2014年

2014/1/1 高野山真言宗別格本山興正寺が宗派離脱を公告


 寺所有の土地を宗派に無断で売却したとされる問題で、名古屋市昭和区の高野山真言宗別格本山・八事山興正寺(梅村正昭住職=前宗会議員)が12月2日、同宗との包括関係を解消する公告を行い、宗派を離脱して単立になる意思を明確にした。

 その理由として、「本山である高野山執行部からの謂われの無い事に対して処分を下される事と、礼録とよばれる本山に対する非常に多額の金員を納めなければならないとの通告を受け」たと嫌疑を全面否定。同日付で離脱通知を受け取った添田内局ではこれに対し、宗規違反への対応を決める審査委員会を開く。

 興正寺は尾張徳川家ゆかりの名刹で、宗内屈指の大寺院。隣接する学校法人梅村学園中京大学のキャンパス地も同寺所有の土地だったが、平成24年8月に同大の申し出を受けて約100億円で売却したとされる。

 宗規では、末寺が寺有財産を処分する際には宗派の承認を得なければならず、売却額の3%を礼録として宗派に納めることも定められている。添田内局では、興正寺はこの規程に違反し、礼録3億円も未納になっているとして追及。同宗の懲戒規程では「正規の手続によらず寺有財産を処分した者」を「罷免以下に処する」と規定されており、今回のケースでは所轄庁である愛知県庁からも宗派離脱の大義を問われる事態になりそうだ。

 興正寺では今年2月、僧侶見習いに通夜をさせていた問題が大きく報じられ、社会的な批判を集めた。

2014/1/1 京都・東山山頂に青龍殿建立 青蓮院門跡が計画発表


京都市内を一望できる大舞台を設けた青龍殿の完成予想図 京都市東山区の天台宗青蓮院門跡は飛び地境内の東山山頂に大舞台を設けた「青龍殿」を建立し、修復した国宝「青不動」を御開帳すると発表した。青龍殿は来年(平成27年)10月4日に落慶の予定。12月11日に東京都内で記者会見した東伏見慈晃門主は「仏教を人生の拠り所に。青不動を中心にご縁を深めたい」と話した。

 青龍殿を建立する東山山頂は将軍塚のある境内地で、比叡山から大阪までを一望できる景勝地。清水寺の4.6倍となる大舞台(1046平方メートル)を設け、青不動の大護摩堂として青龍殿を建立する。外陣となる建物は大正2年の木造大建築「平安道場」(旧大日本武徳会京都支部武徳殿・延面積約537平方メートル)を移築・再建。内陣(約138平方メートル)、国宝「青不動」を安置する収蔵庫(約12平方メートル)も新築する。500人を収容できる仏教センターとして、音楽会や講演会などの諸活動を通じて仏教を発信する。

青龍伝建立を発表する東伏見門主 青蓮院の青不動(絹本著色不動明王二童子像)は、高野山明王院の赤不動、三井寺の黄不動とならぶ、日本三不動画の一つで、現存する平安時代仏画の最高傑作。2009年に初めて御開帳された際には約37万人が参拝した。御開帳は5年ぶり2度目で、3年かけて修復された青不動が公開される。

 東伏見門主は50歳で得度してから長年温めてきたという、青龍殿建立への思いを披瀝。「伝統ある門跡寺院。大切に守っていくのは当然のことだが、観光の博物館ではあってはいけない。仏教を人生の拠り所として皆さんに広げていく。青不動様を中心にしてご縁を深めたい」と話した。

 建築家の増田千次郎氏は移築・再建する青龍殿について、「日本の木造建築における技術的に最高の時代。伝統的な日本の技術と欧米からの新しい技術が入り混じっている」と、文化財の価値を強調。青不動については慶應義塾大学の林温教授が「不動信仰は日本独自の信仰と言っても過言でなく、中国やインドに古い不動明王の画像を求めてもほとんどない。不動明王に二童子を配した安定のいい構図の画像は青不動が最古で最大で最優秀」と解説した。

 青龍殿は来年10月4日に落慶を予定。その後同月7日から12月23日まで青不動を御開帳する。この他、夜間のライトアップが行なわれるほか、青蓮院では青不動復元模写が公開される。

2014/1/1 日蓮宗新宗務総長に小林順光氏が就任


 日蓮宗宗議会は12月18日に第107臨時宗会を開催。渡辺照敏宗務総長の任期満了に伴う総長選挙で、同心会の小林順光氏(妙源寺住職)を後任の宗務総長として選出した。前日17日の第106特別宗会では、正副議長選挙で新議長に望月義仁氏(大蓮寺住職・同心会)、新副議長に内山智洋氏(法華寺住職・明和会)が選出された。

 総長選挙の結果、小林氏が25票、明和会の張田珠潮前会長が20票で小林新総長が誕生した。小林氏は渡辺総長に対し「大震災に見舞われたなかで、長年の宗政宗務のご経験を活かして、宗門のかじ取りという4年間の大役を全うされました」と称賛。就任にあたっては「重責に緊張している」と述べた。

 抱負については「激動する世界の中で、宗祖御降誕800年に、そして未来に向かって前進しなければなりません。まさに千載一遇の慶年をお迎えする中で、宗門百年の大計を見据えた有効な政策を実行する」と力強く宣言。「私は今日より同心会ならびに明和会、宗門関係、各聖各位の絶大なるご協力をいただき、不惜身命にして宗門興隆に邁進することをお誓い申し上げます」と誓った。

 任期を全うした渡辺照敏氏は挨拶で、「私を最後まで守り通してくださった」と第1次、第2次渡辺内局で役職員を務めた局長、部長の名前を一人ひとり挙げて感謝。

 4年の任期を振り返り、宗会会期中に発生した東日本大震災に言及。「とにかく状況を正しく把握することと、被災地へ義援金を届けることに努めた」とし、任期の一年半程は震災対応に全力を注いだことを回顧した。

 新内局は20日の認証式で顔を揃え、21日に総本山身延山久遠寺で祖廟報告式を執り行った。

 小林氏は昭和19年6月生まれ。69歳。立正大学経済学部卒。東京東部葛飾区妙源寺住職。宗政会派同心会幹事長、会長を歴任。宗会議員は今期で4期目。宗会では管長推戴委員会や加行所改革検討委員会で委員長を歴任した。

 新内局は以下の通り。(同=同心会、明=明和会)

宗務総長=小林順光氏(同)、伝道局長=齊藤憲一氏(明)、総務局長=塩崎望巳氏(同)、伝道部長=大塩孝信氏(同)、教務部長=田中文教氏(同)、総務部長=風間随修氏(明)、財務部長=中川法政氏(同)、宗務総長室長=小林正雄氏(同)、現代宗教研究所所長=三原正資氏、日蓮宗新聞社社長=草毛谷秀人氏。

2014/1/1 新春エッセイ 戦災復興の力を震災復興に(板橋興宗)


 今年は終戦から69年。70回忌ですね。戦争が長引いていたら間違いなく戦地に行ってたでしょうね。私は海軍の幹部を養成する海軍兵学校の生徒として峻烈なる教育も受けた。

 戦争は起こるべくして起こった。というのは日本には石油がなかった。ところが軍艦から戦闘機などはすべて石油を燃料にしていた。その石油輸入をストップしようとしたABCDと対立した。Aはアメリカ、Bはブリテッシュ(英国)、Cは中国、Dはオランダ。ABCD包囲陣です。しかし資源の乏しい日本は敗れました。

 戦争は起こるべくして起こったと言いましたが、日本にとって犠牲は大きかったけれども無駄ではなかった。言い方を換えると、多大な犠牲を払って一番恩恵を受けたのは日本ではなかったか。いわゆる戦勝国とされた国々でも、その後に内戦が起きたり、開発が遅れている国もある。そうしたなかで、敗戦した日本に民主主義が導入されたことの意義は大きい。日本だけでは、明治の流れから脱しきれなかったかも知れない。

 われわれ小学校の頃は“コーコーハクシダン”だったんです。知ってますか? 公・侯・伯・子・男の爵位ですよ。つまり家柄、身分です。それが重んぜられていたのが、敗戦でなくなった。とにかくびっくりした。これだけ人権の平等が徹底したというのは敗戦のおかげでしょうね。農地解放も驚いた。地主から田を借りて稲作をやっていた人々が、自分の名義の田になった。アメリカの行政指導のおかげです。日本だけの力では地主階級が強いままだったでしょう。身体に例えると、敗戦という大手術を経験して、今なりの健康な身体になったということです。

 ただし、それができたのは日本人の偉大さではないかと思っている。国土の適度な広さ、四方を海に囲まれていて、同じ日本語を話すから一つにまとまりやすかった。もともと教育への関心も高い。複数民族、複数言語の国だったらそうは行かなかったでしょう。敗戦によるあらゆるマイナスをプラスに換えてきたのが日本なのです。日本人の底力というものを感じます。

 東日本大震災後、宮城県の亘理や荒浜などを視察しましたが胸が痛みました。津波で塩分があるうち、田畑は耕作ができない。千年に一度といいながらも、次の津波を考えると生産活動に踏み切れない気持ちもよく理解できます。被災した広大な土地は今後どうなるのか。復興も遅れていると聞いてます。

 日本は明治以降もいろいろな災害に遭ってきました。関東大震災後の都市の復興、戦争では各地で空襲がありました。阪神淡路大震災もありました。そうした災害から立ち上がる能力を潜在的に持っていると思うのです。被災者だけではありません。日本人すべてが復興に向けて潜在能力を発揮してもらいたいものです。

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板橋興宗(いたはし・こうしゅう)
昭和2年(1927)宮城県生まれ。海軍兵学校(76期)、東北大学卒。渡辺玄宗禅師に師事し、後に井上義衍老師に参禅。福井・瑞洞院、石川・大乗寺を経て、平成10年(1998)横浜市の大本山總持寺貫首、曹洞宗管長に就任。4年後に貫首・管長の公職を辞し、瑩山禅師を顕彰すべく現在地の福井県越前市に御誕生寺を建立した。現在、宗門公認の修行道場として30人ほどの僧が精進している。猫もたくさんいる。

2014/1/9・16合併号 立正佼成会新年御親教 喜びや感動伝える年に


「燈明」「悦可」をの書を掲げ御親教する庭野会長 立正佼成会(庭野日鑛会長)は7日、東京・杉並の大聖堂で新年恒例の「御親教」式典を開催。約3400人が参拝し、清新な空気のもと新たな精進を誓った。

 青年女子部員による本尊への奉献の儀に続き、庭野光祥次代会長を導師として法華経方便品・如来寿量品の読経供養が厳修された。

 長野・諏訪教会少年部長の福田裕謙さんが「決意の言葉」。福田さんは現在40歳。男子部長を経て少年部長になり「私が少年部長!? と考えれば考えるほど想像できませんでした」と戸惑いつつも、自分でよければと思い引き受けた心境を打ち明けた。

 さらに「私は30歳前に入会したので、実は少年部がうらやましい。学生部や少年部の活動に参加したかったと思うこともあります。これからは子どもたちに『大きくなったら少年部長になりたい』と言ってもらえるように精進させていただきたい」と決意と意気込みを語った。

 庭野会長は御親教で「他の動物から見て、人間が本当にうらやましいと思えることは何でしょうか」と問いかけた。答えは「話をすること」で、「それを通して感動したことを他人さまに伝えていくのが大事なことだと思う」と説いた。

 また大聖堂が今年で建立50周年ということに言及し、「50年前当時、私は26歳。今の私は年齢的には後期高齢者。当時のオリンピックも見に行きました」とユーモアで会場を沸かせながら、喜びを伝える年にしたいと話した。

 今年の書き初めは恒例の「燈明」と、方便品にある「悦可」。悦可にちなみ庭野会長は人を悦ばせることをしたいとも語った。

開祖の弟子として―川端理事長挨拶


 式典の中で教団を代表して昨年12月1日に就任した川端健之理事長が挨拶した。1970年に大阪で初めて庭野日敬開祖の謦咳に接した時の感動を「サッサッと歩いているところが光っているんですよ。それは第1回世界宗教者平和会議(WCRP)京都大会のちょうど1週間前でした。当時の開祖さまは気力充実。その時から開祖さまの著書を一つ一つ読ませていただきました」と回想。

 本部奉職40年目を迎え理事長に就任し、庭野開祖の一人の弟子として改めて法華経に示された大乗菩薩道を広めると抱負を語った。

2014/1/9・16合併号 仁和寺で生初式 「華道を世界へ」


石川・三重・和歌山の各支部代表が献華 真言宗御室派(立部祐道管長)の御室流華道生初(いけぞめ)式が6日、京都市右京区の総本山仁和寺・宸殿(しんでん)で営まれた。全国各地から門人60人が集まり、石川・三重・和歌山の各支部代表が仁和寺第一世・宇多法皇御宝前に献華。立部管長は家元式辞で四季がめぐる日本の自然の素晴らしさについて話し、「花のいのちを私たちの生活の中に取り入れようという気持ちでご精進を」と激励した。

 さらに五輪招致で注目された『おもてなし』の精神や、世界文化遺産に登録された和食など日本文化の奥深さに言及。「日本の生け花の良さを堂々と誇りを持って世界に発信されるようお願い申し上げます」と要望した。

 門人を代表して甲山芙久甫副華務長が謝辞。「門人一同団結し、人格の向上に励んでいきたいと存じます」と華道修行への決意を述べ、「より一層のご指導を」と懇請した。

2014/1/9・16合併号 安倍首相、靖国参拝 問われる政教分離


公用車を下り、到着殿に向かう安倍首相(12月26日) 安倍晋三首相は就任1周年となる12月26日午前、東京・九段の靖国神社を参拝した。参拝後の会見で「御英霊に対して、哀悼の誠を捧げると共に尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福を祈りました」と表明した。

 年末だったため教団や団体からの抗議は少なめ。カトリック正義と平和協議会が即日抗議文を提出した。今回の首相靖国参拝に対し全日本仏教会(全日仏)の抗議声明は確認されていないが、昨年4月の春季大祭に閣僚が参拝した時には抗議文、8月には公式参拝しないよう要請文を提出した。全日仏はかねてより閣僚の公式参拝は「信教の自由・政教分離」原則から憲法に反すると主張。改めて政教分離が問われそうだ。

 中国と韓国は即座に抗議した。そのうえ米国政府が異例の「失望」を表明したことは、アジアだけでなく国際的な外交問題としても急浮上した。

真宗教団連合が抗議

 真宗教団連合(里雄康意理事長)は12月26日、安倍晋三首相が同日靖国神社に参拝したことに対し抗議文を提出した。
 抗議文では「靖国神社は、国難に殉じた戦没者を英霊として祀る神社として創設され、先の大戦まで戦争遂行の精神的支柱として国家神道体制の中心的な役割を担ってきました」と同神社の特異性を強調。
 その上で現行憲法が信教の自由と政教分離の原則を定め「国家に対し宗教的中立性を要求し、特定の宗教と直接結びつくことを禁止しており」として、「貴職が靖国神社に参拝することは、この憲法の精神に著しく反する」と抗議した。

「司法判断を踏み破る」真宗遺族会

 本願寺派の僧侶・門信徒らで組織する真宗遺族会(菅原龍憲代表)は12月27日、前日の安倍首相靖国参拝に対する抗議声明を発表した。

 声明では小泉純一郎元首相の靖国参拝に対する違憲訴訟を取り上げ「6つの裁判所に提訴されたが、参拝を合憲とする判決は1件もない。福岡地裁判決(2004年1月13日)、そして大阪高裁判決(05年10月17日)は、明確に憲法違反であることを判示した」とし「にもかかわらず安倍首相はこのような司法による判断を平然と踏み破った」と指摘。

 また「日本国家と国民とを一定の方向に向かわしめようとする、その『確信的』な政治姿勢は、まさしくファシズムというべきもの」と非難した。

2014/1/9・16合併号 展望2014 日本仏教史の変容(松尾剛次・山形大学教授)


 私事にわたって恐縮だが、今年で還暦を迎える。若い頃は、60歳になれば、確固たる日本仏教史像を得られると期待していた。だが、その想いは裏切られ続けている。しかし、それは失望を意味するのではなく、新たな日本仏教史像の登場によって、より豊かな研究の可能性に目を見張らされつづけている、という意味である。ここでは、その40年間で垣間見てきた日本仏教史の変容のさまを、メモ的に記しておこう。

 近年の日本仏教史は大きな変容を遂げつつある。古代仏教史では、大山誠一の聖徳太子非実在論の登場がまず挙げられる。かつて古代仏教史では、聖徳太子は日本仏教の祖と評価されてきたが、その聖徳太子像は日本書紀作者の創作というのだから、衝撃的である。厩戸皇子の存在までは認めるにせよ、聖徳太子の偉業なるものはすべて後世の作り話だとする。いわば、実在の一休像と「一休とんち話」の一休像とが全くべつなように、従来、聖徳太子の活動とされてきたのは、聖徳太子神話に過ぎないという。その当否は別として、古代仏教史像の中核といえる聖徳太子論が変容を遂げつつあることは確かであろう。

 中世仏教史においても大きな地殻変動が起こっている。その代表的な変化として、いわゆる鎌倉新仏教の評価と定義の見直しがある。かつて、中世仏教史といえば、法然、親鸞、道元、日蓮といった鎌倉新仏教が大展開した時代として見なされ、数多くの研究がなされた。いわば、鎌倉仏教中心史観で中世仏教史は描かれてきた。ところが、1970年代に入ると、それまで堕落した存在とされてきた旧仏教寺社勢力こそが中世仏教史の中心と見なされるようになった。それは黒田俊雄によって提唱された顕密体制論の登場による。以後、興福寺、延暦寺といった旧仏教寺院研究が大いに深化していった。とりわけ、旧仏教の改革派として日陰者扱いをされていた叡尊・忍性を中心とする新義律宗研究が長足の進歩を遂げ、中世仏教史の中核的な教団であったことが明らかにされてきた。筆者は、法然、親鸞、叡尊らの教団が遁世僧(官僧身分を離脱した僧を中核とする私僧)であったことなどから、官僧(国家公務員的僧)と遁世僧というモデルを提起し、官僧と遁世僧の対立と協業関係が中世仏教史の展開の基調と位置つけた。官僧は天皇から僧位・僧官を与えられる一方で穢れ忌避などの制約があった。他方、遁世僧はそうした制約から自由となって、葬送従事、非人救済といった活動を行い得たと考えている。

 その一方で、一時期、鎌倉新仏教研究は衰退したが、近年では復活を遂げつつある。ことに、親鸞研究は2011年が親鸞の750回遠忌年であったこともあって、研究が大いに進んだ。思想史的には山折哲雄や末木文美士によって、かつて重要視されてきた『歎異抄』に代わって、『教行信証』を中心に据えた思想史研究が本格化した。他方、伝記研究においても、大いに研究が進みつつある。私も、従来は、親鸞伝の外伝とされ、無視されてきた『親鸞聖人御因縁』『親鸞聖人正明伝』などの読み直しを通じて親鸞伝の解釈し直しを行った。また、親鸞の妻玉日姫についても、京都深草西岸寺の玉日姫墓所の発掘などを通じて、玉日姫の実在に光を当てるべく努力を行っている。こうした試みが起爆剤となって、親鸞伝の見直しがなされることを願ってやまない。

 近世仏教史研究も大きな変容を遂げつつある。従来は、辻善之助を代表とする近世仏教堕落論が通説化していた。近世において、仏教は寺請制度、檀家制度にあぐらをかいて、葬式仏教化し、民衆救済を顧みず、大いに堕落していたとされてきた。ところが近年では、近世において幕府の保護のもとで、教学研究の深化がなされ、また、仏教が国民仏教として民衆に根付いていった側面が明確にされた。いわば、近世を日本仏教の全面展開の時代とみるようになってきている。とりわけ、隠元を開祖とする黄檗宗研究の進展は目をみはるものがある。

 近年の仏教史の変容がもっとも顕著なのは近代仏教史の分野であろう。とりわけ、末木文美士による思想史研究は、近代仏教思想史研究に道を開いたと評価できる。また、近年では、オリオン・クラウタウによって、先述した、旧来の聖徳太子像や鎌倉新仏教中心史観が、近代の仏教史研究のリーダーであった帝大の真宗系の学者によって創作されたものであることが明らかにされている。いわば、日本仏教なるものは、近代日本研究者による創作物だというのだ。明治の日本仏教研究者、ことに帝大の学者には本願寺系の学者がなっており、彼らは廃仏毀釈後の仏教の理想を、親鸞を代表とする鎌倉新仏教に求め、さらに、その源を聖徳太子に見いだしたというのである。

 以上、思いつくままに、極めて大まかに日本仏教史の変容を古代から近代まで概観してみた。より詳しく知りたい方は、『新アジア仏教史』(佼成出版)などを見てほしい。
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 まつお・けんじ/1954年2月長崎県生まれ。東京大学国史学科卒。同大学院博士課程満期退学を経て山形大学人文学部教授。文学博士。専門は日本中世史。著書に『勧進と破戒の中世史』(吉川弘文館)、『鎌倉新仏教の誕生』(講談社現代新書)、『知られざる親鸞』(平凡社新書)などがある。

2014/1/23 韓国曹渓宗宗門校からパネルシアターを学びに短期留学 パイオニア住職のもとへ


 特殊な布と紙を用いて、幼稚園・保育園・小学校でのお話や歌遊びなどに活用される「パネルシアター」。紙芝居の発展形ともいえるもので、その創造性や表現力の豊かさから今や初等教育に欠かせないツールだ。これを約40年前に考案したのが東京・両国にある浄土宗西光寺の古宇田亮順住職。パネルシアターは世界に広がり、古宇田住職はこれにより1981年に正力松太郎賞を受賞している。

 1月5日から11日まで、韓国曹渓宗の宗門校・中央僧伽大学校付設保育教師教育院から16人の短期留学生が西光寺に訪れ、その技術を学んだ。
8日の開講式では日韓の合同法要に始まり、さっそく古宇田住職によるパネルシアターの実演。「おもちゃのちゃちゃちゃ」「森のくまさん」のような歌遊び、「かさこじぞう」といった民話が、パネルシアターの自在な動きで上演されると、留学生も「韓国の童謡や民話で活用できそう!」と大反響。伴奏には兄の古宇田亮延氏(寛永寺幼稚園元園長)のアコーディオンもあり、これも好評だった。

 さらにパネルシアターの発展形で、蛍光絵具を利用した「ブラックパネルシアター」も披露されると喝采。真剣な面持ちで実作に移った。

 当日、会場に姿を見せた唐木邦雄氏(淑徳幼児教育専門学校名誉校長)は「韓国の皆さんも、やはり本物を見ると学べることが違うと思います」と期待感を語り、子どもを育てることに大きな力を発揮するパネルシアターの魅力を強調。

 留学生からは「これは総合的な芸術だと思います。読み聞かせよりももっと想像力を育む効果がありますね」「教えてもらった演目は、全部実際にやってみたいです!」といった感想が口々に寄せられた。

2014/1/23 阪神淡路大震災から19年 鷹取教会で超宗派追悼行事



 一般社団法人神戸青年仏教徒会(神戸JB、伊藤仁明会長)は17日、神戸市長田区のカトリック鷹取教会(神田裕神父)で諸宗教による阪神淡路大震災の追悼行事に参加。同区のあわせ地蔵では震災犠牲者の慰霊法要を営み、いずれも地震発生時刻の午前5時46分に追悼の祈りを捧げた。


 同地区では被災時に寺院、教会、神社など各宗教者が震災ボランティアでつながり、7年前から鷹取教会で合同の追悼行事を実施してきた。仏教からは、今年も地元の神戸JBの他、全日本仏教青年会の伊東政浩理事長ら各宗派の青年会代表者が参加。今年は東日本大震災で被災した子どもたちを元気づけるため、NPO団体が子どもたちを関西に招待し、この追悼行事にも参加した。


 神田神父は地元の宗教者で作成した「いのり追悼と新生―諸宗教者によるメッセージ」を読み上げ、家族、地域、国籍、そして宗教も越えて「復興を創ろうとするすべての人々と共に、震災を生きるものとして、私たちも一つになりたいと願います」と祈りを込めた。


 伊東理事長は、早朝の寒さから、当時の被災者の苦労を偲んで、「今日という日を大切に、生きていくうえで色々な苦しみがある中で、絆を大事に共に進んで参りたいと思います」と話した。


 被災時に自坊がほぼ全壊の被害を受けた神戸JBの伊藤会長(長田区極楽寺住職)は、「当時は中学生。もうがむしゃらだった」と回顧。年々街で世代交代が起っていることにも触れ、震災の記憶を伝え慰霊を継続するため「神戸大空襲も50年経つが慰霊法要が続いている。震災の追悼も続けていきたい」と語った。

2014/1/23 高野山真言宗、別格本山興正寺住職を罷免 寺側は宗派離脱を撤回


 尾張徳川家ゆかりの名刹として知られる名古屋市昭和区の高野山真言宗別格本山・八事山興正寺が寺所有の土地を宗派に無断で売却した問題で、高野山真言宗(添田隆昭宗務総長)は6日、梅村正昭住職(前宗会議員)を罷免した。梅村住職側はすでに興正寺の宗派離脱を公告しているとし、「処分は無効」と主張。だがその後、「協議」の姿勢に転じた。関係者によると、17日に梅村氏ら3人が和歌山県高野町の宗務所を訪問。離脱撤回の意思を伝え、罷免の取り消しを求めてきたという。宗派側は態度を保留している。

 興正寺は平成24年7月、学校法人梅村学園中京大学にキャンパス用地として貸していた寺の土地を、宗派に無断で同大に売却。宗規では寺有財産を処分するには宗派の承認が必要で、宗派に売却額の3%を礼録として納めなければならないと定められている。興正寺の土地の売却額は約100億円とされているが、「実際は130億円超」と明かす関係者もおり、少なくとも3億円の礼録が未納となっている模様だ。梅村氏側は宗規理解の誤りを認め、礼録納付にも応じると伝えてきたという。(続きは紙面をご覧ください)

2014/1/23 展望2014 終活が変える寺院環境(吉田健一)


 私は以前葬儀社に勤めていた時期があります。その期間はお葬式が地域から切り離される過渡期でもありました。かつてはそこに関わる全ての人がお葬式の当事者だったように思います。やがて自分も親と同じように見送られ、そして子や孫も、同じ「物語」のなかで生き、死んで行く。先人が伝承し紡ぎ上げてきた生と死をめぐる物語のなかに身を置きながら、皆が同じ方を向くことで死の不安や死別の悲しみを受け入れてきたのではないでしょうか。ここでは旅立つ者と遺される者の双方が死を受容するための知恵が込められていたようにも思います。お葬式は悲しい現実だけではなく、かけがえの無い者との目には見えない絆が存在することを確認する場でもありました。しかし、その物語を支える主体者が地域から葬儀社へ移行し、施主が「お客様」になってしまったことで、お葬式は形骸化し現在に至ります。

 かつての共同体で共有されていた物語に対するリアリティを失うことにより、人々は死の不安や死別の悲しみとダイレクトに向き合うことになりました。特に寺院や地域社会と疎遠な人ほどこれらの諸問題に直面しているのではないでしょうか。

 彼らのマインドは地下水のように私たちの見えないところで他の受け皿へと流れて行きます。それは水が高い所から低い所に流れるように、「顧客と業者」というより個別の関係へと向かっています。これはお葬式が形骸化した後から現在の終活ブームに到り変わることはありません。そして、これを看過することは、やがては寺院を取り巻く環境をも巻き込み足元から大きく変えて行く原因となるのでしょう。今後は檀信徒だけではなく、このように今まで寺院と縁を持たなかった、あるいは持てなかった人にこそ寺院が積極的に関わり、そのような個々の人々を繋げ社会全体を巻き込んで行くアプローチが求められるのではないでしょうか。

 一方で、僧侶自身の社会との関わり方が問われる時代でもあります。私は葬儀社に勤めていた当時、遺族から死生観についての様々な質問を受けました。彼らはなぜ宗教者ではなく、葬儀社の社員である私に質問したのでしょう。ある人はお坊さんに馬鹿にされるのではないかと二の足を踏み、ある人は「いや、仏教では」「いや、○○宗では」と言われることに辟易したと答えてくれました。その方は、教養として知っておくべきことかもしれないが、自身の心の問題として響かなかったとも語っています。私が僧侶であることを知らないからこそ言えた本音でありますが、それゆえに耳の痛い話でもありました。

 もちろん僧侶として言うべきことがあります。しかし、一度ボタンを掛け違えてしまえば、「この人にはもう心の内を明かすまい」と本音を隠してしまうこともあるでしょう。現代においては今まで私たちが当然と思っていた前提が相手とは共有されていないこともあることを心に留めておく必要があるのかもしれせん。今日においては、その前提から一歩踏み込んで、彼らの心情を真摯に受け止め、彼らと共通の言語で語りかけ、お互いに共有できる思いを一つずつ積み上げて行くことが求められるように思います。しかし、その先にある世界観は、私たちが説くべき教えと本質的には相違ないことを理解し合えるのではないかとも思っています。

 お葬式とは、たとえ肉体や社会的な役割を葬っても、その人のかけがえの無い存在そのものに光を当てるための宗教的な変換作業の場だと私は思っています。遺族はお葬式を経ることでその尊い存在を再発見し、以後新たに関係性を再構築して行きます。このように死後もその魂と絆を保ち続けることが日本人の行って来た悲嘆ケアであり、そのような絆を必要としていることは、今日においても変ることはないと感じています。

 いや、寄る辺となる物語を失ってしまったことで、目に見えない絆を確かなものと感じたいと願う人は多いはずです。このように愛する人のかけがえの無いいのちに光を当て、死の「その先」の物語を照らし出すことにおいて、宗教者の存在は益々不可欠なものとなっているのではないでしょうか。

 終活イベントが盛況の昨今ですが、残念ながら私たちの目には終活世代の方々の後ろ姿ばかりが映ります。しかし、後ろを振り返れば生きることに虚しさを感じ苦悩する彼らの子や孫世代が見えるはずです。自身の「逝き方」を通して次代に何を伝えるのかという視点が今後の終活にとっての大きな課題となるべきではないかと思っています。また、死の問題に対して極端に「個」に流れる傾向は死の本質を矮小化させてしまいます。一人称の死はその人にとってのエンディングであっても、二人称にとっては悲嘆や喪失体験のスタートである視点も欠落させてはなりません。

 これらの観点を示唆することにおいても、業者と顧客という利害関係ではない宗教者の存在意義を社会に対してしっかりと示して行く必要があるのではないでしょうか。
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 よしだ・けんいち/昭和44(1969)年生まれ。神奈川県平塚市・浄土宗浄信寺住職。寺ネットサンガ事務局員、自死自殺に向き合う僧侶の会会員、平塚地区保護司。平成6年に浄信寺住職に就任。大学在学中の平成5年から葬儀社にアルバイトとして務め、その後8年間社員として勤務。自坊では葬儀社での経験を活かし、お葬式の本質を学び語り合う「宗活~大人の寺子屋」を催したり、遺族の分かち合いの場を提供するなどの活動を行っている。

2014/1/30 全日本仏教会理事会 大蔵経データベース事業を世界最高水準へ


 公益財団法人全日本仏教会(全日仏、小林正道理事長)は28日、東京・芝公園の明照会館で第6回理事会を開催。17人の理事と3人の監事らが出席し、4月1日から始まる平成26年度事業計画案および予算案を審議し、公益事業の一つである大蔵経テキストデータベース運営に関し、世界最高水準の拠点とする目標を掲げ、3年間で総額6900万円の事業を推進することになった。3年後の平成29年に財団創立60周年を迎えることから、準備委員会を実行委員会に移行することも決まった。(続きは紙面をご覧ください)

2014/1/30 善隣教 韓国被爆者支援40年 駐広島大韓民国総領事から表彰牌


辛総領事から表彰牌を受け取る力久教主(右) 善隣教(福岡県筑紫野市)の力久道臣教主は1月15日、駐広島大韓民国総領事館を表敬訪問し、辛亨根(シン・ヒョングン)総領事より善隣教の40年にわたる韓国原爆被害者の救援活動に対する表彰牌の贈呈を受けた。

 善隣教の韓国被爆者救援活動は1974(昭和49)年、力久辰斎教祖(1906~1977)が韓国を訪れた際、広島と長崎で被爆した大勢の人が何の医療支援もなく後遺症と生活苦に喘いでいる惨状を知り、贖罪の頭を垂れて義援金を伝達したことから始まった。

 当初は韓国原爆被害者協会会長の辛泳洙(シン・ヨンス)氏を窓口として支援を行い、以来40年、義援金にとどまらず、歴代の被害者協会の会長を介して訪韓の度に親交を深め、一方で韓国被爆2世と善隣青年部との「青年平和の翼」による交流も28年続いている。そうした中で、広島駐在の辛亨根総領事が故辛泳洙原爆被害者協会会長の子息と分かり、奇しき巡りあわせに、辛総領事も力久教主も旧知との再会のような感激の面持ちで親愛の堅い握手を交わした。

 総領事館での贈呈式には、元新日本宗教団体連合会(新宗連)役員の清水雅人氏、白眞勲参議院議員、坂本利昭広島教会長らが立ち会い、教団史の1頁を飾った。

2014/1/30 仁和寺へ早池峰神楽を奉納 史上初 佛教大学が主催


早池峰岳神楽の舞の一つ、神仏の化身とされる獅子頭を使った権現舞(25日 仁和寺本坊) 岩手県花巻市に伝承される民俗芸能・早池峰神楽(国指定重要無形民俗文化財・ユネスコ無形文化遺産)の奉納が25日、京都市右京区の仁和寺であった。かつて同寺の直末寺で神楽を受け継いできた坊舎の子孫ら14人が近世以来となる仁和寺への正式参拝も果たした。同寺での神楽の奉納は記録にないことから今回が史上初になるという。

 早池峰神楽は花巻市大迫町の2つの集落、岳(たけ)と大償(おおつぐない)に伝承される岳神楽と大償神楽の総称で今回奉納されたのは岳神楽。岳神楽は集落にあった嶽妙泉寺門前の六坊の人々によって担われ、子孫が受け継いできた。

 嶽妙泉寺は江戸時代の1674年、仁和寺に所属。幕末まで直末寺で、住職は仁和寺で修行するなど行き来があったが、明治の神仏分離で岳早池峰神社になってからはそれが途絶えた。

 今回の正式参拝・神楽奉納は盛岡市在住の理学療法士で佛大研究員の中嶋奈津子さんが佛大で早池峰神楽を研究したのがきっかけとなり、八木透教授が子孫の人々の願いに応えて仲介して実現。佛大宗教文化ミュージアムが主催した。

 正式参拝は金堂で行われ、岳神楽保存会の小国朋身会長ら子孫が参列。藤橋千秋仁和寺執行導師のもと法要が厳修された後、小国会長へ参拝証明書が授与された。

 その後岳神楽奉納が本坊大内の間であり、立部祐道門跡が臨席、僧侶、一般参加者多数が参席した。神楽は笛・太鼓・鉦が奏でるテンポの速い音に乗って、翁や山の神などの面を付け独特の烏帽子を被った1~5人ほどの舞手が、イザナギ・イザナミが睦み合う姿や高天原の荒神が悪魔を退散させる様などを舞った他、「権現様」である獅子頭を使った舞いを見せた。

 2時間弱の神楽終了後同保存会の伊藤金人氏は「社家になる前は六坊職の家柄でした。おそらく仁和寺にもおじゃましたのではないでしょうか。先祖の夢がやっと叶うことになり、仁和寺に奉納できましたのは岳神楽の誉」と喜びを表明。立部門跡は「迫力を感じました。神に献じられる舞を仏の立場で拝ませてもらいました。楽しませていただきました」と感想を話していた。

2014/1/30 展望2014 歴史に学ぶ仏教と平和 平和時こそ問われる行動(河野太通)


昨年4月、東京・千鳥ヶ淵戦没者墓苑で営まれた妙心寺派の平和祈念法要 私が管長に就任して平成22年から広島、沖縄、長崎、そして昨年東京の千鳥ヶ淵と4カ所で平和祈念法要を行った。


 妙心寺派教団には花園会があり毎年一回、女性部の大会がある。私がそういう思いを持っていることを幹部の方が知っていて、広島で開催することになった。初日に原爆記念館を視察しての学習会。二日目に原爆供養塔前で読経してお祈りです。それから広島で終わりではなくて、継続することとなり、次の年は沖縄、3年目は長崎、4年目の昨年が千鳥ヶ淵。4年かけて4カ所、いい平和巡礼ができた。参加者は原爆や戦争、平和について認識を深めたと好評でした。


 平和活動の原点は何かとよく聞かれます。やはり戦争体験が大きい。結論から言うと、日本が戦争に突入する以前の平和な時、すでに戦争に対する罪が始まっていた。そして教団が歯止め役をなしえなかったことへの反省。そういう思いが私にものを言わせるんですな。


 終戦は旧制中学4年でした。私が生まれたのは1930年(昭和5年)。1931年に満州事変が起こり日中戦争、太平洋戦争になっていく。ということは生まれてから15,16歳まではずっと戦争だった。だから国はいつも戦争をしているものだと思っていた。そこで軍国主義教育を受けていますから、私たちの世代は、いずれは国のためにいのちを捧げることを生き甲斐にしていた。バリバリの軍国少年でした。 


 ところが戦争に負けて、体制が崩壊すると、自分の生き甲斐も崩壊した。改めて自分は何になったらいいのか、何のために生きていったらいいのかを考えざるを得なかった。


 学徒動員で工場勤務する前、日本が戦争に勝ったら米国人も日本語を話すようになるから、あまり英語を勉強しなくてもいいという。戦争が終わって学校が再開されると同じ先生が、君たちを教育していたのは軍国主義教育で間違いであった。これからは民主主義教育だから、そのためには英語を一所懸命勉強しなければならないと。先生の言うこと、大人の言うことを信用出来なくなった。


 戦後、日本は民主主義教育となったが、他の国には、共産主義教育も社会主義教育の国もある。社会が変動してそれに併せた考えや生き方は浮き草と同じ。それは自分の人生ではない。社会がどんなに変動しようが、人間として変わらない正しい生き方や信念があるのではと考え、求めるようになった。もともと私は鎌倉に住んでいて、祖父が建長寺の信徒総代をやっていた。幸い、禅寺に縁があり、坊さんの道を進むことになった。


 ある日、小僧としてお寺にお手伝いにいったら、檀家さんが和尚に向かって、隊長、隊長と呼んでいた。どうしてかなと思っていたら、檀家さんは和尚の兵隊時代の部下だった。その時初めて坊さんも鉄砲担いで戦場に行ったことを知った。坊さんになってエライ失敗をしたと後悔した。しかし、仏教の勉強、坐禅はしたかったので、宗門の学校である花園大学に学んだ。市川白弦先生(『仏教者の戦争責任』著者)に出会ったことは私に大きな影響を与えた。坊さんになったのが間違いじゃなくて、仏教教団が間違っていたんだと気づいた(苦笑)。


 図らずも花園大学長時代、妙心寺第2世遠諱の時、法堂での記念講演を頼まれた。戦争に協力したことに対して教団は懺悔をしなければならないと話した。和尚方は、檀信徒の前に立つと、いのちを大切にしましょうと言う。しかしそのいのちを大切にしなかった歴史がある。あれは間違いだったと懺悔しておかなければ、他人にいのちが大切だと言えないじゃないか、だから宗門は社会に向かってあれは間違いだったと表明してくれと要望したんですわ。多少の反応はあったけれども、大きな波紋にはならなかった。私は宗門に対する希望を失った。


 しかし、それから6年後にオーストリーの婦人からの禅門管長、師家に対する戦時の宗門に対する質問状、さらに米国に起こった同時多発テロが機縁となって、平成13年(2001)9月27日の「非戦と平和の宣言文」(臨済宗妙心寺派第100次定期宗議会)となったのですが、全くの自浄作用でなかったことを残念に思っています。


 戦争の罪は、もともと平和時にあります。一般庶民に、社会的政治的情報が知らされず、庶民も知ろうとしなかった。「無知」で「知らぬが仏」で居たことの罪である。同じことが近年、原子力発電所の事故によって思い知らされたのではないか。仏教でいう「正見」「正思惟」を欠いたのです。


 繰り返しますが、戦争や原発事故が起こって初めて罪が発生するのではない。戦争前、事故前の“平和な時”に、何もしないこと、無関心でいることは罪を犯しつつあることなのです。宗教者は、時に冷徹な思いを持ち続けないといけません。(談)

………………………

 こうの・たいつう/昭和5年(1930)大分県生まれ。兵庫・祥福寺専門僧堂師家、花園大学学長などを歴任。平成22年、臨済宗妙心寺派管長、全日本仏教会(全日仏)会長に就任。会長時代、原発事故をうけて宣言文「原子力発電によらない生き方を求めて」を発表した。管長職は今年3月まで。山田無文老師について南太平洋諸島で遺骨収集活動にも携わった。アジア南太平洋友好協会(RACK)会長。著書多数。

2014/2/6 中山寺節分会 宝塚歌劇生が華やかに 「かんのんさま」も登場


観音様に諭され、鬼が改心する音楽法要 兵庫県宝塚市の真言宗中山寺派大本山中山寺(村主康瑞長老)で3日、星祭節分会が営まれ、大勢が参拝した。本堂で除災招福の祈祷が厳修される中、福娘の宝塚歌劇団生らが本堂前舞台で華やかに豆まきを行った。
豆まき前には、追儺式を現代風にアレンジした恒例の音楽法要が営まれた。貪・瞋・痴の三毒をまき散らしながら荒れ狂う3匹の鬼を、宝塚歌劇団生扮する観音様が説法。諭された邪鬼は改心し、福・禄・寿の善神に生まれ変わった。

 宝塚歌劇団生が節分行事に参加するようになったのは、戦後間もない昭和24~25年頃から。さらに今年は中山寺のイメージキャラクター「かんのんさま」が初登場。女の子の「なっちゃん」と、なっちゃんを観音様に導く伝説の動物「ミウミウ」も節分会を盛り上げた。

2014/2/6 真言宗各山会 次年度大阿に立部祐道門跡


加藤精一化主(左)に亀谷暁英門跡から長者杖が贈呈された 真言宗各派総大本山会(小宮一雄代表総務)の「御修法新年総会」が1月30日、京都市東山区の総本山智積院で開かれた。今年の後七日御修法の大阿闍梨を務めた加藤精一・総本山長谷寺化主に、真言宗前長者の亀谷暁英・大本山隨心院門跡が長者杖を贈呈。真言宗長者となった加藤化主は、国の安泰や人々の安心のために尽力すると力強く表明した。立部祐道・総本山仁和寺門跡が、来年の御修法の大阿闍梨を務めることも正式に発表された。

 川俣海淳・総本山長谷寺寺務長が、後七日御修法の成満を報告。各山会をはじめ、「実に多くの方のお力添えを賜りました」と感謝した。

次年度大阿への決意を述べる立部門跡 加藤化主は、無魔成満に改めて謝辞。「ここにいらっしゃる全ての方々のお世話になったおかげです。お若い方々も一生懸命やっておられ、『弘法大師のおんため』というお気持ちを受け取りました。皆様方の宗祖を想う熱いお心に触れることができました」と述懐した。

 長者杖を手渡した亀谷門跡は、「御法体を大切にされ、無事、長者職をお務めいただきますように」と祝辞を述べた。

 続いて小宮代表総務(総本山智積院寺務長)が、来年の御修法の大阿闍梨に立部門跡が決定した経緯を報告。立部門跡は、「精進潔斎して、皆様方のお力を頂戴しながら一生懸命務めさせていただきます」と決意を語った。

2014/2/6 InterFaith(諸宗教交流)平和を願う祈りの駅伝 海外から8人参加


左から広報を担当する北川一成氏、実行委員の長澤香静氏、実行委員長の関﨑幸孝氏、走者の横田南嶺管長、芳村正徳理事長 2月16日(日)の京都マラソンに併設される「InterFaith(IF)駅伝―平和を願う祈りの駅伝」。その記者会見が1月29日、都内で開かれた。 IF日本実行委員会の関﨑幸孝委員長(全日本仏教会〈全日仏〉事務総長)のほか、出走する横田南嶺・臨済宗円覚寺派管長(全日仏副会長)や芳村正徳・教派神道連合会理事長(神習教管長、桜神宮宮司)も参席し、力強い決意を表明した。海外から8人、日本から32人が参加し、立春後の古都をタスキリレーする。

 関﨑氏は「異なった宗教間の」という形容詞であるインターフェイスの訳語を紹介しながら、諸宗教者による駅伝であることを説明。その上で昨年6月、ルクセンブルクで行われたIF駅伝に全日仏が初参加したことを報告し、駅伝だけが目的ではなく修道院宿泊、ホームステイなど付随した交流イベントが実施されていることを紹介した。

 こうした体験を踏まえて日本での開催となったが、「世界平和はもちろんだが、東日本大震災による犠牲者の追悼、そして被災地の復興の意味も込められている」と意義を語った。

 実行委員の一人である長澤香静氏(京都府宗教連盟事務局長)は京都の諸宗教協力の歴史を辿りながら、「日本の宗教が和合し協力しあいながら今日に到っている姿と、宗教都市京都をアピールしたい」と歓迎。協賛・運営協力団体を代表して北川一成氏(グラフ株式会社社長)は「宗教は門外漢だが、宗教を知らない人との交流をはかることができないかとの打診をうけた。人間とは何かを常に考えさせられ、宗教はその道しるべになると思っており、広報を担当することになった」と述べた。

 続いて走者の二氏は同じ49歳で、10キロランニングをしてきてから会見に臨んだ。横田氏は震災後、地元鎌倉で超宗派による祈りに参加してきた自身のインターフェイス活動を紹介。さらに「私は禅宗という宗派で座るのは得意で何時間でも座ってられる。それが走るというのは大変なこと。しかも年齢もきているので、きついものがある。しかし厳しい状況であればこそ、自分の全身全霊をあげ渾身の力を込めて走り、世界の平和と震災で亡くなった人のご冥福と復興を祈る決意である」と表明した。

 芳村氏は、「インターフェイス駅伝は4人1組となって、世界平和と被災地復興の思いを込めてタスキをつないでいくことなので責任が重い」と控え目に発言。一方で会議を中心とした宗教対話が主流だが、「終わったあと同じ苦労を分かち合い、一体感がうまれるのではないか。そうすると新しい形の異なった宗教間対話のモデルになるのでは」と期待した。

 参加予定者は海外8人(キリスト教7人、イスラーム1人)で2人が女性。日本は残る32人。青年宗教者が核になりそうだが、年齢幅は20代から60代と広い。午前9時に西京極総合運動公園をスタートし、第1中継所(仁和寺前)、第2中継所(北山ふれあいセンター前)、第3中継所(聖ドミニコ修道院前)を経て平安神宮前がゴール。

 4人1チーム。所属宗教と自己申告タイムでほぼ同じレベルのチームを構成する。勝ち負けではなく、全チームの完走を目指す。走者には参加賞が贈られる。

2014/2/13 高野山大学でスピリチュアルケア学科復活 今春から大阪で開講


 高野山大学(藤田光寛学長・和歌山県高野町)では今年4月から、スピリチュアルケア学科を復活させる。新設する大阪サテライトキャンパス(北区中之島・大阪大学中之島センター内)で、2年制の別科「スピリチュアルケアコース」を開講。これまで高野山上のキャンパスに通うことが難しかった社会人層に、広く門戸を開放する。18歳人口にこだわらない、幅広い世代の生涯学習ニーズに応える試みの第一歩でもある。

 新設されるスピリチュアルケアコースのキャッチフレーズは、「いのちと向き合う方法を学びます」。主な対象は、看護師や介護士をはじめ終末期医療の従事者、教員などの専門職。受講者は、日本スピリチュアルケア学会の認定資格も取得できる。講義は平日夜と土曜日。土曜日の講義は平日と同内容で、勤務の都合で受講できなかった講義も週末に再受講できる。

 授業料は2年間で合計120万円(国公立の大学院並)。定員30人。出願締切は3月7日(消印有効)。問い合わせは同大(電話0736-56-2921)。詳細はHP(http://www.koyasan-u.ac.jp/)。(続きは紙面でご覧ください)

2014/2/13 WCRP世界大会報告会 宗教間対話、世界性を獲得 ロビー活動の難しさも


ウィーンでの世界大会の様子を報告する参加者 昨年オーストリア・ウィーンで開催された第9回WCRP(世界宗教者平和会議)世界大会の報告会が1月29日、東京・杉並区の立正佼成会法輪閣で開かれ、約300人が大会の様子や現地での討議内容を共有した。

 報告会の開催にあたってWCRP日本委員会の庭野日鑛会長(立正佼成会会長)は、今回の世界大会では各国の代表枠が少数に限られていたため、大会の成果を共有する報告会を「大事な機会」と捉えていると挨拶。

 報告会は、記録DVD映像で大会を振り返り、日本委員会の畠山友利事務局長が全体報告。前回に比べ加盟国が75から90カ国に増加した点など、宗教者の世界ネットワークの強化がWCRPを通じて図られたことを解説した。

 続いて日本から参加したWCRP日本委員会の代表者らがコメント。女性部会部会長の森脇友紀子氏(カトリック東京大司教区アレルヤ会会長)はキリスト教とイスラームの対立が続く地域で、両宗教の女性が母親の立場から和解を試みる取り組みがあったと報告。

 日本ムスリム協会理事の樋口美作氏は、宗教者だけでなくユニセフ、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)などの国連機関が参加したことで、「具体的な要望、提案があり、実のある大会だった」と回顧。中でも一部地域で残っているイスラームの習俗〝女児の割礼〟の賛否について、「初めてムスリム同士でも議論があった」と報告した。

 日本委員会のMDGs(国連ミレニアム開発目標)タスクフォース責任者の國富敬二氏(立正佼成会)は〝他者と共に生きる歓び〟というテーマを肌で感じ、大会宣言で指摘された「世界的な敵意の増大」について「世界の厳しい状況を感じた」と話した。

 約20年間、4度の世界大会を取材している共同通信編集委員の西出勇志氏は、唯一外部からの視点を提供。今大会は「WCRPがより世界性を獲得した大会」となった反面、日本側の意見を通すことが困難となり、「日本委員会の存在感が薄まった」とも指摘した。

 WCRP日本委員会平和研究所の眞田芳憲所長(中央大学名誉教授)は、総括で世界大会での日本委員会の取り組みを紹介。さらに今回予算面でも非常に大きな影響力があった共催団体のKAICIID(カイシード=アブッドラー国王宗教・文化のための国際センター)について、当初は「従来のWCRPの伝統が崩れるのではないか」と憂慮していたが、「カイシードの運営は非常に堅実だった」と評価した。

 カイシードについては、日本から仏教代表として理事となっているWCRP日本委員会理事の庭野光祥氏(立正佼成会次代会長)から発足経緯などが説明された。

 日本委員会の杉谷義純理事長(天台宗宗機顧問)は閉会の挨拶で世界大会でのロビー活動の難しさや、国際情勢に触れ、「常に歴史が証明する過程に我々がいる」という意識をもって平和を願う必要性を強調した。

2014/2/13 日本消費者協会葬儀アンケートシンポ 平均費用189万円 下落傾向続く


宗教界からは全日仏の加久保部長が登壇し、体験をまじえて葬儀の現状を報告 一般財団法人日本消費者協会(松岡萬里野理事長)は7日、「第10回葬儀についてのアンケート」調査報告の発表とシンポジウムを都内で行い、一般消費者含め約100人が参加した。あくまで参考数値ではあるものの、葬儀費用合計の全国平均額は約189万円、うち「寺院への費用」全国平均は約45万円と前回(3年前)より7万円ほどダウンしたことが明らかになった。下落傾向が長く続いている。

 アンケートは全国の同会会員、および同会に葬儀等の問い合わせをした人、消費生活コンサルタント合計1618人から有効回答を得た。そのうち「3年以内に葬儀を経験した人」が576人。

 同会の田中大輔氏が概略を説明。葬儀の形式は仏式が9割以上を占めるものの「そのうち41.5%は宗派について無回答」と指摘。また、「支払った費用と葬儀の内容・サービスの妥当性」については、「やや高い」16.0%、「非常に高い」5.6%と、2割が不満を抱いていることを提示した。直葬については「故人の希望なら仕方ない」が38.9%、「あまりに味気ない」が38.6%と容認・否定が伯仲しているとしながらも、自由記述では「さびしい、感謝する場がほしい」など否定的意見がやや多かったとした。

 続いて、葬祭業・墓石業・宗教界の3つの立場から識者が発言。全日本葬祭業協同組合連合会の濱名雅一副会長は東京都内で葬儀社を営む立場として「小規模ないわゆる家族葬も5割くらいはあるのではないか。町会や自治会に周知して行う昔ながらの葬儀は2~3割と私は考える」と、都市部の葬送形式の急激な縮小化を吐露。
 個人的には家族葬でも問題はないとしながらも「息子娘に迷惑を掛けたくないという意見もあるが、葬式は本当に『迷惑』なことなのかよく考えてほしい。そもそも迷惑なら参列者は来ませんよ」と促した。

 日本石材産業協会の井口健二前会長は自然葬・散骨について「故人の希望ならそうする」が5割近かったことに着目。「言葉だけが独り歩きしている感もある。例えば自宅の庭に撒くとして、そこに子々孫々ずっと住むのかというと違う」と他人が住むかもしれない場所に「今は自分の家だから」と安易に散骨してしまうことには疑義を呈した。

 宗教界からは全日本仏教会(全日仏)の加久保範祐広報文化部長が発言。仏式葬儀をした人の4割が宗派を無回答としたことに「申し訳ないとしか言いようがない」。これが4割の人が「菩提寺を持たない」ということになると問題が大きいのではないかとする一方で、一般人に「宗派意識」が少ないことの反映かもしれないとの認識を示し、「良いことか悪いことか、深く考えなければならない」と述べた。

 4割近い人が「心付けやお布施の額」を困ったことに挙げている件については「申し訳ありません。しかしここは崩せません。お布施ですから。お計らいください」と理解を求めた。「お経の文句が分からない、というなら後で勉強してほしい。(仏式葬儀の故人は)仏弟子になって、私たちをずっと見守っていただくのですから。そこは譲れない」と宗教的な意義も強調した。

「私は浅草の寺院だが、檀家で台東区に残っているのは20軒を切っている。ほとんどが他区・近県に移っている」と人口移動と葬儀・信仰の様態変化の関連性も示唆した。

2014/2/20 諸宗教交流インターフェイス駅伝 平和と復興祈りタスキリレー



管長のタスキリレー。合掌して願いを託す臨済宗円覚寺派の横田南嶺管長とタスキをまく神習教の芳村正徳管長(第2中継地点) 京都マラソンに併設された「Inter Faith(IF)駅伝―平和を願う祈りの駅伝」が16日、古都京都で行われた。前日まで雨模様と天候が心配されたが、スタート後は晴天に恵まれ、京都マラソンの1万6千人のランナーにまじって10チーム40人の宗教者は西京極総合運動公園をスタートし、3地点でタスキをつなぎ平安神宮前でフィニッシュ。全チームが時間内の完走を果たした。最高タイムはJチームの3時間44分57秒だった。夕方には門川大作・京都市長を迎え、表彰式とレセプションが催された。主催はIF日本実行委員会(委員長=関﨑幸孝・全日本仏教会事務総長)。(激走の詳細は紙面をご覧ください)

2014/2/20 天台宗議会 平成28年度から10年間の根本中堂改修を発表


 天台宗(木ノ下寂俊宗務総長)の第129回通常宗議会(栢木寛照議長)が18日、滋賀県大津市の宗務庁に招集された。木ノ下総長は執務方針演説で重点施策目標を掲げ、「祖師先徳鑽仰大法会」「東日本大震災復興」「比叡山宗教サミット30周年に向けての取り組み」「教師研修会」「機構検討」について説明した。

「祖師先徳鑽仰大法会」の第1期「慈覚大師1150年御遠忌」が平成27年3月末に終了し、4月から第2期「恵心僧都1000年御遠忌」に入ると説明。さらに「伝教大師御生誕1250年」「相応和尚1100年御遠忌」「伝教大師1200年大遠忌」と続くことを述べた。

 特に第1期・2期の記念事業である「根本中堂の改修」について、「全体では10年の期間を要し、平成28年度から本格的に取りかかる予定」と発表。「国宝根本中堂」の屋根葺替等に7年間、引き続き3年間で「重要文化財根本中堂回廊」の栩葺屋根の葺替等が国庫補助事業として計画されていることを話した。

「大震災復興」では、昨年12月12日に福島教区を視察したことを報告。「今後も福島はもとより現地と連絡を密にして、出来得る限りの支援をしていきたい」と表明した。

「比叡山宗教サミット・世界宗教者平和の祈りの集い」が平成29年8月に30周年を迎えることを紹介。記念行事の策定に取りかかるとした上で、「(毎年)宗外の参加者に比べ宗内からの参加者が少なく、盛り上がりに欠ける感は否めない。宗徒に限らず檀信徒にも多数参加いただけるような企画を考えてまいりたい」と語った。27周年を迎える今年の「宗教サミット」にも大勢の参加を呼びかけた。

2014/2/20
宮沢賢治のバイオリン 弟のひ孫が奏でる 京都佛立ミュージアムで演奏会


宮沢賢治のバイオリンを奏でる香帆さん(左)と父親の和樹さん 京都佛立ミュージアム(京都市上京区)で15日、法華経信仰をもっていた童話作家・宮沢賢治が生前所有していたバイオリンを使った演奏会があった。賢治の弟・清六さんの孫でその遺志を継いで賢治の作品を伝えている宮沢和樹さん(49)が賢治の音楽について語り、娘の香帆さん(19)が賢治が作った曲や好きだった曲など10曲を奏で、心地よい音色を館内に響かせた。

 演奏会は賢治の原稿や絵画などを展示している「宮沢賢治と法華経展」(28日まで)の企画として開催。和樹さんによると、賢治はチェロを演奏しバイオリンは演奏しなかったが、弦楽四重奏をしたい希望があってバイオリン8本とビオラ4本を所有。その内宮沢家に伝わる1本を花巻市から運び、同志社大学1年、同志社交響楽団に所属する香帆さんが奏でた。

 演奏会では香帆さん奏でるドヴォルザークの交響曲「新世界から」第2楽章に乗せて、賢治がこの曲に付けたという詩「種山ヶ原」を和樹さんの妻やよいさん(47)が朗読。次いで賢治自身が作曲した「星めぐりの歌」はじめ「牧者の歌」「耕母黄昏」「精神歌」、賢治が好きだった「少年楽手」「大湖船」「主よ、みもとに近づかん」を、やよいさんのピアノ伴奏で奏でた。「G線上のアリア」のメロディーに乗せて賢治が妹トシの臨終を詩にした「永訣の朝」の朗読もあった。ちなみにトシはバイオリンをひいたのだという。

 和樹さんは「芸術は普通の人々の生活の中になくてはいけない。それでこそ人々は幸せを感じると考えていた」と賢治の芸術観も話した。

 会場の1階ホールにはめったにない機会とあって550人が来場し大勢の立ち見も出た。向日市から来た女性(37)は「他人のために尽くすという賢治の考えに共感して来ました。バイオリンの音色もよかったです」、上京区の女性(70)も「普通のバイオリンより低い穏やかな感じがしました」と満足気だった。

2014/2/27 七世安田松慶会長、旭日小綬章叙勲祝賀会 全日仏・大正大・都仏3理事長が祝辞


これまでの歩みを振り返り感謝を述べる安田会長。右は綬章と表彰状 1792年創業の仏壇仏具の老舗・安田松慶堂(本社・銀座)。七世安田松慶会長(前社長)が昨年春の叙勲で旭日小綬章を受けたことを祝賀する会が20日に東京の帝国ホテルで開かれ、宗教産業界や仏教界、実業界から120人が参加し寿いだ。実行委員長は全日本宗教用具商業協同組合(全宗協)の小堀賢一理事長。

 仏教界からは3人の大徳が列席し祝辞。全日本仏教会(全日仏)の小林正道理事長は仏教界の発展に寄与してきた安田会長の功績・人柄を激賞し「私事になりますが自坊(芝の浄土宗妙定院)も安田さんにすべてお任せした。本当に評判がよく立派なものを作っていただいた」と感謝の言葉を贈った。

 大正大学理事長・天台宗宗機顧問の杉谷義純氏は慶應義塾大学の後輩として親しく交際したエピソードを披瀝。「とても誠実で真面目な方。というと固い人に思われるかもしれませんが、なかなかどうして娑婆っ気もあって」とユーモアも飛ばし会場を沸かせた。東京都仏教連合会(都仏)の山田一眞理事長も安田松慶堂の匠の技を絶賛した。

 安田会長は列席者に甚深の感謝をし、「これが私にとって最初で最後のハレの舞台」と謙遜しつつ、今後も宗教産業界への力を尽くすと抱負を語った。

 安田会長は1939年東京生まれ。慶應義塾大学商学部卒業。86年に七世安田松慶を襲名して社長となった(2012年に勇退し会長)。東京宗教用具商業協同組合理事長(現職)、全宗協前理事長。東京ブディストクラブ会員として仏教界と仏具界の交流にも尽力している。

2014/2/27 東本願寺御影堂門 既設の階段等で耐震へ


 真宗大谷派本山の御影堂門の耐震調査報告会が18日、京都市下京区の同派宗務所であり、阪神淡路大震災級の地震や暴風でも耐え得るようにするには、既存の階段にダンパーを取り付けて揺れを吸収し、欄間の飾り組子の枠組みを補強するなどの提案が行われた。

 耐震調査は鈴木祥之・京大名誉教授を委員長とする東本願寺耐震調査研究委員会が実施。その結果、御影堂門は風速50メートルの暴風や、阪神淡路大震災のような震度6強クラスの地震で倒壊の恐れがあることが判明。

 それを防ぐためには屋根を空葺きにして重量を軽減した上、御影堂門の両脇にある既存の階段を利用し、その上・下部にダンパーを取り付けて南北方向の揺れを吸収。東西方向の揺れには壁面に取り付けられている耐震性能の高い飾り組子を補強することが有効などと提案が行われた。調査結果は今後の修復工事に反映される運び。

 御影堂門は明治44年(1911)に落成。阿弥陀堂と共に2012年2月に起工式を行って修復が始まった。竣工は15年3月末の予定。

高さ国内最大判明

 この度の調査で記録のある他の歴史ある寺院の山門と比較した結果、高さでは26・897メートルの御影堂門が最大であることも判明した。ちなみに2位は1・4メートル低い東大寺南大門の25・461メートル、3位は金剛峯寺大門の25・088メートル。

2014/2/27 宗議会シーズン始まる 曹洞宗・真言宗智山派・高野山真言宗


曹洞宗宗議会 消える「寺族得度」
 第119回曹洞宗通常宗議会(荒井源空議長)が24日、東京・芝の宗務庁に招集された。和解が取り沙汰されている旧多々良学園裁判と岩手県の正法寺専門僧堂の閉単に関心が集まっているが、佐々木孝一宗務総長は現状を報告するに留まった。一方で注目されるのは寺族得度についての改正案。「寺族得度」の呼称をやめ、「寺族安名親授式」に改めるというもの。この関連規程の変更にも着手することになった。(続きは紙面をご覧ください)

真言宗智山派教区代表会 宗費値上げ案を可決 負担数50円増
 新年度予算案を審議する真言宗智山派(小宮一雄宗務総長)の第118次教区代表会(飯島俊勝議長)が18日から20日まで3日間、京都市東山区の宗務庁で開かれた。小宮総長は災害等への備えとなる基金・積立金を確保したいことや4月から消費税が8%になることを理由に、宗費負担数1に対する賦課金を50円増の1880円にする議案を提出、被災3県の教区代表から1、2年先延ばしを求める意見もあったが、本会議で可決された。大本山・別格本山の宗費も同程度に引き上げが決まった。(続きは紙面をご覧ください)

高野山真言宗宗会 前内局の報告書に新疑惑
 高野山真言宗(添田隆昭宗務総長)の第149次春季宗会(安藤尊仁議長)が2月25日から3月1日までの会期で、和歌山県高野町の総本山金剛峯寺宗務所に招集された。資産運用の巨額損失を隠蔽するなどし、宗派財政を破綻寸前に追い込んだとして責任が問われている前・庄野内局。初日には前内局の財務全般を調査している第三者委員会(代表=釘宮正徳公認会計士)が追加報告を行い、14億5千万円超の集計漏れが発覚した前内局の外部調査委員会「調査報告書」の新たな疑惑を指摘した。(続きは紙面をご覧ください)

2014/3/6 第31回庭野平和賞 ディーナ・メリアム氏が受賞



庭野平和賞受賞者のディーナ・メリアム氏 (公財)庭野平和財団(庭野欽司郎理事長)は2月28日、第31回庭野平和賞を女性宗教指導者の組織「女性による世界平和イニシアティブ」(GPIW)の創設者で議長を務める米国人女性ディーナ・メリアム氏に贈ると発表した。贈呈式は5月16日、東京・六本木の国際文化会館で行われ、同氏へ賞状、顕彰メダルと賞金2000万円が贈られる。


 同賞は宗教協力を通じて世界平和に貢献した個人・団体へ毎年贈呈しているもので、世界125カ国約600人の識者・宗教者に推薦を依頼、審査の上決定している。
 受賞が決まったメリアム氏は1951年3月生まれ、62歳。2000年に国連で開かれた「宗教指導者によるミレニアム世界平和サミット」の企画運営に関わり、女性宗教者の役割に対する認識が低いことに気づいて02年にスイス・ジュネーブで女性宗教者の世界会議を開催、そこからGPIW設立につなげた。現在は世界に4000人のメンバーを擁するまで組織を広げた。


 GPIWは、紛争中や紛争後の地域で女性がリーダーとなって人々の癒しや和解の促進を目指して活動。これまでイスラエル、パレスチナ、イラク、アフガニスタン、スーダン、カンボジア、インドなどで対話に取り組んできた。宗教コミュニティと連携して環境問題にも取り組み、こうした活動が評価された。


 現在は「ハーバード大学世界宗教研究センター」「国際宗教外交センター」の理事、「ブータンGNHセンター」の諮問委員も務める。


 メリアム氏自身の信仰は、大伯父が著名なラビであるなどユダヤ教の家庭に生まれるが、成長してからインド文化・ヨガに関心をもち、ヒンズー教徒に改宗した。

受賞が決まってのメリアム氏の言葉「GPIWが尊敬すべき庭野平和賞受賞者の一つに加えて頂くことはとても名誉なことです。私はこの賞を過去12年間、ともに仕事をしてきた何百という女性の精神的・宗教的指導者や実践家の代表としてお受けいたします。彼女らの仕事は表面には現れませんが、より平和的で他者を思いやる社会の建設とその発展にとって決定的に重要です。彼女らの思いと願い、そしてより慈悲にあふれた世界を建設するためのビジョンを5月に東京へお届けします」

2014/3/6 各宗派宗議会の模様 本願寺派・浄土宗・日蓮宗・豊山派


本願寺派宗会 基本方針つながる・つたわる・ささえる 実践運動の推進強化へ
 浄土真宗本願寺派(園城義孝総長)の第306回定期宗会(竹田空尊議長)が2月27日、京都市下京区の宗務所に招集された。園城総長は執務方針演説で、新年度の宗務の基本方針案に6月の法統継承を機縁にしつつ「つながる」「つたわる」「ささえる」の3つの言葉に集約した方針を提示。その上で御同朋の社会を目指す運動(実践運動)の実効ある推進、東日本大震災はじめ災害への対応、新しい門主のもとでの次期総合計画の大綱策定、首都圏伝道の強化などを主要な施策に掲げた。続きは紙面をご覧ください)

浄土宗宗議会 公金不正流用事件終結へ 対策委規程の廃止提案
 浄土宗(豊岡鐐尓宗務総長)の第109次宗議会(小栗賢亮議長)が3日、京都市東山区の宗務庁に招集された。豊岡内局は、7億4500万円公金不正流用事件への対応のため設置された事件対策委員会が1月に最終答申を出したのを受け同委員会規程廃止案を提出。あわせて裁判等で損害を回収した際の受け皿としていた特別会計損失回復資金も廃止し、事件への対応を終結させる考えだ。同会計から基本財産へ繰り入れた分も含め約5億円を浄土宗基金とする議案も提出した。(続きは紙面をご覧ください)

日蓮宗定宗 機構検討委案を提出 12年経た組織を点検
 日蓮宗の第108定期宗会(望月義仁議長)が4日、東京・大田区の宗務院に召集された。機構改革から12年が経過した現在の組織を点検するため、宗門機構検討委員会を設置する規程制定案など、提出議案は3本。予算案は、僧階の高い高齢の教師数の減少により、前年比519万円減の22億5830万円。(続きは紙面をご覧ください)

豊山派宗会 避難寺院への配慮明言 被災地支援と所得調査
 真言宗豊山派(坂井智宏宗務総長)の第136次宗会通常会(櫛田良豊議長)が4日から6日まで、東京・文京区の宗務所に招集された。坂井総長は施政方針演説で、今後の震災復興支援と平成26年度実施の寺院所得調査に言及。檀信徒の心のケアを主軸にした復興支援の継続と、宗費負担の公平性を保つための所得調査の必要性を述べた。(続きは紙面をご覧ください)

2014/3/6 日本宗教者平和協議会 水爆実験から60年 焼津弘徳院で久保山さん墓前祭


久保山さんの墓地に詣る参加者。数人ずつが交替で献花した 昭和29(1954)3月1日、太平洋のビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験での「死の灰」により焼津港を母港とする第五福竜丸の乗組員らが被爆して60年。被曝死した久保山愛吉さん(行年40)の菩提寺、焼津市浜当目の曹洞宗弘徳院(松永芳信住職)で1日、「3・1ビキニデー墓前祭」が執り行われた。主催は日本宗教者平和協議会(宗平協、荒川庸生理事長)で、主催してから50回目となった。

 太平洋が間近に迫る弘徳院。境内墓地の最奧に大きな花輪に囲まれた久保山さんのお墓があり、墓前祭開式前から市民らの参拝の列が続いた。

 午前10時30分から第1部の追悼法要が開式。宗平協の奥田靖二氏(淺川金比羅神社宮司)が開会挨拶で、「前祭を通じて核兵器の問題、とりわけ福島原発事故から、この意義はさらに大きくなった。久保山さんは『核による犠牲者は私を最後に』と仰った。しかし残念ながら、福島原発事故後、関連死された方はたくさんいる。今後何十年にもわたって放射能被害が広がる可能性もある。我々はそのことを深く考えると共に、マグロ漁船の乗組員は若くして亡くなっている。そういった方々の声に耳を傾けて頂きたい」と述べた。

 続いて焼津市仏教会出仕のもと松永住職を導師に厳修。読経の中を海外代表や来賓らが焼香した。間もなくすると焼津駅前を出発した平和行進の参加者が続々と到着し、境内は焼香と献花の人で溢れた。

 法要後、松永住職が挨拶(要旨別掲)に続いて公益財団法人第五福竜丸平和協会、中野弘道焼津市長のメッセージが紹介された。

60年の歳月を語る松永住職 第2部の誓いの集いでは、日本原水爆被害者団体協議会、原水爆禁止世界大会実行委員会など8団体の代表が表明。宗教界からは宗平協代表委員で立正平和の会理事長の河崎俊栄氏(日蓮宗)が核兵器廃絶や平和憲法遵守といった宗平協と日蓮宗の活動を報告し、2015年のNPT(核拡散防止条約)再検討会議に向けての取り組みなどを誓った。


60年の歳月の流れ早く―弘徳院・松永芳信住職の挨拶(要旨)
 ちょうど60年前、久保山さんが3月1日にビキニ環礁で被爆をされまして、その当時私は小学校6年生でした。
 久保山さんは40歳にして亡くなったわけですが、3人の女のお子さんがおりました。それぞれ結婚され、おばあさんになっている。本当に60年の歳月の流れは早いものだとつくづく思う。久保山さんが、「(原爆の犠牲者は)私を最後にして」と言い残して亡くなったのは被爆から半年後の9月でした。
 久保山さんは生前、バラが好きだということで、今日はバラの花を献花いただきました。久保山愛吉さんもさぞかし喜んでいることでしょう。

2014/3/13 龍谷大学大学院 「臨床宗教師」養成へ 4月から教育プログラム開設



 龍谷大学大学院実践真宗学研究科は4月から東北大学大学院と連携して「臨床宗教師」を養成する教育プログラム「臨床宗教師研修」を開設する。受講資格は僧侶・坊守など信徒の相談に応じる立場にある者で、かつ実践真宗学研究科2年生以上の院生や同研究科の修了者など。初年度は5~10人を募集し、7科目14単位以上の単位取得者に同研究科が修了証を授与する。

 「臨床宗教師」は布教伝道を目的としないで医療・福祉・被災地などの現場で人々の心のケアを実践する宗教者のこと。東日本大震災後の12年4月、東北大学大学院が「実践宗教学寄附講座」を開設して養成を開始した。龍大大学院実践真宗学研究科では同講座と理念を同じくするとして鍋島直樹教授らが東北大学の鈴木岩弓教授らから教示を受けるなど準備を進め、この度の開設にこぎつけた。

 履修科目は「臨床宗教師実習」「グリーフケア論研究」「ビハーラ活動論研究」「実践真宗学研究」「真宗教義学研究」の必修5科目と「現代宗教論研究」「宗教心理学研究」「宗教教育学研究」など選択必修10科目。「臨床宗教師実習」では東北大学と合同で被災地での実習、あそか第2病院ビハーラクリニック・ビハーラ本願寺での実習などを行う。

 1年間の研修によって傾聴・スピリチュアルケア・宗教間対話の能力向上を図り、宗教者以外の諸機関との連携、宗教的ケアの提供方法を学ぶ。

 必修5科目10単位と選択必修2科目4単位以上の取得者に「臨床宗教師研修修了証」を授与する」。同研究科では「就職先確定や資格取得のためではない。自らの宗教者としての課題を見つけ、現場に戻って生き生きと活動できるようになることが本研修のねらい」としている。

 15年度からは社会人も応募できるようにする予定。

2014/3/13 立正佼成会 憲法解釈変更に見解表明 集団的自衛権行使を懸念



 立正佼成会(庭野日鑛会長)は10日、「日本国憲法の解釈変更による集団的自衛権の行使容認に対する見解」を発表。同日、川端健之理事長が首相官邸を訪れ、菅義偉官房長官に見解書を手渡した。

 見解書では、憲法解釈の変更によって集団的自衛権行使が認めらた場合、「専守防衛を責務としてきた自衛隊が地域紛争や国家間の戦争などに直接関与し、武力を行使せざるを得ない危険性が生じます」と憂慮。同時に長年にわたって維持されてきた憲法の基本原則である「平和主義」が、政府主導で解釈を変更しようという在り方は「国民の意思確認を軽視する非民主的政治プロセスであり、近代国家の大原則である立憲主義を否定するもの」と批判。

その上で、「憲法9条の理念を深く認識し、非暴力による平和の実現に向け、最大限の努力をするよう強く要望します」と述べている。

 同会は平成17年12月に「憲法改正に対する基本姿勢」を、同24年11月には「憲法改正に対する本会の見解―憲法の『平和主義』を人類の宝に」をそれぞれ発表している。

2014/3/13 東日本大震災から3年 總持寺で祈りの夕べ 被災地高校生らと合唱も


安積黎明高校、世田谷おぼっちゃまーず・会場一同が心を合わせた合唱「東日本大震災復興支援祈りの夕べ」が8日、横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺で開催された(主催=同実行委員会)。被災地寺院の檀信徒をはじめとする多くの僧俗が参列し、心を一つに祈りを捧げた。

 江川辰三貫首を導師に参列者一同般若心経を読誦。貫首は「震災から3年が経ちますが、本当の復興に至るには険しく大変な道であると思われます」と語り、両大本山が共同で行う、被災寺院に桜の木を届ける「復興祈願桜プロジェクト」を紹介。「(境内に立つ)平成救世観音さまは常に被災地を見守り、無量の光で照らし続けています」と被災地の再生を願った。

 復興祈念コンサートでは福島県立安積黎明高校合唱団が「瑠璃色の地球」「しあわせ運べるように」や四季の歌を披露。合唱団は3年目になる總持寺での企画に感謝。「先日、震災直後に入学した3年生の先輩方が卒業を迎えました。プレハブでの3年間でしたがとても明るくいつも笑顔でした。新校舎の建設も終わり、4月からは新しい環境での生活になります」と思いを語り、新たな気持ちで音楽に向かい合っていくと誓った。

 宗門校・世田谷学園吹奏楽部OBのクラリネットアンサンブル「世田谷おぼっちゃまーず」は「魔笛」「動物の謝肉祭」などを演奏。合唱団とコラボレーションした「ふるさと」「花は咲く」は会場一同が声を合わせた。

 鶴見大学付属高校の鈴木智夏美さんは「亡くなった方々や大切な人を失った人の思いに少しでも寄り添っていきたいと思います。そして、家族を思いやること、友人を始め周りの人を大切にすることを想い直し、震災の教訓を忘れず日々生活して参ります」とメッセージを送った。福島県いわき市龍雲寺の鮫島大仙住職は「原発の仕事に就いている方は朝早く毎日出勤して頑張っており、いつも感謝しています。こうやってみなさまにも想いを分かち合っていただけること、本当に素晴らしいことだと思います。一日一日を大切に生きていかなければという思いになりました」と、人間の絆に謝辞を述べた。

境内は復興への願いが書かれた万灯に包まれた この日、司会を務めた駒澤大学生の藤澤真優さんは宮城県石巻市出身。震災後の夏に帰省した時「幼い頃に見た景色が消え、海が迫っていたことに驚きました」と振り返る。「僧侶である父に、『離れた所からでも、亡くなられた方、苦しい思いをしている人に心を向けてほしい』と言われました。今でもその気持ちを持ち続けています」と嗚咽交じりに話し、「今回の司会も私ができるご供養だと思い受けさせていただきました。この御縁に感謝します」と挨拶した。

 境内には慰霊と復興を祈る万灯が無数に並べられ、参列者は光に包まれながら会場を後にした。

2014/3/20 東日本大震災から3年 各地で集い 追悼の祈り、復興への願い

WCRP 南相馬市で視察と合同祈願式
午後2時46分、全員が起立して黙祷を捧げた(カトリック原町教会) 公益財団法人世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会(杉谷義純理事長)は12日、東京電力福島第一原発から20キロ圏内に近い福島県南相馬市のカトリック原町教会で東日本大震災の追悼と鎮魂並びに復興合同祈願式を執り行った。8教団の代表が宗派別に礼拝し、発生時刻には黙祷を捧げた。またこれに先立ち、第一原発手前十数キロ地点までバスで視察したほか、かつて海水浴場として賑わった北泉海岸にも足を運び、津波の威力を改めて実感した。(続きは紙面をご覧ください)






BDKチャリティコンサート 大槌の高校生を招待
 仏教伝道協会(BDK/沼田智秀会長)は12日、東京の築地本願寺で第16回仏教音楽祭「ブッダスペル」を開催。人気デュオ、Kiroroも登場し、清らかな歌声が堂内に広がった。「いわての学び希望基金」へのチャリティコンサート。ブッダスペルとはゴスペルに倣った造語とのこと。700人が本堂を満員にした。(続きは紙面をご覧ください)

2014/3/20 ソチ五輪銅メダル 上宮高3年平岡選手を表彰 浄土宗


「法然上人にもいい報告ができてよかった」と話す平岡卓選手 浄土宗の宗門校、上宮高校3年の平岡卓選手がソチオリンピック・スノーボード男子ハーフパイプで銅メダルを獲得したことを称え、同宗が13日、京都市東山区の宗務庁で平岡選手に伊藤唯眞浄土門主名の表彰状と記念品を授与した。

 表彰式では伊藤門主に代わって豊岡鐐尓宗務総長が表彰状と記念品を授与し「法然上人の心を心とする学校の生徒がメダルを獲得された。宗門挙げて本当に喜んでいる。法然上人は宗祖。こういったことにもおそらくお喜びになっているのではないか」と祝った。

 銅メダルを首に掛けて登場した平岡選手は「今回は銅メダルを獲れて本当にうれしいです。いろんな人に応援していただいて感謝しています。上宮高校ですし、法然上人にもいい報告ができてよかったです」と喜びを表わした。

 共に出席した上宮学園の安井良道理事長は「感謝の気持ちが強い」など平岡選手の人柄や両親が支えての成績であることを紹介し、「まだまだ18歳の彼です。今後さらに成長してくれる」と将来にも期待した。

 平岡選手は3月に同校を卒業、立命館大学への進学が決まっている。

 ちなみに上宮高校は浄土宗の宗歌「月かげ」が校歌で、この日も式に先立ち共に歌った。

2014/3/20 立正佼成会参与・庭野平和財団理事長 庭野欽二郎氏教団葬を執行



 今月9日に逝去した立正佼成会参与で公益財団法人庭野平和財団理事長の庭野欽司郎氏(満73)の通夜が13日、葬儀・告別式が14日、東京・杉並の立正佼成会法輪閣で教団葬(葬儀委員長=川端健之理事長)として執り行われた。庭野日敬開祖の遺訓を実践してきた欽司郎氏の突然の死を惜しみ、教団を超えて多くの会葬者であふれた。兄の庭野日鑛会長も静かに見送った。戒名は「欽生院法道龍徳信士」。(続きは紙面でご覧ください)

2014/3/27 興正寺住職罷免問題 特任住職の派遣を決定 調査委による会計監査も


境内各所で進む大改修事業。「誰のための事業かわからない」と嘆く檀信徒も多い 宗派から罷免された高野山真言宗別格本山・八事山興正寺(名古屋市昭和区)の梅村正昭元住職への再処分を決める審査委員会が13日、和歌山県高野町の総本山金剛峯寺宗務所に招集された。委員10人の全会一致で、住職不在となっている興正寺への特任住職派遣を決定。宗派は特任住職の派遣とともに弁護士・公認会計士ら専門家を加えた調査委員会も組織するとみられ、罷免の原因となった中京大学への寺有地無断売却の詳細をはじめ同寺の会計処理について徹底調査する模様だ。

 特任住職は4月上旬に派遣される見込みで、その人選が注目される。檀信徒らからは梅村住職の就任以降、「不当解雇によって寺を追われた」僧侶の復職を望む声も上がっている。(続きは紙面をご覧ください)

2014/3/27 曹洞宗 旧多々良学園訴訟の和解先送り


 旧多々良学園訴訟の控訴審で広島高等裁判所は、曹洞宗(佐々木孝一宗務総長)と金融機関5行(山口銀行・西京銀行・もみじ銀行・萩山口信用金庫・東山口信用金庫)の間で和解案を提示していたが、3月24日の和解期日に合意にいたらなかった。

 裁判所の主導で2月4日、和解案が示され、双方が検討。曹洞宗側はこの和解案を受け入れる方向だった。和解できなかった理由は、宗務庁秘書課によると「(金融)5行の足並みがそろっていなかったため」としている。

 和解条件は「曹洞宗が10億円を上限として5行に解決金を支払う」というもの。このため曹洞宗は2月宗議会で10億円を計上したばかりだった。ただし不成立ではなく、4月23日に第2回の和解期日が設けられており、和解は先送りとなった。

2014/3/27 法然仏教学研究センター 佛大が開設 教義・歴史を総合的に研究


法然仏教学研究センター開設を発表する山極学長(右)と運営の中心となる本庄教授 佛教大学(山極伸之学長)は20日、京都市北区の同大で記者会見をひらき、法然上人に関わる基礎研究を進める新たな研究機関「法然仏教学研究センター」を4月に開設すると発表した。「法然上人に特化したという意味では世界初の研究センター」(山極学長)だという。

 佛大は一昨年、2022年へ向けて10年間の大学の方向性を定めた「将来ビジョン」を策定。同センター開設は「大学の使命に即した特定研究」としてその中で謳っていた。実際には現にある総合研究所のプロジェクトを独立させ新たな研究機関とした。

 センターの目的は法然及び法然門下、浄土宗教団に関わる①教義・歴史の総合的研究、②法然仏教学の確立、③文献・研究の収集とデータベース構築、④研究者の養成、⑤研究成果の一般社会への発信―の5項目。

 研究体制は3部門とし第1部門は「法然の教義解明と『選択本願念仏集』などを中心とする基礎研究」、第2部門は「浄土宗高祖善導、二祖聖光、三祖良忠等、浄土宗の思想伝統の研究と周辺宗教者の研究」、第3部門は「浄土宗における僧侶養成(伝法)、教育・教化の研究」を進めるとした。

 各部門にはさらに班を設置。第1部門に法然文献班、『逆修説法』班、第2部門に『摧邪輪』班、門下班、『往生要集鈔』関係班、中国関係班、第3部門に伝宗伝戒班を編成して研究を進めることにしている。各班の具体的な研究内容は別掲表の通り。

 センター長に山極学長が就任。研究員に本庄良文教授はじめ齊藤隆信・伊藤真宏・曽和義宏各准教授の4人、嘱託研究員に佛大で非常勤講師を務めるなど関係のある研究者13人が就任する。また佛大大学院生一人が学術研究員となる。

 月1回程度の研究発表会、年2回程度外部講師を招いて研究会を開く。各班の作業は院生の参加を求めて実施する。

 山極学長はセンター開設の意義について「佛教大学設立の母胎であります浄土宗、これを開かれました法然上人。その法然上人の教えをしっかりと研究し、その研究に基づく教育を展開する。あるいはその研究に基づいて社会貢献を行っていく。そして研究を通じて次なる時代を担っていく研究者や教育者を養成していく。人材養成という点でもこのセンターの使命は非常に重要」と、ここでの研究が大学活動の根幹となる点を強調した。

 ちなみに、センター名を従来使われる浄土学や浄土宗学ではなく「法然仏教学」としたのは「仏教の中の一領域ではなく、法然の教えを仏教全体の中に還元して捉え、多角的に研究する」(齊藤准教授)などの意味を込めた。

2014/4/3 金峯山寺 秘仏本尊開帳始まる 前夜祭で舞囃子奉納



ちびっ子桧垣本座の中学生らが演じた舞囃子「岩船」 奈良県吉野町の総本山金峯山寺(五條覚照管領)では国宝・仁王門大修理の勧進として2年前から秘仏本尊蔵王権現を一定期間特別開帳しているが、今年も3月29日から特別開帳が始まった。前日28日には蔵王堂で前夜祭を執行、本尊開扉法要が営まれた他、「ちびっ子桧垣本座」による舞囃子なども奉納された。

 秘仏本尊開帳による大勧進は平成24年から約10年間を予定しており、今年はその3年目。今年はまた、金峯山寺を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が平成16年7月に世界遺産に登録されて10周年にあたることから、秘仏開帳は秋にも予定している。

 開扉法要は本尊前の扉を開け、光で照らされた三体の蔵王権現の前で五條管領が大導師、同寺僧侶らが式衆となり関係者が参列して厳修した。

 式典では奈良県の辻本浩司南部東部振興官が挨拶。「奈良県はこの吉野の地は大事だと思っている」とし、世界遺産10周年で盛り上げていきたいと言明。来年は高野山開創1200年にあたり大師が歩いたとみられる吉野と高野を結ぶ「弘法大師の道」のPRで5月と6月にイベントを開催する旨報告した。岡下守正大淀町長、北岡篤吉野町長、和田林道宜近鉄副社長も挨拶し、特別開帳や世界遺産10周年を祝った。

 このあとは優れた猿楽者を輩出した大淀町の「ちびっ子桧垣本座」の中学生4人が水色の衣に袴をはいて連吟「吉野天人」や舞囃子「岩船」を奉納。その講師らの舞囃子「盤渉早舞」や能楽笛方藤田流十一世宗家・藤田六郎兵衛氏による笛の奉納もあり、幽玄な音色が前夜祭を彩った。

 秘仏開帳は6月8日まで72日間。問合せは金峯山寺☎0746―32―8371へ。

2014/4/3 前田専学博士 インド政府からパドマ・シュリー勲章を受章 

 公益財団法人中村元東方研究所の前田専学博士(東京大学名誉教授)が、インド国家のために卓越した貢献をなした民間人に贈られる勲章パドマ・シュリーを受章した。日印文化交流の歴史を継承し、哲学・思想の学術分野を軸に、経済界・産業界等にも発展する総合的な人的交流の礎を築いた功績が称えられた。


 前田博士はインドの思想史上最大の哲学者とされるシャンカラを中心としたインド正統派哲学であるヴェーダーンタ学派の学問を修め、シャンカラの思想研究で日本や欧米各国ならびに本国インドにおいても高く評価されている。恩師である中村元博士の衣鉢を受け継ぎ、中村元東方研究所理事長を務めるほか、インド関連の各種団体の世話役として日印の学術・文化交流の進展に寄与。一昨年より始まった「中村元博士生誕100年記念事業」では、島根県松江市の中村元記念館の開館や山陰インド協会の設立など、経済・産業分野への日印の人的交流の発展に多大な貢献を果たしている。


 パドマ・シュリーはインド政府が毎年同国の共和国記念日にあたる1月26日に発表する勲章の一つ。日本からはこれまでに中山太郎・前衆議院議員、司馬正次・筑波大学名誉教授、辛島昇・東京大学名誉教授が受賞しており、前田博士は4人目となる。前田博士は今月26日にインドの大統領官邸で行われる叙勲式典に出席する予定。

2014/4/3 沼津アイバンク運動50年 献眼者法要で創設住職講演


ローソクを灯し、世の中を照らす意味を説く勸山住職 静岡県沼津市でアイバンク運動が始まって50周年を迎え3月30日、同市末広町の真宗大谷派真楽寺で献眼者追悼慰霊法要が、運動創設者である勸山弘住職(94)を導師に営まれた。運動母体である沼津市の5つのライオンズクラブ(LC)はじめ、献眼者家族、開眼者家族ら約200人余が参席した。勸山住職は記念講演で、ラテン語の「死んだ人が生きた人を助けて喜ぶ」を紹介した。

 導師香語では、「昭和39年、献眼運動を開始以来、春風秋雨五十周年に当たり、九百名に及ぶ市内の献眼者の崇高なる行為を謝し、本日ここに追慰霊の法会を行わんとす。/死して自らの角膜を喜捨し、見えざる人へ光を与えんとする人間愛の慈悲行は、まさに社会福祉の先駆者と称すべきか」と奏上。読経の中を参列者が焼香し、献眼者を追悼した。

 終了後、手術によって開眼した市内の女性(62)が感話を披露。中学生頃に違和感があったもののそのまま学生、社会人生活を送ってきた。40歳を超えて極端に悪化。「知り合いに挨拶されても、誰か判らなかった」とか、「友人に無視されたと言われた」といった視力障害に伴う諸問題に遭遇。そして51歳の時に角膜手術を受けた。

「手術の翌日、眼帯をとった瞬間、アッと声をあげた。きらきらと輝く診療室、光に満ちあふれた窓辺――、あまりによく見えるので目に入ってくる光で目が痛いような強烈な印象だった」と回想。そして「光を取り戻した時、私の心も輝きを取り戻すことが出来た」と献眼者に感謝した。

 続いて、日本アイバンク運動推進協議会最高顧問でもある勸山住職が「限りある命を超えて」と題して記念講演。50年前、檀家の葬儀で献眼に立ち会った体験から献体・献眼の意義までを先人や現代人の言説を交えて話した。途中、一本のローソクに火をつけ、アイバンク運動は「世の中を照らしたい」という願いがあると紹介。それを千二百年前に示したのが伝教大師最澄の「一隅を照らすもの、これ則ち国の宝なり」だとした。

 さらに30年前、金沢大学医学部の新装となった解剖教室を訪れた体験に言及。「ブロンズのプレートにラテン語で書かれていた。『ここでは死んだ人が、生きた人を助けて喜ぶ』とあった。献体によって医学生が学び、成長する。アイバンクも同じで、死んだ人が生きた人を助けて喜ぶのです」と運動の意義を力説した。

 なお沼津市内の献眼者総数は約900人。静岡県内の献眼登録者は約4千人。

2014/4/3 花まつり特集号 各地のユニーク花まつり

麻布十番の花まつり 国際色豊かなパレードに

誕生仏に甘茶をそそぐ海外のお稚児さん 麻布十番(東京都港区)の花まつり(麻布十番商店街・麻布仏教会共催)は毎年千人ほどが参加する都内でも最大級の花まつりだ。六本木ヒルズや数多くの大使館が立ち並ぶ土地柄、外国人のお稚児さんも多く、国際色豊かなパレードで毎年賑わいを見せている。

「麻布の花まつりは、来てもらわないと、そのすごさは伝わりませんよ」と話すのは、同仏教会の長亮行会長(日蓮宗長幸寺住職)。150人もの愛らしいお稚児さんが六本木から麻布にかけてお練りする光景には、誰もが笑顔になる。灌仏も4体用意されるほど、盛況な花まつりだ。

 花まつりは地元の子どもたちとその家族、3世代が楽しめる地域行事だが、麻布十番ではお稚児さんの半数が大使館やインターナショナルスクールの子どもたちで、日本の伝統行事を知ってもらう機会にもなっている。

 外国人からの反響は高く、商店街振興組合の須永達雄理事長は、「参加した外国人の親子から、日本の良い習慣に参加できて嬉しい。良い思い出になりました。という手紙がくるんですよ」という。(続きは紙面をご覧ください)

亀戸仏教会の花まつり シャカメくんが大人気!
昨年の花まつりで初登場したシャカメくん 東京都江東区の城東仏教会亀戸支部(通称亀戸仏教会/全11カ寺)の花まつりといえば、30年以上前から亀戸十三間通り商店街と協力して行われている歴史あるもの。その花まつりに昨年、インパクト絶大なマスコットキャラクター「シャカメくん」が誕生したのをご存知だろうか。

 公式プロフィールは「一万歳の長寿の亀が、亀戸で長きの修行を積み、さとりを開き、この度シャカメくんとして誕生しました」。シャカ+カメということで、設定も丈六の身長、ミルクのおかゆが好物など、凝っている。螺髪は花まつりらしく花、亀の甲羅が後光となって表現されているのも面白い。この甲羅の真ん中を撫でると長寿になるという「現世利益」も。

 シャカメくんの企画で中心に動いているのは2人の青年僧。真言宗智山派東覚寺の小宮俊海副住職(31)と、同派寳蓮寺の鈴木晋雄副住職(27)。「長年やってきて根付いた花まつりでしたが、近年、そろそろ新しい企画も必要ではないかと意見があり、3年前から計画を練りました」(小宮さん)。(続きは紙面でご覧ください)

2014/4/10 臨済宗妙心寺派 嶺 興嶽管長が入山

力強い足取りで参道をお練りする嶺管長 臨済宗妙心寺派の嶺(みね)興(こう)嶽(がく)・第34代管長の入山式が1日、京都市右京区の大本山妙心寺で営まれた。嶺管長は御詠歌の調べと共に、総門から大方丈前の唐門までお練り。宗内外から145人が出席した微妙殿での就任茶礼では、「この世界が混迷を深め、宗教に対しては大きな期待を持っているのが現在の情勢です。任を全うできますように、皆様方のご協力をお願い申し上げます」と力強く就任挨拶を行った。任期は4年間。

 栗原正雄・宗務総長は「今、伝教仏教教団はその存在意義が大きく問われ、僧侶に対しても社会から厳しい目が注がれております」とした上で、宗門の現状を分析。「寺院数は海外の11カ寺を含め3372カ寺。仏教系教団で7番目の寺院数ですが、そのうち1053カ寺が住職不在であり、兼務・代務・無住という厳しい状況です。いずれは住職不在の寺院が住職のいる寺院を上回るとの見方もあり、その対策と後継者育成・宗門の活性化が切望されております」と説明し、「かかる時、新管長猊下にはその徳をもって、一派の崇敬の中心として本派をご総覧賜りますようお願い申し上げます」と懇請した。

 続いて東海康道・宗議会議長が祝辞。「現今は既成教団を見る目がますます厳しくなり、しかも死生観・人生観が様々に変化し、供養の根幹が揺らぎかねない状況です」とし、「本派の歩む道筋をご教示賜らんことを」と要望した。

 山内寺院を代表して、永安宣明・一山会会長が挨拶。「一山として一心に務めさせていただきますので、ご指導を賜りますようお願い申し上げます」と述べた。

【嶺管長略歴】昭和17年11月生まれ。岐阜県養老町出身。名古屋市東区・徳源寺専門道場師家。大通寺住職嶺龍昌師に就き得度。昭和36年岐阜大学に進学後、花園大学に移り昭和40年卒業。同年、徳源寺専門道場に掛搭、松山萬密老大師に嗣法する。平成2年、徳源寺専門道場師家に就任。平成3年歴住開堂を挙行。妙心寺第690世。

前日に退山式を営む



笑顔で妙心寺を後にする河野前管長3月31日には河野太通前管長の退山式が挙行され、退山茶礼には宗内外から149人が出席した。栗原総長は、河野前管長が全日本仏教会(全日仏)会長として出した宣言文「原子力発電によらない生き方を求めて」や非戦・平和のメッセージを紹介。社会に向かって情報発信をし続けた功績に感謝の言葉を述べ、その実現に努力すると誓った。

 河野管長は任期4年間を振り返り、特に東日本大震災について語った。
「私自身、阪神淡路大震災の時には神戸の祥福寺僧堂にいたので、現場に行って雲水たちを督励し炊き出しをしました」と当時の状況を話し、東日本大震災で目の当たりにした津波被害と原発事故による避難生活の過酷さに言及。その上で「こうしたことに対して、仏教者が何も申さなくていいのか、こんなことでいいのかと思っていた時に、全日仏の会長になりました。社会に仏教者としての意見を申さなければならないと思い、会長談話として(「原子力発電所事故から思うこと」を)発表したところ、世間の注目を浴びた。それ以来まことに忙しくなり、意義のある日々を過ごさせていただいた。妙心寺の管長、全日仏の会長ということで、人が耳を傾けてくれました」と謝辞を述べ、「それが宗門の活性化になるならば、こんなにありがたいことはありません。さらなる宗門の充実・発展を念願しております」と述懐した。

2014/4/10 大谷派門主後継者 大谷暢裕鍵役が内諾 里雄総長が要請



 真宗大谷派の里雄康意宗務総長がブラジル在住の大谷暢裕鍵役(62)に門首後継者への就任を要請し、暢裕鍵役が内諾していたことが、このほど分かった。正式には宗務総長をはじめ宗参両議会の正副議長、審問院長ら10人で構成する継承審議会で決まるが、事実上の決定とみられる。

 里雄総長は3月7日から14日までの日程で南米開教監督部の現地法人化のためブラジル・サンパウロ市を訪問。その間に開教司教(開教区別院住職たる門首を補佐する役職)でもある暢裕鍵役と会い、門首後継者就任の要請を行ったという。要請は今後の正式な手続きを円滑に進めるためのものとみられる。

 現在の暢顯門首には子孫がおらず、1996年の就任以来、後継者不在の状態が続いていた。門首継承の順序を定めている内事章範では《嫡出の男系の男子》を優先しているが、門首の子孫がいない場合、《門首は、最近親の血統の男子がこれを継承する》と規定。この規定に基づいて他の鍵役もいる中で暢裕鍵役が選ばれたものとみられる。

 暢裕鍵役は1951年(昭和26)8月生まれ。光暢前門首の弟にあたる暢慶氏(能明院)の長男。南米開教区開教使になった父とともに52年にブラジルに渡った。サンパウロ州立大学物理学学士課程を卒業して現地の航空宇宙技術センターを経て、航空宇宙技術研究所に勤務する。母国語はポルトガル語で、日本語、英語、スペイン語も話す。院号は能慈院。2011年11月に鍵役に就任した。

2014/4/10 全青協 第38回正力賞決定


 仏教精神に基づく青少幼年の教化活動や文化・社会活動を通じて社会教化に長年尽力してきた個人・団体に贈られる「第38回正力松太郎賞」(全国青少年教化協議会主催)の本賞に宗蓮寺子ども会(垣本孝精氏・日蓮宗宗蓮寺住職/岡山県岡山市)とアジア仏教徒協会(ABA)・ASIAFUND「ABAミャンマー子ども基金」(会長=茨木兆輝氏・曹洞宗西蓮寺東堂/長崎県佐世保市、理事長=牛尾日秀氏・正法事門法華宗法主/佐賀県唐津市)が選出された。

 宗蓮寺子ども会は1968年の設立以来、スポーツを活動の中心に据えた子ども会活動を行っており、ソフトボールやバスケットボール、空手、和太鼓などの指導には寺族も一丸となって取り組んでいる。夏休み期間はほぼ毎日、早朝から子どもたちを集めて勤行を行い、スポーツだけでなく、挨拶の仕方や礼儀作法の指導にもあたる。地域での清掃活動や病院・老人ホームへの慰問にも積極的で、檀信徒や地域の協力者と共に多世代交流を通じた教化活動を推進。寺院を中心にコミュニティを形成しながら広く公益に資する功績が評価された。

 アジア仏教徒協会は1983年に設立され、ミャンマーをはじめとするアジア地域で学校や子ども病院の建設、貧困地域における浄水機器の設置など、教育支援活動や保健医療活動を推進。2005年には「ABAミャンマー子ども基金」を設立し、進学や技術研修、傷病治療等のための支援費用が提供されている。昨今では東アジア地域の子どもたちの国際理解と平和を願うこころの育成を目指し、日韓の子どもたち仏教文化交流事業も行っている。

また今年度は今後の活躍が期待される若手僧侶や団体に贈る青年奨励賞の該当者はなかった。

 活動報告会と表彰式は5月26日に、東京・港区の東京グランドホテルで行われる。

《受賞のコメント》


ABA・ASIAFUND「ABAミャンマー子ども基金」茨木会長
 たくさんの人たちが30年間関わってきた努力の結果をこのように評価していただき本当にありがたいことです。私の代でこの賞を受けられたというのも不思議なご縁を感じます。
 ミャンマーの戦没者の慰霊から始まったABAの活動は、仏さまに守られながら、魂でつながる活動ができたと思っています。当時、ミャンマーは10人の子どものうち、5歳まで生きられるのは3人だけという状況で、「子どもたちに何かをしないと未来がない」という気持ちでした。
 今は日韓の子どもホームステイなども行っています。これからも庶民の立場で世界と交流を深めていきたいですね。

2014/4/17 種智院大学でダライ・ラマ法王が講演 慈悲は全宗教共通の実践


講演後、法王から村主学長に仏像が贈呈された 真言宗の宗門校・種智院大学(村主康瑞学長)で10日、チベット仏教の最高指導者・ダライ・ラマ法王が「密教と即身成仏の法」をテーマに講演した。京都市伏見区の同大講堂には、宗内外から約600人が参集。チベット仏教の教えや修行法についての学びを深めた。


 法王は、「密教の教えは一般的に説かれるべき教えではなく、個別に与えられるべき教えである」と説明。経典から「すべての命あるものの心には、一切の汚れにまみれていない光明の心、仏になる種がある。様々な煩悩は滅することができる」と説いた。


 さらに「慈悲を育むことは、すべての宗教に共通した実践。大悲なしでは最も高い悟りの境地に至ることはできない」と述べ、「仏教の修行では、教えを聞いて何度も考え、自分の境地を高めていくことが大事」と話した。


 村主学長(大本山中山寺長老)は開会挨拶で、「昔の方は高僧の教えを聴くために何年もかかって中国、インドに渡った。今はこうして(日本で)身近にお聴きすることができるようになった」と今回の講演会の意義を説明。「私も仏弟子の一人としてお話をお聴きしたい」と語った。

2014/4/17 アフリカへ毛布をおくる運動30周年迎え報告会 ケニアから感謝の言葉


アフリカから来日したウェソンガ氏、毛布支援への感謝が表明された「アフリカへ毛布をおくる運動」が30周年を迎え、同運動の推進委員会(JBAC)は12日、東京・渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センターで30年の成果を振り返る記念公開報告会を開催。約150人が参加した。

 同運動は、1984年にアフリカで発生した大干ばつ被害に対し、ユニセフが毛布200万枚の緊急支援を全世界に呼びかけたのが始まり。日本では、官民合同の支援活動で俳優の森繁久彌氏を会長とした「アフリカへ毛布を送る会」が発足し、171万枚以上の毛布を現地におくっている。

 翌年、会は解散したが、依然としてアフリカでの需要が高く、AMDA社会開発機構・JHP学校を作る会・日本国際ボランティアセンター(JVC)・立正佼成会等の団体がJBACとしてその活動を継承している。

 報告会では、国内で毛布を集める活動や現地で毛布を配布する作業がどのように行われているか、運動に携わる参加者が報告。八王子仏教会の16カ寺の賛同を得て、地域行事である灯籠流しでPRするなど、現在も地域で活動が続けられていることも発表された。

 続いて支援先の代表としてケニアから来日したディナ・ディンディさんが毛布を受け取った時の気持ちを語り、「毛布をもらった時、私は子どもたちと大喜びし、神様に感謝しました。毛布には、愛があった。そのメッセージにとても感動しました」と感謝を述べた。

 同運動では、現在、自然災害の避難民以外にも紛争難民やエイズに感染した孤児・未亡人などを中心に支援が継続されている。

 毛布を配布する現地パートナーのベナード・ウェソンガ氏(アフリカ開発緊急機構理事)は、日本の毛布は質が高く人気があり、「おくっていただいた毛布は、たくさんの人々の運命を変えた」と毛布支援の意義と継続を訴えた。

 JBACの谷山博史代表幹事(JVC代表理事)は、「これまでに400万枚以上の毛布をおくることができた。毛布一枚一枚には私たちの思いを届ける力がある」と感謝。

 毛布をおくる運動は、現地の人々を助けるだけでなく、世界が関係性の中にあることを知るきっかけにもなると語り、「関係性を知ることが社会を変え、世界を少しでも良くする。小さいけれども最初の、そして大事な一歩になる」と語った。

2014/4/17 大本山總持寺二祖・峨山禅師650回遠忌予修法要が開幕 偉業を讃仰



近畿管区の僧侶が出仕し、560人の檀信徒が参列した最初の予修法要 曹洞宗大本山總持寺二祖峨山韶碩禅師650回大遠忌を明年に控えて、その第一弾となる予修法要が11日、近畿管区の法要で幕を開けた。会場の京都市伏見区の京都パルスプラザには560人の檀信徒が参列。大遠忌テーマは「相承―大いなる足音がきこえますか」。二十五哲という高弟を輩出し、全国に曹洞禅の威風を轟かせた禅師の遺徳を偲んだ。

 佐々木孝一宗務総長は開会の挨拶でテーマに則り、「峨山禅師はお弟子の多さもさることながら、時宜にかない細やかにお弟子を育成された」と評価。来年の大本山總持寺での本法要にもこぞって参拝してほしいと語った。

 この日の予修法要は大本山永平寺の福山諦法貫首が大導師を務めた。「三宝御和讃」の歌声に導かれ、曹洞宗において最も格調高い十八拝差定の形式で厳修。峨山禅師の肖像が掲げられ、供物を恭しく捧げて読経と礼拝を行った。

 福山貫首は「峨山禅師は太祖(瑩山禅師)さまから正法を受け継ぎ、總持寺の住持を42年間お勤めになり、整備運営して確固たる礎を築きました。二十五哲と称される数多くの弟子たちを立派に育成することで宗門が全国に発展していく基盤をしっかりと固めました」と法を守り伝えたことを讃仰。「社会の混迷、人心の不安が今後ますます懸念される将来に向かって、私たちは信心を起こしてみ教えを一体どのように伝えていくのか、今一度自ら深く問い直し考えていただきたいと念じます」と穏やかな言葉で会場の僧侶に檄を飛ばした。

 遠忌局総監の乙川暎元・大本山總持寺監院は伝統仏教のメッカ・京都で予修法要を滞りなく終えられたことに深謝。「峨山禅師は基礎を固められ、幾多のお弟子様をお育てになられた。世が変わりましても人を育成するというのは極めて地味で根気のいることですが、多くの弟子を輩出し、殆ど東北から九州までくまなく広く曹洞宗の教えを伝え、爆発的な展開をみた」と述べ、これを「大いなる足音」とした。さらに「ただ先人の顕彰だけではなく、この教えを伝えていく事こそ責務ではないかと思います」とも語った。

垂示で峨山禅師を顕彰する福山貫首 法要後、姜暁艶さん(二胡)、中島幸子さん(ピアノ)、池田清美さん(フルート)によるコンサートも催された。

 予修法要日程は以下の通り。4月18日福岡・安国寺(九州管区)、5月9日徳島・城滿寺(四国管区)、5月15日三重・賢島宝生苑(東海管区)、6月2日大本山總持寺(関東管区)、6月19日總持寺祖院(北信越管区)、7月5日札幌・中央寺(北海道管区)、7月10日宮城・松島ホテル大観荘(東北管区)、7月17日島根・県芸術文化センター(中国管区)。この他ハワイ・北米・南米・欧州での海外法要となり、来年10月に總持寺での本法要となる。

峨山韶碩禅師(1276~1366)大本山總持寺二祖。1324年から遷化前年まで住持を務めた。三世太源宗真禅師ら25人の高僧(二十五哲)を育て、曹洞禅の教えを全国に広めた教育者でもある。現在の曹洞宗寺院の9割は「瑩山―峨山」の法統になっているという。

2014/4/24 武蔵国三十三観音霊場 12年に一度の大開帳

第19番札所普門寺も大勢が参拝 元禄10年(1697)に開創された武蔵国三十三観音霊場の12年に一度となる大開帳が、10日から20日まで営まれた。団体参拝が減り個人単位の巡礼が増えるなど現代の信仰事情が垣間見えるとともに、今後の寺院布教のあり方をも示す貴重な機会となった。

 埼玉県の吉川市・越谷市・草加市・松伏町・三郷市・八潮市・川口市と東京都の葛飾区・足立区の地域に広がる同霊場。番外も含め三十六札所を巡る総距離は100キロにも及ぶ。

 八潮市南川崎にある第19番札所・真言宗豊山派普門寺(清水義英住職)には期間中、約4千人が参拝。清水住職によると、前回の時より団参が減り、個人単位の参拝が増えたという。清水住職は「個人で回る若い世代が増え、歩きや自転車など自分のテーマを持ってお参りしています。インターネットの普及で(地域外の)群馬や神奈川など関東近郊からの参拝もありました」と新傾向を指摘。「宮城から来て、車中泊しながら大震災の慰霊のために武蔵の国の霊場を巡っているという方もいました」と話した。

 自転車で八潮市内の札所をお参りしているという女性は、「偶然、子どもの頃の同級生に五十数年ぶりに会いましたが、お互いにすぐわかりました。巡りながら懐かしさを感じ、地元はいいなあと改めて見直しました」と感想を述べた。

 結願前日の19日、普門寺で参拝者の接待をしていた檀家の小川君子さんも、14日に全札所を巡礼。「37歳から数えて、今回で4回目。観音様に感謝しながら回らせていただきました。次の12年後もお参りするのが目標です」と話していた。清水住職も、「お寺も地域の方々も伝統を守ろうという意識を持って御開帳をしています」と語った。

 この地域はつくばエクスプレスの開通後、人口が大幅に増加。特に今回の御開帳は、新たに転居してきた住民が地域にとけこむ機会になった。「お寺に一歩、入りづらかった方が、引き続き足を運ぶきっかけになれば。お参りに来た方にはお寺の行事の紹介をしたりしています」(清水住職)
札所の中には個人宅もある。普門寺から歩いてすぐの第18番「仁兵ヱ屋敷」もその一つ。当主の中山道徳さんは「先祖代々、観音様を大切にお祀りし受け継いできました」と話し、「私の代になって4回目(の大開帳)。70歳を過ぎると、もう1回できるのかなと思う。そう考えると、明日ではなく今日一日を大事に生きようと思うようになりました」と感慨を語った。

2014/4/24 日蓮宗一心寺・岡山県宗務所 被災3県に慰霊碑建立 卒寿の伊藤通明元総長が揮毫


岩手県で建立された慰霊碑。津波犠牲者の人数が刻まれている 岡山市の日蓮宗一心寺(中島妙江住職)や日蓮宗岡山県宗務所(大野玄秀所長)が中心となって、東日本大震災での津波の到達場所を知らせる慰霊碑が建立され、11日に岩手県三陸町綾里で慰霊碑の開眼法要が営まれた。慰霊碑は岩手県の他、これまでに福島県・宮城県でも建立し、開眼法要を厳修。中島住職や大野所長、地元寺院らが震災犠牲者の冥福と復興を祈念している。

 中島住職は、震災発生当時インドの支院におり、ニュースで日本の状況を知り帰国。震災直後から弟子や檀信徒に呼びかけ、現地で支援を実施した。被災地では、国内外から多くの物資やボランティアが入ってくるのを目にしたが、「一番足りないのが慰霊だと思い、建立を思い立った」という。

津波の到達地点を知らせる慰霊碑(宮城県女川町) 中島住職の発案で慰霊碑の石材は現地のものを使用。費用は一心寺の檀信徒を中心に一県の慰霊碑につき240万円が寄せられ、昨年3月に宮城県女川町、同年4月に福島県いわき市に建立し、開眼法要を営んだ。

 岩手県では岩手県宗務所の阿部是秀所長(法華寺住職)の協力でさらに寄付金が集まり、このたび慰霊碑を建立。阿部所長は、「檀信徒とともにずっと慰霊を続けていきたい」と話す。

 慰霊碑は各県でそれぞれ大きさや形が違うが、表には伊藤通明・元宗務総長(静岡市感應寺住職)の揮毫した題目が刻まれ、裏には津波到達地点である旨や、行方不明者や死者の人数などが記されている。

建立した慰霊碑の前で挨拶する中島住職(11日 岩手) 揮毫した伊藤元総長は、「もう年なので現地で励ますことはできないが、せめて思いを込めて揮毫したかった」と昨年卒寿(90歳)を迎えたにもかかわらず、水行で身を清め、被災地のために全霊を込めて題目を記した。

 大野所長は、「建立場所の選定に各県の宗務所が協力してくれた。各地で所々に生々しい傷跡が残っており、プレハブのまま商売をしている人もいる。まだ復興は先だと思うが、少しでも力になれれば」と復興を願った。


 慰霊碑建立の発起人となった中島住職は、津波到達地点周辺に建立したことで、「孫や後の世代にも慰霊や安穏を願う心が伝えられたら」と願いを込める。「私などがさしでがましいことを、とも思いましたが、多くの方の協力で建立することができました。これからも慰霊を続けていくつもりです。被災地と日本、世界の平和のために、お題目の力をお借りしたい」と話している。

2014/4/24 シリーズ憲法を考える①憲法は誰のためにあるのか 伊藤真(弁護士・伊藤塾塾長)

 自民党の憲法改正草案はじめ集団的自衛権の行使など憲法をめぐる動きが慌ただしい。基本的な認識である立憲主義も危機にさらされている。今シリーズでは宗教的視点のみならず多角的に憲法について考えてみたい。1回目は伊藤塾塾長で弁護士の伊藤真氏。


日本国憲法の冒頭(有斐閣『六法全書』) もともと憲法は中世のイギリスで生まれました。13世紀、イギリス国王が横暴を働いたり、勝手にフランスと戦争を始めたり、税金を取り立てたりしました。そのため国王の権力を縛って、当時の貴族の既得権を守るために憲法が出来ました。マグナ・カルタ(大憲章)です。すなわち憲法によって権力を拘束する立憲主義の考え方が生まれたのです。

 中世の立憲主義は、国王の権力を縛って、貴族や当時の僧侶や教会など一定の身分の人たちの特権を守るものでしたが、1789年のフランス革命、1776年の米国独立宣言などの近代市民革命を経て、一人ひとりの個人の人権を守るために憲法で権力を拘束するという考え方に変わってきました。その当時、啓蒙思想家のジョン・ロックやモンテスキューといった人たちによって、身分や集団で人々を捉えるのではなく、「個」に着目し、一人ひとりを大切にしましょうという価値観が生まれてくるのです。個を尊重し、個人の人権を保障するために憲法で権力を拘束するという考え方になってきました。これを近代立憲主義といいます。


 この考え方は先進諸国でも採用されていますが、日本国憲法においても土台となるものです。私たちは、憲法といえば、国民主権(主権在民)、基本的人権の尊重、平和主義(戦争放棄)を基本原理として学んできました。しかし、この3本柱の土台に立憲主義があるということはほとんど学んでこなかったと思います。(続きは紙面をご覧ください)

2014/5/1 全国畳産業振興会主催 畳供養 「畳寺」の清浄華院で



古畳で作った護摩壇に点火する前、畳職人が小さな畳を持って敬礼する中、畦執事が願文を読み上げた 京都市上京区の浄土宗大本山清浄華院(真野龍海法主)で25日、全国畳産業振興会が主催する「畳供養」が営まれた。古畳の他、職人が願いを書いた「護摩ゴザ」、畳の思い出を綴ったハガキなど約1000枚を境内で焚き上げ、畳産業の発展を祈った。

 全国でも珍しいという「畳供養」は畳に感謝し、畳の良さをアピールすることを目的に、大殿に内陣含めて120畳の畳が敷かれ業界関係者から「畳寺」と呼ばれる同院で昨年から実施。畳業界では昭和の日の4月29日を春の「畳の日」と定めており、それに向かって行う業界の公式行事と位置付けている。

 この日は真野法主も臨席し畦昌彦執事が導師、聖護院で修行した山伏男女6人が出仕して修法。畳で作った四角い護摩壇に「畳世界へ前進」と筆で書いた上、点火。浄煙が立ち昇ると作務衣姿の畳職人9人が小さな畳を持って敬礼、畳に感謝の意を表した。

 その後は護摩木になぞらえて畳表で作った「護摩ゴザ」と、全国から振興会に寄せられた畳の思い出を綴ったハガキやファクス用紙合計約1000枚を次々に投入して焚き上げていった。

 同院総代でもある神邉鑅一(かんべ・こういち)同振興会会長は、ちょうど米国のオバマ大統領が来日してTPP交渉が大詰めを迎え、やがては関税が下がって輸出しやすくなることを歓迎し、「われわれとしてもこれを契機に世界へ販売したいと思っています」と話していた。

2014/5/1 相馬市長命寺本堂落慶 震災復興と地域の光に



新本堂落慶を祝い、豊山太鼓「千響」が奉納演奏 東日本大震災で甚大な津波被害を受けた福島県相馬市沿岸部の真言宗豊山派長命寺で4月26日、本堂新築落慶法要が厳修された。檀信徒や地域住民とともに様々な困難を乗り越えての本堂再建。茨木栄照住職(63)は春の陽光に輝く新本堂を見上げながら、「震災で亡くなった檀家さんと犠牲になった全ての方々の供養をしていきたい」と語り、「復興の光になってほしい」と願いを込めた。


 大津波が漁港近くの岩子地区をのみ込むと、長命寺がある小高い丘は島のようになった。緊急避難所に指定されていた同寺には近隣住民約50人が駆け込み、客殿などで3日間ほど過ごした。
あの日から3年あまり。震災という未曾有の困難を経て建立された新本堂は、同寺を訪れる人々の心に復興へと向かう新たな希望をともしていた。
 震災当日の激しい揺れの後、「お寺にお墓を見に来ていた」という檀信徒総代長の山下要一さん(81)は、大津波が地域を襲う惨状を目の当たりにした。老朽化が著しかった旧本堂は「大地震が来たら崩れることが目に見えていた」ため、震災が起こる1年ほど前に解体。すでに新本堂の建立計画が決定していたが、大津波被災後は地域復興の象徴として「檀家一同、心を一つに本堂の完成を願ってきました」。山下さんは落慶を迎えた心境を、「嬉しさでいっぱいです」と述懐した。


謝辞を述べる茨木住職 建築にあたった小沢工務店は、原発30キロ圏内の南相馬市原町区にある。棟梁の小沢典さん(39)は、原発事故で避難生活を余儀なくされながら現場に通った。小沢さんは「感無量です」と難工事を振り返り、「復興の意味でも地元の宮大工の技術を活かしてくれたご住職、檀家さんに感謝しています」と語った。


 茨木祐賢副住職(29)の同級生で、長命寺の檀家でもある菅野瞬さん(30)は新本堂を眺めながら、「うちは(畳店なので)畳を納めました。本堂の全てが立派ですね」と感慨を口にした。震災直後は、消防団員として地域の安全を守る活動に従事。「震災後は以前よりも地元の皆さんとの仲が深まりました。副住職もお寺が忙しいのによく消防の活動に来ています」と地域のつながりにも言及した。


 落慶法要当日には、檀信徒や工事関係者ら約100人が集まった。



被災した寺院の灯りに


復興に向けて進んでいくことを誓う茨木祐賢副住職 落慶法要の大導師は、津波・原発事故で被災した福島県沿岸部の寺院の活動を調査している星野英紀・大正大学元学長(東京・福蔵院住職)が務めた。星野元学長はこれまで被災寺院の厳しい現状を宗内外に報告してきたが、「今回は明るい話。この新本堂が檀信徒の皆様の新しい生活の出発点になっていくことを祈っております」と寿いだ。


 職衆は福島県第2号宗務支所の住職らが務め、原発事故で避難生活をおくっている住職も加わった。その一人で帰還困難区域に指定された浪江町津島地区・長安寺の横山周豊住職が、加藤精一管長の祝辞を代読。横山住職は福島市内の住宅を「別院」にリフォームして寺院活動を継続しているが、今回の長命寺の本堂落慶を我がことのように喜んでいた。


 遠藤賢明支所長(南相馬市・安養寺)は、「支所管内21カ寺のうち13カ寺がいまだに原発事故で避難生活をしています」と現状を説明。「そうした中で初めての慶事。支所にとっても大きな灯りです」と祝福した。
長命寺の祐賢副住職が最後に謝辞。檀信徒に向かって、「皆さんの心の拠り所になるようなお寺をめざして頑張っていきます!」と力強く宣言した。

2014/5/1 興正寺住職罷免問題 興正寺側が仮処分申し立て

裁判所に仮処分を申し立てた興正寺 寺有地の無断売却で住職が罷免され、宗派からの特任住職派遣が決まった名古屋市昭和区の高野山真言宗別格本山・八事山興正寺。同寺の謄本は4月2日から「登記中」として閲覧できなくなっていたため、特任住職の派遣は秒読み段階に入ったとみられていた。ところが興正寺の梅村正昭元住職側も先頃、名古屋地方裁判所に宗派側の登記停止を求める仮処分の申し立てをして対抗した模様だ。興正寺住職罷免問題の決着は、法廷の場に持ち込まれそうだ。


 興正寺側の主張はこれまでにも繰り返し訴えてきた、①中京大学への土地売却は寺有財産の無断処分には当たらない②したがって罷免処分は無効③興正寺の後任住職は梅村元住職の子息である副住職で登録しており、宗派の特任住職派遣のケースには該当しない④特任住職の派遣は宗派離脱を阻止するための措置で違法である―といった点に集約されるとみられる。


法廷に持ち込まれる背景には、興正寺側の強い危機感があると思われる。


 添田内局では3月24日、関係者を招集して臨時会議を開き、特任住職に添田隆昭宗務総長を選任。4月2日に名古屋法務局に登記し、近日中に手続きが完了する見通しだったことなどが、関係者らへの取材でわかった。


 罷免された梅村元住職側も宗派離脱を再表明し、単立寺院となるための規則変更を2月20日付で愛知県庁に申請。しかし、すでに罷免され、「住職=代表役員」の地位を失っている元住職の申請自体が、無権限者によるものとして無効と判断される公算が強くなっていたようだ。(続きは紙面をご覧ください)

2014/5/1 日蓮宗全国所長会議 「平成定本」の刊行提案 「関係機関と相談したい」


様々な提案がなされた日蓮宗全国所長会議

 日蓮宗(小林順光宗務総長)は4月22・23の両日、東京・大田区の宗務院で26年度の全国宗務所長会議を開催した。今月8日に管長任期が満了となる内野日総・総本山身延山久遠寺法主が引き続き第53代の管長に就任することや、先の108定期宗会での決定事項などを説明。質疑では、所長たちから様々な提案がなされた。(続きは紙面をご覧ください)

2014/5/8・15合併号 四国八十八カ所霊場開創1200年大法要を厳修 世界遺産への期待高まる


弘法大師誕生の聖地・善通寺に約3000人が参拝した 弘法大師空海が四国八十八ヶ所霊場を開創してから今年で1200年。その記念大法要が9日、弘法大師誕生の聖地で第75番札所である香川県善通寺市の総本山善通寺で厳修された。全国から先達や巡拝者など約3千人が参拝。一人ひとりの祈りがこもった「南無大師遍照金剛」の御宝号が、堂内外に満ち溢れた。古来より「同行二人」の信仰が息づき、「お大師様と一緒に歩む」遍路道。地元では50年に一度の開創大法要を契機に、「四国八十八ヶ所霊場と遍路道を世界文化遺産に」という期待も高まっている。

 この日、四国霊場の青年僧侶や公認先達の有志が開創1200年を記念して取り組んできた、歩き遍路による全札所巡拝も結願。昨年2月4日に弘法大師像を背負って善通寺を出発し、記念大法要当日の朝8時過ぎに帰着した。この様子を見た参拝者の一人は、「歩き遍路の行列には心を打たれました。開創1200年にふさわしい」と感動を口にしていた。

 記念大法要は、弘法大師が誕生した佐伯家の邸宅地に建つ御影堂で営まれた。四国八十八ヶ所霊場会の吉川俊宏会長が導師を務め、札所寺院住職が出仕。参拝者による御宝号や般若心経、光明真言が堂内外に響いた。

 法要後は境内で柴燈護摩が厳修され、世の中の平安や参拝者の幸福が祈願された。

お遍路は人生そのもの

 100回以上も四国巡礼を成満し、朱印帳が真っ赤になっている人も。まさにお遍路は、人生そのものだ。

 愛媛県在住で5~6回も全札所を巡っているという男性は、「人間は弱いものですが、お大師様にすがれば救ってくださいます」と告白。「お大師様のお力を借りれば、人生の苦難を克服する力が得られます。そういう〝すがる力〟が、心の安らぎを与えてくれる。これが1200年もお遍路が続いてきた理由ではないでしょうか」と話した。

 自身については「(平成19年に亡くなった)妻と(昨年亡くなった)母の戒名を札所に納めながらお参りを続けています」と語り、「自分の心を見つめながら自然の中を回っていくと、心があらわれます」と述懐。「今日、参拝できて夢のような感じです」と喜んでいた。

 巡拝者同士で「久しぶりだなぁ」と旧交をあたため合う姿や、初対面でもお遍路の功徳で話が弾む光景も。古い縁を強固にし、新たな縁を結ぶ四国霊場の伝統が、今も脈々と息づいていた。

 ある札所寺院の住職は、「お大師様のおかげをいただくことで助けられ、願いが叶う。それが1200年間も続き、これからも続いていくのだと思います」と感慨深そうに話していた。

2014/5/8・15合併号 生長の家シンポジウム 低炭素社会実現へ 動機は教え、実践は足元から



地域社会での実践例が報告されたシンポ 先月27日、東京・飛田給の練成道場で開催された生長の家の第6回相愛会・栄える会合同全国幹部研鑽会で、3人の実践者をパネラーにシンポジウム「低炭素社会を実現する生活・仕事・地域活動の実践」が行われ、メインテーマのライフスタイルの転換を促した。

 宮城教区の佐藤佳樹氏は、生ゴミリサイクルによるたい肥化を発表。ゴミの分別化を徹底し、生ゴミは腐葉土やもみ殻を使って処理し、9年間で約3トンの生ゴミを処理したという。それを肥料に野菜作りも。ほかに風呂の残り湯やコメのとぎ汁の再利用も述べ、一方で東日本大震災時の状況を紹介した。震災により停電。ところが設置していたソーラーパネル発電がエネルギー源となり、近隣住民にコンセントを提供できた。「炊飯器やポットだけでなく、携帯電話の充電に役立ち、それによって安否確認ができたと感謝された」と報告した。

 札幌教区の高橋正樹氏は住宅設備事業にエコを採り入れている事例を発表。10年ほど前に自宅を新築し、「太陽光のみならず自然の熱を利用したヒートポンプ、現在のスマートハウスの原型」となる家だった。建物の利点を説明し、「年間8万円の電気代で済むと言うと、家の中でコートを着て頑張っているんですね、というようなことを言われたぐらい信じてもらえなかった」と苦笑した。今では、経産省の補助金事業として認められ、北海道のみならず全国から注目されていると説明した。

 四国教区の野津智氏は、3・11により原子力発電の脆弱性を認識したことによる、メガソーラー設置について話した。香川県内で不動産業を営む野津氏は、震災後に電力買い取り制度を知り、太陽光発電の取り組みを決意。「1メガ3億円が必要。1キロワット40円。これでいくと何年で償却できるか目算が立つ。だいたい12~13年」と試算。幸いに条件に恵まれた3千坪の土地を借りることができたが、担保がないため銀行が融資してくれない。政府系銀行に持ち込み、ねばり強く折衝を重ね、ついには融資を受けねことができた。「昨年10月に完成し、バンバンと電力を作っている。今日のような太陽の日はうれしくてしょうがない。天気の良い日はニコニコしてます」と報告した。

 3氏とも谷口雅宣総裁の講話や教団の取り組みを契機に環境問題を意識し始め、10年ほど前から地元で行動に移している。栄える会の中村全博会長は、「すべて神想観(生長の家の祈り)から始まり、物事の困難を改善しようとしている」と共通点を指摘。さらに谷口総裁の言葉を紹介しながら、「我々は目から外界を見るのではなく、その前に目から内界をみる。神想観で内側をみると、勇気もアイデアも出てくる」とし、信仰と実践の一体化を力説した。

2014/5/8・15合併号 孝道教団 第3世副統理に香港出身の華蓮さん

横浜市内のホテルで開かれた就任祝賀会で抱負を述べる華蓮・第3世副統理 神奈川県横浜市の孝道教団で5日午前、岡野正純統理の妻、華蓮さんの第3世副統理就任奉告法要が営まれた。午後からは横浜市内のホテルで就任祝賀会も行われ、駐日ネパール大使のマダン・クマール・バッタライ氏をはじめ、仏教界・宗教界からも多くの来賓が参集し、副統理就任をお祝いした。

 奉告法要には信徒500人が参列。法要に次いで、第3世副統理就任の辞令が岡野統理より手渡され、大きな拍手が沸き起こった。香港出身者の副統理就任に岡野統理は「男女の区別だけでなく民族の違いも超え、人々に救いをもたらす教団として発展していくことを意味するもの」と展望。「公平性と公正性を尊重し、人権を守ることの大切さを強調する気風で育った。困難に立ち向かっていく気概を身に着けています」と評し、「今後は信徒の皆様と共に菩薩の道を歩んでいくことと信じております」と期待を滲ませた。

 華蓮・第三世副統理は1975年に香港に生まれ、香港大学を卒業。孝道教団始祖・岡野正道大統理の生誕100年にあたる2000年に岡野統理と結婚した。現在は孝道幼稚園の副園長として幼児教育に尽力し、また岡野鄰子第2世副統理が会長を務める国際仏教婦人会(ILAB)の理事も務める。

 午後からは横浜市内のホテルに会場を移して就任祝賀会も挙行。祝辞では奈良康明・駒澤大学名誉教授が「孝道山の第3世代にも宗教者として卓越した資質と熱意のある統理・副統理が揃いました。初代の頃から親しくお付き合いをさせていただく私としても誠に嬉しいこと」と祝福。全日本仏教会の小林正道理事長は第3世両統理に対し、「これからの仏教界を国際的に引っぱって頂ける方」と期待を寄せた。ILAB役員の佐渡アン氏は長唄や着物の着付けなどの日本文化を学ぶ華蓮氏に「集中力と吸収力がある。文化を超えて見事に頑張っている。素晴らしいです」と称えた。

 華蓮・第3世副統理は香港から来日した自身に対し、第2世両統理が中国語で話しかけてくれることや、旧正月のお祝いをしてくれたエピソード等を披露し、「厳しい師匠ではありますが、かけがえのない、優しくユーモアのある両親です」と謝意を示し、「伝教大師さまが理想とされた一隅を照らす国宝的な人材を育成し、慈悲に満ちた社会づくりに励みたい。また人間関係が希薄になった世の中で一人でも多くの人を救うために孝道の精神を伝えていくべく、精進して参りたい」と抱負を述べた。

2014/5/22 智山青年連合会全国結集智積院大会 仏暦2500年に第50回


智青連の原点を確認し、未来への一歩を踏み出した今結集 第50回の節目を迎えた智山青年連合会(智青連)の全国結集が14・15両日、京都市東山区の真言宗智山派総本山智積院で開催され、約170人が参加した。仏暦2500年に当たる本年(宮坂宥洪智山伝法院院長の説による)、結集テーマを釈尊最後の説法から「勤求出道」に設定。釈尊の生涯を追体験するプログラムを実修しながら、仏道のさらなる実践を誓った。

 今結集では、釈尊への報恩謝徳のために捧げる最上の法要・常楽会を2日間を通して勤修。初日には智山教化センター専門員の原豊壽氏の講演「インドを歩いてみて出逢った佛陀」の後、智積院を四大聖地に見立てた巡礼が行われた。

 境内の仏足石を始点として、金堂階段に設置された花御堂(ルンビニー=生誕)、階段踊り場に置かれた菩提樹(ブッダガヤ=成道)に参拝。堂内に進み、各人がLEDの灯明(サールナート=初転法輪)を手に取り、御逮夜法要として『佛遺教経』を読誦した(クシナガラ=涅槃)。法要後には講堂で阿字観も行われた。初日夜は懇親の席を設けず、断食しながら青年僧侶のあるべき姿を懇談。一人一人が仏弟子としての使命を再確認した。

 2日目の勤行後の朝食は、スジャータの供養に因み乳粥。続いて金堂で舎利講式を勤修した。法要後、「利他行の実践に邁進し、釈尊・両祖大師の教えをより広く後世に伝えんことを誓う」とする大会宣言文を採択。伊東永人・今結集副実行委員長が奉読し、智積院大会を満行した。

 近藤栄祐・智青連会長は開会にあたり、釈尊と弘法大師の言葉を奉唱。「我ら承りし教えを広く末永く伝えんことをここに誓います」と宣言した。

 吉川真宏・今結集実行委員長は閉会式で、「今結集を節目に新たなる一歩を踏み出し、青年僧侶としてさらに精進してまいります」と力強く話した。

 寺田信秀管長は開会式で、智青連が続けている東日本大震災の復興支援と祈りの活動に言及。若さが持つ可能性に期待感を示し、「二利双修の実践を」と呼びかけた。小宮一雄宗務総長も、「今結集が勤求出道の実践に向けての第一歩とならんことを」とエールを送った。

 第1回の結集は、昭和38年6月に総本山智積院で開催された。その時の智青連会長だった布施浄慧・智山講伝所上座阿闍梨が講演。青年僧侶が抱いた危機感と熱意が智青連活動の原点であることを述べ、「ボーイズ・ビー・アンビシャス!菩提心を持って立派な自己を完成してもらいたい」と参加者を激励した。

2014/5/22 ハンセン病伝える資料館開館 群馬・栗生楽泉園重監房を再現

今月から一般公開が始まった重監房の資料館 群馬県草津町の国立ハンセン病療養所・栗生楽泉園にあったハンセン病患者の懲罰用施設「重監房」を一部再現した資料館が4月30日、同園の隣接地に開館し、今月1日から一般公開が始まった。病気への無知、差別偏見のために苦難の道を歩んだ患者の歴史の中でも象徴的な施設として、後世にハンセン病の歴史を語り継ぐ。

 重監房は、全国の療養所に隔離・収容され、強制労働を強いられたハンセン病患者の反抗を抑えるための懲罰施設で、かつて「特別病室」という名で同園内に存在していた。

 同園の所在する草津は、冬は深い雪に閉ざされる極寒の地であり、重監房の劣悪な環境と極度に制限された食事により、昭和13年から同22年の9年間で同施設に収容された93人のうち23人が寒さと飢えで命を落としている。

 かつて同園の「重監房」に食事の運搬をしたことがある多磨全生園入所者自治会の佐川修会長(83)は、「職員に少しでも反抗すると〝寒いとこへ行くか〟と脅された。言われた患者は震え上がっていた」と回顧する。

「重監房」は患者にとって、それだけ恐ろしい場所だった。すでに60年以上経過し、同園の正門のそばにある跡地には、今は小さな碑と建物の基礎だけが残るが、資料館では実寸大の部屋や証言映像、跡地から出土した遺物などを見ることができる。

 楽泉園入園者自治会の藤田三四郎会長(88)は、重監房に収容されたことはないが、後になって施設を見たことがある。「最初、中に入った時、本当にぞっとした。いかに患者の人間性を無視していたかわかる」とその印象を語る。

 重監房資料館の完成は、ハンセン病の歴史を語り継ぐ元患者たちにとって悲願でもあった。藤田会長は「あの場所でなくなった霊のことを思うと、万感胸に迫る思い」という。「一人でも多くの人が資料館で現物を見て、生きる方向性や意味を考えてもらえれば」と念じている。

2014/5/22 第11回国連ウェーサクの日祝賀式典 五戒による平和実現を



国連ウェーサク祝典に出席した日本代表団 第11回国連ウェーサクの日祝賀式典が12日、タイの首都バンコクで開催され、アジア仏教国をはじめ世界各国から約1500人が参集。日本からは世界連邦日本仏教徒協議会(世連仏)の叡南覚範会長(天台宗毘沙門堂門跡門主)やITRI(インナートリップ霊友会インターナショナル)の松本廣代表をはじめ約150人が参加した。今年は7日から11日までベトナム北部のニンビン省で「ミレニアム開発目標達成への仏教的視座」をテーマに学術会議が開かれ、その一部も報告された。

 例年ならばバンコク市内の国際会議センターが会場だが、反政府派と政府支持派の集会やデモの影響により、郊外のマハチュラロンコン仏教大学(MCU)アユタヤキャンパスでの祝典となった。会場には早朝から各国代表団が駆けつけた。

 開式にあたりタイ仏教僧団最高位のソムデット・プラ・マラチャマンガラジャン大僧正が歓迎のスピーチ。「今の世界は技術発展により便利さと幸福をもたらした面がある。しかし同時に苦ももたらした。苦を取り除き、社会を平和をするためにやはり五戒を守らなければならない。不殺生戒・不偸盗戒・不邪淫戒・ 不妄語戒・不飲酒戒。ここに参加する皆さんは同じ仏教徒であり兄弟姉妹である。自国の人々に五戒を守って頂くよう伝えてもらいたい。これによって世界に平和をもたらすことが出来る」と五戒遵守による平和実現を訴えた。

 主催者を代表してウェーサクの日国際評議会会長のプラ・ブラマプンティットMCU学長が挨拶。10年にわたってウェーサク祝典を継続してきたが、主催団体である国連ウェーサクの日国際委員会(ICDV)が昨年6月、国連経済社会理事会の特別協議資格(国連登録NGO)を得たと報告し、その祝福を兼ねた式典であると説明。その上で「これによりユネスコの会議に参加し意見を述べることが出来る。国連と連動して行動もしなければならない」と述べた。さらにベトナムでの学術会議を踏まえて、「集まってただ祝福するだけでなく、皆さまの意見や考えを国連に反映させなくてはならない。①持続可能な開発、②地球の温暖化問題、③教育、④平和維持――この四つの課題についての役割を果たさなければならない」と主張した。

五戒遵守による平和を訴えるソムデット・プラ・マラチャマンガラジャン大僧正 各国代表のスピーチでは日本を代表して叡南会長が登壇。日本のテレビでプミポン国王の「足を知る」発言が報じられたことを紹介し、「国王へのこの上ない共感と讃仰の念を深くするもの」と賛同し、「“モノから心へ”の転換を促す努力をしなければならない」と主張した。

 各国ごとの祈りでは、日本を代表してITRI日本センターの会員代表約20人が登壇した。会場にいる会員と共にお題目を唱えて世界の平和を祈念した。

【国連ウェーサクの日】
 釈尊の生誕・成道・涅槃を記念するウェーサク(5月の満月の日)を世界の重要な日として認識し、1999年12月、国連はウェーサクの日に世界中の国連の施設でお祝いをすることを奨励する決議を行った。当初はニューヨークの国連本部や各国の国連機関で行われてきたが、タイ政府が中心となり2004年からバンコクの国連会議センターで開催されるようになった。2008年(第5回)にもベトナムで会議が開かれた後、バンコクで祝典を実施した。

2014/5/29 福井地裁、大飯原発差し止め命じる 原告団代表中嶌哲演住職「倫理性持った判決」



 関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の運転差し止めを求め、住民らが関西電力を訴えていた訴訟の判決が21日、福井地方裁判所であった。 樋口英明裁判長は原告の住民側の主張を認め関電側に運転差し止めを命じた。原告団団長である小浜市の中嶌哲演氏(真言宗御室派明通寺住職)は本紙の取材に「高い倫理性を持った素晴らしい判決」と高く評価した。

 3・11東電福島第一原発事故後の裁判として注目を集めていたが、判決では人格権を前面に出し、「国民の安全」を優先した。また原発がコスト面で優れ、二酸化炭素(CO2)の排出を抑えるといった関西電力側の主張に対し、「原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいもの」とし、退けている。

 中嶌哲演氏を原告団長とする「福井から原発を止める裁判の会」は同日、声明を発表。判決を「英断」と評価しつつ、「大電力消費圏による過疎地域への原発群の押しつけという差別的な構造を温存したまま、原発の再稼働や延命を容認することはもはや許されない」と断じている。

3・11事故に即した理論構成―中嶌住職のコメント 素晴らしい判決が得られました。特に「本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流失や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失である」と述べた点は、判決当日、ひときわ拍手が起きました。
 被告側が控訴したことで、上級審で覆されるという人もいるようです。確かに司法の場では、これまで2例ほどしか勝ったことがありません。しかし、それは3・11前の話です。今回の判決は3・11後初めての判決です。原発推進派の人々は、いまだに3・11前の救い難い固定観念を持ったままでいると感じます。
 今回の判決は、福島での原発事故の事実に即して、非常に堅牢な理論構成をしています。原告弁護団の先生方も高裁といえども、理論的に覆すことは容易ではないと考えています。
 今回の判決は、仏教者、宗教者の立場から考えても高い倫理性を持った素晴らしい判決でした。美しいとさえ思います。私が仏教者であるからこそ、そう感じたのかもしれませんが、様々なところで判決文が引用されており、一般の住民や国民の心にも訴える感動的な判決であったのだと思います。
 今回の判決は、原発に関連して経済的利益に妄動する人々を厳しく戒める「頂門の一針」になりました。それと同時に、徐々に疲労感や徒労感で勢いを失いつつあった反原発、脱原発の人々を活性化したとも思います。
この判決は、決して原告団だけで勝ち取った判決ではありません。ありとあらゆる運動、行動の成果なのです。広範な人たちの思いと願いが結晶化したもので、皆の共有財産だと思っています。

2014/5/29 よみうりランド50周年 「聖地公園」仏舎利塔で記念大法要厳修


仏舎利塔の中で洒水加持をする大導師の岡本貫首 東京都稲城市と神奈川県川崎市にまたがる遊園地のよみうりランドが開園50周年を迎えた。同時に、園内の「聖地公園」にセイロン(現スリランカ)から仏舎利と東パキスタン(現バングラデシュ)から仏髪が招来されても50年。その記念大法要が株式会社よみうりランドの主催により22日に厳修された。真言宗豊山派大本山護国寺の岡本永司貫首を大導師に、護国寺一山の僧侶、浄土宗大本山増上寺の雅楽会、臨済宗僧侶、それに公益財団法人全国青少年教化協議会(全青協)の神仁主幹らが随喜し、仏恩に報謝した。

 19人の出仕僧侶と関根達雄社長以下同社社員は雅楽を伴奏に園内をお練りし、インド様式の仏舎利塔に到着。時折雨のぱらつく中、岡本貫首は洒水加持を行い一同で観音経などを読経。参列者が次々に焼香した。続けて、大蔵経庫前に場所を移して2度目の法要も行った。

 岡本貫首は「甘露の雨」のなか無事に円成できたことに感謝。「私ども何度かこのよみうりランドでの法要に伺っておりますが、50周年の時にこの観世音菩薩さまの法要をさせて頂き本当に得難き縁だと思っています」と語った。

塔の外では社員らが焼香を捧げた お斎の席では関根社長が挨拶。「震災から3年が経ち、心の豊かさを求める節目の時になっていると思います。そういう時に大法要ができて記念すべき日になれたと思います」と、仏縁を繋いでいける歓びを話した。

よみうりランド聖地公園 1964年よみうりランド開園に際し、全青協の設立提唱者で仏教信仰篤い読売新聞社の正力松太郎社主(1885~1969)の肝煎りで築かれた。64年4月8日の仏舎利奉迎大式典はセイロンから教育文化大臣や大僧正も来日し、髙階瓏仙全日本仏教会会長の導師による法要が行われた。仏舎利塔・大蔵経庫のほか多宝塔、日本仏教の8人の祖師像、重要文化財妙見菩薩像などが奉安され、一大「現世浄土」の趣をなしている。ちなみに50年前の奉迎法要の日も雨だった。

2014/5/29 WCRP円卓会議 震災支援で“反省”の弁 行政側が宗教との連携に言及


被災地支援の課題や期待が語られた円卓会議 公益財団法人世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会主催の「復興に向けた宗教者円卓会議in仙台」が19・20の両日、仙台市の仙台国際センターで開催された。開催地の村井嘉浩・宮城県知事や岡本全勝・復興庁統括官が会場に訪れ、行政の担当者から宗教者による心のケアの必要性が訴えられた他、宗教と行政との連携に触れるなど、宗教者による支援に改めて期待の声が上がった。

 会議全体の基調発題では、岡本統括官と元内閣官房震災ボランティア連携室長の湯浅誠氏(法政大学教授)が発題。岡本氏は、発災時に避難所となった寺社に物資や情報が届かない事例や、遺族が仮埋葬時の読経供養を望んでも政教分離原則への配慮から行政が宗教者につなぐことができなかった例など、行政と宗教界との連携不足について経験を踏まえ例示。

「市町村役場の現場で皆さん方と十分な連携がとれなかった。我々は、やや政教分離の原則を誤解してきたのではないか。誤解したのでなければ、なるべく触らないできたというのが反省点」と宗教者の力を活かす必要性に触れた。(続きは紙面をご覧ください)

2014/6/5 奈良・興福寺 再建の中金堂が上棟 落慶は4年後


中金堂屋根の骨組みが見える式場で上棟啓白文を読み上げる多川俊映貫首(左) 法相宗大本山興福寺(多川俊映貫首、奈良市登大路町)が再建中の中金堂の上棟式が5月24日、境内の建設現場で関係者650人が参列して執り行われた。落慶は4年後の平成30年10月の予定。

 中金堂再建は平成3年境内整備の一環として計画され、同寺創建1300年にあたる同22年10月、立柱式を執行して工事が進められてきた。

 創建当初の復元を目指し様式は木造・寄棟造り。幅36メートル・奥行23メートル・高さ21メートルの大きさで屋根は約10万枚の瓦で葺く。総工費は約60億円。

 上棟式は屋根の骨組みが見える素屋根の上層階で春日大社神職、興福寺僧侶によって執り行われた。

 その上で、大工方が屋根頂の棟木3カ所にお神酒を注ぎ、槌で打ち、瓦を載せる儀式を行って工事の無事を祈った。

 多川貫首が作った祝寿之謡「中金堂再建上棟を寿ぐ」を観世流シテ方浅見真州氏が謡って披露する場面もあった。

 多川貫首は「まだまだ多くの仕事が残っています。皆様のご支援を頂戴しながら今後とも一歩一歩進めてまいりたい」と気を引き締めた。

2014/6/5 全国曹洞宗青年会が40周年大会 歴代会長、現役にエール



14人の歴代会長が忌憚なく発言 全国曹洞宗青年会(全曹青、第20期=櫻井尚孝会長)は5月20・21日の両日、東京都港区の檀信徒会館で結成40周年記念大会を挙行した。

 櫻井会長を導師に仏祖諷経の後、来賓として大本山總持寺の石附周行副貫首(第2期会長)と齋藤裕道伝道部長が祝辞。石附氏は「教化教団としての大きな力のうねり」として全曹青を結成した頃を回想した。

 櫻井会長は発足以来の歴史を「数万人に及ぶであろう青年宗侶が協働したこと、全国規模の事業展開であったことに目を向けますと、全曹青の歴史に流れる計り知れない時間の重さを感じます」と挨拶。「時として前を向くことをあきらめかけた人々と共に大きな苦難や困難に立ち向かう勇気を分かち合いながら、これまでがそうであったようにこれからも、未来に向けて着実な一歩を邁進します」と決意を語った。

 シンポジウム「全曹青40年の歩み―僧侶エネルギー再結集」では、40年間の歩みが映像として流され、第1期から第19期までの会長のうち14人が壇上に上がり様々なエピソードや提言を披瀝。「繋がる思いが未来を拓く」をスローガンとする20期の活躍にも期待を寄せた。

 第3期会長の佐藤𣳾惇氏は「仏教は尊敬するがお坊さんは尊敬しない、なんていう言葉も人々から聞くが、とんでもないこと」と述べ、そんな空気に負けず青年僧侶として大活躍してほしいと期待した。

 第17期会長の芳村元悟氏は就任直後に中越沖地震が発生した。「個人の資質に頼るボランティア活動には限界があると思う。組織全体としてどう動くか、それを考えるために特別委員会を設置し、何かあった時には全体として動く方針を固めた」と述べ、ボランティア活動のガイドラインが形になったのが大きなことだったと語った。

 翌21日には愛知専門尼僧堂の青山俊董堂長が記念講演した。

 1975年に発足した全曹青は現在会員3500余名。大衆教化を中心に、災害支援などで全国的な活動を続けてきた。この大会以外の記念事業としては記念誌『40+』発刊や一般を対象にした精進料理講座「味来食堂」、總持寺二祖峨山韶碩禅師大遠忌奉賛「全国徒弟研修会 with 国際子ども禅のつどい」などが予定されている。

2014/6/5 第31回庭野平和賞受賞者 ディーナ・メリアムさんの活動を追う

庭野名誉会長から記念の賞状を受け取るメリアムさん 公益財団法人庭野平和財団(庭野浩士理事長)は5月16日、東京・国際文化会館で第31回庭野平和賞贈呈式を挙行。米国に拠点を置く「女性による世界平和イニシアティブ」(GPIW)創設者のディーナ・メリアムさん(ヒンドゥー教)に、名誉会長の庭野日鑛・立正佼成会会長から賞状と顕彰メダル、賞金(2千万円)の目録が贈呈された。庭野名誉会長は、女性宗教指導者として「バランス」を考慮した諸活動を称賛した。メリアムさんは受賞に感謝の言葉を述べる一方で、記者会見では「私たち諸宗教間活動の間では、いわゆるノーベル賞と同じ認識で庭野平和賞をみています。ですから最高峰の賞」と笑顔で語った。

 庭野名誉会長は挨拶の中で、メリアムさんの活動の中核となる様々なバランスを評価。男女や宗教にとどまらず、途上国と先進国、自然環境と人間の経済活動などにも目を向けていることを紹介し、「バランスをととのえるとは、言い換えるならば、一方に偏ることなく、共に生きる道を見いだすということ。現実の世界でこのことを実現するには、大変な困難が伴うに違いない。そうした道を、地道に、情熱を持って歩み続けてこられたメリアム氏を、心から称賛し深く敬意を表する」と賛辞を贈った。

 またメリアムさんが宗教間対話の道を歩むきっかけになった西暦2000年の宗教指導者によるサミットに庭野名誉会長も出席したことを報告し、「記念写真に50人ほどの人が映っているが、女性は5人ほど。あれから14年経ち、庭野平和賞を受賞されたことに感慨深いものがある」と振り返った。

 メリアムさんの受賞記念のスピーチは「より深く包括的な諸宗教の協働に向けて」と題して行われた。GPIW設立に到る経緯や、宗教間対話と協働には東洋の宗教が欠かせないとも指摘した。

 ところで、庭野平和賞は昨年で30回を迎え一つの節目となった。05年の第21回から選考委員による庭野平和賞委員会で選ばれるようになった。この10年で4人が女性だ。シェイク・イブラヒム・モグラ委員長(イギリス、ムスリム)は、記者会見で「女性を対象として考慮するのは大切なことです。平和を考える時、男性、女性は関係はありません」と述べた。さらに「受賞対象者の世界の分布はもちろん、宗教も性別も」と中立的な選考であることを付け加えた。(詳しくは紙面をご覧ください)


2014/6/12 5月31日世界禁煙デー 京都・高台寺で禁煙イベント

 京都市東山区の臨済宗高台寺で、世界保健機関(WHO)が制定した「世界禁煙デー」の5月31日、タバコのない社会を訴える企画が開かれた。

 NPO法人京都禁煙推進研究会(浄土宗光明院住職・医師田中善紹事務局長)が主催し、高台寺の全面協力により方丈・庭園が無料開放・ライトアップされた。心地良い夜風が吹くなか、山田啓二京都府知事の挨拶に引き続き、「京都観光おもてなし大使」花柳双喜美師範の舞『鐘供養』、京都府立医大在学のバイオリニスト・石上真由子さんによる『無伴奏バイオリンソナタ』が高台寺方丈と開山堂で奉納された。

 参加者には「京都府受動喫煙防止憲章」などの資料が配付され、喫煙は健康被害のみならず、京都観光に有害無益、伝統文化に無関係であることが示された。

 昨年7月のWHO発表によれば、喫煙による死亡者は世界で毎年600万人にのぼり、うち60万人は受動喫煙によるという。一方、国内外の多数の観光客が訪れる京都の神社仏閣はほとんど建物内禁煙になっているが、喫煙所も設置されている。これは「ゆるやかな自殺」ともいわれる喫煙行為と、受動喫煙被害という人権侵害を宗教的立場から是認していることにならないだろうか。

 タバコの失火から文化財を保護するための措置であるとも受け取れるが、ならば「来訪者の生命より文化財保護を優先」という姿勢の現れといわざるを得ない。同研究会の栗岡成人医師は「真のおもてなしとは何か皆で考えるべきだ」とあらためてタバコのない社会の実現を高台寺仏前で訴えた。【記事/東京都高岩寺住職・医師=来馬明規】

2014/6/12 興正寺住職罷免問題 仮処分取り下げ本裁判へ


 寺有地の巨額無断売却で宗派から罷免された高野山真言宗別格本山・八事山興正寺(名古屋市昭和区)の梅村正昭元住職が、次の住職(特任住職)に任命された添田隆昭宗務総長を相手取り、登記手続きの停止を求めている仮処分裁判。2回目の審尋が3日、名古屋地裁で開かれた。梅村元住職側が仮処分の申し立てを取り下げ、本訴で罷免処分の是非を争う意向を示したことが関係者らへの取材でわかった。

 さらに子息である梅村昌寛副住職が、後任住職としての地位保全を求めて新たに別の仮処分裁判を申し立てたこともわかった。興正寺の住職を引き継ぐのは自分だと主張し、宗派の特任住職派遣に徹底抗戦の構えを見せているという。

 梅村元住職親子が本裁判と仮処分裁判の二本立てで、宗派の特任住職と全面的に争う異例の事態になった。本裁判の提訴時期は未定のようだが、裁判の長期化は避けられない見通しだ。(続きは紙面でご覧ください)

2014/6/12 旧多々良学園訴訟 曹洞宗、金融機関5行と和解



記者会見に応じる佐々木総長 広島高等裁判所において曹洞宗(佐々木孝一宗務総長)と中国地方の金融機関5行との間で進められていた旧多々良学園訴訟の和解交渉は5日、和解が成立した。これにより8年に及んだ訴訟の決着をみた。

 和解条項は、曹洞宗が金融機関5行(萩山口信用金庫、東山口信用金庫、山口銀行、西京銀行、もみじ銀行)に対し10億円を「解決金」として支払い、5行はその余の請求を放棄すること。これよって金融機関側は故宮川敬学元理事長、中野宣明元学監に対する請求も放棄することになった。10億円の配分は、萩山口信金1億7千万円強、東山口信金1億8千万円強、山口銀行1億6千万円強、西京銀行2億円弱、もみじ銀行2億8千万円弱となっている。

 これを受けて6日、佐々木総長は曹洞宗宗務庁で緊急記者会見を開き、「ほっとした。一応責任を果たせたと思っている」と安堵したように語った。今後は速やかに第三者委員会を発足させ責任の所在を明らかにする意向を表明。そして「この訴訟で得した人は誰もいない」と苦い8年間を振り返った。

 今後は7月8日までに各銀行の口座に解決金が送金され、宗務庁(ソートービル)に付けられている仮差押え登記の取り下げなどが進められる。

2014/6/12 日韓仏教善導寺大会 セウォル号殉難者追悼 共同宣言で往生願う



仏前にはセウォル号殉難者らの卒塔婆も立てられた(10日) 日韓仏教交流協議会(会長=宮林昭彦浄土宗大本山光明寺法主)は9日から12日まで、韓日仏教文化交流協議会(会長=慈乗大韓仏教曹渓宗総務院長)を招いて第35回日韓・韓日仏教文化交流大会を福岡県久留米市の浄土宗大本山善導寺で開催。日本から約70人、韓国から約110人が参加し両国の理解を深めた。


 10日にはさる4月に韓国・珍島沖で発生し、約300人の死者を出した旅客船セウォル(世越)号転覆事故の犠牲者の追悼法要を厳修。東日本大震災物故者諸精霊追善も併せ多くの人を供養した。


 法要は大会総裁でもある善導寺の阿川文正法主を大導師に営まれた。内陣には「セウォル号海難事故殉難横死」「東日本大震災物故者諸精霊」「日韓諸英霊」のための塔婆も立てられた。


 慈乗会長は海難事故を「基本的な常識を守らなかった既成世代の過ちが原因で、無辜の命が犠牲となった非常に残念な出来事」とし、「事故を共に悲しみ、お見舞いの言葉を送ってくださった日韓仏教交流協議会の皆様方に真心から感謝の意を表したいと存じます」と答礼の挨拶を述べた。


 またこの日出された共同宣言にも「犠牲者らの極楽往生を祈願」することが盛り込まれた。

2014/6/12 本願寺派法統継承式 大谷光淳第25代門主が就任


法統継承に際しての消息を読み上げ発布する大谷光淳門主(右)と光真前門 浄土真宗本願寺派門主が37年ぶりに代替わりする法統継承式が6日、京都市下京区の本山本願寺で執り行われ、大谷光淳第25代門主(36)が就任を奉告・表明した。式には全国から約8千人の住職・寺族・門信徒らが参列。光淳門主は「法統を継承した責任の重さを思い、能う限りの努力をいたす決意であります」と最初の消息を発布した。前日5日には光真前門(68)が退任に際しての消息を発布、37年間務められたことに「宗門内外の方々のご支援、ご理解とご協力のお蔭であります」と感謝した。(続きは紙面をご覧ください)

2014/6/19 米沢市・浄土宗西蓮寺 本堂でワールドカップを観戦! 親子連れや若者が参集



親子参加が多かった本堂内のPVの様子 FIFA(国際サッカー連盟)ワールドカップ(W杯)ブラジル大会が日本時間6月13日、開幕した(同7月14日まで開催)。日本は15日、予選リーグ初戦でコートジボワールと対戦し、日本各地でパブリック・ビューイング(PV=スポーツの試合等を遠隔地のスタジアムや広場において中継し、観戦するイベント)が行われ、日本代表の青いジャージを着たファンが熱い声援を送った。

 山形県米沢市では、寺院本堂を会場とする珍しいPVが行われた。乳幼児を連れた親子連れや若者を中心に、250人を超す人々が集まり、本堂は熱気で包まれた。

 これは、同市の浄土宗西蓮寺(伊藤龍昭住職)の伊藤竜信副住職が無類のサッカー好きであるところから生まれた企画。前回のW杯南アフリカ大会(2010)に引き続いて、2回目の開催である。伊藤副住職は「ワールドカップは世界最大のお祭り。お祭りは皆でわいわい観るほうが盛り上がります。お寺には本堂というスペースがありますからそこを利用できればいい」と企画意図を述べる。「一番の理由は、私がサッカー好きだからなんですけど(笑)」

 映像はNHKの許諾をもらい、同局の生中継を高さ12尺、幅8尺の白布に映した。またPV開催にあたってはFIFAに放送権料も支払っている。当日の運営には、山形県を本拠地とするプロサッカーチーム「モンテディオ山形」のサポーター有志が前回同様、献身的に手伝った。白布のスクリーンは地元葬儀社「源兵衛堂」が提供した。

 この日の試合開始は午前10時。9時半には「W杯の無事開催と日本の勝利」を祈願する鐘撞が伊藤副住職と参加者で行われた。

W杯の無事開催と日本勝利を願って、皆で鐘を撞いた。左端が伊藤竜信副住職「布教的なことは一切やりません。それではワールドカップに便乗することになる」と伊藤さんは言う。ただし普段は寺院に来ない年齢層の人たちと仏教との接点となったことは見逃せない。試合開始前、天蓋を指して「お寺にシャンデリアがあるんだ」と感嘆していた来場者がいた。恐らく寺院を訪れたことがないのだろう。W杯がまさに「仏縁」となったようだ。

 さらに、熱中症の心配のある炎天下の郊外でのPVや、アルコール片手に来場者が盛り上がるスポーツバーと違い、「子どもと一緒に安心して来れます」(40代男性来場者)という声も聞かれた。

 皆の祈りは届かず、試合は日本が2‐1で敗れたが、皆で日本代表の戦いに一喜一憂、溜息と歓声と、そして溜息が続いた。伊藤さんは声を涸らして応援。「まだあと2試合あります! これからです」と語っていた。同寺でのPVは、日本時間20日の対ギリシャ戦、25日の対コロンビア戦でも行われる。
【取材・写真/太田宏人】

2014/6/19 仏教伝道協会 妙心寺で実践布教研究会 新たな「苦」への対応が課題


臨済宗の作法に則り食事をする参加者 公益財団法人仏教伝道協会(沼田智秀会長)は4日から6日まで、京都市左京区の臨済宗妙心寺派大本山妙心寺で第44回実践布教研究会を開催した。超宗派の僧侶や寺族・坊守ら約60人が「臨済禅」を体験し、分科会では「日本仏教の未来―僧侶の原点とは」をテーマにして熱心に議論した。

 各宗派の総大本山を会場に、聞・思・修一体の仏道を学ぶ同研究会。今年は「臨済禅に学ぶ」をテーマに、僧堂での坐禅や食事作法などを体験。拝観時間外の朝夕には、狩野探幽の天井画「龍雲図」でも知られる重文・法堂で坐禅を組むなど、貴重な時間となった。

 2日目には分科会と同じ「日本仏教の未来」をテーマに花園大学の佐々木閑教授が講話。佐々木教授は「仏教で一番大事なことは、我々は全て平等であること」と指摘。さらに「釈迦の平等性とは、全ての人間が生まれながらにして不幸だということ。それを一切皆苦と表した」とし、これを「どう解決するかが仏教の課題」と確認した。そのうえで仏教を「病院」に例え、「苦しんでいる人を受け入れ、治す方法を確立しなければいけない」と説示。現代社会においてはネット上に拡散する誹謗中傷を含めた大量の情報、クローン技術の発達によるいのちの問題など「時代と共に新しい苦がある」とし、「仏教にしかできない仕事がある。それが果たせた時に信頼が高まる」と提起した。

 次いで天龍寺国際禅堂師家の安永祖堂氏が「間」「型」「無」をキーワードに「臨済禅のこころ」を解説。禅宗で問われる「無」について、「一つの事柄に、自分が全身全霊を打ち込んでいれば、その時自分は〝有って無い、無くて有る″。まさに無を生きている」とし、それを学ぶための「型」があると解説。坐禅や食事作法など身体的な型だけでなく、公案などで「心の型」を学ぶことで、本人の気づきによる「智慧」が伝わっていくと説いた。

 3日間にわたって行われた分科会では、寺院・仏教・僧侶の役割、各自の問題意識や自坊での取り組みを共有。「お寺をシェルター」にするための活動、地域社会とのコミュニケーション、傾聴や悩み相談の方法、他の寺院と行う共同イベント、葬式仏教の見直しなどを話し合った。初めて参加した高野山真言宗の僧侶は、「仏教全体の課題ですから、宗派を超えて議論する場があったほうがいいですね」と刺激を受けた様子だった。

2014/6/19 大谷派宗議会 戦争放棄捨て去られる 集団的自衛権反対を決議



 大谷派宗議会(高木文善議長)は常会最終日の10日、安倍政権が進める解釈改憲による集団的自衛権の行使容認に反対する決議を可決した。

 決議案は発議者の興法議員団幹事長・但馬弘議員が「集団的自衛権の行使が容認されれば、戦争放棄の国是が捨て去られる恐れがある」と提案。出席した議員全員が賛成した。今常会では里雄康意宗務総長も行使容認に「遺憾」を表明した。(続きは紙面をご覧ください)

2014/6/26 葬式仏教価値向上委員会 つくる葬式 多彩な実践

葬儀や終活まで幅広く取り組みが発表された葬式仏教価値向上委員会の研究会  株式会社寺院デザイン(薄井秀夫代表)の葬式仏教価値向上委員会の第3回研究会「みんなでつくる葬式仏教の未来―大発表会」が12日、東京・港区の仏教伝道センタービルで開催された。4人の僧侶が取り組みやノウハウを紹介し、宗派を超えて約30人が参加した。

 奈良市十輪院の橋本純信住職(真言宗醍醐派)は、葬儀社主導の葬儀を疑問に思い、火葬を済ませ日程に余裕ができる〝骨葬〟で葬儀を営む「やすらぎ葬」を自坊で始めたことを紹介。「遺族は葬儀社にうまく誘導されているが、慌ただしく葬儀を済ませた遺族は本当にそれ望んでいるのか。消費者目線は大事だが、最近それが少しいき過ぎていないか」と意見した。

 横浜市なごみ庵の浦上哲也住職(浄土真宗)は、喪失・苦しみ・悲しみを疑似体験し、死を見つめることで、逆に生を見つめることができるワークショップ「死の体験旅行」を発表。参加者の中には深い気付きを得る人も多く、対話の中でその気付きに「仏教ではこう説かれている」と説明し、仏教の智慧を学ぶ場にもなっていることを紹介した。

 名古屋市龍潭寺の別府良孝住職(曹洞宗)は、自坊で実践する「判る葬儀」を紹介。戒名の説明を通夜前に喪主に渡すことや、引導文をなるべく現代語で作ること、差定を葬儀社送付すること、葬儀の中で進行を担う役僧が儀式の説明を入れることなど、日々の取り組みを発表した。

 さらに別府住職は、直葬が増加する世相を危惧し、寺院の中に直葬を主とする葬儀会館を経営する寺院があることや、葬儀問題の解決策を出せない宗門の姿勢を批判。「個人的努力はむなしい」と仏教界で葬儀問題に取り組む必要性を訴えた。

 豊島区全昌院の安達良元住職(曹洞宗)は、葬式仏教価値向上委員会で出会った僧侶仲間と寺院での「終活セミナー」を開催したことを発表。「偉そうなことを言うつもりはないが、何もしないで待っていてもダメ」と寺院から檀信徒や一般の人々にアプローチし続けることを呼びかけた。

 薄井代表は各発表を受けてそれぞれの工夫に触れ、「1時間程の葬儀が苦痛となるか、積極的に参加できるか、僧侶の説明にかかっている。それが次の葬儀への気持ちを醸成することにもなる」と意見。個々の住職の取り組みが世の中の葬儀へのイメージを変える一歩になることを示唆した。

2014/6/26 全日仏 新理事長に齋藤明聖氏、事務総長は倉澤豊明氏


全日仏新理事長に就任した齋藤氏 (公財)全日本仏教会(全日仏)は18日、東京・芝公園の明照会館で理事会を開き、2年余の任期を満了する小林正道氏(浄土宗)の後任として、元事務総長で先月まで評議員を務めた齋藤明聖氏(真宗大谷派)を新理事長に選出した。事務総長も関崎幸孝氏(真宗大谷派)から倉澤豊明氏(浄土真宗本願寺派)に交替した。任期は共に2年。斎藤新理事長は会見で、広報活動に力を注ぐ決意を披瀝した。新執行部は平成29年(2017)の財団創立60年事業の準備を担う。(詳しくは紙面をご覧ください)




理事長会見 「広報は縁作り」

 理事会後、齋藤理事長は記者会見に臨んだ。財団法人から公益財団に移行し、最初の理事長交替。齋藤理事長は少し前まで評議員を務めており、その内実に詳しいが、「公益財団となり新たな組織が形成され運用がなされている。それが連合体として、若干まだなじまず戸惑いの部分がある。それを少しずつ調整していく2年になるだろう」と組織面について役割を語った。活動については「特段、何かをやらなければならないというよりも、本当に社会の負託に応えうる事業をしていくことに尽きるのではないか」と社会の負託に資することを強調した。

 理事会で提案された広報の重要性は、事務総長時代にも提起してきた課題である。齋藤理事長は「広報とは何か。正しい情報を広く社会に伝えるだけが広報なのではなく、実は縁作りだと広告代理店の友人から教えられた。まさに全国のお寺が改めて縁作りをしていくのが一番の基本だろうと思う」と〈広報=縁作り〉論を掲げた。

 その上で「人に何かを伝えることで自分が知らされることもある。こういう意識を持つことが広報だろうと思う。お寺にとって苦手な部分だが、取り組んでいきたい」と決意を語った。

【齋藤明聖〈さいとう・あきさと〉理事長略歴】昭和27年(1952)生まれ。早稲田大学院修士課程修了。全日仏総局時代、社会部長・同和推進部長・財務部長を務めた。全日仏事務総長の時には日本宗教連盟事務局長を兼任し、保険業法改正問題、公益法人制度改革で宗教界の立場を政官界に繰り返し説明し成果をあげた。自坊は東京・台東区の明順寺。
【倉澤豊明〈くらさわ・とよあき〉事務総長略歴】昭和32年(1957)生まれ。法政大学・中央仏教学院卒。全日仏第24期の財務部長を務めた。現在、宗教法人審議会委員でもある。自坊は東京・中央区の圓正寺。

2014/6/26 高野山真言宗次期管長 山口耕榮氏が立候補へ

 高野山真言宗総本山金剛峯寺(和歌山県高野町)の松長有慶座主(同宗管長)が11月14日に任期満了を迎えるのを受け、次期座主候補者の推戴公示日を7月1日に控えた24日、宗規が定める正住職10人からの推薦を受けた高野山報恩院住職の山口耕榮氏(82、前官・宗機顧問)が立候補の意思を固めたことが複数の関係者への取材でわかった。


 山口氏は平成16~17年の1年8カ月間、弘法大師の名代として高野山金剛峯寺の法会の導師を務める第506世寺務検校執行法印に就任した。


 座主候補者が一人だった場合、金剛峯寺座主推戴委員(宗会議員・宗務支所長・山内住職らで構成)による投票は行わず、8月に開かれるとみられる座主推戴管理会で正式に就任が決定する。

2014/7/3 集団的自衛権容認閣議決定に対する仏教界の反応は


閣議決定直前 渋谷ハチ公広場で祈念行動

ハチ公広場で反対の声をあげる宗教者たち 集団的自衛権容認の憲法解釈変更が閣議決定される直前の1日正午、宗教者九条の和・平和をつくり出す宗教者ネットは東京・渋谷駅ハチ公広場で閣議決定に反対する緊急街頭祈念行動を実施。仏教・キリスト教の宗教者約20人が参加した。

「安倍政権はいよいよ、閣議決定という禁じ手を使おうとしている。こともあろうに若い人を戦場に送り出そうとしている。日本を戦争する国にしてしまおうとする武器なきクーデターです」と、宗教者の叫びと団扇太鼓が渋谷の雑踏にこだまする。ビルの電光掲示板にも閣議決定の見通しを伝えるニュースが流れる中、自衛隊員を戦場に行かせないよう若者たちに訴えかけていた。

 日本山妙法寺の武田隆雄氏は「閣議決定ですぐに海外派兵ができるわけではないので、これからです」と諦めない言葉を語り、「主権は国民にあるわけですから。世論を高めて、秋の国会での関連法案の成立を何としても防がなければ」とした。

全日仏、理事長談話で危惧の念表明
 公益財団法人全日本仏教会(全日仏、齋藤明聖理事長)は1日、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定についての理事長談話を発表した。

「全日本仏教会は、定款にも示されるように、仏陀の『和の精神』を仰ぐことこそ、世界の恒久平和の要諦であることを提言し続けてきました」とし、「これが実行されれば、日本人が国外で人を殺し殺されるという事態が起こり得る可能性があり、日本国憲法に示される戦争放棄を捨て去ることになりかねません」「いかなる理由であれ、自己を正当化して、かけがえのない『いのち』を武力で奪いとることは、何人にも絶対に許されることではありません」と、深い憂慮と危惧の念を表明している。

2014/7/3 新宗連 新理事長に保積秀胤氏が就任



 公益財団法人新日本宗教団体連合会(新宗連)は6月26日、大阪府富田林市のパーフェクト リバティー教団(PL)大本庁で、第27期第5回評議員会と第28期第1回理事会を開催。任期満了に伴う理事ら役員等の選任を行い、第7代となる新理事長に大和教団教主の保積秀胤(ほづみ・ひでたね)氏(69)が就任し、第28期の体制が決定した。任期は2年。

 また28期の常務理事には宮本惠司(妙智會教団法嗣)江口陽一(大法輪台意光妙教会理事長)石倉寿一(大慧會教団次代会長)川端健之(立正佼成会理事長)の4氏が就任した。

【保積秀胤氏略歴】昭和20年(1945)年6月19日宮城県生まれ。大和教団(宮城県仙台市)保積史子教祖の3男。明治大学法学部卒。平成7年(1995)11月、大和教団第二代教主に就任。新宗連では常任理事(1998~2008)、副理事長(2008~2012)を歴任。新宗連東北総支部会長(1998~)を務める。

2014/7/3 親鸞聖人関東伝道800年法要 大谷光淳門主が親修




慶讃法要に臨むため本堂へと入る大谷光淳門主 宗祖親鸞聖人の関東伝道800年を記念して、東京・中央区の浄土真宗本願寺派築地本願寺(北畠晃融宗務長)は6月29日、「親鸞聖人関東伝道800年慶讃法要」を先月6日に法統を継承した第25代大谷光淳門主(専如門主)の親修で執り行った。光淳門主は慶讃法要を縁として、「関東の地に浄土真宗のみ教えがますます伝わりますよう、共々に努めさせていただきましょう」と呼びかけた。(続きは紙面でご覧ください)

2014/7/10 生長の家、城陽市にメガソーラー建設 教団外にも賛同者募る


城陽市久世奥山に建設されるメガソーラー(完成予想図) 生長の家(国際本部:山梨県北杜市)は1日、来年3月の完成をめざし京都府城陽市に出力1704・5kWのメガソーラー(太陽光発電システム)の建設を決めたと発表した。こうした大規模ソーラー発電は宗教界としては初めて。

 教団をあげて環境問題に取り組んでいるが、今回のメガソーラーは、建設費用の全額を当教団信徒のほか趣旨に賛同する方々からも広く寄付を募って建設する方針。システム稼働後の売電収入は、発電設備運用に伴う諸費用を除いた上で、次の自然エネルギーの利用拡大のための原資とする。

 日本国内でも最近、メガソーラーの建設が増えてきているが、経済優先の政策のもと原子力発電と化石エネルギーへの依存を継続させようという強い動きがあり、2012年の日本全体の電源構成においても地熱および新エネルギーはわずか1・6%となっており、持続可能な社会のあり方にはほど遠い。

 こうした中で、地球温暖化の要因である二酸化炭素(CO2)の排出量を抑制するため、生長の家では、「今回のメガソーラー建設などにより、自然エネルギー利用を拡大することで、『脱原発』と『地球温暖化の抑制』の実現に貢献をしてまいりたい」としている。

 教団の試算では、年間約540世帯分の電力消費量に相当し、これによりCO2は約960トンの削減効果があるという。

 募金は1口1万円で1口以上。寄付者名は施設内の銘板に掲示する。問い合わせは生長の家広報・クロスメディア部広報課(電話0551―45―7735)まで。

2014/7/10 高野山住職会 宗制改革で初の公開討論 責任追及めぐり緊張高まる

質問者が壇上の釘宮代表の所まで行って回答を求めるなど、緊迫した場面もあった 前内局の宗派運営を批判的に検証し、諸問題の責任の所在と再発防止への提言をまとめた高野山真言宗(添田隆昭宗務総長)の第三者委員会(釘宮正徳代表=公認会計士)では、一連の調査報告書を内局に提出して宗派と関係諸団体の運営改善に協力している。しかし調査報告書では、適正な宗派運営の観点から現行制度を改めるよう意見を表明するなど、厳しい記述が随所にあり、誤解や反発を招いている箇所もある。そうした中、山内塔頭寺院でつくる高野山住職会(東山泰清会長)が3日、和歌山県高野町の総本山金剛峯寺宗務所で釘宮代表を講師に勉強会を開催。住職会から39人が参加し、釘宮氏と事実上の公開討論を行った。添田総長ら内局部長も傍聴した。

 調査報告書に対し、高野山住職会から強い抗議の声が上がったのが、総本山金剛峯寺の特別職で宗会議員も兼ねる耆宿(きしゅく)の存在意義を問うたくだり。現行制度では耆宿の定員は10人で内局が指名し、高野山内からは半数の5人が任命される。調査報告書では昨春の宗会で前・庄野内局の不信任が可決された際、耆宿宗会議員の多くが内局支持票を投じたことなどをふまえ、「庄野内局の判断の誤りを正す働きをせず、金剛峯寺を守るという本来の職責を果たしていない」とする主旨で批判。調査報告書を受けて宗会では耆宿議員の定数削減や権限限定も含めた抜本的な制度改革を俎上に載せようとしているが、今回の公開討論会では参加住職から「耆宿の公選制」も検討課題にするよう求める意見が出された。

 全体的に当日の質問からは、第三者委の調査報告書が前内局への厳しい責任追及で貫かれていることに対する反発と抗議の念が感じられた。(続きは紙面でご覧ください)

2014/7/1 日蓮宗・ロサンゼルス別院で北米開教100周年慶讃法要執行



米国ロサンゼルスの日蓮宗米国別院での慶讃法要 日蓮宗(小林順光宗務総長)の北米開教百周年慶讃法要が6月29日、米国・ロサンゼルスの日蓮宗米国別院(井上定胤主任)で内野日総管長を大導師に執り行われた。内野管長は歴代開教師と現地で開教師を支え続けてきた檀信徒を「まさに地涌の菩薩」と顕彰。激動の時代にも信仰を守り、布教し続けた開教の歴史を繙き、先師や檀信徒の苦労に思いを寄せた。僧俗合せて約300人が参集した。

 日蓮宗の北米開教は、1914年に旭日苗管長(当時)が北米を巡錫した際、ロサンゼルス信徒団の訪問を受けて「羅府(ロサンゼルス)日蓮教会」が創立されたのが、始まりとされている。

 この百年の間には、第2次世界大戦による日系人の強制収容や寺院閉鎖、住居や家財道具の没収などもあり、内野管長は開教先師や檀信徒の苦労に対し、「皆様方の艱難辛苦を、次世代へ伝えていかなければなりません」と説示した。

祈りを捧げる現地の檀信徒 小林総長は、名代の塩崎望巳総務局長を通じて祝辞を寄せ、北米での法灯は「言語・文化の違い、戦争などの時代の流れなど多くの困難があろうとも、脈々と受け継がれ、法華経とお題目信仰の宣布に尽くされて参りました」と一世紀にわたる先師の法労に敬意を表した。

 さらに、今回の慶讃法要は7年後に迫った宗祖降誕800年慶讃事業の初めでもあり、今後国内11教区、北米を含む海外3カ所での降誕慶讃法要を予定していることも語られ、事業の先駆けとして重要な位置付けがなされていることを明かした。

 内野管長は30日に金井勝海・北米開教区長が開いたネバダ州ラスベガスの観音寺を訪問。一からラスベガスで布教を始めた開教の現場を視察し、現地の教師・檀信徒を激励した。

2014/7/17・24合併号 「エンディング」サービスをYahoo!が開始 鎌倉新書が全面協力

 葬儀・霊園・仏壇など供養に関するポータルサイトを運営する株式会社鎌倉新書(清水祐孝社長)が全面的に協力した、ヤフー株式会社の新サービス「Yahoo!エンディング」が14日にリリースされた。

 人生の最期にまつわる課題を解決するための総合ポータルサイトで、自身が亡くなった時のために備えておく『生前準備』、お葬式の総額見積もりをオンライン上で確認し手配ができる『葬儀手配』、相続税や遺言状などの基礎知識を学べる『相続・遺言』など、5つのカテゴリで構成されている。 

 このなかには公的証明書(火葬許可証)で死亡確認を行った後、WEB上に残るアカウントを削除して個人の情報を保護するサービス、亡き後に個別にお別れのメッセージをメールで送付できるサービスなど、ネット社会を反映したものが多数ある。

2014/7/17・24合併号 戦後69年・戦没者70回忌 妙智會教団、千鳥ヶ淵墓苑でうら盆供養

1200人が参拝した千鳥ヶ淵うら盆供養。今年で55回目を迎えた 妙智會教団(宮本丈靖会長)は14日午後、東京・千鳥ヶ淵戦没者墓苑で今年で55回目となる「戦没者うら盆供養」を法嗣の宮本惠司氏を導師に執り行った。都内近郊から1200人が参拝した。今年は戦没者の70回忌。そのため例年の献供に白米ご飯と冷や麦が戦没者に添えられた。

 宮本法嗣はご祈願で、新たに1843柱の遺骨が納められたことに言及し「これらの方々にとって本日が、日本での初めてのお盆供養である」と奏上した。さらに「愛する国と愛する人を思い、尊いいのちを捧げた戦没者のことを決して忘れることはございません」と奏上。続けて妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五の読経に入った。

 そして故郷に帰ることを思いながら果たせなかった戦没者にむけて、音楽隊の伴奏のもと唱歌「ふるさと」「夕やけ子やけ」の2曲を全参加者で合唱し、奉納した。

 宮本法嗣は墓苑創設の翌昭和35年(1960)7月、宮本ミツ会主、宮本丈靖会長によって始まった千鳥ヶ淵戦没者墓苑うら盆供養の歴史を紹介しながら、「初めは夜のご供養でしたが、その後昼に移行し、脈々と今日まで続けさせて頂いている」とし、行事を支えてきた各部と音楽隊に感謝とねぎらいの言葉を述べた。

 また献供にご飯と冷や麦が加えられたことに「本部で、炊きたてのご飯と冷たい冷や麦を差し上げたいと、ご供物として献じました。戦没者の皆さんも喜んでくれているでしょう」と戦没者の思いを代弁した。

 一方で、宮本法嗣は、中東ガザ地区の紛争再燃や北朝鮮のミサイル発射、日本国内の集団的自衛権行使の容認といった平和を脅かす国内外の諸問題を指摘しながら、「予断を許さない状況になっているが、私どもが出来るのは、創建からの供養を継続していくこと。これが肝要だと信じている」と訴えた。

 千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会を代表して若松重英理事長が挨拶し、若い人たちへの啓発の必要性を主張。「奉仕会も努力はしているが非力である。しかし妙智會の皆さんは、戦没者にとって大きな期待と大きな支えとなっている」とし、世代を超えて継続されてきた戦没者供養に感謝した。

2014/7/17・24合併号 淑徳大学看護学科 仏教看護論に仏教聖典活用

藤腹氏が仏教聖典をテキストに行っている仏教看護論の授業の一コマ(6月13日) 公益財団法人仏教伝道協会(沼田智秀会長)が世界中のホテルや病院に寄贈している『仏教聖典』。その頒布数は、これまで世界64カ国で約840万冊にのぼる。仏教に触れてもらう機会を求めた仏教聖典だが、これを授業で使っている学校も多い。未来の看護師を養成する淑徳大学(千葉市中央区)の看護栄養学部看護学科の4年生が受講する「仏教看護論」もその一つで、その授業風景には仏教聖典が並ぶ。

 18年前に「仏教看護」を提唱し、「仏教看護・ビハーラ学会」の前会長だった藤腹明子氏が講義する「仏教看護論」。同学部が平成19年に開設されてから、4回生の履修科目として15コマ(30時間)が組み込まれてきた。

 仏教聖典を授業に活用しようと思ったのは、「誰が読んでもわかりやすい日本語で、宗派の枠を超えた通仏教の教えが書かれているから」と藤腹氏。授業では、例えば仏教聖典で「いのち(命)・生命」をどう捉えているかを挙げて、仏教の生命観を教える。

 受講生は20歳を超えたばかりで、これまで宗教教育を受けたこともなく、家庭においても宗教と縁がない者も少なくない。「正しい宗教の知識や概念がなく、そのことによって、生理的に嫌悪感を表す学生もいる」とのこと。

 一方で学生を対象にした「こんな看護師さんに看護されたい」アンケートでは、上位に「笑顔で接してくれる人」「親身な態度で訴えや話を聞き、考え、ケアしてくれる人」「ケアや言葉遣いが丁寧な人」という回答が占める。仏教では「無財の七施」に優しい眼差しやにこやかな笑顔、優しい言葉で接することが説かれる。学生たちの回答にも宗教との深い親和性があると藤腹氏は指摘する。「宗教というものが人間にとってどういうものなのか」、そして「いかにシンプルで大事なことを説いているか」。それを伝えるためにも仏教入門として仏教聖典が適しているという。

 医療現場では科学が対象とする事象だけでなく「癒し」や「救い」が必要とされることもある。「看護という仕事は人間が人間に関わる仕事」。仏教看護は科学的看護を基にしつつも、科学や人間の力では解決できないこと、人間の「生老病死」をみつめる。

 看護論を考える上での主要概念は「人間」「健康」「環境」「看護」という4つで説明されることが多いというが、藤腹氏が提唱する仏教看護では「生活」という概念をも含む。

 この「生活」というキーワードは実は仏教聖典にも通じている。巻末には「生活索引」がつき、「人生」「信仰」「修養」「悩み」「日常生活」「家庭」などに分類されている。「私たちの生活と心の実際に触れる生きた指針」とするためという理由で編纂された索引だが、これは「とても引用がしやすい」と藤腹氏が評価している点だ。生活へのまなざしは人間の営みを見つめる仏教看護でも重要な視点であり「看護の質に影響を及ぼします」。

 学生たちは将来、看護師や保健師として患者と接することになる。「そこでは思い通りには行かないことが出てくると思います。その時に、〝仏教看護″が頭の片隅にあったらいいなと思います。その時のための種まきのようなものですね」と藤腹氏。教育現場の大切な授業の一コマ。地道な営みの中に仏教聖典が活用されている。

2014/7/31 東電が墓石賠償を発表 修理費用の2割支払う


 東京電力は23日、福島第一原発事故に伴う墓石等の修理に関する賠償請求手続きを開始すると発表した。対象は原発事故で設定された避難指示区域内(避難指示解除準備、居住制限、帰還困難の各区域内)の墓石等で、強制避難による管理不能で生じた損害。賠償は実際に修理費用を負担した人に対して支払われるが、墓地1区画あたり30万円を上限として修理費用の実費に賠償割合(20%)を乗じた金額になる。

 墓石等の修理に際して営む祭祀(開眼・閉眼供養)の費用についても、定額2万円を1回に限って支払う。また請求にかかる諸費用として定額1万円も1回に限り支払う。1万円を超えた場合は領収書を確認の上、合理的な範囲で実費を負担する。

 墓地を移転する場合は、移転費用(運搬、祭祀、移転を伴う修理費用、移転できない場合の墓石等の新規取得費用等)を負担するが、墓地1区画あたり150万円が上限。

 墓石修理費と移転費の両方の賠償請求は不可。墓地(土地)の賠償は、今後示す予定だ。

 問い合わせは福島原子力補償相談室財物相談専用ダイヤル(0120―926―596・無料)。

2014/7/31 第48回仏教伝道文化賞に渡邊寶陽氏、沼田奨励賞にジェローム・デュコール氏



 公益財団法人仏教伝道協会(沼田智秀会長)は7月16日、第48回仏教伝道文化賞の選定委員会(木村清孝委員長)を開き、仏教伝道文化賞に法華経や日蓮教学研究の第一人者である立正大学名誉教授の渡邊寶陽氏(81歳、東京都/日蓮宗法立寺)、沼田奨励賞にヨーロッパで仏教伝道に尽力するスイス人のジェローム・デュコール氏(スイス/ジュネーブ民族学博物館東洋部長)を選定した。贈呈式は10月17日に東京・芝の仏教伝道センタービルで執り行われる。

 仏教精神、仏教文化ならびに仏教学術の興隆等に貢献した人物または団体に贈られる仏教伝道文化賞。渡邊氏は『日蓮宗信行論の研究』をはじめ、日蓮教学および法華経研究の分野において卓越した業績をあげ、立正大学学長、日蓮宗勧学院院長を歴任し、教育者としても後進の指導に尽力してきたことが評価された。

 今後の仏教伝道を通じた文化活動の振興が期待される人物・団体に贈られる沼田奨励賞にはスイス・ジュネーブのジェローム・デュコール氏が選ばれた。デュコール氏は『観無量寿経』『歎異抄』等の仏典をフランス語訳して解説、紹介すると共に、浄土教思想を深く研究。ジュネーブの信楽寺サンガの代表としてヨーロッパに仏教を弘める。民俗学博物館東洋部長をはじめ、ローザンヌ大学やジュネーブ大学でも講師を務め、龍谷大学仏教文化研究所の客員研究員でもある。

 仏教伝道文化賞の渡邊氏には賞金300万円、沼田奨励賞のデュコール氏には200万円と記念品が贈られる。

受賞者のコメント

気を引き締めて―渡邊寶陽氏
 素晴らしい賞を頂き、そのご厚情にどう応えていくべきか、ということが最初に思い浮かびました。今の私があるのは、恩師や多くの先輩方のおかげです。傘寿を迎え、感謝とともに、これまで書いたものをまとめていきたいと考えているところです。今回、これまでの受賞者の先生方を改めて一覧し、実に素晴らしい先生方が受賞されており、「私が頂戴してよろしいのか」と恐縮しております。選考委員会の諸先生に敬意を表すると同時に、ご厚情にできるだけ応えられるよう、気を引き締めて仏教文化の興隆に、いささかなりとも貢献できるよう努力させていただきたく存じます。

サポートに感謝―ジェローム・デュコール氏 
 沼田奨励賞の受賞を聞き大変有り難く、また身に余る光栄です。私は師であるジュネーブのジーン・エラクル師の恩恵を受け、1975年にジュネーブで沼田恵範師との素晴らしい出会いがありました。それから長い間、日本の多くの先生や友達が支えてくれました。これから二つの事を進めたいと思っています。一つは、私自信の仏教、とりわけ浄土真宗の知識を深めていくこと。二つ目はそれを大学と寺院のレベルで共有していくこと。今回の受賞はこの目標を進めるうえでもとても大きな力になります。仏教伝道協会の継続的なサポートに深く感謝します。

2014/7/31 終戦69年企画「私の戦争体験」 学徒出陣で特攻を援護―日蓮宗大本山妙顕寺・三田村鳳治貫首


長い沈黙を破り当時の状況を語る三田村貫首 日蓮宗大本山妙顕寺(京都)と本山本土寺(千葉)の山主である三田村鳳治貫首は大正11年(1922)、神奈川県横須賀市生まれの92歳。戦時中は〝特攻〟も行った陸軍第百飛行団に所属し、多くの戦友とかけがえのない親友の死を目の当りにした。「生き残ってしまった罪悪感」から、これまで戦時中の話は表に出すことはなかったが、今回、長い沈黙を破り貴重な体験を語った。

 昭和20年(1945)4月。三田村貫首は当時23歳。学徒出陣により陸軍飛行第102戦隊に配属された。当時最新鋭の四式戦闘機(通称「疾風(はやて)」)が配備され、戦局を打開する最後の手段〝特攻〟を援護するのが主な任務だった。だが、戦況は米軍の沖縄上陸作戦前後から著しく悪化し、自隊内でも特攻志願者を募るようになっていったという。

 4月6日、12日の両日。102戦隊から特攻に志願した先輩たちが宮崎県都城基地から出撃し、大きな戦果を挙げた。それは「陸軍と仲が悪い海軍の連合艦隊司令長官から感謝状がくるほどだった」が、それも長くは続かなかった。特攻機だけではなく、援護に出た学徒たちにも多くの犠牲が出た。三田村貫首は、出撃を控えた先輩たちと過ごした最後の晩のことは「今でも忘れられない」という。

〝会いたい〟

 その晩は「盃で日本酒が飲みたい」という早稲田大学の太田政義少尉の頼みで、盃を探して一緒に酒を酌み交わした。「やっぱり日本酒は盃で飲むのが美味いな」と喜んでくれたのが嬉しかった。帰り際、不意に呼び止められ、少尉はただ一言、「三田村、俺はもう一回、かあちゃんに会いたいよ」とだけ呟いた。

「それが最後の言葉だった。最近『永遠のゼロ』を見たが、あれみたいに誰かに会いに行くなんてできない。実際とは大分違う。少尉には妻子がいて、妻子ある人が…こんな…。どれほど辛かったことか」

 明治大学の野口裕文少尉とは「妹と一緒になってくれないか」と言われるほど仲が良かった。野口少尉も太田少尉と同日に特攻の援護で出撃し、奄美大島東方で散った。三田村貫首も同じ日に出撃予定となっていた。

 ところが、当日の早朝、原因不明の激痛が三田村貫首の両腕を襲った。軍医も訝しみ、仮病とも思われたが、とても操縦桿を握れる状態にはなかった。出撃に間に合わず、見送りも果たせなかった。「三田村!野口少尉が寂しそうな顔で出て(出撃して)いったぞ」という仲間の言葉が今でも耳に残って消えない。

「野口少尉は自分の代わりに逝った」。その罪悪感と自責の念が戦時中の話を語れなかった理由の一つだった。沖縄防衛戦で敗れた後、第102戦隊は成増飛行場(現在の練馬区光が丘周辺)で終戦を迎えた。一時帰宅した際、母親に言われた一言に驚かされた。

「腕を怪我していないか」。聞けば、信仰に篤かった母親は毎朝必ず武運長久を祈り続け、ある朝突然、両腕が痛みだしたのだという。それはあの出撃の日の朝であった。

 三田村貫首の出撃回数は1回。戦闘目的の任務ではなかった。何度も沖縄へ出撃する機会はあったが、「当時の飛行機は有視界飛行で、天候が悪ければ飛べなかった」。なぜか出撃の度に天候が崩れ、九死に一生をえた。

 しかし、敵は否応なく攻めてくる。4月29日。基地のあった宮崎県都城を米軍のグラマン戦闘機とB29が襲った。その空襲で親友の凄惨な死を目の当りにした。福島和彦軍曹は、同い年で特に気の合う一番の親友だった。「戦争で青春時代などなかっただろうと言われるが、私にとってはあの頃が青春だった。〝俺たちは純潔で死のうな〟とよく語り明かした」

 空襲で一緒に隠れていた福島軍曹が、機銃掃射が止むのを待ち、反対側まで移動しようとした瞬間、爆音と共に頭に砂利やガレキが降ってきた。目を開けると、親友の姿はどこにもなかった。

「足の速い福島のことだ。向こうまで辿り着いたはずだ」と福島軍曹を探した。しかし、目にしたのは、親友の無残な姿だった。その時「俺も死ぬ」。そう覚悟したという。その言葉には、覚悟というよりはむしろ、どこか〝誓い〟にも似た響きがあった。

生かされている感謝

 第8次総攻撃当日。出撃の準備に駆け出すと、上官が「おい三田村、どこへ行くつもりだ」と問い質した。「最後の総攻撃です。私も出ます」。上官は諭すように「お前な、死ぬのはいつでもできる。若い者はこれからの日本のことを考えろ!」と引き留めた。上官も譲らず、その内に出撃は終わってしまった。

「ついに死にぞこなったと思った。たしかに死ぬのは怖かった。でも、なぜ一緒に死ねなかったのか。そればかり考えた。その罪悪感がずっと消えなかった。でも今は、90歳を過ぎて、生かされているという感謝の気持ちがある」

 今日本は戦後の大きな転換点に来ていると三田村貫首は感じている。「戦争は勝っても負けても絶対にしてはいけない。今の時代、政治を見ていても、とてもきな臭い匂いがする。戦前とよく似ているよ。本当に心配だ」

「今だからこそ、自分たちの体験を伝えなくてはいけない。それが戦友たちへの供養になると思った。そして皆も、あの世でそれを望んでいる気がしているんだ―」

2014/8/7 迫るACRP韓国大会 青年交流は協働の段階―青年部会石川幹事長

 いよいよ第8回ACRP(アジア宗教者平和会議)大会(韓国・仁川)が今月25日から開催される。本大会に先立ち、WCRP(世界宗教者平和会議)日本委員会青年部会は22日より韓国・ソウルで、各国の青年宗教者が集う青年会議に参加する。日本の青年宗教者として大会にどう臨むのか。青年部会の石川清哲幹事長(本門法華宗僧侶)に聞いた。

 昨年、青年部会は40周年を迎え、今年3月に東京・芝の増上寺で記念行事を開催。40周年を記念した宣言文では、WCRPの持つ国際性を活かし、諸宗教間の青年ネットワークを強化する方針を打ち出した。石川幹事長は韓国大会を「40周年後初の国際大会として、青年部会にとって宣言を実践する非常に重要な大会」と位置付けている。

 青年会議のテーマは本大会と同じく「アジアの多様性における一致と調和」。青年部会の活動にこのテーマをどう落とし込んでいくのか。「〝大会が終われば、それで終わり〟ではなく、青年部会として、具体的な成果を得て、どう普段の活動に活かすかという視点も持ちたい」と大会後の活動も見据えている。

 韓国大会の青年会議の参加者は90人。日本からは25人が参加し、開催国の韓国に次ぐ規模である。日本には相応の存在感があるが、この存在感を以てアジアの青年宗教者に発信したいのが、軍縮を掲げ、大規模な署名活動へと発展した「アームズ・ダウン!」だ。

 09年から10年にかけて行った軍縮キャンペーン「アームズ・ダウン!」は、国内で約1千万人、海外を含めると全世界で2千万人の署名が集まった。国内の署名活動では、日本の青年部会も大きな役割を果たした。

「抽象論ではなく、実際に青年宗教者が動いた。これは平和のために他分野と協力しながら何ができるのか、それを突き詰めた一つの成果と思う。これを携えてアジアの青年にどうアプローチするのか考えていきたい」

 さらに韓国大会だけに力を入れたいのが、日韓青年宗教者の交流の深化。石川幹事長は近年の日中韓の緊張感の高まりといった国際情勢の中でも、日韓の青年宗教者による交流は「協働を行うという次の段階へと移りつつある」とみている。「これまでの先輩方の積み重ねのおかげで、今、日韓青年交流は建設的な協働の段階にきているとの感触があります」。

 今大会は日韓関係以外でも、アジア各国の青年宗教者との新たな関係性を構築し、従来のネットワークを強化する契機となることが期待される。

 石川幹事長は「日本の青年参加者には、国際的な見識のある大西英玄正式代表(音羽山清水寺執事補)をはじめ、継続した問題意識を持った意識の高い人材が揃っている。大会を契機にアジアの青年宗教者と会期にとどまらない情報共有や活動理解を継続させ、具体的に歩みを進めていきたい」と話した。

2014/8/7 身延山大学 復興と慰霊の願い込め悲母観音特別公開

完成した「悲母観音立像」 東日本大震災で被災した岩手県陸前高田市の復興と慰霊のために身延山大学(浜島典彦学長)の仏像修復教室が制作していた「悲母観音立像」が完成し、1日から山梨県南巨摩郡身延町の日蓮宗総本山身延山久遠寺大本堂で特別公開が始まった。

「悲母観音立像」は被災地の復興と慰霊を願い、仏の慈悲の心を届ける目的で震災が発生した2011年に制作を発願。同大の柳本伊佐雄教授を中心に制作に取り組み、今年4月に完成した。

 完成した「悲母観音立像」は、慈悲を湛えた尊顔が印象的な菩薩像で、寄木工法により制作されている。水晶が敷き詰められた台座に立ち、白を基調とした色鮮やかな衣を纏っている。総高は約4メートル(像高約3メートル40センチ)。〝奇跡の一本松〟に程近い陸前高田市の日蓮宗妙恩寺に建立される予定で、同寺の再建を待って寄進されるという。

『東日本大震災慰霊「悲母観音立像」完成特別公開』は9月15日まで。久遠寺大本堂開堂時間中、随時公開している。

2014/8/7 高野山真言宗 次期管長に中西啓寶氏

 高野山真言宗総本山金剛峯寺の次期座主(同宗管長)を決める座主推戴管理会(管理長=吉井惠貫総務部長)が1日、和歌山県高野町の宗務所で開かれ、投票の結果、高野山釋迦文院住職の中西啓寶氏(80・前官・寶壽院門主・専修学院長)の当選が確定した。就任は11月15日。任期は4年間。

 座主候補者は、中西氏と阿弥陀寺(三重宗務支所下)住職の浦上隆彭氏(88・前官)。宗会議員・宗務支所長・山内住職ら129人で構成される金剛峯寺座主推戴委員による決選投票の結果は投票総数129票中、中西氏108票、浦上氏6票、白票13票、無効票2票となった。一宗公選制から現在の推戴制に移行後、投票が実施されたのは平成14年以来2回目。

【中西氏略歴】昭和8年9月生まれ。高野山大学卒。同宗法会部長を2期務めるなど宗内要職を歴任。平成23年には、弘法大師の名代として1年間にわたって高野山金剛峯寺の法会の導師を務める第512世寺務検校執行法印に就任した。

2014/8/21 北河原長老がガバナー就任 国際ロータリー「心くばり」強調 

「ロータリーも菩薩の心と同じ」と北河原公敬長老 東大寺前別当の北河原公敬長老(71)が国際ロータリー第2650地区の2014―2015年度ガバナー(地区統括者)に就任した。僧侶のガバナー就任は他の地区でもあるが、東大寺の僧侶では初めてだという。

 国際ロータリーは世界各地で地域社会に根付いて青少年の育成・平和推進・人道支援などに取り組む団体。第2650地区は奈良・京都・福井・滋賀の4府県が管轄区域で96クラブ約4500人が所属する。

 就任にあたって北河原ガバナーは7月31日奈良市での会見で「われわれが良かれと思って行った奉仕活動でも、お仕着せととられているのではないか、相手の方に奉仕してやっていると受け取られていないか、気配りする奉仕活動でなければいけない」と述べるとともに「相手のニーズに合致してこそ初めて奉仕活動になる。真心込めて誠心誠意させていただくのが大切」と活動方針を述べた。仏教的見地から「菩薩は他者に手を差し伸べ見返りを期待しない。その意味ではロータリーも菩薩の心と同じ」とした。同地区の14・15年度のスローガンも「ロータリーは心くばり―謙虚・誠実・精励」と決まった。

2014/8/21 新宗連8・14千鳥ヶ淵式典 「平和のとりで」築き行動へ



青年女子による献灯で荘厳された六角堂 公益財団法人新日本宗教団体連合会(新宗連)と新日本宗教青年会連盟主催の第49回戦争犠牲者慰霊並びに平和祈願式典が終戦前夜の14日夕、東京・千鳥ヶ淵戦没者墓苑で営まれた。式典前半は豪雨に見舞われたものの後半には雨がやみ、約2500人が平和の祈りを捧げた。

 最初に主催者を代表して、6月に就任したばかりの保積秀胤理事長(大和教団教主)が挨拶。千鳥ヶ淵墓苑が「無名戦士の墓」として国民に受容されていることや昭和37年(1962)から式典を継続してきていることに言及し、「どのように時代が変わっても今日の日本の自由と繁栄は、尊いいのちを犠牲にされた方々の礎の上に築かれていることを決して忘れてはなりません」と訴えた。

 さらに震災後の「苦難苦渋の生活」を強いられている被災者を思いを寄せ、「一人ひとりの心の中に神仏の智恵を拝し奉り、『平和のとりで』をしっかりと築き上げ、それを行動に移していくこと」を呼びかけた。

 続いて青年女子による献灯、青年会地方連盟代表による折鶴奉納が行われ六角堂を荘厳。恒例の教団別礼拝は思親会を皮切りに18教団がそれぞれの儀式・作法に従って行われた。

 平和へのメッセージは、新宗連青年会の岩渕明大委員長が戦没者が眠る六角堂前に進んで発表。集団的自衛権の解釈変更に対し、「「69年間にわたり前進してきた『平和国家』としての歩み、私たち新宗連が訴え続けてきた『平和への信念』を脅かすもの」と危機感を露わにした。

 岩渕委員長はまた、新宗連青年会が実施してきたアジア平和使節団、沖縄慰霊、平和学習など平和への取り組みを報告。「『戦争の悲劇を二度と繰り返してはならない』という、体験者の方々の言葉には、体験されたからこその重みがあり、『いのちの尊さ』『平和への願い』が込められてます」と述べ、宗教青年としてこれらの願いを次世代に伝えていくと表明し、「絶対非戦」を誓った。

 メッセージを終えると全員が起立して平和の祈りを捧げた。

2014/8/21 25日から29日まで第8回ACRP大会 日本から約110人が参加

「アジアの多様性における一致と調和」を総合テーマに今月25日から28日まで、韓国・仁川の国際会議場で第8回アジア宗教者平和会議(ACRP)大会が開かれる。アジア18カ国・地域から約600人が参加し、平和教育や人権、環境問題などを討議する。世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会からは、基調講演者の庭野日鑛会長(立正佼成会)や杉谷義純理事長ら正式代表15人のほかオブザーバー等を含め110人が訪韓予定。韓国では第3回(1986年)以来、28年ぶり2回目となる。

 大会は初日(25日)の歓迎夕食会から公式行事。2日目(26日)の開会式と基調講演を経て、全体会議及び分科会などを断続的に行い、最終日(28日)に大会宣言の採択を目指す。またACRPの新人事が発表される。

 日本委員会の主な役務では、基調発題の庭野会長をはじめ、全体会議Ⅱの議長を杉谷理事長が務め、「開発と環境」の第3分科会議長を國富敬二氏(立正佼成会)が担当し、同分科会で薗田稔氏(秩父神社)が基調発題する。

 分科会は、①平和教育と和解、②人権と幸福、③開発と環境―の3つ。日本委員会は、日本からの発信として、総合テーマと分科会に沿った見解をまとめた英文資料を作成し配布する方針。
 昨年11月、ウイーンで第9回WCRP世界大会を開催した。限られた会議時間の中で日本の意見を反映させるため、見解を英文で配布したところ、被曝の脅威が宣言文の一部に盛り込まれた。日本委としては分科会での発言に留まらず、効果的に意見を発信したい構えだ。

 一方、WCRPの国内委員会を有する国は90カ国を超える。アジア・太平洋地域では18カ国となる。世界的組織の中でACRPの存在感をどうPRするのか。同時にアジアの具体的な諸問題にどのような役割を果たしていくのか。新人事もあり、これから5~10年間の宗教協力を占う意味でも今大会の行方が注目される。

2014/8/28 聖宝理源大師を共に慶讃 東大寺・醍醐寺 つながり刻む

東大寺筒井別当を導師に、醍醐寺仲田座主らが出仕して営まれた聖宝理源大師慶讃法要 奈良国立博物館で目下開かれている「国宝醍醐寺のすべて」展にあわせ東大寺で修行し醍醐寺を開いた聖宝理源大師の慶讃法要が両寺の合同で23日、奈良市雑司町の東大寺金鐘ホールで厳修された。東大寺・醍醐寺の関係について永村眞・日本女子大教授による講演も行われ、理源大師から始まる両寺のつながりを改めて胸に刻んだ。

 慶讃法要は東大寺所蔵の聖宝理源大師像を安置した上、東大寺の筒井寛昭別当が導師を務め、舞台向かって右に同寺長老ら14人、左に醍醐寺の仲田順和座主はじめ田村照晃内侍長、田中祐考執行ら同寺僧侶8人が出仕して営まれた。ともに理趣経を読誦し、光明真言を唱えて回向した。

 筒井別当は「明治以降、東大寺は他のお寺とのつながりがなくなり、醍醐寺さんとも親しい間柄だったのに疎遠になってしまいました。調査してきますと東大寺とのつながりが深かったのが分かってきました。弘法大師もここの別当をしていますが、高野山というよりは醍醐寺さんとのつながりが深い」と古代からの関係を振り返った。最近は平成14年の大仏開眼1250年、同18年の重源上人800年遠忌で醍醐寺が法要を勤めて交流が深まったという。

 仲田座主は「(東大寺との合同法要は)おそらく明治維新以後で初めてではないでしょうか。筒井別当様、それから歴代別当の長老猊下とご一緒にお勤めができたのは無上の喜びであり、聖宝さんの祈りの深さを私たちが受け継いでいるということの御奉告ができたような気が致します」と顔をほころばせた。開創間もない頃は東大寺東南院に関係のある僧が座主を務め「東大寺の大きな祈りに守られた」ことからも「東大寺さんとご一緒にできたのは非常に意義深い」とも話した。

 講演で永村教授は聖宝の生涯をたどりつつ両寺の関係を概観。聖宝は空海の弟・真雅を師に得度したのち東大寺僧房に住んで三論、法相、華厳を修学。40歳から密教に傾倒し真言密教の拠点として上醍醐に醍醐寺を創建するとともに、東大寺に東南院を創建。東南院は三論・真言兼学の拠点として存続したことなどを史料をもとに話した。

2014/8/28 広島市で大規模土砂災害 寺社の境内、のみこむ

  8月20日の豪雨によって発生した広島市の大規模土砂災害。土石流に襲われた現場では、現在も懸命な捜索活動が続いている。ライターの太田宏人氏が緊急レポートする。日本列島では、7月末から大気の不安定な状態が続き、8月豪雨に入ると各地で記録的な雨による被害が起きている。

細野神社は境内地が崩落し、鳥居は土砂と岩石で埋まった状態に。神社の釣鐘などは500メートル下まで流された 25日、広島土砂災害の被災地を取材した。

同日朝の段階で、行方不明の方は28名。警察や消防が懸命の遺体の捜索を続ける。山際でライフラインの復旧に当たる業者も「警笛が聞こえたら逃げろ、と言われています」。自衛隊も巡回し、二次災害を警戒する。ボランティアたちは、山際から少し下ったあたりで汚水の混ざった泥の掻き出しなどをしていた。

八木622の細野神社へ向かう。同社は山の中腹に鎮座する。だが、山道の石鳥居と本殿・拝殿のみを残し、それ以外の構造物は跡形もない。拝殿も、前面の壁や向拝柱は吹き飛んでいる。脇を流れる沢に沿って境内地が崩落したのだ。崩落の結果、社殿の周囲が崖になり、孤立してしまった。むきだしになった拝殿基礎のコンクリートが崖の上にかろうじて乗っている状況。

崩落した土砂や岩石が、増水した沢の水とともに土石流となったようだ。下方の道路は岩で埋まり、同社下に位置する障害福祉サービス事業所・八木園は大破した。神社の釣鐘や玉垣のコンクリの欄干が、500メートル以上離れた下方に転がっていた。

沢沿いをよじ登り、本殿後方へたどり着く。本殿は無傷だが、拝殿がひどい。内部には岩や泥が堆積し、泥が乾いていない。沢を渡り、この崖の上に重機を運ぶのは至難の技と思われた。宮司とは連絡が取れなかった。

神社からなんとか降りて、八木八丁目へ。次に八木四丁目へ。ここは山際で大規模な土石流が発生した。まさにその山際に日蓮宗の龍華寺が建つ。谷側から見ると鉄筋コンクリ3階建ての建物はしっかりしているようだ。だが山側に回ると、巨木が基礎にめり込むという惨状。しかもこちらも、周囲の土地が崩落していた。住職には会えなかった。

八木地区にある龍華寺では巨木が建物に流入。境内地も崩落している土石流の流れに沿って傾斜地を降りると、浄土真宗本願寺派の浄楽寺がある。坊守の桐原伊織さんが対応してくれた。桐原さんによると、門徒は6人亡くなったという。「19日から20日にかけての雨と雷がこれまで経験したことがなく、怖くて眠れませんでした。避難指示は出ていませんよ。土石流が起こってから、朝4時くらいにお寺の呼び鈴を鳴らす人がいたのですが、玄関のモニターには誰も写っていませんでした。避難してきた人たちでしょうか。お寺は幸い被害はなかったです。これからは門徒さんをどう支援するか、総代さんを交えて考えます」

ほかに八木三丁目や同区山本町八丁目の現場も歩いた。光廣神社(八木三丁目)は構造物は残っていた。しかし、流入物によって参道は埋まっていた。二次災害の危険の中、住民はじめ、関係者はそれぞれの仕事に尽力していた。すべては、復旧・復興へ向かう尊い仕事だ。だが、流れ込んだ巨岩はあまりに多く、しかも依然として地盤は緩いままだ。被災した住民の避難生活は長期化するおそれがある。【取材・写真/太田宏人】

2014/8/28 韓国でACRP大会開幕 南北の非武装地帯も訪問


アジアの諸宗教の青年宗教者が集った青年会議「アジアの多様性における一致と調和」をテーマに第8回ACRP(アジア宗教者平和会議)大会が26日、韓国・仁川で開会し、本大会の事前プログラムとして、23日から25日まで、14カ国約90人の青年宗教者が集う青年会議が韓国の首都ソウルで開催された。青年宗教者らは韓国・北朝鮮、両国の軍事境界線上にある非武装地帯(DMZ)を訪問。緊張関係にある両国を事例に、平和への道を考えた。

 23日の青年会議の歓迎レセプションでは、ホスト国韓国のキム・クァンジョン氏(ソウル平和教育センター長)が挨拶し、アジアにおける紛争の解決方法をアジア諸国がともに模索する必要があることを強調。特に青年の平和活動においては、具体的に問題に取り組むことが肝要であるとして「もう一度、アジアの現実を直視して、深い愛をもってアジアのことを考えてほしい」と激励した。

 翌日の青年会議の開会式でACRPのキム・スンゴン事務総長(韓国・圓仏教)は本大会に先んじて諸宗教の青年代表者らを歓迎。緊張関係にある北朝鮮との国境付近、DMZを見学することに関して「(現在では)韓国は世界でたった一つ分断された国。第二次大戦後に分断され、朝鮮戦争では多くの命が失われました」と両国の歴史に触れ、戦争による犠牲者を悼んだ。
その上で、今大会のテーマ「アジアの一致と調和」について「アジアはたくさんの言語と文化を持ち、多様性を持っている。この豊かな多様性は、美しい虹のように調和をもたらすことができる。是非この会議で生涯の友を作ってほしい」と青年宗教者がより友好を深めることを願った。

 DMZでは、南北を結ぶ唯一の道である〝自由の橋〟や北朝鮮がソウルを奇襲する目的で掘った〝第3トンネル〟などを見学。「アジアの現実」を目に焼き付け、平和への方策を話し合った。

 青年会議はアジア各国の貧困、差別、紛争の状況報告の後、さらなる平和活動への提案が宣言文として起草され、閉幕した。その成果は仁川での本大会で示される。

2014/9/4 興正寺住職罷免問題 宗派勝訴で特任体制発足へ


 住職罷免問題に関する仮処分裁判が結審した名古屋市昭和区の高野山真言宗別格本山・八事山興正寺。名古屋地裁は8月29日、決定を出し、罷免された梅村正昭元住職側の申し立てを全て却下した。これにより宗派の特任住職(=添田隆昭宗務総長)が名古屋法務局に申請中の代表役員登記手続きも、近日中に完了する見通しとなった。

 仮処分を申し立てているのは罷免された元住職の子息である梅村昌寛副住職と責任役員ら。「添田総長は興正寺の代表役員の地位にはない」「登記手続きをしてはならない」との命令を求めていた。裁判所は仮処分で命じなければならないほどの緊急の必要性はないと判断し、申し立てを却下した。

 決定理由中では、梅村前住職の「住職の資格停止」を理由とする特任住職選任行為について、「罷免処分」は資格停止に当たらず無理があるとして、「特任住職派遣の要件を欠いたまま、特任住職に選任された」と論及。「添田はその(代表役員の)地位にないと一応認められる」として、宗派側の特任住職任命手続きの不備を指摘した。

 一方で添田特任住職による寺有地の売却に伴う礼録の本山への支払いや宗派離脱手続きの取り下げによって、著しい損害が発生するとはいえない等と認定。梅村元住職側の責任役員らの言い分を排斥して、事実上、特任住職としてのこれら行為を容認するものとなった。

 裁判所は仮処分の申し立てを却下しただけでなく、宗派の住職罷免処分も実質的に認定した。

 梅村元住職の宗規違反の重みをも感じさせる決定。元住職側は6日、平成大仏入仏式の予定だが、裁判所が事実上の特任体制容認を出した今、住職不在で営むことになる。

2014/9/4 仏教看護・ビハーラ学会10周年記念大会 仏教に死者を生かす力

今井、太田、尾角の3氏が仏教による救いの体験を語った 仏教看護・ビハーラ学会の10周年記念年次大会が8月29~31日、第1回大会と同じ長野市の浄土宗大本山善光寺で開催された。大会テーマは「仏教は現代人の救いになり得るか―いのちの汀で」。最終日には同テーマで公開討論会が行なわれ、医療、仏教、グリーフケアの実践者が仏教と救いをめぐって発題。医療現場からは宗教者の働きかけを望む声があがる一方で、改めて医療と宗教の協力体制の構築が課題として浮かんだ。

 新潟県立がんセンター新潟病院の今井洋介医師は多くの患者が抱く「死んだらどうなるんでしょうか?」との問いに、「何故この問いを発したのか。その思いの下にあるものに気づくこと。これが医療者にできる限界」とし、「仏教者だったらどう答えるのか聞きたい」と問いかけた。また「患者さんが亡くなった直後に、他の患者さんに笑顔で接しないといけない」と現場の苦悩も吐露。医療者への宗教的な支え、祈りの場としての寺院の解放など、仏教や寺院の在り方を投げかけた。

 フリーライターで僧侶でもある太田宏人氏は悪性胸線種を患い、今年5月に手術を受けた体験を披瀝。病気にショックもあったが入院中には「俗世間的な価値観」から離れていく感覚があり、東日本大震災の被災地で続ける傾聴活動では、手術直前の訪問で「今までで一番深く関わることができた」と振り返った。

「仏教やお坊さんの存在が人々の力になるという場面は見てきた。活動するなかで無力だは思っていない」とする一方で、「ラジオでいくら良い音楽が流れていてもチャンネルを合わせなければ聞こえない。仏教も同じ」とし、僧侶が「仏教の実践」を通じて働きかける必要性を示した。

 一般社団法人リヴオン代表の尾角光美氏は、自死遺族としての体験や、グリーフケアやサポートの実践を踏まえながら、遺族の多くが死別の直後に出会う僧侶が「喪の旅の伴走者」となり得る存在と位置づけた。さらに「往生」の言葉に代表されるように、「死者を生かしていけるのが仏教の特長」と指摘。「亡くなった人に語りかけ、つながり、弔っていくことができる」とし、法要などの僧侶の実践にグリーフの働きを意味づけた。

 12年前に母を自死で亡くし、3年前には兄を亡くしたが、「兄の時には私の横に僧侶がいた。これは大きな違いだった」と述懐。自身の救いの体験を「僧侶との関係性の中で仏教を伝えられた時に、響いて沁みいった」と語った。

 医療者からは宗教者に対して「死後の世界」をどう語るかという切実な問題や、悲しみを分かつ場、死と向き合う場の必要性などが提起された。他方、病院側に宗教者が入ることへの抵抗感があるケースや、大きな病院組織で受入体制が整うにはかなりの時間が必要になるといった指摘もあり、医療と宗教をつなぐ方法が課題にあがった。

2014/9/4 第8回ACRP大会「仁川宣言」を採択 怨みの連鎖断ち「一致と平和」を

開会式で一つの平和メッセージを交替で読み上げる登壇者。日本を代表して曹洞宗の中野重哉氏(人事部長、右から3人目)が発表した 韓国・仁川の国際会議場で8月25日から29日まで、「アジアの多様性における一致と調和」を総合テーマに第8回アジア宗教者平和会議(ACRP)大会が開かれた。アジアを中心に26カ国から約450人が議論に臨んだ。世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会からは、約120人が参加し、分科会で積極的に発言。その一部は仁川宣言にも反映された。任期満了に伴う人事では、日本委の畠山友利事務局長がACRP事務総長(64)に選出された。

 2日目(8月26日)午前の開会式では、キム・スンゴンACRP事務総長(韓国)の開会宣言で開幕。12人が登壇して「諸宗教による平和の祈り」が捧げられた後、ディン・シャムスデーンACRP実務議長(インドネシア)が挨拶し、テーマに沿いながら「紛争解決には宗教者の行動がなければならない」と主張。さらに「宗教が(政治に)悪用されないようにしなければならない」と訴えた。

 開会式後、4氏が基調発題。そのうちACRP共同会長で日本委の庭野日鑛会長(立正佼成会)は、法句経の「怨みは怨みによって報いれば、ついに消えることはない。怨みを捨てるとき、それが消えるのである」という一節を紹介すると共に、その元となったコーサラ国の王子と、コーサラ国を攻め入った隣国の王様めぐる仏教説話を解説した。

 怨みを捨てることは容易ではないとしながらも、「『怨みを捨てる』ことはまさに人類の悲願とも言うべきもの」であり、困難や時間を必要としても「その道を一歩一歩進んでいかない限り、この世に、真の『一致と調和』を実現することはかなわない」と怨みの連鎖を断つことを提言した。

「怨みを捨てる」ことを提起した庭野日鑛会長  各氏の発題を受けて会期中、4回にわたる全体会議および、①平和教育と和解②人権と幸福③開発と環境の3分科会とワークセッション「朝鮮半島における和解と統一」が行われた。③では、日本委平和研究所の薗田稔氏(京大名誉教授・秩父神社宮司)が日本の事例を報告しながら、霊性に基づいた環境への取り組みとして、一人一本の植林を提案した。

 4日目(28日)夕刻からの閉会式で、第8回ACRP大会を総括する「仁川宣言」を採択。日本委員会が主張してきた原発事故と放射能汚染の脅威については、地球環境保全に関する箇所で「核による惨禍は、環境に対して極度の危険を新たに与えるものである」と盛り込まれた。

 仁川宣言には11項目からなる具体的な取り組みを提示。学校教育での平和教育導入やヘイトスピーチから市民から守るための立法、植林による環境プログラムなどが策定された。

ACRP新人事 新事務総長に畠山友利氏 実務議長、2人体制に

 閉会式では、管理委員会の選考経過が報告され、新人事が発表された

 新ACRP事務総長には日本委員会の畠山友利事務局長が選ばれた。日本からは飯坂良朗氏(故人・学習院大学名誉教授)以来、2人目。任期は次期大会まで(5年)。ACRP事務局もKCRP韓国宗教者平和会議(ソウル)から日本委員会(東京)に移動する。

 共同会長はデスモンド・カヒル博士(オーストラリア)傅印法師(中国)ルーデス・マスツーラ氏(フィリピン)庭野日鑛氏(日本)慈乗氏(韓国)リリアン・シソン氏(女性委員会会長・フィリピン)ディン・シャムスディーン博士(インドネシア)バスデバン氏(インド)の8人。

 その内、実務議長にはシャムスディーン博士が再任されほか、新たにKCRP会長の慈乗氏(曹溪宗総務院長)が就任し、初の2人体制となった。

 名誉会長には、元実務議長で共同会長だったミル・ナワズ・カーン・マルワット氏(パキスタン)と今大会で事務総長を退任したキム・スンゴン氏(韓国)が就任した。

【畠山友利ACRP事務総長の略歴】 
 昭和24年(1949)10月東京生まれ。武蔵野美大卒。立正佼成会学林卒林後、入局。御殿場教会長、渉外課長、ニューヨーク教会長などを歴任。平成14年(2002)12月からWCRP日本委員会事務局に奉職し、事務次長、事務総長代行を経て、一昨年の公益財団法人移行に伴い事務局長に就任。

2014/9/11 印仏学会パネル発表「国際的視座から見える仏教研究」

5カ国の学者が自国の研究状況と課題を語った 日本印度学仏教学会は8月30・31の両日、東京都江東区の武蔵野大学で第65回学術大会を開催した。2日目のパネル発表では同大のケネス田中教授が座長になり「国際的視座から見える仏教研究の現状と展望―北米、韓国、中国、欧州、日本」が行われた。

 カナダのブリティッシュコロンビア大学講師のジェシカ・L・メイン氏は「北米における仏教の研究は比較的新しい分野」と認めながらも、『プリンストン仏教事典』のような成果が生まれていること、禅とチベット仏教にかなり強い人気がある点を述べた。展望として、大学以外の第3者による寄付講座とマインフドフルネス運動との連携により更なる発展が望めると期待した。

 中国人民大学教授の張文良氏は、近年の研究動向として文献学・資料整理、宗教社会学の方法を用いた社会参加仏教研究に関心が高まっているとする。一方、「中国仏教研究に一極集中する傾向がある。インドや日韓の仏教の研究者もいなくはないが、少ない。また中国宗教学会はあるが運営上の問題が多く、この日本印度学仏教学会のような学術大会での発表の場がないし、学術雑誌もない」と意見した。

 韓国・東国大学校教授の金天鶴氏は、韓国の仏教研究の歴史を「80年代までは日本の成果の輸入、90年代はその克服、2000年代からは朝鮮時代の仏教研究や瞑想、禅心理学、西洋哲学との比較など応用仏教に力点が置かれている」と分析。2002年に日本印度学仏教学会が東国大学で開催されたことを高く評価しながらも、現在の韓国では英語論文のみが新規雇用や昇進の評価対象にされることを指摘した。

 フランス国立極東学院教授のフレデリック・ジラール氏は欧州における仏教研究を包括的に解説。政教分離が厳格なフランスでは仏教学学院(IEB)という私設機関による研究が盛んとしつつも、研究者の就職の難しさにも言及した。

 その後の討論では、東京大学教授の斎藤明氏を交え、仏教研究のより緊密な国際的連携が今後に期待されることとなった。

2014/9/11 佼成病院が新築落成 開業62年、老朽化で杉並区に移転



落成なった地上10階建ての佼成病院。今月20日に開業する 東京・中野区弥生町にある佼成病院の老朽化による全面移転計画から5年余、着工から2年を経て立正佼成会附属佼成病院が本部に近接する杉並区和田2丁目に完成した。9日午前、新病院1階の観音ホールを会場に新築落成式典が執り行われ、教団・病院従事者、施工業者、地元住民ら200人が落成を祝福した。庭野日鑛会長は、釈尊の「無財の七施」を紐解きながら、「お金をかけず、まずは笑顔、優しさ、温かな対応を」と期待した。新病院は充実した医療設備に加え緩和ケアビハーラ病棟を有するなど仏教精神を体現。今月20日から開業する。

 開式に当たり、庭野会長による除幕式が行われた。ボタンを押すと幕が上がり、高さ8・8メートル、幅6・6メートルの白い陶板壁からうっすらと観音菩薩のレリーフが浮かび上がった。故宮原柳遷画伯が描いた観音菩薩をかたどっている。

 主催者を代表して立正佼成会の川端健之理事長が経過報告を兼ねながら挨拶。「心の病は宗教で、身体の病は病院で」という願いのもとに昭和27年(1952)に開業し、病院設立の理念は観音経にある「真観」だが、これを判りやすくするために「正しく観て、正しく手当てする」と表現していると説明。そして「佼成病院は常に大衆に寄り添った先人の智慧と慈悲に学び、病気治しが主軸であるかのような迷信を斥け、仏教教団の運営する病院という姿勢、持ち味を十分に発揮していきたい」と表明した。

 庭野会長は冒頭で「9月9日は救急の日。病院の落成に相応しい日取りとなりました」と話し、出席者を和ませた。「私は経営をしたことはありませんが」と断りつつ、喫茶店を例に経営の優先順位として、「一番大事なことはお金をかけないこと」とし、「温かい笑顔で迎えたり、居心地の良いようにきれいに掃除をすることは一人で出来る」と話した。

 その上で、眼施・言辞施・和顔施・心施・身施・牀座施・房舎施の言葉を一つひとつ解説しながら無財の七施を紹介し、「このようにお金をかけず身体で示す行為が人間関係をよくする」と無償の奉仕を呼びかけた。

 祝辞は地元杉並区の田中良区長。「区民のいのちと健康を守るために、これから大きな役割を担うが、区としても最大限協力したい」とバックアップを宣言。さらに区が掲げているビジョンの一つが「健康長寿と支えあいのまち」であることから、「この目標実現のために佼成病院はなくてはならない医療施設と思っている」とエールをおくった。

 最後の謝辞を神保好夫院長が述べ、「佼成病院の運営は、理念である真観を基にした質の高い医療の提供、断らない救急医療の実践、良好な医療連携の構築、そしてよりよい接遇である。新病院でもそれらのことを携えて、より安全な医療を提供する所存である」と表明した。

 新佼成病院は地上10階、地下1階。340床を有し、最上階は緩和ケアビハーラ病棟となっている。最新医療設備に加え、救急医療、災害医療にも力を注ぐ。杏林大学と提携。場所は環状7号線に面し、方南町駅から徒歩11分、東高円寺駅から徒歩15分。病院入口までバスが開通する。

2014/9/11 本願寺史料研究所で新選組の新史料発見 悩む土方歳三の肉声伝える

新選組に関する新出記事が見つかった史料群。まだ幕末の京都の新事実が埋もれている可能性もある 浄土真宗本願寺派の本願寺史料研究所(赤松徹眞所長)は2日、保管する西本願寺(京都市下京区)の日記・記録類から幕末の佐幕浪士隊・新選組に関する新出記事を発見したと発表した。記事は、西本願寺駐屯時代の新選組の意外な一面を記録。炎暑と劣悪な居住環境に苦しむ隊士らの窮状を訴えたり、隊の活動費の捻出に苦心したりするなど、「鬼の副長」と恐れられた土方歳三(1835~69)の知られざる肉声を伝えている。


 新出記事は改訂増補『本願寺史』第2巻の執筆調査過程で、3種の日記・記録から14カ所にわたって発見された。新選組の西本願寺駐屯時代は元治2年〈慶応元年・1865〉3月10日から慶応3年〈1867〉6月15日まで。


『諸日記』慶応元年6月22日条には、現在の阿弥陀堂の北側にあった北集会所を宿舎とした約200人の隊士の窮状と待遇改善を求める土方の様子を記録。土方は必死に「畳一畳に一人寝ている窮屈なありさまで、炎暑が我慢できずに病人も出ているため、幕府の仕事もできず、隊士らの不満を制止できない」と訴え、さらに聖域である阿弥陀堂の一部を貸してほしいとさえ要望している。阿弥陀堂使用は許されなかったが、この強硬な願いは別の形で聞き入れられた。同6月25日条には土方が西本願寺側に出した御礼状がそのまま記録されている。


 土方が西本願寺に金500両(最大で約2億円に相当)の借金を申し込み、寺側が返済されないことを知りながら用立てた記録も。西本願寺側が新選組を警戒し、かなり神経を尖らせていたことを窺わせる記述も散見し、幕末の京都の緊張感を彷彿とさせる。


 新出記事を分析した大喜直彦・上級研究員は、「新選組は尊皇攘夷の方向性を失い始め、分裂しかけた危機的状態で西本願寺に入ってきた」と指摘。「追い詰められた土方の必死さが伝わってくる」と新史料の意義を語った。11月と12月には東京と京都で公開講座を開催予定。詳細は近く研究所HP(http://shiryoken.hongwanji.or.jp/)に掲載。

2014/9/18 浄土真宗本願寺派 新総長に石上智康氏 首都圏開教を推進

就任会見で挨拶する石上新総長(11日) 浄土真宗本願寺派(西本願寺)の第307回臨時宗会が11日、京都市下京区の宗務所で開かれた。体調不良により同日辞任した園城義孝総長の後任を決める総長選挙が行われ、石上智康氏(77)が新総長に選出された。選挙結果は出席議員74人のうち、石上氏が45票を獲得。本多隆朗氏が26票、徳永道雄氏が1票、白票・無効票各1票だった。

 同日付で就任した石上総長は会見で、「国内外のご門徒の皆様、浄土真宗に関わる多くの方々の知恵をいただきながら宗務を推進してまいりたい」と挨拶。「激動する社会に適切に対処できる教団運営」に取り組む決意を表明し、過疎地問題への対策も含めて首都圏特区による首都圏開教に力を入れる方向性を示した。
その際の課題について「寺を中心にした開教だけでなく、個人に対してどのようにみ教えをお伝えしていくか。我々は汗をかいていかなければならない」と述べ、「親鸞聖人の安心のメッセージを現代の人々にわかりやすくお取り次ぎする」使命に言及した。

 石上氏は昭和11年9月生まれ。千葉県君津市大和田・光明寺住職(東京教区千葉組)。東京大学大学院印度哲学科修士課程修了。平成元年から宗会議員7期。同13年、宗会議長。総務5回など要職を歴任。全日本仏教会理事長(20期・24期)。同25年から武蔵野大学理事長を務めている。今回の総長就任と同時に龍谷大学理事長にも就任した。

総務・副総務決まる

 総務・副総務人事が12日付で発令され、新総局が発足した。

 総務には次の3氏が就任。

 本多隆朗氏(71・新任)の経常所管部門は社会部(社会事業・社会情報担当)、寺院活動支援部(国内伝道・寺院伝道支援、過疎地域対策、国際伝道、一般寺院等担当)、所務部(財務担当)、宗門長期振興計画推進対策室、子ども・若者ご縁づくり推進室担当。藤野堯文氏(70・再任)は社会部(人権問題、災害対策、宗教教育担当)、寺院活動支援部(組織教化担当)、所務部(法制・訟務・契約事務担当)、本願寺出版社、聞法会館。仲尾孝誠氏(60・再任)は重点プロジェクト推進室、門信徒教化部、僧侶養成部(得度習礼・教師教修、布教使、勤式、仏教学院・学階担当)。

 副総務は次の2氏。武野公昭氏(56・再任)の担当部門は寺院活動支援部。髙橋篤法氏(59・再任)は社会部(社会事業、災害対策担当)。

2014/9/18 遊行寺に地蔵堂落慶 平成の大修理で新発見も

間口3間奥行間で広がりある空間設計のお堂 神奈川県藤沢市の時宗総本山清浄光寺(遊行寺)で15日、新しい地蔵堂の落慶法要が厳修された。東日本大震災を機として、震災や風水火災で亡くなった人の鎮魂のため2年前に発願され今年6月に竣工となったもの。木彫で身の丈3メートルという大地蔵にふさわしい荘厳なお堂に、多くの檀信徒や宗侶が参列し篤い祈りを捧げた。

 遊行寺の「ひぎり地蔵尊」は元々、江戸時代から東海道の道中安全を祈願する人により参詣されていたが、関東大震災により地蔵堂が倒壊。以後は本堂に安置されていた。それから90年を経て全国の宗門寺院・檀信徒の浄財により堂宇の新築と尊像の「平成の大修理」を行ったところ、胎内から「少病少悩」などの文字と、「享保六年辛丑年四月廿四日」の日付が発見され、文化的価値がさらに裏付けられた。

 遊行上人・他阿真円法主を大導師に念仏と般若心経による法要。田中正明建設委員長(藤沢商工会議所会頭)は「お上人の法力によってお地蔵さまも今日からよみがえったのではないかと思います。参列したみなさまも湘南の歴史的な瞬間に立ち会われたのではないでしょうか」と挨拶。鈴木恒夫市長も「落慶の時の市長であることを大変誇りに思っている」と祝辞し、遊行寺と市の連携をより深めていく抱負を語った。

地蔵尊のお札を手渡す他阿法主 設計は保科章建築設計室(東京・練馬)の保科章氏が担当。保科氏は同宗阿弥陀寺の住職で、「間口が3間、奥行が4間。縦に長いお堂というのは日本ではあまり例がありません。時宗は大変質素、そう派手ではない宗派なので外観は低くし、中に入ると大きなお地蔵さまにふさわしく、天井を張らず木組みなども表して広がりのある空間を設計しました」と建築上の特性を説明。施工を行った鵤工舎(本社・栃木)にも深謝し、多くの檀信徒の参詣を期待した。

 他阿法主は「私今年で95歳なんですけど、今まででこんなに嬉しいことはない」と満面の笑みを浮かべた。さらに地蔵尊から「お参りする人は、できるだけ病気にならぬようにいきいきと健康で。そして色々なストレスが次から次へとあるけれど、それも南無阿弥陀仏と唱えることで治まるぞ。ということをお前は模範を示せ」との声なき声も聞かされたと話し、「自分自身の健康や幸せだけでなく、みんなの幸せを願って参詣してください」と奨めた。最後は他阿法主自らが参列者一人ひとりに地蔵尊のお札を手渡した。

2014/9/18 共生特集2014 水月会 中国で新校舎建設、日中で奨学金事業へ


 アジアの発展途上地域で学校建設や奨学金支援をすすめている(一社)水月会(上中善信代表=天台宗普光寺名誉住職)は今年、中国東北部の遼寧省開原市にある老朽化した学校三校を合併した「中日友好松山鎮学校」の建設を進めている。

 合併する三校は破損が激しい危険建築となっている松山鎮半拉山子小学校、邸屯小学校、石洞沟小学校。新校舎は建築面積350㎡で、8教室と教員室を含む教学棟。運動場も建設。予算は奨学金も含む500万円。来年4月の完成式をめざし、工事が進められている。中国での校舎建設はこれで18校目。

 また同会の本多隆法事務局長が、中国・山東省徳州市で「中日友好張机学校」を建設中だ。老朽化が激しい張机学校の校舎で、10月末に竣工する。建設面積は572平方メートルで14教室を完備。また奨学金の給付も行う予定。既に去年から親を亡くしたり、病気で働けない親を持つ15人の子どもに1月3千元の奨学金を送っているが、来年からさらに25人増の40人にも奨学金を送る予定だ。今後の奨学金については、徳州市の企業や教育関係者にも協力を呼びかけ、奨学金の設立委員会の立ち上げを準備。水月会ではこれまでも貧困家庭への奨学金支援を行ってきたが、本多氏は「顔の見える支援」をめざし、日中の関係者が協力して事業を展開していける体制づくり目指している。

2014/9/18 共生特集2014 野宿者襲撃の実態調査 暴力のエスカレートに危機感


 野宿者(ホームレス状態の人)への襲撃が相次いでいる。東京都内の各支援団体が協力して聞き取り調査を実施。野宿者の40%が理由もなく暴力を振るわれ、襲撃者の38%が子ども・若者である実態が明らかになった。支援団体は8月14日、都庁を訪れ、舛添要一都知事や都の担当部署、教育委員会に対策を求める要望書を提出した。

「野宿者襲撃の実態調査」は6月28日から7月14日まで実施。347人の野宿者(平均年齢59・8歳・60歳~69歳が47%)からアンケートをとった結果、主に以下のことがわかった。

「襲撃は夏季に多い」「襲撃者は75%が複数人で襲撃に及んでいる」「襲撃の内容は、殴る、蹴るなどの『身体を使った暴力』やペットボトルやたばこ、花火などの『物を使った暴力』が62%を占める」「子ども・若者の襲撃は『物を使った暴力』が53.6%にのぼる」

 調査を行った支援団体の一つ、社会慈業委員会「ひとさじの会」では、浅草、上野、山谷、隅田川沿いで一人一人におにぎりなどを渡す活動をしながら聞いて歩いた。

 吉水岳彦代表(東京都台東区・浄土宗光照院副住職)は、「自分たちが関わっているおじさんたちが、ただそこにいるというだけで襲撃されている。とんでもない人権侵害で、事件です。法治国家で許されていいはずがない」と危機感を募らせる。

 襲撃の内容は、明らかに犯罪だ。

「子どもたちの襲撃の場合、鉄パイプなど物を使った暴力が多い。『死ね!』とか言いながら物を投げつける。さらにはおじさんの大切な生活道具である自転車を川に投げ込んだり、堤防の上からコンクリートブロックを小屋に投げたりしている。たまたま中に人がいなかっただけで、いたら死んでますよ。段ボールの家に火をつけたり、暴力はどんどんエスカレートしていきます。酔っぱらったサラリーマンに、段ボールを傘で突かれたというのは良く聞きます。私たちもおにぎりを配っている最中に、襲撃を受けた直後のおじさんに会いました。公園で寝ていただけで殴られていた」

 さらに吉水氏は、「調査しながら気づいたのは、おじさんたちは多少の嫌がらせは暴力とは受け止めていないこと。襲撃と感じるのは、相当ひどい暴力の場合です」と指摘。襲撃の実数はもっと多いとみている。

 吉水氏には調査時に聞いた忘れられない言葉がある。「おじさんが、『おれらも襲われるのは辛いし怖い。でもな。あいつらもなんか苦しいことがあるんだろう。だから(襲撃を)やるんだろうな』とすごく優しい眼差しで子どもたちを見ていた。おじさんたちには、襲撃に走る子どもの苦しい心の中が見えています」

 墨田区では支援団体の度重なる申し入れを受け入れ、今年度から小中学校でホームレス問題の授業を開始。支援団体のメンバーと当事者が教室を訪れている。同区では教育が始まってから、襲撃が減ってきているという。

 そこで吉水氏は、お寺の教育力に期待する。「子ども会などをやっているお寺で、『いかなる理由があっても暴力で相手の命を傷つけることがあってはならない』と改めて教えてほしい。生きていてはいけない命はないんです!」と訴え、「子どもたちを絶対に加害者にしてはいけない」と警鐘を鳴らす。

 ひとさじの会の活動は月2回。僧侶や大学生・社会人ボランティアらが特大おにぎり約250個や医薬品、お茶などを配っている。活動の詳細はHP(http://hitosaji.jp/)。
 襲撃に関する実態調査の詳細は「もやい」HP(http://www.moyai.net/modules/d3blog/)。 

2014/9/18 共生特集2014 上伊那仏教会青年部の挑戦 ノウハウ記した「手引き」活かして

温かく美味しいものをと準備し、好評だったエビチリ 東日本大震災の発生から11日後の3月22日、宮城県石巻市の門脇中学校で約1500人に炊き出し支援を行った「上伊那仏教会青年部」。当時、被災地に支援がなかなか行き届かない状況下で、いち早く大規模な炊き出しを実行。宗派仏青や他の地区仏青とは一味違った特色ある支援が展開された。

 上伊那仏教会は長野県南部の上伊那地区(伊那市、駒ケ根市、辰野町、箕輪町、飯島町、南蓑輪村、宮田村、中川村)の約200ヵ寺からなり、青年部は45歳までの青年僧侶40人ほどで構成。成道会などの仏教行事を各寺院の持ち回りで行い、普段から宗派と山あいの居住地を超えた交流と活動がされている。

 青年部が災害支援を本格化させたのは阪神・淡路大震災がきっかけ。以降、新潟県中越地震や能登半島地震などの災害時に炊き出し支援を行い、この経験を基にして、自己完結のボランティアとして、またより円滑な支援を被災者に届けるため、平成19年に「災害支援ボランティアの手引き」を作成した。このマニュアル完備が特色の一つにある。

上伊那仏教会青年部が、東日本大震災で迅速な活動と役割分担を迷わず出来たのも、この手引きのおかげである。

「手引き」には災害発生からボランティア活動までの流れを追った「フローチャート」とそれに沿った活動の詳細が簡潔にまとめられている。災害対策本部の組織図にはそれぞれの役職毎に仕事を分担。例えば、会長は「援助活動の計画立案」「現地状況の把握と渉外」、副会長は「現地情報の収集」「日程の調整」「各種許可申請」、会計は「経費・物資の管理」「義援金の管理」と言った具合。このほか、準備品の一覧や緊急通行車両の申請用紙も添付。参考資料には災害ボランティアの「役割と活動」「心構え」「注意点」も記される。

寺院の庭の造成に使っていたという重機の腕が、がれき撤去で活かされた 3月11日。青年部が災害対策本部を設置し、即座に支援を決定。それから10日の間に、大型調理器具、発電機や照明装置、大量の食器類と食材を準備。これまでの実績と地元の行政の協力によって現地入りに必須だった「緊急通行車両」の許可も速やかにおりた。

 石巻市の浄土宗西光寺と連絡をとり、ボランティア保険への加入も済ませた青年部20人は、22日朝に石巻市の門脇中学校に到着すると炊き出しを開始。22日昼食から24日の昼食まで、計7食で合計1万2500食分を提供した。「とにかく温かくて、美味しいものをという一心」で用意した献立は、エビチリ、牛丼、カレーライス、とん汁、肉じゃがなどバラエティに富み、混乱する被災地で「門脇中学ではエビチリが食べられるらしい」と小さな話題をよんだ。そのエビチリは調理済みのものを冷凍保存し、温めて食べられる状態にして持ちこんだ。

 東日本大震災時に青年部部長だった岸浩成氏(曹洞宗常光寺住職)は「先輩がつないでくれたことで、活動が出来たと思います。皆の意識も高いですから」と、気負いなく語る。義援金の呼びかけには仏教会内の寺院がすぐに応じてくれたほか、地元の葬儀社からは炊き出し用の食器、石材店からは重機、JA(農協)からは500キロの無洗米といった具合に、様々な物資が提供された。地域に根差した地区仏教会の強みが活かされた。(続きは紙面でご覧ください)

2014/9/25 東京都仏教連合会 都内2600カ寺に気仙沼特産品カタログ発送

新倉事務局長(右)らが発送作業 東京都仏教連合会(都仏/山田一眞理事長)は被災地支援の一環として、都内2600カ寺に『気仙沼市特産品カタログ』を発送、地域経済の復興に向け協力を呼びかけている。

 都仏では震災以降、宮城県の各地区仏教会と交流を深めてきた。昨年、一般社団法人仙台仏教会が気仙沼市で開催した「仏教講座」に山田理事長と新倉典生事務局長が参加。この時に気仙沼市物産振興協会と親交が出来た。

 同協会会員は水産加工品や海産物特産品、菓子などを取り扱う地元の56企業。震災で大きな被害を受け、事務所も仮設住まいのままという現状だ。都仏では復興に向けて地域の経済や雇用、海の文化を担ってきた地元企業を重要視し、今回の支援を決めた。

 お彼岸前の18日には台東区の凉源寺で12月に開催する成道会の案内などと併せて「気仙沼市特産品カタログ」を同封し、都内寺院への発送作業が行われた。

 山田理事長は「地域支援にもなるし、これからの季節は、お歳暮の贈答用にも活用できる」と提案。新倉事務局長は「経済的な支援はもちろんのこと、東京から注文用紙のFAXが届くことで喜んでもらえるし、励みになると思う」と話し、各寺院の協力を呼びかけた。

2014/9/25 中村元賞に高橋尚夫・大正大学特任教授 ユベール・デュルト氏を特別顕彰

 公益財団法人中村元東方研究所とインド大使館が共同主催し、学術及び文化活動の優れた業績を顕彰する「中村元東方学術賞」に、大正大学特任教授の高橋尚夫氏(真言宗豊山派大王寺住職)が選出された。

 高橋教授は1944年生まれ、大正大学大学院修了。1999年には大正大学の学術調査にて、チベット・ポタラ宮で梵文『維摩経』『智光明荘厳経』を発見。その成果として「梵蔵漢対照『維摩経』『智光明荘厳経』(大正大学綜合佛教研究所/大正大学出版会)「梵文和訳 維摩経」(西野翠共著/春秋社)などの共著がある。

 今回の受賞に対して高橋教授は「私個人というよりも研究所の皆さんの尽力のおかげであり、今まで発見されなかったテキストが見つかったことに対するものだと思っています。その代表としての受賞。これからも変わらず研究を続けていきたい」としている。

 また、長年の学術研究の功績に対して贈られる「東方学術特別顕彰」には国際仏教学大学院大学のユベール・デュルト名誉教授が選ばれた。デュルト氏は1936年ベルギー生まれ、1976年にフランス国籍を取得。古典文献学、東洋学などを学び、京都大学や東京大学に留学。フランス国立極東学院研究員として法宝義林研究所に勤務し、仏語による仏教辞典「法宝叢林」の編集に携わった。1996年に国際仏教学大学院大学教授に就任、ルンビニー国際研究所運営委員長も務めた。

 授賞式と祝賀会は中村元博士の命日にあたる10月10日に東京・千代田区のインド大使館で行われる。

2014/9/25 高野山大学新キャンパス構想発表 河内長野市に教育学部

市が大学誘致のために提供する廃校の施設と跡地 学生増加を第一目標に掲げて経営改革を進めている高野山真言宗の宗門校・高野山大学(藤田光寛学長・和歌山県高野町)が、高野山外の大阪府河内長野市に新キャンパスを開設する計画を発表した。市が提供する廃校となった小学校を改修し、平成28年度から新たに1学年100人・4年制の教育学部の設置を構想。学校法人高野山学園(理事長=添田隆昭宗務総長)では18日、理事会・評議員会を開き、大学に設立準備委員会を組織して市と本格的に交渉を開始する方向性を承認した。

 山外のキャンパスも教育学部も、高野山大学にとっては未知の領域だ。昨年廃校となった河内長野市立南花台西小学校の築24年の校舎と跡地を、小学校・支援学校・幼稚園・保育園等の教諭・保育士免許が取得できる大学に生まれ変わらせ、人口減少と高齢化が進む住宅街に学生の活気を呼び込もうという壮大な計画だ。

 添田隆昭宗務総長は9日、秋季宗会の演説で「現在進めている改革だけでは大学が存続できるか不透明であり、検討に値する」と前向きな姿勢を表明。「土地取得と校舎建築の初期投資が少額」で済むメリットを強調した。

 学園法人本部の和田友伸事務局長は、「大学の学生数は平成7年頃が1300人でピーク、17年には330人、来年には330人が半分以下になる見通し」と厳しい現状を説明。一般家庭からの学生獲得の切り札として来年度から開設される文学部人間学科についても、「オープンキャンパスを見ても芳しい状況ではない。(密教学科と合わせた定員50人のうち)今年の入学者20数人から30~40人代に回復するのは難しい」と明かし、山上のキャンパスだけでは学生増加・経営再建を果たせないことを示唆した。

 和田事務局長は教育学部新設の裏付けとなる基金についても説明。大阪の企業からの寄付金5億円や大学が貯蓄している拡充資金9億円超などがあることを報告した。

 新キャンパス候補地は、南海電鉄高野線三日市町駅からバスで15分ほど。大阪中心部から通っても遠くはない。だが南海電鉄沿線や大阪中心部にある他大学の教育学部に対し、学生獲得で競争力を発揮できるのか。候補地周辺は閑静な住宅街で、若い世代に魅力的な商業施設等はない。新キャンパスの成功のためには行政側の町づくり計画との緊密な連携が欠かせず、卒業後の進路の確保も重要な学生募集の要素になるのは間違いない。

 市の担当者は「昨年3月に廃校になり、建物と跡地の利用について住民と話し合いました。しかしコミュニティーセンターとしては広過ぎてしまうなど、良い案が浮かびませんでした。これだけの施設が不使用になるのはあまりにももったいない」と話し、地域再生のための大学誘致に希望を見出す。

 大学と市の間で合意が成立しても、大学側は宗会や理事会、市側は市議会の承認が必要だ。文科省の認可というハードルも越えねばならない。市側が大学にどの程度財政的な支援をするのかも現時点では不透明であり、交渉課題も多い。

 宗会議員や学園理事らの間では、市の誘致計画を大学改革の好機ととらえる声が多数。しかし慎重意見も少なくなく、十分な市場調査や正確なコストの算出など、厳密なシミュレーションを求める声も上がっている。

2014/10/2 大阪高裁、真宗大谷派の訴えを棄却 総長は上告申立を表明

 真宗大谷派(東本願寺)が国を相手取り、一般財団法人に移行した本願寺維持財団の認可を取り消すよう求めていた控訴審裁判で9月30日、判決が言い渡され、大阪高等裁判所(林圭介裁判長)は第一審判決を支持して同派の訴えを棄却した。


 京都市下京区の宗務所で会見を開いた里雄康意宗務総長は、「維持財団の設立者である宗派の意思を無視し、宗派を唯一の助成対象から完全に排除するなどした寄附行為の変更は、別訴の民事訴訟大阪高裁判決において無効であると判示されており、その判決と明らかに矛盾する」と批判。「極めて不当な判決と言わざるを得ない」と述べ、「速やかに上告申立の手続きを行う」と明言した。


 同派本山である東本願寺の護持を目的に設立された財団法人本願寺維持財団が、いわゆる「お東紛争」を経て、当初の目的を外した一般財団法人本願寺文化興隆財団になった。その移行を認可した国の判断の違法性が争われてきた。


 弁護団の一人である千森秀郎弁護士は、「予想外の判断」と第一声。「東本願寺の維持のために門徒の大事な財産で設立された財団を、人事権を握って目的変更までして持っていこうとしている」と慨嘆し、最も重要な点が看過されていると判決を批判した。


 里雄総長は「(判決文には)宗教の持つ公共性が考慮されていない。宗教を否定するような、理解していない感じを強く持った」とつけ加えた。


財団側「適切に判断」
 これに対して財団側はコメントを発表。「裁判所が適切に判断されたことに感謝申し上げる。当財団はこの判決を受け、今後も当財団設立者の意思である『勧学布教・学事の振興』の実現を以て、さらなる公益事業に邁進する所存である」

2014/10/2 後七日御修法の最古映像を発見 戦前の仏教知る一級資料

東京に着き、御衣を奉持しながら皇居へと向かう高僧ら 平安時代の弘法大師から1200年続き、新年の8日から14日まで鎮護国家・国土豊饒などを祈る真言宗の最高儀式・後七日御修法(ごしちにちみしほ)の昭和11年の記録映像が、このほど発見された。現在までに知られている映像資料としては最も古く、戦前の軍国主義下での仏教儀礼のあり方を示す一級資料としても注目される。

 記録映像(約13分)は智山派宗務庁内の真言宗各派総大本山会(各山会)事務局で、資料整理と調査をしていた菊入諒如・事務局長(千本釈迦堂大報恩寺住職)が発見。「山階派布教部」が「謹写」したものだった。菊入事務局長は、「映像を見たところ、現在とほとんど同じでした。御修法は伝統を厳粛に継承してきましたが、それが改めて映像でも実証されました」と感慨を話す。

 京都御所の宮内庁京都事務所から天皇陛下の御衣を奉持した勅使を出迎える現在の形とは、大きく違っている点も確認できた。昭和11年当時は御衣が東京の皇居から京都の総本山教王護国寺(東寺)まで届けられ、潅頂院での1週間に及ぶ修法の後、出仕した高僧によって再び特別な汽車で東京まで丁重に持ち運ばれていた。 
その際の東海道線の旅の映像も貴重だ。汽車に乗った高僧と共に、車窓から眺めた町並みや富士山などの風景を記録。東京に着いた後は菊の御紋の入った唐櫃に御衣を奉安して皇居まで練り歩く様子などが収録されており、これらが映像で確認されたのもおそらく初めてだという。

 昭和11年は、二・二六事件が起こった年。記録映像からは軍国主義や国家神道による宗教統制が強盛となる時代にあって、後七日御修法が盛大に営まれていたことがわかる。菊入事務局長は、「皇室と真言宗の歴史的な関係の深さから、特別なはからいがあったのではないか」と推測する。

 各山会事務局では各総大本山に埋もれた資料の発掘を呼びかけており、さらに貴重な映像資料が発見される可能性もある。

 事務局では昭和43年の各山会発足から50周年を迎えるにあたり、資料の整理や集成に着手。菊入事務局長は、「御修法について広く一般の方々にも知っていただく目的で、様々な取り組みを計画しています。昭和43年の各山会以前の資料も可能な限り発掘したいですね」と意欲を見せている。記録映像は事務局がDVD化。問い合わせは事務局(電話075―561―4819)。

2014/10/2 法華宗本門流 興隆学林新校舎が落慶 将来担う法器養成


法要後、御親教で在林生に期待を寄せる平田管長 築40年を超えた旧校舎の耐震性と老朽化などから新校舎建築を進めていた法華宗本門流(二瓶海照宗務総長)の興隆学林専門学校。その落成慶讃法要が9月29日、兵庫県尼崎市の大本山本興寺に隣接する新校舎講堂で執り行われた。「行学二道の道場」(平田日範管長)として、将来を担う法器養成の場となる。近く旧校舎を取り壊し、寄宿舎を含む新たな建設に着手する。

 法要は、平田管長(大本山鷲山寺貫首)導師のもと他の3大本山(光長寺・本能寺・本興寺)各貫首はじめ日蓮宗、法華宗各派の役職者が臨席して執り行われた。

 大講堂に安置された三宝尊・四菩薩・宗祖尊像が導師によって開眼。慶讃文では平田管長が、門祖日隆聖人によって享徳3年(1454)に創立された勧学院に始まる560年以上の歴史を紹介し、「行学二道の道場として宗門のますますの発展を祈念する」と期待を込めた。

 学林を運営する学校法人法華学園理事長でもある二瓶宗務総長は奉告文で、「興隆学林は勧学院創立より日隆上人の学徳を慕う者により、宗祖の本懐たる本門八品の教義が伝達され、幾多の宗門を担う人材を輩出」と歴史に言及。さらに昭和48年建設の旧校舎が阪神淡路大震災後、耐震性に問題があることを説明し、新校舎建築の経緯と、支援者に対し感謝の言葉を述べた。

落慶した4階建ての新校舎 御親教では平田管長が「学林生諸君は一番大変な時期に学ばれている。これから寄宿舎の建築が始まるが、千載一遇の時に学林生であったと将来に大きな力になるはず。行学二道に励み宗門がますます発展されることを祈念する」と学林生にエールをおくった。

 謝辞を大平宏龍学林長が述べ、関係者に謝意を示すと共に「校舎は単なる建造物ではない。今後いかに教育内容を充実させ、一人でも多く有為な人を育てられるか、私ども教職員一同身の引き締まる思いであります。宗祖が掲げられた立正安国の精神は、今日その実現が求められている」と気を引き締めた。

 さらに「気が付いてみると今日は私の誕生日。私にとっても一生忘れられない日となりました」と大平学林長が続けると、会場は一気に笑いに包まれた。

 新校舎は旧校舎に隣接していた駐車場跡に建設。敷地面積約730平方㍍(約221坪)、建築面積約391平方㍍(約118坪)。地上4階建て。教室のほか3階に図書館、4階に講堂を配置。近く寄宿舎の建設に取りかかり、来年10月の竣工を目指す。

 また興隆学林は僧堂教育機関では珍しい学校法人(昭和59年、1984)となり、学校法人法華学園を公称。現在、22人が在林している。宗学科(2年)、宗学研究科(1年/2年)、聴講生制度がある。

2014/10/9・16合併号 台風18号 横浜で僧侶1人死亡


6日に土砂崩れが起き、仮本堂が倒壊した成田山横浜別院 大型で強い台風18号が通過した6日の午前10時45分頃、横浜市中区の成田山横浜別院境内の土砂が崩れて仮本堂が倒壊。堂内には4人の職員がいて、内3人は自力で逃げられたが、修行僧の菅雅昭さんが建物の下敷きになり亡くなった。

 7日午前には別院の周辺で近隣住民や檀信徒が不安そうな表情を浮かべた。近隣に住む女性は「なんと表現していいのか、とても鈍い音が聞こえた」と発生当時を振り返り、檀信徒の女性は心配そうな様子で「お見舞に来ました」と話した。

 別院境内は高低差21メートルがある立地で、土砂崩れが起きた斜面の高台では来年の開山145年に向けた本堂の新築工事が進められている。

 成田山新勝寺でも直後から職員が現況の確認のため別院に行っており、今後の工事などについて調査も進められているようだ。

2014/10/9・16合併号 京都・青蓮院門跡 将軍塚に青龍殿落慶


東山山頂に落慶した青龍殿。手前の建物が移築再建した木造の「平安道場」。奥に見えるのが延1046平方メートルの大舞台で、京都の町を一望できる 京都市東山区の天台宗青蓮院門跡(東伏見慈晃門主)が飛び地境内の東山山頂の将軍塚で建設中だった青龍殿が完成した。修復を終えた国宝「絹本著色不動明王二童子像(青不動)が安置され、4日には半田孝淳天台座主を導師に青龍殿落慶と青不動明王御開帳開眼開闢法要を厳修。三笠宮彬子さま、宗内外の僧侶や檀信徒約700人が参列した。

 青龍殿は旧大日本武徳会の京都支部道場だった木造大建築「平安道場」(延面積約537平方メートル)を移築・再建したもので、500人を収容できる。内陣と「青不動」を安置する収蔵庫が新築され、清水寺の舞台の4・6倍の大きさで京都市内を一望できる大舞台も設置された。

 法要では半田座主を導師に、3年の歳月をかけて修復された国宝「青不動」を前に護摩供が修され、祈りが捧げられた。

5日には大舞台の上で柴燈護摩も営まれた 東伏見門主は「国宝青不動明王をお祀りして護摩供をお勤めし、仏教の教えが、複雑多様化する現代社会の拠り所となるように、微力ながらお勤めしてまいりたい」と決意を表明。平成5年に青蓮院入寺の際の発願が一つの形になったとし、多くの関係者に深謝した。平安道場は解体の危機にあったが、「木造の大建築、今では調達が難しい檜の大木を使い、文化財として保存していくべきもの」と強調。建築上の許認可の取得、巨額の資金の調達など困難もあったが、「お導きいただいたのは、青不動様、仏様のお力以外ない」と述べ、「この青龍殿でしっかりと青不動様をお祀りし、皆さまと共に、明るい力溢れる日本の明日のために祈り行動してまいりたい」と力を込めた。

三十六不動霊場会出仕

 翌5日には大舞台上で柴燈護摩法要も営まれた。真言宗犬鳴派大本山七法瀧寺の東條仁哲管長を導師に、近畿三十六不動霊場会寺院が総出仕。修験道行者と僧侶が約100人、参拝者400人超が大舞台で初の護摩供に臨んだ。

 青蓮院では今月8日から12月23日まで、5年ぶりに国宝「青不動」を御開帳。期間中は将軍塚にて夜間ライトアップを行うほか、青蓮院門跡では、今回の青不動の修理で解明されたデータを基に、11世紀の制作当時を再現した復元模写も公開している。

2014/10/9・16合併号 全国日蓮宗青年会 一般社団法人「日青塾」を設立登記

 日蓮宗の青年会全国組織である全国日蓮宗青年会(全日青、松森孝雄会長)が未信徒教化や仏教文化の興隆、社会貢献活動を目的とした一般社団法人を設立登記したことが本紙の取材で分かった。伝統教団の青年会が外郭団体として法人を設立することは、あまり例を見ない。

 全日青では、今年4月下旬に一般社団法人「日青塾」の設立登記を完了。法人の代表理事を松森会長が務め、大森太朗副会長、藤井教祥氏(社会教化担当委員長)、岡崎英里氏(全日青事務局)が理事に名を連ね、監事には伊東政浩元会長、小泉輝泰元会長らが就任した。

 法人設立の契機となったのは、東日本大震災での支援活動だった。青年僧による支援活動が現地で高い評価を受ける一方で、宗教団体ということが、自治体との連携に壁となって立ちはだかることが多々あった。

 当時の全日青会長・伊東政浩氏がこの経験から、支援活動をより効果的に行うための一案として法人設立を検討した。しかし、全日青に加盟する各単位青年会は「袈裟を脱いだ活動に青年会として意味があるのか」との意見が多く、当初はなかなか賛同が得られなかった。

 伊東氏の後を継いだ小泉氏は、藤井氏とともに法人の設立を再検討。藤井氏はすでに自坊で一般社団法人を設立しており、子育て支援等の活動で行政と連携していた。「袈裟を脱いでも僧侶がいれば、その行動から教化の機会になる」との実感があり、この事例を元に、小泉氏が各代表者を説得。法人の骨子と理念を全て揃え、松森会長の代で本格的に法人がスタートした。

「日青塾」は、震災のような有事にはその利点を生かし、宗教団体には出来かねる行政との連携や、自治体とのコンタクトを宗内でも一早く行うとの方針を打ち出し、広島土砂災害時にも被害状況を調査した。

 さらに未信徒教化のためのイベント企画なども取り組む。先月開催した「日青塾」主催の初のイベント「怪談~秋の夜長の僧侶語り」では約160人が参加し、盛況だった。青年僧による時代に適応した新たな教化法や活動として、どう展開するのか注目される。

2014/10/23 浄土宗宗議会 法然と親鸞の教科書記述めぐり対応求め質問相次ぐ


 浄土宗第110次定期宗議会(9月30日~10月3日)の一般質問で、高校『倫理』の教科書の中に「法然上人の教えを一歩進めたのが親鸞聖人で、法然上人が未完成で不徹底であり、親鸞聖人によって完成された」との印象を与える記述があるとして、大阪教区の田中信道議員が浄土宗の対応について質問した。

 田中議員は、浄土宗総合学術会議で過去に大正大学の林田康順教授がした指摘を紹介し、高校『倫理』の教科書10社において同様の記述があり、「これから信仰をいただく若い方々に対して、脳裏に誤解、先入観を与え、後の信仰に大きな影響を与え、必ずや尾を引くことは必至」だと危惧。

「和するを尊び、品行な浄土宗ではありますが、例外もある。祖師の教義、こと解釈において間違い、誤解を生むことは断固として抗議しなければならない」として、宗門の対応を問うた。

 山本正廣教学局長は、「法然上人の教えをさらに徹底したのが弟子の親鸞である」との教科書の一例を挙げ、教育基本法第9条(宗教教育)を根拠にした「各宗教、各宗派の地位は等しく尊重されなければならない」との提言を紹介。〝さらに徹底〟との記述は「優劣ともとりかねられない。控えて頂くべきこと」との見解を述べ、「宗門の教育審議会等で広報も含めた対応を協議し、今後の方策を検討していく」と答弁した。

 田中議員は「社会的にいつか分かって頂けるだろうという呑気な感じではいけない」と再質問。「祖師に対して申し訳ないという気持ちで、訂正されるまで抗議し続けることを確約して欲しい」と対応を迫った。

 関連質問では、三河教区の加藤良光議員が、「宗立・宗門校でどの教科書を使用しているのか把握しているか」と問い、山本教学局長は「把握していない。詳細について調べたい」と答えた。

 この論点については、加藤議員の他、田野島孝道議員、神田眞晃議員、大﨑順敬議員、杉浦教順議員、井原善昭議員、粂原恒久議員の各議員が関連質問で登壇。林田教授の提言をまとめた書籍や浄土宗の立場を鮮明にした書籍の出版、教科書を刊行する出版社に詳細な資料・意見書を送付する、現場の教諭が集まる各都道府県の研究会への説明等が提案され、議員の中でも非常に関心が高い問題であることが窺えた。

2014/10/23 全国青少年教化協議会・臨床仏教師養成講座 第2期プログラム開講


15日から始まった第2期プログラム。82人が事前登録した 公益財団法人全国青少年教化協議会(全青協)の臨床仏教研究所が運営する第2期臨床仏教師養成プログラムの第一弾となる公開講座が15日夕、東京・西巣鴨の大正大学で始まった。僧侶を中心に82人が参加した。講座は全10回で、初回は宗教学者の島薗進氏(上智大学グリーフケア研究所所長)が日本人の死生観について講演した。

 開会に先立ち、研究所の神仁・上席研究員が目的と第1期の現況を報告。昨年5月から始まった第1期では90人が登録し、39人が次のワークショップに進み、現在の実践研修(OJT)は8人に絞られた。「来年1月末、認定資格試験を経て最初の臨床仏教師が誕生」するとした。狭き門となった理由として、生老病死に接する現場で、病者や弱者への「2次被害が懸念されるため」と説明した。

 齋藤昭俊所長(全青協事務総長・大正大学名誉教授)は「臨床仏教は個人個人の悩みに対する優しさであり、それを包み込むこと。その優しさは慈悲そのもの」と解説し、その指針となる「布施・愛語・利行・同事の四摂事(法)も臨床仏教である」と述べ、受講者を激励した。

 第1回の講師の島薗進氏は近代日本の死生観を概説。「死生観」という語を生み出した加藤咄堂から、戦争体験者、そしてがん告知を受けた戦後の知識人まで、内的な面から生と死の問題を掘り下げた。近年は「死生観を自覚的に考える人が増えた」と言い、死にいく人たちの世話の一方で、幅広い視野をもった活動を期待した。

 公開講座は全10講。次の段階に進むには8回以上の出席が必要となる。次回は10月29日。年末年始をのぞき隔週水曜日に開講する。

2014/10/23 曹洞宗新宗務総長に釜田隆文氏 旧多々良学園問題は検証を継続し再発防止へ

就任して初の挨拶をする釜田新総長 宗議会議員選挙に伴う第121回曹洞宗特別宗議会が16日、東京・芝の宗務庁に招集され、新宗務総長に元教化部長で有道会会長の釜田隆文氏が選出された。釜田新総長は旧多々良学園に関する報告書の検証と再発防止策に取り組むことを表明した。総長選挙に先だって行われた正副議長選では議長に砂越隆侃氏(有道会)、副議長に川瀨信夫氏(總和会)が選ばれた。


 出席議員全72名の投票の結果、釜田氏は68票を獲得して当選。なお葦原正憲氏が1票、須川法昭氏が1票。無効票が2票だった。


 これを受け、即日管長による任命が行われた。釜田新総長は就任挨拶で前佐々木内局の諸施策を継承すると表明。特に旧多々良学園問題について「先日、第三者委員会による報告書が議員各位に送付されましたが、この報告書をつぶさに検証して再発防止の体制をつくり、宗門と宗門関係学校の在り方を再構築しなければなりません」と意気込みを示し、全国の宗侶や檀信徒の負託に応える宗務行政に精進したいと語った。


 今年6月、10億円もの和解金を金融機関に支払うことで幕引きとなった旧多々良学園問題。有田内局時代に学園破綻と民事再生法適用となり、以後、渕内局、佐々木内局へと裁判などが持ち越されてきた。第三者委の報告書も提出され、釜田新総長の誕生で新たな局面を迎えそうだ。


 新総長選挙に先立ち、4年間の任期を満了した佐々木孝一前総長が退任の挨拶を述べた。「向きあう・伝える・支えあう」をスローガンに行ってきた東日本震災復興支援や檀信徒意識調査、宗門の将来像構想の特別委員会などの取り組みを振り返り、内局や議員の協力に深謝した。


 正副議長選挙では、慣例に従い議長に有道会の砂越隆侃氏、副議長に總和会の川瀨信夫氏が選出され、管長による任命を受けた。任期は2年。


【釜田隆文・新宗務総長の略歴】三重県松坂市養泉寺住職。74歳。権大教師。前栴檀学園理事長。宗議会議員4期目。2010年から12年までの第1次佐々木内局で教化部長を務めた。有道会会長。


6部長が初入局


釜田新内局は21日に発足。有道会は財政部長経験者の神野哲州氏が人事部長に就任したほか、2部長は初入局。總和会は一新され全部長が入れ替わった。7部長のうち6部長が初入局というのは珍しい。内局は次の通り。神野哲州・人事部長/横井真之・伝道部長/金子清学・総務部長/橋本壽幸・財政部長/田中千春・教学部長/中村見自・教化部長/塩竃博隆・出版部長

2014/10/30 都心のホール、修行道場に 曹洞宗青年僧による「法悦」ライブ

約50人の青年僧が朝課諷経を再現し観客の安穏を祈った 曹洞宗総合研究センター(大谷哲夫所長)主催による、青年僧侶が東京都心で修行道場での朝の風景を再現する法要ライブ「法悦」が26日、台東区の浅草橋ヒューリックホールで開催された。大本山永平寺で修行を積んだ僧侶たちの厳粛な所作に、満場の観客は深い精神性と現代アート的な美学を感じ取った。アートディレクションカンパニーDONGURIが協力。

 修行道場の朝は「振鈴」から始まる。振鈴とは他の修行僧が目覚める前に起床し、走り回って鈴の音を鳴らすいわば「目覚まし時計」。続いて洗面桶一杯の水で歯磨きと洗面し、坐禅により体と呼吸と心を整える。警策の音がビシンと響くと、観客も思わず息を飲んだ。

修行僧の背中から気迫がびんびんに伝わる そして朝課諷経の法要へ。観音経、般若心経、大悲心陀羅尼などを読み上げ、東日本大震災物故者らへの供養、観客の今後の生活の安穏のための祈りが捧げられた。

 余韻を残しつつも90分のイベントは終了。750年にわたって繰り返されてきた朝の風景だが、こうして一般に「上演」という形で公開されるのは初めての試みだった。2年前から企画が立ち上がり、青年僧たちは何カ月間も練習を積んできた。ある観客は「お坊さんを見る目が変わりました」と感想。曹洞宗の教えと伝統の重みをストレートに広めるという目的は十二分に達成されたようだ。

2014/10/30 世界仏教徒会議(WFB)大会、中国で初の開催 全日仏が雲南地震復興支援金を寄託


中国雲南省地震に対して齋藤理事長がWFBのパロップ事務総長に目録を贈呈「仏教の公益的慈善」をテーマにWFB世界仏教徒会議の第27回大会が14日から19日まで中国の西安郊外に位置する陜西省宝鶏市の法門寺とホテルを主会場に開かれた。日本からは(公財)全日本仏教会(全日仏)の役員や全日本仏教青年会のメンバー、さらに日中仏教交流団体の関係者らが出席した。また中国寺院の視察を兼ねた参拝ツアー団(団長=齋藤明聖理事長)も参席した。WFBは60年余の歴史を刻むが、中国で世界大会が行われるのは初めて。

執行役員会議などを経て16日に仏舎利(釈尊の指の骨)を安置する法門寺で盛大に開会式および歓迎セレモニー、仏舎利礼拝などが行われた。式典の中で中国・雲南省で起きた大地震災害に対して、全日仏はWFBに支援金100万円を寄託。齋藤理事長からパロップ事務総長(タイ)に目録が手渡された。

 翌17日には大会テーマ「仏教の公益的慈善」に即して2つのシンポジウムが開かれた。中国仏教協会を中心とした最初のシンポでは、仏教の役割について六波羅蜜の実践など理念的な面から提起した。

 続いて東日本大震災の復興支援に関するシンポが行われ、WFB国際執行役員の戸松義晴氏、WFB人道支援委員会委員長の日比野郁皓氏、WFBY副会長で前全日仏青理事長の村山博雅氏らが登壇した。大震災への義援金は総額1億4千万円余り。そのうち約3千万円がWFB関連からの浄財。日比野氏は感謝を表しながら浄財がどのような支援活動に用いられたかを報告した。僧侶の炊き出しや避難施設訪問といったボランティア活動、避難者を受け入れた寺院、遺体火葬に対する読経などを映像をまじえて紹介した。震災を忘れないための惨状映像では、絶句したり涙を流す人もいた。

シンポでは東日本大震災における活動が報告された「支援金がどのように使われたかを知る意味で貴重な報告だった」「全日仏の取り組みがよく理解できた」など視覚に訴えたこともあり参加者からは高い評価を得た。

 同シンポではまた、インドのブダガヤで医療や幼児教育を実践している印度山日本寺の取り組みが、運営母体である国際仏教興隆協会の正本乗光氏から報告された。

 齋藤理事長は本大会には開会式のみの参加だったが、「12年ぶりに中国の西安を訪れ、道路が大変よく整備され、お寺もかなりの復興ぶりであった」とコメント。さらに「大会では、スムーズな運営と共に大会をサポートする若いボランティアがたくさんいたことが印象に残った」と感想を口にした。

 なお、2年毎の改選となる国際執行役員(8人)は全員留任となった。
 全日仏は財団創立60周年記念事業の一環として4年後の平成30年(2018)に日本での世界大会を計画している。
動物の権利主張


 大会中の会議では、動物の権利保護を訴えるアメリカの団体が、人道支援の中に動物も含めるよう要請する提案もあった。人間も動物も等しいとの考えからだが、執行部側は難色を示したという。次の国際執行委員会で話し合われる予定だという。

2014/10/30 真言宗智山派教区代表会 総長一宗公選制を可決



挙手による採決。賛成33人、反対20人で可決した 真言宗智山派(小宮一雄宗務総長)の第119次定期教区代表会(飯島俊勝議長)が21日から24日まで、京都市東山区の宗務庁に招集された。12月に任期満了となる現・教区代表の最後の代表会で、宗務総長「一宗公選制」などを盛り込んだ選挙制度改革案をめぐって紛糾。「いわば教区代表60人の投票による現行の『議院内閣制』から、全国末寺が直接投票で総長を選ぶ『大統領制』への移行」(教区代表の一人)は、宗団の形をも変える大改革になる。激論は2日間に及んだが、賛成多数で可決された。


 飯島議長が、「出席代表56人中賛成33人・反対20人」と採決結果を発表。この瞬間、智山派は宗務総長一宗公選制への大きな一歩を踏み出した。
平成28年の次期総長選から導入される見込みで、住職・教会主管者・長老約2100人が有権者となる。立候補には教区代表5人以上の推薦が必要だ。立候補者多数の場合は臨時教区代表会を招集して投票を行い、得票数順に3人にまでしぼる。立候補から総長候補者の確定、投票に至るまでの過程で、教区代表会に強い権限が付与されているのも特徴だ。


 前回の総長選挙(平成24年2月)では宗制に定めがなかった「立会演説会」を初めて実施したが、今回の改革で規程化。「選挙長(代表会議長)は、必要に応じ(中略)候補者に演説を求めることが出来る」と明文化し、有権者の「候補者の施政方針を直接聞きたい」などの要望に応えられるようにした。総長候補者が全国の各ブロックを演説して回り、末寺住職らが直接投票することで、宗政がより身近になり、「最低5人で1票の教区と最高82人で1票」(16・4倍)という現在の宗内での1票の格差の是正につながることも期待されている。


 選挙制度の改革に向け昨年2月、代表会の中に「選挙制度に関する特別委員会」を組織。委員13人が選出され、馬場修任代表(埼玉第8)が委員長に就任した。8回の会議を重ね、「議員立法」による改革案を練ってきた。


 今次代表会3日目、「特別委員会」が成文化した宗派規則と選挙規程の変更案を、馬場委員長が発議第1号・2号として提案。これに反対する児島信弘代表(埼玉第4)が発議第3号「選挙制度検討委員会を設置する規程」を提案し、 さらに時間をかけた慎重審議を求めた。


 飯島議長は、「(既存の規程の変更案ではなく新たに規程の制定を求める)発議第3号は代表会の職務権限を超えている」 と宗制の条文を示して否定。児島代表は委員会の設置には先例があり、立法機関である代表会には議案の提案が認められているとして強く反論したが、議論の末、発議第3号は取り上げられないこととなった。


 その後、賛否入り乱れ、議論が膠着する中、池田英乘代表(安房第2)が発言。「うちの教区ではアンケートを取ったが、半数以上が『一宗公選』に賛成だった。〝自分たちも投票したい〟という若い住職方の気持ちが強かった」とし、「(新制度は)〝我々が選んだ宗務総長だ〟ということを皆が理解できる。教区として賛成だ」と述べた。3日目終了時点での賛否の票数の状況について、複数の代表が「まったくわからない」と口を揃えた。


 4日目(最終日)冒頭、馬場委員長は「可決されれば今後、より良いものに修正できるが、否決されれば廃案になってしまう。今回を逃すと智山派は将来、選挙規程には手をつけられない気がする」と覚悟を表明。可決への理解を求めた。小宮総長が、「これ(選挙規程変更)が宗団の新しい一歩になるように対応していきたい」と決意表明する場面もあった。

2014/11/6 WCRP学習会 ふくしまを世の光に


基調発題者を含め5人が福島の現状を報告した 公益財団法人世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会の震災復興タスクフォース主催による公開学習会「3年半を過ぎた福島の現状と課題」が10月29日、福島市内で開かれた。自立や復興に向けた活動がある反面、長引く避難生活で高齢者や子どもといった弱者が犠牲になっている現況も報告された。日本委員会の理事やメンバーら60人が聴講した。

 最初に原発周辺自治体の全数調査を行った福島大学准教授の丹波史紀氏が「現在の福島の課題―多様性を認め合い、共生していく社会へ」をテーマに基調発題。“他人事ではなく自分のこととして考えてもらいたい”と提起した丹波氏は、「5年以上故郷に住めないと言われ、5年、10年仮設住宅に住むことが想像できますか」「一緒にいた家族がバラバラで住むことを想像できますか」などと問いかけた。

 原子力災害によって福島県内では広域的な被害を受け、同時に広域的避難を余儀なくされた。丹波氏は地元新聞の記事から人口が変わらないのに単身世帯が増加している現況を紹介。加えて「災害関連死をみると宮城の場合、直接死に対して8%ほど。しかし、福島県は1603人の直接死に対して、災害関連死はすでにその数を超えている」と指摘し、「家族の離散により家族のケアができなくなっている」と高齢者や病気を持つ人たちが犠牲になっている現状を説明した。

 地域社会の復興に祭りが有効であることをかつて調査した新潟・山古志村の例からも解説したが、福島の場合、避難の長期化や限られた帰還などで「そのおこす町を持たない」と避難住民の苦悩を代弁した。

 丹波氏は、障がい児福祉の先駆者である糸賀一雄氏(故人、近江学園創設者)の言葉〈「この子らに世の光を」ではなく、「この子らを世の光に」〉をアレンジして、〈「ふくしまに世の光を」から「ふくしまを世の光に」へ〉と呼びかけて結んだ。(続きは紙面でご覧ください)

2014/11/6 韓・独・日「樹木葬」で国際シンポ 社会の課題が普及を後押し


韓国・ドイツ・日本の研究者や事業者が参加した樹木葬の国際シンポ 都市化や環境意識の高まり、社会構造や家族の変容などから、日本だけでなく世界的にも注目されている「樹木葬」に関する国際シンポジウム「今なぜ『樹木葬』なのか」が10月25日、東京・文京区の東洋大学で開催された。韓国・ドイツ・日本で樹木葬を牽引する研究者や実行団体が、樹木葬の社会背景や今後の展望について検証した。

 韓国の事例は高麗大学名誉教授の邊雨爀氏が報告。土葬の伝統や先祖供養を大事にする儒教の影響等で、韓国の全国土の1%を墓地が占める「世界的にも稀な」社会状況を解説。森林学の専門家として山々が墓に埋め尽くされることを憂慮していたが、2004年に邊氏の師が韓国初の樹木葬を高麗大学の森林で行ったことで注目され、年々認知度はあがった。 

 樹木葬は都市化により墓地の取得が難しくなってきたことや、火葬が普及したこと(1954年の3・6%、2010年の74%)、環境意識の変化によって普及しつつあるとし、今後もさらに需要が増えると推察。国や地方自治体でも積極的に樹木葬の普及を進めているとし、「意識変化に応じた樹木葬のモデル開発」を課題にあげた。

 森林の中に樹木を植えて墓標にする「緑の埋葬」の事業者であるドイツのアクセル・バフダフ氏(エコエタニティ共同代表)は、その特長として「事前プランニング」「火葬と生分解可能な材料のみの使用」「森林はそのまま保持すること」などのコンセプトを説明。自然墓地の用件は「最少で25ヘクタール」「樹齢が混ざっていること、70%強が落葉樹であえること」「公に公開されていること」「墓石、マーカー、キリスト教のシンボル、花は禁止」といった、環境保全への高い意識を示した。自然墓地が「森林と公園のイメージ」が合わさり、「子どもたちが気軽に親族の墓地を尋ねることができるようになった」と墓参意識の変化も上げた。

 日本や韓国では墓地が「迷惑施設」として捉えられることがあるが、ドイツでは森林墓地が静かで緑の多い良環境にあるため、周辺の地価が上がる傾向なども指摘された。(続きは紙面でご覧ください)

2014/11/6 高野山中門再建 四天王像を奉安

新造の広目天像 来年4月に迫った「高野山開創1200年記念大法会」の中心事業として再建が進められている和歌山県高野町の高野山真言宗総本山金剛峯寺・壇上伽藍の中門。いよいよ総仕上げの工程に入り、10月24日には四天王像(像高約5㍍〉を奉安する法要が営まれた。修復された多聞天と持国天、新造の増長天と広目天が壇上伽藍を守護。中門がそびえる高野山本来の威容が、170年ぶりに甦った。

 平安初期に建立された中門は焼失等により再建を重ね、今回は天保14年(1843)の7代目の焼失以来となる。再建事業にあたり3回の発掘調査を実施したところ、5代目中門(建長5年=1251)の礎石を発見。これを基に時代考証を行い、鎌倉時代の様式で復元されることになった。

新造の増長天像 度重なる中門火災で損傷と修復を繰り返してきた多聞天と持国天の両像は、天保14年の焼失に際して門外に運び出され、以後平成11年に根本大塔に安置されるまで伽藍内を転々としていた。今回、京都の大仏師で運慶・快慶など慶派の流れを受け継ぐ松本明慶氏の工房での修復が完了。さらに同工房で新たに造立された増長天と広目天が加わり、四天王像が壇上伽藍を守護する形になった。

 中門は幅25メートル、奥行き15メートル、高さ16メートルで総檜造り。総工費は約18億円。高野山産の木材を75%使用したことで、経費を約3億円も圧縮している。山林を長きにわたって護持し、伽藍再建に際しては境内林の木を用いるという再興事業のあり方は、今後の文化財修復や寺院建立に大きな影響を与えるものとして注目を集めている。

 開創法会の開白となる来年4月2日に、「中門落慶大曼荼羅供」を厳修。大相撲の白鵬・日馬富士・鶴竜の3横綱による地堅めの奉納土俵入りが決定している。

2014/11/13 真如苑青年会第51回弁論大会 総評「教えが生活の中に」


演題を用いないで演説する女子青年 発足60周年を迎えた真如苑青年会は51回目となる弁論大会を3日、立川市の応現院で開催した。317人が参加した全国各地のブロック予選を突破した中から5人が選抜され、晴れのステージで自らの思いを主張した。

 昨年の節目となる50回大会をさらに進化させた今大会。テーマは「Shinnyoを語る―Together in  Shinnyo」。オープニングとエンディングでは男女青年によるダンスと言葉を基調としたパフォーマンスが繰り広げられた。それに挟み込まれるように弁士が登壇したが、弁論につきものの演壇を用いないケースもあった。

 津軽三味線を轟かせてから演説した男子青年やステージを歩きながら話す女子青年など5人の弁士が、それぞれ一人芝居を演じるかのように語りかけた。進路や就職、職場、病気といった場面で突き当たった悩みを開陳しながら、信仰や教えの実践によって解決へと導いた体験を披瀝した。

 来賓を代表して宗教社会学者の芳賀学氏(上智大学教授)が総評。かつて研究のため真如苑の弁論大会を12年にわたり1千本を聞いた芳賀氏は、「教えを自分の生活の中に位置づけ、自分のものとしている。5人の言葉からそれがありありと感じられる」と讃えた。

 伊藤真聰苑主は、伊藤真乗開祖が青年の弁論を聞くことを楽しみにしていたというエピソードを紹介しながら、「真如双親さま、両童子さまは今もきっと317名の弁論をお聞きになり、お喜びでしょう」とねぎらった。

 苑主はまた、「多くの方の支えとサポートがあったから、こうして弁論することができたのです。応援ありがとうございました」と弁士を支えた人たちにも感謝の言葉をおくった。

 なお今弁論大会は発表の場で順位はつかない。

2014/11/13 日本「祈りと救いとこころ」学会創立大会 重要さ増す医療と宗教の領域


講演に先立ち創立の意義を語る榎本理事長 精神医療と宗教の垣根を越えた連携を目指す日本「祈りと救いとこころ学会」創立記念大会が8日、東京・池袋のホテルに精神科医や看護師、宗教者ら230人が集い開催された。生みの親である精神科医で初代理事長の榎本稔氏(榎本クリニック理事長)は、「宗教という範囲にとどまらず、より幅広い問題を考えていきたいと思い、この学会名とした」と報告し協力を呼びかけた。宗教学者で学会顧問の島薗進氏(上智大学グリーフケア研究所所長)も「医療と宗教の領域がますます重いものになってきた」と期待した。

 新学会は目的を「『祈りと救いとこころ』の活動に携わる医療・福祉・心理・司法・教育・社会学などを専門とする人々の自己啓発と連携を促進し、宗教と精神医療(メンタルヘルス)の臨床、教育、研究、調査を推進し、その進歩、発展、普及に貢献すること」と設定。事業として学術集会や機関誌発行、研修会などを実施していく。来年11月に予定されている次回大会からは個別発表も計画している。

 創立の背景には精神疾患者の増加がある。特にうつ病が多く、長期のひきこもりは社会問題化してきた。こうした問題に精神医療だけではなく宗教をはじめとする幅広い分野の協力が必要と考え関係者が準備を進めてきた。その問題意識が創立大会の総合テーマである「無望の時代を生きる―新しい絆を求めて」として反映された。(続きは紙面でご覧ください)

2014/11/13 大正大学、15号館の地鎮式を厳修 「地域創生学部」新設を発表


勝崎学長を導師に厳修された法要 東京都豊島区西巣鴨の大正大学(勝崎裕彦学長)は11日、本部正門に面した明治通りを挟んだ北区滝野川に計画中の15号館の地鎮式を厳修した。平成28年(2016)竣工予定の新館には「地域構想研究所(仮称)」のほか学生寮が入る予定となっている。

 勝崎学長を導師に設置4宗派の職員が式衆として法要が営まれ、里見達人相談役ら大学要職、施工にあたる大林組関係者が焼香。その後、杉谷義純理事長、大林組の鹿島裕一常務執行役員、大西宏治建築設計部長による鍬入れの儀が行われた。

 杉谷理事長は挨拶で、15号館の建設は「単に文明文化のみならず違う面からの社会貢献をしていきたい。日本の抱える地域の衰退などの問題に、精神面以外から答えていきたい」という思いから、平成28年度に予定されている新学部「地域創生学部」の設立を控えてのものだと発表。豊かな人材を育成・輩出したいと語った。

 鹿島常務は建築計画の概要を説明。地上10階・高さ35・2メートルで延べ面積は約2170平方メートル。4階までが地域構想研究所、5階が多目的室・シャワー室洗濯室で、6階以上が各階個室8部屋の学生寮。大林組は08年に8号館と10号館の改修工事を手掛けて以来大正大学と関わりがあり、「今まで以上に大学のご支援を賜りたい」と述べた。

 土地は平成22年に隣接する朝日信用金庫から大学が取得。同信金の雨宮泰博専務理事は地域振興という使命を大学と共にしていると喜び、「私どもは実は大正大学の学生さんに毎年何人も就職頂いている」と明かしつつ今後も協力していきたいとの意向を示した。

 総工費は15億円、北区に校舎ができるのは初。なお建物の完成に先立ちすでに先月「地域構想研究所」は設立されており、5号館に仮事務所が置かれている。研究所は地域創生・地域課題解決のための基礎研究を行い地域の連携を促すことで社会貢献を果たすことを目的としている。

2014/11/20 佛教大学 田中典彦教授が次期学長に決まる

 佛教大学は12日、山極伸之学長の任期満了(2015年3月31日)に伴う次期学長選挙を実施し、仏教学部教授の田中典彦氏(70)を次期大学長に選出した。任期は来年4月1日から4年。

 田中典彦(のりひこ)氏は、1944年生まれ。佛教大学大学院文学研究科博士課程(仏教学専攻)満期退学。1994年から同大文学部教授に就任。四条センター所長、総合研究所長を歴任し、2007年に同大副学長に就任。著述論文に「存在と行為―業の意味とその問題点」など。

2014/11/20 浄土宗・教科書記述問題 法然の教えは未完成なのか?


 先の浄土宗の宗議会において、高校で使われている倫理の教科書の中に「法然上人の教えを一歩進めたのが親鸞聖人で、法然上人が未完成で不徹底」との印象を与える記述があることが議員の間で問題視された。本紙が調べたところ、高校倫理の教科書以外にも現行の高校の日本史、中学の歴史の教科書でも同様の記述がみられ、古くは昭和30年前後の教科書にも同様の記述があることが分かった。

 先の浄土宗宗議会では、田中信道議員が、高校倫理の教科書に問題となる記述があることを指摘した大正大学の林田康順教授の論文を紹介。教科書を発行する出版社に対して「訂正されるまで抗議をし続けることを確約して欲しい」と内局に対応を迫る場面があった。

 本紙の調べでは、高校日本史Bの教科書を発行する清水書院、実教出版、山川出版社、明成社、東京書籍の5社8冊のうち、4冊で親鸞聖人が法然上人の教えを「一歩すすめた」「さらに徹底」とする記述がみられた。

 さらに、中学校の歴史教科書でも、自由社、育鵬社、日本文教出版、帝国書院、清水書院、教育出版、東京書籍の7社7冊のうち3冊で「さらにつきつめ」「さらに徹底」「浄土真宗として発展させ」といった表現が用いられていた。

 こうした記述はいつ頃からあったのか。昭和30年前後の高校の歴史教科書でも複数の教科書で同様の記述が見つかり、古いものでは昭和26年(1951)発行の清水書院の日本史の教科書でも「発展させた」としていることが分かった。

 この結果について、長年この問題を提起している林田教授は「全部の教科書ではないが、〝徹底した〟〝一歩すすめた〟等の記述が、長年他の教科書でも使い回されている」と指摘。「私が高校で学んでいた頃から疑問に感じていました。当時教えて下さった先生方も、過日お会いしたところ、同じように思っておられたようで、こうした記述は昭和30年前後、いや戦後の教科書からずっと続いていると思われ、非常に根深い問題であるといえるでしょう」と話す。

 ただし、「それこそ浄土真宗の教義より浄土宗の教義の方が一歩進んでいるという問題ではなく、単に教科書の記述が両者を等しく取り上げてくれれば良いだけのことです。冷静に対応するべきであり、穏当に記述が直ってくれればと願っています」とも述べている。

 具体的に今後宗門が採るべき方策としては「教団単位だけでなく、真宗教団連合にも話を持っていき、共同で出版社に意見するのも一つだと思います。法然上人800年大遠忌で再組織された西山派や時宗を含む浄宗会でも取り上げるなど、大きな枠の中で出版社に意見を伝えてみてはどうでしょうか」と話している。

 林田教授は、過去の論文の中で、法然上人と親鸞聖人をめぐる教科書の記述について親鸞聖人が法然上人の「教えをさらに徹底した」等の記述に対して、「教えを継承しつつも、独自の道を歩むことになった」などに変更してはどうかとの試案も提言している。

2014/11/20 總持学園90周年式典 禅による心の教育・宗侶養成も


女子生徒によるオープニング「散華の舞」 曹洞宗大本山總持寺を母体とする学校法人総持学園(神奈川県横浜市)の創立90周年を記念し、15日に鶴見大学附属中学校・高等学校で式典が営まれた。「大覚円成 報恩行持」すなわち感謝を忘れず真人となるという建学の精神をより心に刻み、100周年へのスタートの日にもなった。

 乙川暎元理事長(總持寺監院)は、1924年に瑩山禅師600回大遠忌を記念して設立され女子教育に力を注いできたが、現在は幼稚園から大学院を設置する男女共学の総合学園となったことの感慨を語り、「歴代禅師さまをはじめとする先達のご尽力と、教職員皆さまの努力に心からの敬意を表します」と挨拶した。

 江川辰三学園主(總持寺貫首)は来年の峨山禅師大遠忌、その9年後(2024年)の瑩山禅師大遠忌のテーマ「相承」を説明。「そのみ教えに鑑みて、当学園のこれまでの業績、歩みを改めて振り返るとともに、それを踏まえた上で未来への限りない展開も探求していかなければなりません」と垂示した。

 来賓祝辞では、文部科学省高等教育局私学部長の藤原誠氏が、大学とUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が協力して行っている難民の無料歯科治療を称讃。日本私立学校振興・共済事業団理事長の河田悌一氏は特に大学図書館を「日本では最高水準。仏教・曹洞宗関係のものだけでなく貴重な資料がある知の宝庫」と激賞し、それぞれ学園の一層の発展を期待した。

 学園生代表として附属高校2年の新妻真斗さんと大学歯学部6年生の冬頭知明さんが祝辞。新妻さんは2008年の共学化と教科エリア型校舎(全教科が専用の教室を持ち、生徒自ら各教室に移動して学習を進めるシステム)導入を大きな転換点と位置付け「禅による心の教育が根付いている」と実感を語った。

 冬頭さんは「病院実習では、講義で教わった知識だけではわからない場面に直面することが多々あり、先生方と相談し乗り越えていくことで、技術面だけでなく精神面でも成長することができた」と社会に出てもその経験が必ず生きるとの確信を示した。

 続く祝賀会では曹洞宗の釜田隆文宗務総長が「附属高校仏教専修科と生徒が日々精進する鶴翔寮においては設置以来順調に在籍者を増やしていると仄聞しています。宗門僧侶の育成に多大なるご尽力いただいていることに敬意と感謝を申し上げます」と宗門子弟養成機関としての重要性を強調し祝辞とした。

2014/11/27 博多・東林寺で曹洞宗中興の祖、卍山禅師三百回忌奉修


正当法要での茶道南坊会による供茶。奥は江川貫首 江戸時代、曹洞宗における嗣法の乱れを正そうと宗統復古運動を担った卍山道白(まんざんどうはく)禅師を開山とする九州・博多の東林寺(梅田泰隆住職)は10日、大本山總持寺の江川辰三貫首を導師に開山卍山道白大和尚三百回忌大遠忌法要を執り行った。

 法要では、茶道南坊会による供茶の儀式が行われ、伝統の作法で仏前に献じられた。法要の中で江川貫首は「玉樹清風瑞鳳山/東林開祖断雲還/正当三百恩無極/超佛越師孤月閑」と香語を奏上した。前日逮夜諷経の導師は、卍山禅師が住持した金沢・大乘寺の東隆眞山主が導師を務め、法要の最後を締めくくる檀信徒回向は梅田住職を導師に営まれた。

 卍山禅師は寛永13年(1363)、現在の広島県庄原市に生まれた。10歳で剃髪し、長じて江戸に参学。43歳の時に大乘寺の月舟宗胡禅師の門に入った。特筆すべきは、伽藍法によった嗣法の在り方を『正法眼蔵』「嗣書の巻」にしたがい「古風に復した」ことで、宗統復古運動と呼ばれている。そのため卍山禅師は曹洞宗の中興の祖ともされる。正徳5年(1715)寂した。

 無事円成して梅田住職は、「巡りあわせとはいえ、ホッとした。偉大な御開山の慈恩に少しでも報いることができたかな、と思っている」感想を口にした。東林寺では三百回忌にあわせ、650頁近い『卍山道白禅師東林語録訳注』(野口善教監修)を記念出版した。

2014/11/27 WCRP女性部会「いのちについてのアンケート」 家庭教育の重要さ強調


松井ケティ教授による概要報告 世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会女性部会(森脇友紀子部会長)は16日、東京都杉並区の芳澍女学院で「いのちについてのアンケート報告会」を開催した。年間自殺者数3万人を数え、20代の自殺率も急増する世情を受け、2011年から青年男女に行ってきたアンケートの報告の結果、宗教者と家庭教育の連携や、政治・社会への訴えかけが重く検討された。

 清泉女子大学教授の松井ケティ氏がアンケートの概要を報告。アンケートは11年に宗教関連学校(大学3・高校5・中学1)と女性部会員が所属する3つの教団の青年1455人を対象に実施した。12年の第2次アンケートでは宗教関連以外の学校(大学9・高校2)と2つの企業・団体の青年1325人が対象。合計で2780人の調査となっている。マークシートと自由記述の併用。

「神仏の存在について」「家族、友人、身近な親しい人の『いのち』についてどう思いますか」といった21の質問のうち、特に注目されたのは「自分の『いのち』についてどう思うか」(複数回答)。「生きていくのがいやになることがある」「自殺したいと考えたことがある」「死にたいと思うことがある」という回答をした人は、宗教系学校を対象にした第1次アンケートでは43・8%で、宗教関係学校以外の28・7%を大きく上回った。他の質問結果も鑑み、松井氏は「宗教系学校のカリキュラムを見直す必要もあるかもしれない」とも意見。

「あなたは親から愛されていると思いますか」という質問には、第1次は「とても愛されていると思う」49・5%、「普通に愛されていると思う」が37・6%。第2次は「とても」が30・9%で「普通に」が48・4%となっている。一方で双方、愛されていないと感じる人が4%弱存在。「親子で一緒にいる時間の長短よりも、中身の濃淡が子どもの心身の発達に関わり、安心・安全・安住・安定に満たされ思いやりや積極性ある生活に寄与する」と松井氏は分析した。(続きは紙面でご覧ください)

2014/11/27 長野北部地震で1カ寺半壊


 11月22日夜、長野県北部で発生した震度6弱の地震により震源地に近い白馬村や小谷村、小川村、長野市などで被害がみられた。

 曹洞宗によると、小谷村の玉泉寺(清水祥夫住職)の被害がもっとも大きく半壊状態。住職一家も避難生活を送っている。周辺地域寺院でも仏具や位牌といった器物落下、境内の石塔が倒れるなどの被害が出ている模様。

 長野市信州新町の真言宗豊山派玉泉寺(笠原憲正住職)では境内に亀裂が入り、石燈籠2基を残して8基が倒壊。本堂内陣の仏像や仏具が倒れ、堂内や庫裏に大きな被害が出た。笠原住職(長野県宗務支所長)は「(小川村に近い同寺は)震源に近く、ものすごい揺れだった」と語った。同寺では一時、断水や停電があったが現在は復旧しているという。豊山派では長野市中条の正法寺(小泉栄正住職)、小川村の金剛寺(松本栄仙住職)と高山寺(同)にも被害が出た。

2014/12/4 修験・回峰行・滝行・水行…大荒行シンポジウム、指導者が精神を開陳


2日間にわたり京都大学稲盛記念財団記念館で開催された「大荒行シンポジウム」 身心変容技法研究会(鎌田東二代表)は11月20・21の両日、京都市左京区の京都大学稲盛財団記念館で「大荒行シンポジウム」を開催した。2日目は研究者を対象に実施されたが、初日は一般に公開され、研究成果を踏まえて金峯山修験道、熊野修験道、羽黒修験道、そして法華修験道とも言える日蓮宗の大荒行の「4大荒行」の先達・指導者を招き、伝統に基づく修行の良さや危険性などが話し合われた。

 シンポの前半では、金峯山修験本宗宗務総長の田中利典氏、羽黒修験道松聖の星野尚文氏、西国三十三所一番札所天台宗那智山青岸渡寺の高木亮英副住職、日蓮宗遠寿院荒行堂伝師の戸田日晨氏の4氏が招かれ、それぞれの歴史や、行の内容を開陳。回峰行や滝行、籠り行での水行等、伝統的な修行法の他、一般に向けた修験体験など、近年の試みも紹介された。

 後半では、関西学院大学の倉島哲教授を加え、鎌田代表の司会で総合討論。倉島教授は修験体験に参加した経験から、世俗とかけ離れた修行の世界にも世俗的関係性を示す様々なルールがあることに注目。社会学の立場から行の中の世俗的関係性と気付きの関係について質問を投げかけた。

 田中氏は修行者が「大きな気持ちで来ても、小さな気持ちでき来てもそれぞれの気付きがあるのが山のすごさ」とする一方で、〝神を見た〟等の神秘体験や気付きの部分を強調しすぎることには懸念を表明。「修行にはそういうことがないといけないと思う傾向があるようだが、それは魔が入り込む間があるということ」と戒めた。

 戸田氏は行堂でのルールにあたる行堂清規を紹介し、行に臨む考え方を説明。「経力や法力のパワーを蓄えるのとは違う。まず自分の贖罪、懺悔をする、その心境が得られるか。そのために行堂清規がある」と説示。

 討論の中では、荒行に限らず閉鎖的な空間での増長慢心や集団管理には、常に気を付ける必要があるとの見解も述べられた。倉島教授は行中の規律について、宗教性のある規律と集団管理に見られる軍隊的な規律との区別の難しさについても指摘した。

 鎌田氏は荒行指導者の4氏が発表したそれぞれの行の特色を整理した上で、上求菩提下化衆生と修理個成(つくりかためなせ)の精神が共通しているとし、「神と仏がともにあって、それぞれの特色を失わずに、共同していけるような日本の文化の型というものを、我々の貴重な財産、文化遺産として見出し、実践していければ」と話した。

2014/12/4 「子どものための祈りと行動の日」記念シンポ ネットに潜む危険から子どもたちを守るためには


シンポでは、インターネットや現代社会が抱える子どもをめぐる問題について話し合われた 問われたのは倫理や道徳の問題であり、それを啓発できるのは宗教指導者たち――。「子どもの権利条約」から25周年を迎え、採択日の翌日にあたる11月21日、妙智會教団の外郭組織である一般財団法人ありがとうインターナショナル(宮本惠司総裁)は、東京国際文化会館で記念シンポジウム「インターネットに潜む危険から子どもたちを守るためには」を開催した。低年齢化やネット上のいじめなどが深刻化し、見えにくい暴力の温床となっているインターネット問題を専門家の基調講演とパネル討論で探りつつ、宗教者の期待と役割も提起された。「子どものための祈りと行動の日」(「祈りと行動」)のイベントで、日本ユニセフ協会が後援した。

 開会にあたり、宮本総裁が主催者を代表して挨拶。ありがとうインターナショナルの活動や「祈りと行動」について報告すると共に、今シンポを「インターネット上の暴力のみならず子どもに対するあらゆる暴力の問題にかかわる皆さま方の取り組みの参考になれば」と位置づけた。

 続いて「祈りと行動」の事業を担当するニューヨーク事務所のメグ・ガーディニエール所長が近年の取り組みをまじえて「祈りと行動」を説明。「ありがとうインターナショナルのユニークな取り組みである『祈りと行動』の特徴の一つは、宗教指導者の動員にある。2013年に実施したオンラインアンケートでは、9割以上が子どもの権利擁護と幸福には諸宗教協力が不可欠との回答を寄せている」と諸宗教協力の必要性と手応えを報告した。

 基調講演者のジョン・カー氏は、子どもの買春を根絶するための国際ネットワークであるエクパット・インターナショナルのオンラインにおける子どもの安全に関する上級専門アドバイザー。インターネット上で起きている子どもの問題の第一人者であり、英国の事例をまじえて講演した。アイパッドなどのタブレットの急速な普及でインターネット使用の低年齢化が進み、一方では児童ポルノが激増していることなどを数値で報告。宗教者には「まずは声をあげることから始めるべき」と主張した。(続きは紙面でご覧ください)

2014/12/4 天台宗全国一斉托鉢 雨のなか坂本界隈を行脚


 師走の恒例行事となっている天台宗の全国一斉托鉢が1日に実施され、滋賀県大津市坂本の比叡山麓では森川宏映・一隅を照らす運動会長(89)を先頭に托鉢行脚が行われた。今年で29回目。一斉托鉢は「慈愛(あい)の心でたすけあい」などをスローガンに全国約60カ所で順次実施される予定で、1日は21カ所で行われた。

 午前9時、雨脚が強まる中、生源寺で法楽。木ノ下寂俊・宗務総長は「それぞれの持ち場でよろしくお願いします」と挨拶。小堀光實・延暦寺執行は「托鉢はどんな天気であっても心を込めてお勤めいただくものです」と呼びかけた。

 一行は、勇壮な法螺貝の音と共に出発。住民も傘をさしながら、玄関先などで出迎えた。森川会長に浄財を手渡した男性は、「(托鉢の日に)雨は珍しいなあ。毎年の大切な行事ですから、〝ありがたいな〟という思いでさせてもらいました」と感想。雨をものともせず、森川会長に駆け寄って喜捨する女性もいた。

 宗務庁役職員や延暦寺一山住職・職員、寺庭婦人ら約100人が参加。坂本界隈の戸別托鉢では各家の門口で「家内安全」などを祈り、JR堅田駅前・JR比叡山坂本駅前・京阪坂本駅前では街頭募金を行った。

 この日寄せられた浄財は3日、NHK歳末たすけあい運動・海外たすけあい運動に寄託される。

2014/12/4 「子どものための祈りと行動の日」記念シンポ ネットに潜む危険から子どもたちを守るためには


シンポでは、インターネットや現代社会が抱える子どもをめぐる問題について話し合われた 問われたのは倫理や道徳の問題であり、それを啓発できるのは宗教指導者たち――。「子どもの権利条約」から25周年を迎え、採択日の翌日にあたる11月21日、妙智會教団の外郭組織である一般財団法人ありがとうインターナショナル(宮本惠司総裁)は、東京国際文化会館で記念シンポジウム「インターネットに潜む危険から子どもたちを守るためには」を開催した。低年齢化やネット上のいじめなどが深刻化し、見えにくい暴力の温床となっているインターネット問題を専門家の基調講演とパネル討論で探りつつ、宗教者の期待と役割も提起された。「子どものための祈りと行動の日」(「祈りと行動」)のイベントで、日本ユニセフ協会が後援した。

 開会にあたり、宮本総裁が主催者を代表して挨拶。ありがとうインターナショナルの活動や「祈りと行動」について報告すると共に、今シンポを「インターネット上の暴力のみならず子どもに対するあらゆる暴力の問題にかかわる皆さま方の取り組みの参考になれば」と位置づけた。

 続いて「祈りと行動」の事業を担当するニューヨーク事務所のメグ・ガーディニエール所長が近年の取り組みをまじえて「祈りと行動」を説明。「ありがとうインターナショナルのユニークな取り組みである『祈りと行動』の特徴の一つは、宗教指導者の動員にある。2013年に実施したオンラインアンケートでは、9割以上が子どもの権利擁護と幸福には諸宗教協力が不可欠との回答を寄せている」と諸宗教協力の必要性と手応えを報告した。

 基調講演者のジョン・カー氏は、子どもの買春を根絶するための国際ネットワークであるエクパット・インターナショナルのオンラインにおける子どもの安全に関する上級専門アドバイザー。インターネット上で起きている子どもの問題の第一人者であり、英国の事例をまじえて講演した。アイパッドなどのタブレットの急速な普及でインターネット使用の低年齢化が進み、一方では児童ポルノが激増していることなどを数値で報告。宗教者には「まずは声をあげることから始めるべき」と主張した。(続きは紙面でご覧ください)

2014/12/11 グリーフケアをお寺で実践 コミュニティの役割果たす

グリーフケアの歩みについて話す酒井義一住職 近親者を亡くした悲しみを癒やす「グリーフケア」をお寺で開いている酒井義一住職が2日、東京・芝の仏教伝道センターで講演し、活動内容や運用ポイントなどを紹介した。主催は株式会社寺院デザイン。

 5回目となる葬式仏教価値向上委員会の研究会には全国から超宗派の約30人の僧侶らが参集した。酒井住職は東京・世田谷区の存明寺(真宗大谷派)で、8年前からグリーフケアの会を開き、大切な人を失った遺族たちに悲しみを癒やす場を提供してきた。

 自分だけがおいしいものを食べていいのだろうか――。遺族は自責の念にかられていると酒井住職は残された人の胸中を推し量る。どこかにいるのではと影を追い、自分のほうが悲しみが深いと人と比べて差をつけることもある。

「このような行動や思いを抱くのも人間の偽らざる姿。異常なのではなく、正常だと理解する」ような受容の気持ちが大事であり、「苦しみや悲しみを感じないようにするのではなく、その意味を見いだすことが何よりも大切」と説明する。

 現在のスタッフは9人。うち6人はグリーフケアの元参加者。「この会がなければ知り合えなかった。宝だと思っている」と酒井住職。お寺でのこうした催しは珍しく、一般には地域の公民館といったケースが多い。

 お寺での開催はうらやましいとの声が寄せられるという。葬儀を共にすることで信頼関係が生まれやすく、檀家同士のつながりもある。葬儀の簡素化に伴い、遺族の悲嘆を和らげていく仕組みが機能しにくくなっている中で、酒井住職の取り組みは人をつなぐコミュニティとしての役割を果たす事例となっている。

 さらに「グリーフケアの歩みは音楽と共にあった」と振り返り、ある曲を紹介。「思うようには生きて行けない 何度も何度も転びながら」。スピーカーから流れる歌手、新妻聖子さんの遺族の気持ちを代弁する歌詞に参加者は聞き入った。

2014/12/11 武蔵野大学が3学科の工学部設立 全9学部14学科に


 浄土真宗本願寺派の宗門校、武蔵野大学(寺崎修学長)は来年4月から工学部を開設する。その記者会見が4日、東京都江東区の有明キャンパスで行われた。今年4月の法学部・経済学部開設に続く新学部で、9学部14学科の総合大学になる。

 工学部は現在の環境学部を改組して設立される。環境システム学科(定員70人)、建築デザイン学科(70人)、数理工学科(60人)の3学科で、それぞれの教授が説明。環境システム学科の佐々木重邦教授は「持続可能な社会の構築を目指し環境のプロフェッショナルを育成する」と抱負を語り、養蜂など学生による主体的なプロジェクト、インターンシップにも力を入れるとした。数理工学科の薩摩順吉教授は数理工学を「第3次産業革命に不可欠」と述べ、世界の数理工学研究の一大拠点を目指すと目標を立てた。

 建築デザイン学科の風袋宏幸教授は環境と調和する建築が重要だと強調。一級建築士受験にも力を入れると語った。

 このほか、小西啓史教務部長が来年度から4学期制を導入することを発表。現行は16週ずつの2学期制だがこれを8週間ずつの4学期制にする。来年度は主に有明キャンパスの学科で、再来年からは武蔵野キャンパスを含め全学で導入。「第2学期(6・7月)に必修科目を配置しないことで欧米の大学のサマープログラムに参加しやすくなる」「海外からの留学生の受け入れが容易になる」など、国際化的な観点でのメリットを説いた。

2014/12/11 高野山大学河内長野市新キャンパス 計画延期、全面見直しへ


市側の説明を厳しい表情で聞く理事・評議員ら(前列) 学生増加を緊急課題に掲げて経営改革を進めている高野山真言宗の宗門校・高野山大学(藤田光寛学長・和歌山県高野町)が、平成28年4月に同大初となる高野山外の新キャンパス(4年制の教育学部)を大阪府河内長野市に開設する計画。学校法人高野山学園(理事長=添田隆昭宗務総長)は3日の理事会・評議員会で年内に締結予定だった河内長野市との基本協定を結ばず、「新学部開設時期を1年間先延ばしして専門家も交えた検討委員会を設置する」ことを決めた。事実上の白紙撤回とみられる。新キャンパス構想は振り出しに戻った。

 同大での理評義会には冒頭、河内長野市の中谷眞久副市長をはじめ担当部局の責任者ら7人が出席。大学誘致への強い思いを表明し、学園側との質疑応答に臨んだ。

 市側が出した条件はまだ市議会の承認を得ていないため、全体として消極的な内容にとどまった。市が大学の校舎として提供する廃校となった市立南花台西小学校の建物(築24年)は「譲渡」としたものの、土地は原則「有償で貸与」。新学部の1学年の定員は100人だが、市側が学生募集で積極的に協力することは難しく、最も重要な卒業後の就職先の確保でも市側の確約は得られなかった。

 しかし市側が起草した基本協定書案には、学園は「20年間(小学校跡地で教育学部を)運営する」ことを明記。新学部を黒字にするには1学年70人弱の学生確保が絶対条件だが、「今の大学に(70人近い)学生を獲得する具体策は全くない」(学園側の出席者)。昨年廃校の小学校舎の老朽化も目立つ。若者の心を捉える大学施設に改修するには巨額の設備投資が必要だが、市側の財政援助は得られない。「大学にとって魅力的な提案はない」(同)

 しかし、高野山上のキャンパスは文学部密教学科(入学定員30人)と、来年度から新設される人間学科(同20人)のみ。一般家庭からの学生獲得の切り札だった人間学科も、「(12月3日時点で応募者)2人」。来年度も入学定員の半数を満たすのは、極めて難しい状況だ。「高野山キャンパスだけで学生増加は図れない。現状のまま座視していてはいけない」(理事の一人)という意見にも切実さがにじむ。

2014/12/11 回想2014 深い悲しみに寄り添えたか(田原由紀雄)


仏教タイムスでは1月に「九州・宇久島レポート」(3回)を掲載し、過疎地寺院の現状を報告した。島の中腹にお寺が見える 京都国立博物館で先ごろ開かれた特別展「国宝鳥獣戯画と高山寺」は約20万人という記録的な入場者を集めた。一般情報誌では仏像鑑賞や寺院巡りの特集が頻繁に組まれ、カルチャーセンターや仏教系の大学などが開く仏教や仏教文化の講座は盛況だ。日本人の心を根底で支えてきた仏教・仏教文化への関心の高まりは今や世代を超えて大きな潮流となっている。

 にもかかわらず、日本仏教を担っているはずの仏教教団に共感を寄せる人々は増えるどころか減る一方である。近ごろ流行る僧侶抜きの「直葬」は、経済優先で心の問題をなおざりにしてきた戦後日本人の心の貧しさの行き着く果てであると共に僧侶不信、教団仏教不信の表れとみることができよう。直葬では満たされない人々の心の間隙を埋めるのは、終活や散骨、樹木葬、手元供養など。

金銭的問題も

 その背後には、「葬送はなるべく手軽に安上がりにすませたい」と考える人々の無知につけこむ商魂が見え隠れする。こうした構図がいよいよ鮮明になった一年であった。

 教団不信に拍車をかけているのは金銭的な問題だ。曹洞宗の元関係校・旧多々良学園(山口県防府市)の経営破綻をめぐる損害賠償請求訴訟の控訴審(広島高裁)で曹洞宗と地元金融機関5行が6月、和解した。和解金は10億円にのぼる。

 他方、高野山真言宗屈指の大寺院、別格本山八事山興正寺(名古屋市)を舞台とする係争は、宗派から離脱する意思を表明している元住職側と宗派派遣の特任住職がその地位を裁判で争う異常事態へとエスカレートした。元住職が同寺所有の土地を宗派の承認なしに138億円で売却したとされる問題が発端。10億といい100億超といい、市民感覚からすると途方もない金額だ。真相が解明され、責任が問われないようではいずれ教団は檀信徒からも世間からも見放されるに違いない。

 この二つのケースは氷山の一角で、これまでも同様の問題が表面化してきた。宗教法人という公の存在でありながら、在家者の理解を超えた複雑かつ不透明な会計処理がまかり通っているところに問題の深刻さがある。

 さて西本願寺(浄土真宗本願寺派)では6月、法統継承式が行われ、37年間門主の座にあった大谷光真第24代門主から36歳の長男大谷光淳第25代門主へと法統が引き継がれた。東本願寺(真宗大谷派)は4月、大谷暢顕門首の後継者に暢顕門首のいとこで、同派開教司教・鍵役の大谷暢裕氏を選定した。ともに9年後の2023年に控えた宗祖親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年を視野に収めた決断だ。

 西本願寺の父から長男への門主交代は既定の路線だが、ブラジル在住、ブラジル国籍の暢裕氏が門首後継者に選定されるまでの複雑な経緯には“東本願寺三十年紛争”が影を落としている。真宗大谷派が、暢顕門首の兄暢順氏が率いる本願寺維持財団(本願寺文化興隆財団)に土地売却代金200億円の返還などを求めた訴訟、同派が国を相手取り、本願寺維持財団の一般財団法人への移行認可を取り消すよう求めた訴訟も決着がつくまでには時間がかかる見通しだ。紛争の“負の遺産”をどのような形で精算できるのか。所期の成果をあげていない同朋会運動をどう立て直して開かれた教団づくりを進めていくのか。

寺院衰亡の危機

 西本願寺は2011年に60年ぶりの宗法改正を行ったばかり。新宗法のもとで、従来より強い実権を掌中に収めた光淳門主が懸案の首都圏開教などにどのようなリーダーシップを発揮するのか。宗祖親鸞聖人750回御遠忌法要を終えた東西両本願寺はともに大きな岐路に立っている。

 今も昔も自然災害とともにある日本。57人もの犠牲者を出した御嶽山噴火をはじめ長野県北部地震、台風16号による広島の土砂災害、阿蘇山の活発化など深刻な自然災害のニュースが相次いだ。ある僧侶によると、東日本大震災の時、同居していた40歳の息子を津波で失った70過ぎの男性は被災後半年近く経っても、突然、いなくなった息子を死者として受け止められず、起こったことの意味がわからないまま、目を真っ赤に泣きはらしながら「悲しくない」と話したという。

 今年も、肉親や親しい友人を襲った突然の死に悲しめないほどの深い悲しみと苦しみを味わった多くの人々がいた。土砂災害で家屋を失い、降灰で農業被害に泣く人々がいた。そういう人々に仏教者はどう寄り添っていけるのか、改めて厳しい問いを突きつけられた一年でもあった。

 本紙3月6日号は浄土宗総合研究所が開いた公開シンポジウム「これまでの20年、これからの20年―過疎地域寺院の現状と浄土宗寺院の将来―」の記事で浄土宗の過疎地域寺院の4割が年収300万円以下であることを伝えた。浄土宗のみならず、他宗でも過疎地域寺院の窮状はいよいよ深刻化しており、多くの寺々が衰亡の危機に瀕している。将来に向けて今、何をなすべきなのか、日本社会の動向もにらみながら、一日も早くグランドデザインを打ち出すべき時期にきている。
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たはら・ゆきお/1946年生まれ。70年毎日新聞社入社。奈良・京都両支局と大阪本社学芸部で宗教・美術を担当。05年4月から12年3月まで専門編集委員。著書に『東本願寺30年紛争』(白馬社)、共著に『訓覇信雄論集』(法藏館)、『蓮如を歩く』(毎日新聞社)など。

2015/1/1 日光輪王寺 新門跡に小暮道樹氏が就任


 栃木県の天台宗日光山輪王寺は菅原栄光門跡の任期満了に伴う一山会議の結果、12月21日に後任として小暮道樹・一山櫻本院住職(64)が新門跡に就任した。任期は5年。

 小暮新門跡は「浅学非才の上、若輩ではありますが唯々、その責務の重大さに身の引き締まる思い」と抱負を語り、世界遺産である日光の寺社を守り抜く決意を表明。「堂社を維持していく上で国庫補助と共に修理保護の原資となる共通拝観券は重要な役割を担っています。一枚のチケットで二社(日光東照宮・二荒山神社)一寺を巡れる券として多くの人々から喜ばれて参りました。停止されている共通拝観券の1日でも早い再発行が待たれています」と、解決に道筋をつける意向を示した。

 小暮新門跡は大正大学修士課程修了、権大僧正。1980年から櫻本院住職。駒込学園理事、大正大学評議員、天台宗宗議会議員・議長、輪王寺執事長などを歴任した。