした組織制度改革への不満を指摘する見方もあったが、「御門主や組織改革に対してではなく、執行部のやり方に対する宗会の我慢の限界を表している」とする議員が多かった。

 一方で、再指名・再選挙という異例の事態となったことに「なぜ御門主の意向が分からないのか。御門主のした人選を考えることで、誰が総長になるかより、自分たちが置かれている状況に思いが至らねばならないはずだ」という議員もいた。

 大谷門主は総長選直前の挨拶で、組織制度改革により宗門運営の思想が変わったことを教示。「宗会は政治を行う組織ではない」「議員はボランティアの精神で勤めていただきたい」と述べ、宗政よりも伝統教団が置かれた状況に鑑み、宗門法規の改定や制度変更が意味する宗門の護持発展に尽くすよう強調した。

 園城新総長は就任の挨拶で「浅学菲才の身でありますが」と述べ、宗務に尽くすことを誓った。
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 園城新総長は、1943年(昭和18)3月12日生まれ、69歳。長崎教区島原西組常光寺住職。01年3月から宗会議員を務め現在4期目。07年に名誉侍真、総務(09年8月まで)、08年にアソカ学園理事長、09年に総務(11年2月まで)などを歴任した。

2013/1/1 新春エッセイ 木を植える仏教/玄侑宗久

福島県三春町の滝桜(撮影:渡辺守)
 かつて、木を伐るのは仏教ではないと、老僧が言うのを聞いたことがある。むろん不殺生戒あっての話だが、老僧はいわゆる「開発」に対する仏教の基本的立場も示したかったのだと思う。

 もともと寺には寺号のほかに山号がある。これなども、「自然」と仏教の親和性を示している。都に近づくことを極度に戒めた祖師方もいるが、多かれ少なかれ各宗派とも、「青山緑水」をいとおしんできたはずである。

「自然」はしかし時に猛威を振るう。東日本大震災の爪痕は、今も東北各地に深く広く残されている。

 仏教者としての我々は、これによって再び「自然」とどうつきあうのか、迫られていると言えるだろう。

 いわゆる高度成長時代、境内の木を伐ったり、地面を舗装したり、あるいは本堂を鉄筋コンクリートで建て替えたお寺もあったはずである。国中がそんなふうに変わるなか、独り旧態を保つのは易しいことではないし、なにも木造に戻せと申し上げたいわけではない。

 しかし、祖師たちの思いを踏まえ、我々はもう一度仏教者として生きる方向性を確認すべきではないだろうか。

 津波被災地では、仏教者たちが中心になって木を植える運動が始まりつつある。

 一つは慰霊のための櫻植樹、そしてもう一つは防潮効果を期待しての照葉樹の苗木植樹である。

 気仙沼の地福寺さんや仙台の輪王寺さんなどでは、お寺が中心になって人が集まり、タブや椿、榊などの照葉樹の苗木を植えて数年後の防潮林を目指している。

 しかし行政はあくまでハード重視、コンクリートの防潮堤を造りたいため、今後どう進むのかは予断を許さない状況である。

 平成二十四年十二月、日本生態学会、植生学会、日本水産学会は被災三県の知事に対し、連名で被災地の防潮堤建設についての提言を出した。簡単に言えば、「自然環境への配慮」をお願いしたわけだが、これは仏教者にとっても大きな問題ではないだろうか。

 被災するまえに重く受けとめ、じっくり考え、各御寺院の環境を見直してみていただきたい。

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げんゆう・そうきゅう/1956年、福島県三春町生まれ。作家・臨済宗妙心寺派福聚寺住職。慶應義塾大学中国文学科卒。 2001年「中陰の花」で第125回芥川賞を受賞。小説やエッセイ、対談集など話題作を次々と発表。東日本大震災復興構想会議の委員を務めた。

2013/1/10 妙智會教団 ありがとうインターナショナル設立


 子どものための宗教者ネットワーク(GNRC)を主導し子ども支援のために国際的な運動を推進している「ありがとう基金」。その法人化を進めてきた妙智會教団(宮本丈靖会長)はこのほど、12月25日に名称を「ありがとうインターナショナル」と改称し、「一般財団法人ありがとうインターナショナル」を設立したと発表した。


 新法人は、これまで活動を踏襲し世界の子どものためのより良い環境作りを通じて世界平和に貢献することを目的とし、より開かれた公益に資する行動的な事業を展開していく方針。


 名誉総裁に宮本会長が就任。評議員は、宮本惠司(教団理事長)鈴木裕治(教団理事)鈴木孝志(同)3氏。評議員会議長をありがとう基金インターナショナル総裁とし、宮本惠司氏が総裁に就いた。


 役員は、理事長に齋藤賢一郎氏(教団理事)、理事に大河内秀人氏(浄土宗寿光院住職・江戸川おんぶず代表)本山一博氏(玉光神社権宮司)稲場圭信氏(大阪大学大学院准教授)。監事は番重賢嘉氏(税理士)。


 本部は東京事務所(妙智会館内)で、ジュネーブ、ニューヨーク、ナイロビに海外支部を開設。今後は海外支部を拠点とし宮本名誉総裁が02年国連子ども特別総会で国際公約として掲げた「倫理教育の推進」「子どもの権利条約の実施」「貧困撲滅」の3事業を柱に活動を展開していく。


「ありがとう基金」は妙智會教団開教40周年にあたる1990年に発足。2000年から4年ごとにGNRCフォーラムを開催。昨年6月には第4回フォーラムをアフリカのタンザニアで実施した。

2013/1/10 一年の計は棺桶にあり! 中村仁一医師が講演


過度な医療利用を避け、死を視野に生きることを説く中村医師 浄土宗千葉教区の第76回普通講習会が12月11・12両日、浦安市内のホテルで開催された。2日目には著書『大往生したけりゃ医療とかかわるな』(幻冬舎新書)がベストセラーとなっている医師の中村仁一氏が、「『今』をしっかり生きよう―『逝き方』は『生き方』」と題して講演。老年期の過度な医療・介護依存が人間本来の穏やかな死を苦痛に満ちたものにしていると強調し、「iPS細胞ができても医療は所詮、『老いて死ぬ』という枠は破れない」と話した。


「医療に重大な誤解と錯覚がある」とし、「病気やケガを直すのは本人の自然治癒力。本人に治せないものが他人の医者に治せるはずがない」と指摘。「がんで死ぬのではなく、(抗がん剤など)がんの治療で死んでしまう」と話し、「医療はやってみないと結果はわからない。命を担保にした博打です」と述べた。「がんも老化。手遅れで発見された時点で痛みがなく、その後何の手出しもしなければ痛みは出ない」。


 そして、「仏教では『生死一如』と言うが、現代人は『死』を切り離して『生』のみ謳歌した結果、『生』までおかしくなった。甘みを増すのに塩が必要なように、『生』を充実させるには『死の助け』が必要」と提言。「死を視野に生きる」具体的な行動として「余命6カ月と言われたら」エクササイズなどを紹介した。自身ではすでに強化ダンボール製の棺桶を用意して大晦日と元旦に入っていると明かし、「一年の計は棺桶にあり!」とユーモアも交えてすすめた。

2013/1/10 現代における宗教の役割研究会 被災地の地縁崩壊報告



基調講演する鈴木岩弓東北大教授、司会のP・スワンソン南山大教授、次に講演した薗田稔京都大学名誉教授(右から)「現代における宗教の役割研究会」(略称・コルモス、大村英昭会長)の第59回研究会議が昨年12月26・27日の2日間、京都市中京区の京都国際ホテルで会員ら70人が参加して開かれた。今回は東日本大震災で人の絆の大切さが見直されたことから「地縁・血縁の再発見」をテーマにして基調講演2件とパネル討論が行われ、宗教との関係などについて発表があった。


 初日は基調講演が行われ、鈴木岩弓・東北大学大学院教授が講演。世論調査に基づき震災後地縁・血縁を大切だと思う人が増えたことを報告する一方、東北の被災地では地域を構成する多くの人命や家屋が失われたため地縁・血縁の危機を指摘。仮設住宅にも同じ地域の人が入居できないことや行政が地域の人の居場所を個人情報保護法のもとで教えられないこともその一因とした。「死者と生者をつなぐ依代」である位牌や墓石、過去帳が流れて「死者との絆」も危機的な状況にあるとも述べた。


 その中で被災地の石巻市針岡地区で20年ぶりに灯籠流しが再開され、神楽や民俗芸能が復活されたことなどを挙げ、社会統合機能としての宗教の役割を強調した。


 次に薗田稔・京都大学名誉教授が講演。「宗教がいたる所で露出している」という被災地を歩いた民俗学者赤坂憲雄氏の述懐を述べ、「祭礼や伝統芸能がいち早く復活している」こと、患者やスタッフを津波で亡くした宮城県の医師岡部健氏がボランティア僧侶に経をあげてもらい気持ちが落ち着いたという手記を紹介し、宗教や伝統芸能の力を強調した。この他「『いのち』の現実に人が直接する最も大切な場こそ、家族という古来の生活共同体である」と家族の意義を説いた。


 2日目はパネル討論が行われ4人が発題。大阪市西成区の高齢労働者や路上生活者を支援する金光教羽曳野教会長の渡辺順一氏は「宗教者が関わる時に大切なのは弱さを捨てるのではなく弱さ・辛さ・痛み・不満・悲しみを見つめながらつながりを作っていく」ことだと主張。


 現代神道を研究する皇学館大学准教授の板井正斉氏は地域の神社の課題を「孤独なお祭り」と表して祭礼行事の担い手が少なくなっている現状を報告。復興支援として岩手県山田町の獅子舞を伊勢神宮で行ったのを例に「外」の支援の必要性を強調する一方、「神社は地域の精神的中心という前提そのものがコミュニティーに生得的に備わっている本能とは言えなくなっている」とし、「地域における神社の役割をより現実的に捉える」ことも提案した。


 相愛大学教授の釈徹宗氏は自坊のすぐ近くにある認知症高齢者のグループホーム「むつみ庵」の取り組みを報告。スタッフに地域の人を雇用することで、入所する高齢者との「関係性が長い」ため良好な関係が築ける利点を述べ、煩わしい面もあるが「地縁・血縁を都市の論理で洗い直すことで再構築できるのではないか」とした。


 カトリック司祭で聖マリアンナ医科大学教授の小田武彦氏は、阪神淡路大震災の際、神戸市の鷹取教会を拠点に被災者支援をしたことで教会が現在「地域の中に溶け込んでいる」教会になったと報告。東日本大震災でも「余所から手出しをするのではなく、その中に入り込んで一緒にどれだけ生きていけるか」だと宗教者が地域の中で役割を果たすにはそこに入り込むことを力説した。


 この後質疑、また全体会議で議論した。

2013/1/10 展望2013 寺院に「未来」はあるか(石井研士)

疲弊が進む地方寺院の墓地。継承が難しくなっている(イメージ写真) 仏教という真理は、紀元前6世紀に生まれてから今日まで存在し続けたように、これからも存在し続けるにちがいない。問題なのは、制度としての寺院と僧侶、そして寺院を成立させている社会的環境の変化についてである。


 戦後、地域社会と家族構造に大きな変化が生じた。こうした変化が寺院を存立させてきた基盤を揺るがすことになるのではないか、ということに気づいたのは、何も今突然というわけではない。しかし近年になって、変化は誰の目にも明らかなほど顕著になった。


 昭和30年代に都市化が始まり、昭和40年代には過疎化が指摘された。急激で大量の人口移動によって、それまでの寺檀関係や祖先崇拝に変化が見られるようになったことを、藤井正雄や森岡清美ら研究者は早くから指摘していた。


 仏教教団もまた認識はしていた。大規模な宗勢調査を繰り返してきていたし、報告書の存在も教団内外に知られていた。1988年にはNHKスペシャルで「寺が消える」が放送された。島根県の山間部に位置する浄土真宗の寺院が過疎化によって「消えていく」実態をルポしたものである。翌年には日蓮宗現代宗教研究所が『過疎地寺院調査報告書 ここまで来ている過疎地寺院 あなたは知っていますか?』を刊行した。報告書は「今後、宗門として何らかの対応がとられないならば、実質的に日蓮宗五千カ寺は三千カ寺に減少するであろう」とショッキングな予測をしていた。


限界集落の増加


 大野晃が「限界集落」の概念を提唱したのは2年後の1991年である。国土交通省と総務省が2006年に実施した調査によれば、全国の過疎地域にある約62000集落のうち、4%強にあたる2641集落が高齢化などで消滅する可能性があるという。422集落は10年以内になくなる可能性が強い。消滅する集落の数は増大の一途をたどり、スピードも速まっている。


 ところで、教団は何も都市化や過疎化に無策だったわけではない。人口の変化にともなって寺院の配置を変えればいいというわけで、都市開教が叫ばれ、基金の創設など、具体的な施策が行われてきた。しかし、数十年間の努力の結果を見ると、都市化・過疎化への対応はおおかた失敗に帰したと考えられる。


 問題は、危機感が教団内で共有されなかったからではないか。山間部の過疎地の寺院にとっては、檀家の減少・流出は、寺院の存亡に係わる大問題であったが、檀信徒の流動性が高いからといって、都市の寺院は十二分に経営が成り立った。こうして寺院間の格差は増大を続け今日に至っている。


ふたこぶらくだ現象


 教団内では、世襲化、高学歴化が大きく進んだ。法務専業住職が増加した。東京の寺院での収益事業の増大もしくは依存の増加、檀家戸数「増加」寺院の大幅減少と「減少」寺院の増加、給与の格差拡大(ふたこぶラクダ現象)、東京地域での教化・団体活動の減少、社会貢献活動従事者の少なさ、法話・説教を行わない住職の増加、檀信徒から住職への相談・依頼の減少、宗門と住職の活動の乖離、これはある宗門の現状であるが、どの仏教団体にもあてはまる現象である。


 地域社会が壊れ、家族が解体しつつある現在、祖先崇拝を基盤に成り立ってきた寺院は、いよいよ「終わり」なのだろうか。治病、招福、葬祭など、日本人の宗教的ニーズにあわせて存続を図るのか、はたまた大衆の宗教的欲求への対応を方便として普遍宗教としての仏教へと我々を誘うのか、それとも祖先崇拝を切り捨て普遍宗教として個人を救済しようとするのか。


 教団が態度を決めかねて推移するうちに、大半の寺院は日本人に見捨てられる可能性が高いのではないか、と危惧している。
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 いしい・けんじ/1954年東京生まれ。東京大学卒。東京大学文学部助手、文化庁宗務課専門職員を経て、現在、國學院大学神道文化学部教授(博士・宗教)。専門は宗教学・宗教社会学。近著に『プレステップ宗教学』、『バラエティ化する宗教』(編著)、『神道はどこへいくか』(同)など。

2013/1/17・24 大熊町 墓地の先行除染へ 環境省が現地調査

 環境省は16日、福島第一原発事故で町の大部分が帰還困難区域に再編された大熊町で、墓地の先行除染についての現地調査を行った。「せめて墓参りがしたい」という住民の声を受けた大熊町の要望に応じたもの。町は今年のお盆までに墓地のモデル除染を終えるよう求めている。

 国が発表した大熊町の除染実施計画では町人口の96%を占める帰還困難区域の除染は先送りにし、2年間は居住制限区域と避難指示解除準備区域での除染に注力するとした。

 しかし故郷の墓地を避難生活の心の支えにしている住民も少なくなく、町全域が警戒区域に指定されていた昨年のお盆でも多くの住民がお墓参りのため一時帰宅した。高線量にもかかわらず、震災で壊れた墓を修理して納骨した住民もいる。

 町内には寺院墓地よりも、地区ごとの共同墓地が多い。真言宗豊山派遍照寺の半谷隆信住職は「(住民は)代々、その場所で先祖供養をしてきたという意識が強い」と述べ、「個人的な考えだが、線量が落ち着いたらお墓参りに年何回かは帰れるようになるのではないか」と話している。

2013/1/17・24 立正大学付属立正中学校・高等学校 馬込キャンパス完成

完成した馬込キャンパス 日蓮宗大本山池上本門寺のお膝元、東京・大田区西馬込にある東京都交通局車両検査場跡地に、日蓮宗宗門校の立正大学付属立正中学校・高等学校の新校舎が完成した。学校法人立正大学学園(総裁=内野日総・日蓮宗管長)は15日、完成した新校舎の行学ホールで新校舎落慶・行学ホール開眼法要を営み、4月の開校に先駆けて、関係者に新校舎が披露された。

 現在中高の校舎がある大崎キャンパスが6階部分まで中高で使用し、地下に大学教室がある中学・高校・大学が共用する手狭な環境であるため、平成20年に同跡地が都市開発計画で開放されることが分かり、学園140周年事業として移転計画の検討を開始した。

 都に計画が認められ、校地を入手後、平成23年に着工。都営浅草線西馬込駅から徒歩5分の立地に約6千坪(約2万平方メートル)という広大な敷地に昨年12月、馬込新校舎が完成した。

 6階建ての校舎棟に各教室、ランチルーム、図書ルーム、中庭テラスの他、グラウンド(5324平方メートル)、武道場、体育館、弓道場、室内プール、屋上にテニスコートや多目的コートといった充実した運動施設も完備。日蓮宗旨の仏教主義学校であり、美術室や書道室のある芸術棟には、礼拝堂にもなる「行学ホール」に大曼荼羅御本尊が祀られている。

 校内はなるべく間仕切りを排したオープンな空間を演出。図書ルームの横に室内プールがあるなど、建学の理念「行学二道」を意識した設計が特徴となっている。

 式典では、学園の古河良晧理事長が「新校舎のコンセプトは立正らしさ、安心安全、豊かな教育環境、自然との共生の4本柱。行学ホールは宗教的情操に触れる場にもなる。今年は創立109年で未来に向けてますます発展するよう学園を挙げて精進をする所存です」と挨拶。


祝賀会で抱負を述べる中原校長 学園顧問の及川周介前理事長は、ホールの大曼荼羅御本尊は日蓮聖人が弟子日朗に与えた日本で2番目に大きい曼荼羅本尊(本土寺蔵)の複製であることを紹介。また震災発生後の厳しい状況下で勧募に応じた関係者に感謝の言葉を述べた。

 中原健次校長は「思いである校舎を離れることは忍び難いことでしたが、学園全体の発展を考えますと未来ある子どもたちの夢と希望をさらに広げ、確かな教育を推し進めていくのが使命。さらなる教育活動に邁進してまいります」と抱負を述べた。

2013/1/17・24 旧多々良学園訴訟 曹洞宗に16億5千万円の賠償命令判決


 キャンパス移転に起因する旧多々良学園(山口県防府市)の経営破綻で地元の5金融機関が曹洞宗に損害賠償を求めていた訴訟の判決言い渡しが16日、山口地裁(山本善彦裁判長)であり、曹洞宗と元理事らに約16億5千万円を支払うよう命じた。被告の曹洞宗は控訴する方針。

 訴えていたのは萩山口信金(当時萩信金)、東山口信金(防府信金)、山口銀行、西京銀行、もみじ銀行(広島総合銀行)で損害請求額は約37億円。判決では、被告の不法行為を認め、一方で金融機関にも融資に際して落ち度があったとしている。賠償額と利息をプラスすると約24億円とされる。

 この件に関して22日に宗務庁で議員総会が開かれる予定。弁護士が判決内容と今後の対応を説明するとみられる。

 旧多々良学園は平成11年(1999)に移転を決議し、曹洞宗は新キャンパス移転のための土地取得と、建設補助金として24億円の支出を決定。最終的に総額22億9千万円を支出した。しかし宗議会では、当初から總和会を中心に懸念の声があがっていた。

 破綻後は、宗議会等に調査委員会が設置され報告書が作成された。だが、閲覧できたのは一部関係者だけで、全面公開には到っていない。一審判決を受けてこの報告書の取り扱いも検討課題となりそうだ。

2013/1/17・24 阪神淡路大震災18年 神戸市仏教連合会が追悼法要

会長・副会長と市内8区の仏教会長が出仕して勤めた神戸市仏追悼法要(17日 兵庫区感應寺) 阪神淡路大震災から丸18年を迎えた17日、神戸市仏教連合会(染川眞澄会長)は同市兵庫区中道通の法華宗感應寺で犠牲者追悼法要を厳修。6434人が死亡し建物の倒壊・火災が相次ぐなどしたその甚大な被害と人の絆の大切さを改めて心に刻んだ。御宝前には「東日本大震災犠牲者追善供養」の塔婆も立て同震災の追悼法要を今年も併修した。

「震災を忘れない」と神戸市仏では毎年会長の自坊で追悼法要を執行しているが、今年は染川会長(昨年6月就任)の自坊、長田区の臨済宗南禅寺派海泉寺本堂が建て替え準備のため金井孝顕副会長の自坊で実施した。

 染川会長が導師、金井・市野善照両副会長が脇導師、市内8区の仏教会会長が式衆を務め、僧侶・寺族・檀信徒ら約50人が参列した。

 染川会長が「犠牲者各霊位をして速やかに寂光の都へ導き給わんことを」と表白で祈念した後、般若心経・重誓偈・如来寿量品を読経、参列者が焼香して手を合わせた。

 また法要後は染川会長が挨拶。当時を振り返り「震災発生があと4分遅ければ本堂の下敷きになっていた」とし、「私たちは幸いにして生かされたので亡くなられた方の追悼を続けていくのが大事な役目」とした。

 街並みは綺麗になっても民家があった場所が空き地で、長田区では震災前の約7割しか人が戻らないことを挙げ「震災からの復興は大変なこと」と実感を語った上、津波と原発事故が加わった東日本大震災に言及し、「官民一体となって取り組まないと復興はありえないのではないか。政府は真剣にやっていただきたい」と憂慮した。

 その一方、震災後毎月「観音様の縁日」を設け離れ離れになった檀家が寺で会えるようになり、それだけでなく地域の一般の人がお参りする場になったことに「震災のおかげ」とした。

 倒壊した本堂・鐘楼・山門はじめ諸堂8棟が被害を受けた染川会長の自坊・海泉寺では漸く本堂の建て替えに入り、今後「3年ほどかけて」再建することにしている。

2013/1/17・24 展望2013 現代仏教と戒律(佐々木閑)


上座部と大乗が一堂に会して開かれるバンコクでの国連ウェーサク式典(イメージ) お釈迦様が世界の偉人だということは、仏教徒でなくても皆知っている。ではなぜ釈迦は偉人なのか、と尋ねれば「立派な教えを説き広め、多くの人たちを苦しみから救ってくださったからだ」というのが優等生の回答である。

 私自身、人に仏教を紹介する際にはこういった言い方をする場合が多い。それはそれで正しい言い方である。しかしこれだけでは釈迦の真の偉大さは伝わらない。それどころか、釈迦という人物の姿が誤解される危険性さえある。どこが問題なのかというと、「立派な教えを説き広め」と言う、その言い方である。「立派な教え」というと普通、有り難い人生の指針や深淵な哲学、あるいは日々の暮らしに役立つ訓話といったイメージが浮かぶ。つまり「私たち一人ひとりが正しく生きるための道筋を教えてくださった」という意味しか伝わらないのである。それでいいではないか、と思われる読者の方も多いであろう。

 しかしそれは釈迦という人物の偉さのわずか半分にすぎない。お釈迦様にはもう半分、人類史に残る大いなる偉業がある。それを分かってもらえなければ釈迦の真の姿は伝わらない。その、もう半分の偉業とはすなわち、サンガの設立と律蔵の制定である。

 律蔵が、お坊さんの法律であることは皆知っている。しかしそれが、世界一長く続いている法律であることは案外知られていない。2500年前に釈迦がつくったサンガという組織は、出家してすべての生産活動を放棄した仏道修行者たちが、最も効率よく、しかも社会の中でいかなる軋轢も生み出さずに平穏に修行生活を続けていくための組織として設立された。

サンガの秩序

 そして、そのサンガの秩序を守り、すべての修行者の品位と礼節を維持するために制定された独自の法体系が律蔵である。そのサンガは、釈迦以来2500年、今もスリランカや東南アジア諸国、あるいはお隣の韓国や台湾などではそのまま続いている。したがって当然ながら、そこで用いられる律蔵という法律も、2500年、変わることなく用いられてきた。人類史を遡ってみても、ある特定の組織が2500年間ずっと続いている例など他にないし、一つの法律が、2500年間そのまま守られている例などどこにもない。

 律蔵が、いかに持続性のある強固な法律体系であるかがよく分かる。そして、その律蔵の設計者が釈迦なのである。もちろん、お釈迦様がおつくりになったのは基本的骨格だけで、肉付けは後のお弟子さんたちの仕事である。しかしその基本的骨格が群を抜いてすぐれたものであったために、時代が変わり社会状況が変わっても、律蔵の土台はまったく揺らぐことなく、今でもしっかり機能している。

 釈迦の偉業の半分は、このような世に類を見ないすぐれた組織を設計した、組織設計者としての仕事である。それもまた「立派な教えを説き広め」という言葉の中に含まれていることを十分理解しておかねばならない。

「律蔵の存在は、現代社会において何か積極的な価値を持っているか」という問題を是非真剣に考えていただきたい。仏教興隆に役立つか,などという狭い話ではない。世界全体にとって価値があるか、という話である。律蔵は、出家して仏道に全霊を捧げる修行者が、社会の中で正しく生きていくための道を示した指南書である。

 つまり言い換えると、「自分の生きがいを追求するため、一切の雑事を投げ捨てて一つの事に専心したいと願う人がいた時、その生活を実現するためにはどういった規律に基づいた生活を構築すべきか」という疑問に対する答えなのである。もっと単純化すれば、「生きがいを追求するためのマニュアル」である。

 それは、価値観が多様化し、個人の尊厳が軽んじられ、すべてが大衆化していく現代社会の中で独自の生きがいを探し求める多くの現代人にとってきわめて重要な指針となる。「お布施で生きよ」「生きがい以外の雑物に執着するな」「一般社会の人々に感謝して暮らせ」「禁欲的であれ」「権力を志向するな」「教育を大切にせよ」「助け合って暮らせ」。こういった心構えはすべて、律蔵をしっかり読めば誰にでも自ずから見えてくる。それがすべて生きがい追求の推進力になるということを律蔵は我々に教えてくれる。

 しかもそれは、2500年間実際に機能してきたという保証付きである。律蔵こそは、生きがい探しに悩む現代人に対しての、仏教からの最大の恩寵である。その価値に、仏教界の方々も十分留意していただきたい。

 仏教はただの哲学ではないし、ただの宗教でもない。どんな時代のどんな人にも役立つ、人類最大の知恵の宝庫である。その意味を皆に知ってもらうのは仏教界に課せられた義務。私自身その義務を果たすべく、一層の努力を続けていきたいと考えている。
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ささき・しずか/1956年福井県生まれ。京都大学工学部・文学部卒。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。文学博士。著書に『「律」に学ぶ生き方の智慧』『ブッダ真理のことば』など多数。近著に『般若心経』。

2013/1/31 日宗連公益性セミナー 税務調査の権限強化 求められる正しい帳簿類


参加者からの質問に答える阿部氏(右)と石村氏 公益財団法人日本宗教連盟(日宗連、芳村正徳理事長)は25日、東京・芝公園の大本山増上寺三縁ホールで第1回宗教法人の公益性に関するセミナー「国税通則法改正問題を考える―宗教法人の運営と税務調査への対応」を開催した。加盟団体から約160人が受講し、課税庁の調査権限が強化・拡大したことによる対応や問題点を学んだ。

 講師は宗教法人税制の専門家である石村耕治氏(白鴎大学法学部教授)と、税理士資格を持つ阿部徳幸氏(関東学院大学法学部教授)。日宗連が過去25年にわたって開催してきた「宗教と税制」シンポを踏まえつつ、今年1月1日から施行された改正国税通則法を視野に入れた『宗教法人の税務調査対応ハンドブック』(清文社)が両氏の編著で刊行されたばかりで、同著をテキストにセミナーは進行した。

 石村氏は「国税通則法改正と税務調査への対応」と題して講義。まず宗教法人の聖俗分離の原則を踏まえ、「宗教法人課税の場合は俗の部分にかかると考えられている」と基本を提示。税務署には税法により「税務調査をする権限が与えられている」と課税庁側の立場を確認した。

 税務調査は従来から実施されているが、法改正により調査前・調査時・調査後の3段階から、新たな論点が出た場合には再調査が可能になった。その上、「納税者が正当な理由がないにもかかわらず提示ないし提出しない場合」「偽りの記載をした書類を提出した場合」に課税庁は、罰則(1年以下の懲役または50万円以下の罰金)を科すこともでき、「注意が必要だ」と呼びかけた。しかも税務署は提示・提出書類(写し)を留置き(持ち帰り)ができ、「課税庁の税務調査は強力になった」とも口にした。

 続いて阿部氏が「国税通則法改正と宗教法人への影響」と題して税理士の立場から話した。今回の法改正については「ある意味で調査のためのマニュアル」と感想。近年、税務調査に立ち会った経験から、調査官の調査能力の低下を感じるという。というのも公務員削減の余波で他省庁から税務署に転籍するケースがあり、もともと税務を専門としていない調査官もいるため「提示・提出された書類に不安がある時や、非違が疑われる時には持ち帰りができるようしたのでは」と背景を探った。

 他方で課税庁の権限強化は、「税務調査による増税」という側面もあるとした。

 宗教法人への税務調査に関しては、課税対象となる収益事業の有無にかかわらず、消費税や住職らの源泉所得税の面からどの法人も対象になると指摘。しかも「法律に明記されたため、書類等の提出を拒めない」。

 ただ税務署職員、税理士にとって一番困るのは、書類や帳簿類が「ないんです」と言われた時だという。そして宗教法人会計をきちんとするためにも「法人会計と個人会計の厳正な分離」「法人の収入・支出を帳簿に正しく記録」「帳簿書類等の整理・保存」を要請した。

 続く質疑では、参加者から「電子データ、あるいはパソコン本体の提示・提出、留め置はあるのか」という質問が。石村氏は、「電子メールやデータはあり得るが、パソコン本体は考えにくい」と回答。阿部氏は、パソコンに残された更新履歴によって書類の作成時期がわかるため注意を喚起した。

2013/1/31
真宗大谷派東京教区 親鸞聖人七百五十回御遠忌を円成


門首を導師に一同で正信偈を唱和(25日の帰敬式) 真宗大谷派東京教区は25日から東京・練馬の真宗会館で親鸞聖人七百五十回御遠忌を厳修し、28日に円成となった。教区御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている―真のよりどころを求めて」の下、関東各県の門信徒・僧侶が宗祖を偲び、阿弥陀仏との縁を深めた。

 初日午前中は大谷暢顯門首による帰敬式(通称「おかみそり」)が執行され、約70人の門信徒が法名を受け、仏法僧に帰依して仏弟子としての新たなスタートをきった。

 同日午後は初逮夜法要。禿信敬教区長を導師に、満員の堂内一同で正信偈を唱和した。表白では親鸞聖人が関東で過ごした二十余年の日々に想いを馳せ、共に念仏申す同朋である真宗門徒の生き方を再確認。「原子力発電所の事故は、人間が生きとし生けるものと共に存在するいのちであることを忘れているわたしの姿を露呈しました」「人間の歩むべき道が切に求められ、また仏教そして寺院の存在意義が社会から厳しく問いかけられていることを直視し、『歎異の精神』に応えなければなりません」とした。

 翌日の初日中法要では門首が導師を務めた。「聖人は、如来の本願に相応されたその歩みにおいて、南無阿弥陀仏の教えを現実生活のただ中に興され、今日もなお『共に願生浄土の道を歩まん』と励ましてくださっています」「仏教が人類にひらかれた教えとして現代に存在し続ける意義は、この私一人の生涯において証しされるものであります」と、念仏の教えに感謝し、「一人の求道者に立ち帰り、一カ寺の現場から『人の誕生』『場の創造』に努める」ことを表白で誓った。

 4日間の法話には教区内から10人が登壇。初日の武田定光氏(東京6組因速寺住職)は「親鸞聖人の信ずるというのは受動詞であって、能動詞ではない。普通は『私が阿弥陀さんを信ずる』というはずなのに、聖人の信は『阿弥陀さんが私を信ずる』ということ」と、逆説的な思想を鑽仰。「仏道というが自分の前に道はない。私はあると思っていた。その後をついていけば楽だなと思っていた。でも聖人はそんなことを説いてない。自分だけの真宗を切り開いていかなければならないんです」と、個々人として生きることが即ち真宗の信仰だという自覚を促した。

 法要期間中は、屋外に設けられた特設テントで、教区ボランティア班による大鍋・鉄板、抹茶の振る舞いがあった。テントに貼られた同教区の東日本大震災における被災地支援活動の写真パネル展示にも門徒は目をみはっていた。

2013/1/31
手塚治虫『ブッダ』初のミュージカル化 秋田の劇団わらび座が上演


制作発表での記念撮影。ブッダ役が戎本みろさん(左から2番目)、ミゲーラ役が遠野あすかさん(中央) 一昨年にアニメ映画にもなった手塚治虫の名作漫画『ブッダ』が、ミュージカルになった。これまでに『火の鳥』『アトム』と手塚作品のミュージカル作品を上演している劇団わらび座が初の舞台化。その制作発表が25日、都内で開かれた。

 ミュージカル『ブッダ』(推薦=公益財団法人全日本仏教会、社団法人全日本仏教婦人連盟)は、5月7日の東京公演を皮切りに大阪、秋田で上演予定。脚本を齋藤雅文さん、演出を栗山民也さん、作曲を甲斐正人さんが担当。後にブッダとなるシッダールタ役を戎本みろさん、女盗賊ミゲーラ役を宝塚歌劇団出身の遠野あすかさんが務める。

「人間はなぜ生きるのか、なぜ生き続けなければならないのか―」

 生きる意味を問い、歩き続けていく人間・ブッダの物語が現代人になげかける「共に迷い、共に生きる」ということ。常に悩める者と共にあり続けたブッダを通して、東日本大震災を経た現代に生きる人々に前へ進むメッセージが届けられる。

 インドの古代楽器を使った音楽や歌、日本の能からヒントを得た演出を交えたこれまでにない『ブッダ』を制作中で、シリアスな部分だけでなく、手塚作品共通の親しみの湧く明るい要素も織り交ぜた。

 台本は既に8稿もの推敲を重ね、脚本の齋藤さんは「なるべくたくさんのエピソードを入れ、苦行者にツッコミを入れるなど笑いも入れてあります」と途中経過を報告。作曲の甲斐さんも「すごくオリジナリティ溢れる作品になる予感」と仕上がりに自信を見せた。

 東京公演はシアター101(JR北千住駅西口マルイ11階)で5月7日から12日まで。大阪公演はイオン化粧品シアターBRAVAで5月17日から19日。全席指定8千円。チケットは2月9日午前10時から劇場やチケットぴあなど各プレイガイドで販売を開始する。

 わらび座の本拠地、秋田の「たざわこ芸術村わらび劇場」では6月15日から8月15日まで上演。チケットは指定席前売りで3360円。

 問い合わせは、わらび座(関東・東海事務所電話048-286-8730/関西・中国事務所電話06-6864-9600/たざわこ芸術村電話0187-44-3939)まで。

2013/1/31
展望2013 自死問題の現状と今後 仏教者に求められるもの(小川有閑)


毎年12月1日に営まれる自死者追悼法要「いのちの日いのちの時間」(昨年、東京・青松寺で) 1月17日、警察庁が昨年の自死者数(速報値)を公表した。27766人。15年ぶりに3万人を下回ったという報道を目にした人も多いことだろう。たしかに大きな減少である。2006年に自殺対策基本法が制定され、ようやく官民の自死対策が軌道に乗ってきたと言えるだろう。自死を個人の問題として片づけるべきではなく、社会全体として取り組むべきという意識が広まってきている。

 NPO法人ライフリンクの清水康之代表が指摘するように、今回の減少の背景には、各市区町村別の自死データの公表によって各地で効果的な対策が講じられたり、予防強化月間の設定、民間団体のネットワークが築かれたりするなど、「自殺対策を推進するために必要な社会的条件」が揃ってきたことを実感できる数字でもある。

 だが、単純に3万を切れば良いという話では、もちろん、ない。27766という数は、一日に76人、20分に一人は自ら命を絶っている計算になる。未遂者は自死者の10倍とも言われる。実際に命を絶とうと行動する人は2分に一人ということだ。さらに、死を思いつつ、行動に移す瀬戸際で踏みとどまっている人は、どれほどの数に上るか想像もつかない。3万という数字にとらわれている場合ではないのである。こうした現状に仏教者はどう向き合えば良いのだろうか。

相談員の確保と資金不足が課題

「自死・自殺に向き合う僧侶の会」(旧「自殺対策に取り組む僧侶の会」、以下「僧侶の会」)では、手紙相談を始めて間もなく丸5年となるが、1月23日時点で、900名からのべ4718通の手紙を受け付けている。この数字が多いか、少ないか。応対する僧侶は30名程度(活動初期は10名程度)であり、それぞれに寺務その他の仕事を持ちながらの活動であるので、これが限界という気もする。筆者は一般の電話相談にも従事しているが、「何十回もかけて、やっとつながった」という相談者の声を聞き、回線・相談員不足を感じることが多い。僧俗問わず、どの団体も、相談員の確保や資金面で課題を抱えているのが現状といえる。

「僧侶の会」では、自死遺族の分かち合いの会「いのちの集い」や自死者追悼法要「いのちの日いのちの時間」も定期的に開催。自死相談と聞くと、防止に意識が行きがちであるが、自死が起きた後には、深いショックを受ける遺族が生まれる。遺族が自死念慮を抱くことは少なくない。遺族のケアも重要なテーマなのだ。築地本願寺を借りて毎月開催している「いのちの集い」には、コンスタントに15名前後の参加があり、首都圏で開催されている集いのなかでは規模の大きな集いの一つとなっている。

 追悼法要は毎年12月1日に、都内の各宗本山クラスの寺院で開催し、昨年末の法要には140名超の遺族が参列した。また、大阪、名古屋、広島でも、超宗派僧侶により、分かち合いの会と追悼法要が開催されるようになり、各宗派においても、有志による法要開催の動きが広がっている。宗門でも、自死をテーマにした講習会開催、相談を受けるためのマニュアル配布など、自死について取り組む姿勢が見られるようになってきた。

 昨年5月、庭野平和財団が公表した第2回『宗教団体の社会貢献活動に関する調査』に「知っている宗教団体の社会貢献活動は?」という質問がある。福祉施設や学校経営などのなかで、第1回調査(2008年)とくらべて上昇した項目は、「災害時のボランティア活動」(18.7%→21.0%)と「自殺防止に関わる活動」(7.5%→11.2%)の二つのみ。草の根の地道な活動が4%の上昇に寄与したともいえるが、11%という数字から、いまだに僧侶・寺院が死にたい時の相談先としては認識されていない現実も直視しなければならない。

「仏教者はこうあるべき」という回答はないと思う。相談活動は傾聴だけではなく、読経により心癒されることも、法話により悩みが解けることもある。釈尊の原始仏教も、各宗派の教えや実践も、現代人の苦悩を解きほぐすことができると筆者は信じる。なぜなら、仏教は、苦しみありきの宗教なのだから。その教えや実践をどう伝えることができるか、どう伝えるべきか。それは個々の仏教者の感性や経験に委ねられるのだろう。現場に出て、多くの自他の苦しみと向き合うなかで、一人一人の悩みにどう応対していけば良いのかというまさに対機説法の感性が磨かれるのではないだろうか。まず必要とされるのは、現場に踏み出す一歩目である。
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おがわ・ゆうかん/昭和52年(1977)生まれ。東京都府中市・浄土宗蓮宝寺副住職。財団法人国際宗教研究所研究員、浄土宗総合研究所研究スタッフ。主な論文に「自死者のゆくえ―僧侶なりの自死遺族支援の形―」(『現代宗教2011』) 「自死者と遺族の対話―宗教的グリーフケアへの一視座―」(『死生学年報2012』)。

2013/2/7 真言宗各山会 次年度大阿に加藤精一化主 亀谷暁英門跡、長者に就任

樫原法主から亀谷門跡(左)へ長者杖が贈られた 真言宗各山会(小宮一雄代表総務)の常任委員会と新年総会が1月30日、京都市下京区のホテルグランヴィア京都で開かれ、次年度大阿闍梨は長谷寺の加藤精一化主が務めることが正式に決まった。今年の大阿の亀谷暁英隨心院門跡には長者杖が贈られ、真言宗長者に就任した。

 常任委では小宮代表総務が1月8日から14日まで東寺灌頂院で厳修された御修法が「無事成満した」と報告。また明年平成26年御修法大阿推挙の件で、昨年12月5日の常任委で加藤化主を全会一致で推挙した後、加藤化主から内諾を受けたことを伝えた。これを受け長谷寺の川俣海淳寺務長が「何卒よろしくお願い申し上げます」と挨拶し、他の常任委員が拍手で承認した。

 次年度大阿に決まった加藤化主は新年総会で「任重くして道遠し。これは自分が長谷寺の住職になることが既に任重くして道遠しなのですが、さらにその上に重要な責任のある仕事を受けるのは本当に辛いことなのでございますが、皆様方の、真言宗全体の温かいご支援ご教導をいただいて任務を果たせることができれば」と述べるとともに、「御修法は弘法大師の祈りが現代の祈りと結びつく重要なものだと思っておりますので、その一端をお手伝いできればこれ以上のことはない」と喜びを表した。

 新年総会ではこれに先立ち、亀谷門跡へこれまで真言宗長者を務めた樫原禅澄善通寺法主から長者杖が贈呈された。

 今後1年間、真言各派の重要な行事に出席するなど長者の務めを果たすことになる亀谷門跡は、御修法に携わった関係者に感謝するとともに「樫原法主から長者杖を賜ってその責任の重さをひしひしと感じております。浅学菲才の身ですが、長谷寺・加藤化主へ来年託すまで1年間、粉骨砕身努力いたす所存」と決意を述べた。

2013/2/7 超宗派の僧侶とUNFC協力しビルマ遺骨帰国運動開始


小林共同代表(左端)と共に会見したUNFCのクン・オッカー第2書記長(右隣) ミャンマーの少数民族が支配する地域に眠る旧日本軍の遺骨の帰国を実現させようと超宗派僧侶からなる「ミャンマー/ビルマご遺骨帰國運動」は1月31日、東京・霞が関の厚生労働省内の記者クラブで会見した。ミャンマーの13少数民族のうち11民族が参画する統一民族連邦評議会(UNFC)のクン・オッカー第2書記長も参席した。

 帰國運動の共同代表である小島知広氏(日蓮宗安詳寺住職)は、UNFC結成に尽力した井本勝幸氏(僧侶、前四方僧伽代表)の行動力によって今回の運動が発足したと説明。「僧侶が中心となってはいるが、宗教・宗派を越えて、多くの皆様とご一緒にこの運動を広げていくことを念願している」と協力を訴えた。

 同じく共同代表の林秀穎氏(曹洞宗常林寺住職)は、ミャンマーには4万5610柱の旧日本軍関係者の遺骨が未調査であると報告。今年1月6日にHPに寄せられたメッセージを紹介し、「望郷の念が絶えなかったろうと拝察する。一日も早い帰国ができるようにとの願いでいっぱいです」と力を込めた。HPを通じて募金を呼びかけたところ、1月末現在で約250万円が寄せられた。

 幹事の川原英照氏(真言律宗蓮華院誕生寺住職)はこの間、厚労省との話し合いで遺骨に関して基本的な方向を確認したと説明。▽遺骨の発掘は日本政府の仕事であり、調査時には掘らない▽GPS機能による場所の特定、▽場所の写真と聞き取り――を要請された。調査に必要な経費は約3800万円で、「一年間続けた場合の見積もり」(川原氏)。 

 UNFCのクン・オッカー第2書記長(パオ民族解放機構代表)は、この運動に理解と共感を示した。そして「少数民族の支配している地域は政府と休戦協定を結んでいる。これが遵守され平和な状態でないと遺骨調査は難しい。そのためにもビルマの平和が必要であり、平和を後押しして頂きたい」と要望した。

 遺骨の存在について書記長は、「日本軍は逃げる時に少数民族の地域を通ってタイへ向かったケースが多い。途中、動けなくなったり、死亡した日本兵がいるとお年寄りからの言い伝えがある。それが今も受け継がれている」と打ち明けた。

 遺骨の現地調査をコーディネートするのがタイのチェンマイで活動するNGO「タイ日教育開発財団」。現地所長の海老原智治氏は、今回の調査が日本の帰國運動・UNFC・タイ日財団の3団体共同であることを紹介。現地では1地域3名が調査し報告書を作成する。海老原氏は「小さな地域は早く終了するだろうが、(交通など)インフラが悪い地域もあるため、雨季が始まると調査にバラつきがあると思われる」とした。

 またアラカン族の支配地域では「今はいないが、残留日本兵が長くいた。そうした残留日本兵の二世もおり、そうした人たちからも聞き取りをする予定」と話した。

 問い合わせは帰國運動事務局(電話045-431-1434 観音寺内)まで。

2013/2/7 WCRP日本委員会 天台座主・本願寺派門主を名誉顧問に推戴


 公益財団法人世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会(杉谷義純理事長)は1月30日、東京・杉並区の立正佼成会法輪閣で第4回理事会・第4回評議員会議案説明会、第4回評議員会を開催した。
 理事会で大谷光真・浄土真宗本願寺派門主、半田孝淳・天台座主が名誉顧問に、出口紅・大本教主、中村陽・伏見稲荷大社宮司、渡邉純幸・日本キリスト教連合会委員長(日本福音ルーテル教会代表役員)が顧問に、庭野光祥・立正佼成会次代会長を特別会員に推戴することが承認された。また柳田季巳江・立正佼成会外務部外務グループ次長が活動委員として承認された。

 平成25年度の具体的な事業として、第9回WCRP世界大会への参加、「東アジアにおける平和共同体の構築」をテーマに開催されるIPCR(韓国宗教平和国際事業団)セミナーの日本会場での受け入れ、原発とエネルギー問題、核兵器廃絶・軍縮、国連ミレニアム開発目標(MDGs)に関する学習と提言、青年部会40周年記念事業、日韓青年交流会などを予定。東日本大震災復興事業では、3月から5月まで「東日本大震災復興キャンペーン」を実施し、岩手県山田町での復興合同祈願式(3月21日)、3月11日から11日間にわたる「14時46分の1分間黙とう」、原発事故の影響を受ける子どもたちのサポート、復興支援募金、「復興のための宗教者円卓会議」(福島県郡山市)などを計画している。被災地での心のケア、地域コミュニティーの再構築、社会的弱者支援等の復興事業の継続も確認された。

 特別事業部門(タスクフォース)や各常設機関の報告もなされた。

 評議員会では税理士の中村陽一氏が監事に、網中彰子・日本キリスト教協議会総幹事、中野重哉・宗教法人曹洞宗責任役員が理事に選任された。

2013/2/14 龍谷大学 メガソーラー発電所を設置

 龍谷大学(赤松徹眞学長)は和歌山県印南町、株式会社京セラソーラーコーポレーション、株式会社PLUS SOCIAL(PS社)などと連携して地域貢献型メガソーラー発電所「龍谷ソーラーパーク」を設置すると、このほど発表した。今後同町内と深草キャンパスに太陽電池パネル約7500枚を設置し、売電事業で得た収益の一部を市民活動や福祉に役立てる。

 福島原発事故を機に原発依存への反省から再生可能エネルギーへのシフトが望まれる中、龍大は「地域貢献型メガソーラー発電事業」のモデルを考案。これに基づいて行政・企業と協力して実現へ向けた取り組みを進め具体化した。

 総事業費は7億円。うち龍大が3.5億円を出資し、その他は金融機関からの借入で賄う。資金をもとに印南町の町有地とPS社所有地、龍大深草キャンパス校舎屋上に京セラ製の高出力太陽電池パネルを設置。

 その上で龍大政策学部の深尾昌峰准教授が社長を務めるPS社とトランスバリュー信託株式会社が主体となって固定価格買取制度を利用して売電事業を行い、収益の一部を公益財団法人等に寄付し、和歌山や京都の市民活動や福祉施設などに役立てるという仕組みだ。

 完成時の総発電能力は約1850キロワット。年間では600世帯の消費電力に相当する190万キロワットを発電する予定。5月に着工、7月の稼働を目指す。

 龍大は事業開始に伴い印南町の小中学生対象の環境学習事業に協力する他、地域活性化にも取り組む。大学・行政・企業が連携し、太陽光発電所を設置して地域社会に貢献する事業は全国で初めてになるという。

2013/2/14 新宗連「公益」シンポジウム 情報開示どこまで?


法律・社会・宗教の次元で宗教法人の公益性検討 公益財団法人新日本宗教団体連合会(新宗連)の宗教法人研究会は8日、東京・杉並のセレニティーホールで第1回公開シンポジウム「宗教法人と公益性―現状と課題を考える」を開催した。宗教の持つ聖と俗の両面から公益性を議論。公益法人として情報開示の必要性が指摘された。


 最初に白鴎大学法学部の石村耕治教授が宗教法人法を基に発題。宗教法人には税制上の配慮や特性が考慮されていると指摘し、「宗教法人は世俗的な側面で公益性ないし公器性を有していることの証しとして、透明性を確保し、法に定める適正なガバナンス(管理運営)の責務を果たすように求めている」と主張した。


 同志社大学神学部の小原克博教授(一神教学際研究センター長)は、政教分離の観点から公益性を考察。ローマ帝国から迫害・弾圧を受けていた初期キリスト教が4世紀に公認宗教と、安定と力を得るとそれまでとは逆の立場になったと解説。これを日本近代化過程の宗教とも絡めて、国家に従属した戦前の公益(国益)と、今日の公益に留意し「社会的な貢献を宗教は増進すべきであるが、同時に宗教固有の役割がどこにあるのかを意識しておかなければ、公益という、それ自体決して中立的ではない場に宗教的実践が取り込まれていく危険性がある」と指摘した。


 宗教の社会活動に詳しい国学院大学神道文化学部の石井研士教授は、アンケート調査の結果を報告しながら公益性と社会の受容について報告。宗教団体への帰属意識は近年10%に満たない。宗教団体への信頼度も、9割近い新聞や病院に比して15%前後で、選択肢15項目でもっとも低い。宗教団体の社会貢献活動は「3人に一人ぐらい」が認識している程度。宗教団体(法人)側と社会の認識の隔たりを指摘し、「宗教法人は社会貢献活動を色々している。にもかかわらず、一般には認識されていない。このギャップを埋める作業を誰がするのか」と提起。同時に学校法人を例に宗教法人の情報開示不足を訴えた。


 続いて、本山一博・新宗連宗教法人研究会座長(玉光神社権宮司)をコーディネーターにディスカッション。宗教法人の情報開示を軸に展開され、小原氏は「宗教法人として情報開示は努力すべき。しかし信仰、信心、宗教の場合には見えないもの、隠されたものがないと面白くない」と法人情報と信仰にかかわる宗教情報に切り離して考えるよう話した。


 石井氏は小規模法人ではなく、大規模法人や包括法人が公開すればよいとした。さらに情報開示のルールについて「行政やメディアが論じる前に、きちんと(宗教者側が)議論したほうがいい」と国家や行政の介入前に、宗教者主導による議論を促した。

2013/2/14 統合学術国際研究所創立10周年 新所長に山脇直司氏


新所長に就任した山脇教授 各分野の専門知を越えて創造的な思考モデルをもたらす「統合学」の確立を目指し、2003年に設立された統合学術国際研究所(竹内日祥理事長)が創立10周年を迎え、その記念レセプションが2日、都内ホテルで開かれた。新所長に東京大学大学院の山脇直司教授(哲学)が就任し、新体制を発足させた。

 記念レセプションでは、初代所長を務めた池田善昭前所長に記念品が贈呈された。池田前所長は挨拶で、在任中の10年間を回顧。2000年に〝統合〟のための対話を目指してドイツで開催された国際フォーラムで、「日米独の学者が3日間にわたり、7つの分科会で議論した時の熱気がまるで昨日の如くに想起される。その熱気を3日間で終わらせてならないという思いが、我々の研究所における建学の精神になった」と設立の所以を振り返った。

 山脇新所長は「統合学の必要性と可能性」と題した記念講演の中で、サブプライム問題や原発問題において、「既存の専門知はほとんど対応できていない」と指摘。〝統合学〟の意義に言及した。

 特に原発問題では、科学者の社会的責任が改めて問われていることを挙げ、「日本学術会議でも話題になっていたが、専門ごとのコミュニケーションがうまく成立していない」と現状を憂慮。

 哲学、倫理、宗教の重要性に触れた上で、脱原発に大きな役割を担ったドイツの倫理委員会を例に、「各自の専門知を踏まえてそれを突破する学問知のイノベーション」の必要性を説いた。

 同研究所は、今後年5回の議論の場を持ち、2年以内にその成果を論文として出版する予定。英文での出版も念頭に入れており、山脇新所長は、震災を経た日本から「国際的なインパクトを与えるレベルで行動を起こし、世界に発信していきたい」と抱負を語っている。

2013/2/21 真如苑 大涅槃図を掲げて涅槃会法要

大涅槃図を解説する伊藤真聰苑主 降誕会・成道会と共に三大仏会である涅槃会の15日、真如苑は立川市泉町の応現院で伊藤真聰苑主を導師に、故伊藤真乗開祖の音声と共に所依とする大般涅槃経の純陀品を唱和した。


 宝前には本尊である涅槃像。その左側に、開祖が修行した京都・醍醐寺より奉納された大涅槃図が掲げられた。

 法要後、苑主は、この大涅槃図を前に挨拶。「人間だけでなく、すべてが集まり描かれているのがこの涅槃図」「十方世界すべての存在を智慧と慈悲をもって描かれている」と解説。さらに今年の干支にあわせて、「ヘビもいます」とユーモアをまじえて話した。

2013/2/21 日蓮宗立源寺 荒行成満僧迎え、大祈祷会


豪快に水行を行ずる成満僧ら  東京・目黒区の日蓮宗立源寺(石井隆康住職)で10日、寒一百日間読経水行を行ずる荒行僧を迎えて大祈祷会が営まれた。法要に先立ち、大荒行を成満したばかりの太田順道正伝師や有縁の成満僧が境内で水行し、大勢の参拝者に囲まれた荒行僧らが勢いよく水をかぶった。

 同寺の大祈祷会は、同宗の加行所で前人未到の三千日の荒行を成満し、〝水の行者〟と言われた故・永村日鵬伝師が、同寺にて学徳を納める中、毎年荒行成満の日に同寺の檀信徒のために祈祷していことに始まり、今では地域の風物詩となっている。

 今年は、成満僧の中に韓国から禹法顕(ウー・ホッケン)氏(42)、米国ラスベガスから金井勝陀ダグラス氏(40)の2人の海外僧侶の姿も。当日は旧暦の正月にあたり、韓国では自宅で供養や新しい年を祝うのが習慣だが、禹法顕氏の成満を祝って韓国から約20人の信徒も駆けつけた。


 石井住職は「一生懸命修行をなさった方々が、いの一番に当山に来てくれた。こんなに嬉しいことはありませんね」と参拝者に語りかけ、祈祷会に参座した成満僧一人ひとりを紹介。

 過酷な修行を乗り越える荒行僧を見習い、「春のこない冬はありません。そういう思いで、我々も辛いことがあっても一つひとつ乗り越えていきましょう」と呼びかけた。

2013/2/21 高野山東日本支所協議会 資産運用の責任追及要請 


 高野山真言宗(庄野光昭宗務総長)の第145次春季宗会が26日に招集されるのを前に、東日本地区では巨額の損失が明らかになった資産運用の全容解明を望む声が高まっている。年間5千万円の委託料で迎えた経営コンサルタントによる改革の成果についても、公開を求める声が勢いを増している。現内局には、より一層の説明責任が求められそうだ。

 東日本支所協議会(河口隆俊会長)主催の「宗会議員を囲む会」が14日、港区の東京別院で開かれ、同地区選出の安藤尊仁宗会議長、長濱大法、廣瀬義仙両議員が出席。参加者約50人の質問に答え、宗会に東日本地区の声を届けると約束した。

 昨年の春季宗会で、内局は資産運用で約6200万円の損失が発生したと発表。その後、その責任問題をめぐって佐藤総合法律事務所(佐藤明夫弁護士・東京都港区)に調査を依頼し、秋季宗会でその報告書を提出した。

 報告書では「予見不可能な世界的金融危機の影響」を認めた上、「宗団の資金運用規程に違反していない」と指摘。現内局には「リスクへの注意義務を怠った道義的責任」はあるが、「損害賠償等の法的責任はない」とした。

 しかし調査期間が短く、報告書に損益が未記載であったことなどから、12月26日、1月25日の2度にわたり参事会(※宗団・本山の会計監査機関で宗会議長・議員ら7人で構成)を招集。執行部に資産運用に関する全資料の開示と、公認会計士ら中立の第三者を交えた再調査を提案するに至った。

 こうした一連の事態に、「損失の元は檀信徒の尊い浄財。これが水泡に帰したことは悔やんでも悔やみきれない。資産運用の現状を全末寺に公開すべきだ」という意見が続出。「宗教者が道義的責任を問われた意味は極めて重い」として、「さらなる追及」を求める声も上がった。

 先の秋季宗会で、庄野総長は宗団の運営改革と高野山学園(大学・高校)の経営難打開のために、平成19年度から業務にあたっていた経営コンサルタント三木事務所との基本契約を24年度末で解除すると発表。コンサルタントによる改革と連動して同20年、港区赤坂に開設した高野山東京事務所の閉鎖も決めた。

 主な理由は、コンサルタントの年間委託料と事務所の年間経費の合計が8千万円を超え、批判が集中したこと。この額は19年度に財政基盤安定化の目的で導入された護持負担金に相当する。契約から5年間で4億円となり、宗会で費用対効果の説明を求める質問が強く出されていた。
しかし改革の成果の多くは「機密事項」とされ、非公開。これに対し、「巨額の宗費が支出されているのに、その成果が末寺に示されないのはおかしい」という声が相次いだ。

懲罰撤回と名誉回復を

 先の秋季宗会の一般質問で、長濱議員がコンサルタント事務所の三木代表の経歴や宗団との契約内容に言及。この発言が翌日、個人情報に触れ、懲罰事犯に当たるとして耆宿議員3氏から懲罰動議が出され、長濱議員は譴責処分となった。

 しかし懲罰事犯とされた行為は発言そのものではなく、「6月13日開催の参事会でコピーしてはならない書類(三木氏の経歴書)を克明に筆記し」、守秘義務契約に違反したこと。過去の行為に遡って「参事会員の資質に欠ける」とされた長濱議員は、同会員の辞職を表明したが、安藤議長の預かりとなっていた。


 東日本地区支所協議会では9支所長の連名で、譴責処分の撤回と名誉回復を求める「要望書」を12月5日付で採択。宗務総長と宗会議長宛に送付した。「コンサルタントの経歴や契約内容、仕事の成果が非公開なのに、なぜ我々の宗費から年間5千万円も報酬を払うのか。長濱議員は東日本の代表として、これを追及しようとしただけではないか」という声が背景にある。


 さらにこの日、安藤議長が自身の回答書(2月5日付)を読み上げ、「長濱師の行為は参事として任務を果たそうとした正当な行為であり辞職することも必要なく、陳謝することも無い」と明言。辞職願は議長の職権で受理せず、春季宗会で長濱議員の名誉回復に努める意思を表明した。

2013/2/28 金沢・大乘寺 恒例の涅槃団子まき

涅槃団子をまく東隆眞山主 金沢市の曹洞宗大乘寺(東隆眞山主)の涅槃会は一日早い2月14日に営まれている。開山である徹通義介禅師(1219~1309)の月命日である14日に合わせたもので、釈尊と開山を偲ぶと共に恒例の涅槃団子がまかれた。500人の参拝者が無病息災のお守りとして重宝されている涅槃団子を受け取った。

 涅槃会法要は東山主を導師に一山僧侶が出仕して営まれた。法要を終えると参拝者は団子まきモードに。雲水が準備したカゴには、お釈迦さまのご遺体を荼毘にふしたところ五色に輝いたという言い伝えから白やピンク、黄、青の団子で満たされた。東山主がまき出すと、参拝者は一斉に手を伸ばした。そして用意してきたカバンや袋に入れた。大乘寺では、この日のために3日前から雲水らが米粉120キロを練って団子作りに精を出した。

2013/2/28 臨済宗妙心寺派「震災・原発」シンポジウム 河野管長、文明を問う


震災を契機として人間の生き方を問い直したシンポ 臨済宗妙心寺派と東京禅センターは16日、河野太通管長を迎えて公開シンポジウム「いま、ここ、わたし―3・11震災・原発からの生き方を考える」を東京の龍雲寺で開催。釈尊の説かれた少欲知足の精神の重要性と、物質に偏重した文明の見直しが強調された。また福島県からは作家で福聚寺住職の玄侑宗久氏がボイスメッセージを寄せた。

 河野管長の基調講演のテーマは「人間の安全保障」。自身の戦争体験と、戦後の日本の復興を語り「今は心の時代になったとこの10年くらいで言われている。モノだけ豊富なら幸福かというとこれは違う。しかし、私は心だけでも駄目だと思っているんです」と話した。「原発は良くないと口で言っているだけではなく、すべてのものが移ろいゆくことと、足るを知る生活を送ること。これを知らずにやれモノだ心だと言っても仕方がない。行動がなければいけない」と続け、「『諸法無我』、この真実に畏敬の念を込めて生きなければならない」と警鐘を鳴らした。

 真言宗御室派明通寺の中嶌哲演住職は、福井県・若狭という「世界一の原発銀座で生きざるを得なかった」自身の反原発活動の歩みを語った。「この40年間で若狭では広島原爆40万発分の死の灰が出されている。日本全体では120万発分です」と、放射性廃棄物の問題を指摘。50万人に近づこうとしている被曝労働者の苦悩にも想いを寄せた。

 岩手県陸前高田市慈恩寺の古山敬光住職は、震災当日からの被災状況をスライドを使って語った。「よく『復興はどこまで進みましたか』と聞かれます。冗談じゃありません。まだまだです」「どうぞ3月11日には手を合わせて、東北の地に向けてお心を頂ければありがたく思います」と切々と語った。破壊された町並みの様子を見て、会場からはすすり泣く声も聞こえた。

 玄侑住職はメッセージで「安易に未来をシミュレーションする癖、あるいは医学界の『インフォームドコンセント』の悪しき影響か、低線量被曝についても最悪に考えておくという見方が、私たちに大きな停滞と苦渋をもたらしています」「思い込みや感情論に振り回されず、冷静に新たな知見を受けとめてほしい」と、科学的思考と冷静さを持つことを強く訴えた。

 河野管長は最後の質疑応答時、「これまではどんな事故でもその後の安全保障が考えられていた。しかし原発事故は『想定外』で事故の保障が考えられてこなかった。これは文明とは言えないでしょう」と力説し、人間文明における安全保障の確実な構築を迫った。コーディネーターの千坂成也氏(宮城県塩竈市東園寺住職)は、被災者として「どうか被災地を訪れて欲しい」と話し、まとめとした。

2013/2/28 高野山真言宗宗会 庄野内局に不信任案可決


 高野山真言宗(庄野光昭宗務総長)の第145次春季宗会(安藤尊仁議長)が26日、和歌山県高野町の宗務所に招集された。資産運用の巨額損失で責任を問う声が高まっていた庄野内局への不信任決議案が可決。辞職を強く拒否した庄野総長は翌27日、松長有慶管長の告諭を読み上げ宗会を解散した。不信任可決は初で、宗内対立は頂点に達した。

 初日最後に非公開の全体会議が開かれ、資産運用の責任追及と全資料の開示要求がなされた。不信任案は有効投票数35(出席議員35人)中18票(すべて公選議員票)対17票(耆宿議員=本山任命=9票・公選議員8票)、1票差で可決された。各選挙区の民意を背負う公選議員18人が不信任票を投じた衝撃は大きく、現内局への地方寺院からの求心力の低下は避けられない情勢だ。

 昨年の春季宗会で、内局は資産運用で約6200万円の損失が発生したと発表。その責任を明確にするとして佐藤総合法律事務所(佐藤明夫弁護士・東京都港区)に調査を依頼し、秋季宗会で報告書を提出した。

 報告書では、「道義的責任」はあるが「損害賠償等の法的責任はない」と結論。しかし調査期間が短い上、報告書に損益が未記載であったことが判明し、宗団・本山の会計監査機関で宗会議長・議員ら7人で構成する参事会が2度にわたって招集された。その過程で、50数カ所に上る「集計ミス」「誤記・誤認」が判明。約1億5千万円が未記載であったこともわかった。

 参事会では数値訂正後の資料を全議員に送付した上で、公認会計士ら中立の第三者を交えた再調査を要請するに至った。

 内局は宗会直前、数値訂正後の資料を全議員に送付。だが、このおびただしい数の「集計ミス」等が「粉飾」に当たるとして、不信任可決を決定的にした。

「ミス」か「粉飾」か、全体会議は3時間以上にわたって紛糾。資産運用の全容と損失総額が不明であることから、全情報の開示も要求されたとみられる。ある議員は「檀信徒の貴重な浄財を無駄にしておいて、なぜ辞職しないのか。このままでは高野山開創1200年記念大法会どころではない」と憤りを隠さない。

 資産運用の確定損は約6億8千万円。現時点の含み損を入れると数十億円規模に膨らむと語る議員もおり、「全資料を開示してほしい」。ハイリスク金融商品も含まれ、「檀信徒の浄財で公益法人が売り買いしていいものではない」と怒りをぶちまける人もいた。

長濱大法議員の名誉回復

 先の秋季宗会での発言から懲罰規程が適用され、「参事会員の資質に欠ける」として譴責処分を下されていた長濱大法議員(栃木)の参事会員としての身分が確認された。

 議場で挙手による採決が行われ、35人中賛成23人で、事実上の懲罰撤回と名誉回復がなされた。

 長濱議員は常任監査や参事会員として資産運用の実状をはじめ、年間合計約8千万円を計上していたコンサルタント委託料と東京事務所費の費用対効果の説明を求める急先鋒として活躍。選出地区である東日本では、その積極的な姿勢に高い支持が集まっている。

 名誉回復が成った長濱議員は、「(懲罰以後は)東日本地区の方々の励ましに支えられ、今日は議員の皆さんの良識にすべてを任せました。今後も本山・宗団・末寺の発展のために自分ができることをさせていただく。私のこの姿勢に変わりはありません」と話していた。

2013/3/7 「醍醐寺文書聖教」国宝に 重文から昇格 558函6万9378点

国宝指定が決まり報道陣に公開された「崇徳天皇綸旨」(平安)に目を通す仲田座主 総本山醍醐寺(京都市伏見区)が所有する古文書・聖教類6万9378点が「醍醐寺文書聖教」として国宝に指定するよう国の文化審議会が2月27日、文科大臣へ答申した。これを受け同寺は1日、仲田順和座主導師のもと霊宝館で奉告法要を営み、歴代座主や関係者の努力に感謝した。

 国宝指定は重要文化財からの昇格。既に重文指定されていた文書1万6403点(第1~第100函)と、この2月までに指定された聖教類5万2975点(第101~第558函)が一括して国宝となった。

 同寺の国宝総数は建物・彫刻・絵画など既に指定されている41点を含め6万9419点となり、点数としては国内最大級。重文は6487点になる。

 同寺文書聖教は桃山時代の義演座主が箱に入れて保管したのに始まる。明治時代に東京帝大の黒板勝美史料編纂員によってその数が「658函」に上り貴重な史料であることが確認され、大正3年(1914)に本格的な調査に着手。以来100年間調査が継続されている。箱には番号が付され、『醍醐寺文書記録聖教目録』として目録が作成されている。

 その中身は奈良時代から大正時代までのものがあり、現存する天皇綸旨としては最も古い崇徳天皇綸旨、豊臣秀吉や足利尊氏の書状、義演座主が書いた文禄5年の大地震記など多岐にわたる。

 昭和60年からは研究者が利用しやすいように目録をデジタル化し、実物の画像を付けた史料データベースの構築を進め、現在も進行中。

 仲田座主は、国宝指定にあたって明治時代に伝承物を守るため「末寺3千カ寺を真言宗の他の御山にお渡しすることによって、そしてその時納めて頂いた1万5千円で醍醐寺は一時をしのいだ」とこれまでの寺の努力を話した上、「デジタル画像化によってより豊かな目録を完成していくことが第一の次の目的ではないか」と述べた。またデジタル化した史料を公開するための「古文書館」の建設も念頭にあると明かした。

2013/3/7 第30回庭野平和賞 スタルセット氏が受賞


庭野平和賞を受賞したノルウェーのグナール・スタルセット氏 公益財団法人庭野平和財団(庭野欽司郎理事長)は2月27日、京都市東山区の立正佼成会京都普門館で第30回庭野平和賞を東ティモール和平などに貢献したノルウェー国教会オスロ名誉監督のグナール・スタルセット氏(78)に贈ると発表した。授賞式は5月16日に東京都港区の国際文化会館で行われ、同氏には賞状・顕彰メダルと賞金2000万円が贈られる。

 同賞は宗教的精神に基づき宗教協力を通じて世界平和の推進に貢献した人・団体に贈られるもので1983年に創設。以来、選考が難航して受賞者決定を見送った88年を除き毎年授与。過去にはブラジルのカマラ大司教(1回)趙樸初中国仏教協会会長(3回)山田恵諦天台座主(6回)聖エジディオ共同体(16回)などが受賞している。昨年はグアテマラの人権活動家ロサリーナ・ヴェラスケス氏に贈った。

 節目の30回に受賞したスタルセット氏は1935年ノルウェー北部ノールカップ生まれ。オスロのノルウェー神学校を卒業し、神学学士号を取得。アメリカ・ドイツでも神学を修めた後、ルーテル世界連盟事務総長、オスロ大学実践神学校学長、キリスト教ルーテル派のノルウェー国教会トップにあたるオスロ監督などを歴任した。

 同事務総長在任時にはキリスト教各派の一致と協力を目指すエキュメニカル運動を推進し、バチカンや聖公会連合、世界の福音派教会と親密な関係を構築した。

 その後仏教・イスラーム・ユダヤ教・ヒンズー教など諸宗教との対話にも取り組み「欧州諸宗教指導者評議会」(ECRL)の設立に参画、現在も議長を務めている。世界宗教者平和会議(WCRP)の国際委員会執行委員でもある。

 ノルウェー政府の副大臣、国会の代理議員も務めた同氏は、ナミビアやグアテマラでの平和構築に取り組んだ他、ノルウェー政府特使として東ティモール紛争で和平調停の役割を担って顕著な功績を挙げた。

 庭野平和賞選考委員会委員長に04年から10年まで就任。ノーベル平和賞受賞者を選ぶノーベル委員会委員も務め、金大中氏やアウン・サン・スー・チー氏などの選考に関わった。


受賞にあたってのG・スタルセット氏のコメント
 私はたびたび、平和の君であるイエス様に、アッシジの聖フランチェスコの祈りを捧げます。『主よ、わたしをあなたの平和の使いにしてください』と。そして、庭野平和賞はその祈りへの応答であり、これからも世界の平和のため宗教協力に尽力していくという私の決意を力づけてくれるのです。

2013/3/7 東日本大震災2年特別寄稿 読経の功徳(末木文美士)


昨年9月、石巻市での海施餓鬼。地元の曹洞宗僧侶によって営まれた 映画『遺体――明日への十日間』(君塚良一監督)は、石井光太氏のルポに忠実に、東日本大震災直後の釜石市の遺体安置所の様子を伝え、衝撃的だ。元葬儀社員の民生委員(西田敏行)の指導で、はじめは茫然としていた市の職員たちが、遺体に敬意を持って接するようになる。「死体ではなく、ご遺体だ」「生きている人に向うのと同じように遺体に話しかけると、遺体が人間としての尊厳を取り戻す」などという民生委員の言葉は重く、誰をも納得させる。

 その中で、駆けつけた住職が、嗚咽で中断しながら『法華経』の自我偈を読誦すると、居合わせた人々が皆自然に合掌するところは、一つのクライマックスだ。

 それにしても、経典を読誦することは、どんな意味を持つのであろうか。そもそも死者を供養するということは、どういうことなのだろうか。これまで近代社会の中で、死者供養という問題は、仏教の中でも葬式仏教と呼ばれて、軽蔑されてきた。本来の仏教は、現世を正しく充実して生きることを教えるもので、死後を説くものではないというのが、広く受け入れられた近代的な仏教観であった。実際には、僧侶の多くは葬式法要を主たる仕事としているにも関わらず、それは仏教本来の立場からは意味のないことで、民俗との妥協による民衆教化の方便に過ぎないとも言われる。それ故、死者供養が理論的にどのように意味づけられるのか、ほとんどまともに議論されてこなかった。

 だが、葬式や法要により死者と関わることは、本当に仏教の本義ではないのであろうか。まず言えることは、仏教には、死後に関する理論がきちんとあるということだ。仏教は六道輪廻を前提としており、その過程は十二縁起によって定式化されている。確かに仏教は無我説に立ち、固定的な霊魂は認めないが、微細な五蘊の結合体が次の生につながっていくとされる。死んでから次の生が決まるまで、四十九日間の中間段階が中有(中陰)である。

 もともと仏教は自業自得が原則であり、それならば死者供養は意味を持たないことになるが、大乗仏教の廻向の思想では、自分の善行の功徳を他の人に振り向けることが可能とされ、そこに死者供養が成り立つ。中有の死者は自分では善行ができないから、生者が代わりに行い、それを死者の善行としてカウントし、よい境遇に生まれるように助けるというのである。その善行としては、僧の供養、仏像や経典の供養などが基本である。つまり、死者供養と言っても、正確に言えば、死者を供養するのではなく、死者の代わりに生者が三宝を供養し、その功徳を死者に振り向けるのである。

昨年3月、宮古市で営まれた超宗派の一周忌法要『法華経』法師品によると、経典に関する基本的な行は、受持(信じ保持する)・読(読誦する)・誦(暗誦する)・解説(他人に説明する)・書写という五つとされる。読誦はその一つで、もっとも広く行われている。それを死者に代わって行うのである。

 もっとも、この説には難点がある。中有を過ぎれば次の生に移ってしまうから、供養しても意味がないことになる。それとともに、確かに今日でも南伝系やチベット仏教では輪廻説を堅持しているが、東アジアではその観念は必ずしも強くなく、実感できないという問題もある。とりわけ日本仏教では、死後の往生や成仏の思想が発展したため、輪廻の観念が薄くなった。その場合でも、死者の往生や成仏のために、生者が助力するということは当然成り立つが、やはり死者が往生したり成仏したりしてしまったら、供養の意味がないではないか、という疑問が残る。

 ふつうの日本人の実感としては、死者は死によって決定的に生者から切り離されるのではなく、生者とずっとつながっているというほうが、納得がいく。死者は往生したり成仏することで、遠い世界に行ってしまうとは思われない。このことは先の公式的な教理説明とは異なるが、理論的にも説明がつく。

 大乗の立場では、成仏したら、仏としてこの世界に働きかけ、往生したら、浄土から還相廻向して生者を救いに来るのは当然のことである。そうでなければ、独善的な声聞になってしまう。だから、生者が死者を助力するというよりは、本当はむしろ死者の力のほうが大きく、生者は死者の助けを受けなければ生きていけないのだ。

 死者の呼びかけは声なき声であり、それを受け止めることにより、はじめて生者と死者の協同が始まる。だが、死者との交流は通常の言葉によるコミュニケーションとしては成り立たない。読経や呪や念仏が用いられるのはそのためだ。読経は単なる朗読ではない。だから、言葉の意味にポイントがあるのではない。意味を超え、言葉を超えて、死者と生者の共有の場が開かれていく。

 その声は生死の境を突き破り、生者の声に死者の声が重なり、この世界が全体として仏の世界として荘厳される。生者の思いは死者に届き、死者の願いは生者に受け止められる。読経は決して、生者の一方的な行為ではない。

 このような説明の仕方は、なお不十分かもしれない。だが今日、既存の教理で満足するわけにはいかない。本当に納得のいく理論を新たに構築していかなければならない。
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すえき・ふみひこ/1949年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。仏教学・日本思想史専攻。東大教授を経て国際日本文化研究センター教授。著書に『日本仏教史』『哲学の現場』『現代仏教論』など多数。

2013/3/7 高野山真言宗宗会 解散回避の建議実らず 双方が声明発表

松長管長の告諭を奉読する庄野総長 高野山真言宗(庄野光昭宗務総長)の第145次春季宗会(安藤尊仁議長、和歌山県高野町・金剛峯寺宗務所)が2日目の2月27日、解散された。内局に対し、資産運用の損失を隠すため「粉飾」を行ったとして不信任決議を可決。真っ向から否定した庄野総長は辞職を拒否し、全面対決の姿勢を明確にした。

 宗規では解散権は管長にある。宗会2日目、星島光雅議員(岐阜・寳心寺)は前日の全体会議での不信任可決後、松長有慶管長に解散回避を訴えるため議員5人(廣瀬義仙・岡崎正信・星島・青木正勝・安藤智性)の連名で提出した「建議緊急動議書」を修正し再提出。安藤議長は発言を求める庄野総長を制し、星島議員にその奉読を許した。

 その中で「宗政上前代未聞の不信任をめぐって宗団は大混乱に陥り、報道機関の格好の題材となることは必定であります」と懸念。開創法会を前に「一刻も早く一味和合の宗団運営を取り戻すためにも管長猊下のご賢察を賜り、宗会解散の断を下されますことのなきよう建議申し上げる次第」と要望した。

 挙手で「建議書」を採択。出席議員35人中反対14人で、松長管長に解散回避の建議書を提出することに決し、暫時休会に入った。しかし議事再開後、庄野総長が松長管長の宗会解散の告諭を発表。この瞬間、全議員がその資格を喪失した。

 前議員となった廣瀬氏 (山梨・宝壽院)は「時すでに遅しだが、最高責任者である松長管長猊下様がお出ましになって直々に(解散を)お伝えいただけたらありがたく思います」と無念さをにじませた。閉会後の議場で失職した胸中を切々と語る議員もいた。

 これから内局不信任の是非を争点とする宗会議員総選挙(定数27)に突入する。期日公示3月8日、4月18日投票締切。

“粉飾”は「事実無根」 記者会見で疑惑否定

 庄野総長は閉会直後の記者会見で、「隠蔽」「粉飾」を「事実無根」と全面否定。「資産運用の失敗だけなら辞職という選択肢もある」が、「一番許しがたいのは“粉飾”を理由とする不信任だということ。その可決には到底承服できない」とし、「大手の監査法人の精査」を受ける準備を進めていた矢先の不信任動議だったと釈明した。

 お布施などの浄財を用い巨額損失を出したことについては、「原資は確かに浄財から出ているが、ほとんどはその当時の運用益。純粋の意味で皆様から頂いている宗費諸々は資産運用には回していない。本を正せば浄財だが、それだったらもっと慎重にやる。それが膨らんで利益がいっぱい出ていた当時、すべてを浄財でやっていたわけではないとご理解いただきたい」と話した。

 森寛勝財務部長は前内局時の平成14年から始めた資産運用の現状を報告し、損益約9億1千万円の黒字だと主張。「金剛峯寺の運用利益が8億9千万円。運用損失が4億2千万円。運用損益がプラスの4億7千万円。高野山真言宗が7億円の利益に対して、マイナスの2億7千万円。損失を足すと6億8千万円。利益は約15億9千万円(昨年5月31日現在)」と説明した。しかし、現内局就任後の運用実績については明言しなかった。

 資産運用への関与が取り沙汰されている経営コンサルタント三木事務所の三木清代表は本紙の取材に、「私は、今後は適切な資産運用が必要であるとお話ししたことはあるが、これまでに個別金融商品の購入を進めたことは一度もない」と否定している。

 内局は宗団HPに解散への見解を発表。これに対し、不信任票を投じた安藤尊仁・前宗会議長側も緊急声明を発表した。

高野山真言宗第145次春季宗会において宗会が解散された件で、安藤尊仁・前宗会議長が「宗会解散に至る経緯並びに宗団正常化に向けて」と題する緊急声明を3月1日付で発表した。全文は以下の通り。  

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 住職・教師 各位におかれましては 宗団・本山護持のため二利双修、ご清祥のこととお慶び申し上げます。

 さて、高野山時報や全国紙等による新聞報道をはじめ、テレビニュースなどでも取り上げられているため、既にご存知のことと存じますが、平成25年2月27日、可決された内局不信任案を受け、庄野宗務総長は、「退職」ではなく「宗会解散」を選択されました。

 内局不信任案が提出、可決されましたのは、宗団の財政悪化について、再三にわたり説明を求めたにもかかわらず、粉飾ともとれる虚偽の数字を宗会に提出し、正しい情報を提出することがなかったからにほかなりません。

 入力ミスや計上洩れ、集計ミスといった事務処理上の誤りが多数かつ多額にみうけられたのも事実ですが、これは、事務方の処理能力もさることながら、内部チェックの管理体制(内部統制)が機能していないことによるものであり、重大な問題ではあるものの、内局が、佐藤総合法律事務所に有価証券投資に関して調査依頼した際に、売却損、償還損といった運用損失に係る情報を提供していなかった問題は、これとは次元の異なる問題であります。 

 庄野宗務総長が、記者会見やホームページで述べられていることと、事実は異なり、
① 含み損は12億700万円ではなく、26億5100万円であること、
② 運用益が運用損を上回っているとされる9億200万円の大半(8億8700万円)は、前内局時代のものであること
(ともに内局提供資料による)等、都合の悪い事実は告げず、事実を歪曲して説明するといった体質と状況は、今も変らず繰り返されており、問題は、ご自身がそれを“意図的”であると認識しておられない点にあります。

 6億8900万円の運用損失にしても、参事会員6名(この時、長濱大法師は参事会員として認められず、同席できず)が、末寺の貴重なご浄財を適正に運用しているかどうかを監査するため、二度にわたり参事会を開催して、初めて明らかになったものですが、公明性、公開性を確保すべく、更に、再三にわたり資料の開示請求を行ったにもかかわらず、未だに検証に必要な資料が提供されていないため、損失はこれだけにとどまらないおそれもあります。

 内局不信任案の動議を提出し、賛成した宗会議員18名は、有価証券投資を巡る運用損失も重大な問題ではあるが、自己保身のために都合の悪い情報は隠蔽し、事実と異なる虚偽の説明を繰り返す内局の体質を問題にしたのであり、一刻も早く、宗団を正常な姿に取り戻し、開創1200年記念大法会を成功に導くべく、内局不信任案を提出し、可決された次第です。

 宗会が解散された場合、宗政上前代未聞の総長不信任を巡って宗団は大混乱に陥り、門末寺院や檀信徒の皆様に多大なご迷惑をおかけするであろう事態を避けるべく、管長猊下にご賢察賜り、宗会解散の断が下されないよう建議申し上げましたが、時すでに遅く、内局は総辞職することなく、管長猊下に宗会解散を要求し、解散の挙に打って出ました。

 宗務総長選任の耆宿宗会議員9名と地方寺院の民意により公選された宗会議員26名とがしっかりと協議した結果の「内局不信任案可決」を受け止めるのではなく、そのような結果を出した宗会が悪い、と解散させるのであれば、一体宗会とは何なのか、宗務総長・内局とは一体誰の意を体しているのでしょうか。

 宗会解散という誠に残念な結果となってしまいましたが、不信任動議に賛成した宗会議員18名は、愛宗護法の篤い思いで宗団・本山を憂うるとともに、「高野山真言宗は自浄能力を持っていなければならない」と強く念じております。全国の高野山真言宗の住職・教師 各位におかれましては 、この憂うべき現状をご理解いただき、宗祖大師様のため、一味和合の正常化された宗団が取り戻せますよう、ご協力をお願い申し上げる次第です。                                     

合掌

2013/3/14 高野山巨額損失問題 森寛勝財務部長インタビュー(上)


宗会解散後の記者会見で資産運用について答える森財務部長(2月27日・金剛峯寺宗務所) 資産運用で約6億8千万円の損失が明らかになり、それを隠すための「粉飾」があったとして現内局(庄野光昭宗務総長)への不信任決議案が可決された高野山真言宗。その渦中にある森寛勝財務部長が本紙のインタビューに応じ、胸中を語った。
――――――――――
――今次宗会で新年度予算案の審議がなされなかった。混乱はないか。
 宗規に「前年度予算をもって充てる」とある。だが、今回の不信任可決で「宗費を払わない」という末寺も出て来るかもしれないし、奥之院(の信仰)収入も減少するかもしれない。全国紙に(資産運用失敗と)出たダメージは大きい。

――不信任動議は「粉飾」の理由で出された
 「粉飾」は絶対にしていない。

――「粉飾」と判断されたのは、短期間で作成された弁護士事務所の調査報告書に運用利益だけが記載され、損益が除外されていたから。参事会(※宗団・本山の会計監査機関で宗会議長・議員ら7人で構成)でも追及された。
 その後、運用利益、損失、損益を計算し直して資料を出した。正直、計上ミスが多過ぎた。

――計上漏れが約1億5千万円。計算ミスが50数カ所。一般企業の決算書では通用しない。

 今、決算書の数字を合わせている。資産運用に関するデータだけを出す際、「どの証券がいくら」と記載されている元帳から拾ったが言い訳できないくらいミスが多かった。平成14年から10年間に及ぶわけだから。ただこれ以上、職員を責めることはできない。

――参事会では膨大かつ煩瑣でもいいから一次資料(総元帳)を出してほしいと要求し、公認会計士ら中立の第三者による徹底した再調査を提案した。
 参事会の席で再調査に応じると約束した。にもかかわらず不信任動議が出され、意図的に「粉飾」とされた。

――12月26日の参事会で計上漏れを指摘され、1月25日に再び「正誤表」を出し、内局は50数カ所1億5千万円の計上ミスを認めた。ここで再調査が提案された。
 参事会側から「内局の選ぶ公認会計士は信用できない」と言われた。そこで2月7日に協議会を持ち、「参事会側と内局側双方で公認会計士を選び、同じ資料で調査をしてもらおう」となった。3月5日に大手の監査法人が来山することになっている(2月28日現在)
(※続きは紙面をご覧ください)

2013/3/14 立正佼成会創立75周年式典 〈仏性=水晶〉を磨いて


75歳を祝して庭野会長と佳重夫人に園児園児2人から記念の花束が贈られた 立正佼成会(庭野日鑛会長)は5日、東京・杉並の大聖堂で創立75周年式典を挙行し、「人を救い世を立て直す」という立教の精神を再確認した。大本の出口紅教主が祝辞を述べ、宗教協力による平和運動を称賛した。庭野会長は、一人ひとりの仏性を開顕し磨いていくことを説いた。なお庭野会長は3月20日に満75歳を迎えることから、お祝いの花束が園児から贈られた。佳重夫人も登壇し、笑顔を受け取った。全国から4000人の会員が参拝した。

 庭野光祥次代会長を導師に読経供養後、啓白文が奏上された。「立正とは、正法すなわち法華経に立脚すること。佼成とは、人と人とが互いに心の交流を深め切磋琢磨すること。すなわち菩薩道を歩むことにより、人格形成・成就をはかり、仏さまの慈悲の心をいただいて開顕すること」と会名の意義を披瀝。さらに古典を引用して、今後も人材育成に努める覚悟を明らかにし、震災復興についても「多くの亡くなられた方への慰霊、鎮魂の礼を尽くしつつ、一日も早い労働力に溢れる復興を念じると共に地域社会、国家、世界に貢献できる人作りに取り組まさせて頂きます」と表明した。

 祝辞では出口紅教主が、開祖以来の交流と宗教協力による平和構築運動に感謝と称賛の言葉を贈った。また出口すみこ2代教主の歌から「お土」の教えを紹介。「お土は人々の下にあって踏まれても不足一つ言うわけでもなく、すべてを支え、包容し、生み、育み、浄化させる。そのお土の心に学ばさせて頂き、自分自身のみ霊磨きをするようにとの教え。お土の心にならせていただくことは大本開教以来、一貫して変わらぬ根本の教えであり、会長先生の説かれる『一人ひとりの心田を耕す』に相通じるもの」と“万教同根”の一部を紐解いた。

 庭野会長の法話では、在家仏教の基本姿勢を示し、朝の挨拶・返事・履き物をそろえるといった身近なところからの行動を提示。合わせて、掃除・笑い・感謝の「そわか」実践をユーモア交えて説いた。

 さらに法華経の精神に言及し、仏性の開顕とそれを磨くことが必要だとし、「教育の中では、他者と争ったり、比べたりする。それでは水晶(クリスタル)が傷ついてしまう。一切衆生悉有仏性、その仏性、水晶をきれいにすること。それには『明るく、優しく、温かく』が通じ合う人間になること」と呼びかけた。

 このあと「後期高齢者です」と発言して会場を沸かせた庭野会長と佳重夫人に花束が贈られた。会場も一際大きな拍手で祝福した。

2013/3/14 全日本仏教青年会が福島で追悼の祈り 西田敏行さんが故郷に感謝の言葉

海外仏教者らも参列した全日仏青の追悼慰霊・復興祈願法要(11日・福島市) 東日本大震災、福島第一原発自己の発生から2年。全国の宗派・地域の垣根を越えて青年僧が組織する全日本仏教青年会(全日仏青、村山博雅理事長)は11日、福島県の福島市音楽堂で追悼慰霊復興祈願法要・復興イベント「音と祈り、未来への光」を開催した。俳優の西田敏行さんや、現在も仮設住宅で生活する避難者など被災地から約千人が参加。震災が発生した午後2時46分に黙祷を捧げ、会場は追悼、復興の祈りに包まれた。

 西田さんが主演する震災直後の死体安置所を舞台にした映画『遺体―明日への十日間』の予告編を上映。わずか1分40秒の映像だが、薄暗い会場の中で涙をためた参加者の目が光っていた。

 福島県郡山市出身の西田さんは、故郷の自然について「福島県は僕の情操を育んでくれた。福島の山、川、人、その全部のおかげで立派な俳優になることができた」と話し、震災後、「自分の故郷が、しかも福島の場合は原発事故がありますから、あの山と川と海が放射線で汚染されている。ニュースで汚染という言葉を聞いただけで、ものすごい思いを持った。僕は、これほど福島のことを愛しているのだなと、震災以降、思い知らされました」と語った。

 西田さんは、会場に集まった被災地の人々にメッセージを求められると、震災後の日本人の生き方について、哲学者の梅原猛さんが仏教の教え〝草木国土悉皆成仏〟を挙げていることを紹介。

故郷・福島への思いを語る西田敏行さん「国土に生きとし生きるものすべて、仲良くして生きていれば、皆仏さまになれるんだよ、と仰っていた。とてもしっくりきた。この心をいつの頃からか忘れてしまっている日本人がいるんではないかな。海を愛し、山を愛し、自然を愛し、小さな虫までも愛する。皆にそういう気持ちがあれば、自然と平和がくるのだろう。この心を持ってこれからも日々生きていこうと思っています」と話した。

 会場には宗派を超え、地域を超えて、全国の青年僧約200人が集結。第1部では各宗派の特色を生かし、法螺(金峯山青年会)・雅楽と木剣修法(全国日蓮宗青年会)・声明(全真言宗青年会)・甲念仏(全国浄土宗青年会、知恩院式衆有志)・祈祷太鼓(全国曹洞宗青年会)で法要を厳修した。

 さらに開催趣旨に賛同して宗教の枠を超えて若手神職で組織する神道青年全国協議会が神楽舞『浦安の舞』を披露。第2部は会場に備え付けられているパイプオルガンを築地本願寺副オルガニストの小島弥寧子さんが演奏し、優しく荘厳な音色が奏でられた。

 村山理事長は、「被災地の人々に寄り添いたいと全国の僧侶が活動してきた。これほどたくさんの被災地の方が集まってくれたことに感謝しています。尊い命を無くされた多くの方々の追悼、被災地復興の元気や力のきっかけの一つになればと望むばかりです」と話した。

 当日は世界仏教徒青年連盟(WFBY)の海外仏教者らも参席。海外の仏教者も日本への祈りを捧げていることに、会場から大きな拍手があった。

青年僧の活動に感銘

 法要に参列した宗教者災害支援連絡会の島薗進代表(東京大学大学院教授)は「個人として参加したが、少しでも心を近づけるように共に祈ることがとても必要だと感じた。これまでに青年僧と支援活動を共にしたことがあるが、青年僧が被災者に信頼されており、感銘を受けた。今回、神道の方も参加し、宗教宗派を超えた祈りが福島で実現したことはとても意義深い」と話した。

2013/3/21 著者に聞く 『小説 日隆伝』著者の泰永二郎さん(在家日蓮宗浄風会会長)



日隆(1385―1464)は八品派(門流)の祖。八品派教学の大成者である。本年の550回遠忌を期して上梓されたのが本書『小説日隆伝』である。「日隆上人をテーマにした伝記類はいくつかありますが、専門的で一般の人には難しい。普通の人が手にとって読んでもらうものにしたかった」と著者の泰永二郎氏(在家日蓮宗浄風会会長)は語る。浄風会もまた八品派に連なる教団である。「八品派にとって日蓮聖人に次ぐ存在。日隆上人が教学の人であることは間違いない。本書では、教学面に触れてはいますが、もっと人物を知ってもらおうというのが狙いです」

 日蓮が没してから約100年後、富山湾に面した地で生まれた。太平洋を臨む千葉で生まれた日蓮に対し、日隆は日本海である。仏教(法華経)に関心を持ち、12歳で出家。18歳で上洛し妙本寺(現妙顕寺)に入門した。間もなく妙本寺6世が入寂すると、7世を継いだのが月明である。月明は曰く付きの僧侶であったようである。そのため、日隆が妙本寺改革を志したのは当然といえる。「書きながら思いましたが、日隆上人はなんと根気づよい人かと。つまり月明を折伏し、妙本寺改革に取り組む。しかし何度も煮え湯を飲まされる。しかも命まで狙われた。応永12年(1405)から始めて、永享元年(1429)に『四帖抄』を著すまで25年、諦めなかったわけです。この根気に驚きましたね」。この根気がやがて八品派教学を確立していくことになる。

 日蓮系教団では、法華経の前半十四品を迹門、後半十四品を本門とする。そこから本迹一致(一致派)、本迹勝劣(勝劣派)の解釈が生まれ、宗祖の本懐はどこにあるのかという論争はいまもある。八品派は勝劣派に属し、さらに本門の従地涌出品第十五から嘱累品第二十二まで八品こそもっとも重要だとする。本書で注目したいのは「一致・勝劣に二重の意味がある」という解説である。かつて創価学会員としばしば論争をした体験を持つ泰永氏は「若い頃、よく学会から一致派と言われましたが、一面しかみてない批判でしたね」と苦笑する。この一致・勝劣についても極めて簡潔にまとめられている。

 本書には、生まれた時の宝剣エピソードや実家におくった白馬の絵像など、史実とは少し離れた伝承も取り入れられている。「なぜ小説にしたのかとよく聞かれます。専門的な評伝もありますが、必ずしも一本筋が通っているというわけでもない。それを一本筋を通してストーリーを展開するには、どうしても創作が必要となる。そうなると小説しかない」と理由を口にする。旅先の色が浜(敦賀市)では疫病に苦しむ村人たちのために平癒を祈願し、真言僧との法論は緊張感が溢れる。教学を憂慮した越後の日陣との問答シーンも盛り込まれている。高い教学と見識、かつ庶民の苦悩を分かち合う姿勢。その両面を有した日隆。「相手の機根に応じた対応ができた人。庶民や京の町衆を教化(きょうけ)したり、救済するのにいきなり教学を持ち出すわけがない」。日蓮宗事典では「真摯な求道者であると同時に熱烈な弘教者」と日隆を評しているが、救済者でもあったのだ。

 この仏教小説に秘められたメッセージがある。じつは「お題目」である。八品派は「本門八品所顕上行所伝本因下種」のお題目である。「同じ南無妙法蓮華経でも、中身は一致派と八品派では違う。お題目には意味があるのです。八品派のお題目を掲げ、主張し、守ってきた人たちがいるということ。その源が日蓮聖人であり日隆上人。そのことに少しでも気づいてもらえればと思っています」。550年遠忌記念出版の本書。日隆の生涯、苦悩、思想、教化力などを学ぶ、またとない機会である。(B5判・240頁・価1575円)

2013/3/21 全日本仏教会「被ばく」シンポジウム 子どもたちのために保養プログラム推進を


 昨年8月に続く全日本仏教会(全日仏)主催の「いのちと原子力」シンポジウムが8日夕、東京・新宿区内の大会議室で「放射能被害とは―福島第一原子力発電所事故による被ばくを考える」をテーマに開かれた。3人のパネラーは福島の現況を憂慮しつつ、子どもたちが放射線を気にしないで外で遊べるよう保養プログラムを推進するよう仏教界に訴えた。約200人が参加した。(続きは紙面をご覧ください)

2013/3/21 WCRP世界大会 ウィーンで第9回大会 テーマは「他者を歓迎する」


 公益財団法人世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会(杉谷義純理事長)は13日、第9回世界大会を今秋11月、オーストリアの首都ウィーンで開催すると発表した。2006年8月の京都での大会以来7年ぶりの世界大会となる。

 第9回大会期間は11月19日から21日までの3日間。ウィーン市内のカンファレンス・センターが会場となる。世界から正式代表450、オブザーバー150の600名が参加する見込み。日本代表団は今後の協議で決定する。大会前日(18日)には女性会議と青年会議が開かれる。

 総合テーマは、「他者を歓迎する―人間の尊厳、市民権、そして分かち合われる幸福のための行動」(仮訳)。中東・北アフリカ地域委員会での議論から出てきたコンセプトで、「アラブの春」以降に表出してきた少数派の保護・信教の自由の問題に関してすべての民族や市民の尊厳を守ることを重要課題としている。ヨーロッパにおける反イスラーム感情、アジアにおけるミャンマーのロヒンギャの市民権問題なども議論の対象となる。

 開催地決定には大きく2つの要因があった。一つは2011年11月モロッコで中東・北アフリカ地域委員会が発足し、世界大会について協議したところ、「イスラームとの対話が世界的にも重要な課題」だと提起されたことだ。

 もう一つは、07年のアブドゥッーラ国王とローマ法王ベネディクト16世の初対話を契機とし、サウジアラビア国王が主導していた「アブドゥッーラ国王による諸宗教間・文明間対話のためのセンター」(KAICIID)が昨年11月に設立されたこと。同センター設立にはWCRP国際委員会が協力した。同センターはウィーンに開設され、世界の宗教組織から理事として9人が参画しているが、女性代表として庭野光祥立正佼成会次代会長が名前を連ねている。

 第9回世界大会は、KAICIIDの協力によって行われる。

 WCRPは近年、宗教問題を内包した紛争解決のための行動や、和解を進めるための諸宗教評議員会の設立を後押ししてきた。昨年来日したスリランカ諸宗教評議会もその一つだ。現在、国内委員会を有する国は90カ国以上に及ぶ。

2013/3/21 南三陸町に「まなびの里 いりやど」竣工 大正大学が中心になり


竣工なった「いりやど」 東日本大震災直後から支援活動に取り組んでいる大正大学(東京・西巣鴨)が中心となって宮城県南三陸町入谷地区に建設していた南三陸研修センター(一般社団法人)が完成し18日、学内要職者をはじめ地元住民、協力した「私大ネット36(さんりく)」加盟校らが参加して竣工式典が挙行された。「南三陸まなびの里いりやど」と名付けられた研修センターは、復興支援と教育活動の拠点となる。

 式典は最初に、大正大学の杉谷義純理事長、多田孝文学長(研修センター理事長)、養老孟司客員教授(研修センター名誉館長)と同町を代表して佐藤仁町長理事がファンファーレと同時にテープカット。くす玉が割れると大きな拍手が上がった。

 多田学長が「東日本大震災の支援に来たつもりが、あべこべに私たちが日本人の心を教わりました」と町との絆に感謝。「このセンターで多くのプログラムを組み、皆さんと交流します。必ずやここで学んだ学生、若者たちが素晴らしい人材になると思っています」と抱負を語った。

 佐藤仁町長も同大の支援・交流に深謝。「町はまだまだ復興の途についたばかり。壊滅状況になりゼロではなくてマイナスからの出発になります」と述べ、今後の復興への協力に期待した。

テープカットの瞬間  全国の私立大学が10年間協力して教育的見地から被災地支援をするネットワーク「私大ネット36」会長の長尾ひろみ氏(広島女学院大学学長)は、「この会は本当に面白い。大正大学さんは仏教、国学院大学さんは神道、私たちはキリスト教。宗教を越えていのちの大切さを教育していきたい」と祝辞。大正大学OBで被災者でありながら支援を欠かさなかった岩手・中尊寺の山田俊和貫主は「多くの若者がここで学んでくれることを期待しています」と語った。

 大正大の支援活動がスライドで紹介された。その中で復興支援と教育の関わりは「行動する→振り返る→考える→工夫する→行動する」のサイクルだと強調。今後の支援・教育活動への方向性が示された。養老名誉館長も記念講演でこのサイクルを「脳科学的にも正しい」と称讃した。

 祝宴では、高橋修理事(料理人/南三陸飲食店組合)らが腕によりをかけた山海の珍味を提供。高橋理事は「こんなに立派な施設を作っていただいて本当にありがたい。支援や復興の活動、学習も楽しむことが一番ですよね」と語り、食事を通じての教育活動に意欲を見せた。「広報部長」として南三陸町のマスコットキャラクター「オクトパス君」も登場し、写真撮影に応じていた。

「いりやど」は敷地面積約1500坪で、和室8室・洋室6室に研修室・食堂を備えた施設。全国の大学生を受け入れ、各大学の特色を活かした復興・再生活動の足場となる。個人やビジネスでの利用も可能。翌19日からさっそく7大学学生による研修プログラムが実施された。

2013/3/28 バチカンで鎮魂コンサート 日伊の震災犠牲者を追悼


2500人超が参集した鎮魂コンサート(11日、バチカン・サンパオロ大聖堂) 東日本大震災から2年目の11日、バチカンで日本の被災地の高校生とイタリアの合唱団のコラボレーションによる鎮魂のコンサートが催された。「バチカンより日本へ祈りのレクイム―東日本大震災の鎮魂と復興祈念コンサート」と題され、日本だけでなく、09年イタリアで発生した大地震の犠牲者も併せて追悼した。

 コンサートを主催したのは「バチカンより日本へ祈りのレクイム」実行委員会(理事長=大谷哲夫前駒澤大学総長、曹洞宗長泰寺住職)と、「日本元気プロジェクト」(森屋正治代表)。実行委員会には岡正人専務理事、内閣官房参与の飯島勲顧問等の諸氏が参画。また同プロジェクトは震災を契機に設立され、歌やイベントで被災者を励まし続けている。森屋代表は駒澤大学駒澤会会長でもあり、大谷理事長とは旧知の間柄だ。そのため今回のイベントは仏教とカトリックの出会いと追悼ともなった。

 日本からは、岩手県立高田高校音楽部を中心に被災地域の大学生・高校生ら25人で構成された元気合唱団が参加した。

 イタリアで活躍するテノール歌手の榛葉昌寛(しんばまさひろ)氏が全面協力し、イタリアを代表するロッシーニ・シンフォニー管弦楽団とペーザロ・サンカルロ合唱団、フルートのロマーノ・プッチ氏などトップレベルの演奏者が競演した。こうした恵まれた人材にひかれて、会場のサンパオロ大聖堂に用意された2500席がすぐに満席となり、回廊にも人が溢れた。中には今年100周年を迎える上智大学の高祖敏明理事長をはじめとする30名近い学生も見えた。

 会場正面には約4畳分の大型和紙に森屋代表が揮毫した元気と復活の文字が掲げられ、来場者の注目を集めた。

 元気合唱団は、避難所で被災者を勇気づけた「あすという日が」を披露。また榛葉氏は「エレジー―愛しい人へ捧げる哀歌」を世界初演。最後は世界的指揮者ダニエーレ・アジマン氏指揮による音楽史上最高と言われるモーツァルトの鎮魂曲「レクイエム」の演奏に、全員が感涙し被災者に鎮魂の黙想を捧げる時間を共有した。コンサートは午後9時の式典から始まり、終了したのは深夜零時を過ぎていた。

 コンサートに先立ち、会場に隣接する一室では、日本の参加者らによって、日本とイタリアの震災犠牲者を追悼する法要が営まれた。 

 今回のコンサートに際して前ローマ教皇ベネディクト16世は以下のようなメッセージを寄せた。「親愛なるきょうだいたちよ、日本で起きた悲劇的な大地震と津波は私たちにとって忘れられない強い打撃を受けさせました。大きな災害を受けたにもかかわらず勇気と尊厳を持って復興に向けた努力を惜しまない日本の皆様に敬意を表します。被害者の皆様のための私の祈りは今日も続きます。そして被害者を支援するため力を注いでいる皆様にも奨励します。心を一つにして祈り続けましょう! 神は私たちの側にいます!」

国境と宗教超えた音楽と祈りに感動……大谷哲夫理事長の話

 最初から最後まで感動的でした。やはり音楽は国境を超えて人を感動させる力を持っていることを実感しました。ローマ市民は最後まで熱心に聴いてくれました。合唱団もそれによく応えてくれた。

 東日本大震災により親を喪った高校生も、3月11日は地元に残るかどうか迷っていたけれどもバチカンでも供養できると思い参加したそうです。今回はイタリア大地震の犠牲者を追悼する意味もありました。

 音楽だけでなく、コンクラーベの最中であったバチカンという聖域の場から国境を超え、異宗教という壁をも超えた真実の深い祈りが捧げられたと思います。

2013/3/28 曹洞宗南アメリカ総監部 南米開教110年にちなみ記念梵鐘の寄贈計画


慈恩寺は現在までに2度の移転・改修を行っている。写真は、初代の慈恩寺(カニエテ郡サンタバルバラ耕地)で、1917年にペルーへ赴任した第2世・斎藤仙峰師(現山形県新庄市本合海出身)の晋山式。齋藤師は1919年、カニエテで病死した 本年(2013)は、浄土宗の樹下(きのした)僭龍、松本(後に藤井)赫然、曹洞宗の上野泰庵の3師によって、日本を経由した仏教が南米大陸のペルーに初めてもたらされてから110周年になる。

 浄土宗の2師は数年の後に帰国するが、上野師はペルーにとどまり、1907(明治40)年に、日本人移民の喜捨を集め、南米最初となる慈恩寺(現存)をリマ県カニエテ郡に開山している。

 曹洞宗南アメリカ国際布教総監部(ブラジル・サンパウロ市/采川道昭総監)では、この開教110周年にあたり、記念の梵鐘をペルー日系人協会(APJ)へ寄贈する計画を立てている。寄贈は、ペルーと日本、そして曹洞宗との絆の強化を目指すもので、「日本秘露(ペルー)友好親善の鐘」と名付けられる予定である。

 梵鐘は日本で製作される。製作費とペルーへの輸送費について同総監部では、広く浄財を求めている。募金取りまとめ先:宗教法人月心院
(郵便振替記号番号)02240-1-56811

8月に記念法要

 同総監部では記念法要を8月24日にリマ市の日秘文化会館の大ホールで、翌25日にはリマ市から南方へ150キロメートルの距離にある慈恩寺で厳修する。采川総監は、「是非、多くの方のご参列をお願い申し上げたい」と希望している。

 戦前のペルーでの布教には曹洞宗の5人の僧侶が関わり、うち2師が殉職(病気による夭折)。まさに命がけの布教であったが、これまで知られていない部分が多かった。開教110周年記念事業に参加することで、未知の大陸に挑んだ先人たちの足跡、現在まで寺院を護持してきた日系人の思いに触れることが可能であると思われる。

 参加希望は、同総監部へ一報を。ブラジル国番号(55)11-3208-4515(日本語対応可能。日本との時差はマイナス12時間)メール:sotozen@itelefonica.com.br
【記事・太田宏人】

2013/3/28 本願寺評議会 新執行長に佐々木鴻昭氏 北畠氏は任期半ばで退任


 浄土真宗本願寺派本山本願寺の北畠典生執行長(84)が18日「後進に道をゆずる」として任期半ばで退任書を大谷光真住職へ提出。これを受け21日に招集された本願寺評議会・臨時会で執行長選挙が行われ、新執行長に宮崎教区摂護寺住職の佐々木鴻昭氏(69)が選ばれた。任期はこの日から2年。

 元龍谷大学学長の北畠執行長は同派新体制発足の昨年4月1日初代執行長に就任。任期2年のところ1年を前にしての辞任は「平成25年度の寺務の基本方針などを強力かつ迅速に実行するべく、新たな始まりを期して、人心を一新し、後進に道をゆずる」というのが理由。将来的な住職交代も念頭にあってのことのようだ。

 本願寺評議会の執行長選挙では、佐々木氏と部長や教務所長等を務めた元宗務員、藤實無極氏(滋賀教区報恩寺)の2人が大谷住職から候補者に指名され、投票の結果、評議員15人中出席した12人全員の票を獲得した佐々木氏が当選した。

 佐々木氏は「様々な方がたからのご指導・ご協力を賜りながら、本願寺の益々の興隆に努めて参りたいと存じますので、なお一層のご厚情を賜りますようお願い申し上げます」とコメントを発表した。

副執行・執行は再任

 佐々木新執行長は21日本山内局を構成する副執行に養藤了文氏(78・高岡教区西光寺住職)、執行に和治教文氏(64・滋賀教区浄照寺住職)を任命した。両氏は北畠内局に引き続いての就任。

2013/4/4 教如上人四百回忌 東本願寺開創の志願振り返る


大谷暢顯門首導師のもと250人の合唱団が参加して厳修された教如上人四百回忌法要(4月2日 御影堂) 真宗大谷派は2日、京都市下京区の真宗本廟御影堂で東本願寺を開いた第12代教如上人の四百回忌法要初逮夜を厳修した。初逮夜には4500人が参拝。本願寺を別立して親鸞聖人の教えを伝えた上人の志願を振り返り感謝の誠を捧げた。教如上人を慰めた岐阜県南西部に伝わる「顕教おどり」の披露もあった。

 里雄康意宗務総長は挨拶で教如上人について「その生涯に貫かれていたのは宗祖親鸞聖人の教えを聞き抜き、その教えをいただく御座所すなわち親鸞聖人がいらっしゃる廟堂を命懸けで守護しなければならないという信心の人でした」と振り返った。

 初逮夜は大谷暢顯門首が導師を務めて音楽法要形式で執行。「上人の御恩に報いるために私たちのなすべき事は念仏弘通の遺志を継いでゆくことただ一つです」と門首が表白を述べ、全国から集った住職・坊守・門徒ら250人の合唱団が指方浩さん指揮のもと和訳正信偈を歌った。御影堂参詣席は人で埋まり広縁まで溢れた。四百回忌法要は4日日中まで。

 法要に先立っては大垣教区、岐阜県揖斐川町の北山十日講に伝わる「顕教おどり」が白洲で披露された。石山合戦後この地に逃れた顕如上人と教如上人を慰めるため門徒が踊ったのが始まりとされ、踊りの名も顕如・教如上人から一字を取って付けられた。


大垣教区の門徒が披露した「顕教おどり」 この日は十日講を構成する8カ寺のうち善重寺(大橋常徳住職)の門徒らが出仕。歌に合わせて笠に着物姿の10人ほどが輪になって昔ながらの踊りを披露した。

ゆかりの90点揃え教如上人展

 四百回忌を記念して教如上人の足跡をたどる「教如上人展」が1日から修復中の阿弥陀堂で開かれ、全国各地からゆかりの品90点を揃え展示している。

 主な展示品は赤い袈裟を付けた上人寿像をはじめ黒衣・墨袈裟の寿像数点、親鸞聖人の和讃を書き入れた上人独自の十字名号、父親の顕如上人、弟の准如上人らの影像の他、上人を支援していた長浜の門徒342人が署名・血判した血判阿弥陀如来像、小松教区能美四講から初めて門外へ持ち出されたという「郡中御影」、教如上人が豊臣秀吉・千利休と茶会を共にしたことを記す「利休百会」(写)、徳川五代将軍綱吉による寺領安堵の朱印状など。

 監修した大桑斉大谷大学名誉教授は「教如上人はどこまでも門徒衆とおられ、門徒衆とおられようとしたことを見てもらいたい」と話していた。展示は7日まで。

2013/11/21 ダライ・ラマ14世来日 若手宗教者と対話


臨済・真言・カトリックの若手宗教者と議論 グリーフサポート団体一般社団法人リヴオン(尾角光美代表理事)の主催する「ダライ・ラマ法王と若手宗教者100人の対話―悲しみから希望を紡ぐ」が19日、東京・芝の浄土宗大本山増上寺で開催され、題名よりも多い200人超の宗教者と一般参加者が来日中のチベット仏教最高指導者であるダライ・ラマ法王(14世)のメッセージに耳を傾けた。法王は圧政下のチベットで起きている焼身自殺にも言及し、会場は息をのんだ。

 最初に、増上寺の八木季生法主が導師を務めて一山による法要。法王も本尊阿弥陀如来に向かって合掌と礼拝を捧げた。八木法主は「兵戈無用は人類の願いです」と、無量寿経の言葉で亡命中の法王を労わった。

 法王は講演では釈尊の悟りや四諦八正道など、仏教の基本的な摂理をやさしく語った。その後、臨済宗妙心寺派大禅寺住職の根本紹徹氏、真言宗智山派海禅寺副住職の飯島俊哲氏、カトリック・メリノール会修道女のキャサリン・ライリー氏と対話。

 この中で飯島氏は「私は保育園の副園長でもあります。もし暴漢が私の園に入ってきたら、私は暴力を用いて制圧するでしょう。しかし仏教徒としてそれは許されるのか。たとえ子どもを守るという動機だったとしても…」と苦悩を吐露。それに法王は「根本的に暴力か非暴力かは心の動機で決まります。外面的に非暴力であっても利己的な動機ならそれは暴力。逆に、外面的に少し暴力的であったとしても、内面的には相手を救いたい利他の思いだとしたらそれは非暴力です」と諭した。

 その上で飯島氏は「何故、非暴力のチベットの人が暴力的な国家によりこんなに苦しみを受けなければならないのでしょう。焼身自殺さえも起こっています」と質問。

 法王は「自分にとって一番大切な命を投げ出してでも世に問いかけるというのはとても驚くべき行為です。他者に暴力を用いないで自分に向けることで不条理を世に問う。これについてはとても心痛み悲しいことであります。しかし、政治的なことが原因で起きてしまう」と述べた。また、自身は2年前に政治的な指導からは引退していることも付言。

 法王は「70億の人間のうち10億人は無宗教なのです」とも述べ、そういった人たちとも愛と慈悲を分かち合うことの大切さを強調した。

2013/4/4 朝鮮総連本部 鹿児島の最福寺が落札 アジア融和の場に


最福寺が落札した朝鮮総連中央本部の建物(千代田区富士見町)。近くに靖国神社がある 整理回収機構が強制競売を申し立てていた東京・千代田区の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)中央本部の土地・建物を鹿児島県の宗教法人最福寺が最高額の45億1900万円で落札。3月29日、東京地裁は最福寺への売却を許可する決定をした。最福寺の池口恵観法主(76)は、「怨親平等の精神に則り、祈りの場、アジアの融和の地にしたい」という意向を表明した。

 池口氏は高野山真言宗の僧籍を持ち、これまで5度にわたって訪朝した。月刊誌「世界」(2012年4月号)のインタビューで池口氏は怨親平等の精神に基づいて世界各地で戦争犠牲者を慰霊してきた体験を披瀝し、「古代から戦乱の絶えなかった朝鮮半島で非業の死を遂げていった戦没者、戦争犠牲者を供養して、世界平和の祈りを捧げなくてはいけないと考えました」と述べ、「アジアの平和のためには、やはり日朝関係が重要な要素」との認識を示している。

 資金については、金融機関から借り入れると言い、そのめどは立っているとした。

 施設については、「祈りの場」とする一方、大使館をもたない国々に対して貸し出すことも視野に入れている。政府の許可があればその延長上で朝鮮総連本部にはいったん退去してもらった後、貸し出すという。


落札した最福寺の話

 池口恵観先生は仏教者ですので、怨親平等の精神に則り、祈りの場、アジアの融和の地にしたいということです。

 北朝鮮について取り沙汰されていますが、実際問題としては、本部の方たちにはいったん出ていただく。これが基本です。その後、日本政府の意向があれば、北朝鮮に貸すことも考えています。その場合、家賃をいただくことになります。

 そもそも(入札は)靖国神社に近接していることがあります。恵観先生の考えには、明治時代の廃仏毀釈があり、(朝鮮総連本部のある)富士見地域は富士山信仰の場所でもあった。それが九段と住所が分かれた。神仏の神(靖国神社)に対して仏。その思いがある。

 恵観先生は鹿児島の生まれです。戦中、鹿児島には特攻隊の基地がありました。特攻に行く隊員は神社にお参りしてからいく。当時、恵観先生は小学校1年。特攻隊員全員ではありませんが、頭をなでて「靖国にいるからな」と言って特攻機に乗り、尾翼を揺らして、さようならと告げていく姿は目に焼き付いたままで、忘れられないと言います。その総本山のようなところが靖国神社。今日の日本の礎はそうした戦没者によってあるわけです。

 それから怨親平等による戦没者・戦争犠牲者の慰霊。ライフワークの一つです。日本にまだ帰ってきていない遺骨や遺品が何百万とある。それをやりたいと。その思いが北朝鮮を訪問してから一気に噴火した。
 結果的に、北朝鮮は恵観先生に対する理解がありますが、安倍首相の経済制裁は大賛成です。しかし針の穴だけでも空けておかないと、というのが先生の思い。ですから火中の栗を拾いに行くということで、競売に参加したわけです。いま、色眼鏡でみられ、右翼とか左翼とかいわれますが、恵観先生自身は仏の翼、仏翼だといってます。

2013/4/4 花まつり特集「仏教系中学高校の花まつり」 世田谷学園中学校・高等学校



昨年の灌仏会の様子。献花するのは寺院子弟の新入生 東京・世田谷の閑静な住宅街に建つ曹洞宗宗門校の世田谷学園中学校・高等学校(山本慈訓校長)。毎年4月、入学式の数日後に降誕会式典(花まつり)を全校生徒で行っている。修道館(アリーナ)の壇上には花御堂がしつらえられ、寺院子弟の新入生による献花をはじめ、各学年代表者が甘茶を釈迦誕生像に注ぐ。生徒は校長先生の法話に真剣に耳を傾け、一年間仏心で学問に励む決意を新たにする。これが、新入生にとっては最初の仏教行事。男子校だけに硬派な印象も受ける式典だ。

 世田谷学園の歴史は古く、前身は1592年に開設された曹洞宗僧侶養成機関「旃檀林」。1902年に文部省私学令に基づいて駒込吉祥寺境内に「曹洞宗第一中学林」が開かれてからでも110年以上の歩みがある。亀山仁道校務部部長も「私もここの卒業生なんですが、通っていた頃から花まつりをやっていました」と言うからかなり長い間続けられている行事だ。

 教育理念は「Think&Share」。「天上天下唯我独尊」を国際的に通じる言葉として英訳したもので、約30年前にカナダのグレンライオン・ノーフォーク校と提携した際に定めた。自分だけが持つかけがえのない価値というこの語の本意が、花まつりで釈尊の姿から伝えられる。同校は生徒が校門に入る前、必ず合掌礼拝することでも知られているが「そういった大切さも必ず花まつりでお話しします」(亀山教諭)。

 寺院子弟や仏教に興味のある生徒で構成される「仏教青年会」があるのは、仏教系高校でも珍しい取り組み。獅子児祭(学園祭)の仏教展示や坐禅会を熱心に取り組んでいる。ちなみに全校生徒約1450人のうちお寺の子どもは20人ほどとのこと。約600名が参加する臘八摂心や精霊祭、両大本山への参禅など、仏教系行事もかなり多い方だと言える。カリキュラムにも宗教(生き方)が組み込まれている。「保護者向けの参禅会も最近は好評です。『仏教だから、禅宗だから』とうちを選んでくれる人も増えてきました」と亀山教諭は胸を張る。

 世田谷学園というとオリンピック選手を輩出した名門柔道部が印象深い向きも多いだろうが、実は近年、スポーツだけでなく都内有数の進学校としても頭角を現している。2年連続で東京大学に12人を送り出しているほか、旧帝大、早慶一工、上智大や医学部など難関を突破する生徒が増えているのだ。

「とはいえ、それは生徒が頑張っているから。私たち教員はその頑張りを後押ししているだけです」と亀山教諭。「勉強が第一じゃないんです。まず仏教、曹洞宗の教えに基づいた心の完成が第一」。その始まりが降誕会ということだ。
(華頂女子中学高等学校、駒込中学校高等学校、駒澤学園女子中学校高等学校、千代田女学園女子中学校高等学校の花まつりは紙面をご覧ください)

2013/4/4 花まつり特別エッセイ お釈迦さまは最高の応援団(露の団姫)


露の団姫さん(剃髪後)「団姫さんはいっつも幸せなオーラにあふれてますね!」と先日、寄席のスタッフさんに言われました。私は元気に「はい!毎日幸せです!」と自信を持って答えることが出来る、本当の幸せ者です。

 四月八日、花まつりと呼ばれるこの日は、毎年、自分自身の誕生日よりも大きな喜びと感謝に包まれます。

 仏教に出会ったのは十五歳の時。幼い頃から抱いていた「死」に対する恐怖の答えを探し、聖書やコーラン、そして仏教書を読み漁っていた頃でした。私が嬉し涙を流したのは、「諸経の王」と呼ばれる「法華経」に出会った瞬間。法華経は、私の人生の師匠であるお釈迦様が「私(お釈迦様)よりも、このお経を重んじなさい」とまで言われたお経です。簡単に説明しましょう。

剃髪前 私は「法華経」を「努力の教え」と呼んでいます。なぜなら、お釈迦さまがいかなる状況であっても私たちのそばにいてくださり、尚かつ、努力の仕方を教えてくれるお経だからです。そして何より「人生を肯定する」教えでもあります。法華経のおかげで私は生きることに対する自信ができて、積極的になり、人生が百倍面白くなりました。だから私はみなさんに「仏教を信じていたら宝くじで三億円当たった」なんてアヤシイことは言いません。「仏教に出会う、お釈迦様の教えに出会うこと自体が宝くじで三億円当たるより幸せなことだ」と言いたいのです。

 仏教に出会ったほぼ同時期に、将来、落語家になりたい。と思うようになっていました。しかし、出家して一生を仏教に捧げたい、この素晴らしい教えを世の中の悩んでいる人にどんどん伝えたい! とも願うようになりました。

 二つの夢――これを叶えるにはどうしたら……? と悩みながら落語の歴史の本を読んでいると、「上方落語の祖とされる露の五郎兵衛は僧侶であった」と書いてありました。当時(江戸時代)、仏教の教えに関心を抱かなかった民衆に面白おかしくオチをつけて説法をし出したのが落語の始まりだと推測されます。「これや!」と、ヒラメきました。

 十八歳の春。高校を卒業して一週間後、初代・露の五郎兵衛の流れを汲む露の団四郎師匠に入門しました。

 古典落語をする傍ら、自作の仏教落語「法華経落語」を入門二年目に創作。修行が明けてからは天台宗と不思議なご縁をいただき、比叡山をひらかれた伝教大師・最澄さまの「一隅を照らす」つまり、「自分の持ち場(ひとすみ)で一生懸命頑張ること、世のため、人のためと頑張ることが、平和に繋がっていく」という教えに触れ、今度は「一隅を照らす落語」を作りました。

 二〇一一年、お釈迦様への思いを隠しきれず、天台宗で出家得度。初めて剃髪した時は、「髪……ええの?」と不安げな母。だから私は言いました。「お母さん、私はな、カミよりも、ホトケの道を選びます」ってね。昨年春に比叡山で四度加行と呼ばれる修行を受け、正式な天台宗の僧侶となりました。正式に仏弟子になったおかげで、今までお釈迦様にただただ与えられるだけ、それに感謝するだけだった私が、恩返しするチャンスを得たのです。

 弟子として「お釈迦様への恩返し」とは何でしょう?それは、師匠であるお釈迦様の夢を叶えることです。お釈迦様の目標は「衆生の救済」です。つまり、私たちが平和に、幸せに暮らせる世界がお釈迦様の夢なのです。

 私は仏教に出会った時、この教えがあれば、ケンカはもちろん、戦争もなくなり、人間が互いを認め合う平和な世の中が訪れると確信しました。そして何より一番悲しい「自殺」も防げるのではないかと思い、何とかして仏教の素晴らしさを広めたいと思いました。

 昔、とある新聞の取材で「師匠の夢は弟子の夢」と言いました。これは、落語家になった時の話ですが、お釈迦様に関しても全く同じことが言えます。

 入門した頃、地方出身で、女性で、小さな一門ということでよくイジメられました。私は何の後ろ盾もなく、落語家としてはハンディの多い、ただの田舎娘だったのです。十八歳の私は自分を励ます川柳を作り、お釈迦様に心の中からメールを送信しました。

『何もない 無名の私が 敷くレール』

 そう、私には何の後ろ盾もないけれど、仏教という教えがある。誰かがレールを敷いてくれないなら、自分でレールを敷いたらええんや! と、自分のつらい気持ちにムチを打ちました。そしてついに先日、この川柳のメールに対し、お釈迦様から返信メールが来たのです。

『レール敷く 姿にエール 送ってる』

 んなあほな。さあ、今日も一日頑張るぞ! ホラホラ、あなたの耳にも聞こえてきませんか?

「フレー! フレー!」と旗を振る、人生最高の応援団、お釈迦様の声が。

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露の団姫(つゆの・まるこ)/1986年生まれ。上方落語協会所属の落語家。高校在学中に人生指針となる法華経に出会う。落語家になるか尼さんになるか悩む中、落語の創始者、初代・露の五郎兵衛が僧侶であったことを知り、高校卒業を機に初代・露の五郎兵衛の流れを組む露の団四郎へ入門。3年間の内弟子修行を経て主に古典落語・自作の仏教落語に取り組んでいる。
 2011年、天台宗で得度。2012年、比叡山行院で四度加行を受け正式な天台僧となる(天台宗雙厳院法嗣)。年間250席以上の高座と仏教のPRで全国を奔走。 2011年より天台宗キャンペーンガール。同年に繁昌亭輝き賞(新人賞)歴代最年少で受賞。

2013/4/11 花まつりスケッチ 立正大学大崎キャンパスで初の花まつり行事


グリーククラブの歌声のなか学生たちが甘茶をそそいだ 立正大学(山崎和海学長)は8日、東京・品川区の大崎キャンパスで新入生歓迎イベントとして、花まつりを実施した。今年から山手通り沿いにあるキャンパス入口に花御堂や花まつりの由来を紹介する看板を設置。約100人の学生が花まつりイベントに訪れ、仏教学部の教職員・学生らが出仕して法要など開会セレモニーを営んだ。

 開会セレモニーでは、法要の他にも同大グリーククラブが学園歌などを披露。学外の人々も足を止めて聞き入っていた。

 当日は地元の品川テレビが取材に訪れ、地域の幼稚園園児や高校・大学の連携事業で学校訪問をしていた高校生なども参加。花まつりの趣旨をまとめたリーフレットや同大の歴史が分かるミネラルウォーターのペットボトル・甘茶のセットを配布し、花まつりを通じて新入生の誕生を祝った。

 灌仏イベントは10日まで行われ、仏教学部に通う日蓮宗谷中学寮の学寮生15人が交代で説明員を務めた。花まつりや灌仏の由来を新入生や地域の人々にレクチャーし、同大と花まつりのピーアールに一役買っていた。


 同大では、1日に開かれた熊谷キャンパスの入学式でも花御堂を設置し、新入生と保護者に灌仏を紹介。花まつりは、新入生の誕生に対して全学で祝意を示す同大ならではの春の風物詩ともなりそうだ。
(仏教主義学校連盟、全日本仏教婦人連盟、四谷仏教会、真言宗豊山派大本山護国寺、孝道教団、真言宗東寺派百観音明治寺の花まつりは紙面をご覧ください)

2013/4/11 高野山真言宗宗議選 内局が選挙干渉



 現職の庄野光昭宗務総長への不信任の是非を問う高野山真言宗の宗会議員総選挙。全10選挙区の中でも激戦が予想されていた第4区(静岡・愛知・岐阜・三重=2議席)で3候補が立ち、選挙戦に突入した。資産運用の巨額損失「粉飾」疑惑をめぐり、現内局に直接投票で審判が下されることになった。候補者の一人は、「現状是認か刷新か、今回の総選挙を象徴する戦いになる」と力を込める。投票締切と開票は18日。


 第4区の候補者は、前職の星島光雅氏(岐阜・寳心寺)と新人の布留裕成氏(三重・石上寺)、新人の清水教雄氏(三重・大師寺)。星島・布留両氏は、不信任票を投じた前宗会議員らで作る「高野山真言宗の運営刷新を求める前宗会議員有志の会」からの推薦も受けており、旗幟を鮮明にしている。


「有志の会」では公選議員27議席中、少なくとも過半数となる14議席以上を獲得。本紙の情勢分析では再選・初当選を決めた候補者の中にも不信任派合流の動きが複数確認され、内局指名の耆宿議員10人と合わせた全37議席の過半数をも占める勢いだ。第4区の選挙結果が、不信任決議再可決の可否を占う決定的な意味を持つことになる。


 だが、宗団の未来をも左右する同区の選挙戦で、内局の選挙干渉に当たる行為が明らかになった。


 永島龍弘総務部長名で、「第4区宗会議員選挙有権者の皆様へ」(5日付)と題する文書を送付。星島候補が同選挙区の立会演説会(1日)で配布した「宗会報告書」を「余りにも乱暴な内容」だと批判した上で、「我々内局は、貴選挙区内に配布されている『庄野内局の現宗政にNOとはっきり物申す宗会議員を選出』という決めつけた主張を看過することはできません。選挙権をお持ちの皆様が公平な評価の下に投票されることを願い、敢えて現内局の見解を表明」するとしている。


 資産運用の損失6億8千万円の「隠蔽」「粉飾」について、「それぞれの年度の参事会において決算報告し、承認されており決して粉飾という事実はございません」と否定。「退職給与引当金も一部資金運用に供していますが、退職給与に影響を及ぼすことはありません」「勧学財団は財団法人であり(中略)資金運用を前提とした組織」などと述べ、健全な運用だと主張している。


 資産運用への関与が取り沙汰されている経営コンサルタント三木事務所の三木清代表について、契約に当該事項はなく関与はないと明言。三木代表の経歴については「機密保持契約」で公表できないが、「当然ながら内局が当事者として確認」していると強調し、改革の成果として学園全体で11億円以上の経費削減があったとしている。


 さらに別法人である高野山学園の決算報告は「参考資料として参事会に提出済み」で、「勧学財団、火災見舞金制度基金はそれぞれの監事の監査を受けており、参事会にも報告され」、「特別災害基金、開創法会決算も23年度決算として資料提出」。「護持負担金は定期預金として管理されており」、当然ながら運用に供していないと釈明している。


 宗団の顧問弁護士ではない佐藤総合法律事務所に資産運用の責任問題の調査を依頼したことについても、「中立性を担保するため」などと回答している。


 一候補者の主張に対し、内局が公文書を駆使してここまで反論を展開していることも問題だが、永島総務部長が今総選挙の選挙長という公職にあることは一層問題である。果たしてこれで公正な投票への信頼性を確保できるのか。同区内では抗議の声があがっている。


 庄野総長は宗会解散直後の会見で、「今度の選挙に我々は干渉しない」と公言。その後、「有志の会」から出された公開質問状にも回答拒否を通達している。

2013/4/11 本願寺派 大谷光真門主 引退へ


 浄土真宗本願寺派の大谷光真門主(67)が15日に京都市下京区の本山御影堂で営まれる立教開宗記念法要で引退を表明する模様だ。

 8日宗派内に「15日の法要後、これからの宗門・本山に関する極めて重大な事項について、大谷光真ご門主のご決意が宣明される」旨伝えられた。これが光真門主の引退表明になるとみられている。

 光真門主は、故・光照前門主が昭和51年(1976)1月16日に引退表明した翌年52年4月1日に法統継承式を執り行って門主に就任した。今日までの在位は36年。

 2011年4月から昨年2012年1月までの宗祖親鸞聖人750回大遠忌法要が円成した後、昨年4月1日に抜本的に改正された宗法など基本法規が施行され、近いうちの門主交代がささやかれていた。

 引退となれば長男の光淳新門(35)が第25代門主・本願寺住職に就任する。ちなみに前回は引退表明から法統継承式まで1年以上、その後内外へお披露目する伝燈奉告法要はその3年後に執り行われている。

 光真門主引退後の動向も注目されるところだが意欲を見せている首都圏開教に力を注ぐため前門も就任可能な築地本願寺の住職になるともみられている。

2013/4/18 同宗連 議長教団に立正佼成会 議長は川端健之氏


 『同和問題』にとりくむ宗教教団連帯会議(同宗連)の第33回総会が11日、京都市下京区の浄土真宗本願寺派宗務所で開かれ、2013年度から始まる第17期の議長教団に立正佼成会、議長に川端健之同会総務局長、事務局長に山越教雄同会総務局外務グループ主査の就任が決まった。任期は2年。同会の議長教団就任は第9期(97~98年度)以来2度目。

 11年度から第16期の議長教団を務めてきた真言宗豊山派が任期満了を迎え第17期の役員教団案が提出され全会一致で可決された。

 議長教団の他は、副議長教団に天台宗、臨済宗妙心寺派、豊山派の3教団が就任。副議長教団は議長教団に就くのが慣例だが、妙心寺派はそれを伴わない形での就任となる。

 この他役員を構成する企画委員長教団に曹洞宗、広報委員長教団に世界救世教いづのめ教団、監事教団に善隣教、臨済宗円覚寺派が就任した。

 議長退任にあたり豊山派の岩脇彰信教化部長(同派内局交代に伴い昨年7月議長就任)は「宗教者が本来為すべきことを為すにはまず宗教者自身が恥ずかしくない言動をとっていくことが大事。そのためには自らを省みる姿勢が大切」とし、「今後も真の人権の世紀が実現することを目指して活動してまいりたい」と誓った。

 議長に就任した立正佼成会・川端総務局長は「身の引き締まる思い」と心境を吐露。81年結成に先立つ《「同和問題」解決への取り組みなくしては、もはや、日本における宗教者たりえない》との「よびかけ」の一節を出して「先達の皆様が記してくださった意味をしっかりと噛み締めつつ役務に精進させていただきたい」と抱負を述べ、加盟教団、協賛団体、都府県同宗連の協力を要請した。

狭山事件再審求め5月に集い開催

 総会ではこの他、12年度の事業報告・決算、13年度の事業計画・予算案、第17期連絡会編成が審議され、いずれも全会一致で可決された。

 うち12年度決算は歳入2408万余円、歳出2021万余円で次年度繰越金387万余円。13年度予算は繰越金減少に伴い前年度比約40万円減の総額2371万余円とした。新年度は5月22日に築地本願寺で狭山事件再審を求めて300人規模の「石川さんの幸せを願う宗教者の集い」を開くことにし、その予算50万円を新規計上した。

2013/4/18 大震災復縁 両国回向院で善光寺出開帳


岩手県陸前高田市から寄贈された回向柱に揮毫する善光寺大勧進の小松貫主(12日 回向院) 東日本大震災からの復興を願う「善光寺出開帳」が今月27日から5月19日まで、東京都墨田区の浄土宗回向院(両国2-8-10)で開催される。江戸時代に人気を誇った善光寺の回向院出開帳。戦後初めてとなる今回は「復〝幸″支〝縁″」を目的に、出開帳仏の「一光三尊阿弥陀如来像」をお祀りし、震災犠牲者を供養すると共に、多くの人に結縁してもらって復興の光を届ける。

 回向院は明暦の大火で亡くなった多くの無縁仏を供養するために建てられた墳墓「万人塚」での大法要から始まり、安政の大地震、関東大震災や東京大空襲など天災・人災で犠牲になった有縁無縁の生命を供養してきた歴史がある。江戸時代中期からは善光寺をはじめ全国の有名自社の出開帳寺院となり、多くの参詣者を集めてきた。 


 今回の出開帳は、震災から約半年後に、支援活動をしていた回向院と善光寺一山の僧侶が被災地で出会い、復興支援の一環として計画。本多将敬・回向院副住職は震災から2年が経過したこの時期に、「忘れないというメッセージを届けたい。多くの尊いいのちが犠牲になられた。お一人お一人には物語がある。私たちが物語を忘れず受け継いでいくことがご供養になる」と話す。

 期間中は出開帳仏をはじめ、20点以上の寺宝が出品されるほか、陸前高田市の金剛寺の秘仏「木造如意輪観世音菩薩座像」や同市の松の木で造立された「木造地蔵菩薩立像」など被災地の菩薩様も登場する。東北・信州の物産展「被災地復幸支縁 両国長屋ストリート」、法話会や各種イベントを予定。回向院に隣接するシアターX(かい)では関連行事として林家正蔵師匠の奉納落語なども企画されている。参拝券は大人1000円、小中学生500円。収益は全額被災地支援に充てられる。

回向柱に揮毫

 12日に善光寺大勧進の小松玄澄貫主が来院し、「善の綱」によって出開帳仏と結ばれる回向柱に揮毫した。柱は被災地の岩手県陸前高田市から寄贈された杉の木(40センチ角×長さ7メートル)。小松貫主は「江戸時代の出開帳は善光寺の整備のために浄財をいただいていたが、今回は東日本大震災の復興のための出開帳。そういう意味で、回向柱は供養のために、そして出開帳における善光寺如来様のシンボルとしてお建てします。皆さまのご協力を仰ぎたい」と話した。

《主な催し》
○法要スケジュール
東日本大震災犠牲者追悼・被災地復興祈願「お練り大法要」(5月11日午前10時半)
「出開帳特別大法要」
小松玄澄・大勧進貫主(4月27日、5月3日、同11日、同19日)
鷹司誓玉・大本願上人(4月30日、5月6日、同12日、同18日)
○北原香菜子 琵琶演奏(4月29日午前11時半)
○劇団檸檬座講演(5月4・5日(午前11時半)
○江戸の華 浮世絵と回向院展(連日開催)
○法話会(5月11日を除く/午後1時半)

2013/4/18 本願寺派 大谷光真門主が退任表明 来年6月、法統継承


退任表明する大谷光真門主(右)と後継者の光淳新門(15日 本山御影堂) 浄土真宗本願寺派の大谷光真門主(67)が15日午前、京都市下京区の本山御影堂で営まれた立教開宗記念法要で「退任」を表明した。退任の期日も「明年の6月5日をもって」と明示した。次の第25代門主には後継者の光淳新門(35)が就任するが、門主就任を示す「法統継承式」の期日は今後決められる。園城義孝総長は会見で来年6月6日になる見通しを述べた。光真門主は「退任後もご法義繁昌のため、その務めを果たす所存」とも述べ、退任後の活動に意欲を見せた。

 光真門主は立教開宗記念法要に出座し、親教の後、「お言葉」を述べた。その中で「このたび私は、本願寺住職、浄土真宗本願寺派門主を退任することにいたしました。1977(昭和52)年4月に就任して以来、満36年が過ぎました。明年の6月5日をもって、退任いたします」と表明。

 「先代・勝如門主は1973(昭和48)年の本山本願寺における親鸞聖人御誕生800年・立教開宗750年のご法要を終え、引退をお決めになりました」と振り返った上、「私は、親鸞聖人750回大遠忌法要のご満座の導師をつとめることができました。そして、時代の変化に対応するよう宗門の組織が整えられました。10年後にはご誕生850年を迎えます。新たな歩みを始めるよい時期であると考えます」と退任の理由を述べた。

 跡を継ぐ光淳新門に触れては「新門は、すでに、築地本願寺の副住職として実務に就くばかりでなく、首都圏をはじめ各地を訪ね、宗門の事情への理解を深めています。新鮮な感覚と知識を持って任を果たしてくれることと思います」とした。

 退任後については「私は住職、門主の職務を離れましても、浄土真宗の僧侶であることには変わりはありません。退任後もご法義繁昌のため、その務めを果たす所存です」とし、この時期の表明について「宗門の行事等は1年以上前に準備を始める場合も少なくありません。継承が円滑に行われるよう、この時期に退任を表明することにいたしました」と述べた。

 園城義孝総長は退任表明を受けて挨拶。「今日までのご教導に対する感謝の念絶えることなく一抹の寂しさの中に気の引き締まる思い」と述べた上、同時に退任する範子裏方にも感謝。門主となる光淳新門に対して「新裏方様と共に私どもを導き賜りますよう切に念願する次第」とした。本山の佐々木鴻昭執行長も門主の教導と裏方の指導に感謝し、光淳新門の法統継承式について「宗門と本山がより密接に連携をとりながら進めて参りたい」とした。

 記念法要後の退任表明には光淳新門、範子裏方が臨席した他、宗派総局・本山内局はじめ同派僧侶・門信徒ら合わせて3500人が参詣席を埋めて見守った。

「精一杯努める」光淳新門が抱負

 門主退任表明を受けて光淳新門の「お言葉」が次の通り発表された。

「このたび、2014年6月に法統を継承することになりました。親鸞聖人が『教行信証』を著されて以来、790年間にわたって浄土真宗のみ教えが受け継がれてきました。阿弥陀如来のはたらきにより、私のもつ自己中心性を自覚しながら、自己と他者を平等に尊重する浄土真宗の生き方は、混迷する社会にあって、大切なものであると思います。今後とも、浄土真宗の歴史を真摯に見つめ、次世代へと教えが伝わるよう精いっぱい努めてまいります」

功績第一は組巡教

 15日夕、同派宗務所で園城総長と佐々木執行長が出席して記者会見が開かれた。

 園城総長は「6月5日に退任をされまして、6月6日に継承式を行うという形になるかと思います」と法統継承式が来年6月6日なるとの見通しを述べ、また委員会を組織して準備を進めていく方針を示した。

 光真門主の功績に関する質問に対しては「組巡教、全国の組、533組を回られた。本願寺住職様、ご門主様としては一番われわれ宗門の中で全国の様子をお知りになっているのではないか。誰も全国回られた方はないわけですから」と述べ、様々な法要修行や伽藍の修復などの中で一番に組巡教を挙げた。

2013/4/25 安田松慶堂 増上寺で仏壇供養法要


 寛政4(1792)年創業の仏壇仏具の老舗・安田松慶堂は18日に浄土宗大本山増上寺(東京都港区)で恒例の仏壇供養法要を行った。

 午前10時から大殿で渡邊裕章法務部長が導師を務めて念仏による法要を厳修。内陣には安田松慶堂製の仏壇を祀っていた人々が着座しており、本尊阿弥陀如来に向かって次々に焼香を捧げた。

 渡邊部長は「明治以来安田松慶堂さんは増上寺の出入り業者として非常に良くしていただいております。戦災に遭った大殿が昭和49年に再建された際もこの仏具荘厳を一式すべて調えていただきました」と感謝。「戦後、マッカーサーは日本人の家庭を視察した時、『各家庭にチャーチがある』と仏壇を見て一番驚いたそうです」というエピソードを話し、一日一日を仏壇に向かって先祖供養する生き方の尊さを説いた。

 七世安田松慶会長は「心を込めて丁重に浄梵式をさせていただきます」と挨拶。一同は大殿脇の炉に移動し、撥遣の儀を行って仏壇に着火。青天に白い煙がたなびいていった。

 この日は夕方までかけおよそ150本の仏壇が供養された。供養主の一人は「ご先祖様を守ってくれた大切なお仏壇。今までありがとうございました」とじっと手を合わせていた。

2013/4/25 臨済宗妙心寺派・花園会本部 千鳥ヶ淵で平和記念法要



小学生による平和の誓い奉読とその様子を見守る河野管長(4月20日) 臨済宗妙心寺派(松井宗益宗務総長)は20日、東京・千鳥ヶ淵の戦没者墓苑で河野太通管長親修により「千鳥ヶ淵平和祈念法要」を執行。河野管長は口で唱えるだけなく仏法実践による平和構築を力説。また小学生2人が平和の誓いを宣言した。法要は檀信徒組織の花園会本部が主催し、東京教区の寺院をはじめ全国から700人の会員が参列し、焼香した。


 妙心寺派では、平成22年から日本の戦跡ともいえる場所で平和祈念法要を営んできた。同年10月広島、同23年11月沖縄、同24年10月長崎。そして今回の35万余柱の戦没者が眠る千鳥ヶ淵墓苑で、「祈りの巡礼の一つの区切り」(松井総長)となった。(続きは紙面をご覧ください)

2013/4/25 高野山臨宗 庄野総長が辞任を表明 宗内混乱収束のため


資産運用の調査報告書の件を含む全議案が承認され、通告書が安藤議長から庄野総長に手渡された。この直後、庄野総長は辞任を表明した 庄野光昭宗務総長への不信任決議が可決された高野山真言宗で23日、解散総選挙後の新宗議による第146次臨時宗会が和歌山県高野町の金剛峯寺宗務所に招集された。内局は資産運用の巨額損失「粉飾」疑惑を払しょくするとして、外部調査委員会の報告書を発表。第3号議案として承認を求めた。これが否決された場合、再び不信任投票が行われるとみられていたが、翌24日に可決。庄野総長は宗会解散以後、一般社会にまで波及した宗内の混乱を収束させるとして、辞任を表明した。

 2月27日の宗会解散後、内局は直ちに大手監査法人に調査を依頼すると発表。「資産運用に関する外部調査委員会」(委員長=木下貴司弁護士)を組織し、4月20日付で松長有慶管長に調査報告書を提出した。臨宗では、全議員にその要約版が配付された。

外部調査委が報告書 運用の不正確認できず

 調査は、資産運用を開始した平成14年から現在までの全期間が対象。「中立・公平な立場」から、木下・髙木浩二両弁護士と松藤斉・松澤公貴両公認会計士らが外部調査委員となって行った。

 その結果、宗教法人高野山真言宗と金剛峯寺、㈶高野山勧学財団と高野山文化財保存会、学校法人高野山学園の25年3月末の運用資産残高は「金57億8800万円であり、金15億2800万円の含み損が生じている状態」と判明。「運用対象商品は仕組債を含む外国債が中心であり」、「リスクについても配慮していた姿勢が見られる」として「不正や隠蔽」は確認できないと指摘した。さらに多額損失が出た銘柄を列挙して、原因を分析。リーマンショックの影響を認めた。

 その上で「かかる国際的・突発的な経済事象を事前に予見することは不可能」として、「(内局の)責任を問うことは適切でない」と認定。資産運用の実現損は報道されている6億8900万円ではなく、「収受した利息等を考慮」すると約5億7200万円だとした。

 内局はこの調査に際し、「要求された資料を隠すところなく提出」しなければならないと義務づけられていたが、報告書は「入手しえた資料に基づいて」作成され、「財務書類及び会計処理の全てを対象としたものでな」いなどの限界も明記されていた。

 松長管長は臨宗開会式で叱責を含む異例の垂示を1時間近く行い、宗内の結束を呼びかけた。

 庄野総長は内局全員の辞任という苦渋の決断で愛宗護法の念を示し、次期内局に未来を託した。

正副議長は不信任側が再選

 臨宗前日の議員協議会(出席36人)で正副議長の選出が行われ、投票の結果、先の春季宗会で議長として不信任票を投じた安藤尊仁氏が過半数を獲得。再び議長に選ばれた。副議長も、安藤議長と志を同じくする片山弘文氏が再選出された。

 安藤議長・片山副議長の再選で、僅差ながら不信任案が再可決される可能性が高いことが判明。宗団・本山の会計監査を行い、今回の巨額損失を明らかにした参事会の会員(5人)にも、不信任の立場を明確にして再選を果たした山本弘詔・長濱大法・菅梅素弘・村上了海の各氏が就任した(残る一人は耆宿の東山泰清氏)。常任監査には山本・長濱両氏が就いた。

 3時間半に及んだ議員協議会の後、記者団の囲み取材に応じた安藤議長は、「議事運営は中立でします」と明言。内局の報告書については「貴重な資料であるし、大切な判断材料ではある」と評価しつつも、参事会との合意に基づく調査ではない点を問題視した。しかし、「これは権力争いではない。我々は全員仲間です。『皆でスクラムを組んで前向きに行きましょう』という姿勢を作っているだけ」と述べ、不信任再可決を強行するわけではないことを示唆した。

 実際に事態を収拾すべく、内局と安藤議長側で非公式の会談も幾度か持たれた模様だ。ある議員は、「我々だって本当は不信任投票なんてやりたくない。子や孫の代に誇れる高野山真言宗にしたいという一心だけだ」と胸中を吐露した。

2013/5/2 ドキュメント・高野山臨宗前後 苦渋の決断、聖地を守る


議長に再任され挨拶する安藤議長 庄野光昭宗務総長への不信任決議再可決の可否が焦点となっていた高野山真言宗の第146次臨時宗会(4月23~24日、和歌山県高野町・金剛峯寺宗務所)は、資産運用の「粉飾」疑惑を払しょくしたとする庄野内局の辞任で幕を閉じた。この結末は、どのような過程で導き出されたのか。

 臨宗前日の22日午前、内局と内局指名の耆宿宗会議員10人による臨時耆宿会が開かれ、「粉飾」疑惑に対して検証を行った外部調査委員会の報告書(要約)が提出された。

「資産運用に関する外部調査委員会」の委員長である木下貴司弁護士ら4氏が出席して、調査は「中立・公平な立場」から行ったことなどを説明。その結果、「不正が行われていた形跡は発見できなかった」と結論付けた。

 竹井成範議員(岡山・千光寺)は、これで内局の潔白が証明されたと安堵。先の宗会で不信任票を投じ、総選挙でも反内局の立場を明確にして再選を果たした16人の公選議員の処分に言及し、「どういう形で責任を取ってもらうのか。お詫びか、名誉棄損か」と提起した。

 そして、不信任側の代表として再選した前宗会議長の安藤尊仁議員(神奈川・三會寺)と交わした誓約書を提示し、「あまり厳しい責任追及は議会に影響を及ぼす。安藤さんが責任を取る(議員辞職)というレベルで収めていただけたら」と要請。庄野総長は「私は非常に寛容。辞職を要求する気持ちはない」と答えた。

 公選・耆宿の全宗会議員36人(1人欠席)が参加して、議員協議会(非公開)が午後4時から開催された。内局支持側から安藤議員への辞職要求はなかったとみられ、宗会議長選挙でも僅差ながら安藤議員が再選した。これで不信任側が主導権を握ったことを印象付けた。(続きは紙面でご覧ください)

2013/5/2 大谷派大阪教区 750回遠忌法要が円成


遠忌讃仰パレード・参堂列で御堂筋を練り歩く大谷暢顯門首ら 真宗大谷派大阪教区・難波別院の宗祖親鸞聖人750回遠忌法要結願日中が4月28日、大阪市中央区の難波別院(南御堂)本堂で厳修され、一連の遠忌法要が円成した。千人以上が参加して北御堂(本願寺派津村別院)から南御堂まで御堂筋を練り歩く遠忌讃仰パレード・参堂列も実施。掉尾を飾る大谷暢顯門首親修の結願日中には約1500人が参拝して盛大なものとなった。

 難波別院本堂での大阪教区750回遠忌法要は23日の教如上人四百回忌法要で始まり、翌24日の逮夜から、女性僧侶による法要や東日本大震災追悼音楽法要を含め、28日の結願日中まで14座勤められた。

 28日の遠忌讃仰パレードは宣伝車と教区のゆるキャラ・ブットンくんが乗ったオープンカー、仏旗と本山から分灯された灯明を持ったボーイスカウトを先頭に、相愛中高、大谷中高など東西宗門校のバトン部・吹奏楽部の生徒らが行進。参堂列には教区坊守会、門徒会の代表、教区会議員、宗会議員、稚児らの後ろに大谷門首、五辻信行大阪教務所長(別院輪番)が続き、晴天に恵まれ銀杏の新緑が映える御堂筋を練り歩いた。

 結願日中では五辻大阪教務所長が「一体私たちは何のために生まれてきたのか。何をすべきなのか。そのことをきちっと問うていく拠り所、一人で考え込むのではなく共に考え学び合う同朋の輪を周りに確認しながら、これからも阿弥陀仏のご本願を切り開いていく、そういう人生を賜ってまいりたい」と述べ、法要を開始した。

 大谷門首が導師を務めての法要には妙子夫人も臨席。内陣と余間には伊東憲秀御遠忌委員長ら同委員、教区内別院輪番、教区会議員、組長・副組長ら多数の教区僧侶らが出仕。外陣には准堂衆が並んで高らかに声明を堂内に響かせた。

いのちのライブで価値観転換を訴え

 24日には関連の催しとしていのちの尊厳を考える「いのちのライブ」が御堂会館大ホールで開催された。和太鼓スーパーユニット《侍》の迫力ある演奏と歌手の川嶋あいさんの愛らしい歌声の合間に、大谷派僧侶で書家の三藤觀映さんが脳性麻痺の子供が母親をいたわって「ぼくが生まれてごめんなさい」と綴る感動的な詩を紹介してから「命」の字を大書するパフォーマンス。ベストセラー『悩む力』等でおなじみの姜尚中さん(3月に東大退官、現在聖学院大教授)が創造性や他に秀でた点はないけれど人間は存在するだけで尊いとする価値観への転換を力説し、来場した700人の拍手を浴びた。

2013/5/2 顕本法華宗総本山妙満寺 開祖日什大正師御生誕700年慶讃大法要を厳修


開祖に報恩する山本日惠管長(4月27日・第1座) 顕本法華宗は4月27・28の両日、京都市左京区の総本山妙満寺で開祖日什大正師(1314~1392)御生誕700年慶讃大法要を厳修。晴天に恵まれ、ツツジの花がほころび始めた境内には全国の僧侶と檀信徒が約1500人参集した。

 慶讃大法要は両日計4座行われた。初日午前の第1座は東日本大震災三回忌追悼法要と併修。4月15日に法燈を継承した山本日惠管長を導師に、自我偈、題目、受持文を唱えた。表白では66歳にして日蓮大聖人の教えに改宗し、苦難を越えて妙法を明らかにした日什大正師の生き様に深く感謝。「我ら什祖門下は御開山日什大正師の宗旨建立の精神に立ち返り、立正安国・仏国土の建設と万国平和を決し」、混迷なる社会情勢の中一天四海皆帰妙法を目指すと宣言した。

 朝倉俊幸宗務総長(慶讃事業奉行委員会委員長)は挨拶で、大聖人と大正師の精神、法華経の心を「日々の生活に実践していくかが問われているのではないかと思います」と語り、この大法要を期に一人ひとりが自身の信仰をあらためて見つめ直すことを願った。

 初日の法話は特命布教使の吉本乗明氏(広島県蓮華寺住職)が担当。「かどに立ちもの乞う人のあるならばあわれと思えほどこさずとも」という大正師の和歌を引き、「見捨てたような感じを受ける歌ではありますが、これは決してそういう意味ではない。物を乞うて歩くだけでは駄目ですよ、しっかり前を向いて歩きなさいよ、という日什聖人のやさしさが込められた歌です」と語った。

 さらに、古典落語「だくだく」をユーモアたっぷりに紹介し、人間は「つもり」すなわち心の持ちようが大切だとも説法。人生を楽しく過ごすようにと示した。

 また、「安珍清姫の鐘」供養も朝倉宗務総長の導師により厳修。紀州道成寺から妙満寺に運ばれ、日殷大僧正の法力で清姫の怨念が解かれたと伝説の残る鐘に読経し、魂の平穏を願った。

 記念公演として雅楽師・東儀秀樹さんによる演奏会も行われた。最初は法要でも活躍した顕立雅楽会(同宗僧侶による雅楽団)と共演で「越天楽幻想曲」を壮麗に演奏。「雅楽というと神社のものと思われる方も多いと思いますが、ルーツをたどると仏教。仏教の音楽として理解してもらってもいいのかなと思います」と話した。その後は独奏でホルスト「木星」や唱歌「ふるさと」といったおなじみの名曲を編曲して、本堂に美しく響かせた。

2013/5/2 両国・回向院で復興願い善光寺出開帳始まる “回向柱 あたたかい”


陸前高田市の杉の木が用いられた回向柱に触って善光寺如来と結縁する参詣者(4月27日) 東日本大震災の「復幸支縁」を目的とした善光寺出開帳が4月27日、東京・両国の回向院で始まった。今回は善光寺本尊の分身である出開帳仏「一光三尊阿弥陀如来像」だけでなく、陸前高田市の松の木で造立された地蔵菩薩立像や同市金剛院の秘仏・如意輪観世音菩薩坐像なども公開され、出開帳を通じて、善光寺と被災地との縁を結び、復興への祈りを届ける。会期は5月19日まで。

 26日には回向院念仏堂で、善光寺大勧進(天台宗)の小松玄澄貫主と善光寺大本願(浄土宗)の鷹司誓玉上人が導師を務めて開闢法要が営まれ、出開帳仏の厨子の戸張が開かれた。回向院の本多義敬住職を導師に回向院法楽と献茶式も営まれた。法要には映画「先祖になる」の主人公の佐藤直志さんをはじめ、陸前高田市からも多くの人が参列した。

 善光寺出開帳実行委員会の若麻績敏隆委員長(善光寺事務総長)は「元来、出開帳は寺院が伽藍の再建や修理のための勧進を目的として行ってきましたが、被災地とのご縁を通じて、この度の出開帳は全面的に東日本大震災の復興支援におくという機運が自然と生まれてまいりました」と披瀝。「復幸支縁。この言葉は陸前高田市のみなさんがお使いになっていたキャッチフレーズをそのままお借りしたものです」とし、「共に支え合うご縁を通じて、被災地の方々が一日も早く幸せを取りもどせますように」と出開帳に込めた願いを述べた。収益全額は復興支援を行っているNPO法人「さなぶり」を通じて被災地に届けられる。

 初日となった27日は晴天にも恵まれ、多くの参詣者で賑わった。50代の夫婦は「柱を触った瞬間にとても感じが良いものがあった」「私はとてもあたたかくて、体温みたいな温もりを感じました。ありがたいです」と結縁を喜んだ。30代の夫婦は「震災の犠牲者の方々への慰霊の気持ちで、お祈りしました」と回向柱に触れていた。また両親の遺影を持参した60代の女性は「両親とお参りができて嬉しいです。期間中、また時間があれば、今度は主人を連れて来たいですね」と話していた。

 江戸時代には60日間で1603万人に参詣があったといわれる回向院出開帳。戦後初となる今回の出開帳は、東日本大震災の犠牲者をご供養し、復興への物心両面からの支援を目的に、23日間にわたって様々な催しが企画されている。

 11日午前10時半からは僧侶、力士、お稚児さんなど総勢400人による東日本大震災犠牲者追悼・被災地復興祈願「お練り大法要」を執り行うほか、期間中は小松貫主、鷹司上人を導師に「出開帳特別大法要」も営まれる。このほか13日には林家正蔵師匠他による奉納落語、14日には二十六世観世宗家・観世清和さんによる奉納能楽、19日には市川猿之助さん、花柳貴彦さん共演による奉納歌舞伎も行われる。

2013/5/9・16 仏教情報センター30周年記念大会 みんなが何でもやった成果


現代社会の問題が話し合われた対談。右から高橋隆岱理事長、玄侑宗久氏、愛川純子氏 一般社団法人仏教情報センター(高橋隆岱理事長)は6日、東京・芝公園の大本山増上寺で「共に生きる―仏教に導かれて」をテーマに設立30周年記念大会を開催した。講演や鼎談、ライブを通じて現代の苦に向きあってきたセンターの歩みを振り返り、今後の活動を展望。会場の大殿には450人が来場し、センターのこれからの取り組みに期待を寄せた。

 会場を提供した増上寺の八木季生法主を導師に開会法要の後、主催者を代表して高橋理事長が挨拶。来場者や先人たちに感謝の言葉を述べつつ、「30年の間に相談件数は20万件を超えようとしている。当初は仏事に関することが多かったが5年、10年と経ち段々と自分の悩みを打ち明ける相談、人生相談がたいへん増えてきた。現在は半分ぐらいとなっている。今日、仏教離れが指摘されているが、仏教が最後の拠り所となっている。われわれの活動は社会の受け皿になっていると思う」と過去から現在への変化を語った。

 続いて2氏が講演。作家の玄侑宗久氏(臨済宗妙心寺派福聚寺住職)は、組織論を展開した。現在は細分化され「部」や「課」があるが、これは職能によって分けられているという。一方で、お寺や神社のコミュニティーは古い共同体組織を残し、「みんなが何でもやるというもの」。震災を機にこうした組織が見直されてきたとし、「仏教情報センターが30年続いたというのは、おそらくみんなが何でもやる中で実現したのではないか」と評価した。

 次いで作家で説話エッセイストの愛川純子氏が講演。女性の立場から専門の仏教説話を紐解き、「お釈迦さまは、『女の身であることは苦しみである』と説かれた。お釈迦さまはその女性の苦しみに寄り添われた」と解説。さらに「祈り、すがり、願いを受け入れた仏さま(仏像)がいることは、人々が救いを信じているからでは」と人々の苦と共に仏像があったことを説明した。

 このあと高橋理事長をまじえて鼎談。震災を通じて注目されだした絆や縁をキーワードに、現代の苦について話し合った。仏教情報センターへのメッセージとして愛川氏が「これからの30年に期待しております」と述べると、玄侑氏は「組織が巨大化すると堕落する。ほどほどの大きさで続いていただければ」とクールに語った。

 最後に、本願寺派僧侶でシンガーソングライターの三浦明利さんによるミニライブ。そして「情報センターならでは」(高橋理事長)の超宗派僧侶が出仕しての記念法要が営まれた。

仏教情報センター:昭和58年(1983)、若手・中堅僧侶によって設立され、テレフォン相談を中核に街頭相談や「いのちを見つめる集い」を開催。電話相談件数は約20万件。参加するボランティア僧侶は8宗派約130人。現在は草創期を担った僧侶の子息(弟子)もいる。平成23年(2011)12月、一般社団法人となった。

2013/5/9・16 全国青少年教化協議会 臨床仏教師養成始まる


臨床仏教師について期待を寄せたパネリストたち(8日 東大仏青会館) 全国青少年教化協議会(全青協)と臨床仏教研究所の主催による臨床仏教師養成プログラムが8日、東京・本郷の東京大学仏教青年会会館での開講記念シンポジウム「現代社会と臨床仏教」で幕を開けた。事前の申し込みにより登録された定員90人に対して85人という高出席率。「約100人近くをお断りした」(全青協スタッフ)という。今後10週にわたって受講した後、ワークショップ、実習研修を経て来春には最初の臨床仏教師が誕生する予定だ。

 教育や福祉、医療など多岐にわたる「生きた仏教を体現する仏教者」づくりをめざす臨床仏教師養成講座。最初に全青協事務総長で所長の齋藤昭俊氏(大正大学名誉教授)が挨拶。近代社会の矛盾が露呈している現代に対し、専門の仏教教育を踏まえ「臨床の『床』は社会のあらゆる面での床である。医療だけの床ではない。社会のひずみや悩みの多い人々に寄り添える臨床仏教師をめざしていただきたい」と激励した。

 記念シンポは、全体の概論に位置づけられ、今後の講座やワークショップにあたり、臨床仏教師の方向性を提示するものとなった。

 本願寺僧侶で京都大学こころの未来研究センター研究員の千石真理氏は専門トレーニングを受け、米国ハワイでチャプレン(病院付き聖職者)として活動するなど日米の臨床現場を体験。そこから仏教チャプレンに対し、▽チャプレンと医療従事者は同じ方向性を持つ、▽日頃の仏教教育が大切、▽くじけない、あきらめない―といった心構えを説いた。

 研究員のジョナサン・ワッツ氏(INEB仏教国際連帯会議理事)は、エンゲージドブディズム(社会参加仏教)の観点から世界で活動する臨床仏教師(エンゲージドブディスト)を紹介。性別や出家在家を問わず、医療や環境保護、開発問題などの実践者が報告された。その教育システムの中には「苦しみが個人ではなく社会構造から生まれたもの」についても学ぶ必要性を訴えた。特に貧困は個人の原因よりも社会制度の問題が大きいからだ。

 自死・自殺に向き合う僧侶の会副代表の藤尾聡允(臨済宗僧侶)は会の活動を報告。5年前から始まった手紙相談は5000通を超えているとし、具体的な方法にまで踏み込んだ。特色的なのはチェック体制。「月に一度、自己検証会を開き、すべての手紙をチェックする。特殊な事例はみんなで研修。常にダブルチック、トリプルチェック。追悼法要などもそうだが、検証と研鑽は欠かせない」と生命にかかわる取り組みだけに、緊張感ある活動を伝えた。

 これを受けて蓑輪顕量東大教授がコメント。「具体的な事例を丁寧に探究することによって引き出された智慧を共有する」。そして「仏教がもつ大切なものの一つが修行。修行の中から見出されてきた智慧を踏まえて、それを社会のさまざまな問題に対応できるように」と臨床仏教師の卵たちに智慧の共有と、修行実践を要請した。

すべてのケアの対象

 コーディネータを務めた神仁全青協主幹(上席研究員)は、青少年を相手とする全青協が臨床仏教師養成に取り組む理由を、「(これまでの活動から)幼少期から仏教に親しむことが非常に重要であることを実感した故のこと。つまり生まれてから亡くなるまでが、一貫して仏教者にとってケアの対象なのだから」と説明。そして参加者全員で「講座を作り上げていきたい」と力を込めた。

 終了時刻をオーバーしたが、最初の三帰依文以外に声を発することもなく受講者は熱心に聞き入った。

 なお全10回の講座の8割以上の出席が条件。30分以上の遅刻や退席は出席とみなされない。毎回のレポートもある。7月10日まで毎週水曜日に開かれる。

2013/5/23 大正大学「さざえ堂」落慶 地域の新しいシンボルに


地域活性化への期待が集まるすがも鴨台観音堂(通称さざえ堂) 東京・西巣鴨の大正大学(勝崎裕彦学長)で18日、「すがも鴨台観音堂」(通称・さざえ堂)の落慶式が執り行われ、OBや設置四宗派僧侶、高野之夫豊島区長をはじめとする地元民が大勢集まって新しいシンボルの完成に欣喜した。

 お練り行列が巣鴨の真言宗豊山派眞性寺からスタート。到着すると、杉谷義純理事長を大導師、勝崎学長、多田孝文前学長、小峰彌彦元学長、星野英紀元学長を脇導師に法要を厳修。堂内の聖観自在菩薩立像も開眼された。杉谷理事長は「私ども大学に関係する教職員はもとより、学生・地域の皆さまをお守り頂けるよう建立いたしました」と挨拶。多くの人の力添えに感謝を示した。

 続く「感謝の集い」では里見達人相談役が挨拶。「自分は理事長時代に校門を作っただけ。けれどそれが弾みになったのか、来るたびに新しい立派な建物ができる」とユーモアを交えつつ母校の発展を慶賀。学徒出陣の経験を振り返り「私と一緒に戦地に行った人たちにも見せてやりたい思いがします」と感慨を述べた。高野区長は今後も大正大学と連携を更に緊密にしたいと語った。

 礼拝堂では、さざえ堂に滝の壁画を描いた日本画科の千住博氏と、監修者の榎本了壱客員教授による講演「いのりと希望の街巣鴨」が行われたほか、雅楽師の東儀秀樹客員教授による篳篥の演奏もあった。

 さざえ堂は鉄骨造りで高さ19メートル超。会津のさざえ堂をモデルにした建築学的にも貴重なもの。設計・施工は株式会社大林組。本尊の木彫聖観自在菩薩立像(鴨台観音)は松久宗琳佛所が彫り上げた。八角形の形は八正道の意味を込め、螺旋構造は仏の眉間にある白毫を象徴している。

 同日、キャンパスにアンテナショップ「南三陸さんさん商店街すがも店」がオープン。大勢の人が買い物を楽しんでいた。

2013/5/9・16 高野山真言宗次期総長選に添田隆昭氏が立候補


 庄野光昭宗務総長(金剛峯寺執行長)の辞任を受け、高野山真言宗の次期宗務総長を決める執行長選挙が8日、公示され、高野山高校元学校長の添田隆昭氏(高野山・蓮華定院)が立候補することがわかった(9日現在)。他に立候補者がいなければ、6月25日招集予定の臨時宗会で「添田新総長」が事実上確定する。

 候補者の届出締切は6月7日正午。次期総長は資産運用に関わる全資料(総元帳)の検証をはじめ財政健全化や宗規の改正など、2年後に迫った「高野山開創1200年記念大法会」に向け、これまでにない大規模な宗政改革の舵取りを担うことになる。

運用依存の経緯解明を

 同宗の信頼回復に向け、資産運用の全容解明と財政改革が次期内局の最重要課題となる。先の第146次臨時宗会で「内局の不正・粉飾は確認できない」と結論付けた「資産運用に関する外部調査委員会調査報告の件」(第3号議案)が賛成多数で承認されたが、これで資産運用問題の調査・検証がすべて終わったわけではない。財政健全化のためには、奥之院の信仰収入の減少から資産運用に頼らざるを得なくなった経緯の検証も必要不可欠だ。資産運用の全容に加え、宗団と本山の各基金などに「現在いくらあるのか」、財政状態を明らかにしてほしいという末寺の声もある。



議員の一人は「臨宗では、あくまで『不正・粉飾は確認できなかった』という『報告』を承認しただけ。あらためて新内局と参事会(議員で構成される会計監査機関)の合意のもとに弁護士や公認会計士を選定し、全資料(総元帳)の調査・検証を行わなければならない」と話す。また第3号議案には調査費用4100万円の件は含まれていないため、費用負担までは承認していないという。

 今回の外部調査委員会の調査結果が「中立・公平な立場」から導き出されたものだったとしても、参事会との合意を経ず、内局側からの依頼のみで行われたという点では昨年の秋季宗会に提出された弁護士事務所の調査報告書と同じ。今回の外部調査委の報告書の原本(臨宗で配布したのは要約版)も宗務所でしか閲覧が認められておらず、複写等も今のところ許されていない。調査の信頼性を確認する意味でも、開示条件の緩和を求める声が高まるのは必至だ。(続きは紙面をご覧ください)

2013/5/9・16 最福寺 在日本朝鮮人総連合会中央本部の土地建物購入を断念

 東京・千代田区の在日本朝鮮人総連合会中央本部の土地・建物を競争入札で落札した宗教法人最福寺(鹿児島県)の池口恵観法主が10日、記者会見し「実行不能となって(購入を)断念するに至った。誠に断腸の思い」と無念さを口にした。

 最福寺側によると、金融機関からの融資話は済んでいたものの、圧力がかかり入金されなかったという。「恵観先生や私どもに迷惑がかかるのは大丈夫なのですが、それが自分たちを応援する人たちに及ぶことを考えると、それは仏さまの教えに反しますから」(最福寺)と金融機関や企業の担当者を気遣って判断したようだ

2013/5/9・16 全日本仏教青年会全国大会 玄侑宗久・釈徹宗・中沢新一3氏がシンポ


仏教と地域、世界の潮流を考えた全日仏青の全国大会 日本仏教教団の9宗派、さらに4地域の青年僧侶団体で組織する全日本仏教青年会(村山博雅・第18代理事長)の全国大会(主管=大阪府仏教青年会=増田友信会長)が7日、大阪府大阪市の真宗大谷派難波別院で開催された。シンポジウム「東日本大震災から考える地域の再生・多様性」で、震災後の地域のあり方や生き方を考える試みがなされた。

 シンポジウムでは、震災経験により見えてきた地域の課題や、それぞれの地域に宿る生きる力、地域と仏教の関わり等を議論。開催地・大阪の宗教性をはじめ、世界と仏教、グローバル経済と仏教との対立軸などにも展開を見せた。

 同日、市内ホテルで開かれた懇親会では、歴代の執行部を務めたかつての青年僧も参加する中、震災を経た日本に対して、世界の青年仏教者で作る世界仏教徒青年連盟(WFBY)からのメッセージも届けられ、全日本仏教青年会の国内外での活動に期待が寄せられた。

2013/5/23 WCRP日本委員会 福島で復興会議も課題は山積み


行政の担当者や医師、僧侶、酪農家、避難者団体の代表らが福島市に集まり議論した 公益財団法人世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会主催の「復興に向けた宗教者円卓会議in福島」が13・14両日、福島市のコラッセふくしまで開かれた。初日には行政の担当者や医師、僧侶、酪農家、避難者団体の代表らが参加。現状と課題、特に原発避難者や被災者のケアについて議論し、被災者・支援者双方の疲弊が限界に達していることが明らかになった。

 セッション1は「福島の課題」。相馬市の青田稔総務部長が行政による支援状況を説明した。二重ローンなどによる「経済自殺対策」では、弁護士ら専門家の協力を得て無料法律相談窓口を開設。震災孤児への奨学金制度、孤独死対策の災害公営住宅の建設等にも言及した。

 医師の齋藤紀氏は「原発事故の構図」について、「福島県の震災関連死は原発関連死と呼びかえてもいい」として避難生活の長期化による増加を懸念。原発事故による甲状腺被曝について説明し、引き続き健康調査を行った上で冷静に対応していく必要性を述べた。

 全国曹洞宗青年会災害復興支援部アドバイザーで伊達市霊山町にある龍徳寺の久間(きゅうま)泰弘住職は、放射能汚染への補償額の差から隣家と不仲になるなど地域の分断が拡大し、子どもの避難によって入学生が0人になった小学校もあるなど、地域の存続が危機に瀕している現状を説明。「除染が進んでいるように見える。ただ、そこに本当に人心があるのか」と指摘し、汚染土などの仮置き場の土地も「(地権者が)周囲から追い込まれて仕方なく提供せざるをえない状況がある。そういう構図でしか決まらないのではないか」と憂慮した。

 その上で「原発の制度という一種の暴力によって分断された所をつなぎとめ、再生させていく活動を仲間としていきたい」と述べ、原発事故の風化を防ぐために「宗教者の役割を問い直す必要がある」と訴えた。

 セッション2は「精神的ケア」。福島県社会福祉協議会の大川原公年事務局長は、仮設住宅への生活支援相談員(県内29市町村の社協で平成24年度は196人)の訪問活動を説明。孤立・孤独を防いで住民同士がつながる場を作ることや、問題に応じて保健師や看護師など専門職につなぐ支援を話し、復興住宅に入居後も継続すると語った。

 飯舘村の前田行政区長で福島県酪農業協同組合監事である長谷川健一氏は、突然の避難指示で家族同然の牛たちと別れることを強要された「酪農家の叫び」を訴えた。そして原発事故後も原子力の専門家らが村を訪れて「安全説法」をするなど、情報が隠蔽されていたことに憤りをあらわにし、友人だった相馬市の酪農家が「原発さえなければ」と書き残して自死したことを悲憤しつつ語った。

 早期帰村を目指す飯舘村の行政が除染後の年間積算線量の目標を5ミリシーベルト(国は1ミリ)に設定しているのに対し、「(この線量は)チェルノブイリでは移住義務のライン。飯舘村はこれを目指すのか。冗談ではない」と憤慨。「『仮の村』作りもやらないとだめだ」と苦衷を明かした。

 郡山市から会津若松市に避難している県内自主避難連絡会の酒井信裕代表は、母子避難世帯の多さや避難者間の行政支援の格差などを説明。「私たちは公平な支援と安らぎのある生活を望んでいる。原発事故による地域の破壊と癒えない心の傷が非常に辛い」と訴え、「(地元に)残っている人が避難者に抱いている感情も複雑。避難した人も苦しい思いをしている」と胸中を語った。

2013/5/23 第37回正力松太郎賞決まる 本賞は今里晃玄住職・宇野全匡住職に


 仏教精神に基づく青少幼年の育成や文化・社会活動を通じて社会教化に尽力してきた個人・団体に贈られる「第37回正力松太郎賞」(全国青少年教化協議会主宰)の受賞者が決まった。本賞では今里晃玄氏(浄土真宗本願寺派教専寺住職/香川県坂出市)、宇野全匡氏(曹洞宗地福寺住職/山形県大石田町)が受賞。今後の活動が期待される青年奨励賞には大河内大博氏(浄土宗願生寺副住職/大阪府大阪市)が選ばれた。また今年は東日本大震災において仏教精神に基づく緊急・復興支援に尽力した個人・団体6件に「震災支援功労賞」が贈られた。

 今里氏は大正時代から続く教専寺日曜学校の指導者として50年以上にわたり活動し、宗内では日曜学校の開設を呼びかけるなど教化の輪を広げて来た。

 宇野氏は、若者塾「寺子屋」、家庭教育意識集団「青年塾」の開講、様々な課題を抱える青少年を受け入れる里親活動、ネパール困窮地域の支援など、寺院を中心にした育成活動が評価された。

 大河内大博氏はホスピスや病院で人々に寄り添う活動を始め、昨今は臨床に特化した「いのち臨床仏教者の会」を設立。ターミナルケアを行うとともに、社会の苦と向き合う活動を行う仏教者のネットワーク作りにも力を注いでいる。

震災支援に特別賞

 今年は特別賞として東日本大震災で緊急・復興支援を行っている個人・団体に対する「震災支援功労賞」を設立。受賞者は以下の6件。▽石原顕正氏(日蓮宗立本寺住職/山梨県甲府市)▽スジャータプロジェクト(代表・渡辺光成氏/臨済宗建長寺派地蔵院住職)▽上伊那仏教会青年部(代表・岸浩成氏/曹洞宗常光寺住職)▽浜○カフェ(代表・柳内悦大氏/浄土宗良善寺副住職)▽Terra Net(代表・堀眞哲氏/浄土宗眞福寺副住職)▽傾聴移動喫茶Cafe de Monk(代表・金田諦應氏/曹洞宗通大寺住職)

 表彰式・祝賀会は全青協設立50周年記念式典に合わせて11月5日に、東京帝国ホテルで開催される予定。

2013/5/30 同宗連「狭山事件」集会 再審求めデモ行進


宗教者は築地本願寺を出発し新橋方面へ行進  同和問題にとりくむ宗教教団連帯会議(同宗連)は22日、東京の築地本願寺で狭山事件の再審開始を求めるための「石川夫妻の幸せを願う宗教者の集い」を開催。部落差別に基づく不当捜査で殺人犯にでっちあげられた石川一雄さん(無期懲役・1994年に仮出獄)の名誉回復を、仏教・神道・キリスト教の宗教者有志が強く訴えた。集会後には再審を求め約300人がデモ行進した。

 最初に、川端健之議長(立正佼成会)が「明日5月23日は石川さんが逮捕されて50年目です」と挨拶。石川さんの長い戦いと、同宗連32年の活動を振り返り、石川さんの支援を続けることを改めて述べた。続いて、狭山事件をテーマにしたドキュメンタリー映画「みえない手錠をはずすまで」(今秋完成予定)の予告編を鑑賞。金聖雄監督は「狭山事件を一人ひとりが自分のことだと考えてほしい」と呼びかけた。

 村上圓龍副議長(天台宗)が集会宣言を朗読。「われら宗教者は、生身の人間に50年にわたり課しているこの冤罪を容認できません」「東京高等裁判所に『狭山事件』再審の開始と真実の追求を求めます」と訴えた。

 続いて、仏・神・基の宗教者によるアピール。仏教者は曹洞宗の音頭により般若心経を唱え、神道からは金光教が舞楽を披露。キリスト者は「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。 あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする」(ヨハネ伝8章)といった聖書の言葉や、部落解放のためのリタニー(連禱)で、石川さんを応援した。

 石川さんは妻の早智子さんと共に登壇。「この長い年月、皆さんにご迷惑、ご心配をおかけしていることを申し訳なく思いました」と恐縮・感謝しながら、冤罪に陥れられた当時の状況を振り返り、憤りを露わにした。「事実調べをすれば間違いなく私の無実は明らかになる」と述べ、名誉回復を心から望んだ。

 石川さんと宗教者らはその後、再審請求アピールのデモ行進を開始。プロテストソング「ウィー・シャル・オーヴァーカム」の声が摩天楼にこだまし、長い列は新橋を経て日比谷公園まで進んだ。最後は、同宗連役員が東京高等裁判所へ再審を直接要請した。

2013/5/30 臨済宗妙心寺派 栗原新総長、精進誓う


就任の挨拶をする栗原新総長(左から3人目)と新内局部長ら(24日、妙心寺微妙殿) 臨済宗妙心寺派の新旧内局交代にあたって茶礼と祝斎が24日、京都市右京区の同寺微妙殿で河野太通管長はじめ宗議会議員、宗務所長など公職者代表、一山住職、出入業者など148人が参席して開かれ、退任する松井宗益前宗務総長が謝辞を述べ、また栗原正雄新宗務総長が宗門活性化へ精進を誓った。

 松井前総長は前部長らと低頭しつつ挨拶。この4年間を振り返り「開山大師650年遠諱、そして東日本大震災への対応等もございました。御蔭さまで今日を迎えましたこと、厚くあつく御礼申し上げるところでございます」と感謝した。

 続いて新たに就任する部長陣を従えて栗原総長が挨拶。「浅学非才にして不徳者であります。その重責に身の引き締まるというよりは身の縮む思いでありますが、元宗務総長・細川景一現花園大学学長、そして松井宗益宗務総長のもと、2期8年教学部長を経験させていただきました。その経験を糧に精一杯宗門の活性化のために努力精進する所存」と決意を語った。

 これを受け勝野久道宗議会議長が松井前内局に対して「惜しまれてのご勇退でございます。この間たくさんのことを宗門のためにやっていただきました。私共一宗門人として深くふかく感謝申し上げる次第」と述べた他、栗原新内局に対して「今後非常に厳しい時代に入り宗門も大変な時を迎えると思います。その大事な時期に宗務一切を取り仕切るのは大変な御労苦であろうと拝察するところですが、私共一生懸命支え協力して参りたい」と激励した。

 一山会の永安宣明会長は、宗務総長を1期・総務部長を2期務めた松井総長を「私事を投げ打って宗務行政に尽瘁せられました」と讃え、栗原内局には「何かとご煩労をお掛けすることもあろうかと思いますが何卒一山を宜しくお願い申し上げます」とした。

 乾杯の発声は中山義彦宗務所長会長が行い「松井内局長い間ご苦労様でした。またこれから栗原内局、我が妙心寺派の舵取りをお願いして益々の興隆と発展を祈念申し上げ乾杯!」と杯をあげた。


 栗原総長は任期満了に伴う総長選挙で無投票で当選し5月26日就任。総長はじめ各部長の氏名・略歴は次の通り。
 ◎宗務総長=栗原正雄氏。昭和31年4月生まれ、57歳。花園大卒。徳源僧堂。山陽教区(広島県福山市)正法寺住職。
 ◎総務部長兼花園会館部長=上沼雅龍氏。昭和36年12月生まれ、51歳。花園大卒。虎渓僧堂。信越教区(長野県木曽町)長福寺住職。
 ◎教学部長=並木優記氏。昭和25年4月生まれ、63歳。学習院大卒。平林僧堂。東京教区(東京都台東区)金龍寺住職。
 ◎財務部長=瑞岩眞泰氏。昭和26年12月生まれ、61歳。花園大卒。臨済僧堂。静岡西教区(浜松市)報恩寺住職。
 ◎花園会本部長=鮎川博道氏。昭和24年6月生まれ、63歳。花園大卒、徳源僧堂。静岡東教区(静岡市)地持院住職。
 ◎法務部長=島崎義範氏。昭和25年9月生まれ、62歳。花園大卒、徳源僧堂。京阪教区(京都市)光國院住職。

2013/5/30 第10回国連ウェーサク「教育と地球に生きる者」を討議 


上座部僧侶による読経と平和の祈り(23日、バンコク国連会議センター) 1999年12月の国連決議を受け、2004年からタイを主開催地としてきた国連ウェーサクの日祝賀式典が21・22の両日、「教育と地球市民―仏教の視座から」のテーマのもと、今年もバンコクにある国連会議センターで開かれた。10回目の今年は、世界87の国と地域から1500人が参集。日本からは世界連邦仏教徒協議会(世連仏、会長=叡南覚範・天台宗毘沙門堂門跡門主)の役員らと、200人を超えるITRI日本センター(浅川重美会長)の訪タイ団、臨済宗妙心寺派の則竹秀南氏らが参加した。(続きは紙面をご覧下さい)

2013/6/6 「憲法前文は人類の宝」 愛媛県安国寺が写経用紙を作成




憲法前文の写経台紙。「実際に書いてみると、新しい発見があります」「人類の宝である『日本国憲法・前文』を世界に広めよう」と呼びかけている臨済宗妙心寺派安国寺(愛媛県東温市則之内甲2781)の浅野泰巌住職はこのほど、憲法前文の写経用紙を作成した。さらに「憲法前文を世界に広める会」を設立すべく準備会を発足。広く参加を求めている。

 「前文を知っていても書いてみると、新しい発見があります」と、〝憲法写経〟の普及を提唱する浅野住職。「前文は日本人だけのものではありません。前文には、アジアの、ヨーロッパの、南北アメリカの、アフリカの…みんなの血と汗と涙が、一字一字に染み込んでいます」と強調する。

 浅野住職は、「人種、民族、国を超えて、一堂に集まり、前文会議を開き、初めにみんなで前文を朗読して、世界の諸問題を話し合いたい」と熱望。「一致団結するところに、新しい世界は生まれてきます。みんなが友だちになれば、友だちや家族と戦争はできません」と展望する。
その目標に向かって、前文を多言語に訳した書籍の制作にも着手。現在までに英仏独伊中韓の各語をはじめスペイン語・ポーランド語・ミャンマー語の訳を用意し、より多くの訳文も募集中だ。

 憲法前文の「写経」による草の根運動で、世界平和実現に参加できる。写経セット(台紙1枚・用紙10枚)は送料込で600円(切手可)。申し込み・問い合わせは浅野住職(電話/FAX089―966―3647)。

2013/6/6 30年後、仏教は残っているか? 身延山でBDK実践布教研究会 水行や唱題行体験も

菅野日彰貫首の指導による唱題行体験(公財)仏教伝道協会(BDK/沼田智秀会長)は5月29日から31日まで、山梨県身延町の日蓮宗総本山身延山久遠寺で第43回「実践布教研究会」を開催。「日蓮聖人に学ぶ」を目的に水行、唱題行を体験し、「30年後果たして日本仏教(伝統教団)は残っているだろうか」をテーマに白熱した議論も交わされた。

 2日目は吉村明悦久遠寺布教部長、浜島典彦身延山大学学長の講話に続き、本山海長寺の菅野日彰貫首が「三大誓願に学ぶ」を主題に日蓮聖人の生涯を講義。「修行と学問は両輪だと日蓮聖人は言っている。このままでは日蓮宗だけではなく、仏教は腐ってしまう」と、僧侶の勉励が何より大切だと力説した。

 御廟所に移動して一同は題目を唱え、さらに瞑想と唱題を融合させた「唱題行」を実践。

 2日目、3日目の早朝には、久遠寺布教部の橋爪一明氏の指導による伝統ある水行も行われ、参加者は下帯一丁で冷水を頭からかぶり、荒行の一端を体験した。朝勤は内野日総法主が親修。「御経頂戴」の儀では「全国どこのホテルでも『仏教聖典』が置かれている」とBDKの活躍を高く評価した。

 日本仏教の未来を考える討論会は6班に分かれて行われた。「仏教離れということはない。ただ、寺院離れ、教団離れ、葬式離れは加速していくだろう」「お坊さんの考えることは伽藍を維持することばかり。そうじゃない、教えが一番大事なんです」といった、現在の仏教界の置かれている状況が率直に提示され、その克服について意見が交わされた。

 最終日の発表では1班が「宗派にこだわらない伝道が大事。まずはお釈迦さまの教えをお伝えすること」と、釈尊回帰を提示。祖師信仰に囚われすぎてはいけないという意見は他班からも出た。また、花まつりなどの行事を仏教界全体で盛り上げていくことも大切だとした。2班は「僧侶の資質向上のために、各宗共通の資格試験を設立」のアイデアを出した。3班は「葬式や法事はなくなる。宗派、寺院、僧侶、檀家は減る。しかし仏法は変わらないし、仏法を求める人は増える」と大胆な発言。このほか、伝統仏教界の一層の研鑽がなければならない、世間や伝統に甘えてはいけないという、危機意識を強く感じる僧侶たちの発表となった。発表は「いつやるの?」「今でしょ!」の掛け合いで締められた。

 沼田会長は最後の挨拶で2泊3日の研修を終えた参加者を労い、「あとは実践あるのみです」と、30年後の仏教界を担う仏教者に大いに期待した。

 初参加の大西秀雄さん(浄土宗)は「こういった、宗派を超えて泊まりがけで交流を深められる研修はありがたい。年1回では少ないくらいです」と確かな手ごたえ。水行体験も参加者各位から好評で、他力を旨とする浄土真宗の参加者も異口同音に「楽しかった」と話していた。

 今回の参加者は総勢55人(うち女性5人)。下は22歳から上は79歳までの世代を越えた研究会となった。

2013/6/6 東大寺 筒井寛昭別当が晋山 初の戦後生まれ



轅に乗って大仏殿へ向かう筒井別当5月1日に就任した筒井寛昭・東大寺第221世別当(67)の晋山伝燈奉告法要が同月29日、奈良市雑司町の同寺大仏殿で営まれた。戦後生まれで初の別当となった筒井別当は、仏法興隆と人心の和合が進むことを願いとして表明した。

 法要では金襴の袈裟を身に付け轅(えん)に乗った筒井別当が本坊から南大門を経て中門前に到着。そこからお練りして大仏殿に正面から入堂、本尊・盧舎那仏前の檀上の宝前に座り、式衆の塔頭寺院住職ら15人とともに法要を営んだ。

 筒井別当は伝燈奉告文で本尊大仏に別当就任を奉告した上、「不自惜身命を以て法燈を継承し、佛法を興隆し、さらには人心和合のさらに進まんことを万世に掲げんと欲す」と表明した。

 法要後、大仏殿東側の仮設会場で開かれた晋山披露宴では、東大寺を創建した聖武天皇が大仏建立によって「人々が協力する力を引き出して皆がつながりあって、国民がつながった時初めて幸せをもたらすことを証明した」と述べ、人と人のつながりの大切さを強調。「聖武天皇のご遺志を継承して、多くの人々と共に人の心のつながりの実現を目指していかなければならない」とし、そのことが「東大寺のように被災された東日本の復興にもつながっていくのではないか」と述べた。

 この後奈良の大寺でつくる隣山会を代表して唐招提寺の石田智圓長老が祝辞。一昨年東大寺戒壇院での授戒会で戒和尚を自身が務め、鑑真大和上円寂1250年で筒井別当が唐招提寺を訪れることをあげ「天平時代からの御縁がいまだに続いている」と両寺の深い関係を述べ、「守るべき伝統を踏まえつつも、この混乱した現代社会の先導役となられますことを」とその教導に期待した。

 引き続き荒井正吾奈良県知事、仲川げん奈良市長(代読)、内海紀雄信徒総代が祝辞を述べ、能「石橋」が演じられた後、花山院弘匡春日大社宮司の発声で乾杯した。法要・披露宴には870人が随喜・参列した。

 筒井別当は昭和21年4月生まれ。東大寺塔頭・龍松院住職。甲南大学卒。同寺財務・庶務執事、執事長、上院院主、福祉事業団理事長などを歴任。

 北河原公敬別当の任期満了に伴う塔頭住職による選挙で選ばれ5月1日就任した。任期は3年。別当(住職)は華厳宗管長を兼ねる。

2013/6/6 宮城で梅花流全国大会 曹洞宗管長「復興の燈火に」


震災後初の被災地での開催となった梅花流全国大会 曹洞宗(佐々木孝一宗務総長)の平成25年度梅花流全国奉詠大会が5月29・30の両日、宮城県利府町のグランディ21で盛大に挙行された。2日間で延べ約1万1千人が参加し、日頃の成果を披露した。震災後初の被災地での開催ということもあり、曹洞宗管長の福山諦法禅師(大本山永平寺貫首)を導師に東日本大震災物故者三回忌追善法要も厳修した。

 開会式に先立ち、会場全員での誓いの言葉と仏教保育の精神で幼児教育に取り組む古城幼稚園、若林幼稚園の園児による献灯献花がなされ、齋藤裕道伝道部長の開会宣言で大会が幕を開けた。

 福山管長は垂示で、被災地での開催であることに触れ、「復興に向けての勇気と希望の燈火となり、意義深い」と述べ、準備にあたった宮城県宗務所や講員に感謝。梅花流の精神に則り、「和合を旨とし、上手に流れず、下手に屈せず、真心をもってお唱え致しましょう」と呼びかけた。

 佐々木総長は未だ復興の途上にある被災地の現状を憂慮し、「我々は傷ついた全ての人と向き合い、御仏の教えを実践してお伝え示し、苦しみの中でも支え合って生きていかねばなりません」と挨拶。「こうした状況下でも梅花流が今まで以上に人々のこころを救い、癒すことを信じています。梅花講員の皆様、一人ひとりが明日への希望の担い手です」と話した。

 開催地・宮城県からは、三宅良憲宗務所長が歓迎の挨拶。2階席の宮城県講員のスタンドからは、被災地の応援メッセージや全国の講員への歓迎の垂れ幕がかけられ、会場からは福島県と宮城県の講員に対し、盛大な拍手が贈られた。

 恒例の登壇奉詠は、両日ともに12組が奉詠。登壇した講員は自席で参加する講員とともに、心を合わせて練習の成果を披露した。来年度の大会は島根県での開催が予定されている。

2013/6/13 WCRP世界大会の正式代表は5人 人選は今後調整へ


公益財団法人移行後、初めて理事会が報道機関などに公開された(6日 増上寺)

 平成24年度の事業報告及び決算などを主義案とした(公財)世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会の第6回理事会が6日、東京・芝公園の増上寺会館で開かれ、全議案を承認した。公益財団法人移行後、初めての公開理事会。「透明性を高める、より幅広く活動を理解して頂くため」と杉谷義純理事長は説明した。今年11月、ウィーンで行われる第9回世界大会の正式代表やオブザーバーについて、今後調整していくことになった。(続きは紙面を御覧下さい)

2013/6/13 大本 エスペラント普及会が90周年


外国の新聞に私財で広告を掲載するなどして功労者表彰を受けた三好鋭郎・エスペラント普及会理事(右) 大正12年(1923)に創立された大本のエスペラント普及会(EPA、松田一理事長)が90周年を迎え、記念行事が1日から3日まで亀岡市の本部で開かれた。会員150人の他、海外6カ国のエスペランチスト35人も参加し、スタッフ含め総勢300人が集った。

 3日間のうちメーンとなる2日には同普及会理事の三好鋭郎氏が「人生賭けて、不可能を可能に」と題して記念講話。

 大本の女性信徒の会・直心会の三好七五三子初代会長が母で、その影響等で普及に取り組んだという三好氏は「英語圏に生まれた方に自動的に特権が発生するのは世界最大、人類最大の不公平」と述べ、フランスの「ル・モンド」などこれまで13カ国の新聞に24回私財を投じて広告を掲載し、またヨーロッパを講演で回るなどして、エスペラントの普及に取り組んだことなどを話した。

 引き続き式典が執り行われ、出口紅教主はじめ田賀紀之本部長、松田理事長の挨拶がエスペラントで代読された他、元世界エスペラント協会副会長でポーランドから来日したローマン・ドブジンスキー氏やブラジル、韓国、日本のエスペランチストが挨拶した。

 功労者表彰では記念講話を行った三好氏はじめ韓国ソウル文化学院長のイ・チュンギ氏、会員の山本明子・徳永智子・成田和子氏、また牛膓三春・松本朗・谷垣孝幸氏が表彰された。この他、大本を紹介する映像を制作したドブジンスキー氏による話もあった。

 90周年の今年は10月に東京で第100回日本エスペラント大会が開かれ、大本からも参加を予定している。

2013/6/13 ボーズ・ビー・アンビシャス!!10周年 青年僧が日本仏教活性化


様々な活動を行う団体の代表者が語り合った 現代社会における仏教者の役割について、超宗派の青年僧侶たちが熱い議論を交わす「ボーズ・ビー・アンビシャス!!」(BBA)が20回・10周年を迎え7日、東京・港区の青松寺で「BBA感謝祭―仏の道も一歩から」が開催された。虐待・DV被害者の保護や自死の相談、インターネットを活用した活動など様々な実践例が紹介され、約70人が仏教者の活動の可能性について討論した。

 超宗派の僧侶5人と弁護士1人で「一般社団法人メッター」を設立した今城良瑞氏(真言宗)は、知り合いからマンションの一室を安く借りるなどして虐待・DVなどの被害者の「駆け込み寺」を運営。20代後半の女性がここから巣立ち、現在は大学生の支援をしていると語った。さらに活動拡充のため、職業として運営できるファミリーホーム(09年に制度化された小規模住居型児童養育事業)を大阪に開設することを計画。中古住宅の購入費用と当面の経費を合わせると5千万円が必要なことから、賛助会員登録や寄付を呼びかけている(詳細はHPhttp://metta.or.jp/)。

 開設後の活動についても、「ファミリーホーム事業を通じて無住寺院の再生ができないか」と展望。「僧侶資格を取得しても入る寺がなく、還俗している人も少なくない」と憂慮し、同事業による寺院再生は「宗派にとっても檀信徒にとっても良い」と提案した。

 お坊さんが様々な質問に答える「Q&Aサービス『hasunoha(ハスノハ)』(http://hasunoha.jp/)」を運営する井上広法氏(浄土宗)は、「お寺を身近にし、仏教と人々をつなげる」サイトの可能性を説明。登録している僧侶約30人の所属寺院もほぼ公開しているため、相談者と僧侶が直接つながることも可能だと話した。

 新しい仏教メディアとして「インターネット寺院虚空山彼岸寺」を運営する青江覚峰氏(浄土真宗)は、「一般の方の目線」で仏教を発信する重要性を強調。自死の悩みへの手紙相談や自死者追悼法要、遺族の分かち合いの集いなどを行っている「自死・自殺に向き合う僧侶の会」の藤尾聡允氏(臨済宗)は、「回復していく相談者から(逆に自分たちが)エネルギーをもらえる」経験に言及した。

 その他、各団体がブースを出展し、会場は「活動見本市」になった。

 10年前、BBAの誕生が発端となり、超宗派による青年僧侶の活動が広がりを見せ始めた。BBAアドバイザーの上田紀行氏(東京工業大学教授)は、「10年前くらいから若い僧侶の間に相当な危機感があった。自分の宗門だけが生き残ればいいという問題ではなく、日本仏教全体の問題だという意識が芽生えていた。ただ現実には(超宗派で交流する)その場が得られず、青松寺さんが引き受けてくださったことで実現できた」と回想。今後の仏教界については「超宗派の青年僧侶の活動が日本仏教を活性化していくという流れは、もう止まらないのではないか。これからの課題は、超宗派の活動がそれぞれの宗門に影響を与えるのかどうかということ。超宗派で育ってきた人たちを、各宗派が活かしていけるのかどうか。私は(貴重な人材として)活かさざるを得なくなると思っている」と展望した。

2013/6/20 高野山真言宗 新総長決まる 耆宿制度の課題が表面化


 高野山真言宗の次期宗務総長を決める執行長選挙の候補者届出が7日正午締め切られ、立候補者は添田隆昭氏(高野山・蓮華定院)のみであることがわかった。25日招集の臨時宗会で、「添田新総長」が事実上確定する。しかしここで、新内局に指名権がある耆(き)宿(しゅく)宗会議員が問題となっている。

 金剛峯寺耆宿10人は、総本山金剛峯寺座主が任命する特別職。宗会議員も兼任するが選出方法は選挙ではなく、内局の指名で本山の責任役員会で選定される。春季宗会で庄野光昭宗務総長への不信任が可決され、庄野総長は宗会を解散。4月の宗会議員総選挙で庄野内局の指名による耆宿宗会議員10人も選出された。

 ところが指名権者である庄野総長が、総選挙直後に開かれた先の臨時宗会で辞任を表明。現行宗規には任期途中で総長が辞任した場合の耆宿議員の任期に関する条文がないため、宗規上では新内局発足後も議員資格を喪失しない。したがってこのままでは、新総長は指名権を執行できない状況になると懸念されている。(続きは紙面『佛教タイムス6月20日号』をご覧ください)

2013/6/20 プロレスで善光寺乳児院支援


雫選手が乳児院院長の手紙を朗読。「世の中には恵まれない子どもが多くいます。子どもたちのために頑張ってください。ずっと応援しています」 プロレスを通じて善光寺大本願乳児院(長野市)を支援しようと、若手プロレスラー有志が「きらきら太陽プロジェクト FOR BABY」を結成した。16日にはその旗揚げチャリティ興行を、東京・北千住のシアター1010で開催。収益は同乳児院に寄付され、不足している赤ちゃんの医療費などに充当される。

 同プロジェクトのきっかけは、人気女子プロレスラー雫あき選手が5月の自主興行に、以前から支援を続けている善光寺大本願乳児院の宮崎正文院長を招待したこと。宮崎院長はリング上で、様々な事情で乳児院に預けられる赤ちゃんの過酷な現状を語った。

 この話に奮起した若手レスラーらが、雫選手とその母親で浄土宗安國寺(埼玉県越谷市)の町田唯真住職が行う乳児院支援に合流。「太陽のように輝く子どもたちの未来」のために共闘することになり、旗揚げ戦を迎えた。

 雫選手は最終試合に登場。タッグマッチで巨漢男子レスラーと激突した。百数十キロの相手を投げ飛ばすなど技術では互角以上の健闘を見せたが、最後はパワーで圧倒され敗北。試合後はマイクを握り、「勝ちたかった…」と悔しさをにじませた。

 試合後、ファンと交流していた雫選手は「(ダメージで)頭が痛いです」と顔をしかめながらも、参戦した選手や集まった観客には「来てくれたことに感謝です」と感激。観戦した女性も「(乳児院支援は)すごく気持ちのいいことです。試合を観に来るだけで善行が積めそうです」と話していた。

 次回興行は8月4日。今後、乳児院の現状を広める活動や福祉施設での興行も行うという。

2013/6/20 諸宗教交流駅伝 ルクセンブルクで開催 


開始前に参加者で記念撮影。全日本仏教会のペナントを手にしているのが鈴川智信国際部長 6月8日に、ルクセンブルクで開催されたインター・フェイス(Inter Faith、諸宗教間の交流)駅伝に、全日本仏教会からはスタッフを含めて13人が参加し、世界の平和を祈りながら、様々な宗教者とともに完走した。

 インター・フェイス駅伝は、「Marathon for a United World」(マラソンで世界を一つに)をスローガンに掲げ、全世界の諸宗教者が、お互いの信仰や文化を認め合いながら、駅伝を通して交流し、ともに世界平和を祈る場として2008年より開催されており、日本の宗教界からは初の参加となった。駅伝は、仏教徒のみのチームではなく、キリスト教やイスラム教など異なる信仰をもつ宗教者がマラソンコースを4人1組でタスキをつなぐもの。諸宗教者は約30人がエントリーし、そのうち8人が“日本代表”だ。地元ルクセンブルクINGナイトマラソンと併催されており、当日は1万人を超える一般ランナーとともにゴールを目指した。日本代表は途中棄権もなく最後まで走り抜いた。

 この駅伝は、宗教者同士だけではなく、宗教者と一般のランナーとの交流も特徴の一つで、駅伝スタート前に催された祈りの時間には、一般のランナーも参加。宗教・人種・国境や境遇を越えて、ともに同じ思いを共有することも大切にしている。

 駅伝以外にも、インター・フェイスウィークエンドプログラムと題して、交流をテーマに様々なプログラムが催された。日本の参加者には、駅伝以外にも、現地ホームステイやシーク教主催のランチパーティー、一般の人を対象にした日本仏教や日本文化を紹介するワークショップも開催された。

2013/6/20 原発ゼロへ 宗教者がシンポ 河野管長、欲望の抑制説く



河野管長、宮城門主はじめ宗教者らが開いたシンポジウム(13日 南御堂同朋会館) 「原発ゼロの日本をめざす宗教者シンポジウム」(主催・京都宗教者平和協議会ほか)が13日、大阪市中央区の南御堂同朋会館で開かれた。全日本仏教会会長就任時に脱原発宣言を出した河野太通臨済宗妙心寺派管長も参加して原発に依存する自己の有り様を見直し日々の生活での欲望の抑制を説き、福島原発事故の深刻な被害の実情、大飯原発が再稼働された理由などが訴えられた。終了後は市内をパレードし、脱原発を訴えた。

 河野管長は挨拶で「いのちに関わる問題は政治の事でもあるが、それを超えた問題」とし、第二次世界大戦の反省から仏教界・宗教界は「大きくいのちに関わる原子力発電所に関して物を言わなければ」と言明。その上で産業革命以降「経済的利潤を追求することで人間は幸福になると錯覚してきたのではないか」と指摘し、「欲望のセーブを社会的なシステムとして考えていかなくては」と提言。そして「日々の生活の中で自己の欲望をセーブし、相互依存して存在しているという思いを持っていくことが大変重要」と説いた。

 シンポジウムは宮城泰年聖護院門跡門主がコーディネーターとなって宗教者3人が発題。

 福島原発事故で被災し今も避難生活を送っている楢葉町の浄土宗宝鏡寺住職早川篤雄氏は「福島原発事故は起こるべくして起きた事故。たまたま福島で起きたのであって全国どこで起きてもおかしくなかった」と地震国日本の原発の危険性を強調。被災者は生活基盤を根こそぎ奪われた上、避難生活で将来を悲観して自殺が多発している現状を報告した他、原発を廃炉にするにも「何年先になるか分かりません。その間人々は安全に生活できない」と未来にわたる深刻な被害を訴えた。

 福井県小浜市の真言宗御室派明通寺住職中嶌哲演氏は大飯原発が再稼働された件で「消費地元としてもう少し認識があればブレーキを掛けてもらえたのではないか」と若狭湾の原発でつくられる電力を消費する関西圏の住民の認識不足を指摘。また過酷事故があったにもかかわらず原発に懲りない原因について、放射能被害が五感で捉えることができない点や悪影響にタイムラグがある点などを挙げた。しかし子供の被曝は成人以上に大きなダメージがあることを述べ、子供を守ることを訴えた。

 浜岡原発反対運動に取り組んできた日本福音ルーテル稔台教会牧師の内藤新吾氏は「廃炉にした方が地元が潤う」と訴えてきたことなど浜岡原発反対の取り組みの他、浜岡原発の砂丘の堤防の脆さ、取水口が砂で埋まった場合冷やせなくなる点など問題点を説明。

 原発がなくても火力・水力で電力は足りるとしつつも、「ガスはふんだんにある。足りなくなることはない」と原発に代わるエネルギーとして効率のいいガスコンバインド発電、地熱発電などを推奨した。

 シンポジウムには150人が参加。終了後は市内をパレードし、「いのちを守ろう!」「原発をなくせ!」「子孫に核のゴミを残すな!」などと声を挙げ、道行く人にアピールした。

2013/6/27 岐路に立つSZI 発展的解消か存続か?

SZIのこれからをベテラン5人が討論 SOTO禅インターナショナル(SZI/細川正善会長)は18日、東京・港区の東京グランドホテルで臨時総会と設立20周年記念シンポジウムを開催。2月の定例総会で検討された「今後のあり方」について、発展的解消も視野に入れた検討がなされた。

 最初に映像で20年のあゆみが振り返られ、曹洞宗の国際化に寄与してきた多方面の活動が再確認された。その後、シンポジウムとして福島伸悦相談役をコーディネーターに秋葉玄吾、大場満洋、山本健善、吉田宏得、飯島尚之の各氏が討論。宗議会議員でもある山本氏は「宗務行政に携わる者として言わせていただけば、海外でやっていこうという人が沢山いてSZIを結成したインパクトは大きかった。これで国際課ができ、意識改革がなされた」と語り、大場氏も「役人の方からも『海外で活躍する曹洞宗の人には頭が下がります』と言われる」と外部から評価されていることを指摘。秋葉氏は「SZIは大きな夢と希望を人々にもたらしていて宗門に益している」と断言した。

 その上で、近年、宗門の海外布教が停滞気味にあることや、SZIの活動にも伸び悩みがあることが率直に提示された。山本氏は「人材の確保、新しいエネルギッシュな人を集めるのが難しい現状。私は一度解散するならやった方がいいと思う。『え、あのSZIがなくなった!?』と世間への警鐘になる」と大胆な発言をし、飯島氏も「どんな組織も元気がいいのは最初の30年。注意すべきは組織の存続だけを目的としてはいけない。発足時の想いを引き継ぐためには一度区切りをつけることも必要なのではないか。ただ、次の世代に同じような志のある人が出てくれば、いくらでも協力する」と述べた。対して吉田氏は「私は何とか存続させたいという立場。ある部門は休むけれど、専門的な部門では活動を続けるという方式ではできないのか」、大場氏は「SZIはむしろこれからでは?」と意見が分かれた。

 その討議を踏まえた総会は、275人の会員のうち出席33人、委任状212人で開催。2014年度以降に発展的解消をするか、現状事業を大幅削減することで維持するか、の議決がなされようとした。細川会長は「20年前の私たちのエネルギーと、今のエネルギーは全然違う。これは私の進退伺いでもあります」と苦しい心境を吐露。最終的には「検証委員会」を設置し、改めて検証を経た上でその判断に委ねるという形になり、発展的解消か存続かはとりあえず棚上げとなった。

 昨年8月に発刊された会報の50号記念号には、細川会長以下多くの会員が寄稿し、さらなる活動への希望を語っている。SZIは国際布教の支援を行うという目的で結成された団体としては伝統仏教界でも先駆的な存在。その去就がどうなるか、注目する僧侶は多い。

2013/6/27 全日本仏教青年会 伊東政浩氏(日蓮宗)が新理事長就任


 全日本仏教青年会(全日仏青)は19日、横浜市内のホテルで平成25年度の定期理事会を開催した。村山博雅・第18代理事長(全国曹洞宗青年会)の任期満了に伴い、新理事長に全国日蓮宗青年会(全日青)の伊東政浩前会長(42)が就任した。全日青出身の理事長は初めてとなる。任期は2年。

 村山前理事長は、退任の挨拶で加盟団体が被災地支援に取り組む非常事態の中、全日仏青で連携したことを回顧。「理事長になるまでは分からなかったが、全日仏青が日本最大の青年僧のネットワークであることの〝すごさ〟を体感した」と述べ、同会の今後についても「会の特色である通仏教性がもたらす社会性に、国内外での今後の展開の可能性を感じている」と期待を寄せた。

 伊東新理事長は就任挨拶で、副理事長時代の経験を交え、曹洞宗をはじめとする各青年会の被災地での活動に「非常に感銘を受けた」と話し、「一宗派では行政に通らないことも、全日仏青なら通ることを目の当りにしてきた。これから天災人災、何が起こるか分からない。この大きなネットワークで、さらにできることを模索していきたい」と抱負を語った。

 理事会では、各加盟団体が名を連ねる新役員も決定。全日仏青の主な事業を担当する教化研修委員会、国際委員会、救援委員会、広報委員会の人事が討議された他、伊東新理事長の提案で、諸宗教対話委員会が新たに設置された。各加盟団体の執行部任期に違いがあるため、各人事は9月までに調整され、その後、伊東新体制が本格的に動き出すことになる。

2013/6/27 高野山真言宗 添田隆昭総長が誕生


 高野山真言宗の次期宗務総長を決める第147次臨時宗会が25日、和歌山県高野町の金剛峯寺宗務所に招集され、全宗会議員37人の満票で添田隆昭氏(高野山・蓮華定院)を選出した。就任式は7月4日。任期は4年間。

 臨宗の投票で満票を得た添田氏が、次期金剛峯寺執行長(宗務総長)候補者に決定。その後、開かれた選挙会で次期総長に決定した。

 添田氏は立候補にあたり、宗会議員だけでなく全国の宗務支所長の支持も固めていた。今後、安定した信任基盤に立ち、資産運用問題から庄野内局の辞任にまで至った宗内の混乱を完全に収束させ、宗政改革を進める。

 添田氏には高野山高校学校長として、入学者の増加や進学・就職率の向上につなげる諸改革を行った実績もあり、その手腕に期待する声が強い。

 末寺からは宗団・本山・学園(高野山大学・同高校)の会計の透明性を高めてほしいという財政改革への要望が多く聞かれ、万全の財政基盤のもとで平成27年の高野山開創1200年記念大法会を迎えてほしいという期待が集まっている。

2013/7/4 BNN備災シンポ 地域のいのちは地域でまもる


基調講演後、震災時の取り組みを発表する3氏 仏教NGOネットワーク(BNN、西郊良光理事長)は設立10周年と4月から頒布を開始した『寺院備災ガイドブック』の発行を記念して2日午後、東京・芝公園の仏教伝道協会ビルで備災シンポジウムを開き、東日本大震災に対する寺院や仏教者の取り組み、ガイドブックの活用法などを討論した。

 最初にIIHOE[人と組織の地球のための国際研究所]代表の川北秀人氏が「『待つ』から『備える』へ―超多老社会と大規模災害を見据えた地域における寺院のあり方」と題して基調講演。阪神淡路大震災と今回の震災を対比しながら多角的に提起した。震災後、直ちに被災地の現況調査に着手。「被災地に入る前に地域の気候、産業構造、人口構成の調査は最低限のマナー」。これをデータ化することで物資支援やその後の復興に役立つという。

「阪神ともっとも違うのが高齢化率(65歳以上)の高さ。(1995年の)阪神淡路では15%以下だが、東日本では24・5%。人類の社会史上、最高のもの。しかも後期高齢者は13%。これで復興が可能かな…と思った」。この高齢化率が分かったことで避難所生活や仮設住宅入居において諸問題が生じることが予測できたという。

 またガイドブックを用いての避難所組織のあり方や名前・血液型などを記入する安否確認の欄に、「被災した人たちのニーズが何であるか記したほうがいい」とアドバイス。寺院のように民間施設が避難所になった場合の運営方法についても話した。

 続いて3氏が発表。岩手県釜石市の高野山真言宗不動寺を拠点に支援活動を展開した寺族の森脇妙紀氏は、かねてから交流のあったキリスト者からの要請でお寺を医療スタッフの宿泊施設として提供したことを報告。

 津波で母親を喪った三浦友幸氏は気仙沼の清涼院避難所で事務局長を務めた際、物資配給に気を遣った体験を話した。またお祭や伝統芸能が盛んな地域であるため「避難所の協力体制は良かった」と評価した。

 他方、ガイドブックを作成したBNNスタッフの自覚大道氏(曹洞宗僧侶)は「ガイドブックをきっかけに地域の人たちと連携し、地域のいのちは地域の人たちで守るという共助の部分でお寺は多くの可能性をもっている」と活用を訴えた。

2013/7/4 本願寺派臨宗 法統継承へ予算可決 式は明年6月6日


 浄土真宗本願寺派(園城義孝総長)の第305回臨時宗会(竹田空尊議長)が1・2日の2日間、京都市下京区の宗務所で開かれた。大谷光真門主が先の立教開宗法要で明年6月5日に退任する旨表明したのを受け、園城総局は光淳新門への法統継承へ向け、平成25・26年度2カ年にわたる法統継承費収支計画案と25年度同費予算案の議案2件を提出、いずれも原案通り可決された。園城総長はこれを受け法統継承式を明年6月6日に執行する旨表明した。

 園城総長は初日の挨拶で、門主退任表明について「ご門主様を善知識と敬ってまいりました私たちにとりましては、この度の重大なご決意に浄土真宗のお流れをくむ一人として、今日までのご門主様のご教導に対する甚深の感謝の中に寂寥の念絶えることはございませんが、これからの宗門・本願寺の新たな始まりの前に身の引き締まる思い」とし、「きたるべき法統の継承を滞りなく遂行できますよう全力を傾注してまいる所存」と決意を述べた。

 法統継承式のため提出された議案2件の内、同収支計画案は総額が2億円。収入では懇志約5千万円を見込んだ他、宗派・本願寺からの回付金1億5千万円等を計上。支出では式典・法要費1500万円、記念行事費3500万円等と一般紙等を使っての内外への周知に広報費1億円を計上した。

 一方、今年度法統継承費案の総額は同収支計画の4分の1にあたる5100万円とした。

 議案は桑羽隆慈総務の説明後、第1予算審査会(石上智康会長、委員35人)へ付託され審査を経て2日午後、本会議で全会一致で可決された。

 可決を受け園城総長が再び登壇。住職の伝承は嗣法が就任している時は直ちにこれを行わなければならないとの本山典令の規定を読み上げ、「御退任日の翌日である6月6日に法統継承式を執行することといたしたく存じます」と、決定した式の期日を告げた。

2013/7/4 妙智會教団 宮本惠司前理事長が「法嗣」に 新理事長に齋藤賢一郎理事


 妙智會教団(東京都渋谷区代々木、宮本丈靖会長)は6月14日の総代会で、新理事長に齋藤賢一郎理事を承認した。宮本惠司前理事長は「法嗣」として活動する。

 平成14年(2002)6月から宮本惠司理事長体制に入ったが、10年を節目として今年1月に理事長交替を表明。6月5日の理事会で正式に承認され、後任に齋藤新理事長が選任された。

 齋藤新理事長は昭和21年生まれ。同46年から教団事務局に奉職し、男子部長、会長秘書、教務部長を歴任。平成10年から理事を務めていた。また昨年12月に設立され一般財団法人ありがとうインターナショナル(旧称ありがとう基金)の初代理事長にも就任している。

 一方、宮本惠司氏は、機関紙を通じて、理事長10年の後には「“行”に専心し、大恩師(宮本孝平)さま、会主(宮本ミツ)さまの説かれた妙智のみ教えを広めることに勇猛精進することを決めていた」と心境を告白。さらに宮本現会長が法嗣時代、千日間の修行にされたことから、自身も「『一天四海皆帰妙法』を誓い、会員の皆さまの真の幸福を念願し、広宣流布のため生涯を貫く覚悟です」と決意を表明している。

2013/7/11 金峯山寺 蛙飛び行事 頬ゆるませ奇祭見守る


舞台を飛び跳ねて僧侶のもとへ参る「蛙飛び太鼓台保存会」会員扮する大青蛙 奈良県吉野町の総本山金峯山寺(五條覚堯管長)で7日、奇祭「蛙飛び行事」が執り行われ、今年も大勢の参拝者が蛙の着ぐるみが登場するユーモラスな伝統法会に頬をゆるませた。


「蛙飛び行事」は役行者が産湯をつかったとされる大和高田市奥田の弁天池で採取した蓮の花を山上ヶ岳・大峯山寺に供える蓮華会の中で伝説を基に行われている。


 伝説とは平安期、蔵王権現を謗る高慢な男が大鷲に連れ去られ断崖絶壁に置き去りにされていたところ高僧が男を蛙にして金峯山寺へ連れ帰り、僧侶らの読経で元の人間に戻したというもの。


 この日は地元住民らで組織する「蛙飛び太鼓台保存会」会員が扮する蛙が輿に乗せられ、ケーブル吉野山駅前から参道を通り山門の急な階段を一気に登って蔵王堂へ入堂し、五條管長のもと法要を厳修。


 その後舞台は蔵王堂前に移り特設舞台を蛙が飛び跳ね、大導師の五條管長の他、二人の高僧のもとへ参って読経と真言を受けた上、再び五條管長の読経を受け、着ぐるみを脱いで顔を出し、人間に戻ったことを表した。


 結界を囲んだ参拝者は主役の蛙や僧侶の動きを見守り、人間に戻ったところで歓声とともに拍手を送った。

2013/7/11 高野山真言宗 添田内局スタート 財政透明化で信頼回復


旧弊からの脱却と宗門の刷新を掲げる添田総長(右から3人目)と局僚 高野山真言宗の新内局の就任式が4日、和歌山県高野町の総本山金剛峯寺で営まれ、松長有慶管長から添田隆昭宗務総長と各局僚に辞令が親授された。式後、添田総長は会見に臨み、資産運用の巨額損失問題を発端とする金銭疑惑の徹底解明を明言。速やかに参事会(宗団・本山の会計監査機関)と内局の合議で公認会計士ら専門家の人選を進め、第三者委員会を組織することを明らかにした。

 前・庄野内局が大手監査法人らに依頼して作成した外部調査委員会の報告書の結論「執行部の粉飾・不正は確認できない」を踏襲せず、「ゼロから」検証し直すことも明言。調査は資産運用にとどまらず、巨費を投じた経営コンサルタント委託料と関連の東京事務所経費の費用対効果、高野山学園をめぐる使途不明金の追及、過去の宗団予算の中で使途目的の不明瞭な点の解明など、財政の全領域に及ぶ。(続きは紙面を御覧下さい)

2013/7/11 ブッダガヤで爆弾テロ 接待所が完全破壊、日本寺も一時閉鎖


 釈尊が悟りを開いた聖地、インドのビハール州ブッダガヤの大塔(マハボディテンプル)で7日早朝、爆弾事件が発生した。僧侶2人が負傷した模様だ。近くにある印度山日本寺を含め各国寺院は警察当局の要請により一時閉鎖するなど厳戒態勢がとられた。9日、公益財団法人全日本仏教会(全日仏)は小林正道理事長名による声明を出した。


 日本寺を運営する公益財団法人国際仏教興隆協会の大工原彌太郎総務局次長によると、爆弾テロの専門班が周辺地域を捜索し、不発弾が数発見つかったという。日本寺も捜索を受けた。爆発物は見つからなかったが、警察当局の指示により同寺をはじめブッダガヤ所在の全寺院を一時閉鎖すると共に、光明施療院と菩提樹学園も休園とした。


 犯行は専門的な知識をもったイスラームのグループとされる。


 ブッダガヤ大塔は長くヒンドゥー教徒によって管理されてきた。1949年からヒンドゥー教徒と仏教徒で構成された管理委員会が設置されたが、実質的には多数派のヒンドゥー教徒が管理。そのため日本人僧侶佐々井秀嶺師が先導した大塔管理権の奪還運動が起きたこともあった。2002年に世界遺産に登録された。日本寺は今年で40周年を迎えた。


大工原彌太郎氏の話 各国の仏教徒が集まるブッダガヤが恨みを買うような理由はない。何度か問題もあったがエルサレムとは違い、大きな事件が起きることはなかった。犯行はイスラーム勢力とされるが、イスラームと仏教が対抗していることはない。幸い、正面ゲート脇に新築の接待所がほぼ完全に破壊されたほかは、爆弾が爆発したものの結果的にブッダガヤ大塔には大きな被害はなかった。 
 とはいえ、大塔本体2階の仏母マヤ祠堂の扉口および金剛宝座柵脇と聖菩提樹真下に設けられた献灯台の真下という聖跡ブッダガヤの核心部に迫る位置での爆発が防げなかった事実は、関係者を震撼とさせている。
 政府が躍起に呼びかけているように早く平穏な状態になればと思っている。


 全日仏が小林理事長名で発表した声明は次の通り。


インド・ブッダガヤにおける破壊行為に対する声明
 インド東部ビハール州の仏陀の聖地ブッダガヤにおいて世界遺産マハボディ寺院が7月7日、爆破行為を受け、複数の僧侶が負傷する被害をこうむりました。
 日本の伝統仏教の連合体である全日本仏教会は、非道な無差別暴力行為に対し、遺憾の意を表明しいたします。
 全日本仏教会は、仏陀の和の精神を基調に世界平和の実現に寄与してまいりました。さらなる相互理解のため、諸宗教間の対話を進めていくことに尽力してまいります。

2013/7/18 全青協臨床仏教師養成プログラム 受講者の9割が修了


臨床仏教の役目を熱心に学んだ講座 全国青少年教化協議会(全青協)の「臨床仏教師養成プログラム」の公開講座過程の最終講義が10日、東京・文京区の東京大学仏教青年会で行われ、定員90人の受講者の9割が無事に修了。ワークショップ課程へのステップを踏み出した。

 最終回の講師は全青協臨床仏教研究所の神仁上席研究員。「現代における臨床仏教師の役割」と題してその意義を語った。

 東日本大震災、自殺、いじめ、引きこもり、精神の病など現代社会の苦悩に直面し、「仏教あるいは仏教者による社会貢献が今ほど期待されている時は、戦中戦後を通じてなかったのではあるまいか」と神氏は語る。その上で「外的な世界(社会領域)と内的な世界(精神領域)の両者に関わることが本来のエンゲイジド・ブディズムの意味」と指摘した。

「臨床仏教という概念は、個の霊的な領域、および人間の生老病死にまつわる様々な社会事象における苦悩に向き合う仏教の様態」と定義。キリスト教のチャプレン等を育てる臨床牧会教育(CPE)に範を得た臨床仏教師プログラムを続けていくとし、その先行事例として台湾の事例を紹介。1998年から始まった台湾の臨床宗教(仏教)師養成プログラムは、現在では全国約30箇所のホスピスで55人の臨床宗教師を受け入れている。病院にはキリスト教だけでなく仏教の礼拝施設もある。ホスピスケアや緩和ケアの一般教養、スピリチュアルケアの学習、それを仏教とどのように関わらせるかの専門課程教育と病院での実習により、人の苦にどう寄り添っていくかが学ばれ、「安寧」を与えるかのヒントを習得するという。

講座を終えて神氏のコメント 非常に充実した講座だったと思います。出席率も高く9割ほどの方が修了となりました。講師の先生方の話もそれぞれ違った良さがあり勉強になりました。今後も、臨床仏教師の確立のため我々もより精進せねばと思っております。
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 全青協・臨床仏教師養成プログラムワークショップ課程は10月2日より始まる。全8回32時間の講座。公開講座修了者のみ受講できる。仏教カウンセリング・傾聴法やトラウマケアなど実践的なトレーニングを積む。

2013/7/18 全日本仏教会 新出生前診断を考察 〝選択〟をどう支えるか


新出生前診断について講演した吉村・柘植・村上氏。定員となる120人が集まった 全日本仏教会(全日仏)は4日、東京・千代田区の秋葉原ダイビルで講演会「新出生前診断を考える」を開催した。今年4月から臨床研究として始まった「新出生前診断」について、産婦人科医、医療人類学者、宗教学者がその問題点を考察。「いのちの選別」が懸念され、難しい選択を迫られる当事者をどう支えていくのかを課題に挙げた。

 初めに産婦人科医の吉村泰典氏(慶應義塾大学教授)が出生前診断の歴史や問題点などを整理。日本では1960年後半から出生前診断が始まり、現在は妊娠前の受精卵の異常を調べる着床前診断も行われている。母体の血液検査で染色体異常を診断できる新たな出生前診断は、身体的負担が少なく検査精度も高いが、確定診断には羊水検査が必要になる。

 吉村氏は出生前診断が人工妊娠中絶の問題も含めて「しっかり議論されてこなかった」と指摘。臨床研究については、適切な遺伝カウンセリング体制の整備をあげると共に、「何よりも大事なことは、染色体異常児を産むという選択をサポートできる社会の態勢ができること」と提起した。

 柘植あづみ氏(医療人類学・明治学院大学教授)は「女性の選択」をテーマに、母体保護法の変遷や「妊娠と出生前検査の経験についての女性への調査」から妊娠や中絶の問題を考察。妊娠の経験を持つ女性とその家族の調査では、「自分には障害児は生まれない」という意識をもつ人が多いことを挙げ、「検査を受ける・受けない。産む・産まない、というのが女性の自己決定や選択とされている。それは良いことにも思えるが、責任を女性に帰していないか。帰しているのは医師、医療検査会社、夫、社会、私たち」と問いかけた。

 大学で「いのちの教育」を行う宗教学者の村上興匡氏(大正大学教授)は「全ての者が、その役割機能を変えながら、お互いに関係しあって存在している」という仏教の共生思想を示し、多様性のある社会を展望。障害を持つ子どもを育てる家族へのサポートがなければ、「内なる優生学が個人を捉えて離さない状況になってしまう」と懸念した。

 質疑応答では出生前診断で苦悩する人に対し、宗教者の役割も問われた。吉村氏は「中絶の問題が必ず出てくるが結論は出せない。どのように対応すればいいのか教えてほしい。遺伝カウンセリングはできても、心を支えることは出来ない」と宗教者の働きに期待。一方、柘植氏は「調査でよく聞いたのは『ずっと話せなかった』ということ。検査を受けたことが良かったのかずっと考え続けている」とし、「それを(日本の)宗教界が受け止められるかどうかはわからない。北米では教会が話せる場となっていた所もあったが…」と受け皿に成り得るかには疑問も残した。僧侶でもある村上氏は震災支援における傾聴ボランティアを例に、「その人たちが本当に欲しい言葉を見つけられるよう手伝ってあげること。苦しんでいる内容に対して形を与えてあげることが必要」と話した。

2013/7/18 大正大学で初の仏前結婚式 夫婦でお寺再建誓う


戒師阿闍梨から戒を授けられ、夫婦の誓いを立てる新郎新婦 東京・西巣鴨の大正大学礼拝堂で3日、原発事故で帰還困難となっている福島県大熊町の真言宗豊山派遍照寺(半谷隆信住職)の長女・半谷知美さんと、お寺を継ぐために同大で学んでいる畑中哲也さん(大学院修士課程)の仏前結婚式が挙行された。同大ではこれまで模擬結婚式はあったが、実際の結婚式の挙行は初。

 新郎新婦共に昭和63年生まれ。仙台の大学で知り合い交際に発展。やがて在家出身の哲也さんは、知美さんの実家のお寺を継ぐことを決意し、平成23年4月から大正大で学ぶことになった。

 そんな矢先、東日本大震災が発生。宮城県石巻市の哲也さんの実家も津波の被害を受けたが、避難所で無事だった家族と涙の再会を果たすことができた。しかし、知美さんの実家・遍照寺は原発からわずかに3キロの場所にあり、原発の爆発で長期避難を余儀なくされた。

 そうした苦難の中にあっても、哲也さんは震災・原発事故からの復興をめざして一心に学び続けた。その姿に同級生らが感動。哲也さんと知美さんの結婚を皆で祝福し、二人の門出を盛大に応援することに決まった。

 迎えた式当日。媒酌人は木村秀明仏教学部長夫妻。戒師阿闍梨を榊義孝教授(前副学長)が務め、職衆やスタッフとして豊山派教職員をはじめOBや院生・学生が総出仕。さらに大学をあげて、大勢の教職員や学生が参集。新郎新婦に花束が手渡されると、礼拝堂はあたたかい拍手に包まれた。

 新婦の父である半谷住職は、「ちょっと言葉にできないですね。こんなに盛大だとは想像もつかなかったものですから」と感激。遍照寺の法燈を継ぐことになった新郎の哲也さんも、「皆さんにご協力いただいた結婚式なので本当にありがたい気持ちでいっぱいです」。

 新婦の知美さんは「皆様にお祝いしてもらって感謝の気持ちでいっぱいです。これからは福島でお寺の再建が第一になりますので、夫となる哲也さんと共に歩み、支えていきたいと思います」と復興への思いを語った。
結婚式の様子はNHKでも放送。ニュースを見た檀信徒から半谷住職に祝福の電話があった。半谷住職は「皆さん、長引く避難生活で苦労なさっています。少しだけ明るい話題を届けられたかな」と述懐していた。

2013/7/18 原発被災寺院の会2団体 平等な墓地除染求める


 福島原発事故の損害賠償等をめぐり、東電と交渉を続けている「原発事故被災寺院有志の会」(矢内俊道会長・旧警戒区域などの約60カ寺が中心)と「東京電力原発事故被災寺院復興対策の会」(半谷隆信会長・真言宗19カ寺)は1日と12日の2度にわたって福島県庁を訪れ、お盆を前に旧警戒区域内や高線量地域にある墓地の平等な除染の実施を求める陳情書を提出した。国にも同様の申し入れを行った。

 根本匠復興相は6月25日、8月のお盆を前に大熊町の帰還困難区域にある共同墓地の除草・除染を行うと発表。同町の共同墓地28カ所(1370基)が対象だが、他の市町村からの要望にも対応するとした。

 国が墓地除染を実施するのは初めてだが、原発被災寺院で作る両会の陳情書では「この行為は、被災地域の実情を全く無視し、新たな地域格差を生じさせるものであり到底受け入れがたい」と表明。要望の有無によらず、旧警戒区域内や高線量地域、除染未実施地区の墓地すべてを平等に除染すべきと求め、「市町村毎の除染計画の早急な作成提示」も要望した。(続きは紙面を御覧下さい)

2013/7/25 大谷派・維持財団裁判 大阪高裁、一審判決を支持


 真宗大谷派(里雄康意宗務総長)が本願寺維持財団を相手取り、同財団寄附行為の変更無効と信託した土地の売却代金200億円の返還を求めていた裁判の控訴審判決が19日、大阪高裁であった。山田知司裁判長は、寄付行為変更4件の内3件を無効とし、200億円返還を棄却した一審判決を支持、双方の控訴を棄却した。里雄総長は判決を受け同日京都市下京区の宗務所で会見を開き、200億円の返還が認められなかったことに「極めて遺憾」と述べ、上告する方針を表明した。(詳細は紙面をご覧下さい)

2013/7/25 参議院議員選挙 全日仏 28人推薦、15人当選 立正佼成会は比例で1勝1敗


 21日投開票の参院選で全日本仏教会(全日仏)は最終的に5党28候補を推薦し、3党15人が当選した。3年前より2人増えた。

 自民党は12人を推薦し11人当選、民主党は11人推薦し3人当選、生活の党は2人推薦し当選ゼロ、日本維新の会は2人推薦し1人当選、新党大地は1人推薦し当選ゼロだった。

 全日仏は3年前の参院選では5党33候補を推薦し、16人が当選。今回と同じ改選だった6年前は、3党20人を推薦し13人当選した。

 全日仏の候補者推薦は加盟団体からの申請に基づく。そのため加盟団体が一部の政党に偏ることは珍しくない。3年前は民主党が19人を推薦したが、今回は11人にとどまり、自民党は9人推薦から12人に増えた。

 立正佼成会は比例代表で民主党の大島九州男氏と自民党の若狭勝氏を教団候補とした。大島氏は19万票を獲得し2回目の当選を果たした。若狭氏は7万6千票で当選に到らなかった。

 また宗教法人幸福の科学を母体とする幸福実現党は、比例で19万1千票を獲得した。3年前は22万9千票で、3万8千票減った。

2013/7/25 終戦68年企画・私の戦争体験 時宗法主他阿真円上人(94歳)


戦争の労苦を語る94歳の他阿上人 このほど戦争体験を盛り込んだ『捨ててこそ人生は開ける』(東洋経済)を上梓した時宗法主の他阿真円上人(遊行第74代、本名・加藤円住)。同書の中でビルマのインパール作戦での負傷兵を搬送するシーンが記述されていることから、ミャンマー/ビルマご遺骨帰國運動の共同代表らが20日午後、神奈川県藤沢市の時宗総本山遊行寺を訪れ、他阿上人から当時の様子を拝聴した。

 帰國運動の林秀穎(曹洞宗)小島知広(日蓮宗)共同代表、および柳下純悠事務局長(智山派)がミャンマーの少数民族地域での遺骨収集運動の概要を説明。これを受けて、他阿法主は戦前・戦中の体験を、時おり言葉を詰まらせながら話した。

 法主は大正8年(1919)生まれの94歳。ビルマには2度にわたって派遣された。「開戦直後の大勝利で沸くビルマと、インパール作戦後の敗残の惨めさ。その両方を知っているのは、存命者では私一人でしょう」

 1回目は大正大学専門部を卒業し、京都の龍谷大学に入学した年の12月。昭和16年(1941)日米開戦直前である。陸軍省の宣撫班員として各宗派から数人の青年僧が選ばれた。その一人だった。「平和使節団ですから、戦地には行きません。兵隊ではありませんので」。船での移動中に日米開戦を知ったという。「緒戦勝利の勢いもあり、ビルマではどこでも大歓迎を受けました。同じ仏教徒として手を取り合って新しい国をつくろうと」。教員免許があったため、日本語学校の校長としてある学校に赴任。その初日、急性悪性熱帯マラリアに罹患。意識不明が続いた。「99・9%いくぞ(死ぬぞ)と言われながら、奇跡的に助かることができた」。快復した後、日本に戻り、大学に復学した。

 ところがそれから間もない昭和18年(1943)学徒動員である。召集後は、第16軍の通信隊に配属。インドネシアに派遣され、軍事訓練をうけ見習士官となった。そこでインパール作戦の負傷兵と食糧(コメ)をビルマのラングーンからタイを経由してシンガポールまで輸送するための指揮官(6人)の一人に任じられた。つまり2度目は軍人としてのビルマ体験である。

 およそ100人もの負傷兵がを列車で輸送する任務だが、次々に試練が襲った。「軍用列車はゴム林の中に駐屯兵がいる待避所があり、停まっては行き、停まっては行きでした。鉄板の有蓋列車で、ほんの少ししか(すき間が)開いていない。入ってくる風は熱風。屋根に草をかぶせたりして工夫した」。しかし南国特有の暑さの中で負傷兵の消耗はかなりのものだった。

「忘れもしない。1回目の休憩のときは良かったけれども、2回目には一人が下りてこない。熱中症で…。それから停まるたんびに。結果、輸送する間に13人が病死した…。私が初めてした葬式は、袈裟も数珠もない、汗と泥にまみれた軍服の半ズボン姿で……葬式なんて言えるものじゃあない」

 遺体は、駐屯兵に委ねられた。本部からは、一人でも多く輸送せよとの連絡。「将校とはいえ見習士官になったばっかり。本にはもっと詳しく書こうと思ったけれども、詳しく書こうとすると涙が出て書けんかった……」

 しかし勇気を振り絞って、残った傷兵と共に手を合わせた。「光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨と言ったら、ナンマンダブと唱えてくれよと。わし一人でお経をあげるよりも、みんなで供養しようと。宗旨は違う人もおっただろうが、明日は自分のことかもしれんと思うからみんなナンマンダブ、ナンマンダブ……」。当時25~26歳。戦闘とは異なる生死の狭間を体験した。

「現地で亡くなった人たちのことを思うと、わしが生き伸びたのは、おまえは100まで生きて、無惨な死を遂げた人たちの霊を慰めよと言われているような気がしてね。現に300万人もの戦死者がでておる。その第一線に行きながらも生きながらえてきた。せめて、少しでも長生きして供養するのがおまえの務めだぞと仏祖が言っているような気がしてね」

 自らに言い聞かせるように話し、現在は49歳のつもりで活動しているという。最後に帰國運動にこう要望した。「ご遺骨はミャンマー/ビルマだけでなく南方からシベリア方面まである。そういう人のことも考えてしてほしい。異国の地で眠っている遺骨がまだあることを。東日本大震災で犠牲になった人たちと同じように、忘れてはいかんぞという運動も起こしてほしい」
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第一書房社長・村口一雄さん、韓国出身元BC級戦犯の「同進会」会長・李鶴来さん、真宗大谷派真楽寺住職・勸山弘さんの戦争体験は紙面をご覧下さい。

2013/8/1 大翡翠釈迦像 公開中 横浜・岩槻・気仙沼で



たくさんの花で荘厳された翡翠仏高さ2・5メートル、重さ4トンの目にも麗しい「大翡翠仏像」が埼玉県さいたま市の真言宗智山派弥勒密寺(岩槻大師)に請来され、人々の篤い帰依を受けている。

 この釈迦如来像はオーストラリアの仏教者、イアン・グリーンさんが世界平和のために発願。2000年にカナダで採掘された巨大翡翠原石を引き取り、足かけ5年の歳月を費やして完成したもの。ブッダガヤ大菩提寺の釈尊像をモデルに作られた。

 2009年の豪州での開眼供養の後、北米、欧州諸国、アジア諸国を経て日本にやってきた。これまで全世界で1000万人が参拝している。

 7月28日には岩槻大師の上村正剛住職が御開帳記念に護摩供を厳修。密厳流遍照講の御詠歌も響き、多くの人が不動明王のご利益を受けた。上村住職は最初で最後の日本展示であるこの機会に感謝し、「祈りのありがたさを再確認していただければ」と挨拶した。

 境内には各種屋台やスリランカ物産展などが軒を連ね大いに賑わった。グリーンさんも参拝者に翡翠仏の縁起などを説明していた。

 翡翠仏を日本に招いたのはスリランカ仏教寺院の正山寺釈迦牟尼国際仏教センター(東京都八王子市)。7月4日から21日までは横浜の曹洞宗大本山總持寺で展示されていた。岩槻大師では8月4日までの展示で、その後、翡翠仏は10日から18日まで宮城県気仙沼市の鹿折復興マルシェに向かう。今後数年間世界を巡礼した後、オーストラリアの大仏塔寺院に奉安される予定。

 岩槻大師では記念公演として、3日に伝統音楽・舞踊集団「和力」による太鼓・神楽・獅子舞の奉納があり、4日には林えり子さんによる琵琶演奏が行われる。

2013/8/1 生長の家 Co2ゼロ、エネルギー自給の〝森の中のオフィス〟 


自然に囲まれた中にある森の中のオフィス。今年10月から始動する 自然エネルギーで発電した電気を蓄える日本最大級のリチウムイオン電池生長の家(谷口雅宣総裁)が八ヶ岳の麓(山梨県北杜市大泉町、標高1300メートル)に建設し、7月に落慶した“森の中のオフィス”。二酸化炭素(Co2)排出ゼロや自然エネルギーによる電力自給を目指す一方で、建設にあたっては山梨産の木材を約9割を用いるなど地元産業にも貢献した。職員らが都心にある原宿の本部から移住し10月から国際本部として本格的に機能する。
イベントホールで行われた落慶式典で挨拶する谷口総裁落慶式典で谷口総裁は、「(環境)破壊や飢餓などによる犠牲者が増えることが予見できる中で、何もしないというのは宗教者・信仰者として誠に申し訳ない」と述べた。危機を予見できる中で、宗教者は何をすべきかとの問いに対する回答が森の中のオフィスにほかならない。(続きは紙面を御覧下さい)

2013/8/1 仏教伝道文化賞 本賞に多山報恩会、沼田奨励賞に長倉伯博氏


昨年秋に行われた多山報恩会の仏教講演会 公益財団法人仏教伝道協会(沼田智秀会長)は7月24日、第47回仏教伝道文化賞の選定委員会(木村清孝委員長)を開き、仏教伝道文化賞に戦前から福祉・社会事業を行ってきた一般財団法人多山報恩会(広島県/佐藤仁理事長)、沼田奨励賞にビハーラ活動に取り組む長倉伯博氏(鹿児島県/浄土真宗本願寺派善福寺住職)を選定した。贈呈式は10月2日に東京・芝の仏教伝道センタービルで執り行われる。


 仏教精神、仏教文化ならびに仏教学術の興隆等に貢献した人物または団体に贈られる仏教伝道文化賞、受賞した多山報恩会は昭和18年に株式会社広島電鉄社長の故多山恒次郎氏が私財を投じて設立。福祉・社会事業の充実と発展に寄与し、近年では教育・文化活動、災害復興支援にも尽力。設立時より、広島赤十字原爆病院内で仏教法話会を開催するほか、春と秋にも仏教講演会を開催している。


 他方、今後の仏教伝道を通じた文化活動の振興が期待される人物・団体に贈られる沼田奨励賞を受賞した長倉氏は鹿児島県内の病院を中心に、終末期医療の現場で患者と対話し、仏縁を結ぶ活動を地道に広げている。本願寺派ビハーラ活動推進委員会、かごしま緩和ケアネットワーク世話人も務める。


 仏教伝道文化賞を受賞した多山報恩会には賞金300万円、沼田奨励賞を受賞した長倉氏には200万円と、それぞれ記念品が贈られる。

受賞者のコメント



多山報恩会 佐藤仁理事長
 社会貢献のための報恩感謝の気持ちを持つという、先人の意志を引き継いでこれまでずっとやってきました。院内仏教法話会は毎月19日に行われ、これまで600回以上を数えます。仏教活動に関わらず、教育・文化と幅広く活動をしてきました。受賞の報せをうけ、戸惑いがありましたが、法人として公益的な活動が評価されたと受け止めています。


長倉伯博氏

 突然のお電話でまずはびっくりしました。医療と仏教をつなげる活動はまだ数は少ないですが、各地でやっている方もいます。そうした「仲間」の代表としていただいたものと思います。活動を始めた頃は医療の側も私たちの側も準備ができていませんでしたから、なかなか受け入れてもらえませんでした。様々な方に励ましを受け少しずつ歩んできました。ベッドサイドに仏教がある風景、老病死の問題でつらい思いをしている方々が相談に来てくれるお寺や僧侶になることが私の夢です。

2013/8/8・15合併号 金峯山修験本宗 新管長に五條覚照氏 覚堯前管長退任で


 金峯山修験本宗管長・総本山金峯山寺管領の五條覚堯氏(65)が7月31日で退任し、実兄にあたる同寺長臈の五條覚照氏(81)が1日、第4代管長・第30世管領に就任した。晋山・上任奉告法要も同日、金峯山寺で執り行われた。


 覚堯前管長は6月5日の宗議会で、北海道小樽市にある自坊・北海道別院蔵王寺の法務に専念するため7月末で職を辞し後任に覚照氏を指名したことを発表していた。


 平成21年5月16日の順教元管長の遷化を受け、同年5月27日に管長就任。それから4年2カ月余りでの退任となった。今後は同宗名誉管長・同寺名誉住職として北海道を拠点に活動する。


 覚照新管長は昭和7年3月生まれ。叡山学院卒業後、金峯山寺塔頭龍王院・妙法院住職、同寺副住職、宗務総長・執行長を歴任した。その後の平成13年からは長臈職を務めていた。初代覚澄管長の二男で、順教元管長(長男)の弟、覚堯前管長(四男)の兄にあたる。



執行長に五條良知氏

 新管長就任に伴い内局も新たに発足。宗務総長と執行長を兼ねていた田中利典氏が宗務総長に専念。執行長には庶務部長の五條良知氏が同部長を兼任する形で就いた。本宗・総本山の内局はそれぞれ次の通り(敬称略)。

 【本宗】宗務総長=田中利典▽総務部長=五條良知▽財務部長=樋上孝教▽教学部長=五條永教
 【総本山】執行長・庶務部長=五條良知▽副住職・法務部長=柳澤眞悟▽執行・財務部長=樋上孝教▽執行・教学部長=五條永教    

2013/8/8・15合併号 新会長に東伏見具子氏〝連盟発展に努力〟


 (公社)全日本仏教婦人連盟(末廣久美理事長)は大谷貴代子前会長(東本願寺大御裏方)の逝去に伴い、6月19日の理事会で新会長に東伏見具子(ともこ)氏を選任した。東伏見会長は昭和26年生まれ。天台宗青蓮院門跡の東伏見慈晃門主の夫人。

 会長就任にあたり次のようにコメントを寄せている。

 「このたび公益社団法人全日本仏教婦人連盟の会長をお引き受けするにあたり、あまりに突然のお申し出に、まるで経験のない素人の私に務まるはずもなく、戸惑いと不安でお断りするつもりでおりました。しかし、初代会長様、前会長様、元副会長様とはご縁戚になり、これも仏様のお導きと考えまして、お引き受けする事にいたしました。

 連盟の活動は今年で60周年を迎え、公益社団法人としての発足の年でもあります。


 婦人の立場から国際社会の福祉に貢献する事を目的とし、活動されてこられた会員の皆様の地道な努力の賜であると思います。及ばずながら、役員様はじめ、会員の皆様のご支援とお助けをいただき、連盟の発展の為に努力してまいりたいと思います」

2013/8/8・15合併号 比叡山宗教者サミット 「私たちは地球号の乗船者」


平和の鐘が打ち鳴らされ、黙祷が捧げられた 超宗教で世界の恒久平和を祈る比叡山宗教サミット26周年「世界平和祈りの集い」が4日、滋賀県大津市の天台宗総本山比叡山延暦寺・一隅を照らす会館前広場で開催され、約千人が参加した。主催者を代表して阿(おか)純孝宗務総長は、「この地球を船にたとえるならば、私たちは地球号の乗船者です。お互いに助け合い、支え合って尊重することは当然の理です」と開式の辞を述べた。


 阿総長はさらに「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」という伝教大師の教えを基調として、超宗教による「祈りの輪が波紋のごとく広がっている」ことに感謝。26周年を迎え、平和の理念のさらなる普及を願った。


 第48回「天台青少年比叡山の集い」に全国から参加した小学6年から中学生の約270人が、壇上中央の地球儀に折り鶴を奉納。その周りを、比叡山幼稚園の園児約30人が献花したひまわりの鉢植えで荘厳した。


 半田孝淳天台座主を大導師に、延暦寺一山住職が出仕して平和祈願法要。半田座主が「諸宗教・諸宗派代表の有縁の方々が相寄り、心を一つにして祈りの継続を誓うものであります」と平和祈願文を奉読。「しかしながら世界の平和は遠く、紛争は絶えません。物質文明の発展による環境問題、人心の荒廃など、いまだ厳しい現状を打開いたさねばならぬと存じます」と表明し、「これまで人類は力による文明に価値を見出し、他民族を武力で制圧し、自然を征服することさえ正義であると考え、その究極が核兵器開発であったと思われます。神仏のお導きによって、一日も早い恒久平和実現を心から祈願いたし、我ら宗教者は一層努力することを誓願いたします」と力強く読み上げた。


 各宗教の代表者12人が登壇。午後3時30分、天台青少年とワールドピースベル協会の代表者が文殊楼横鐘楼の世界平和の鐘を打ち鳴らし、参加者全員が起立して黙祷。世界平和と東日本大震災からの復興、震災犠牲者の冥福を祈念した。


 教皇庁諸宗教対話評議会議長ジャン=ルイ・トーラン枢機卿の平和メッセージを、教皇庁駐日特命全権大使ジョセフ・チェノットゥ大司教が代読。世界仏教徒連盟のパン・ワナメティー会長のメッセージも披露された。

(続きは紙面を御覧下さい)

2013/8/15・22合併号 相馬市の漁港で豊山派僧侶が追悼法要「前に進むしかない」


相馬流灯会.jpg真言宗豊山派僧侶約20人による追悼法要。市民ら1500人が参列した 東日本大震災で甚大な津波被害を受けた福島県相馬市の松川浦漁港で18日夕、亡くなった人々を弔う第3回「佛故者慰霊流灯会」が営まれた。県内外から集まった真言宗豊山派の僧侶約20人が追悼法要を厳修。立谷秀清市長をはじめ市民ら約1500人が参列し、故人への思いや復興への願いを記した燈籠を海に流した。地域復興には本格的な漁業再開が欠かせないが、原発汚染水問題が深刻化。しかし、漁業関係者や市民からは「前に進むしかない」という声が異口同音に聞かれた。

 流灯会は、被災した地元寺院と檀信徒、住民らで作る実行委員会が主催。震災三回忌の年である今回で一区切りとなる。

 追悼法要の導師は、漁港近くにある摂取院の鈴木弘隆住職(流灯会実行委員長)が務め、「亡くなった人々への鎮魂の思いを忘れず、みんなで力を合わせて頑張っていきたいと思います」と挨拶。遺族代表の宍戸典顕さんは「突然、家族を亡くし、まともな葬式も出せなかった私たちにとって、流灯会は本当にありがたいものでした」と述べ、「これからも復興に励んでいきたい」と誓った。

 海の幸に恵まれた相馬市は漁業の街。原発事故後、魚の放射線量を調べる試験操業を繰り返し、安全な魚種を3種から18種へと拡大。本格操業再開に向け、地道な努力を重ねてきた。しかし、原発汚染水の流出が深刻化。再び風評被害に襲われ、試験操業も見合わせる事態に陥った。

 流灯会実行委員で漁師の草野等さんは、「なんぼ魚がいても獲れない。涙が出るよ…」と慨嘆。同じく実行委員で漁師の安達利郎さんは、「汚染水が解決できないのに、原発再稼働なんてありえない」と憤る。一方で岸壁の修築や倉庫の再建など、港湾施設の防災工事が進む。「原発事故で先は見えないが、(操業再開の努力を)休むわけにはいかない」と自分に言い聞かせるように話した。

 法要後、太鼓のチャリティー公演による被災地支援を行っている豊山派仏教青年会・豊山太鼓「千響」(木村量興委員長)が、今年も激励演奏。慰霊と復興祈願の打ち上げ花火の前には、参加者全員が手をつなぎ、海に向かって黙祷を捧げた。

 避難生活で離ればなれになった住民が、再会を喜び合う姿も多く見られた。漁港に近い長命寺の茨木栄照住職は、「皆さん、いろいろな思いを持って、ここに集まってくる。故郷はずっと忘れられないですよ」と感慨深そうに語った。

 受付担当の女性スタッフは、「相馬市以外の人も多く来られ、亡くなった方や被災した人のために燈籠を流してくれました」と感謝。ある女性(50代)は「家も全部流され、今まで外に出る気にもならなかった。今日は来て感動しました」と気持ちを新たにしていた。

2013/8/15・22 日蓮宗55回目の千鳥ヶ淵法要 いのちに合掌社会を


戦没者遺族も多く訪れ焼香した法要 日蓮宗(渡辺照敏宗務総長)は15日午前9時から、東京都千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑で、「戦没者追善供養並世界立正平和祈願法要」を執り行った。墓苑には、海外で亡くなり、遺族に渡すことができなかった遺骨が安置されており、檀信徒以外にも戦没者遺族が多く訪れ、焼香する姿があった。

 法要は渡辺宗務総長を大導師に、東京四管区の宗務所長(東部=田村宏順氏、西部=矢島泰淳氏、南部=石井隆康氏、北部=望月兼雄氏)が副導師を務め執り行われた。

 墓苑奉仕会の若松重英理事長は、海外には約113万の遺骨がいまだに帰国できずにいることや、今年は、新たに1628柱が新たに奉安され、これまでに約35万8260柱が墓苑に安置されたことを報告。

 安置されているご遺骨は「海外で亡くられた240万、また先の大戦で亡くなられました戦没者の皆さんを代表する遺骨であると思っております」と追悼の意を表明した。
 日蓮宗では、墓苑が開設された昭和34年以来、現在まで55回に渡りこの日に追善供養と世界立正平和を祈願する法要を営んでおり、「本日、日蓮宗の方々が厳粛なうちに、慰霊法要してくださったことは、大きな支えであり、力となっております」と感謝を述べた。

 斎藤憲一伝道局は挨拶で「争いなき安穏な世界は誰もが願うところであり、一人ひとりの祈りから創造する世界であります」と平和への願いを述べ、「戦争・紛争等の凄惨な歴史を作り出すのではなく、御仏の正しき教えによって、心の仏子を育成し、生きとし生きるものすべてのいのちに合掌する姿を築かれんことを、切にお祈りするものであります」と世界立正平和を祈願した。

 当日は、隣地の日本武道館で政府の戦没者追悼式典が行われ、全国から上京した遺族が式典前に墓苑を参拝するなど、一般参拝者が焼香をする姿も多く見られた。

 法要後は、東京四管区の僧侶有志が東西南北それぞれのコースで唱題行脚を決行。記録的な暑さの中、平和への祈りを込めて団扇太鼓を打ち鳴らし、題目を唱えて真夏の東京を行脚した。

2013/8/15・22 “寺子屋”で原発避難の子ども支援(報告=藤井淳・駒澤大学専任講師)


避難世帯の子どもたちとともに、曹洞宗山形県第一宗務所前にて 寺子屋川遊びの出発風景 山形県は福島県の隣県であるが放射性物質の影響が県境の山脈に阻まれて非常に少なかったこともあり、福島県からの避難者が最大時では1万3千人を超え、今も人口あたりの受入避難者は全国で最も多い県となっている。

 私は実家の寺院が原発地帯の福井県若狭地方にあることもあり、事故直後から避難者が多数でることを想定していたところ、母方の実家がある山形県に子どもを抱えた世帯が福島県から大勢避難してきたことを早い段階で知った。

 避難が長期化した際には避難者と現地の住民の間に感情的摩擦がおきることが予想されるため、私は摩擦を緩和するために寺院関係者の役割が非常に大きいと考え、山形県にしばしば入り、支援の方向を模索していた。

 私が教育関係者であることから学習支援を断続的に行っていたところ、山形大学前学長の仙道富士郎氏が設立した「NPO子ども支援フェイスブックプロジェクト」に福島県から出た助成金の受け入れ先になっていただき、今年2月より「寺子屋 子ども大学」を開設し、会場として真宗大谷派山形教務所をお借りし、現地の山形大学の学生によって避難者の子どもに対する教育支援を行っている。教務所は避難世帯の子どもたちとその保護者が集まる場所となった。

 福島県からの自主避難者(警戒区域以外からの避難)は父が福島県に残り、母子のみの避難が多く、山形県では知り合いのほとんどないアパートを借りて暮らしており、母がパートなどに出かけると子どもをアパートに残していかなければならず、夏休みには子どもを安心して預けたいという要望があることから、寺子屋の夏休み版として預かり教室を7月24日から8月9日までの17日間にわたって実施した。 


 大学生スタッフの宿泊所として真宗大谷派山形教務所を使わせていただき、また曹洞宗山形県第一宗務所の全面的協力により、子どもたちへの食事の振る舞いやプールや川遊びの引率などをしていただいた。また年の近い大学生には子どもたちと一緒に勉強を教えたり、遊んでもらったことから子どもや保護者から大変に喜ばれた企画となった。寺院と現地NPOと大学生がよい形で結びつき子どもに対する実質的な支援になったといえる。

 一方で避難世帯の子どもをよく観察してみると複雑な心理的ストレスを抱えており、不登校・成績不振となっているケースが見られる。避難を余儀なくされている子どもたちが安心して勉強して遊ぶことのできる場所として寺子屋は今後も必要とされるといえる。寺院は人的・物的資源を多く有している。

 福島原発事故による避難者は長期にわたってさまざまな面で困窮することが予想され、今後も山形県の寺院は支援の重要な役割を担っていくであろう。

2013/8/29 チャンドラ・ボース69回忌 日蓮宗蓮光寺で追善法要

境内にあるボース銅像は花とインド国旗で荘厳された インド独立の英雄ネタジ・スバス・チャンドラ・ボース(1897―1945)の69回忌追善法要が祥月命日の18日、遺骨を安置する東京・杉並の日蓮宗蓮光寺(望月教善住職)で営まれた。

 本堂近くに建立されているボースの銅像はインド国旗と色とりどりの花々で荘厳。参拝者は銅像に一礼したり、手を合わせたりして本堂に向かった。法要は望月住職を導師に営まれ、表白文ではボースの活躍を讃えた。そして読経のなか、インド大使館の参事官や在日インド人、ボースを慕う日本人ら150人余が順次焼香して偲んだ。

 法要後、望月住職は、「たくさんの方、特にインドの若い世代の方々がいらしてくださり、世代を超えてのチャンドラ・ボースへの思いを感じた。68年前、ご遺骨をお預かりしお納めされた先々代29世(教栄)上人、その後を継いで30年間ご遺骨を護られてきた先代(康史)上人。それを受け継いで、ご遺骨が返還される時までお護りしていきたい。また返還できなくても、ご回向ご供養していきたい」と挨拶した。

 英国支配からの解放を目指していたチャンドラ・ボースはインド国民軍を組織して旧日本軍と共に現在のミャンマーで英国軍と戦った。日本の敗戦後、搭乗していた飛行機事故により台湾で死去。遺骨は日本に運ばれ、縁あって蓮光寺に安置された。平成13年(2001)には来日中だったバジパイ首相(当時)が参拝している。

2013/8/29 オーストラリア木曜島でお盆に法要 ブリスベン阿弥陀寺住職、日本人潜水士を供養


豪州・木曜島に残る日本人墓地で祈りを捧げるウィルソン哲雄住職と地元の人々 オーストラリア北部の木曜島で15日、明治期に日本から移住して真珠貝などの採取に従事した日本人潜水士が眠る墓地で、お盆に合わせて法要が営まれた。導師は浄土宗の海外開教地であるクイーンズランド州ブリスベン市の阿弥陀寺住職、ジェームス・ウィルソン哲雄氏が務めた。

 木曜島には明治初期から、和歌山県や愛媛県から多くの人がわたって、真珠貝や高瀬貝、ナマコの採取漁業に従事し、多い時は約2000人もの日本人が住んでいた。一方で、真珠貝の採取は多くの危険が伴い、潜水病やサメやワニの強襲、サイクロンなどで多くの日本人が犠牲になった。日本人墓地には約700人が眠り、1979年には和歌山・愛媛両県の遺族を中心に慰霊碑も建立された。参列した潜水士の血を引く日系人などは「自分たちのルーツを確認できる機会」と祖先への思いを寄せた。

 ウィルソン哲雄住職はオーストラリア人の父と日本人の母を持つハーフ。ブリスベンに生まれたが母の母国に興味を持ち、日本へ留学し、浄土宗との縁が出来た。阿弥陀寺は生家を改装して布教所として建立。平成19年から毎年木曜島に行き、日本人墓地で法要を行っている。法要は島内でも徐々に認知され、日系人だけでなく地元の人々も参拝し、法要に備えた墓地の清掃なども行われるようになったという。

現地日本人が復興支援「おどる」

 オーストラリアの代表的な観光地ゴールドコーストでは11日、東日本大震災復興チャリティーイベント「おどる」が行われた。

「おどる」は現地の日系ボランティアグループ「絆プロジェクトオーストラリア」が主催。祈りの機会を持ちたいと、ウィルソン哲雄住職も招かれ、日本のお盆の習俗について語ると共に、震災物故者の追悼と被災地の安寧を願い、参加者全員で祈りを捧げた。

 書道や和太鼓、日本舞踊やよさこいの上演、芸術ワークショップを行ったほか、作曲家でシンガーソングライターの尾飛良幸さんが作曲した復興支援ソング「名もなき絆」を現地の子どもで結成する「KIZUNA合唱団」が歌い、盆踊り大会では歌詞を公募した「オージー音頭」も披露された。

 義援金はあしなが育英会が被災遺児ケア施設として建設する「レインボーハウス」へ寄付される。

2013/8/29 ペルーで曹洞宗南米布教110周年法要 記念の梵鐘を寄贈


24日の梵鐘の撞き初め式 現地時間8月24と25日の両日、曹洞宗の南アメリカ国際布教110周年の記念法要が開催された。南北米大陸、ハワイ、ヨーロッパおよび日本の同宗僧侶約50名が随喜。国際色豊かな顔ぶれは、南米における黙照禅新時代を印象付けた。【取材・写真/太田宏人】

 24日は、リマ県リマ市へスス・マリア区の日秘文化会館において、曹洞宗南アメリカ国際布教総監部(ブラジル)の采川道昭総監の奔走で完成にこぎつけた梵鐘「日本秘露友好親善之鐘」の贈呈式(導師:小島泰道教化部長=宗務総長代理)ならびに撞き初め式、「南アメリカ国際布教110周年慶讃法要」(同)、「南アメリカ国際布教物故者諷経」(同:小林昌道永平寺副監院)、「開拓移民並びに日系人物故者慰霊法要」(同:乙川暎元總持寺監院)が厳修された。

 祝辞の中で江川辰三總持寺貫首(乙川監院代読)は、「110周年記念行事が契機となり、一仏両祖のみ教えが人種や国のちがいを乗り越えて南米各地に、そして、遍く世界に向かって」展開することを念願した。

 25日には同県カニエテ郡カサ・ブランカの日本人墓地、同郡サン・ヴィセンテ・デ・カニエテの公営墓地内日本人慰霊塔での「詣塔諷経」(導師:竹之内道彦總持寺知客兼布教教化部国際室長)、サン・ヴィセンテ・デ・カニエテの慈恩寺では、「慈恩寺開山歴住諷経」(同:采川総監)、「盂蘭盆施食会」(同:大城慈仙南アメリカ国際布教師/ペルー瑞鳳寺住職)が営まれた。本堂にはお盆に合わせて、ペルー日系人協会がチャーターしたバスで集まった参加者を中心に、200人以上の人々が、それぞれの先人への思いを焼香した。

25日の慈恩寺での盂蘭盆施食会 南米への日本仏教の伝播は、1903(明治36)年にペルーへ向けての第2回集団移民とともに、曹洞宗の上野泰庵師(兵庫県出身)ならびに浄土宗の2名が各教団からの管長辞令をもって渡航したことを嚆矢とする。浄土宗の2名は数年のうちに撤退帰国するが、上野師は移民監督として移民と苦楽を共にし、1907年に、大多数の移民の喜捨をあつめ、カニエテ郡に南米大陸初となる仏教寺院「泰平山慈恩寺」を開いた。上野師は、多大な犠牲を出した草創期の移民の供養、葬祭儀礼の他、坐禅会や修養会も積極的に行った。また寺の横に建てられたサンタ・バルバラ日本人小学校で南米初の教師となった。上野師は1917年に第二世の齋藤仙峰師に後事を託して帰国。しかし、齋藤師はじめ戦前に2名の布教師およびひとりの配偶者が現地で病死。まさに命がけの布教だった。

 第二次世界大戦でペルーは連合国に所属し、対日宣戦を布告。ペルー在住の日本人の資産没収、日本人学校・新聞社の閉鎖、公民権の停止、約2000名の有力者の米国への強制連行を断行した。排日大暴動も勃発した。戦後も、日本人及び日系人への差別は続いた。この困難な時代に曹洞宗は開教師を送らなかったが、在留日本人社会とその子孫たちは慈恩寺を護り通した。

 2005年からは、アルゼンチン出身の尼僧・大城慈仙氏がリマに駐在し、曹洞宗と日系社会のあらたな関係を構築するほか、日系ではないペルー人社会への禅の普及に尽力。すでに二人の得度者を生んでいる。

2013/9/5 島根・中村元記念館 11カ月で1万人来館達成


1万人の来館者となった埼玉県の大学4年生の原田さん(右から2人目)と前田館長。左端は松浦市長 昨年10月に島根県松江市に開館した中村元記念館の来館者が8月29日に1万人に達し、記念セレモニーが行なわれた。1万人目の来館者は埼玉県から来た大学4年生の原田ななこさん。卒業論文のテーマである古事記の出雲神話を調べるなかで来館した。

 前田専学館長(中村元東方研究所理事長)から中村元博士の著書と講演CDセット、松江市長の松浦正敬氏からは大根島の牡丹の花束が手渡された。

 同館は中村博士の生誕100年にあたる昨年に、研究業績の顕彰、仏教学やインド哲学をはじめとする東洋思想の普及・啓発を目的として設立。記念館の運営にあたるNPO法人中村元記念館東洋思想文化研究所の清水谷善圭理事長(天台宗清水寺貫主)は「開館時には1万人の入館者など想像も出来ず、日に10人程度の来館者が有れば上出来と思っていましたので、8月末に1万人に達しそうだと聞かされた時、正直驚きました」と明かし、「1万人目を迎える前には何故かソワソワし、落ち着かぬものを感じ、実際に1万人目のお嬢さんの姿を観ると、胸が高鳴りました。今日までの歩みが間違いでなかったことを喜ぶと共に、この施設を運営し続けることの責任の重さを噛み締めました」と話した。

 8月30日には中村博士生誕100年の記念事業として、宗教評論家のひろさちや氏、京都・清水寺貫首の森清範氏、前田館長による公開講演会を開催。9月は韓国への研修旅行、10月には開館一周年企画などの事業を予定している。

2013/9/5 関東大震災90年を追悼 防災と復興、想い新たに


約500人の参列者が次々に焼香した 関東大震災から90年を迎えた1日、墨田区の都立横網町公園にある東京都慰霊堂で殉難犠牲者を追悼する大法要が営まれた。今年は日蓮宗大本山池上本門寺の野坂法雄執事長を導師に一山僧侶と東京都仏教連合会の各地区代表が出仕。高円宮妃久子さまも臨席された。

 都慰霊協会の檜垣正已会長は10万を超える死者、30万以上の被災者に思いを捧げるため集った会衆に感謝し「災害への備えと被害を最小限にする努力を怠ってはなりません」と式辞。続いて読経となり、高円宮妃殿下をはじめ全日本仏教会の関崎幸孝事務総長らが次々に焼香した。都の安藤立美副知事(猪瀬直樹知事の名代)、都議会の藤井一副議長、墨田区の山崎昇区長、区議会の沖山仁議長はそれぞれ、震災が甚しい被害を都区民に与えたこと、その復興に先人の努力があったことを語り、防災に力を入れていくことを誓った。

 野坂執事長は法話で「私の父が墨田区で住職をしていました。震災の際、父は命こそ助かりましたが、師僧が行方不明になった。それから父は学生の身で復興に尽力せねばなりませんでした」と回想。さらに関東大震災だけでなく東日本大震災の犠牲者にも思いを寄せ「日本人の知恵とお釈迦さまの智慧で、必ずや日本は世界に冠たる国に復興すると信じております」と勇気付けた。

 閉式後は約500人の参列者が焼香。震災発生時刻の午前11時58分には公園内の「幽冥鐘」が撞かれた。この鐘は中国仏教徒が寄贈したもので、園内にいた多くの参列者は鐘の音と共に足を止めて合掌した。

 その後、本所仏教会による追悼法要と、慰霊コンサートが行われた。近傍の第一ホテルでの記念式典では、慰霊等諸事業に功績のあった人に感謝状が贈呈された。

朝鮮人犠牲者を追悼

 慰霊堂本殿横に立つ「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑」の前では、デマにより虐殺された人を含む朝鮮人の追悼式典も行われた(主催=関東大震災90周年朝鮮人犠牲者追悼実行委員会)。

 浄土真宗本願寺派正念寺(渋谷区)の小山弘泉副住職の読経と、韓国の舞踏家金順子さんの鎮魂の舞踏に続き、在日本朝鮮人総聯合会の任京周国際部長らが悼辞。日本と朝鮮半島の真の友好を願った。

2013/9/5 IBYE国際仏教青年交換プログラム 被災地の「今」を視察


太平洋を望むいわき市の薄礒海岸で営まれた慰霊法要。各国僧侶は母国語で読経した(8月30日) 福島県いわき市で開催されていた全日本仏教青年会(全日仏青=伊東政浩理事長)が主催する国際仏教徒青年交換プログラム(IBYE)が6日間の日程を終え、8月30日に閉幕した。世界仏教青年連盟(WFBY)が参画し、日本をはじめアジア各国の青年仏教徒が被災地の現状を視察。被災地の「今」をアジアに発信する機会となった。

 参加者は、プログラムの目玉の一つ、被災地での行茶による傾聴活動の実践に先立って、事前に約8時間に及ぶ講義を受講。現地の社会福祉協議会や全日仏青の米澤智秀救援委員長を講師に被災者のケアや注意点、被災当時の状況を研修し、3日目に傾聴活動に臨んだ。

アジアの青年仏教徒が仮設住宅で行茶を実践 傾聴活動は双葉町と大熊町からの避難者が生活する仮設住宅をそれぞれ訪問。言葉や年代の違いもあり、最初はうまく会話が進まないこともあったが、青年たちは常に笑顔を絶やさず、積極的に交流に挑戦していた。

 行茶による傾聴の一環として、各国の参加者が母国の伝統舞踊や流行歌に合わせたダンスも披露し、住民からは惜しみない拍手と笑顔が贈られた。最後は住民たちと抱き合う場面も。「こんなに楽しいのは久しぶり。不思議だね、涙が出てきたよ」と別れを惜しむ住民もおり、傾聴活動は好評だった。

 一行は、津波で生徒2人が犠牲になったいわき市小名浜の県立海星高校も訪問。同校の生徒たちが現地に伝わる死者の冥福を祈るための踊り「じゃんがら踊り念仏」を披露し、同校で取り組む浮き輪型のお守り制作を通して、アジアの青年たちと現地の高校生が交流を持つことができた。
津波で壁が貫通した体育館や学生寮の視察では、いまだ痛々しい震災の傷跡にしばし絶句。参加者は「テレビで見るのと、実際に見るのとでは全然違う」と被害の大きさを実感していた。

 宿舎となったホテルでは、WFBYのデンポン・スワナチャイロップ事務局長の指導の下、瞑想とともにプログラムで得た気付きを回想した。デンポン事務局長は「人生はいかに無常であるのか。我々は今、息をしているが、いつこれが最後の息になるかも分からない」と諸行無常の教えに触れ、「我々は常に息ができることを注意深く集中し、それをありがたいと感じなければ」と教示。瞑想後は絆を深めてきた青年同士が互いの命に合掌し、感謝の気持ちを共有する姿があった。

 翌日は、肌がひりつく程の炎天下の中、伊東理事長を導師に薄磯海岸での約1時間にわたる慰霊法要を厳修。タイ、台湾、韓国などの僧侶も母国語の読経。参加者全員で海に向かって、世界平和とともに震災犠牲者のために一心に祈りを捧げた。

2013/9/12 2020年東京五輪決定 仏教界からのコメント


 8日早朝(日本時間)、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで開かれた国際オリンピック委員会(IOC)の総会で、2020年東京でのオリンピック・パラリンピックの開催が決まった。東京では1964年以来、56年ぶり2度目となる。
 決定にあたり、仏教界の関係者からコメントをいただいた。


世界との連携には宗教が大事な要素
 日本は震災を経験しており、傷ついた人々の希望になる大会になってほしいと考えています。経済的な部分の恩恵があることや、開催を好ましくないと思う人々もいることも分かりますが、皆でつながる良い機縁となることを願っています。
 宗教的には、過去のオリンピックにおいて選手村などで、世界から来る人々のための祈りの場が設けられているとも聞き及んでいます。東京、そして日本の仏教界だけでなく、日本の宗教界の協力が必要ですが、大会の運営側が受け入れてくれるならば、宗教の面からも世界の人々を歓迎できればと考えています。
 今回の招致活動の映像には浅草寺も使われ、滝川クリステルさんのプレゼンテーションでは、目に見えない感謝や相手を思いやる日本の「お・も・て・な・し」のこころを伝える中で、合掌する姿が特に印象的でした。
 日本が世界に訴えた情緒の中に、確実に寺院や仏教、宗教が根底にあったと思います。押し売りでは宗教アレルギーが出てしまいますが、世界とつながる中で、宗教や仏教は大事な要素になると思います。東京都仏教連合会でも大会に寄与できるよう、今後7年の間に何ができるのか、議題に挙げていこうと思います。(新倉典生・足立区日蓮宗善立寺住職、東京都仏教連合会事務局長)




スポーツの力で見事な復興を
 私も日本オリンピック委員会(JOC)の一員ですので、本当にありがたいことだ、よく決まってくれたと嬉しく思っています。これから7年、若者たちが色々なスポーツを通して一生懸命成長していくことが楽しみで仕方ありません。

 東日本大震災や私の住む長野県でも栄村地震など、様々な災害がありました。被災地には今でも生活が苦しい方がいらっしゃいます。私もボランティアなどしていますし、開催が決まったからといってウキウキだけもしていられません。若者たちの力、スポーツの力で、7年後には見事に復興していてほしいと願っております。息子ともどもこれからは忙しくなります。(佐藤正道・長野県上水内郡小川村曹洞宗明松寺住職、総合馬術ロンドン五輪代表佐藤賢希選手の父)


日本の伝統や文化の一端に接する機会に
 東京都などがスポーツイベントなどを通してオリンピック招致などに努力してこられ、こうして再度東京での開催が決まり嬉しいことです。招致活動の中で雷門の映像なども使われていましたが、オリンピックを契機に浅草寺へお参りいただくこともあるかと思います。常に、気持ちよく参拝していただけるよう努力しておりますが、この機会に日本の伝統や文化の一端に触れ、日本の良さを認識していただけるのではないかと期待しています。
 1964年の東京五輪の時は私は小学校4年生でした。空にスモークで描かれた五輪マーク、東洋の魔女の躍進など、今もはっきりと思い出します。経済効果なども言われていますが、こうしたスポーツを通した感動というのは、特に若い人たちの成長に良い影響を及ぼすのではないでしょうか。(守山雄順・浅草寺執事長)


意識の高揚に協力
 本学としてもうれしく思っています。名古屋は東京から離れていますが、日本開催という意識の高揚に協力していきたいと思います。また開催に向けて裏方として力を尽くしたいと考えております。(今年5月17日、東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会と協定を結んだ曹洞宗宗門校の愛知学院大学)

2013/9/12 千葉・埼玉の竜巻被害 本堂の屋根吹き飛ぶ


野田市真光寺本堂の吹き飛んだ屋根をブルーシートで応急処置(4日) 2日、千葉県野田市・埼玉県越谷市を猛烈な竜巻が襲い、大小合わせ1160軒の建物が被害を受けた。野田市岩名の真言宗豊山派真光寺でも本堂の屋根が吹き飛ばされ、古谷光裕住職(53)らが復旧を急いでいる。

 古谷住職はその日、ロータリークラブの会合に出ていて、夫人からの電話で被害を知った。あわてて帰宅すると銅屋根がすっかり剥がれてしまい、垂木が残るばかりだったという。ただし天井に大きな被害はなかった。豪雨の心配もある中、翌日すぐに出入りの棟梁や大工が駆け付け、1日でガレキの撤去やブルーシート貼り、応急処置などは終えた。「御本尊さまは客殿にすぐに移したので無事でした。しかし、雨漏りのために畳は全滅です」と古谷住職は話す。

「葬儀は斎場で行うことにし、法要も当面は客殿でですね」と、法務にも影響はある模様。不幸中の幸いながら、人的な被害はなかったという。

 保険が査定中なので「完全復旧はいつになるか、まだちょっとわかりません」ということだが「明治33年に建った本堂で、東日本大震災の直前には改修も終えたところでした。思い入れもある本堂なのでなんとか元通りにしたいです」と心境を語った。

 豊山派宗務所からはすぐにお見舞いと状況把握の連絡があったとのこと。檀信徒も次々に訪れ、古谷住職をいたわった。

2013/9/12 日蓮宗総本山身延山久遠寺 日向上人700遠忌を執行


本堂の大法要に先立ち、井上総務を導師に墓前法要 山梨県身延町の日蓮宗総本山身延山久遠寺(内野日総法主)は1日から3日にかけて、同山の第二祖、佐渡阿闍梨日向上人の第700遠忌報恩大法要を同寺で執り行った。全国から教師、檀信徒が延べ千人以上参集し、祖山を守り、発展させた日向上人の遺徳を讃えて感謝の誠を捧げた。


 日向上人は、〝論議第一〟と称される学僧で、宗祖直弟子六老僧の一人。正応元年(1276)より26年間にわたり身延山で常住給仕し、宗祖日蓮聖人が遷化した後は、宗祖御廟の格護と身延山の運営、門弟の育成と信徒の教化に勤め、身延山第二祖として祖山の基礎固めを果たした。

 報恩大法要は1日に各教団、檀信徒を中心とした法要を厳修。2日目は日向上人が開基した樋澤坊で山内支院の僧侶や同坊の檀信徒が参列し、最終日の3日は、渡辺照敏宗務総長をはじめ、宗門要路が参列。いずれの日もすべて大導師を内野法主が勤めた。

 遠忌の正当となる3日の大法要に先立ち、当日に日蓮聖人御廟塔の隣にある日向上人墓で井上瑞雄総務を導師に墓前法要も営まれた。

 本堂での大法要では、内野法主が諷誦文で改めて日向上人の生涯を振り返り、「佐渡流罪の折も師大聖人の側にあり、苦節の中にも行学研鑽、法器としてその身を磨き、師大聖人御赦免にて身延山御入山にも随伴せり」と宗祖の手足となって教風宣布に勤めたその遺徳に報恩感謝の念を表した。

 宗門要路や参拝に訪れた檀信徒が焼香した他、今回の遠忌法要では、山内支院の寺庭婦人代表による献香も行われ、まさに一山、一宗を挙げた遠忌法要となった。

 井上総務は挨拶で、記念事業の新客殿の建立と仏殿納牌堂屋根葺き替え工事が無事竣工したことを報告し、祖山への絶大な支援協力に御礼。「日向上人のご報恩に報いることは、そのまま高祖日蓮大聖人へのご報恩につながるものと存ずる次第です」と感謝を述べた。

2013/9/19 スリランカ3宗派管長 真如苑主に栄誉称号授与

アマラプラ派とラーマンニャ派管長から栄誉称号を授与される伊藤真聰苑主 真如苑(総本部=東京都立川市)の伊藤真聰苑主はスリランカ仏教界から招聘を受け8月17日から25日にかけ同国を訪問。スリランカ仏教4大宗派(アスギリヤ派、マルワッタ派、アマラプラ派、ラーマンニャ派)の管長と会見したほか、アスギリヤ派、アマラプラ派、ラーマンニャ派より栄誉称号が苑主に授与された。アスギリヤ派から栄誉称号を受けるのは、日本人としては真如苑開祖の伊藤真乗教主(1906―89)に次いで2人目。女性としては初めて。

 伊藤真聰苑主一行は19日午後、コロンボのバンダラナイケ記念国際会議場で2派からの栄誉称号授与式典に臨んだ。アマラプラ派のナニッサラ管長は「真如苑は自然災害、幼児教育への支援など様々な社会貢献を行っており、このような社会貢献を高く評価致します。世界平和のためにこの活動を活かしていっていただきたい」とエール。ラーマンニャ派のプレマシリ管長は「日本に行き、真如苑を訪れたとき、大涅槃尊像を見て感動いたしました。真如苑の教えの明るさが分かりました。スリランカを代表して栄誉称号を授与できたことを大変嬉しく思います」と思いを語った。
アスギリヤ派からの栄誉称号授与式典は21日午前、アスギリヤ派総本山(キャンディ)で行われ、ブッダラッキタ管長から称号が贈呈された。

 真聰苑主は挨拶に立ち謝意を示すと共に、「テーラワーダもそしてマハーヤーナも仏陀から救いが渡されています。私たちは同じ仏教を一つの線に結びながら、世界の真如教徒の中にテーラワーダのパーリ語を唱えて、皆が幸せに、平和になっていきますように、一心に努めてまいります」と決意を語った。

この日午後、教団一行は、アスギリヤ派とともに仏歯寺を護るマルワッタ派の総本山を訪問し管長と会見。教主謹刻の涅槃尊像を贈呈し、交流を深めた。

2013/9/19 高野山真言宗宗会 添田隆昭宗務総長が所信表明で前内局の放漫財政を批判

宗政刷新を宣言する添田総長 ハイリスクな資産運用や巨費を投じたコンサルタント契約など、前・庄野内局が行った財政全般の実態解明を進めている高野山真言宗(添田隆昭宗務総長)。その調査報告を主な議案とする第148次秋季宗会(安藤尊仁議長)が12・13両日、和歌山県高野町の総本山金剛峯寺宗務所に招集された。前内局が大手監査法人らに依頼して「不正・粉飾は確認できない」との結果を得た資産運用の外部調査報告書に、14億5千万円超の集計ミスが発覚。添田総長は前内局の調査報告を「ずさんな報告」だと否定し、放漫財政と隠蔽性を厳しく批判した。

 宗政刷新を担って7月に就任した新内局の初陣。添田総長は所信表明演説で、「前内局は債券にデリバティブを内包した『仕組み債』と言われる複雑な金融商品を証券会社より多量に購入していた」と発表し、「資産運用管理規定を大きく逸脱するもの」と指摘。巨額の損失が発生していたのにもかかわらず、「この事実を隠蔽し、虚偽の報告を続けた」と断罪した。

 具体例として日経平均リンク債による損失を挙げ、「5千万円で購入したものが約50万円で返ってきた」例が複数あると報告。為替連動の仕組み債も多く、「中途解約もできず、為替相場如何では30年間利息を得られず『塩漬け』になる」と説明し、実際に多数の銘柄が「塩漬け」状態だと明かした。

 前・庄野内局は約6億8900万円の巨額損失への批判をかわすため、〝資産運用の損益は約9億円の黒字だ〟と主張。添田総長はこれも否定し、8億8600万円は前々内局の運用益で、前内局の運用益は1500万円に過ぎないと断じた。

 さらに平成19年度から24年度末までで4億数千万円を支払った経営コンサルタントをはじめ、他にも「費用対効果の曖昧なコンサルタント」を重用していた財務体質を厳しく批判。前内局の財務姿勢を「コンサルタント依存症」と切り捨てた。

 これらの調査は、新内局と宗派の会計監査機関である参事会(安藤議長ら宗会議員の代表で構成)の合議で設置した第三者委員会(釘宮正徳代表=公認会計士)が実施(調査報告の詳報は近号)。宗会前日の11日には全議員参加の勉強会(非公開)が開かれ、第三者委員会の釘宮代表と杉村順氏(証券アドバイザー)が調査結果等について説明した。調査報告は現時点までに分析を終えた資料に基づいて行われたが、資産運用の実態解明に必要な原資料の中には毀損・紛失してしまったものも少なくないという。前内局の故意か否かも問われる事態になりそうだ。

 添田総長は演説を終えるにあたり、宗政刷新への決意を表明。「この宗団に属していることに誇りが持てるよう、透明性・公開性を高めていきたい」と力強く宣言した。

 ある議員は「新内局が良い方向に変えていってくれることを、皆が期待している。私たち議員も新内局を支えていく」と話していた。(続きは紙面をご覧ください)

2013/9/19 共生レポート2013 立正佼成会・一食を捧げる運動 運動ノウハウを海外へ


植林を終えた村の住民たちに笑顔が戻る 同悲・祈り・布施―この3つの精神を体現した社会奉仕運動が立正佼成会の一食を捧げる運動(一食運動)である。昭和50年(1975)から始まり、40年近い実績を持つ。そして今年は5カ年計画の初年度を迎え、新たな運動の展開をはかる。端的に言えば、「わかちあい」をキーワードにした国際化と双方向化である。

 一食平和基金事務局によると、「現在は転換点」(秀島くみこ次長)と話す。日本国内にあっては「支援を通しての共に生きる環境作り」という目的がある。一方で「日本社会だけでなく、他国でも進められないか」。国内・海外ともに運動の拡大と相互理解という新たな課題へのチャレンジである。具体的には一食運動のノウハウを海外に提供し、それぞれの国で実践してもらおうというものだ。

 この運動にはかねてから“いつでも、どこでも、だれにでも、いつまでも”というモットーがある。早速、海外に呼びかけたところ、アフリカのモザンビーク、カンボジア、そしてブータン、オーストラリアといった各国の団体が関心を示し、一部は実践されている。「立正佼成会では毎月2回、一食を捧げる日としていますが、モザンビークの団体は毎週火曜日と決めています。月4回と私たちより回数が多いのです」(秀島次長)と手応えを口にする。

同悲の心の結晶 現地の人も認識

 支援は大別すると「貧困(飢餓)の解消」「教育・人材育成」「緊急救援・復興支援」の3分野。このほか環境や難民、医療などがある。ミレニアム開発目標(MDGs)と関連する事業支援も少なくない。

 エチオピアの植林事業の事例。

 同国は内戦や干ばつ、樹木の燃料化などで急激に森林が減少し、砂漠化が進行。砂漠化は慢性的な食糧不足や貧困を生み出す。「現地(ティグレ州)のパートナー団体との合同プロジェクトとして20年間で2億円を拠出」(同)。これまで植えた苗木は3千万本以上。植林した面積は東京23区の1・4倍に達する。「当初20%だった生存率は85%まで上昇」。同会もしばしば植林ボランティアを派遣してきた。

 緑化によって地球温暖化を防止、といえばそれまでだが、その副次的効果が随所に現れた。「土地に保水力がつき、緑が増え、それが家畜の飼料になっています。保水力が向上したことで村に井戸ができました。女性や子どもが遠くまで水を汲みに行っていた作業がなくなりました」。つまり住民たちの自立への道筋が示されたのである。

 緑化を支えたのは日本からの資金だが、ただ提供したのではない。同悲のこころの結晶であることを現地の人たちは認識している。ゆえに粗末な扱いはしない。また献金者に支援が着実に成果を生み出していることを伝えることは、運動として欠かせない。支援する/されるの関係ではなく、双方向の関係である。「わかちあい」はそれを含意する。ちなみに「わかちあい」の英語表記は《WAKACHIAI sharing meals for friends》である。近い将来、モッタイナイと同様にワカチアイが国際語になる可能性を秘めている。

※一食運動は、新宗連(新日本宗教団体連合会)やWCRP(世界宗教者平和会議)などを通じて、宗教界では幅広く実践されている。もともとは禊教開祖の「われ一飯を捧げて人の飢えを救う」の教えに由来。これを現代に蘇らせたのが松緑神道大和山の故田澤康三郎教主であった。さらに運動の大衆化を提唱し、実践してきたのが立正佼成会の庭野日敬開祖である。同時に開祖が願った「一乗世界」を顕現する運動でもある。

2013/9/19 共生レポート2013 被災地沿岸部「いのちを守る森の防潮堤」 推進協議会会長は曹洞宗僧侶


「いのちを守る森の防潮堤」のイメージ図(推進東北協議会のパンフレットより) 東日本大震災から2年半、復興に向けて様々な取り組みがされているが、宮城県仙台市の日置道隆・曹洞宗輪王寺住職は「いのちを守る森の防潮堤」への取り組みを通じて、復興支援を行っている。「森の防潮堤」は、ガレキを土砂を混ぜて盛土し、その上に土地本来の多様な常緑広葉樹の木々を混植・密植することで多層構造の森を作り、それによって人々の生命や心、財産を守ろうという構想だ。これを提唱するのが植物生態学者の宮脇昭氏。今年6月には宮城県岩沼市の仙台空港の東側で「千年希望の丘」の植樹祭が行われ、全国から4500人が集い、3万本の苗木を植樹した。この他の地域でも、森づくりは進められている。



輪王寺の境内に設置されたビニールハウスで苗木作りを行う日置住職。2年から3年かけて苗木が20~30センチまで成長した後に植樹する 日置住職は「森の防潮堤」に賛同し、一昨年7月に「いのちを守る森の防潮堤推進東北協議会」を設立、会長を務める。自坊で取り組んできた植樹活動の経験や知識を活かして「森づくり」に力を注ぐ。



 津波を受けた沿岸部では大規模な防潮堤建設が計画され、工事も一部で始まっている。津波対策は復興の重要な課題ではあるが、画一的なコンクリートの防潮堤が生態系に及ぼす影響や、地域に根差した海との生活や文化が損なわれるとして、懸念する声も強い。「森の防潮堤」は津波からいのちを守るのと同時に、自然と共に生きる世界を未来へとつなげる。「コンクリートは50年経てばどうなるか分かりません。しかし森は自然の力で世代交代をしながら、そのいのちが続いていく」と日置住職は話す。(続きは紙面をご覧ください)

2013/9/19 共生レポート2013 貧困問題に“立ち上がろう” 日蓮宗、MDGsキャンペーンに参加


プラカードを持って「スタンド・アップ!」する日蓮宗の中井本秀伝道部長 発展途上国の貧困問題を解決するため「2015年までに世界の貧困を半減させる」ことなど目標に掲げた国連のミレニアム開発目標(MDGs)の期限がいよいよ迫っている。伝統仏教教団からは日蓮宗が、MDGsに関連した世界的キャンペーン「スタンド・アップ、テイク・アクション」(主催=動く→動かす)に参加。安穏な社会実現のために〝立ち上がった〟。

 MDGsは、国連で2000年に日本を含む189カ国が採択した8つの開発目標のこと。2015年を期限に「1日1・25ドル未満で生活する人々を半減させる」「5歳未満児の死亡率を3分の1にする」等の目標を設定し、具体的な目標と期限を定めた画期的な取り組みとして、国際社会に発信されている。

「スタンド・アップ」キャンペーンはMDGsの達成を後押しするためのもので、10月17日の世界貧困デーに合わせて毎年世界中で実施されている。09年には1億7千万人以上が参加し、ギネス記録を樹立。日本でも昨年約2万6千人が参加し、貧困問題解決に市民が名乗りを上げている。

菩薩行とも通じる活動

 今回の実施期間は今月14日から10月28日。参加方法は、立ち上がった様子を写真に撮り、「動く→動かす」内のキャンペーンサイトや日蓮宗などの参加団体にデータを登録して、貧困問題に立ち向かう意志を表明するというもの。集められた声は、各国の政府や政治家に届けられ、MDGs達成のための後押しとなる。

 日蓮宗では『宗報』と併せて、キャンペーンのプラカードやインターネットでの応募ができない参加者のために返信用封筒を送付。広報紙『日蓮宗新聞』などでも全国の教師、檀信徒に参加を呼び掛けている。

 同キャンペーンの特徴を日蓮宗宗務院の中井本秀伝道部長は「この活動は、貧困問題への意識の向上と、その意識を目に見える形にすることです。書名活動の一種として、写真を撮って自分たちの顔を見せて参加することで、貧困を考えるきっかけにもなり、同時に世界への意識が開けることにもなります」と話す。

 仏教的な観点でも「大乗仏教には菩薩行があり、日蓮宗では立正安国論の精神の中に〝自分の心の幸せと社会の幸せが別ではない〟という教えがあります。これはスタンド・アップの考え方とも重なるものです」。

 伝道部の持田貫信課長も「我々の願いとしては、日蓮宗だけではなく、是非より多くの人に参加してほしい」と述べ、仏教界全体にも「できればこの活動に宗派を越えて目を向けていただければ」と期待している。

2013/9/26 斎藤忠大正大学名誉教授追善法要 仏教考古学に多大な貢献


大正大学で営まれた斎藤忠名誉教授の追善法要 今年7月21日に考古学界の最長老、大正大学の斎藤忠名誉教授が逝去した。明治41年生まれ、104歳だった。9月14日、大正大学礼拝堂で勝崎裕彦学長を導師に、式衆を斎藤名誉教授の指導を受けた卒業生が随喜して追善法要が営まれた。多くの考古学界関係者、出版各社が参列し、故人の冥福を祈った。

 法要では、斎藤名誉教授が陵墓保存や昭和天皇皇后両陛下にご進講を行ったことに触れ、お悔やみの御言葉と「御祭粢料」(香典)が両陛下からご遺族に贈られたことを、発起人の小此木輝之大正大学教授が明かした。

 法要の最後は遺族・発起人を代表して立正大学元学長の坂詰秀一立正大学名誉教授が挨拶し、大正大学当局と導師を務めた勝崎学長に御礼を述べるとともに、故人が収集した膨大な資料が斎藤忠文庫として大正大学へ寄贈されることを報告。 「齋藤先生の魂がとこしえに大正大学とともにあるものと思っております」と故人を偲んだ。

 資料のみならず、斎藤名誉教授は著作も多数遺していた。著書は百冊にも及び、学者の夢と言われる「自分の身長を超える著述」に達する。その業績は、日本考古学史の体系確立をはじめ、日本古典考古学の提唱と展開、仏教考古学の実践研究など多彩であった。

 坂詰名誉教授によると、特に仏教との関係では、『仏塔の研究』(02年)、『求法僧の研究』(06年)などが挙げられるほか、朝鮮半島における新羅・百済・高句麗の故地での仏教寺院跡発掘は、昨今の国際情勢もあって、現在でも貴重な調査として考古学界に語り継がれているという。

斎藤忠大正大学名誉教授の近影 斎藤名誉教授は、101歳を迎えた09年、『文藝春秋』10月号に寄せた手記の中で、研究への情熱が衰えなかったことを窺わせる歌を遺している。晩年に至ってもその情熱は、遺跡に胸をときめかせ、考古学を志した青年時代と変わらぬものであっただろう。


 若きより用いし巻尺 またも手に 石を測りぬ 老いを忘れて(韓国にて)

2013/9/26 高野山宗会 乱脈な運用実態明らかに 前内局の秘匿資料を開示



怒気を含みながら報告する廣瀬財務部長 前・庄野内局の放漫財政の全容が見え始めた高野山真言宗(添田隆昭宗務総長)の第148次秋季宗会(安藤尊仁議長・金剛峯寺宗務所)。12日、廣瀬義仙財務部長が怒気を含みながら、前内局の乱脈な資産運用などの実態を明らかにした。前内局が開示を拒み続けた資料も、「宗会は第三者ではなく当事者である」との立場からすべて開示。徹底した情報公開で〝政権交代〟を宗内外に印象付けた。

 廣瀬財務部長は、添田内局が組織した第三者委員会(代表=釘宮正徳公認会計士)の調査報告書(中間報告)の概要を説明。前・庄野内局の「資産運用に関する外部調査委員会」(委員長=木下貴司弁護士)の調査報告書に「14億5千数百万円の集計漏れ」が発覚した件について、「(外部調査委から送られてきた訂正書を)見て阿鼻叫喚、びっくりして(調査をした大手監査法人の)トーマツへ質問状を出した」と報告した。外部調査委員会からの8月7日付の返答書には、「この14億5千万円の間違いは(『庄野内局に不正・粉飾は確認できない』という)結論自体に影響を及ぼすものではない」などとあったと読み上げた上で、「到底承服できるものではない」という強い憤りの念を示した。

 添田内局では7月末、前内局の外部調査委員会に「14億円超の集計ミスが生じた」調査過程とその責任を問う質問状を送付していた。(続きは紙面をご覧ください)

2013/9/26 すごいよ!?日本仏教 ドイツ・スリランカ・米国3僧が議論


日本仏教について語った(右から)ケネス氏、スマナサーラ長老、ネルケ氏 (公財)仏教伝道協会(沼田智秀会長)は19日、東京・港区の仏教伝道センタービルで「日本仏教とは」を年間テーマとする第2回シンポジウム「ここがスゴイよ 日本人の仏教観」を開いた。日本で活躍するネルケ無方氏(ドイツ・曹洞宗安泰寺住職)、アルボムッレ・スマナサーラ長老(スリランカ・テーラワーダ仏教)、ケネス田中氏(アメリカ・浄土真宗・武蔵野大学教授)をパネリストに、日本仏教の「すごい」を議論。形や行いに表れる仏教精神や、日本社会・文化に及ぼす影響を考察した。

 ネルケ氏は16歳で坐禅サークルに入り、「それまでは首より上、頭の中で考えているのが私と思っていた」が、「姿勢が変わると自分が変わる」と気づいたと述懐。多くの仏教国の中から「あえて日本を選んだ」理由に、「坐る姿勢、坐る行為そのものを微細に説く」日本の禅があったとした。禅の魅力に加えて「日本仏教は柔軟。曖昧でいい加減とも言われますが、柔軟なところが良いところ」とも語った。

 スマナサーラ長老は「日本仏教は誰からも悪口を言われる」と笑いを誘いながら、日本の僧侶を香木の栴檀に重ね、「切っても、つぶしても、びくともしない。美しい香りを出して、自分のやることをじーっとやっている。批判されようが全然気にしていないよう。そういう明るさがある」と例えた。また、東日本大震災の際に、多くの仏教者が支援に入ったが、「その時にこの宗教を信仰しなさいとは言わなかった」と評価した。

 ケネス氏は日本仏教の特長を3点にまとめて解説。初めに寺院数や仏教系の教育機関の数などを例に世界最大規模の「組織力・資金力」があると指摘。次に「死・死者との親近感」として、「アメリカでは人が亡くなったら残るのは写真くらい。死はタブー」なのに対し、お仏壇を通した死者との対話などに、生死常道の教えがあるとした。さらに「他者への『思いやりの精神』」をあげ、誠実、謙虚、勤勉、感謝の心を含む「思いやりの精神」と、それを生み出す「自己反省という深い洞察力」を日本仏教から読み説いた。


 3氏による討議では日本仏教の「柔軟性」や行為に表れる仏教について議論。ネルケ氏は「柔軟といっても、竹のように軸がないといけない」とし、その「自分が仏になる、そのために自分を無くすこと。その実践が問われる」と指摘。スマナサーラ長老は「仏教は厳しく理論がある」が、「(日本仏教は)形や行為であらわす」との見方を示した。日本の職人によるものづくりの文化、学校での給食や掃除の時間にも、日本仏教の影響を見出した。

 仏教の課題についても意見を交わし、ネルケ氏は「在家出身の僧侶が道を目指してすすめるように」、ケネス氏は「女性が指導者になること」を挙げた。スマナサーラ長老は無常の法則から「仏教であっても、あるものは残り、あるものは壊れる」とし、正しい生き方を説く仏教の重要性を強調。「「生きている人々にその教えどうやって普遍的に与えていくのか」と述べ、仏教者の役割を確認した。

2013/10/3 天台宗 阿総長が退任表明 多忙な師走避けスムーズに引き継ぎ



 天台宗の阿(おか)純孝宗務総長は9月27日、12月11日の任期満了を1カ月ほど前倒しして早期退任することを表明した。

 多忙な師走の時期の内局交代は、新内局にとって挨拶回りなどの負担が大きく、執務方針の策定や新年度予算の編成に十分な時間が取れないため。早期退任には、次期内局への引き継ぎをスムーズに行う狙いがある。

2013/10/3 浄土宗宗議会 「安全かつ確実」な運用へ 資産管理規程案を提出


 浄土宗(豊岡鐐尓宗務総長)の第108次定期宗議会(小栗賢亮議長)が9月30日、京都市東山区の宗務庁に招集された。豊岡内局は、前年度決算案、今年度補正予算案のほか、保有する預貯金などを「安全かつ確実」に運用するため、「資産運用の管理に関する規程」案を提出した。同宗の今後の資産運用の基本方針を決めるもので、安全性などについて議論を呼びそうだ。

 「同規程」案では、運用可能な資産を流動資産の現金・預貯金、また固定資産のうち「基本財産」「その他固定資産」の預貯金・有価証券、「特定資産」(退職手当引当資産等)と規定。財産目録(平成24年度決算期)で金額を見ると、対応する流動資産は「約9億円」、固定資産は「約96億円」に上る。

 運用の基本方針は「複数の金融機関及びリスク特性の異なった金融商品に分配する」「安全な金融商品により保管及び運用を行う」と定めながらも、「運用収益の最大化を図り、効率的な資産の調達に努める」と積極的姿勢も打ち出している。

 運用できる金融商品も定め、流動資産は普通・定期の預貯金、固定資産は定期預貯金の他、「日本国債」「地方債」「特別債」「政府保証債」「財投機関債」、またリスクの高い商品も含まれる「社債」「外国債」「投資信託」「金銭信託」も可能にしている。

 ただ、金融商品の取得については「資産運用管理委員会(財政委員会委員2人と資産運用の識者3人以内で構成)の決定した格付機関2社により、A格以上の格付けを得ている発行体のものを原則とする」とし、基本財産を運用する場合は「定期預金並びに日本国債及び地方債に限る」と制限も付けた。

 「資産運用管理委員会」開催のため今年度一般会計を補正して、約67万円も新規計上した。

 浦野瑞明財務局長は議案説明で「投機的運用は断じて行ってはならないし、常に規制していかねばならない」とした上で「安全性を最優先しながら運用効率の最大化を求めることを目標に(略)資産運用におけるガバナンスを明らかにするもの」と強調した。

 豊岡内局の提出議案は一般・特別会計の決算案1件、補正予算案3件、宗綱・「浄土宗」規則改正を含めた宗規関係議案17件の合計21件。

 監正審議会を改め、より独立性を高めた「監正委員会規程」案も提出された。会期は4日まで。

2013/10/3 鎌倉新書 なぜ売れてるの?ヒットした永代供養墓に学ぶ


狭小地に作られた道往寺の「高輪庭苑」檀家離れといわれるなか、新たなつながりを生み出すため永代供養墓の建立をすすめるお寺も多いが、その集客力には差が生まれている。「なぜ、このお寺のお墓が売れるようになったのか?」。


 実際に集客が順調にすすむ永代供養墓を建立した寺院に学ぶ勉強会が10月28日と11月19日に開催される。共に午後2時から。主催はお墓や葬儀など供養に関わるポータルサイトの運営やビジネス情報誌を発行する株式会社鎌倉新書。


 今回の勉強会の会場となるのは東京・港区の道往寺(高輪2―16―13)。同寺は今年3月に「都心の樹木葬」をコンセプトにした「高輪庭苑」を開苑。墓石ではなく、菩提樹やバラなど草木を中心とした1~4人用の永代供養墓として人気を博している。約半年で完売目前、10月には第二期区画もオープンするという。


 都心でもあり墓苑は駐車場3台分の狭小地。巨額な投資による最新設備があるお墓でもなく、安売りする永代供養墓でもない。では「高輪墓苑」はなぜヒットしたのか。勉強会では道往寺の協力を得て、売れるポイントとなった「コンセプトと実行力」を学ぶ。これから永代供養墓の建立を考えるお寺はもちろん、今ある永代供養墓の集客に悩む人にも必見。


 定員20人、参加費5千円。申し込みはFAX(03―3662―2259)またはWeb(https://www.kamakura-secure.com/teraben/)の申し込みフォームから。締切りは10月開催が同15日、11月開催が同5日まで。問い合わせは鎌倉新書寺院事業部(☎03―5643―5951)へ。

2013/10/10 立正佼成会開祖入寂会 次代会長、式年遷宮を報告


式年遷宮の参列報告をする庭野次代会長 立正佼成会(庭野日鑛会長)は庭野日敬開祖(1906~99)の祥月命日の4日、東京・杉並区の大聖堂に全国から会員約3600人が参集し、「開祖さま入寂会」を執り行った。式次第にはなかったが、庭野光祥次代会長による伊勢神宮「式年遷宮」の参列報告もなされた。

 庭野次代会長の報告では、会の代表として40年前に庭野開祖が初めて式年遷宮に参列し、20年前には庭野開祖と庭野会長が参列したことに触れ、当時の地元教会の会員が参列に際して尽力したことや、実際の式典の様子を紹介した。

 式中は日が落ち、暗闇の中であまり様子が分からなかったが、「御神体の中身が何であるのか、それが本当に尊いとか尊くないとかではなく、尊いと思う心が尊いものを尊くすると教えて頂いた」と語り、普段の修行においても大事なのは、自らの心であり、「ありがたいとか、ありがたくないとかあるのかもしれませんが、ありがたいと思う心がありがたいものを作るし、幸せだと思う心が幸せを作ると改めて教えていただいたように思います」と話し、参列したことに感謝を示した。(続きは紙面をご覧ください)

2013/10/10 築地本願寺 宗務長に北畠晃融氏 不二川氏の辞任受け


 浄土真宗本願寺派の直轄寺院・築地本願寺の不二川公勝宗務長が1日、任期半ばで辞任し、後任に前中央仏教学院長の北畠晃融氏が選ばれた。任期は1日から2年間。

 規定により住職である大谷光真門主と園城義孝総長が相談の上、保滌(ほてき)祐尚氏(滋賀教区犬神南組金蓮寺)とともに北畠氏を候補者に指名。同日開かれた評議会で満票の7票を獲得し当選した。

 北畠氏は昭和22年5月生まれ、66歳。自坊は東北教区山形組(山形県河北町)阿弥陀寺。平成13年9月から21年3月まで中央仏教学院長を務めた。

 なお、執行部の宗務室を構成する副宗務長には林安明氏と藤井純惠氏を再任した。

2013/10/10 31年ぶりに復活蘇演 黛敏郎のオラトリオ「日蓮聖人」



約1000人の聴衆が幻の名曲に感動した日蓮宗本山藻原寺の日向聖人七〇〇遠忌事業の一環として6日、茂原市民会館で日本を代表する作曲家・黛敏郎(1929~97)のオラトリオ「日蓮聖人」が31年の時を超えて復活蘇演された。持田日勇貫首の悲願が達成され、音楽愛好家も希有な機縁に巡り合えた。

 オラトリオ「日蓮聖人」は、元々は1981年に迎えた大聖人七百遠忌記念事業の一つとして日蓮聖人門下連合会が委嘱したものだった。これを企画した1974年当時の日蓮宗総務課長が持田貫首。国柱会の積極的な協力もあり、5年の歳月をかけて完成。初演は1982年4月22日、新宿文化センターだった。

 ところが長い間再演されなかった。この間、日蓮宗をはじめとする連合会教団では様々な大法要などを行っていたにもかかわらず。理由の一つには、オーケストラの変則四管に加え合唱団、ソプラノ、バリトン、朗読、さらに団扇太鼓が加わるというきわめて大規模な編成がある。今回もおよそ250人の出演者になった。演奏時間も全5楽章で2時間弱。気軽に演奏できるものではない。

 もう一つ、楽譜の所在が不明ということもあった。第1部から第3部までの総譜は、黛の遺族が明治学院大学図書館附属日本近代音楽館に寄託していたが、第4・5部は見つからず。これは日蓮宗宗務院に保管してあったパート譜から復元。声楽のピアノ伴奏譜も作製することになり、この発掘・復元作業に約1年も費やした。この作業は洗足学園音楽大学客員教授の安彦善博氏に依頼した。

 当時の関係者の多くが泉下の人となる中での復活蘇演は困難を伴ったが、持田貫首にとっては宿望だったのである。

「日蓮もの」の一つの頂点

 作詞は西川満(1908~99)。大聖人の生涯を、誕生から清澄・比叡での修行、立教開宗と様々な法難、入滅まで御書の引用を縦横に交えながらドラマティックに描く。これを黛が独特の闘争的重低音と厳粛なメロディで余すところなく音楽化。現代音楽特有の難解さはほとんど見られず、むしろオラトリオという西洋宗教音楽の手法を、団扇太鼓・題目という日本らしさと真っ向ぶつかり合わせた辺りに実験精神の発露がある。勇ましく哀感ある朗読(一龍斎貞花氏)が入っていたり、襲撃場面をコル・レーニョ(弓で弦を叩き特殊な雰囲気を出す奏法)で表現する辺りは、浪曲の影響もあるかもしれない。日朗ら弟子はソプラノ(薗田真木子氏)で歌われ、大聖人はバリトン(原田圭氏)の貫く声だ。立教開宗の場面で「南無妙法蓮華経!」と雄叫びが響くと、聴衆は思わず手を合わせた。

 今回、管弦楽を担当したのは市民オーケストラである茂原交響楽団。決して有名な楽団ではない。しかし舞台挨拶で持田貫首が「茂原の人々の手で、茂原の地で再演を果たしたかった」と語ったように、これが茂原の地で茂原の人により演奏されたことには大きな意味がある。土田政昭氏による指揮で見事に統制され、アマチュアの域を超えた名演となった。このために一般から集められた合唱団と立正大学グリークラブの合唱も、中川知夫氏の指揮で曲全体をがっちりとまとめた。クライマックスでの自我偈と題目は圧巻。谷中・堀之内学寮生による団扇太鼓も激しくホールを揺さぶった。

 本作こそ能からプログレッシヴロックに至るまで多数ある「日蓮もの」の金字塔の一つであろう。19日には東京のすみだトリフォニーホールでも公演が行われる。現時点ではライヴを商業的にCD・DVDにする予定はないとのことである。

2013/10/10 禅文化2団体が記念大会 中国天童寺の誠信法師が講演


誠信法師(中央)を導師に営まれた中国式の法要 曹洞宗の禅文化洞上墨蹟研究会の10周年と、昨年発足した国際(日中)禅文化交流協会の設立を記念する合同大会が7日、東京・芝の曹洞宗檀信徒会館(東京グランドホテル)で開催された。道元禅師が修行した中国・天童寺住職の誠信法師が講演し、「中日両国は一衣帯水、曹洞宗風も一脈相承」と述べ、さらなる友好交流を祈念した。宗門役職者や会員ら180人が参集した。

 禅文化交流協会の近藤良一副会長が「最近、隣国との関係がぎくしゃくしている。願わくばこの催しを通じて禅文化の共通理解と友好のきっかけを見出す機会になれば」との挨拶と、鈴木潔州大会実行委員長の歓迎スピーチで開幕。

 国際(日中)禅文化交流設立慶祝法要では、天童寺住職を導師に寧波市仏教会の訪日団が出仕して中国式で営まれた。導師の所作は曹洞宗と近いものがあるが、三拝は一拝ずつゆっくりと時間をかけて行われた。

 続いて禅文化洞上墨蹟研究会の10周年と物故会員供養法要が吉岡博道会長を導師に営まれた。物故者法要では、初代会長の田中一義氏、3代会長の清水琢道氏らを追悼し、有縁者が焼香した。

 記念講演は、最初に誠信法師が「天童寺と日本曹洞宗の悠久たる禅文化の交流史」と題して話した。唐宋時代からの日中仏教交流史を紐解き、とりわけ曹洞宗と縁深い天童寺については「中国曹洞宗黙照禅の発祥地であり、日本曹洞宗の重要な祖庭」と位置づけた。如浄禅師から法を授けられた道元が日本曹洞宗を開いたことにも言及し、「天童寺が日本仏教に与えた影響は非常に大きい」とした。

 日本側は、国際(日中)禅文化交流協会の大谷哲夫会長(元駒澤大学総長)が「正法眼蔵『嗣書』の巻と『嗣書』について」と題して講演。道元禅師が如浄禅師から正伝の仏法を受け継いだが、この「嗣法」とそれを示す「嗣書」の重要性を道元禅師の歩みと共に解説。「道元禅師は、曖昧模糊としたさとりの実態が、釈尊から嫡々相承して伝えられてきたという事実が『嗣書』という形にまで現実化され具体化されていることに深く感動している」と述べた。

 レセプションでは、誠信法師が乾杯の発声を行い、両国代表が次々にスピーチし交流を深めた。

2013/10/17・24合併号 第23回中村元東方学術賞 丸井東大教授に


インド大使館で行われた授賞式の様子 (公財)中村元東方研究所とインド大使館共催の第23回中村元東方学術賞を、東京大学大学院の丸井浩教授(インド哲学)が受賞し、その授賞式がインド大使出席の下、東京・千代田区のインド大使館で行われた。

 前田専学理事長は、審査報告で「インド哲学、とくにニヤーヤ学派とヴァイシェーシカ学派の領域における斯学へのご功績は、まことに輝かしいもの」と研究を評価。

 さらに、インド哲学研究の発展に寄与する若手研究者の育成や、日本学術会議の幹事として日本の人文・社会科学全体への貢献、国際学会での活躍を挙げたほか、特に9世紀末にカシミールで活躍した文人ジャヤンタ・バッタ研究においては、徹底的な原典分析と新知見を世界に発信してきたことに触れ、受賞に敬意を表した。

 祝辞では、名古屋大学大学院の和田壽弘教授が丸井教授と同時期にインドに留学していた縁から親交が始まったことを披瀝。その当時の写本研究は極稀で、留学中に丸井教授が執筆していた論文を拝見した時に「当時から写本について、このような厳密な研究ができる人がいるのかと驚いた。私たちの世代のフロントランナーだ」と祝した。

 丸井教授は受賞の御礼を述べるとともに、自身の研究人生の中で大きな転機となったインド留学を懐古。生のサンスクリットに触れ、多くのインドの人々と邂逅した当時を「一番感心したのは、こちらが質問すると、そこから議論が始まることだった。生きた哲学がある国だと感じた」と振り返った。

 多様な哲学と宗教がせめぎ合うインドの論理学は、「お互いのポジションを守りながらも共生していく一種妥協の論理でもある。ここが現代の状況の中でも素晴らしいところ。宗教の違いがあっても冷静に議論ができる。これはなかなか世界では見られない」と分析。

 急速に発展する現代のインドについては、「科学技術や経済発展の限界がどこにあるのか、そこを見失いかねない」との不安を語り、原発事故など、現在の日本がいち早く科学と経済の発展による矛盾に直面していることから、インドに対して「インド哲学の教えているところを逆に伝えられるのではないか」と研究の恩返しにも触れていた。

 授賞式に先立ち、新たに作られた東方学院の学院歌「慈しみ」を作曲者の伴奏で初披露。「慈しみ」は、美しい旋律の中に謙虚さが表現された楽曲で、詞にスッタニパータの中村元氏の訳を採用。曲をオペラユニット「LEGEND」のピアニスト、中村匡宏さんが作曲した。気鋭の声楽家の小堀勇介さんが独唱し、授賞式に花を添えた。

2013/10/17・24合併号 天台特別学術賞 米国とフランスの学者に

半田座主を中央にグローナー氏(前列左)とロベール氏天台教学に関して顕著な研究業績のあった学究に贈られる天台特別学術賞の第1回授賞式が9日、滋賀県大津市の天台宗務庁で行われ、半田孝淳座主からポール・グローナー氏(バージニア大学宗教学主任教授)とジャン・ノエル・ロベール氏(コレージュ・ド・フランス教授)に表彰状が親授された。

 半田座主は両氏の優れた研究業績が天台教学の世界的な認知度を高めたことに謝辞を述べ、「仏教界のためにご活躍をお願いいたします」と祝福。菅原信海・勧学院院長は、「受賞者の選定にあたっては、勧学院において慎重に審議した結果、全会一致で決定いたしました」と経緯を語った。

 グローナー氏は「夢にも特別賞をもらうとは思わなかった」と感想。「仏教で私が大好きな言葉は『善知識』。学問は一人ではできません。天台宗の学者・お坊さん、学会の友人に心から感謝申し上げます」と感慨深そうに話した。ロベール氏は今後の研究活動への抱負を語った。

 続いて、大津プリンスホテルで記念講演祝賀会が開催された。

 グローナー氏は、「慈恵大師との出会い」と題して講演し、教育者としての慈恵大師の姿と自身の半生を重ね合わせた。

 ロベール氏は「天台学との出会い」をテーマに話し、「新しい世界観に導いてくれた」と回想。少年時代の漢字との出会いから日本仏教の研究に至るまでの道程を振り返り、「平安時代の主な文学・宗教の背景にあったのは、法華経と天台宗だった」と話した。

2013/10/17・24合併号 大谷派宗会 里雄総長を再指名 真宗教化センター準備など表明

 真宗大谷派宗議会議員選挙を受け、同派宗会臨時会が10・11日、京都市下京区の宗務所で開かれた。規定に基づき里雄(康意)内局が総辞職した後、総長指名選挙が実施され宗議会の過半数を占める真宗興法議員団(以下、興法)代表、里雄宗務総長が昨年10月に引き続き再指名された。里雄総長は2年後実動する真宗教化センターの万全の準備、親鸞仏教センターの強化拡充、2年間6回の教化伝道研修を進めていく考えを表明した。(続きは紙面をご覧ください)

2013/10/17・24合併号 台風26号 伊豆大島に甚大な被害 被災寺院は本堂や境内に泥が堆積



大島町元町大金砂地区の妙安寺境内にたい積したがれき。本堂も被害をうけた17日早朝、 土石流の発生現場である大金沢へ向かった。


 山津波、としか言いようのない惨憺たる現場である。幅約100メートルほどの広さの土砂がえぐられて、なくなっていた。場所によっては、いまもくるぶしのうえまでのめり込むドロ沼になっている。


 亀裂のように深くえぐれている筋は、水が流れた跡だ。ところどころ、バラバラになった家屋の残骸や流されてきた樹木が山のようになっている。何かに引っかかって、堆積したのだろう。

 破れた建材や樹木から、強烈な木の香りが漂ってくる。鍋や食器、布団や車など、ここに集落があり、人々の生活があったことを示す品々が散乱している。


 自衛隊員たちが、「誰かいませんか!?」と大声で呼ばわりながら、ローラー作戦で行方不明者を探す。消防隊の一団が、沢を登ってゆく。
 母親を亡くしたという女性が、マスクをかけ、黙々と遺品を拾っていた。母親が住んでいたのは、もっと上の位置だったという。足元に転がる壁掛け時計は、2時50分で止まっていた。


 犠牲者の家族が何人か、現場を歩いていた。興奮して叫ぶ人、放心した人など、表情と行動は様々だった。



土石流によって押しつぶされた時間と思われる2時50分で止まったままの時計16日のうちに、高齢の女性が土から顔だけ出した状態で発見された。しかし、土砂と瓦礫に埋まった状態であり、警察による救出作業は難航。作業は夜を徹して行われていた。昨夜は意識はあったというが、その後衰弱。医師による救命措置も行われたが、17日朝には医師の姿はなかった。警察官たちの丁寧な作業は、いかに体を傷つけずに「救出」するかということに主眼が置かれているのは明白だった。昼過ぎ、救出の場はブルーシートで囲まれた。


 遺体安置所となった大島町町営斎場は厳重な警戒体制が取られ、関係者以外は立ち入り禁止。ただし、部屋の外に焼香場が設けられ、銀色の大きな香炉が置かれていた。焼香場には報道陣は入れなかった。


 大島の島民によると、「我々は、三原山の噴火や津波、台風の風には備えていたんだ。台風のときは家の中にいるのが安全と教わってきたし、実際、安全だった。それがまさか土石流なんて……想定外だよ」。大島ではこの半世紀あまり鉄砲水は起こっていない。


 しかし、14日から降り始めた雨は、15日にはかつて経験したことがないほどの強烈な雨脚になり、今回の土石流へとつながった。土石流は元町港へ達し、一部は海にまで押し出された。島内ではあちこちでがけ崩れが発生した。

被災寺院


 島内寺院では、大金沢沿いの妙安寺(日蓮正宗)が被災。建物の形は残ったが、本堂や廊下、母屋、庭は10〜25センチの泥に埋まっていた。仏具は残っていたが、泥水をかぶったものが多いようだ。建物が残ったとはいえ、復旧までには、多くの人間の手が必要と思われる。


 住職は、信徒の家に避難していた。取材の申込の電話をすると、疲れ切った声で「今は時間的に余裕がないので……寺には住めないから」と告げられた。


 多くの檀家が亡くなったものと思われる。


 犠牲者を出さないまでも、家財一切を含めた家屋を突然失うだけで、人々の心には深い傷が残る。多くの被災者たちは現在、役場で避難生活を送っている。【報告・太田宏人】

2013/10/31 總和会全国大会 会長選制度、当面変えずか



遠忌を前に和合和睦を掲げ進行した全国大会 曹洞宗の總持寺系宗政会派である總和会の第22回全国大会が21日に東京・港区の曹洞宗檀信徒会館(東京グランドホテル)で開かれた。昨年の会長選挙と臨時宗議会以降、佐々木孝一宗務総長と鬼生田俊英会長の「二頭政治」状態にあるが、2年後の總持寺二祖峨山韶碩禅師650回大遠忌を控え、昨年の大会ほどの緊張の場面はなかった。

 總持寺の江川辰三貫首は祝辞で大遠忌に向けて「和合和睦」の心を強調。鬼生田会長は多々良学園裁判の判決を「危惧した通り宗門の不利益を伴う判決」と指摘。一方で自身が事業部長を務める東京グランドホテルの経営面を「不況の波を返し、オリンピックに向けて万全の対応をして参る」と抱負を述べた。さらに時代に沿った宗制・總和会会則を検討しているとも語った。

 山務・宗務・会務の各報告に続いての意見発表と質疑応答では、群馬・仁叟寺の渡辺啓司氏が会長選出について選挙権者の資格も含めしっかりした制度の策定を要望。さらに会長(2年)と宗務総長(4年)の任期のズレにも言及した。

 これに三吉由之理事長は選挙制度は四部会での審議がなされていることを述べつつ「どのような選挙方法であろうが、結果を重視しなくては意味がない。制度を変えることで得ることもあろうが失うこともある」「現行の任期2年は絶えず民意を汲み取るという意味がある。来年は宗議の改選であり、総長も有道会に代わる」と、拙速な変革は好ましくないという意向を示した。

 旧多々良学園問題に関しては地元山口県の大庭諦道氏(智光寺)が質問。裁判に直接関係あるかは分からないと留保しつつ「明治4年に開校して以来の名簿などは宗門にとって決して紛失してはならないものだと思うが、それが今どこにあるのか」と迫った。坂野浩道総務部長は「私の方でははっきりとは分からない。あるとすれば(多々良学園を買収した)高川学園ではないか」と返答した。これに不満を持った大庭氏との間で押し問答になったが、最終的には佐々木総長が「歴史あるものをポイと捨てることはありえない。裁判が終結しだい、しっかりと対応する」と抑え、三吉理事長もフォローして収まった。

 北海道支部青年会の会長を務める東照寺の有田昭宗氏は全国の各支部でも青年部を作ってほしいと要望した。会議終了後は愛知学院大学の佐藤悦成教授が「相承―峨山禅師の御生涯」と題した記念講演を行った。

2013/10/31 庭野平和賞30回記念シンポ GNHから未来を展望


初日(23日)、ブータン王国のドルジ氏が基調講演。国内外から約130人が参加した  庭野平和賞30回を記念して公益財団法人庭野平和財団(庭野欽司郎理事長)は23・24両日、東京・有楽町の日本外国特派員協会でシンポジウム「未来社会のための新しいパラダイム」を開催。自然との共生や持続可能な開発をめざし、GDP(国内総生産)に代わる指標としてGNH(国民総幸福)を採用しているブータン王国の代表と日本の哲学者が基調講演。国内外の観点からパネルディスカッションも行われた。シンポには歴代受賞者を含む約130人が参加した。 

 開催にあたり財団名誉会長の庭野日鑛立正佼成会会長が歓迎の挨拶。平和賞の歴史とGNH=国民総幸福に言及しながら、「戦後日本は世界でも有数の経済大国に成長した。しかし生活全般にかかわる満足度調査によると『満足である』『ほぼ満足である』は、10人中4人に満たないという。経済的利益や合理性ばかりを追求する、あるいは競争して人より優位に立とうとする、そうした従来の価値観には根本的な課題があることを示している」とシンポでの議論を期待した。

 初日の基調講演は、ブータン王国中央政府情報通信次官のダショー・キンレイ・ドルジ氏が「GNHに喚起された開発のパラダイム」と題して行った。GNHについて「幸福とは、移ろいゆく喜びや楽しさ、興奮などではなく、深くて薄れることのない満足度のこと」と定義した。たた、単に幸福(ハピネス)にとどまらず、広範囲な意味を持つウェルビーイング(健康、快適さ、満足などの意味)であるとした。

 2日目の基調講演は哲学者の内山節・立教大学大学院教授が「日本の農村から未来を創造する」と題して話した。東京と群馬県上野村に住む内山氏は、都市と農村の関係について体験をまじえて紹介し、日本の伝統的な価値観や相互扶助的な地域社会(共同体)を再評価した。

 基調講演をうけて、初日のパネル1「GNHと未来社会の構想」では、ブータンの取り組みを柱に国際的な視座から討論が進展。2日目のパネル2「未来社会を目ざした実践」では、内山氏が加わり日本の自治体や被災地の取り組みなどが紹介された。

 庭野平和賞受賞者らが討論したパネル3「宗教の視点から」では、各地の宗教者の取り組みや宗教協力・宗教間対話の重要性が強調された。だが一方で、ミャンマーの急進派仏教徒とロヒンギャ族(イスラーム)の対立について「宗教の自由、人権の問題が関わっている」との指摘もなされた。

2013/10/31 全日本仏教徒会議高野山大会 仏教の智慧が地球を守る


大会長の松長有慶管長が開会挨拶。全仏教徒に環境問題への取り組みを呼びかけた 第42回全日本仏教徒会議「和歌山・高野山大会」(主催=和歌山県仏教会/高野山真言宗・総本山金剛峯寺/公益財団法人全日本仏教会)が16・17両日、和歌山県高野町の高野山大学黎明館を主会場に開催された。昭和28年8月の第1回大会以来の和歌山県大会であり、高野山大会でもあるという記念すべき今大会。「宗教と環境 自然との共生」をメインテーマに、2日間でのべ800人が参加し、合同法会やシンポジウムなどを通して環境問題への取り組みを考えた。世界遺産・高野山の信仰環境の中で心身を癒す森林セラピーなど、様々な体験プログラムも実施された。(詳細は紙面をご覧ください)

大会宣言

 私達のいのちは自然環境と密接不可分の関係にあります。私達人間の心が垢(よご)れればそれに従い環境は垢れ、逆に環境が調和を保てば、それに従い私達の心も落ち着き、朗らかになってまいります。

 第二次大戦以後、驚異的な科学技術の進歩により私達は物質的に豊かな生活を享受してきました。しかしその原資は地球上の有限な資源であるにもかかわらずそれらを湯水の如く消費し、枯渇の危機を招き、あまつさえ近未来には海底資源まで触手を延ばそうとしています。

 最近発表されたIPCC(気候変動に関する政府間パネル)報告書でも地球温暖化の進行は人為的原因によることが強調されています。自然環境にも危機的な状況をもたらし、オゾン層の破壊、海面の上昇、干魃、ゲリラ豪雨等により世界的に甚大な被害を蒙っているのは、その顕著な例であります。また急速な工業化による深刻な大気汚染が常態化し、人々の健康を蝕む事態をも招いています。

 私達は、東日本大震災という未曾有の大惨事を経験いたしました。とりわけ原子力発電所の放射能汚染の影響もあり、被災地の復旧は遅々として進まず、大自然の脅威の前に如何に人間が無力かを痛感させられました。この大惨事は日頃の生活を根底から見直し、物質的に豊かな生活よりもさらに大切なものがあることに気づかせてくれる、自然からの警告であります。石油、石炭などの化石燃料も、過去に存在したいのちが悠久の時を経て私達に恩恵を与えてくれております。しかしそれらは有限です。私達の時代だけで枯渇させることなく、未来にも残し伝えねばなりません。

具体的な取り組みの事例も紹介されたシンポジウム 便利で快適な生活を求めるのも根源的な生命力としての欲であります。しかしその欲を我欲にとどめず、質を変え他の命を生かし、大切にするために使う利他の行動が現代に求められています。

 私達は自然から大きな恩恵を受けているのも事実であります。古来より日本人は森羅万象の中に聖なるものを見出し「神・仏」として崇拝し、保護し、共存してきました。その智慧を共有する仏教各派が釈尊の教えの下に一致団結し、叡智の科学とも手を取り合い、日本ひいては世界中にその思想を発信し、さらなる環境破壊を阻止すべく自然との共生の実現を誓い大会宣言と致します。

平成二十五年十月十七日

2013/11/7 全日本仏教婦人連盟 公益社団法人移行・新会長就任で盛大に第60回記念大会


初の大会となった東伏見会長が就任の挨拶で「社会に貢献を」と抱負 公益社団法人全日本仏教婦人連盟(全仏婦/東伏見具子会長)は10月25日、東京・千代田区のパレスホテル東京で第60回記念大会を開催した。今年7月に就任した東伏見会長も出席し、創立年から60年にわたる国内外での社会福祉活動を振り返ると共に、今春に移行した公益法人として更なる運動の拡充へと思いを新たにした。会員や来賓約200人が参集した。

 第一部では全仏婦名誉会長の鷹司誓玉・浄土宗大本山善光寺大本願法主を大導師に公益財団法人全日本仏教尼僧法団が出仕し法要を厳修。鷹司法主の垂示では社会福祉へ貢献してきた活動を評価し、さらに女性の特質を行かした運動の発展を願い、「お互いに相手の仏性を拝みあい、日常の些細なことにも助け合っていく優しさの実践」を念じた。

 初の大会となった東伏見会長は「記念すべき年に会長という重責をお引き受けし、大変身の引き締まる思い」と挨拶し、これまでの連盟の活動に敬意を表した。また地球温暖化をはじめとする様々な問題に触れ、「孫たちの世代に綺麗な地球を残していく」ことの責務に言及。「これからは皆様と一緒に現地に赴き、色々なことを知り、社会に貢献していけるよう心から頑張りたい」と決意を示した。(続きは紙面をご覧ください)

2013/11/7 日蓮宗大荒行始まる 法華経寺、3割減の102人に


必死に読経する入行僧(法華経寺) 日蓮宗(渡辺照敏宗務総長)の「寒一百日」大荒行の入行会が1日、千葉県・市川市の中山法華経寺(新井日湛貫首)の日蓮宗加行所(工藤堯幸伝師)と遠寿院荒行堂(戸田日晨伝師)でそれぞれ厳修された。




 日蓮宗加行所は、前年度(入行者数145人)より3割減の102人(参籠5人、四行3人、三行34人、再行27人、初行34人)が入行した。(続きは紙面でご覧ください)

2013/11/7 高野山真言宗第三者委員会が追加報告 総長公室費の闇に迫る


宗会に続き支所長会議(10月18日・宗務所)でも、法的措置を取ることに拍手で賛同の意が表された 前・庄野内局の不透明な財政全般の調査を進めている高野山真言宗(添田隆昭宗務総長)の第三者委員会(代表=釘宮正徳公認会計士)では、新たに追加報告書を全国宗務支所長会議(10月18日・金剛峯寺宗務所)で発表した。前内局が機構改革の第一として平成19年4月に創設した宗務総長公室の経費が、年を追うごとに不自然に膨張していった事実を指摘。前内局は宗政の透明性・公開性を標榜する一方、自ら新設した総長公室を隠蔽性・秘匿性の〝道具〟として利用していた実態が浮かび上がった。

 総長公室費は、19年度1172万円、20年度4010万円、21年度3552万円、22年度5279万円、23年度5139万円、24年度7091万円で推移。平成19年から6年間、本山(宗教法人金剛峯寺)の財務見直しと高野山大学の経営再建を年間契約料5千万円超で請け負っていた経営コンサルタント三木事務所(三木清代表)への支払いも、契約とは関係がない総長公室を通して行い、しかも総長公室費からも契約料を支払い当初から負担していた。(続きは紙面をご覧ください)

2013/11/7 浄土宗 浦野瑞明財務局長に聞く 資産運用規程 その真意は


 先の浄土宗宗議会に「資産運用の管理に関する規程」が提案され一部修正の上、可決された。資産運用に失敗して損失を出す教団が相次ぐ中で浄土宗は意外にも同規程で積極的な姿勢も打ち出している。どういうことなのか。所管の浦野瑞明財務局長に宗議会で余り議論されなかった真意も含め聞いた――。

――今回「資産運用の管理に関する規程」を提案された趣旨をまずお願いします。

浦野財務局長 財政諮問会議が発展的に解消して昨年4月、財政委員会に改組されました。財政諮問会議はどちらかというと支出に軸足を置いていましたが、財政委員会では収入も支出も関係なしに議論していくことになり、資産運用も検討いたしました。

 もともと資産運用は内規で処理されていましたがそれではまずい。多額の資産を持っていますからそれなりの人に加わって見ていただかないといけない。内局が代わる度に運用が変わってもいけません。継続性が必要なので規程を作ろうということで、財政委員会の報告書と国が公益法人に示している運用モデルを参考にしながら浄土宗なりのものを作り上げたわけです。

 もう一つ根っこにあるのは浄土宗共済会です。資産の半分は共済会のものでこの運用(年2%を前提)をしっかりしないといけない。アベノミクスで物価が上がったりしますと資産価値が目減りしますから。(続きは紙面をご覧ください)

2013/11/14 天台宗 木ノ下内局が発足 愛山護法で宗務に邁進


 天台宗の宗務総長に、木ノ下寂俊氏(京都教区・京都市・方廣寺)が就任した。任期は平成29年11月10日までの4年間。12日には滋賀県大津市の滋賀院門跡「梅の間」で宗務総長任命式が挙行され、半田孝淳座主から新総長に任命辞令が親授された。木ノ下総長は「愛山護法の精神をもって、宗務を進めてまいりたい」と誓った。

 新内局の陣容は以下の通り(敬称略)。

総務部長=阿部昌宏(九州東教区・大分市・觀音院)法人部長=長山(おさやま)慈信(滋賀教区・東近江市・長壽寺)財務部長=田中祥順(群馬教区・前橋市・光巌寺)教学部長=中島有淳(神奈川教区・川崎市・等覺院)社会部長=角本尚雄(九州西教区・熊本市・長壽院)一隅を照らす運動総本部長=横山照泰(延暦寺一山・護心院)。

 半田座主は木ノ下総長と各部長に辞令を親授した後、新内局を祝福。「今、皆さんが緊張なさっているお気持ちを継続させて、天台宗の良い方向づけができるように持って行っていただきたい」と期待した。

 任命式後に会見が開かれ、木ノ下総長が所信表明。立候補時に掲げた公約①祖師先徳鑽仰大法会(平成24年~34年)の無魔円成と比叡山延暦寺・根本中堂の大改修②東日本大震災・原発事故からの復興支援の継続③平成29年8月に迎える「比叡山宗教サミット30周年」に向けての企画構築④人材育成のため、これから本格的に導入される教師研修会制度への善処⑤機構検討―を挙げ、これらに全力で取り組みながら宗務に反映させていく意志を示した。

 特に復興支援では、原発被災の長期化を懸念。「福島教区に通信員を派遣して、教区と宗派とが連携を密にしながら進めている」と述べ、今後も被災各県で「できる限りの援助ができる形を考えていきたい」と表明した。

 過疎寺院対策では「なるべく兼務は減らし、なるべく無住の寺院をなくしていく方策を考えてまいりたい」と話し、都市部での開教の可否についても「これから調査をした上で答えを出していきたい」とした。

2013/11/14 第1回アーユスNGO賞授賞式 JVC元代表熊岡路矢氏に


茂田理事長(右)から記念トロフィーを受け取る熊岡氏 仏教的観点から国際協力を考え、世界で活躍する非政府組織(NGO)を支援する特定非営利活動法人(NPO)アーユス仏教国際協力ネットワーク(茂田真澄理事長)が創立20周年を迎え、その記念シンポジウムとこの節目に新たに設けられた「アーユスNGO賞」の授賞式が5日、東京・品川区の日蓮宗本立寺で開催された。

 栄えある第1回の大賞(功労賞)は、日本国際ボランティアセンター(JVC)元代表の熊岡路矢氏が受賞した。

 同賞は、これまで日本の国際協力NGOで多大な功績のあったNGO関係者を表彰し、その功績を称えるもの。大賞には、賞状、記念トロフィー、賞金100万が贈られる。

 熊岡さんは、1980年代にタイに赴き、カンボジア、ラオス難民キャンプで救援活動に従事したのを皮切りに、日本の国際協力NGOの草分け的存在であるJVCの創設に関わり、長年にわたりカンボジア、パレスチナ、南アフリカ、北朝鮮など世界で支援活動に関与。1995年から2006年までは、JVCの代表を務め、日本の国際協力NGOの社会的地位向上に多大な業績を残したことが評価された。

 熊岡氏は、受賞の挨拶で、JVCの創立時を懐古。「当時はヒッピーズ、ドロップアウト、アウトサイダーとか言われていた。今、日本は変わってきたが、ただ当時の日本で新しいものを作っていくには、アウトサイダーであるしかなかったと思っている」と振り返り、アーユスの活動についても「仏教、宗教の世界でも確立されたものがあればあるほど、チャレンジするということは大変なことと思う」と共感。

 これまでの活動を語る中で、「私は講演中に泣くことは、ほとんどないのだけど」と話しながらも、万感の思いに涙で言葉を詰まらせる場面も。様々な出会いを導いた縁に感謝し、最後に「浄土に行く前にもう一花咲かせようと思っております」と語り、NGO関係者が集う会場から、惜しみない拍手が贈られた。

 今後の活躍が期待される新人賞(奨励賞)は、栗田佳典(NPO法人テラ・ルネッサンス国内事業部部長)、田丸敬一朗(NPO法人DPI日本会議事務局員)、丹羽寿美(NPO法人アーシャ=アジアの農民と歩む会事務局長代理)、原元望さん(NPO法人フリー・ザ・チルドレン・ジャパン事務局長)、山本裕子(NPO法人シェア=国際保健協力市民の会国内保健事業担当)の5氏が受賞。受賞者には賞状、賞金20万円が贈られた。

2013/11/14 緊急提言 特定秘密保護法案の闇(岡田弘隆)

東京・市ヶ谷の防衛省。軍事に関する情報の多くが特定秘密となる恐れがある 特定秘密保護法案の国会審議が始まった。特定秘密とは何かが曖昧なままだけでなく、適性評価など多くの問題を含んでいる。法案の問題点や宗教界の影響などを僧侶で弁護士の岡田弘隆氏に緊急提言いただいた。
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 安倍晋三首相が、アメリカの要求を受けて憲法改正によらずに「集団的自衛権」を容認する方向で「積極的平和主義」を打ち出し、日本版NSC「国家安全保障会議」の設置を目指しており、これに不可欠として「特定秘密保護法案」の審議が国会で進められている。国や地方自治体の情報をすすんで公開することが、自由な民主主義国家の基本と理解されてきたが、機密の保護は情報公開に逆行するものだ。

 そこで、今回提案されている「特定秘密保護法案」の問題点は何かを検討してみた。

 まずは「特定秘密」とは何かである。「その漏えいが国の安全保障に著しい支障を与えるおそれがあるため、特に秘匿する必要があるもの」を「特定秘密として指定する」とされている。この指定は行政機関のトップが行うという(3条)。ここで問題は、「著しい支障」かどうかの判断と「特定秘密」の判断は、完全に行政が握っていて、国家権力の最高機関である国会や裁判所ですらチェックできない仕組みになっていることである。

 これでは特定秘密の指定は際限なく広がりかねず、主権者たる国民の知る権利とは全く逆行するといわねばならない。しかも違反すると最高十年の懲役刑だという。仮に違反したとして裁判にかけられても、裁判所には「特定秘密」の指定に違反したと言うだけで、内容は裁判所でも開示されない。なぜなら開示が秘密保護に違反するからである。こうなっては、裁判で弁明の方法がないのと同じで全員有罪で刑務所に送られることになる。これではスターリン時代のソ連と同じではないか。

 次に大きな問題は、「適性評価」という制度を新たに設けるという(5章)。このシステムが恐ろしい。取りあえずは、この特定秘密を取り扱うとなりそうな者(公務員とは限らず、民間人を含む)について、「漏らすおそれがないか」を事前に「評価」するという。しかもその評価には、本人だけでなく内縁の配偶者や父母や子どもや兄弟姉妹(配偶者の父母や子どもまでを含む)まで徹底して調べると、法案には書いてある。個人情報を全部調べますというのと同じだ。

 しかもこの調査は警察が行うという。ということはこの法律によって、警察は新たな権限を取得して、国民をくまなく調査することが可能となることを意味する。これでは、かのソ連時代と同じ日本版KGBではないのか。いまの国会では、残念ながら自民党と公明党などが法案に賛成していて成立が見込まれている。しかし、野党から疑問や反対もあり、自民党でも村上誠一郎元行革担当相は「これが秘密だと恣意的に決めたら、誰が『それは違う』と言えるのか」「こういうふうに縛っていくのが果たして民主主義なのか。自由闊達な議論や情報交換ができないようでは、真の民主主義は育たない」と疑問を投げかけている(沖縄タイムス10月30日)。

 宗教界への波及であるが、世界宗教者平和会議(WCRP)や世界仏教徒連盟(WFB)などで、日本宗教者も国際的な交流と活動をしており、その際に日本の軍事情報などに言及すると、帰国したとたんに逮捕されるというような事態が起こらないか心配である。また適性評価という個人情報の調査は、仏教界が反対してきた身元調査にあたらないか。

 宗教界・仏教界からも、批判の声を早急にあげてほしいものである。
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 おかだ・こうりゅう/1946年東京生まれ。弁護士。都内の豊山派寺院住職を経て、08年沖縄山長谷寺を開山(糸満市)。現在、慰霊のための沖縄三十三観音霊場の開設に取り組んでいる。

2013/11/21 世田谷・曹洞宗実相院 盛大に多宝塔落慶


紅葉が美しい秋晴れのもと落慶した実相院多宝塔 東京・世田谷区弦巻の曹洞宗実相院(佐々木紀夫住職)に多宝塔が完成し17日、秋晴れのもと金沢・大乘寺の東隆眞山主を導師に盛大に落慶法要が営まれた。色づいた紅葉と寺院建築がマッチし参拝者や見学者らは写真に収めていた。

 近接する別院瑞松庵をお稚児さんを含むお練りが出発。ゆっくり30分ほど練り歩き、本堂に到着後には洒水勧請をうけた。

 お練りに連なった僧侶たちが本堂西側にそびえる多宝塔前に参集し、東山主を迎え落慶法要。東山主は塔中央に安置された本尊釈迦如来像に魂を吹き込む開眼法要を執り行った。三拝を重ねて落慶を祝した。続く読経の中を出仕僧侶、来賓、施工行者、檀信徒が次々に焼香し無事落慶を祝福した。

 法要後、導師を務めた東山主が挨拶。最初に秋晴れの中での落慶法要を寿いだうえで多宝塔の意味を解説。法華経の中にある見宝塔品を紐解き、多宝如来と仏さまの2仏が存在するという。経文にある「多宝如来の宝塔を供養すべし。時に娑婆世界変じて清浄なり」を紹介し、「多宝塔をご供養することによってガラリとチャンネルが変わるのです。清らかになるのです」と多宝塔の功徳を述べた。

 また曹洞宗寺院にある塔を列挙。山口県の瑠璃光寺五重塔、長野の安楽寺八角三重塔、広島の向上寺三重塔がありそれぞれが国宝に指定。東山主は都内では近くの豪徳寺と練馬の道場寺に三重塔がある。そして実相院多宝塔。この多宝塔も100年も経てば必ず国宝になるであろうと念じ祈ってます」と“国宝級”多宝塔を称賛した。

 佐々木住職は「周囲の景観を守りながらの建立でした。本堂のご本尊は薬師如来、多宝塔はお釈迦さま。お寺に来られた方はぜひ両方にお詣りいただきたいものです」と話した。

 多宝塔は、約10年前に佐々木住職が発願。構想を練り続け平成23年に地鎮祭が行われ、工事に着手。境内は緑が多く自然石を配置するなど本格的な日本庭園。多宝塔はそうした景観を意識した建築物となっている。木造屋根銅版平葺、高さ18・65メートル。建築・施工は株式会社翠雲堂(東京都台東区)。

2013/11/21 立部祐道第50世門跡が晋山 仁和寺興隆へ精進誓う


金堂へ向かう立部祐道・仁和寺第50世門跡 立部祐道・総本山仁和寺第50世門跡(真言宗御室派管長)の晋山式が13日、京都市右京区の同寺金堂で厳かに営まれた。立部門跡は本尊阿弥陀三尊に晋山を奉告し、仁和寺興隆と宗門発展に精進することを誓った。

 晋山式には御室派僧侶・檀信徒らのほか、真言宗各派本山の山主・重役、門跡の親族・知人ら330人が随喜参列。

 立部門跡は勅使門からお練りして入堂し、啓白文で本尊に晋山を奉告した上、「仁和寺の興隆、宗運の発展に精進し、以て法皇のご本願に酬い奉り本宗末徒の要望に応えんことを期す」と決意を表明した。

 法要後は真言宗長者の亀谷暁英隨心院門跡が「今回、門跡管長の猊座に晋山されたことはご当山の栄光はもとより全真言宗の喜び」と祝辞。南揚道前門跡、尾山壽英宗会議長も引き続き晋山を祝った。

 式後、山田啓二京都府知事、門川大作京都市長も出席して京都ホテルオークラ(中京区)で開かれた祝賀会で立部門跡は仁和寺を訪れる人に「私たちの教えの素晴らしさを是非学んでいただいて世界のリーダーに成長していただきたい」と希望を述べるともに、「一層の精進を積み重ねていく所存です。様々な困難があったとしても果敢に挑戦してまいりたい」と意気込みを述べた。

 立部門跡は昭和15年4月生まれ、73歳。出身は広島県尾道市。自坊は福岡県宗像市・別格本山鎮国寺。御室派総務部長、宗務総長などを歴任した。南前門跡の任期満了に伴う選挙で当選し、6月23日、就任した。任期は5年間。

2013/11/21 ダライ・ラマ14世来日 若手宗教者と対話



臨済・真言・カトリックの若手宗教者と議論 グリーフサポート団体一般社団法人リヴオン(尾角光美代表理事)の主催する「ダライ・ラマ法王と若手宗教者100人の対話―悲しみから希望を紡ぐ」が19日、東京・芝の浄土宗大本山増上寺で開催され、題名よりも多い200人超の宗教者と一般参加者が来日中のチベット仏教最高指導者であるダライ・ラマ法王(14世)のメッセージに耳を傾けた。法王は圧政下のチベットで起きている焼身自殺にも言及し、会場は息をのんだ。


 最初に、増上寺の八木季生法主が導師を務めて一山による法要。法王も本尊阿弥陀如来に向かって合掌と礼拝を捧げた。八木法主は「兵戈無用は人類の願いです」と、無量寿経の言葉で亡命中の法王を労わった。


 法王は講演では釈尊の悟りや四諦八正道など、仏教の基本的な摂理をやさしく語った。その後、臨済宗妙心寺派大禅寺住職の根本紹徹氏、真言宗智山派海禅寺副住職の飯島俊哲氏、カトリック・メリノール会修道女のキャサリン・ライリー氏と対話。


 この中で飯島氏は「私は保育園の副園長でもあります。もし暴漢が私の園に入ってきたら、私は暴力を用いて制圧するでしょう。しかし仏教徒としてそれは許されるのか。たとえ子どもを守るという動機だったとしても…」と苦悩を吐露。それに法王は「根本的に暴力か非暴力かは心の動機で決まります。外面的に非暴力であっても利己的な動機ならそれは暴力。逆に、外面的に少し暴力的であったとしても、内面的には相手を救いたい利他の思いだとしたらそれは非暴力です」と諭した。


 その上で飯島氏は「何故、非暴力のチベットの人が暴力的な国家によりこんなに苦しみを受けなければならないのでしょう。焼身自殺さえも起こっています」と質問。


 法王は「自分にとって一番大切な命を投げ出してでも世に問いかけるというのはとても驚くべき行為です。他者に暴力を用いないで自分に向けることで不条理を世に問う。これについてはとても心痛み悲しいことであります。しかし、政治的なことが原因で起きてしまう」と述べた。また、自身は2年前に政治的な指導からは引退していることも付言。


 法王は「70億の人間のうち10億人は無宗教なのです」とも述べ、そういった人たちとも愛と慈悲を分かち合うことの大切さを強調した。

2013/11/28 高野山真言宗神奈川大会 原発ゼロ、やればできる! 小泉元首相が講演


首相時代の経験を語り、現代の日本を論じる小泉元首相 高野山真言宗神奈川宗務支所(栗田紹伸支所長)主催の第21回檀信徒大会・東日本地区特別伝道神奈川大会「大いなる願い―いのち輝く明日へ」が19日、みなとみらい・パシフィコ横浜会議センターで開催され、千人超が参加した。小泉純一郎元首相が、「思うようには行かないのが人生!?」をテーマに記念講演。原発ゼロと自然エネルギーへの転換を主張し、「私は総理の時、原発推進だった。でも今は考えが変わった。『過ちを改むるにはばかることなかれ』と『論語』にちゃんと書いてあるじゃないですか!」と力強く言い切った。

「〝日本には資源がない。エネルギー源として原子力は重要だ〟ということで原発を推進してきた」と告白。「しかし、あの事故以来、自分なりに勉強した結果、〝原発は安全で、コストも一番安い〟なんていうのはとんでもない間違いだったと気づいた」と述べ、原発ゼロ社会の実現について「やればできる。日本人はそういう知恵を持っているんですから」と期待した。

 郵政民営化をめぐる衆議院の解散と選挙での圧勝劇を回想。「参議院では〝衆議院解散なんてできるわけない。たとえ郵政民営化賛成が多数出ても、参議院は何度でも否決してやる。解散なんて口だけだ〟と思っていた」と舞台裏を明かした。

 悲惨な戦争を繰り返さないと誓って平和国家を築き上げた結果、「世界で一番長生きできる国になった」と戦後の歩みを説明。「百歳まで生きる人が5万人を超えた。ところが最近、〝長生きすればいいってもんじゃない〟という声が目立つ」と小泉節で現代の世相を風刺した。

「実は高校時代までは本当に引っ込み思案だったんですよ。今でも本質的には引っ込み思案です」と打ち明けると、場内は大喝采。「政治家にはなりたくないと思っていたのに、総理大臣になっちゃうんですから。何がどうなるか、本当にわからないですよ」と語った。

2013/11/28 第9回WCRP世界大会 「他者と共に生きる歓び」



 第9回WCRP(世界宗教者平和会議)世界大会が20日から22日までオーストリアのウィーンで開催された。世界約100の国と地域から600人が参集。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)からの初参加が注目を浴びた。WCRP日本委員会からは、会長の庭野日鑛立正佼成会会長、理事長の杉谷義純天台宗宗機顧問、田中恆清神社本庁総長ら約40人が出席した。大会は総合テーマである「他者と共に生きる歓び」について全体会議や分科会で議論を重ね、今後の指針を盛り込んだ大会宣言を採択して閉幕した。


 初日の開会式では各宗教コミュニティーの代表が登壇し、「他者を歓迎」。各界代表がスピーチしたほか、潘基文国連事務総長、ローマ教皇のメッセージなどが紹介された。WCRP国際事務局のウイリアム・ベンドレイ事務総長は、「他者を歓迎する」ことは宗教コミュニティを含む社会を構成するグループの間で、平和を脅かす対立の高まりに対抗する手段であると述べた。


 全体会議では、総合テーマについて討議。今大会の協力団体であるKAICIID(アブドッラー国王宗教・文化間対話のための国際センター)の主任は、「他者とは、あなたとは異なる私のことか。それとも他者は我々の一部か?」と問いかけ、議論が進展した。


 全体会議を受けて、①紛争予防・解決、②正しく調和のとれた社会、③地球を尊重する人間開発、④宗教・諸宗教教育―の4分科会が断続的に開かれた。日本の宗教者は、事前に作成したメッセージに添って、原子エネルギー使用の倫理性、核兵器廃絶、貧困の撲滅、平和教育の重要性などについて発言した。


 最終日に採択されたウィーン宣言「他者と共に生きる歓び―宗教協力による平和への展望」では、「我々は、平和に対する諸宗教のビジョンの中核をなす『他者と共に生きる歓び』が急務であることの確信に基づき、深く認知され、幅広く共有される価値観に根ざし、共通の行動に挺身することをここに決意する」と表明。さらに人間の尊重やスピリチュアルな価値の促進、多様性受け入れの強化など、具体的な取り組み事項を列記している。


 日本委員会が強く主張してきた放射能汚染についても、「生きとし生けるすべてのものを守り、将来世代を守るために、核による被曝並びに汚染の脅威を訴える」が盛り込まれた。


国際事務総長を再任 日本の2氏名誉会長


 大会では国際委員会人事が審議され、ウイリアム・ベンドレイ事務総長の再任が承認された。日本関係では、半田孝淳天台座主と庭野日鑛立正佼成会会長が名誉会長に就任。田中恆清神社本庁総長と庭野光祥立正佼成会次代会長が共同会長に選任された。

2013/11/28 全日本仏教会次期会長に加藤精一豊山派管長


 公益財団法人全日本仏教会(小林正道理事長)は19日、京都市東山区の浄土宗宗務庁で理事会を開き、来年4月1日から始まる第31期会長に加藤精一・真言宗豊山派管長の就任など会長・副会長人事を承認した。豊山派からは、濱野堅照氏以来8期16年ぶりとなる。また公益社団法人全日本仏教婦人連盟名誉会長の鷹司誓玉・大本山善光寺大本願法主の副会長就任は、女性僧侶として初となる。

 理事会には15人の理事全員が出席。第31期会長・副会長推戴候補者選委員会によって候補者案が審議され、その結果が理事会で報告され、満場一致で承認された。

 次期会長のほか次期副会長は常磐井慈祥(真宗高田派法主)石田智圓(律宗管長)御木徳久(愛媛県仏教会会長・黄檗宗)鷹司誓玉(公益社団法人全日本仏教婦人連盟名誉会長)の4氏。

 女性副会長はこれまでに、全仏婦の山本杉氏(第17期)と二條恭仁子氏(第25期)がいる。ともに在家で、鷹司法主は女性僧侶として初めて就任する。全日本仏教尼僧法団は全日仏に加盟していないため、全仏婦枠から選ばれたようだ。

【第31期会長・副会長の略歴】
▽会長・加藤精一氏 昭和11年(1936)6月生まれ。現在大正大学教授。文学博士。真言宗豊山派総合研究院院長、総本山研修所教授などを歴任。昨年6月、管長、総本山長谷寺化主に就任。東京都功労賞、密教学芸賞、密教教化賞などを受賞。密教、弘法大師に関する著書多数。自坊は東京都練馬区の南藏院。
▽副会長・常磐井慈祥氏 昭和34年(1959)11月生まれ。学習院大学大学院修士課程修了。平成4年に真宗高田派本山専修寺(三重県津市)法嗣に就任し本年、第25世法主に就任。東方学院講師。
▽同・石田智圓氏 昭和10年(1935)7月生まれ。関西大学卒。唐招提寺執事、律宗宗務総長を経て平成23年(2011)律宗管長、唐招提寺第87世長老に就任。
▽同・御木徳久氏 昭和35年(1960)5月生まれ。近大卒。愛媛県仏教会会長、松山市仏教会顧問。自坊は黄檗宗安城寺。
▽同・鷹司誓玉氏 昭和4年(1929)10月生まれ。昭和35年(1960)、長野・善光寺大本願副住職に就任。平成9年(1997)に第121世善光寺上人となる。全日本仏教尼僧法団総裁を務める。

2013/11/28 日蓮宗宗議会議員選挙 女性議員が誕生


 日蓮宗の宗議会議員選挙が18・19の両日、各選挙区で実施され、次期宗会議員が出揃った。参与推薦議員2議席を除く全39選挙区43議席の内、17議席を新人議員が占めた。

 第36区で当選した松野蓮香氏は、現在の宗議会制度では、大内妙信氏(任期昭和44~52年)につぐ、日蓮宗宗議会史上2人目、36年ぶりとなる女性議員となった。

 議会は来月17日に特別宗会が招集される予定。翌18日の臨時宗会で総長選挙が実施される。(続きは紙面をご覧ください)

2013/12/5 特定秘密保護法にノー 宗教者が議員会館で緊急集会

国民の目・耳・口をふさぐなと訴える宮城管長「戦争する国をめざす秘密保護法に反対し、いのちを守ろう」宗教者アピール緊急集会が11月26日、永田町の衆議院第2議員会館で開かれ、特定秘密保護法が衆議院で強行採決に至るまぎわの緊迫の中、仏教とキリスト教を中心とした宗教者が断固反対の旗幟を鮮明にした。

 主催者の一人である本山修験宗管長の宮城泰年氏は戦争中の軍事教練の時のことを回想。「本当にこれで勝てるのかな、と呟いたら、教官は『おい、そんなこと聞こえるように言うな。しょっぴかれるぞ』と言いました。殴られはしませんでしたが。またああいう時代になってはいけない」と訴えた。日蓮宗僧侶の小野文珖氏は戦前、官憲に弾圧された新興仏教青年同盟の事績に触れ「先輩方の思いを忘れてはいけない。仏陀を背負いて街頭へ!」と檄を飛ばした。

 アピールは「私たち宗教者は、一般国民をも処罰し、人権を侵害する特定秘密保護法案の廃案を強く求めます」と主張。賛同人には臨済宗相国寺派管長の有馬頼底氏、全国青少年教化協議会事務総長の齋藤昭俊氏、立正大学学園理事長の古河良晧氏らが名を連ねている。会場には社民党前党首の福島瑞穂氏や民主党衆議院議員の辻元清美氏もかけつけ、宗教者にエールを送った。

 その後、宗教者は路上で廃案を求める「祈りの呼びかけ」を行った。

2013/12/5 ゆるキャラサミットに日蓮宗新聞社キャラクター「こぞうくん」


こぞうくんを見るなり合掌する来場者 自治体や企業をPRするゆる~いマスコットキャラクター。年々注目度も高まっている「ゆるキャラ」が集まる「ゆるキャラサミットin羽生2013」が11月23、24日に埼玉県羽生市で開催された。この会場には日蓮宗新聞のオリジナルキャラクター「こぞうくん」も初参加。こぞうくんを見るなり、笑顔や合掌する人が多く、人気を博した。


 今回のサミットには400体以上のキャラクターが集合し、昨年9月に東京で263体が集まった「マスコットの最多集合」ギネス記録を更新。「ゆるキャラ」人気は、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだ。


 こぞうくんは、ランキング登録をしなかったものの、会場で懸命にPR。見物客の中には、合掌するこぞうくんに合掌で返す人も多く、かわいい仕草の中に「但行礼拝」の精神が宿っていた。


 サミットの感想をこぞうくんは「合掌してくれたお友だちがいっぱいいたよぉ~、みんな仲良くなれる日は近いねえ」と話していた。


 ちなみに「ゆるキャラ」人気投票には全国から1580体が参加し、仏教界からも多数がエントリー。30年以上前から東京・亀戸の花まつりをお祝いしている「シャカメくん」(947位)、名前を募集中という京都・パソコン寺住職「ぽくちん(仮)」(1364位)、大船観音から生れた妖精?「大船観音のんちゃん」(973位)等々。仏教興隆のため今後も頑張れ!

2013/12/5 第35回世界連邦平和促進全国宗教者・信仰者大会 「鎮守の海」で心と森づくり


東京・杉並区の立正佼成会大聖堂で行われた第35回大会で、東日本大震災の犠牲者に祈りをささげる宗教者 世界連邦日本宗教委員会は11月28日、東京・杉並区の立正佼成会本部で第35回世界連邦平和促進全国宗教者・信仰者東京大会を開催した。約千人が参加し、「自然災害から受け継ぐもの―わたしたちは忘れません」をテーマに、震災を教訓にした宗教者・信仰者の役割を考察。宮城県気仙沼市で「森は海の恋人」運動を進める畠山重篤氏が「人間の意識が環境を変える」と強調し、「鎮守の杜、鎮守の海」の思想を提唱した。

 初めに名誉大会長の庭野日鑛・立正佼成会会長が挨拶し、災害の多い日本における祖先の歩みを「七転び八起き」の言葉から見出し、「転ぶ回数より、起き上がる回数が一つ多いのはくじけずに前進していくという気持ちを表している」と提示。宗教者・信仰者の役割にも言及し、「災害の経験を教訓として、よりよい社会や国家を築く先導役を果たす」「足るを知る精神を一人ひとりの心に根付かせること」を責務にあげ、「自然災害から受け継ぐ智慧と行動を」と呼びかけた。次いで神道・仏教・キリスト教・教派神道・イスラーム・新宗教の代表者が祈りを捧げ、東日本大震災の犠牲者を追悼し、被災地の復興を祈願した。

 大会基調講演は「人の心に木を植える」と題して『NPO法人森は海の恋人』の畠山重篤理事長が講演。気仙沼市で牡蠣や帆立の養殖を営む漁師の畠山氏は、森から流れる植物プランクトンが牡蠣を育むことから、落葉広葉樹の森づくりを始動。そのなかで森と海をつなぐ川の流域に暮らす「人々の意識をどう変えるか。人の心の中にいかに森を作るか」を提起。牡蠣の養殖体験を通じた環境教育の実践で、気仙沼市を流れる大川の水質が改善されていった体験から「人間の意識を変えれば、環境は変えられる」とも強調した。(続きは紙面をご覧ください)

2013/12/12 高野山大が大都市圏へ 中高年のニーズつかむ「19時からの仏教塾」


「19時からの仏教塾」の授業風景。受講者の中には仕事帰りの人も。「梅田なら通いやすい」と好評だ 高野山大学(藤田光寛学長・和歌山県高野町)が11月7日から毎週木曜日、大阪の中心部・梅田で開講している「19時からの仏教塾」(全15回)が好評だ。仕事帰りの人や中高年世代が午後7時から9時まで、自身のこれまでの人生やこれからの歩みを考えながら熱心に仏教を学んでいる。人口減少社会で大学入学者を増やすには、通いやすい大都市圏での授業展開が必要だ。同大は18歳人口だけにこだわらない幅広い世代の入学者の獲得に向け、改革の第一歩を踏み出した。

 JR大阪駅や阪急梅田駅、地下鉄各線などが交差する人口密集地に立つグランフロント大阪。1日平均10~20万人が利用する超巨大複合施設の7階のオフィスが週1回、高野山大学のサテライト教室になる。今月5日の講義は「初期仏教思想」。前谷彰教授が「釈尊は最高の幸せを求めて出家したんです!」と熱っぽく語ると、受講者は初期仏教の世界に引き込まれていった。(続きは紙面をご覧ください)

2013/12/12 本願寺派 法統継承半年前 御影堂門前に高札


宗派・本山役職者が綱を引いて法統継承式を告げる高札を除幕した(6日 西本願寺御影堂門前) 浄土真宗本願寺派の大谷光淳新門が第25代門主に就任する来年6月の法統継承式をちょうど半年後に控えた6日、同派は京都市下京区の本山御影堂門前に式を告げる高札を立てその立札式を執り行った。園城義孝総長は居並ぶ宗派・本山職員を前に準備を遺漏なく進めるよう要請した。式内容とその前日に御消息発布式、御譲渡式を執り行うなど両日の日程も発表された。

 高札立札式では園城総長が「高札を掲げますことは法統継承式を広くお知らせするとともに、これを機縁として宗門・本願寺がより一層協力体制のもと、教化伝道に努め、念仏の道場となることを願うものであります」とし、「諸準備を遺漏なく進めていただくよう一層の精進を」と挨拶。

 このあと園城総長、佐々木鴻昭執行長をはじめ宗派総局、本山内局と竹田空尊宗会議長が綱を引いて除幕、高さ7・5メートルの高札の駒形の板に書かれた「平成二十六年六月六日/第二十五代専如門主/法統継承式」の文字が露わになった。

 佐々木執行長は「この度の法統継承式が単なる通過儀礼としての儀式ではなく、尊いご法縁としてお迎えいたしたい」とした上、「これから半年をかけまして、私ども一人ひとりができることを行い、無事に法統がご継承されるよう努めてまいりたい」とした。

 引き続き宗務総合庁舎で記者会見が行われ、園城総長が法統継承式と前日の日程を発表した。

 前日6月5日は午後3時半から御影堂で御消息発布式を執行、大谷光真門主が最後の消息を発布し親読する。引き続き日没勤行を勤めたのち午後6時15分頃から御譲渡式を非公開で執行。光真門主から光淳新門へ御真影を安置する厨子の鍵、門主が着る紫の衣体、御印が渡される。

 6日の法統継承式は午前10時から阿弥陀堂と御影堂で法要を勤修し、続いて式典を執行。光淳新門が門主となって初の御消息を発布・親読する予定。午後5時半から東山区のウェスティン都ホテル京都でレセプションも開かれる。

 前回昭和52年に現在の光真門主に法統が継承された時は4日間にわたり関係行事が挙行されたが、今回は2日間。大谷家の意向で、園城総長は「簡素に粛々と」執行すると話した。

2013/12/12 成道会 チャリティや講演会など様々に


東京ブディストクラブ 2団体に30万円ずつを贈呈

村松会長の導師による雅楽法要 超宗派の交流団体、東京ブディストクラブ(村松賢英会長)は6日、東京の帝国ホテルで第48回「釋尊成道会チャリティーの夕べのつどい」を開催。約450人の僧俗が参加した。


 最初に、浄土真宗本願寺派西教寺住職の村松会長の導師により雅楽法要。村松会長は挨拶で、東日本大震災から千日を超えた直後の日でもあり、改めて被災地に思いを寄せた。昨年逝去した全日本仏教婦人連盟元理事長の島田喜久子氏に対しても「大変仲良くさせて頂きました」と哀悼した。


 続いて、チャリティ基金の贈呈式が行われた。今回は社会福祉法人緑の風(山梨県)と、浄土宗災害復興福島事務所内に設置されている「ふくしまっ子Smileプロジェクト」にそれぞれ30万円ずつが贈呈。緑の風は16年前から「人と自然との共生」をコンセプトに、八ケ岳山麓での障碍者との農業活動を行っている団体。武田和久代表は支援に心よりの感謝を語った。Smileプロジェクト代表の馬目一浩氏(浄土宗阿弥陀寺副住職)は「現在、いわきは原発事故収拾の最前線。3万に近い人口が震災前から増加した」と述べ、さらなる支援に力を注ぐ決意を表明した。


 その後、女性歌手デュオPeix2(ペぺ)と、「バラが咲いた」でおなじみのマイク眞木さんによるコンサートが行われ、盛り上がった。


都仏は養老氏の講演に爆笑のパントマイム


独特の視点で仏教を語る養老氏 都内約2500カ寺が所属する東京都仏教連合会(都仏/山田一眞理事長)は5日、東京・有楽町の朝日ホールで成道会のつどいを開催。約700人収容のホールがほぼ満員となる盛況となった。


 最初に天台宗寛永寺住職・輪王寺門跡の神田秀順会長を大導師に、都内55地区仏教会の代表が随喜して法要を厳修。僧俗共に経を読誦して釈尊の成道を祝した。


 続いての記念講演は東京大学名誉教授の養老孟司氏。「暮らしの中の仏教学」と題し、ユーモアたっぷりに会場を沸かせた。「よく自分探し、って若い人は言うでしょう。あれダメですね、若い人は少しお寺に行った方がいい。仏教では『無我』ってのがありますよ」「仏教っていうのはインドと中国を囲むように残っているんです。これは自然が残っているということと一致する」と、独特の視点で仏教を論じた。


 最後のお楽しみは、トークとパントマイム芸を融合させて人気沸騰中のデュオ「カンジヤマ・マイム」による公演。米国仕込みの本格パントマイムの妙技を披露しつつ、平日で大人の観客も多かったためか、ややきわどい政治ネタも絡め、爆笑の渦を巻き起こした。

2013/12/12 回想2013 光明と不安―宗教者の“質”課題に(田原由紀雄)


青年仏教徒交換プログラムで被災地いわき市の仮設住宅を訪問した全日本仏教青年会(8月) 全国曹洞宗青年会や全国日蓮宗青年会など「全日本仏教青年会」加盟の諸団体は今年も福島市や福島県南相馬市など被災地で傾聴ボランティアや瓦礫撤去作業などを行った。青年僧侶たちの活動は一過性の支援から地味だが息の長い支援へと転化しつつある。組織によらず個人で支援活動に参画する僧侶も少なくない。大震災を通じて発揮された日本仏教の強い存在感に励まされた被災者や市民は少なくないのではないか。

 団塊の世代が人生の終わりを意識する年齢にさしかかったこともあって超高齢社会、日本は「終活」ブーム。葬儀社、石材業者、遺言・遺産相続にかかわる行政書士、介護施設などが合同で開く「終活フェア」に象徴されるように、本来、生死の一大事を担うはずの僧侶が主役になるどころか、お寺自体もブームの圏外に追いやられているのは寂しい。

東西本願寺の歩み

 光明と明日への不安が交錯する仏教界。次代を担う僧侶はどう動くか。浄土真宗本願寺派(西本願寺)では長年、門主の座にあった大谷光真師がその座を退く意向を表明し、長男光淳新門が来年6月に門主に就任することが決まった。同派では門主権限を大幅に強化した宗法改正がなったばかりだが光淳師のリーダーとしての力量は未知数だ。

 真宗大谷派(東本願寺)では長い紛争(「教団問題」)の傷跡は深く、いまだに門首の後継者が決まらない。国にたとえれば皇太子不在の状態が続いている。今秋の宗議会議員選挙で高齢議員の引退などによって新人議員20人が当選した。宗政に新風が吹き込まれそうだが、教団問題を知らない世代にはその体験が十分に受け継がれておらず、始動以来五十余年の歳月を経た信仰運動、同朋会運動も先行きの展望は不透明。教区の再編や財政基盤の確立など難問が山積している。

 7月、正法寺(岩手県奥州市)の修行僧二人が「態度が気にくわない」と年下の修行僧に暴行を加えてけがを負わせたとして傷害容疑で逮捕された。正法寺は県内外から集まった十数人の僧侶が修行している曹洞宗の名刹。加害者、被害者とも20代だが、スプレー缶で殴り、頭を切ったり、蹴って手首骨折のけがを負わせたり、若気の至りではすまされない手ひどい暴力沙汰だ。

 2009年には臨済宗永源寺派の大本山永源寺(滋賀県東近江市)の修行僧が後輩の修行僧を寮の縁側から突き落として死なせたとして傷害致死の疑いで逮捕されている。2人で飲酒するうちに修行態度をめぐって口論となったというが加害者は事件当時、52歳、20年近い修行歴があり指導的な立場だった。

 2つの事件はかねてから指摘されてきた僧侶の資質の低下が一定の限界を超えつつあることをうかがわせる。

 大阪城公園でのホームレス生活など型破りの修行の道のりを綴った著書『迷える者の禅修行』で、大きな反響を呼んだドイツ出身の禅僧、ネルケ無方師は一部の僧堂が悟りを求める者の真摯な求道の場ではなく、僧侶の職業教育の場と化している、と指摘し、軍隊生活を思わせる壮絶な“しごき”を受けた体験をも赤裸々に告白している。

 刑事事件となったケースは氷山の一角で、一部の僧堂では暴力沙汰だけではなく陰湿ないじめも横行しているのではないか。「幽霊安居」という言葉がある。僧堂に籍はあってもめったに僧堂にはいないまるで幽霊のような修行僧のことだ。問題はこんな言葉が生まれるほど次代を担う人材を養成するシステムが機能不全を起こしている点にある。

 千葉県市川市の中山法華経寺で毎年、行われる「百日間荒行」で起きた死亡事故もまだ記憶に新しい。病気がその理由とのことだが、修行者の健康管理はどうだったのか。また途中退堂者は10人と聞く。果たして「行き過ぎた指導」はなかったのか。

自浄作用発揮を

 こうした事件や事故を偶発的なものとして安易に切り捨てることなく、修行の現場の現実を直視し、二度とこうした事態が起こらないように具体的な対策をとるべき時期にきている。

 高野山真言宗が信徒のお布施などを原資にリスクの高い金融商品に約30億円もの投資をしていたことが発覚した。不信任を突きつけられた庄野光昭宗務総長が宗会を解散するという異例の事態を経て添田隆昭宗務総長をトップとする新執行部が発足した。信徒に事情を知らせることなくおよそ市民感覚とはかけ離れた巨額の金が動かされていたことには唖然とする他ない。利他行を掲げる仏教者が本来、身に備えるべき慎みはどこへ行ったのか。「証券会社に言われるままに購入した」などという弁明は通るものではない。

 庄野内局が依頼した外部調査委員会の報告書に14億円の集計ミスがあったことなどなお真相は十分に解明されてはいない。まず、真相を明らかにして宗団の僧俗に対して説明責任を果たすことが第一歩。伝統仏教への不信感が募っている今日、宗団は果たして自浄作用を発揮できるか。そのテストケースとして信頼の回復を求められている執行部の責任は重い。
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たはら・ゆきお/1946年生まれ。70年毎日新聞社入社。奈良・京都両支局と大阪本社学芸部で宗教・美術を担当。05年4月から12年3月まで専門編集委員。著書に『東本願寺30年紛争』(白馬社)、共著に『訓覇信雄論集』(法蔵館)、『蓮如を歩く』(毎日新聞社)など。