最新記事
2025/7/3
曹洞宗宗議会 再開発でコンサルと契約 費用に補正予算5千万円 倫理規程案は継続審査
演説する服部総長 曹洞宗の第147回通常宗議会(小林孝道議長)が6月23~27の5日間、東京・芝の檀信徒会館で開かれた。東京グランドホテルの跡地再開発で、服部秀世宗務総長はプロジェクトマネジメントを担当する企業インデックスコンサルティング(東京・虎ノ門)と業務委託契約を結んだと発表した。契約の費用として5千万円の補正予算を組んだ。
東京グランドホテルは老朽化や業績不振により2027年3月末をめどに閉業する方針で、宗務庁分館など周辺の土地を含め所有不動産の再開発計画を進めている。
服部総長は、インデックス社は内局が推薦した3社の中から選ばれ、6月の責任役員会で契約が承認されたと説明。「曹洞宗所有不動産再開発推進委員会」の委員に加わり、同月に最初の意見交換を行った。契約の費用として、同委員会の予算を5千万円増額する補正予算案が提出された。
服部総長は今後について「ホテル事業の廃業時期を含め、適宜修正を加えることも視野に入れ、再開発を推進していきたい」と話した。(続きは紙面でご覧ください)
2025/7/3
東京都仏教連合会総会 新会長に増上寺の小澤法主 防災協定の報告も
挨拶する小澤会長 東京都仏教連合会は6月23日に浅草ビューホテル(台東区)で総会を開催。令和7年度から新会長に小澤憲珠・浄土宗大本山増上寺法主が推戴されたことが報告された。任期は2年間。休止状態だった荒川区仏教会の再発足も報告された。
総会に出席した小澤会長は自坊の極楽寺が八王子市にあり、前々会長の山田一眞氏(高野山真言宗金剛院)と「親しくお付き合いをさせていただいた」と述べ、「会長の責務をお引き受けすることになったが、皆さま方のお導きをいただきながらお務めしたい」と抱負を述べた。
総会では令和6年度の事業・決算報告等を承認。令和7年度の事業計画・予算報告も承認された。
その他、島田昭博氏(本郷)が東京都と東京都宗教連盟(都宗連)が今年4月28日に結んだ防災協定締結について報告。防災力向上のための連携協力に関する防災協定で、宗教法人が災害時の一時滞在施設や避難所、緊急車両の駐車スペースなど、どういった支援ができるか情報提供を行い、今後詳細を決めていくと説明した。
2025/7/3
第42回韓日・日韓仏教文化交流大会 「持続可能な交流」目指す
釜山市・梵魚寺 2年後、第1回大会から半世紀 「因陀羅網」で共生和合
法要会場に向かう眞愚会長(右)と藤田会長 第42回韓日・日韓仏教文化交流大会が6月17日から20日まで、韓国・釜山の曹溪宗梵魚寺で開催された。2年後に交流50年を迎えることからテーマを「韓日・日韓仏教交流、新たな50年に向けて―持続可能な交流」とした。挨拶や学術講演会などでは過去を踏まえつつ未来を展望する発言が多数寄せられた。共同宣言では国交正常化60年にあたり、民間交流組織としての両国仏教の役割を再確認した。主催の韓日仏教文化交流協議会(眞愚会長・曹溪宗總務院長)から約120人、日韓仏教交流協議会(藤田隆乗会長・川崎大師平間寺貫首)から約40人が参加した。
中心的行事は18日。午前は梵魚寺大雄殿前で世界平和祈願法会が営まれた。両国挨拶では、眞愚会長は華厳経の「因陀羅網」を引き合いに、「韓日仏教交流の今後50年は、この因陀羅網の真理を悟り全てが共生と和合の道へ進んでいかなければならない」と述べた。一方、藤田会長は不穏な世界情勢を俯瞰した上で、「両国仏教界が未来を見据えた交流のあり方を模索し、現代社会を永く善導するべく意見を交わす好機」と今大会を位置付けた。
法要後、全日本仏教会の伊藤唯眞会長(浄土門主)の祝福メッセージを日谷照應理事長が代読。「世界平和に対する仏教の役割は大きいものがある」とし、両国仏教徒の活動に期待を込めた。(記事全文は紙面をご覧ください)
2025/7/3
念仏と笑い声でナムアミダブツ 巣鴨・眞性寺で百万遍大念珠供養
16㍍の大念珠を回して無病息災を念じた 〝おばあちゃんの原宿〟東京・巣鴨地蔵通り商店街の夏の風物詩、百萬遍大念珠供養が6月24日、江戸六地蔵尊の真言宗豊山派眞性寺(鳥居幸譽住職)で営まれた。参拝者が車座になり、鉦の音に合わせて「ナームアーミダーブツ」と大合唱し、直径16㍍に及ぶ大念珠を繰りながら無病息災を祈願した。
地蔵菩薩坐像前で法要を営んだ後に、大念珠が参拝者の前に運ばれた。鳥居住職が「「心配されていた雨の心配もなくなりました。皆さまのご祈願も叶うと思います」と挨拶。諸願成就を祈願し、鉦を打ち、お念仏を称え、これを合図に大念珠回しがスタート。上下に揺らしながら念珠を回し、ご利益があるという大念珠の白い大房が回ってくると、参拝者は不調のある身体の部位などに当てがって祈願。徐々にお念仏を唱和するボルテージが上がり、夏本番のような暑さのなか、汗をかきながら大念珠を回した。
大塚から来た60代の女性は巣鴨のお地蔵さんを縁に仲良くなった女性の誘いで初めて参加。近くに座った初対面の参拝者と笑い声をあげながらお念仏三昧。「すごく楽しかった」と笑顔で汗をぬぐっていた。
鳥居住職は「梅雨時期で、今日も雨が降っていましたが、いつも法要の時には晴れ間がでる。お地蔵様の霊験を実感します」と話した。百万遍大念珠供養は江戸後期に始まった伝統行事。コロナ禍では法要のみ行い、念珠回しは中止していたが2023年に再開された。
2025/6/30
1958年 仏教者西本あつしの平和行進 37歳で事故死した先人の足跡たどる 被爆80年
寄稿・小野文珖 「宗教者九条の和」呼びかけ人・世話役
東京到着を報じる仏教タイムス(1958年8月17日)。西本は「100万人を越える参加者でした」とコメント 広島・長崎の国民平和大行進を初めて実行した西本あつし(敦)という平和活動家は、今年生誕100年を迎えるので1925年の生まれである。高知生まれの土佐っぽ。同じ高知出身の漫画家やなせたかしの描く「アンパンマン」にそっくりだという人がいる。その顔・形・性格まで似ているというのだ。西本あつしの研究家、立命館大学の本庄豊先生の講演資料に載っている写真を見ながら、納得した。歩く「アンパンマン」だったかもしれない。
敗戦後、復員した少年兵西本あつし(20歳)は、高知の少年救護院の職員として働いていたが、兄がニューギニアで戦死していることから平和問題に関心を持ち、26歳の時、戦後の平和運動の先頭に立っていた日本山妙法寺(創立者=藤井日達山主)の僧の導きから出家得度し、頭を剃り、黄色袈裟を着けて、団扇太鼓を鳴らし、内灘闘争(石川県)・妙義闘争(群馬県)・砂川闘争(東京都)に参加した。いつも基地反対デモの第一線で、ドンツクドンドンとお題目修行を実践していた。
1957年、32歳の時、師匠の藤井日達山主の随行で、スリランカ・コロンボでの「世界平和評議会」に出席し、帰途、北京に立ち寄り、藤井山主と共に周恩来首相と会見し、国際的視野から運動を見つめるようになった。この年の暮れ、僧籍を離れ、還俗し、市民の一人として、非暴力平和主義を掲げて歩き出す。
1958年6月、広島での第4回原水爆禁止世界大会に際し、広島から東京までの平和行進を提唱し、6月20日、たった一人で歩き始めた。その彼の歩みは、東京に着く頃には1万人を超え、出迎えに集まった人々も万を数えたと報道にある。別の資料には、のべ参加者は100万人とも記されている。
彼は第1回の平和行進の日記を公表している。一部は雑誌『中央公論』に掲載され、大きな反響があったという。「時の人」となり、戦後の平和運動の旗手として注目されるようになった。20日出発時の日記の一節を転記する。(続きは紙面でご覧ください)
2025/6/26
祖国台湾 母国日本 元日本兵の台湾出身戦没者慰霊碑完成 横浜市真照寺 「気軽に参拝」願いに応答 7月25日開眼
真照寺境内に建碑された台湾出身戦没者慰霊碑。周辺も整備された 祖国台湾 母国日本――太文字で刻まれた黒色の仙台石。右側には「台湾出身戦没者の方々/あなた方がかつてわが国の戦争によって尊い命を失われたことを深く刻み 永久に語り伝えます どうぞ安らかに永眠してください」と記されている。横浜市磯子区の高野山真言宗真照寺(水谷栄寬住職)の境内。4月から建立が始まった元日本兵の台湾出身戦没者の慰霊碑は、周辺整備がこのほど完了。7月25日には、水谷住職が理事長を務める世界連邦日本仏教徒協議会(世連仏)の小池弘三会長(真言宗須磨寺派管長)を導師に開眼法要を営む。
「終戦80年ということもあり、テレビや新聞、海外記者など各方面から注目されて、こちらがびっくりするほどです」。クーデターで犠牲になったミャンマー人の慰霊法要やミャンマー地震被災者支援、ウクライナ避難者支援、さらにはインドや中国、ブータンなどに赴き多彩な国際的活動をしてきた水谷氏だが、今回ほど取材が相次いだことはなかった。
もともと世連仏常任理事の遠藤喨及氏(浄土宗和田寺住職)から、台湾出身の軍人・軍属の戦没者を慰霊する碑を建立したい人物がいると紹介された。それが元日本兵で横浜台湾同郷会名誉顧問の呉正男氏だった。97歳の呉氏と会い、事情を聞いた水谷氏は建立を即断した。(続きは紙面でご覧ください)
2025/6/26
全仏婦総会・理事会 新理事長に本多氏 2回目の就任 社会の平和に尽力
本多新理事長 全日本仏教婦人連盟(全仏婦)は18日、東京都台東区の浄土真宗東本願寺派本山東本願寺で第13回総会と理事会を開催。任期満了による役員改選に伴い、新理事長に本多端子氏が選定された。任期は2年。4年ぶり2度目の就任となった本多氏は「社会の平和と本会の発展に力の限り精進したい」と語った。
本多氏は昭和30年(1955)生まれ。自坊は浄土真宗東本願寺派妙清寺。平成18年から全仏婦理事、令和元年(2019)から1期理事長を務めた。コロナ禍の2期4年を務めた花岡眞理子前理事長への敬意を表したうえで、昨今の政治不安や戦争が止まない世情に、「このような時代だからこそ宗教や仏教婦人の役割が重要であると深く感じる」と表明。同会の信条にある「つどいの力」をあげて、「一致団結して『仏教精神』に則り社会の平和と本会の発展に力の限り精進したい」と抱負を示した。
理事会では副理事長に遠賀令子氏(天台宗)、常務理事に前理事長の花岡眞理子氏(真言宗智山派)、梨本三千代氏(真言宗豊山派)、桶屋良法氏(念法眞教)、米田陽子氏(天台宗)、海老塚るり子氏(真言宗智山派)が選定された。
総会では2024年度決算報告書を承認。理事・監事合わせて13人全員が再任された。2025年度の事業計画及び同予算も報告され、環境、募金、被災地支援、写経運動、対アジア支援、文化講座、組織強化などの事業を展開していくことが確認された。
2025/6/26
BDK実践布教研究会 禅に学び伝道を討論
臨済宗方広寺会場 35人が禅体験 AI時代 好きにやってください
横田管長がこれからの布教伝道を講義 (公財)仏教伝道協会(BDK)は10~12日まで静岡県浜松市の臨済宗方広寺派大本山方広寺で「臨済禅師の仏道―禅の教えに学ぶ」をテーマに実践布教研究会を開催。超宗派の僧侶や坊守35人が集い、自然豊かな禅堂で食事作法や朝課、坐禅などの修行、豪華な講師陣による講話と提唱などを通して禅の教えに学んだ。
2日目には臨済宗円覚寺派の横田南嶺管長が「これからの布教伝道のあり方」と題して講話。横田管長は冒頭に「好きにやってください、好きにやるしかない」と結論を述べて講義をスタート。伝道布教の大本は「お釈迦さまの心に適うか」と示し、梵天勧請の説話を引きながら、悟りを開いた釈尊に生じた「慈悲の心」によって布教伝道が始まったと説示。
布教活動に生涯を尽くした松原泰道氏(1907~2009)と中学生の時に出会った横田管長は、松原氏がオウム真理教のサリン事件の時に「仏教の正しい布教ができていなかったことを申し訳なく思う」と話したことに衝撃と感動を受けた回想。サリンを製造した人物が筑波大学の同級生だったことから「私は禅という教えに出会った。かたや死刑に…。正しい教えに触れる機会を与えることが大事と今も強く思う」と布教伝道の重要性を強調。
日曜説教や各種坐禅会、各地での講演会や書籍の発行に加え、YouTubeやイス坐禅による布教にも力を入れている横田管長は「一人でもああ良かったと言ってくれればいい」と述べ、寺院をとりまく環境が厳しい中でも「好きなこと」を選びつつ、布教に励むよう呼びかけた。(続きは紙面でご覧ください)
2025/6/26
金峯山寺 VRシアター開館 大迫力で世界遺産を拝観
役行者の前に現れた蔵王大権現 奈良県吉野町・金峯山修験本宗総本山金峯山寺の聚法殿1階を全面的に改装し、3月28日にオープンした「金峯山寺シアター」が好評だ。TOPPAN㈱が5年の歳月を費やして完成させた超高精細デジタル映像「バーチャルリアリティ(VR)」で、世界文化遺産・金峯山寺蔵王堂をあらゆる角度から内陣の中まで拝観できる。
修験道の開祖で金峯山寺を開山した役行者神変大菩薩の忌日・高祖会(7日)の招待客も、法要後に観覧。荘厳なナレーションと雄大な音楽に導かれながら、VRが創出した大迫力の仮想空間に没入していった。
大峯山を開いた役行者が蔵王大権現を感得する場面や屋根を取り外した蔵王堂の強靭な柱の形状等をVR拝観。20分の上映が終わると、「ようできてる。想像以上やった」と異口同音に驚嘆の声を漏らしていた。英語の字幕も付され、インバウンド対応も図られている。入館有料。
開館日は金土日曜日と祝祭日。秘仏本尊・蔵王大権現像の御開帳期間中は毎日。
シアターの隣には昨年10月、ブックスペース「峙(SOWA)」を開設。厳選された良書を手に取って、ゆったりと過ごせる癒しの休憩所となっている。
2025/6/23
新学長インタビュー 駒澤大学 村松哲文学長に聞く
EXT設立検討 20年後も輝く大学に
曹洞宗の宗門関係校・駒澤大(東京都世田谷区)の村松哲文教授(仏教学部)が今春、学長に就任した。目標にするのは「誰からも愛される大学」。より社会に開かれた大学となるために、エクステンション(EXT)センターの設立も視野に入れる。
かつても僧侶でない学長はいたが、近年僧籍を持たない学長が続いている。前任の各務洋子教授(グローバル・メディア・スタディーズ学部)は同大史上初の女性学長として注目を集め、多様性推進という現代的な課題に取り組んだ。
村松学長も現在の大学が抱える問題に目を向ける。文部科学省の調査によると、2024年度の大学入学者数は募集定員の総計を初めて下回った。同大の充足率は安定しているものの、日本私立学校振興・共済事業団の調査では私立大の6割が定員割れとなり、全体としては厳しさが増している。
建学の理念を表現 3つの方針を示す
「20年後も輝き続ける大学にしたい」と学長選で公約に掲げた。「開校(駒澤大学に改称)から今年で143年。未来へつないでいかねばならない。学長となって歴史の重みが肩にのる思い」と語る。「現状維持は後退に等しい。歴史を受け継ぎ、その先も輝き続けるためには今、タネを蒔いておかないといけない」と意気込む。
「誰からも愛される大学=縁起」「みんなで助け合う大学=慈悲」「お互いに高め合う大学=智慧」。学長就任にあたって3つの方針を示した。「駒澤大学はどんな大学か。建学の理念に照らし、目指すべき姿を表現した。仏教の教えと禅の精神に基づく『誰からも愛される大学』をつくりたい」(続きは紙面でご覧ください)
2025/6/19
天台宗・延暦寺 藤光賢座主が伝燈相承 戒行精神で仏国土建設
歴代座主1200年の系譜に自身の名を書き加える藤座主(大津市・延暦寺) 2月1日に上任した天台宗総本山比叡山延暦寺(滋賀県大津市坂本本町)の藤光賢第259世天台座主(93)は10日午前、延暦寺一山の総本堂・根本中堂で歴代座主の名が記された「傳燈相承譜」(座主血脈譜)に署名する傳燈相承式に臨んだ。宗祖伝教大師が約1200年前にあらゆる命の平安を願って灯した不滅の法灯と、絶対秘仏である宗祖謹刻の薬師如来像の宝前で、名実共に天台座主に就任した。
梅雨の到来を告げる強い法雨が叡岳の諸堂を洗う中、藤座主は天上輿(殿上輿)と呼ばれる特別な輿に乗って、大書院から根本中堂まで進列。輿から降りると、法親王や摂関家の子弟を多く含む歴代座主が平安時代から現代まで紡いできた宗門継承の最高厳儀の歴史を、一歩一歩確かめるような足取りで入堂した。
悠然と内陣本尊壇を拝する中陣中央の猊座に登壇。不滅の法灯の輝きと秘仏薬師如来像をはじめとする諸仏諸菩薩の照覧のもとで、天台座主史に新たな歴史の始まりを刻んだ。(続きは紙面でご覧ください)
2025/6/19
WCRP理事会 第3回東京円卓会議 ウクライナ・ロシア パレスチナ・イスラエル ミャンマー 3紛争地域に絞る 東京平和プロセス策定目指す
世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会(戸松義晴理事長)は9日、亀岡市の大本本部を会場に、オンラインを併用して理事会を開催。7月1日から始まる第3回東京円卓会議の概要が報告され、戦闘が続くロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ及びミャンマーの3紛争地域の宗教者を招へいすると発表した。和解に向けた平和プロセスの策定を目指す。
篠原祥哲事務局長が過去2回の円卓会議と今会議の意義を説明。第2回会議声明文では「宗教者の平和構築者としての自覚」などを合意。「こうした声明文が紛争地域でどの程度実行できたのか、できなかったのか。行動を誓い合ったことを確認する場となる」と述べた。さらに「円卓会議から東京平和プロセスということで、行動指向を強めていきたい」と強調した。(続きは紙面でご覧ください)
2025/6/19
元プロ野球審判が語る 長嶋茂雄さんの名言に続きあり
「野球というスポーツは人生そのものだ」
群馬県館林市大谷派覺應寺 佐々木昌信住職
自坊で長嶋さんが綴った色紙を手にする佐々木住職 「野球というスポーツは人生そのものだ」。3日に亡くなった巨人の終身名誉監督、長嶋茂雄さん(享年89)のこの名言には続きがあった。「“思い通りにはならない”という残りの部分を聞きました。まるで仏教の教えにも通じるような言葉です」。真宗大谷派覺應寺(群馬県館林市)の元プロ野球審判員、佐々木昌信住職(55)が長嶋さんの思い出を語った。
29年間、2414試合で審判を務め、日本シリーズ6回、WBCにも出場。2015年には最優秀審判員賞に輝いた。20年シーズンをもって引退し、同年1月に亡くなった父の後を継いだ。
1992年にセ・リーグ審判員となり、95年に1軍に上がった。長嶋さんとは93~01年の第2次監督時代に同じグラウンドに立った。自軍が勝った試合の審判員は縁起が良いとゲンを担ぐ風習が球界にあり、長嶋さんからは「アンパイア、今日も頼むよ」と英語交じりで声を掛けられた。
ナイターを待つ旧広島市民球場でのこと。その日は大雨が降っていた。「アンパイア、どう思う?」と聞いてきた長嶋さんは「一生のうち今日しか球場に来られない人だっている。その人のためにがんばろうよ」と話したという。この日の試合は通常よりも遅れて決行された。
「長嶋さんはファンのためというプロ意識がとても強い人でした」と佐々木さん。「NPBのコミッショナーになってほしかった。野球界を一つにまとめ、発展させられる人だった。それが一番悔やまれます」と偲んだ。
冒頭の言葉を長嶋さん自身が綴った色紙をもらったのは巨人の宮崎キャンプ。審判員として帯同したときのことだった。その後、アテネ五輪の監督に就任した長嶋さんが東京ドームの審判室に立ち寄った際に、あの言葉について語ったという。(続きは紙面をご覧ください)