2019/4/18

辯天宗 大森光祥管長が晋山 「全信者と共に社会に貢献せん」 

如意寺本堂へと歩みを進める大森管長。前は寛祥宗務総長 辯天宗の「宗祖霊顕85年祭」が13日、奈良県五條市の総本山如意寺で始まり、大森光祥第3世管長(如意寺3代統主)の晋山式が厳修された。大森管長は「10年に一度の御開帳」となった「御本尊大辯才天女尊」の宝前で啓白文を読み上げ、宗祖智辯尊女、智祥第1世管長、慈祥第2世管長の法灯を継承する決意を表明。全信者と共に「宗団の興隆、宗勢拡大に献身して、ただひたすら信者万民の幸せと世界恒久の平和、国家安泰と繁栄を祈り、もって社会に貢献せん」と誓った。


 辯天宗は、十輪寺の住職夫人だった大森清子(宗祖智辯尊女)が昭和9年(1934)に大辯才天女尊から天啓を授けられたことに始まる。大森管長は午前6時から「85年祭執行奉告・御本殿御開扉法要」を営み、「10年に一度の御開帳」となった秘仏本尊「大辯才天女尊」に奉拝。7時半から桜満開の蓬萊山御廟(宗祖御廟)で晋山奉告法要を営み、9時過ぎから宗祖が天啓を享けた十輪寺で法楽を勤めた。

 そして沿道で大勢の信者が合掌する中、如意寺本堂へと歩みを進め、正門から入堂。本尊宝前で啓白文を読み上げ、「現代社会の趨勢にかんがみ、思いを宗祖が辛苦とその遺教に馳せ」ながら、「法脈を継承す」と表明した。

 大森管長は「お諭し」で大勢の参拝者に謝辞を述べ、「待ちに待った85年祭。皆様方も御開帳を待ちに待ったことだろうと思うが、御本尊さまも実は心待ちにしていらっしゃったと思う」と述懐。「皆様方は今、徳で光り輝いている。何か不思議なことが起こると、私は思う」と語りかけた。

 平成最後の4月に迎えた85年祭の初日に、各地から信者約3千人が参拝。終日、報恩感謝の思いを込めた「南無智辯尊女」の唱声が堂内外に響いた。

 兵庫県西宮市から参拝した女性は御開帳と晋山式が重なったことに、「信者としては嬉しくおめでたい日」と感想。10年に一度の奉拝を終え、「御本尊さまに『この10年、ありがとうございました』と日頃の感謝の報告をした。この先10年後もまた(御本尊さまに)『こうして来させていただきますように』とお願いした」と感慨深そうに話した。

 近所に住む女性も、「今日は辯天さんの85年祭。私は77歳だから、まだ生まれてない。ありがたい」と喜んでいた。

2019/4/18
友好交流 大梵鐘が縁結ぶ スイス・ジュネーブと品川区 

レセプションで挨拶する仲田座主。中央はスイス大使、右は濱野区長 スイスのジュネーブ市と品川区の縁結びとなった真言宗醍醐派別格本山品川寺(ほんせんじ)(仲田順英住職)の大梵鐘。ジュネーブ市からの返還90年を記念し8日、本堂でスイスのロマンド管弦楽団による四重奏演奏会が行われた。演奏前には声明による花まつり法要も営まれた。前住職の仲田順和醍醐寺座主やジャン=フランソワ・パロ駐日スイス大使、濱野健区長らが参席し、市民らも演奏に耳を傾けた。

 開式にあたり仲田順英住職がフランス語で簡単に挨拶した後、日本語でジュネーブと品川寺の関係を説明しながら、「今日は特別な夜になると思います。本堂でのロマンド管弦楽団の四重奏。演奏をゆっくりと聴いていただいて90年の歴史に思いを馳せて頂けるとうれしい」と述べた。

 最初に釈尊降誕を祝福し、世界平和を願って仲田順和座主と式衆が出仕して声明による祈りが捧げられた。

満席の本堂で行われたロマンド管弦楽団の四重奏 ロマンド楽団の2人のバイオリン奏者、チェロとビオラの奏者が入堂して本尊前で演奏が始まった。プッチーニ作曲の弦楽四重奏「菊」を皮切りに、シューベルトの曲などを演奏。公演中、来場者は物音一つたてず熱心に鑑賞した。アンコールを含めて1時間弱にわたった。演奏後、子どもたちから4人の奏者に花束が贈られた。

 会場を庫裏に移してのレセプションでは、仲田座主が挨拶。仲田座主の師父が品川寺に入山したころ、大梵鐘はどこに行ったかわからなかった。近隣の人から海外に持ち出されたことを聞き、世界中を探し回った。「1919年にジュネーブのアリアナ公園にあることがわかり、すぐジュネーブ市と交流を始めながら返還交渉を行った。市議会の議決で、鐘は時を知らせるものだから返しましょうということで1930年5月、この品川に返った」。さらに返還60年を記念して平成3年(1991)、「品川区と友好都市を結んだ時に、品川寺近隣の方々や品川寺の方々などが御神輿をもって一緒に友好を深めてきた」と述懐した。

 品川区の濱野区長は区とジュネーブ市との友好交流を歓迎し、「素晴らしい演奏とこの懇親は、梵鐘のおかげ」と品川寺に感謝した。

 乾杯の発声はジャン=フランソワ・パロ大使。来年の東京オリンピック・パラリンピックに関して特別なプログラムがあると述べ、「これから五輪に向けたくさんの扉を開きたい。品川はその扉の一つ。品川寺の大梵鐘はシンボリックな存在であり、このイベントを含め国際的なイベントを通じて扉をどんどん開いていきたい。カンパーイ」と杯を上げた。

【品川寺の大梵鐘】
 明暦3年(1657)に鋳造され『武蔵風土記』などにも記されている。江戸末期に理由は不明だが、海外に搬出され、行方不明となった。慶応3年(1867)のパリ万博、明治4年(1871)のウィーン万博で展示されたと伝えられている。品川寺に入った仲田順海和上が近所の人から海外に持ち出されたことを聞き、探し求めた。その結果スイス・ジュネーブ市のアリアナ公園にあることがわかり、贈還(返還)を求めて奔走。ついに昭和5年(1930)5月、60有余年ぶりに品川寺に戻った。

 贈還60年にあたる平成2年(1990)に品川寺がジュネーブ市に新梵鐘贈呈を申し入れ、翌平成3年に梵鐘落成式が行われた。この年、ジュネーブ市と品川区が友好都市を締結した。

2019/4/18
ひと 風間天心さん(39)北海道東川町東川寺 
現代美術の「敏子賞」受賞した曹洞宗僧侶 弔いと供養をアートで表現

 20世紀を代表する現代芸術家の名を冠する美術賞「岡本太郎賞」で今年、大賞に次ぐ「敏子賞」を受賞した曹洞宗僧侶の風間天心氏(北海道東川町・東川寺徒弟)。修行、フランス留学を経て宗教とアートの融合に取り組む。

 受賞作の「Funetasia」は、水引と神社の社殿をモチーフにした祭壇の中央に「平成」の年号額が奉安されており、周囲の壁には歴代年号がびっしりと掲げられている。風間氏は「葬儀の形態と役割を拡張し、あらゆるものを振り返り、見つめ直し、別れを告げる」プロジェクトと位置付ける。敢えて神道的な意匠を用いたのも、日本宗教のハイブリッド性の表現だ。

 こうした風間氏の創作を美術批評家のジェレミー・ウールズィー氏は「風間は、鈴木(大拙)のZENから不純なものとして排除されているものをもう一度、美術を以て提示しているのである」と評す。

 「私は3兄弟の真ん中で、兄も弟も絵を描いていたので自然と芸術に関心が向いていった」と語る。地元を出て、東京の武蔵野美術大学に進学し創作を続けた。在学中の2006年には岡本太郎賞で入選した。その後、大本山永平寺に安居し、武蔵野美術大学パリ賞を受賞しパリに留学。修行体験と、現代芸術の最前線フランスで過ごした体験が密接に結びつき、悩んでいた創作活動に飛躍的な転機をもたらした。

 「Funetasia」が展示された岡本太郎美術館(神奈川県川崎市)で13日、風間氏と仏教美術ユニット「S―VA―HA」(ソワカ)との合同法要パフォーマンス「卒哭忌」が営まれた。ソワカの平林幸壽氏(真言宗豊山派僧侶)は「平成の終わりを一つの契機と捉え、参列者がいま『手放したいもの』を持ち寄り、僧侶による供養儀式を行う」ことをコンセプトにしたと説明。来場者から提出された「手放したいもの」が20日には東京で、21日には三重県で「お炊き上げ」され、弔いのアートが完成する。

 油絵から禅の食事をパフォーマンス芸術にした「日常茶飯事」まで、ジャンルにはとらわれない。宗教とアートの架け橋となりたいと願い創作を続ける。

2019/4/11
高野山大学 教育学部 不受理に 再申請で2年後の開設目指す

 経営再建中の高野山真言宗(添田隆昭宗務総長)の宗門校・高野山大学(乾龍仁学長)の教育学部の新設が4日、来年4月の予定から、さらに1年間先延ばしになることがわかった。新学部開設に伴う寄附行為(定款)に不備が見つかり、文科省への認可申請が不受理となったため。同大を経営する㈻高野山学園(理事長=添田総長)では新たな体制で経営再建シミュレーションを練り直し、寄附行為を再修正した上で再度申請する意向だ。(続きは紙面でご覧ください)

2019/4/11
「原爆の残り火」バチカンへ 浄土宗僧侶ら教皇に謁見

ローマ教皇と対面した遠藤氏(教皇の左奥)たち(写真=アースキャラバン提供) 原爆の残り火「平和の火」をエルサレムなど世界各地へ運び、国や宗教を超えて平和を祈る「アースキャラバン」がバチカンへ渡り、各国のメンバー約20人が3月20日、フランシスコ・ローマ法王と対面した。核なき世界への願いのもと、ローマ法王は火を吹き消した。

 「平和の火」は広島から持ち帰ったとされ、恒久平和を祈り建てられた福岡県八女市星野村の「平和の塔」で燃え続けている。NPO法人「アースキャラバン」(京都市)の遠藤喨及・浄土宗和田寺住職が企画。昨夏にアースキャラバンで訪れていたパレスチナ自治区で、世界最年少のジャーナリストとして知られ、ヨルダン川西岸地区などの現状をSNSなどを通じて伝えてきたジャナ・イブリヒムさんら13歳の少女たちと一緒にバチカンへ行こうと決意した。

 「13歳の少女」には理由がある。核廃絶活動に取り組み、ノーベル平和賞の授賞式で演説したカナダ在住のサーロー節子さん(87)が広島で被爆した年齢が13歳だったからだ。遠藤氏は「願いを若者に知ってほしい」と期待を込めた。(続きは紙面でご覧ください)

2019/4/11
第43回正力賞に徳応寺日曜学校、藤大慶氏

 仏教精神による青少幼年育成に尽力している個人・団体を表彰する(公財)全国青少年教化協議会(全青協)主宰の第43回「正力松太郎賞」本賞に、徳応寺日曜学校(代表・戸﨑文昭氏=浄土真宗本願寺派徳応寺住職/山口県下関市)と藤大慶氏(浄土真宗本願寺派西福寺前住職/京都府綾部市)が選出された。今月5日に発表された。

徳応寺日曜学校の卒業記念演劇。中央が戸崎住職 徳応寺日曜学校は明治初期の設立以来、「仏の子ども」を育てることを念願に子ども会活動を行っている。月に1回の定例会を開き、小学生を中心とした子どもたちが正信偈のおつとめをして法話を聞き、ゲームなどをして仲間と楽しい時間を過ごしている。

 毎年3月には日曜学校を卒業する小学校6年生を主役に、仏教童話などの題材を用いた卒業記念創作劇を上演。公演数は今年で 31回にのぼる。子どもと大人が1つの作品を作り上げ発表するという経験を通じて、子どもたちの教化育成と地域社会への仏教情操の涵養、活性化の相乗効果をもたらした。

藤大慶氏 藤氏は1976年から少年野球部や日曜学校等を始め、不登校やひきこもり等の諸問題解決に尽力してきた。「子どもたちが真っ直ぐに育つ環境を取り戻したい」 との一念から、2003年に児童心理治療施設(旧情緒障害児短期治療施設)「るんびに学園」(定員 30 名)を開園。子どもたちを短期間預かり、豊かな自然の中で心理治療や生活指導を行い、家庭や地域で安定した生活を送れるように支援を行っている。 施設内では学校教育を行い、児童指導員や臨床心理士などのスタッフがコミュニケーション能力や感情をコントロールする力を育み自立できるよう、 教化活動に努めている。

 両氏の長年の活動は、仏教精神に基づく精力的な活動として高く評価された。報告会・表彰式・祝賀会は5月30日午後3時半から、東京都港区の東京グランドホテルで開催される。

徳応寺日曜学校・戸﨑文昭氏の話
 春に行う小学校6年生を主役にした演劇の卒業公演は1988年に「何か記念になることをやろう」と始めました。題材は仏教に関するものを私が選び、門信徒さんが脚本を書き、音楽や大道具、公演ポスターなども作ってもらいます。劇には子どもも大人も出演しますが、子どもたちのほうが度胸があって上手い。その気になって役に入り込むと長いセリフも覚えてしまうのです。

 「仏さまのことを知ってもらうためにやるんだ」、ということをいつも言っています。私も、子どもたちも、裏方さんも、それぞれの仕事を一生懸命にやってひとつの芝居を作る。小さな子どもたちも観てくれますが、言葉が分からなくても伝わるものがあって、生の芝居だからこそ心に残るものがあるのだと思います。芝居という手段で仏教を伝えてきました。今回の授賞は今までやってきた人たちの代表としていただいたものだと思います。

藤大慶氏の話
 これまでの活動で取りこぼしてしまったり、自殺してしまった子どもたちがいます。完璧なことはできず、どうしたらいいのかを考えるなかで、一人では何もできない、私にないものを持っている人と一緒に分厚い体制を作らないといけないと思い学園を作り、模索を続けています。
 
 今考えているのは動物を介在させたセラピーができる牧場を作ること。そんな夢を描いています。都会のシステムのなかでは生きていけない人もいます。田舎と都会、健康な人とそうでない人、動物と人が支え合う。かつては村の中でみなで子どもを見て、お年寄りを見ていた。そうした支え合いを取り戻したい。青少年に限らず、ワーキングプアや引きこもり等の中高年の問題もあります。一人ひとりが大事にされる世の中を、仏教は目指すべきです。学園を作り15年が経ち、こうして評価されました。これを核にして夢を広げていきたいです。

2019/4/11 花まつりスケッチ 各地で釈尊降誕会


手をつないで行進する童子たち 下谷仏教会 40年来最高の桜の下で
 東京都台東区の約150カ寺による下谷仏教会(山崎正矩会長)は5日、上野公園で花まつりを開催した。満開の桜が風で花吹雪となる中、観光客も目を細めた。

 寛永寺境外仏堂清水観音堂から仏旗を先頭に、法竹妙音会の虚無僧が尺八を厳かに鳴らして行進開始。麗しい童子・童女姿の子どもたちが保護者と手をつなぎ、「カワイイ!」「こっち見て!」などの歓声を浴びながら、寛永寺が管轄する上野大仏パゴダまでゆっくりと歩いた。花見をしていた東京芸術大学の学生は「虚無僧は初めて見ましたよ。今でもいるんですね」と驚きながらシャッターを切っていった。

 松岡廣泰理事長は「私も40年くらいこの花まつりに関わっておりますが、今日は歴代最高の咲き具合で良い天気ですね」とニッコリ。雲一つない澄み渡った空の下で、山崎会長を導師に観音経を読誦し法要が営まれた。(続きは紙面でご覧ください)


町内を練供養後、お稚児さん一人ひとりにお加持とお守りが授かられた 板橋区佛教会 家族と地域の絆深まる
 東京・板橋区佛教会(42カ寺・平井和成会長)の花まつり会が3月30日、成増の真言宗智山派青蓮寺(花木義賢住職)で開催された。お稚児さん19人と僧侶11人をはじめとする檀信徒や地域住民、関係者ら約100人が、町内を練供養。沿道で大勢が見守る中、家族や地域との絆を深めた。

 お稚児さんたちは練供養からお寺に戻ると境内中央に集合し、みんなで紐を引いてくす玉割り。「花まつり、おめでとう!」と唱和して祝った。

 続いて本堂前で、平井和成会長(真言宗豊山派安養院住職)と会場寺院の花木住職が、お稚児さん一人ひとりに「元気に育ちますように」と語りかけながら無魔成育の加持。お稚児さんは、嬉しそうな笑顔を見せた。(続きは紙面でご覧ください)


声を揃えて感謝を伝えた子どもたち 大阪市仏教青年会 「お釈迦さま、ありがとう」
 大阪市仏教青年会と大阪市仏教会は4日、大阪市天王寺区のクレオ大阪中央で、「花まつり子ども大会」を開いた。市内の仏教系保育園の園児や親子連れ約300人と釈尊の誕生を祝った。

 大阪市仏青の行事中、花まつりは最大の催し。真宗大谷派大阪教区の公式キャラ「ブットンくん」や浄土宗の非公認キャラ「ぽくちんくん」も駆け付け、高津学園(天王寺区)や蓮美幼児学園(同区)の園児らが花御堂の誕生仏に甘茶をかけるのを見守った。会場では市内6区仏青が協力し、腕輪念珠づくりコーナーも開いた。

 式典では、大阪市仏青が制作した釈尊誕生や四門出遊などを描いたDVDを上映した後、大阪青少年教化協議会(大青協)の大東良弘会長(生野区、融通念仏宗本覚寺)や各区仏青代表者ら関係者が灌仏。蓮美幼児学園もりのみやナーサリー(中央区)の子どもたちが献花し、「ありがとうお釈迦さま。おかげでみんな元気いっぱいです」と声を揃えて感謝を伝えた。

 大阪市仏の白井忠雄会長に代わり、増田友信事務局長(北区、真宗大谷派圓勝寺)が挨拶し、仏教の教えが語源とも言われる「ありがとう」や「おかげさま」の言葉の大切さを伝えた。花まつりに合わせて行っている「第13回ほとけ様の絵コンクール」(大青協主催)の入賞作品が発表され、出席した10人に賞状などが贈られた。(続きは紙面でご覧ください))


嬉しそうにカレーを受け取る参加者ら 八王子市仏教会 100円カレー 400人が舌鼓
 八王子市仏教会(会長=山田一眞・高野山真言宗金剛院住職)では8日午前11時から、東京都八王子市八日町の八王子エルシィで釈尊降誕会を執り行った。白象募金箱への100円の募金で食べられる名物の「100円カレー」に約400人が舌鼓をうった。

 導師を務めた山田会長は三帰礼文の「仏・法・僧」の教えに触れ、「尊い人々の集まり、皆さま方、一人ひとりに素晴らしい力がある。正しい道、清らかな道を求める力をお集めいただいて、よりよい世になるように、皆さま方と一緒に精進をしてまいりたい」と話した。

 続いて、曹洞宗浄泉寺の上杉憲弘住職が法話。「私たちは、人を幸せにできる力を持って生まれてきた」と述べ、釈尊降誕にまつわる「天上天下唯我独尊」のエピソードを説明した。最後に名物の100円カレーが振る舞われた。

100円カレーは、会場を提供している八王子エルシィの会長夫妻が若くして先立った長男の供養になればと26年前に始めたもの。寄せられた浄財は市の福祉協議会に寄託され、地元の福祉に役立てられている。

 八王子市仏は2年ほど前から、市内で子ども食堂を実施する「八王子食堂ネットワーク」とも協働しており、会場にはフードリサイクルの受付も設けられた。寺院への供物などが「八王子市フードバンク」を通じ、困窮者や子ども食堂、無料塾、子どもの居場所づくりなどの一助となっている。


満開の桜の下、岡野統理を導師に営まれた灌仏庭儀 孝道教団 灌仏庭儀 青年50人が出仕
 孝道教団(岡野正純統理)の第67回花まつりは7日、横浜市神奈川区鳥越の孝道山で開催された。全国から信徒が参集したほか、天候に恵まれたうえ市内有数の桜の名所で満開とあって市民やアマチュアカメラマンなどで終日賑わった。

 花まつりは2部構成。午前は稚児や各支部旗、ボーイスカウト、午後の法要に出仕する青年式衆などによる山内パレードと、本堂南側を正面にした各種のパフォーマンスが繰り広げられた。おかめとひょっとこのお面をつけての踊りと獅子舞を公演した地元二ツ谷商店会のお囃子も行われ、喝采を浴びた。

 恒例の民謡踊りは青森・東北・福島・静岡の4別院と鹿児島信徒の5グループによる対抗戦。それぞれ地元に根ざした民謡と踊りを披露した。来賓の採点の結果は午後の授賞式で発表され、勇壮な太鼓とテンポある踊りの青森別院「五所川原立佞武多」が最優秀賞に輝いた。

 午後からは仏舎利殿前での灌仏庭儀。岡野統理と華蓮三世副統理がそれぞれ導師・副導師を務め青年式衆50人が出仕し、法華経の読経のなか岡野統理は花御堂の誕生仏に甘茶をそそいだ。(続きは紙面でご覧ください)

2019/4/4

花まつり今昔 長野市仏、京都府仏、神田寺、東京鳩居堂 

 
 日本書紀にも記述がある伝統的な仏教儀式「釈尊降誕会」。灌仏会や仏生会として行われてきたが、「花まつり」という名称になり広まったのは大正年間のこと。そんな古くて新しい仏教行事は、大正・昭和・平成という時代のなかで、子どもたちの健やかな成長を願い、命の尊さを知る大切な行事として営まれてきた。新元号「令和」が発表され、新しい時代が始まる今、「花まつりの今昔」を振り返る。
 

長野市仏教会 大正12年に開始、3年後に100回
昭和9年、城山小学校のグランドにお稚児さんが集合。中央上には大本願大宮智栄上人『市仏30年史』より 地区仏教会の花まつりで長い歴史をもつ長野市仏教会(若麻績信昭会長=浄願坊住職)。同会は昭和16年(1941)に発足したが、「仏都花まつり」の始まりはそれよりも古い大正12年(1923)。今年で97回目を数える。月遅れの5月に開催され、現在はゴールデンウイーク中の5月5日の「子どもの日」に開催されている。

 昭和50年発行の『市仏30年史』によれば、大正12年に「長野県仏教聯合花まつり会」の主催で第1回が行われ、その後は善光寺一山や市内の寺院だけでなく、隣村郡部の寺院も参画して花まつりが発展。もともと明治32年(1899)から有志による降誕会は開催されていたようで、「花まつり」という名称も、東京で使われるようになった時期と大きな隔たりはなかったようだ。

 昭和初期には子ども会の活動が活発で、稚児行列に多くの子どもたちが参加し、誕生仏を乗せた白象を引っ張って行進した。この時期の花まつりは善光寺に近い城山公園で行われていた。信濃毎日新聞の昭和3年(1928)5月14日付けの紙面では、前日13日に開催された花まつりで約4千人の児童による行列の様子を伝えている。(続きは紙面でご覧ください)

浄土宗神田寺 戦後の町に名物パレード
圓諦師から配り物を受け取る園児(昭和30年代頃か) 東京都千代田区の浄土宗神田寺(友松浩志住職)は戦後の1947年、昭和の名僧として知られる友松圓諦師(1895~1973)により創建された(創建当時は単立)。千代田区一帯は江戸時代から寺院数が極めて少なく、圓諦師は都心に仏法興隆の拠点がないことに発心したという。

 神田寺では創建間もなくから4月8日に花まつりを開始している(前夜祭などがあった時期もある)。圓諦師が戦前から超宗派で取り組んだ仏教再生運動「真理運動」でも、花まつりは全仏教徒が祝うべき行事として重視されていた。東京大空襲で焦土と化した秋葉原周辺だが、それがようやく復興し始めた際に、神田寺幼稚園の子どもたちが笑顔で一帯をパレードする様子は、都民の心を癒した。

 友松住職は「当時は千人とまではいきませんが、800人くらいは参加していました。幼稚園の子どもやご家庭、近所の方だけでなく圓諦の真理運動に共鳴した方がたくさん来ていました」と回想する。圓諦師の法話はラジオなどを通じて全国的に知名度があり、花まつり法話を楽しみに来た人も多かったのだろう。(続きは紙面でご覧ください)

京都府仏教連合会 平成期を歩んだ花まつり 
四条通りをパレードする一団(1993年4月10) 京都府仏教連合会(事務局・総本山智積院)の発足は1987年。花まつりはその翌年から営まれ、平成期と時の歩みを重ねるように昨年で30年を迎えた。現在は東西本願寺、知恩院、智積院、妙心寺の京都市内の本山が交代で事務局を務める。

 市内一の繁華街・河原町周辺を区域とする立誠学区(中京区)の20余カ寺でつくる立誠仏教団(北川隆正団長=浄土宗西山禅林寺派安養寺住職)と当初から共催。立誠仏の浄土宗西山深草派総本山誓願寺の門前にある新京極六角広場で音楽法要を執り行い、参加者らが灌仏する。

 龍谷大吹奏楽部が毎年演奏するが、その交流は古い。京都府仏として初開催となる88年の資料に、当時の井上博厚事務総長(浄土真宗本願寺派)名で出演を依頼する文書が残っている。花まつりの目玉である白象を引きながら河原町周辺を練り歩くパレードに現在も共に参加し、華を添える光華高校バトン部にも同年に出演依頼を送っている。

 依頼書には「不特定多数の市民と釈尊のご誕生をお祝いするとともに、花まつり行事の市民への定着をはかりたい」との願いが記される。龍谷大職員で吹奏楽部副部長の水野哲八氏は、「今いろいろなところから依頼が来るのは、学内以外の行事としてこの花まつりで演奏したこともきっかけ」と話す。

 地元で生まれ育った智積院の連隆寿総務部山容課長(51)は、「かつては子どもが多く活気があり、パレードの距離も長かった。今は子どもたちに負担をかけないようにと短くなったようだ」と時代の流れを振り返る。(続きは紙面でご覧下さい)

東京鳩居堂 銀座 一等地で灌仏
東京・銀座の一等地にある鳩居堂前に安置されている花御堂。今年は1日から7日まで お香、書画用品の老舗として知られる東京都中央区の東京鳩居堂銀座本店では、例年4月1日から8日まで店舗の入り口に花御堂を設置しており、今年も色とりどりの花に囲まれた誕生仏が、春の訪れを銀座の街に伝えている。

 店先での灌仏は、現社屋が落成した昭和57年頃からの行事と言われており、「日本の伝統文化を守り育てる」という社是の一環として、毎年花御堂を置いている。

 銀座では再開発や歌舞伎座の改築が進み、外国人観光客の増加もあって、新たな人の流れが生まれている。特に鳩居堂がある銀座5丁目付近は、日本一地価が高い場所として、路線価調査でもおなじみの超一等地だ。

 同社MD企画室の高橋雄貴主任によると、「ここ数年、外国人の方が多くなってきました」という。以前から、花まつりを知らない人向けに、由来を記した説明書きを花御堂に添えていたが、外国人観光客が増えていることから、3年ほど前から英文での説明も加えた。

 「写真を撮る方が多いですが、灌仏も日本の方がするのを見て、真似てやる方もいらっしゃいます」。花御堂には浄財箱が付いており、赤十字社を通じ、東日本大震災の復興支援募金を行っている。

 埼玉県から訪れた斉藤玉枝さん(82)は、「最近、酷い事件が多いのは、手を合わせて祈る日本人の心が忘れられているからだと思う。こうした行事は続けてほしいですね」と話した。

 折しも取材当日は、新元号発表の日。「元号が変わっても、引き続き日本の伝統文化として紹介させていただければ」と高橋主任。誕生仏は「令和」となっても、銀座の街に春の訪れと祈りの大切さを伝え続けることだろう。

 

2019/4/4

花まつりHistory ドイツ生まれ 東京育ち 全国に広がる

1901年、ベルリンで開催された「花まつり」に集った人たちの寄せ書き。花御堂の上に近角常観、薗田宗恵の名前がある(『佛教大年鑑』1969) 釈尊降誕を示す「花まつり」。その由来は、それほど古いものではないものの、日本では1400年以上にわたって釈尊降誕を祝ってきた。改めて花まつりの語源を探りながら、近代の花まつりの定着を追ってみた。

 花まつりの定番といえば花御堂である。春の草花に囲まれ、誕生仏に甘茶をそそぐ。灌仏会というだけあって、多くの人が体験したことだろう。 東京の中心地、銀座の鳩居堂前に安置されるようになって久しい。物珍しげに眺めていく人や甘茶チャレンジの外国人など新たな文化を創出している。

 かつてより規模は小さくなったとは言え、現在も都内の各地区仏教会では、地域の実状に合わせた花まつりが実施されている。花の種を配布したり(豊島)、カレーライスを食したり(八王子)、交通安全パレードをしたり(深川)。子どもが中心だが、家族でも楽しめる。

 かつて都内の老僧が話していた。「本物のゾウを使って練り歩いたこともありました」。調べてみるとなかなか見あたらない。共同通信の写真検索を試みると、一件だけ花まつりにゾウが登場する写真にあたった。昭和25年(1950)のモノクロ写真である。
 
 終戦から5年。占領下の日本の首都は、空襲被害や戦災からの復興途上にあった。そうしたさなかに花まつりが行われ、子どもをはじめ多くの人々に生きる勇気を与えてきた。

 ■ルーツは7世紀
 さて、誕生(4月8日)・成道(12月8日)・涅槃(2月15日)の仏教三大聖日のなかでもっとも大衆に親しまれてきたのが誕生の花まつりである。仏生会や灌仏会などと呼ばれてきた。そのルーツは、推古14年(606)。『日本書紀』によれば、この年の4月8日に灌仏会を始めたとされる。承和7年(840)からは宮中の清涼殿でも灌仏会が営まれるようになった(『続日本後紀』)。

 13世紀、吉田兼好が著した『徒然草』にも登場する。〈「灌仏の比、祭の比、若葉の梢涼しげに茂りゆくほどこそ、世のあはれも、人の恋しさもまされ』と人の仰せられしこそ、げにさるものなれ。〉(意訳=「4月の灌仏会や祭り、若葉の梢が涼しげに茂っているころこそ、世のあはれも人の恋しさにも勝っている」と人が語るのは、本当にその通りである)

 灌仏会はこの頃にはすでに知られていたことが理解できる。

 ■慶應大が街頭へ
 時間を一気に降って明治25年(1892)4月8日。慶應義塾大学で釈尊降誕会が開催された。塾長の演説に続いて釈雲照、大内青巒、島地黙雷らが演説した(『慶應義塾仏教青年会百年史』)。仏教ジャーナリストでもあった常光浩然はお寺を離れて行われたことから「釈尊降誕会の街頭進出の最初である」と位置づけた(「安藤嶺丸」『明治の仏教者・下』春秋社)。これを傍証する資料がある。東京朝日新聞1面の最後の記事だ(同年4月9日)。

〈●釈迦降誕会 昨日高等中学生徒の発起にて駒込真浄寺に催したる釈迦降誕会は、小栗栖香頂師を聘して開き、また哲学館生徒の発起にて神田斯文学会に催したる同会は、寺田福寿、大内青巒、島地黙雷三氏の演説あり。聴衆へは「宇宙之光」と題する釈迦の伝記を頒与せり〉(句読点を補い、漢字を改めた)

 神田で講演した寺田福寿は駒込真浄寺生まれで慶應出身である。自坊では、中国開教を行った小栗栖香頂が話し、自身は大内、島地と共に神田で講演した。慶應と神田、どちらの降誕会が先であったかは定かではない。この時期は仏教界にも勢いがあったのであろう。宗教学者の吉永進一氏は「仏教の近代化とは仏教が(日本の寺院から)出て行く過程である」と述べたという。まさに釈尊降誕会は寺から出て、大衆にアピールする契機となった。

 常光はまた、先述した中で明治33年(1900)4月8日、米国サンフランシスコにおいて釈尊降誕会が仏教会主催で行われたものを、「外地における釈尊降誕会の最初」としている。この場に本願寺派開教使の薗田宗恵(1863~1922)がいた。薗田は英語で説教したという。(続きは紙面でご覧ください)

2019/4/4
東京国立博物館「国宝 東寺」開幕 圧巻の「立体曼荼羅」出現

東博で再現された東寺講堂の立体曼荼羅 東京国立博物館(台東区上野公園13‐9)で特別展『国宝 東寺‐空海と仏像曼荼羅』が3月26日に開幕した。弘法大師空海が真言密教の根本道場とした京都・東寺の文化財の全貌を紹介。最大の見どころは、東寺講堂に安置された21体の仏像からなる「立体曼荼羅」のうち、史上最多となる国宝11体、重文4体の合計15体による圧巻の仏像曼荼羅だ。

 空海が密教の神髄を表すために21体の仏像でつくった東寺講堂の立体曼荼羅。今展では国宝11体が全方位360度からみられるように展示され、東寺とは違った立体曼荼羅を体感できる。さらに立体曼荼羅のなかでも人気の高い「帝釈天騎象像」(国宝)のみ写真撮影が可能。今展のポスターでセンターも務める〝美仏〟帝釈天の画像を持ち帰ることができる。

 空海によって始められた鎮護国家の法会で、真言宗の最重要儀式「後七日御修法」の道場も再現。空海が唐から持ち帰った国宝「密教法具」や重要文化財「金剛舎利塔」が展示されるほか、大治2年(1127)に制作された国宝「十二天像」(展示期間:~4月21日)、国宝「五大尊像」(同:5月14日~6月2日)の全幅も公開される貴重な機会となる。

 現存最古の彩色両界曼荼羅である国宝「西院曼荼羅(伝真言院曼荼羅)」をはじめ、長さ約5㍍におよぶ国内でも最大級の「甲本」「元禄本」と「敷曼荼羅」の4件を含む多くの曼荼羅も公開される。開館時間は午前9時半から午後5時。観覧料は一般1600円、大学生1200円、高校生900円。問い合わせはハローダイヤル(☎03‐5777‐8600)へ。