2012年

2012/01/01 2012年新年号のご紹介

仏教タイムス2012年新年号


・東日本大震災被災3県レポート 宮城・岩手・福島9カ寺
・原発放射能問題を聞く 山口幸夫原子力資料情報室共同代表
・年頭所感
・6月に第4回GNRCフォーラム
・読書案内
・高野山フィレンツェ公演
・宗教法人税制の行方を読む 上田二郎氏、広橋隆氏
・ニュース
全仏婦チャリティコンサート/浄土宗豊岡内局が発足/SVAが30周年に/全日仏が国際交流報告会/本願寺派臨宗、宗派・本山の組織提示…等

2012/01/01 新春エッセイ 「抜苦与楽普皆平等」を現代に

新春エッセイ 「抜苦与楽普皆平等」を現代に
山田俊和/天台宗中尊寺貫首




新春を迎え、世界の平和と人類の幸福を祈念いたします。ことに東日本大震災物故者證大菩提、被災者安穏、被災地復興を願い、併せて平泉の文化遺産が世界文化遺産に登録されたことにつき御礼申し上げます。


昨年3月の東日本大震災は、想定外の大津波、火災を引き起こし、福島第一原発事故は、収束の見通しが立たない未曾有の大災害です。自然の恵みは万物を育み、繁栄をもたらしますが、同時に度々災害を起こし、人々の生活を脅かします。有史以来、人類は幾度も天災を乗り越えて来ました。人は畏敬の念をもって、太陽、大地等自然を神仏と崇め、穏やかに暮らせるよう加護を願って参りました。今回得た天災、人災の教訓を生かさなければなりません。


この度の大震災で、町々は破壊され、2万人もの尊命が失われ、多くの人が被災し、財産を失いました。かけがえのない人を失った苦しみや悲しみの中で、被災者の方々は、不自由な避難生活を余儀なくされたのです。その生活を支えたのは、日本人が培ってきた、神仏を敬い、互いに尊敬、協力、感謝しあう心であり、「忘己利他」の精神です。その姿は、世界中の人々に賞賛され、共感され、復興に向かっての力を生み出したと思います。


大震災復興最中の6月に、平泉の世界文化遺産登録の報に接しました。「大震災復興のともしび」と明るい喜びになりました。登録は「平泉―仏国土(浄土)を表す建築、庭園及び考古学的遺跡群―」として、中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山の5資産をもってなされました。


平泉の世界文化遺産は、藤原清衡公の中尊寺創建に始まる、奥州藤原三代の浄仏国土建設そのものです。清衡公は、「中尊寺建立供養願文」に、「抜苦与楽普皆平等……」と述べ、武器を捨て、戦争を放棄し、中尊寺を創建して、仏教によって奥州を浄土とし、この地に平和と幸福を得ようとしたのです。


清衡公が学んだことは、仏教の説く「一切衆生悉有仏性」という絶対平等の教え、「大慈大悲」という釈尊のお悟りの心であり、伝教大師の法華経観や鎮護国家の教えです。その仏道を求める心は、「人は自然の恵みを受け、他人の協力を得て、生かされて生きている。人が生きるためには、誰もが仏に成るという尊い性質を持っていることを認めあい、尊敬、協力しあい、宥(ゆる)しあって生きなければならない」という境地にいたったのです。


この仏教精神が、平泉の世界文化遺産の源であり、大震災復興の根本になければならないものです。混迷する世界が求める平和、幸福社会建設の原点もそこにあります。


中尊寺では、大震災復興祈願、世界文化遺産登録記念として、秘仏「一字金輪仏頂尊」ご開帳(7月17日~11月11日)を執行いたします。
また本堂に、本尊丈六釈迦如来像を、11月末に造立いたします。




やまだ・しゅんわ/昭和18年(1943)東京生まれ。大正大学仏教学部天台学科卒。東京・最勝寺(目黄不動)住職のかたわら、宗議会議員、天台宗総務部長等を歴任。現在、大正大学監事、天台宗海外事業団理事長、日中友好宗教者懇話会理事長。平成18年、天台宗東北大本山中尊寺貫首に就任。

2012/01/01 真言宗豊山派 正副議長に櫛田、加藤両氏

改選後、初招集となる真言宗豊山派(川田聖戍宗務総長)の第129次宗会特別会が12月16日、東京・文京区大塚の宗務所で開かれた。議長・副議長が選出され、議長に前副議長の櫛田良豊氏、副議長に加藤章雄氏が就任した。


櫛田議長は就任挨拶で、「宗派発展、本山護持のために全力を尽くす」と述べ、「山積する課題に議員諸公の協力と理解を得て、当局・本山当局に全力をもって協力する」決意を表明した。加藤副議長も「皆様方と共に英知を出し合い、議論を重ね、和をもって本議会がスムースに進行できるよう」職務にあたっていくと話した。


川田総長は「現内局の任期もあと約半年。任期満了まで懸案事項も含め、議員各位と共に宗派発展並びに本山興隆のため、内局の果たすべき役割を遂行してまいりたい」と語り、新議会に協力を要請した。


総務・教務両常任委員会委員も指名され、総務常任委員長に清水健譽議員(東京・三念寺)、教務常任委員長に青木教寛議員(群馬・実相寺)が選出された。その後、参事及び各委員会委員も決定した。


小野塚幾澄管長が訓示。「この度、宗派の輿望を担って選出された議員各位には、愛宗護法の精神のもと、本宗派発展並びに総本山長谷寺興隆のために、奮励努力されるよう切に希望する」と激励した。


【櫛田議長略歴】昭和21年10月10日生まれ。千葉県松戸市・大勝院住職。前宗会副議長。宗内では宗会議員、支所副長、制度調査会・出版委員会・支所整備推進委員会の各委員、本山特派布教師。宗外では学校法人大勝院学園理事長、幼稚園長、全国私立幼稚園連盟常任理事、千葉県私立幼稚園振興会長、ライオンズクラブ会長など。
【加藤副議長略歴】昭和17年4月21日生まれ。東京都あきる野市・大悲願寺住職。宗内では制度調査会委員、宗会議員、支所教区長・副長・支所長、総合企画審議会委員。宗外では秋川仏教会会長、西多摩保育園連合会会長、あきる野市教育委員長、社会福祉法人秋渓舎理事長など。

2012/01/01 SVAが30周年イベント 図書館活動 国境を越えて

設立30周年を迎えたシャンティ国際ボランティア会(=SVA・若林恭英会長)は12月10日、東京・港区の東京グランドホテルで記念イベントを開催した。会員ら200人が集まり、「絵本」が結んだこれまでの歩みを振り返った。


1980年、前身の曹洞宗ボランティア会がカンボジア難民キャンプで支援活動を開始。絵本を届ける運動は、難民キャンプで子どもたちが虐殺場面を絵に描く姿に心を痛める母親たちが要望。SVA創設者の有馬実成師は「人間としての感動を取り戻す原点になる」とし、図書館活動はSVAの代名詞となった。


「カンボジア難民キャンプから東日本大震災へ 30年の歩み」をテーマにしたパネルディスカッションでは、NHK解説委員の道傳愛子氏が「本を通して子どもの未来にむけて変化を促すような企画をつくり、途上国の開発の原点をみるような気がした」と評価。


全日本日本語りネットワークの佐藤凉子理事長は「子どもたちは優れた物語と出会い、これからの自分の物語を紡ぐ力と知識を得る。図書館は人間らしく成長するための子ども時代を守り育てる場所」として、難民キャンプなどの過酷な環境下で行われてきた図書館活動の重要性を強調した。


SVA事務局長の関尚士氏は「絵本による感動体験を通して、信念や価値観、生きる喜びや自尊心、思いやりが育まれる」と述懐。また国際協力の現場で「絵本」によって言葉の壁を越え「心を寄せる」ことができたとした。東日本大震災では気仙沼を拠点に支援を継続。これまでの活動で培った「寄り添う姿勢」を基本に、「図書館活動を通して生きる力や希望を届けたい」と語った。


次いで、宮城県気仙沼市から菊地敏男さん(本吉町前浜地区振興会会長)、福島県南相馬市から西道典さん(男山八幡神社宮司)をゲストスピーカーに迎え、被災地からのメッセージを共有。菊地さんは「これは夢じゃないかと、ほっぺをつねった」と震災当日を回想。仮設住宅への引っ越しを終えた現在はコミュニティセンターの建設に向け活動中だという。「被災者はそれぞれ被災の状況によって受け止め方が違う。ぎくしゃくしたものを抱えながらの復興になる」と課題もあげた。


西さんは放射能汚染に思い悩む現状を報告。子どもたちを放射能から守るために生まれたプロジェクト「南相馬こどものつばさ」では、長期休暇を利用して北海道や沖縄での臨海・林間学校を企画。11月には復興祭を開くなど、現地に残ると決めたなかで「何ができるのか」を試行錯誤する日々を語った。「子供たちが不憫な状況。風評被害もある。40歳以上の人は福島産のものを食べて応援してほしい」と呼びかけた。

2012/01/12 明治学院で「震災と宗教」シンポ 皇室の祈りめぐり議論白熱

明治学院大学国際学部付属研究所(横浜市戸塚区)は7日、公開シンポジウム「震災と宗教」を開催した。パネリストは同大名誉教授の阿満利麿氏、同大准教授のアレキサンダー・ヴィーシィ氏、東京大学大学院教授の島薗進氏、東京外国語大学教授の西谷修氏の4人。司会は研究所長の原武史氏が務めた。


前半は宗教者の果たすべき役割がテーマ。島薗氏は宗教団体が東日本大震災でどのように支援活動をしていたかを総合的に解説。原発問題に対しても「全日本仏教会の『原発によらない生き方』を求める声明は大きな意義があったのではないか」と評価した。


ヴィーシィ氏は「江戸時代、村に問題があった時に解決役になったのはお寺。そういう意味で宗教者が何をするかは大変重要な課題です」と期待を寄せた。


阿満氏は「良寛さんの『災難にあう時節は災難にあうがよく候』という言葉は誤解されている」と指摘。前後の文脈を読めば、災難から逃げずに真正面から向き合うことを自分に言い聞かせる言葉なのだと説いた。その上で「宗教は『行』なしではありえない。行がなければ哲学でしかなく、慰めに過ぎないのです」と宗教者の奮起を促した。


西谷氏は「自分が死ぬだけなら命など惜しくありません。しかし身近な人が死ぬと耐えられない。必ず他の人が周りにいるんです。震災の体験を通して、人間の死と宗教について深く考えたい」と述べた。


後半の話題は、被災地や被災者の元を天皇・皇后両陛下が慰問に訪れたことから始まった。


原氏は、年がら年中宮中祭祀で「祈り」を捧げている皇室が、被災地に行って熱狂的に受け入れられている事実を「既成宗教が天皇の宗教力に太刀打ちできていないのではないか」と分析。一方、西谷氏は「天皇や皇后の行動に過剰な意味を付与するのは原さんの趣味ではないか。皇室の宗教的機能は幻想にすぎない」ときり返し、議論は白熱。そのあまり阿満氏が「この会場に来た人は別に天皇制論議を聞きに来たわけじゃないでしょう」とたしなめるシーンもあり、パネリストも思わず苦笑い。原氏は「拡散しがちな話題ですが、天皇制と災害の問題は無視していいわけではないと思います」とまとめた。


終了後、帰路に就く同大の男子学生に聴講の感想を聞くと「震災と宗教というから、お坊さんとかキリスト教の教会がどんな支援をしたとかそういう話かと思っていたら、天皇制の話だったので驚いた。着眼点が面白かった」と話した。

2012/01/12 知恩院 法然上人御影を遷座 国宝・御影堂の半解体修理で

浄土宗総本山知恩院(伊藤唯眞門跡)は昨年12月25日、国宝・御影堂の半解体修理が始まるのを前に、法然上人御影を集会堂に仮安置する遷座式を執り行った。式には大本山の法主6人も臨席、豊岡鐐尓宗務総長はじめ浄土宗内局も参列して厳修された。


遷座に先立ってはお身拭い式が行われ、2000人の参拝者が見守るなか、白いぶくすを付けた僧侶4人が須弥壇に上り厨子から壇正面に御影を降ろし、伊藤門跡と法主6人が順次白い布でほこりを拭った。


その後僧侶4人が輿に乗った像高64㌢の御影を担いで堂正面から出、縁側を渡って阿弥陀堂へ向かい、法要が勤められた後、集会堂へ進み厨子の蓮台の上に安置した。


伊藤門跡は垂示で御影堂修理に触れ「いつもの大殿(御影堂)の姿が工事のための構築物が被ってちょっと乱れる風景になりますが、元祖様はこうして一歩下がった奥の所にちゃんとお出ましですから、お回り下さっていつものようにお参り下さい」と変わらぬ参拝を呼び掛けた。


御影堂修理は知恩院の法然上人800年大遠忌特別記念事業の一つ。新年1月に着工し、国の補助を受けて平成30年末まで約8年かけて工事を行う予定。半解体を伴う大規模な修理は370年前、徳川3代将軍・家光によって再建されて以来初めてとなる。


写真=御影堂から集会堂へ輿に乗って運ばれる法然上人御影

2012/01/12 展望2012 超宗派『心の相談室』 被災地で心のケア実践中(鈴木岩弓)

わが国におき、災害によってトラウマを受けた人への心理的社会的支援、即ち「心のケア」の意義が市民権を得るようになったのは、阪神・淡路大震災が契機とされる。以後、大規模自然災害の被災地には、心のケア支援組織が入るのが常となり、東日本大震災後の被災地でも、多くの組織がケア活動に従事している。宮城県に誕生した「心の相談室」も、同じく被災者の心のケアに関わる組織である。とはいえこの組織は、仏教・キリスト教・神道・諸教などの宗教者が超宗派的に協力している点に、他の組織にはない特徴がある。


「心の相談室」の萌芽は、震災間もなくの三月半ばより、自発的に仙台市の葛岡斎場に待機していた宗教者達の「心の相談室」に始まる。彼らはその後の一月余り、身元不明のご遺体の最後のお別れに立ち会うと共に、遺族の求めに応じて弔いの儀礼を無償で行い、必要があれば医師やカウンセラーの紹介も行っていた。しかしここでの活動が許可されたのは四月末までであったため、その発展的展開として生まれたのが、新生「心の相談室」である。その目的は「震災犠牲者の弔い」と「残された人々のグリーフ・ケア」とに特化され、遺族に対する包括的な支援を目指していた。即ち宗教者だからこそできるスピリチュアルな側面からの心のケアにその活動の中心をおき、個別宗教の枠を越えた超宗教・超宗派的組織においてその実現が図られたのである。こうした宗教者達を束ねた「心の相談室」の代表は、在宅ホスピスの推進で著名な医師の岡部健(爽秋会理事長)が務め、事務局は宗教の中立性を担保する意味から東北大学の宗教学研究室におかれている。


「心の相談室」の具体的活動は、とりあえず(1)合同慰霊、(2)電話相談、(3)Café de Monk、(4)ラジオ放送、(5)講演に集約される。


(1)は毎月十一日、仙台市営葛岡墓園に安置されている身元不明の遺骨に対して宗教・宗派を越えた宗教者が集まり執行される。(2)は毎週水・日の二回、フリーダイヤルの電話を使った宗教者による傾聴の機会である。僧侶の喫茶店を意味する(3)は、実はローマ字風に「カフェで文句」と読む。これは移動喫茶で、宗教者たちが無料でコーヒーやケーキを提供し、その機会に対面的な傾聴を行っている。中には家の仏壇を拝んで欲しいという要望もあって、宗派を問わずに訪問して弔いを行っている。同じく「カフェ・デ・モンク」と名乗る(4)は、被災三県の地元FM放送で週一回流すラジオ番組で、玄侑宗久・日野原重明といった著名人等から被災地に寄せられたメッセージが届けられ、併せて移動喫茶の予定や電話相談の案内が放送される。当初三ヶ月の予定で始まったが、反響が大きく、新年からさらに三ヶ月延長されることになった。最後の(5)は、五月七日の設立記念講演会「祈りの心-東日本大震災に宗教はどう向きあうか-」の開催を嚆矢に、年末には柏木哲夫氏、三月には柳田邦男氏の講演が予定されており、被災地の人々に気持ちの転換をもたらす機会を提供している。


こうした活動を通して、被災地における人々の悲嘆に向きあうことは、実は宗教者の誰もが得意なわけではない。そこで「心の相談室」では、外国でチャプレン教育を受けてきた人などを招請しての講習会を、宗教者対象に開催している。またかかる流れをさらに大きく展開して、他者の悲嘆に対峙できる専門職の養成講座を仙台市内の大学に設置しようという動きも歩み出している。その際の悩みは職名で、チャプレン、ビハーラ僧といった特定宗教色の強い用語は避けるべく、「臨床宗教師」の言葉を考えている。


養成される「臨床宗教師」には、日本の伝統文化、とりわけ伝統的な宗教文化を踏まえた上で、各自の宗教を越えたところでの活躍が期待されている。つまり大きな悲嘆にさらされている人々に対して取りなすバックグラウンドを、地域の伝統的な宗教的背景におき、そうした宗教性の中に生まれ暮らしてきた被災者に心の救いをもたらして行こうというわけである。


以上のような「心の相談室」のケア活動に底流するのは、一瞬にして親しい人を失ったり自己の死を見つめさせられた人々に対して、充分な救済の光を提示できるのは、あの世のメッセンジャーとしての宗教者をおいてはあり得ないと言う理解がある。


すずき・いわゆみ/昭和26年(1951)生まれ。東北大学教授(宗教民俗学)。震災被災者の支援のための超宗派的な宗教者組織「心の相談室」の事務局長。


(写真=南三陸町での「Cafe de Monk」。僧侶、牧師が傾聴を行っている/昨年6月)

2012/01/19 第1回「宗教文化士」試験 91人中58人が合格

宗教文化教育推進センター(CERC/土屋博センター長)が宗教の歴史と現状への理解を深めた人に対して与える「宗教文化士」の第1回認定試験が昨年11月13日に行われ、応募者92人(受験者91人)中58人が合格した(合格率63%)。受験者は大学生が中心だが、教員や海外からの留学生も含まれていた。


CERCは「日本宗教学会」と「『宗教と社会』学会」が連携して運営。宗教文化士制度は、日本や世界の宗教文化の基礎的知識や理解力を養うことを目的とする。資格を活かせる職業として、ツアーコンダクターなどの旅行関係や学校教員などの教育関係、国家・地方公務員など公的機関などを挙げている。


試験は記号選択式問題50問と論述式1問。HP上(http://www.cerc.jp/)で問題と解答を公開している。その内容は、日本の神道や仏教、新宗教はもちろん、キリスト教やイスラームをはじめ、世界の諸宗教に関するものまで幅広く、宗教学、宗教社会学に関する出題もある。


今後も進展するであろうグローバル化を踏まえ、宗教の基礎的素養や宗教文化の理解を深めることの重要性を印象づける内容とも言えそうだ。事務局長の井上順孝氏(国学院大学教授)は、「論述形式の問題の解答もよく書かれていて、しっかりと勉強をしてきていた」と手応えを話した。


第一回試験は6月に行われる予定だったが、震災の影響を考慮して延期。11月に国学院大学、北海道大学、東北大学、関西学院大学、天理大学、皇学館大学で実施された。資格の有効期間は5年間で、更新時の研修等が検討されている。次回試験は6月24日を予定。

2012/01/19 新春の俎開き 庖丁儀式に拍手喝采

東京・東上野の真宗大谷派坂東報恩寺(禿信敬代務住職)で12日「俎板開き」が行われた。同寺は親鸞聖人二十四輩筆頭の性信御房が開基した名刹。この俎板開きは、性信御房が老翁に身を変えた天神に念仏の教えを授けたことで、感謝した天神が「報恩に鯉を贈るべし」と天神社の神主に夢のお告げを与えたことにちなむ。新春の恒例行事となり、780年前から伝わる貴重なもの。


本堂に大きな鯉が運ばれ、読経の後に平安時代から伝わる「四條流庖丁儀式」が始まった。衣冠束帯の庖丁人が刃渡り一尺一寸(約33センチ)の庖丁と、真魚箸という長い箸を使って、鯉に一切触れずに鮮やかに流れるような動作で捌いていく様は圧巻。堂内に集った大勢の老若男女は真剣に見入っていた。2回にわたる儀式で、最初の式題は「三刀之鯉」(庖丁人・多々見柏胤氏)、2回目は「真之龍門」(庖丁人・清水柏仁氏)が披露された。


式は午前11時過ぎには終わり、昼には参拝客にこの捌かれた鯉を使った鯉こくなどの料理がふるまわれた。


(写真=まさに鯉を捌かんとする庖丁人)

2012/01/19 親鸞聖人750回大遠忌が円成 門主、消息を発布

浄土真宗本願寺派(橘正信総長)の親鸞聖人750回大遠忌法要御正当は16日午前、京都市下京区の本山御影堂で大谷光真門主導師のもと日中法要(御満座)が厳修され、すべての法要を終えた。昨年4月9日に始まり65日間115座にわたった大遠忌法要もこれで円成。期間中の総参拝者数はのべ140万人に上った。大谷門主は法要後、今後の宗門の方向性を示す「親鸞聖人750回大遠忌法要御満座を機縁として『新たな始まり』を期する消息」を発布し、「新しい体制のもとで(略)お念仏を喜び心豊かに生きることのできる社会を目指しましょう」と呼び掛けた。


16日発布された消息の全文は次の通り。


「親鸞聖人750回大遠忌法要御満座を機縁として『新たな始まり』を期する消息」


《昨年の4月9日よりお勤めしてまいりました親鸞聖人750回大遠忌法要は、本日ご満座をお迎えいたしました。各地から多くの方々にご参拝いただき、65日間115座にわたるご法要を厳粛にお勤めすることができましたのは、仏祖のご加護と宗祖のご遺徳のおかげであり、御同朋御同行の方々の報恩謝徳のご懇念のたまものと、まことに有り難く存じます。


顧みますと、ご法要の始まる直前の3月11日、東日本大震災がおこりました。その後も各地で地震、豪雨など災害が続き、大変な一年となりました。被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。法要参拝を楽しみに待ちながら、災害やさまざまの理由で参拝できなくなった方々のことを、忘れることができません。


地球の歴史を考えます時、自然現象としての地震や豪雨は、数限りなくあったことでしょう。しかし、それが深刻な災害となるのは、人間のあり方、社会のあり方によります。特に、今回の原子力発電所の事故は、自然の調和を破り、後の世代に大きな犠牲や負担を強いることになりました。これは肥大した人間の欲望のもたらしたところであります。


聖人は、凡夫には清らかな心も真実の心も存在しないとお示しになりました。それは、阿弥陀如来の光に照らされて明らかになる私の姿です。凡夫の身でなすことは不十分不完全であると自覚しつつ、それでも「世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ」と、精一杯努力させていただきましょう。阿弥陀如来はいつでも、どこでも、照らし、よびつづけ、包んでいてくださいます。


本願念仏のご法義は、時代が変わり、社会が変わっても、変わることはありません。しかし、そのご法義が活きてはたらく場である現実の社会は、地域によって異なり、時とともに変わります。ご法義を伝え、広めるための宗門の組織も、社会の変化に応じて変わる必要があります。歴史を顧みて、受け継ぐべき伝統を確かめ、創造的な活動を育てていかなければなりません。本年4月1日から、宗門の体制が改められますのも、時代に即応する営みの一つであると言えましょう。新しい体制のもとで、一人ひとりが抱える課題を大切にし、お念仏を喜び心豊かに生きることのできる社会を目指しましょう。このたびの大遠忌法要が、新たな歩みを進める機縁となりますよう念願いたします。


平成24年/2012年 1月16日
龍谷門主 釋即如》


(写真=消息を読み上げる大谷光真門主。後ろ姿は橘総長㊨と桑羽隆慈宗会議長。16日 御影堂)

2012/01/26 原発事故から被曝労働まで 人間の絆分断に警鐘鳴らす

超宗派の有志が参画する「原子力行政を問い直す宗教者の会」は17日、東京・文京シビックセンターで公開学習会「宗教者として取り組む原子力問題」を開催した。メイン講師の長田浩昭共同代表(兵庫県篠山市・真宗大谷派法伝寺住職)がお通夜のため急きょ不参加となったが、それでも会場は満席の60人を超え、作家や哲学者、ジャーナリストも聴講に訪れるなど関心の高さをみせた。


大河内秀人共同代表(東京都文京区・浄土宗見樹院住職)が挨拶。「福島の人が完全に地元を離れることは難しい」という現実に鑑み、昨夏、北海道に子どもたちを一時疎開させて汚染を軽減させた試みを報告した。


続いて長田氏のビデオレターが放映された。「原発は人と人との絆を切り刻んでいく」とし、約45万人(累積)の被曝労働者も宗教者として救わねばならないと説いた。


また、石川県珠洲市での原発反対運動の際に、電力会社が「原発内の作業は珠洲市民以外の人にやらせます」と言ったことに「お前らそれでも人間か!」と衝撃を受けたという。「自分たちは原発の被害者だと考えていたが(被曝労働者を生み出す)加害者でもあった」と語った。


内藤新吾共同代表(千葉県松戸市・日本福音ルーテル稔台教会牧師)は静岡・浜岡原発の危険告発に長年取り組んできた活動を報告。原発交付金の中毒性や、被曝労働者の記録そのものが抹消される危うさなどを次々に批判。さらに「もんじゅ(高速増殖炉)は異常の極み。なぜ、やめるという決断ができなかったか。そこには核兵器製造のためにプルトニウムを欲しがる英米との軍事同盟の関係があったからではないか」と指弾した。


一方、福島県南相馬市にある曹洞宗同慶寺の田中徳雲住職は、被災地の立場から発表。原発事故直後の電源喪失を耳にして即座に家族全員で福井まで避難したという。しかし、放射能の危険性を理解しつつも、檀家の求めに応じて帰坊を繰り返さなければならないことによる心の葛藤を率直に告白。「檀家さんは、『和尚さん、よく戻って来てくれたねえ』と迎えてお茶を出してくれる。そのお茶も汚染された水で淹れられているはず。でも、そこで飲まなかったら住職じゃないですよ」と吐露した。


福井県敦賀市の岡山巧共同代表(真宗大谷派西誓寺住職)も被曝労働や人との絆が分断されることを危惧。「人間はどんどん進歩していくという誤解がある。『私』がいかに真実でなかったかを気付かせるのが仏教ではないか」と述べた。


質疑応答の際には、会場にいたNPO法人TEAM二本松の畠山浄氏(石川県七尾真宗大谷派常福寺副住職市)が発言し、粉ミルクからセシウムを検出した取り組みなどを説明。「私たち一人一人が少しでも除染をしていく、出来ることをやっていくことが大切です」と訴えた。

2012/01/26 新理事長に中井真孝氏 佛教教育学園

佛教大学や華頂短期大学などを運営する学校法人佛教教育学園(浄土宗教育資団から09年4月に名称変更)は19日、理事会を開き、水谷幸正前理事長の辞任で空席となっていた理事長に理事の一人で佛大歴史学部教授の中井真孝氏(68)を全会一致で選任した。中井氏は同日就任。任期は前任者の残任期間で今年10月31日まで。


中井氏は1943年(昭和18)5月生まれ。京都府立大学卒、大阪大学大学院博士課程満期退学。佛大専任講師、助教授を経て85年教授に就任。専門は古代仏教史・日本史。99年から05年まで同学長、05年から09年まで華頂女子中学高等学校長を務めた。浄土宗長香寺(京都市下京区)住職。伊藤唯眞浄土門主・知恩院門跡は実兄。


法人理事長については理事の一人だった浄土宗の里見法雄前宗務総長が教育資団時代の慣例から宗務総長の就任を求めていたが、昨年11月、里見前総長に代わって豊岡鐐尓総長が就任。理事会は今回も総長を選ぶことなく全会一致で中井理事長を選んだ。昨年10月31日の水谷前理事長辞任後は中野正明副理事長(京都華頂大学長)が代行を務めていた。

2012/01/26 展望2012 21世紀の「小僧伝」構想中(マーク・ロウ)

数年前、ある有名な日本の宗教学者に笑われた。「ええっ! 日本仏教の現状を研究しているのか? そんなもんあるのか?」 多分冗談半分で言ったのだろうが、間違いなく本人はびっくりしていた。「葬式仏教」「寺離れ」「坊主丸儲け」などの一般人が持っているネガティブなイメージを、学者ですらある程度は持っている。私は、この堕落説的な考えと15年以上戦って来た。


今までの私の研究は、新しい墓、つまり永代供養墓(檀家にならなくても入れる、跡継ぎが居なくても入れる墓)から見る寺の現状だった。高齢化、核家族化、過疎化、それぞれの流れで檀家制度が崩壊し、寺仏教はどうなるのか? 「ポスト檀家」仏教はどのような形になるのか? という問題を宗教人類学方法で考察してきた(昨年11月、シカゴ大学出版で英文の本「Bonds of the Dead」を出版した)。何故そのような研究が必要かと聞かれたら、今までの仏教学と宗教学の「分業」で既成仏教は見落とされたからである。つまり、仏教学者は経典、元祖、教義を中心に研究をし、宗教学者は、大体いわゆる「新宗教・新興宗教」に興味を持ち研究するが、どちらも明治以降の日本仏教を研究するものはいない。


勿論、様々な宗門研究所で宗勢調査をしたり、データ分析を行ったりする研究もあるが、それはまた社会学的なものであって、現場の実際をちゃんと把握できるものではないと思っている。大村英昭先生が書いた通り、「現場の立場から、『現場ある教学』を確立していくべき」(曹洞宗総合研究センター編『葬祭―現代的意義と課題』)ということになるだろう。


私の今の研究プロジェクトでは、その現場の声を聞こうとしている。 14ヶ月(今年の8月下旬まで)宗派を問わず全国150人以上の僧侶にインタビューしながら、お寺の実際、悩み、希望等を把握したいと思っている。寺生まれ・在家・尼僧・男僧・修行中・兼務中・副住職・住職・引退後等の僧侶の都市・地方・過疎地のお寺の現状や跡継ぎ問題等の話をまとめている。昔の偉い老僧ではなく現代の「普通」の僧侶をターゲットにして、21世紀の「小僧伝」を書きたいと思う。私は、「小僧伝」を決して悪い意味ではなく、今までの仏教学が有名な僧侶を中心に研究していたのに対して、現場の僧侶の実状の考察こそ重要ではないか? という前提から始めた。


これで上田紀行氏の『がんばれ仏教!』(2004)を思い浮かべる方も少なくないと思うが、『がんばれ仏教!』で出た僧侶は典型的ではなくごく一部の特別な僧侶である。全国を回って、お坊さんたちとその本について話をすると、「そこはね、偉いね。しかし、うちのお寺では無理だよ」と必ず言われる。大きな活躍どころか自分の寺の日常の仕事だけで精一杯である僧侶が大多数であるからこそ、小僧伝が必要だと再認識させられた。


日本仏教の現状を研究している宗教学者だと偉そうに思われるが、実際は、全国を回って夜遅くまでお坊さんたちと飲みながら話をするのが私の仕事である。酒と話好きの私には、間違いなく最高の仕事である。しかしよくお坊さんに言われるのは、「マークはいっぱいお坊さんと喋っているけど、マークが知っているお坊さんは、皆活躍したり面白いことしたりするお坊さんたちだから、まだ何も分かってない。うちの教団の坊主の7―8割はつまらなくて、何を信じているか分からん」である。


どんな宗派でも、同じようなことを言われる。正直にいうと、一番仏教界を悪くいうのは、僧侶である。しかし、そういわれると、具体的にどういう意味で悪い、どういうふうにつまらないかと私は聞きたい。やはり現場の実際を理解しようとするなら、いい意味でも悪い意味でも僧侶像を調査しなければならない。


だから、悪い僧侶像を調べるだけではなく、「自分の葬儀をお願いしたいほど、部分的だけではなく、全体として尊敬する僧侶と会ったことありますか」のような質問で、理想的な僧侶像も描こうとしている。


さて、ここでどんなテーマが出てきたかを短く紹介したいと思う。先ず、仏教学者が一番びっくりするのは、寺のアイデンティティーが宗派の違いより、地域性で違う事が大きいというところである。寺の状況(大きさ、施設、檀家・門徒の数など)は言うまでもなく影響が大きいが、地方の特徴、檀家・門徒が農産か漁業か、歴史の背景などを見落としたら、その寺の現状を把握しにくくなるような気がする。そのほか、世襲問題は一番影響が大きいのではないだろうか。跡継ぎが居るかどうかだけではなく、世襲というのは、全ての教団の育成、教育施設、修行道場のやり方・考え方に対してかなり大きく影響する。これを理解するため、勉強・修行中の僧侶、宗門大学で教えている先生方、同じ寺の二・三世代の僧侶をインタビューしている。


最後に、私の研究に興味をもたれ話をしてみたい、また意見を言いたい、文句を言いたい等ありましたら是非連絡して下さい。よろしくお願いします。


まーく・ろう/1968年生まれ。米国プリンストン大学修士課程を経て、京都大学大学院修士課程に進み、現代の葬式と仏教を研究テーマとする。現在はカナダのマックマスター大学宗教学科准教授。東京大学宗教学外国人特別研究員として来日中で、日本僧侶インタビューを続けている。熱烈な阪神タイガースのファン。

2012/02/02 WCRP日本委員会 組織再編新体制へ

世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会は1月27日、東京・杉並区の立正佼成会法輪閣で評議員会と理事議案説明会を開き、新年度の事業計画や予算等を審議した。現在、手続き中だが4月1日からの公益財団法人移行に見込みがつき、組織再編のうえで新たなスタートを切る。行動指針としてネットワーク化など4本柱を掲げた。新組織で上位に位置する評議員会の議長(会長)には現理事長の庭野日鑛氏(立正佼成会会長)、理事長には杉谷義純氏(天台宗円珠院住職)が内定している。

2012/02/02 安田松慶堂で職業体験 中学生2人が匠の〝技〟学ぶ

創業220年を迎えた仏壇・仏具の老舗安田松慶堂(本社・東京都銀座)は、1月24日から26日までの3日間、埼玉県三郷市の工場で中学生を対象にした「職業体験学習」を開いた。地元中学校の要請によるこのイベントも2007年、昨年に引き続き3回目。


今回も、三郷市立南中学校の2年生男子2人が「お札入れ」を制作。長谷川大将くんも小見和也くんも、体験学習に安田松慶堂を選んだ理由を「ものづくりや技術科が好きだから」と言う。朝9時に工場にやってきた2人は、指導をしてくれた秋山恵一さんに元気よく挨拶。この日の朝の気温は摂氏2度とかなり低かったが、寒さなんて何のそのとばかりに熱心に学ぼうとしていた。


初日の24日はまず、工場内を見学して道具の使い方や木材の種類を勉強。帯鋸、糸鋸などの様々な機材に興味津々。職人さんの動きもしっかり観察していた。また、ヒノキやスギなど木材の特徴にも耳を傾け、秋山さんが「クスノキって知ってるかな? となりのトトロ!」と言うと、得心したように頷いていた。


見学を一通り終えると、さっそく実技に。図面を引くところから始めるので、鉛筆をカッターで削るところからスタート。普段シャープペンシルを使っている二人も上手に削れた。サシガネなどを使って正確に測定し、図面を引いていく。そのまなざしは真剣そのものだった。その図面に基づき材料を切り出した。「ケガだけはとにかく気を付けて」と秋山さん。二人は細心の注意でノコギリを扱った。その日は午後3時で終了。


翌日は、朝9時から木箱作り。これは、やり直しがきかない最終日に行う工程のための練習を兼ねてのものだ。ノコギリや金槌の音とリズムが工場の中に響く。午後3時までの1日をかけて、無事に木箱は出来上がった。


最終日は、初日に切り出した材料を丁寧に組み立て、ヤスリなどを使って仕上げ。午後は近隣の香取浅間神社に参詣してお札をいただいた。それを完成したお札入れに奉納し、体験学習はすべておしまい。


「こういった機会を作ることで、子供たちが仏具や神具に親しんでくれれば嬉しい」と微笑む秋山さん。子供たちは、深い伝統に裏打ちされた匠の技術を学び、人間的にも成長したことだろう。

2012/02/02 BNNセミナー 高い被災地の高齢者率 復興支援に影響も

仏教NGOネットワーク(BNN、代表=西郊良光・天台宗宗機顧問)は1月26日、東京・新宿区の日蓮宗常圓寺で連続セミナー第2回「震災に立ち向かう仏教者たち」を開催。前回に続き仏教者の災害支援活動についての情報を共有したほか、川北秀人氏(人と組織と地球のための国際研究所代表)が人口動態から今後の日本社会や被災地での宗教者の役割について講義した。


国会議員の政策立案を補佐する国家資格、政策担当秘書の1期生でもある川北氏は、人口動態の推移から日本の未来と被災地の現状を分析。20年後には全国平均で高齢者(65歳以上)一人を生産人口(15歳から64歳)1.8人で支えなければならないという試算を紹介し、極度に高齢者率の高い少子多老社会に突入することを指摘した。


一般に地方における過疎化地域の高齢化率が問題とされるが、東京であっても多摩市などでは、20年後は全国平均を上回る高齢者率に達するとされ、「これまでの20年とこれからの20年は違う」「率だけ見れば、多摩市は既に秋田などと変わらない。地方に比べ、都市部では急速に高齢化が進むだろう」と分析した。


さらに阪神淡路大震災では被災地の高齢者率が15%以下であったのに対し、東日本大震災では24.5%であるデータを提示し、被災地の高齢者率が復興支援にも重要な影響があることを示唆。「復興のシナリオは高齢者率と被災規模で異なる」とし、東日本大震災の被災地は孤独死など仮設住宅入居後の孤立化リスクが高いことに危機感を示した。


被災地では高齢者の他にも、外国人やアレルギー患者、難病患者、被災孤児や遺児など支援の行き届きにくい被災者のニーズに対して、専門性を持つ支援者の中長期的な活動が必要であることも指摘。こうした被災地の多様なニーズの中での宗教者の役割については、「祈り」の活動の重要性や専門性を挙げた。


ただし、宗教的な支援は、「場所と場面に気を付けること」「行政の精神構造では一つ一つの団体が行うのを嫌がる。まとまって対応する方が良い」などの注意点も喚起。


その上で、米国では大型ハリケーン・カトリーナなどの大規模災害で、避難場所に祈りを捧げられる場所が設けられていることから、「日本の宗教者の役割が欧米と比べてどうなのか、もう少し立場を明らかにしてもいいはず。被災地支援ボランティアにおいて、ポジティブな役割として位置付けてもいいのではないか」と提案。祈りや地域に根差した祭祀などの活動に対して、被災者がどう評価しているかニーズを把握し、今後に活かすことや情報発信の必要性も提言した。

2012/02/09 包括法人は果断に対応を 妙心寺派に学ぶ不活動法人対策



全日本仏教会(全日仏)は7日、京都市左京区の浄土宗西山禅林寺派総本山禅林寺で今年度の「加盟団体顧問弁護士連絡会」を開催した。昨年に続いて「宗教法人法を考える」をテーマに被包括宗教法人の合併を中心に意見交換。加盟団体の顧問弁護士や宗務庁職員など約50名が参加した。


最初に臨済宗妙心寺派の松井宗益宗務総長が問題提起。不活動宗教法人が問題なのは、反社会的な勢力に脱税などで悪用される危険性が極めて高いからだとし、妙心寺派(3364カ寺)は近年の取り組みで不活動法人を11カ寺にまで減少させたと報告。不活動法人を合併、解散、あるいは包括法人に吸収するにせよ「現場任せにすると合併も解散もできない。包括法人(教団本部)が現地に足を運び、能動的にやらなければ解決は不可能」と宗派の果断さが大切だと述べた。個人的な意見として「合併できる寺院は余力があるうちに合併した方がいいのではないか。限界集落は今後、どうあっても人は増えません」という見解も示した。


その後は加盟団体と顧問弁護士に分かれて個別に会議。加盟団体の会議では、曹洞宗の辰巳桂叙氏が「合併・解散にあたっての問題は、檀信徒や住職が『自分の代で寺を終わらせたくない』と思うこと、それと寺院数を減らすことそのものへの抵抗がある」と説明。真言宗智山派の床井智宣氏は「無住寺院を解散するにも代表役員を置かねばならないというのがネック」と述べた。


顧問弁護士の会議では、やる気のある僧侶が法類制度の壁に阻まれて無住職寺院に晋山できない場合などを疑問視する意見があり、寺院活性化に宗派、教団の柔軟さを求める声が上がった。


全体会議では、全日仏事務総長の戸松義晴氏が、備え付け書類を所轄庁へ提出していない宗教法人を憂慮。活動している寺院がすべて提出して、未提出の宗教法人がすなわち不活動だと言えるようになれば対策も進むとし、「備え付け書類を提出しないのは宗教法人法違反で過料もある。顧問弁護士と宗派にも、違反予防のために動いてほしい」と求めた。

2012/02/09 本願寺派臨宗 下部法規全案を可決 橘総長、辞職も三たび当選

浄土真宗本願寺派(橘正信総長)の第301回臨時宗会(桑羽隆慈議長)が1日から3日まで京都市下京区の宗務所で開かれ、継続審査となっていた宗則・寺達案など81件と追加の寺達案1件を可決。4月からの新体制で直轄寺院になる「本願寺築地別院」を「築地本願寺」と名称変更する同意案も可決した。橘総長は議案成立を機に辞職したが、門主の指名を受け宗会議員による選挙で当選、続投が決まった。


初日開会式では大谷光真門主が大遠忌法要の御満座を1月迎えたことを述べた上、「残る大きな課題は新たな始まりを進めるための体制と法規の整備です。3年にまたがる度々の臨時宗会を始め様々のご苦労をいただきました成果をもって4月を迎えられますよう願っております」と話し、議案成立を望んだ。


本会議冒頭では橘総長が12月臨宗での審議や1月の法規特別委員会での継続審査を踏まえ修正案を提出したことを表明するとともに、「最後に宗務執行の衝にある者として法規議案の一連の審査に関して、ここに至る経緯等を含む現状については充分了解しております。本臨時宗会には重大な決意をもって臨んでいる」と発言、議案成立へ強い姿勢を示した。


提出した修正案は継続審査となっている宗則案62件中24件、寺法細則・寺達案19件中7件の計31件。この他に院号授与に関する寺達案1件が提出された。修正案等は提案理由説明後質疑もなく即座に第1・第2法規特別委員会へ付託。初日午後4時頃までに既に付託されている議案を含め両委員会で全案が可決され、委員長報告作成を経て翌2日午後の本会議で可決した。審議は迅速に進み、築地別院を「築地本願寺」に名称変更する宗会同意案もその後可決。


そしてこの後の本会議で橘総局総辞職が報告された。橘総長は昨年5月に基本法規を改正し今回の下部法規成立で「永年の懸案であった基本法規の改正はここに一つの節目を迎えました」とし、大遠忌法要も円成したことを述べ「宗門長期振興計画に掲げる『新たな始まり~明日の宗門の基盤作り』を期する時節になったと考えます。この時にあたって宗務執行責任者として一つの区切りを迎えたものと判断」と辞職理由を述べた。


それでも総長選挙では門主が、口羽益生・前岐阜聖徳学園大学長(島根県邑南町満行寺前住職)と共に橘総長を候補者に指名。3日午前の選挙では橘総長が投票総数71票中、最多得票の47票を獲得し、09年8月の初当選、昨年2月の再選に続き三度目の当選を決めた。口羽前学長は17票、白票7票で、批判票は昨年より8票多い24票出た。

2012/02/09 遠忌記念共走駅伝 京都の宗門校が友好強化

京都にキャンパスを置く浄土宗と浄土真宗の宗門校20校が法然上人・親鸞聖人の遠忌を記念して5日、京都市内で「共走駅伝」を実施。大学生と高校生88人が共に走り、友好関係を深めた。


宗祖に感謝し、その縁の中の自分を認識することなどを目的に実施。


浄土宗の宗門校は上京区の清浄華院から知恩寺、金戒光明寺等を経て東山区の知恩院三門まで5区間約8㌔。浄土真宗の宗門校は下京区の西本願寺を出発し、興正寺、東本願寺、仏光寺等を経て同じく三門までの4区間7・5㌔を走った。


主に各校の陸上競技部に所属する学生・生徒は揃いの白いジャンパーを着用。最終走者は京都華頂大前で合流し、共に三門前にゴールした。


三門前では山極伸之佛教大学長、赤松徹真龍谷大学長、草野顕之大谷大学長はじめ各校の関係者、また本山・大学等のマスコットキャラクターが拍手で迎えた。


佛大陸上競技部の女子駅伝メンバーでもある森知奈美さんは「今日はすごく楽しんで、ゴールもたくさんの方に迎えてもらい普段と違って楽しく走れました」と話した。


参加したのは浄土宗で佛教大、華頂短大、東山高など大学5校・高校3校。浄土真宗で龍谷大学、大谷大学、京都女子大、京都光華女子大、龍大付属平安高、大谷高など大学8校・高校4校。


(画像=西本願寺前をスタートする大学生・高校生ら)


2012/02/16 お坊さんは本を読まない!? 「仏教書ナイト」大盛況



仏教書の魅力を編集者とお坊さんが語り合う、というややマニアック? なイベント「仏教書ナイト」が12日夜、東京・阿佐ヶ谷のライブハウス「ロフトA」で開催された。登壇者は佐藤哲朗氏(日本テーラワーダ仏教協会)、松下弓月氏(東寺真言宗僧侶)、大角修氏(地人館)、金寿煥氏(新潮社)、棟高光生氏(春秋社)、星飛雄馬氏(ライター)、それに緊急ゲストとして「福神」編集部の上杉清文氏と澁澤光紀氏(共に日蓮宗僧侶)の8名が勢揃い。


まずは大手通販サイト「amazon」の仏教書売れ筋ランキングを見ながら盛り上がった。さらに、金氏による『尼さんはつらいよ』(勝本華蓮著)や棟高氏による『シリーズ大乗仏教』など、自分の手がけた本のエピソードを話したり、あるいはこれから出る本の情報が先取り公開されたりと、終始、討議は和気藹藹とゆる~く進行。一方で松下氏が「お坊さんは実は本をあまり読まない。お坊さん同士でお喋りしてても、本の話題が出てくることはまずないですね」と苦笑しつつ暴露するなど、示唆に富む発言も飛び出した。


会場は若者を中心に、僧侶の姿もあり満員の大盛況。仏教界を活気づけるにはこういうやり方もあるのだなと思わされる、楽しい催しとなった。

2012/02/16 本願寺派 福島県事務所を開設 被災寺院を中長期的に支援

東日本大震災から11カ月を経た13日、浄土真宗本願寺派(橘正信総長)は福島市五月町の同派康善寺境内の一角に「福島県復興支援宗務事務所」(福島県事務所)を開設した。同事務所を拠点に今後本格的に福島原発事故で避難生活を余儀なくされている寺院・門信徒らの支援にあたる。


昨年3月の福島原発事故で福島県沿岸部にある同派東北教区相馬組10カ寺のうち、警戒・緊急時避難準備・計画的避難区域の9カ寺が避難。10月1日に緊急時避難準備区域が解除されたことで南相馬市の常福寺・勝縁寺の2カ寺が戻り、現在は7カ寺が避難生活を送っている。


福島県事務所設置は原発事故の影響に鑑み、被災した寺院・門信徒の中長期的支援が必要との判断から昨年11月の宗会で決まったもの。JR福島駅から徒歩5分ほどで、県庁にも近い場所を選び、木造2階建ての空き家を借りリフォームして開設にこぎ付けた。


事務所には避難生活を送る同派光慶寺(南相馬市)の白江順昭住職と常福寺(浪江町)の廣畑恵順住職の2人が専従員として勤務。事務所員を兼ねる宗門災害対策室職員も派遣し、散り散りになった門信徒の居場所の調査、各種相談への対応を含め総合的支援を実施。被災寺院・門信徒の集いや法要、お骨を預かる場としても活用する。


同事務所長を兼ねる同派の藤井純恵・同災害対策室部長は「10カ寺の住職さん、ご門徒も含め、いずれ戻るという希望を持っています。それまでの間、どこかの拠点、仮設住宅の周辺、あるいは交通の便のいい所で伝道教化の寺院活動をしたいということで、その支援をするのがこの度の事務所の開設」とも述べた。


【現在避難中の同派寺院7カ寺】浄観寺(飯館村)善仁寺(同)光慶寺(南相馬市)光明寺(浪江町)常福寺(同)光善寺(同)光西寺(富岡町)

2012/02/16 全仏婦新年会修正会 活動充実へ関西に拠点設立

全日本仏教婦人連盟(全仏婦)は10日、都内ホテルで新年修正会を開いた。会員、来賓など約140人が参集。末廣久美理事長は今年の課題としてこれまでの活動の拡充と関西方面での拠点となる支部設立を掲げ、新たな一年への意欲を示した。


初めに全日本仏教尼僧法団出仕、川名観恵理事長導師のもと、東日本大震災の一周忌法要を厳修。参加者全員が献花し、犠牲者の冥福を祈った。新年の挨拶では全仏婦副会長の稲山霊芳・念法眞教燈主の「お言葉」を桶屋良祐教務総長が代読。震災からの復興を願うとともに、「全ての命に生かされていることに敬意の念をもって生きていく」ことの大切さを説き、「日本の良き社会づくり」のための活動を推進していくことを呼びかけた。


来賓挨拶では全日本仏教会の戸松義晴事務総長が男女共同参画の視点からも全仏婦の活動に大きな期待を寄せた。全日本仏教青年会の村山博雅理事長は3月11日に福島県伊達市で一周忌法要を行うことを報告した。


次いで、全仏婦の六大事業の一つとしてインドの路上生活児童を支援する「里親運動」の支援金(13人分)が共催する全国青少年教化協議会の神仁主幹に手渡された。神主幹は「貧困の連鎖を断ち切るためには教育が必要」とその支援の大切さを強調。加えて、東日本大震災の被災地で就学困難児童が出てきている現状を紹介した。今春から「奨学基金」を立ち上げることを報告したうえで、協力を求めた。


第2部では末廣理事長が新年にあたり今年の課題を2点に集約。「今までの活動をより充実させること」、関西方面の会員が活動しやすいような「拠点になる支部をつくる」ことを掲げ、「少しでもお役にたちたいという私たちの気持ちをお汲み取りいただき、ご協力をお願いしたい」と呼びかけた。


恒例の「心の募金」では会場から15万3千円が集まり、岩手県遠野市を拠点に活動をする被災地NGO恊働センターの村井雅清代表に送られた。清興の時間は歌手の藤原浩さんによるコンサート。日本歌謡の名曲を披露しながら、会場をめぐり一人ひとりと握手をするなどして沸かせた。


2012/02/23 埼玉県佛教会 暴力団排除を宣言



㈶埼玉県佛教会(萩野映明会長)は21日、さいたま市浦和区の埼玉県佛教会館で「暴力団排除宣言式」を執行した。昨年8月1日から施行された県暴力団排除条例を受け、暴力団と寺院の関わりを断とうとする目的。佛教会と県警から約20人が出席した。


式はまず萩野会長が挨拶。「本会は、社会の浄化と文化の向上を目的に掲げています。当然、暴力を背景に反社会的活動をする者を利することがないよう努めるのは言うまでもありません。信教の自由は職業や身分で差別されてはならず、慎重な対応をせざるを得ない。ところが、暴力団は我々の宗教活動を『義理掛け』と称し、資金集めや勢力誇示に利用しようとする実態がある。これを純粋な信仰と認めるわけにはいきません」とし、それらの行為を厳しく排除しなければ「仏教に対する冒涜」になると述べた。


続いて、県警本部刑事部組織犯罪対策局長の手塚了氏が式辞で「警察対暴力団という構図を越えて、社会全体対暴力団とし、壊滅させなければなりません」と語り、暴力団を恐れない、資金を提供しない、利用しないことの徹底を要請。全国の地区仏教会の中でも最も早く暴力団排除宣言を出し、モデルケースとなった埼玉県佛教会の英断に敬意を表した。






埼玉県佛教会
暴力団排除宣言全文


≪われわれは、結成目的である道心の高揚と教化の促進、及び社会の浄化と文化の向上に寄与するため、反社会的勢力である暴力団の不当要求に応じず、また、利益供与をしないことを誓い、ここにわれわれの活動から暴力団を完全に排除することを宣言する。



1 暴力団員と社会的批判を受けるような交際をしない。
2 暴力団に金や場所等を提供しない。
3 暴力団の威力誇示や、資金集めに利用される葬儀法要、また不当要求は断固拒否する。
4 常に警察との連絡を緊密にして、われわれの活動から暴力団を完全に排除する。


平成24年2月21日
財団法人 埼玉県佛教会
会長 萩野映明≫

2012/02/23 SZI講演会 ジョブズ氏の禅探る



SOTO禅インターナショナル(SZI、細川正善会長)は16日、東京グランドホテルで公開講演会「スティーブ・ジョブズと北アメリカの禅」を開催。アップル社の最高経営責任者であったジョブズ氏(昨年10月死去、1955~2011)の仏教が紐解かれる一方で、疑問を呈する意見も寄せられた。会場には満員の150人超が来場した。


最初に前北アメリカ総監でオークランドに好人庵禅堂を開設して曹洞禅の布教に努めている秋葉玄吾氏が講演。ジョブズ氏の師となる知野(乙川)弘文老師(1938~2002)の生涯とジョブズ氏の関係、そしてアメリカの禅布教史を紐解いた。アメリカでは鈴木俊隆・前角博雄・片桐大忍(いずれも故人)といった先駆者がいたが、知野老師もまた彼らと共に歩み、またその足跡を継承。ロサンゼルスのハイク禅堂にいた当時、秋葉氏が開教師として現地に赴任した。「5・7・5の俳句のことで、20人前後しか坐るスペースがないからハイク禅堂としたと聞いている」


大学を中退しインドを放浪して帰国したジョブズ氏は、禅に興味を持ち、「永平寺に行こう」と考えたこともあったという。しかしそれを辞め、近くに目を移した。「1975年、ジョブズ氏19歳、知野老師37歳」のときに出会い、「ジョブズ氏は熱心に曹洞禅を学んだ」。


それ以後、「なるべく多くの時間を知野老師と一緒に過ごすようになった、とジョブズ氏は述べている」と両者の結びつきの強さを紹介。さらにジョブズ氏の結婚式を知野老師が執り行ったと明かした。


1976年、アップル社がスティーブ・ウォズニアック氏とアップル社を設立。「ビジネス界を変えた男」として知られるようになった。コンピューター事情に詳しい中川雅雄氏(浅草中屋代表取締役)は、ジョブズ氏がアップル社を辞めさせられる1985年頃までつきあいがあったと説明。「二人のスティーブといわれていたが、初期の段階ではウォズニアックの方が評価が高かった」と当時のパソコン世界を解説した。


ジョブズ氏が来日した際に浅草を案内したこともあった。そうした体験から「みなさん禅の話をされるが、そんなに人間ができていたのかなあ、と素朴な疑問をもっている」と話すと、会場も笑いに包まれた。


ただ、ジョブズ氏が05年に行ったスタンフォード大学卒業式スピーチで、「死を見つめることで今の自分をとらえている」と発言したことに対し、田宮隆児SZI副会長は、生死一如に通じた思想を内包していたと紹介した。

(写真=ジョブズ氏と知野弘文老師の交流を話す秋葉氏)

2012/02/23 全日仏会長 日本記者クラブで会見 脱原発改めて強調



写真=会見に応じる河野会長(日本プレスセンター)全日本仏教会(全日仏、有田恵宗理事長)の河野太通会長(臨済宗妙心寺派管長)と戸松義晴事務総長(浄土宗)は日本記者クラブに招かれ20日、東京・内幸町の日本プレスセンターで会見し、昨年12月に発表した宣言文「原子力によらない生き方を求めて」に関する今後の方針などを話した。


河野会長は自身の少年時代のことから話し始めた。1930年生まれの河野会長は、戦中は軍国少年だったが、戦後、仏門に入り仏教者の戦争責任を問い続けた。「あの戦争の時、宗教者が国家に順応して戦争協力をしていたことと、今、原発問題に口を閉ざす雰囲気が重なる」と憂慮。「仏教は善人の考えで、何か悪いことをした人がいた場合に『それは悪い。悪いけど、そうなってしまった事情があるなら責められない』と思ってしまう。これで、結局良いとも悪いとも言わない」とも述べ、今回の声明はそういった仏教界の体質からの脱却であり、社会に対して言葉を発する仏教であらねばならないと強調した。


さらに「科学技術の発展で大きな恩恵を我々は受けているが、その反面の公害なども受けている。便利な生活は誰かを不幸に陥れ、犠牲の上に成立している。生活を反省し、電力消費を極力抑えて生きる方法を考えなければならない」と、今日の物質文明に批判を突きつけた。


続いて戸松事務総長が、東日本大震災と原発事故において、全日仏や加盟団体が取り組んできた支援活動、一周忌法要の呼びかけを報告した。


質疑応答では高速増殖炉「もんじゅ」や原発「ふげん」の命名における仏教界の責任を訊ねられると、河野会長は「命名に関わった僧侶は、詳しくは知らず、推進派に『素晴らしい最先端の技術』と教えられていたのではないか。ご存命なら後悔していると思う」と述べた。戸松事務総長は「僧侶が積極的に命名したという資料はない。ですが、その命名に仏教界がことさら何かを言ったこともなかった」とし、真摯に反省しなければならないという立場を表明した。


また原発問題が確実に争点になるであろう次期国政選挙において、原発推進派の政治家への公認(推薦)を見送ることは考えているかという質問に、戸松事務総長は「政治的な主張が違っても排除するようなことはない」と回答。あくまでも全日仏は仏教を中心とした団体で、脱原発声明を選挙と関連付けることはないという見解を示した。


原発事故で被災し、避難した寺院への補償・復興についての質問には「大変厳しく、全日仏としてもこれまで手立てがなかった。手探りの状態です」と戸松事務総長は吐露。「宣言の理念は素晴らしいが、そこから一歩進んで具体的な動きは考えているか」という問いには、河野会長が「そのことを悩んでおります」と応じ、意見やアイデアがあれば提案してほしいと世間の助力も求めた。


写真=会見に応じる河野会長(日本プレスセンター)





2012/03/01 東大・フォーラム「#寺カルチャー」開催 崇高さとのギャップに楽しさ



東京大学文化資源学研究科文化資源学研究室は2月17日、文京区の本郷キャンパスで第11回文化資源学フォーラム「#寺カルチャー」を開催した。同研究室は毎年、学生主体のフォーラムを企画し、今年は昨今の「仏教ブーム」を反映してこのテーマとなった。


最初に修士課程の竹内唯氏が現代の寺院をめぐる状況を解説。「戦後、寺との関わりは葬式などのライフイベントに限られていて、薄くなりつつあるが、仏像ブームや写経、座禅などへの関心は高い」とし、そういった一般人と寺のゆるやかなつながりを「寺カルチャー」と定義。仏教マンガや、真宗大谷派のゆるキャラ「鸞恩くん」などの面白さを紹介しつつ、「仏教の崇高さがなければギャップから生まれる楽しさがない」と重要な観点を提起した。


続いて、慶應義塾大学教授の金子啓明氏が「阿修羅像と仏像ブーム」と題した基調講演。自身が企画した東京国立博物館で94万人の動員を記録した「国宝阿修羅展」の成果と意義を話した。


その後、修士課程の土本一貴氏をコーディネーターとして、イラストレーターの田中ひろみ氏、フリーライターの杉本恭子氏、超宗派仏教サイト「彼岸寺」の松本圭介氏(浄土真宗本願寺派僧侶)、それに金子氏を加えた4人が「寺カルチャー」や日本仏教の未来をパネルディスカッション。渡辺裕教授もコメントし、「側面から見た寺院文化の楽しみ方」の発展に期待が寄せられた。


タイトルの「#」の通り、ツイッターと連動した企画で、フォーラムの間、リアルタイムで「寺カルチャー」へのつぶやきが大量に投稿される様子がスクリーンに映し出されていた。また、会場は満席、意外なまでに僧侶の姿も多く、世間から見たお寺像への関心の高さを伺わせた。

2012/03/01 大谷派宗議会 社債購入で損失3700万円



真宗大谷派(安原晃宗務総長)の宗議会臨時会が2月23日から27日まで京都市下京区の宗務所で開かれた。この中で杉浦義孝財務長が、預貯金が1000万円までしか保証されないペイオフ等の対策として宗派の現金を社債に替えて「保管」したが、最終的に約3700万円の損失が出たことを報告し、演壇上で頭を下げて陳謝した。


23日宗議会での杉浦財務長演説によると、2005年4月に普通預金を含めすべての預貯金がペイオフ解禁となったのを受け、現金の保管方法を検討。「日本銀行のゼロ金利政策や世界的な金融危機の影響により、預金利息による収入は大幅に減少」したこともあり、「2008年から資産の一部を社債に替えて保管」した。


購入した社債の銘柄と額は、野村ホールディングス2億円、富士電機ホールディングス2億円、ウィルコム株式会社1億円の計5億円。そのうちウィルコム株式会社が10年2月に会社更生法の適用を受け、その「社債の保管金額が約6700万円減少し」その他2社の社債の利息を差し引き昨年9月末の2010年度決算で約3700万円の損失が確定した。


この結果に杉浦財務長は「財産の保管、管理責任を負う財務長として深くその責任を感じております。ここに改めてお詫び申し上げます」と述べ、頭を下げた。


社債購入は大谷派の会計条例第46条《すべて現金は、平常の支出に充当するに必要な額を除き、郵便局又は信用がある銀行等に預け、若しくは確実な有価証券に替えてこれを保管しなければならない》との規定のもと、財務長の裁量で実施した。


25日の一般質問では社債購入が同条の「確実な有価証券」による「保管」にあたるかが問われ、野党・恒沙の会の三浦長議員が「社債運用した法規上の根拠はどこにあるのか」と質したところ、杉浦財務長は「運用ではなく保管」と答弁。


さらに三浦議員は「購入手続き及び保全調査行動において万全とは言い難い」と述べ、ウィルコム社債購入時の調査に不備があったとして「財務長の職務上の責任を明確にする必要がある」と辞任を求めたが、杉浦財務長は「職責を全うする意味も込めて会計条例の改正(有価証券購入時は財産管理審議会への諮問を義務付ける)を提案するもの」と述べるにとどまった。


この件では三浦議員に先立ち与党・真宗興法議員団の但馬弘議員も一般質問で言及。同議員は逆に「一部損失が出たことでありますが、このようなことは単発の事象で判断すべきことではなく、一定の期間における保管実績によって評価されるもの」とし、「現行の宗門法規に則って行われたものでありますから、責任をお取りになる必要は毛頭ございません」と杉浦財務長を擁護した。


ウィルコムの社債は09年8月、額面1億円を約8900万円で購入。12年6月が償還期限だったが、同社が10年2月会社更生法の適用を受け社債価値はゼロに。購入金額については2200万円のみ弁済を受けることになった。


(写真=社債購入による約3700万円の損失を報告した杉浦財務長/2月23日)

2012/03/01 智山派総長選 次期総長に小宮一雄氏



岡部快圓宗務総長の任期満了に伴う真言宗智山派の宗務総長選挙が2月24日、京都市東山区の宗務庁で行われ、前総務部長の小宮一雄氏(東京都江東区・東覺寺住職)が当選した。任期は3月28日から4年間。小宮氏は当選後、記者団に「大変厳しい状況の中で宗政を担当させていただくことに、身の引き締まる思いがいたします。皆様のお力をいただかなければ物事は成就いたしません」と語り、「一宗和合」で宗務にあたる決意を表明した。


選挙は元教学部長の堀井隆栄氏(石川県加賀市・藥王院住職)との間で行われた。第113次定期教区代表会の最終日、両候補の演説を受け、教区代表60人が投票。結果は32票対25票、無効3票で、有効投票数の過半数を集めた小宮氏の当選が決まった。


小宮氏は現岡部内局で総務部長を務めていたが、昨年12月16日付で辞任。震災復興支援を担う「災害対策復興委員会(仮称)」の立ち上げや、岡部内局の教育制度改革を引き継ぐことなどを主要施策に掲げて、次期宗務総長に立候補した。


当選後、記者団の取材に応じた小宮氏は、自身の信念について「仏様の心を自らの内にいかに展開していけるか。それが力となっていくのではないかと思います」と表明。同派3千カ寺に向け、「(お寺に来る)お一人お一人の生きる力を喚起する原動力に、1カ寺1カ寺がなっていただきたい」と要望した。


大震災・原発事故からの復興を主要施策に掲げ、「災害対策復興委員会(仮称)」を立ち上げる。その構想について「委員構成は考えています。まず被災地の代表や教区代表、遍照講の役員、伝法院、教化センター、そういう方々による実質的な会合を早急に開きたいと考えています」とし、「被災地の声を聞き、『心の癒し』に対して宗派としてどのようなことができるか。物心両面から中長期にわたる展望が必要です」と説明。各山会や全日本仏教会との連携も考えていると話した。


岡部内局の方向性を継承すると明言。「(岡部内局は)教育改革や総本山の山容整備など、基礎となる線路を敷いてくれた。その上を電車が動けるような状態にしていければ」と述べた。その上で、「東京で直下型大地震が発生する確率が70%とされる中、智山派は関東地方に(末寺が)多い。財政問題を含めた根本的な宗団運営が問われてくると思っています」。


【小宮一雄次期総長の略歴】
こみや・いちゆう/昭和23年10月生まれ。法政大学法学部、大正大学仏教学部卒。教学部教務課長などを経て東京東部教区長、総務部長などを歴任。教誨師、保護司。



2012/03/08 第29回庭野平和賞 グアテマラのロサリーナ氏に



第29回庭野平和賞を受賞したグアテマラのロサリーナ氏庭野平和財団(庭野欽司郎理事長)は2月29日、第29回庭野平和賞を中米グアテマラの人権活動家、ロサリーナ・トゥユク・ベラスケス氏(55)に贈ると発表した。贈呈式は5月10日、東京都港区の国際文化会館で執り行われ、同氏に賞状と顕彰メダル、賞金2000万円が贈られる。


受賞者のロサリーナ氏は先住民の農家の子として生まれた。グアテマラ内戦(1960~96)で父親と夫を失い88年、同様の立場にあった先住民の女性らと「コナビグア」(スペイン語で「寡婦」の意、=連れあいを奪われた女性たちの会)を設立。女性の社会的地位向上や先住民の人権を守る活動に取り組んだ。


内戦中の軍による虐殺の犠牲者が遺棄された秘密墓地を告発し、また内戦終結に尽力。終結後は犠牲者への賠償が順守されるよう働きかける一方、徴兵制度の廃止も求め、社会の平和構築に大きく貢献した。


ロサリーナ氏が指導したコナビグアの活動はグアテマラ国内に広がり、現在は約1万人の女性会員を有する規模に成長している。


人と自然の調和を求め暴力と破壊を拒否するマヤの精神性と篤いカトリックの信仰を背景にした氏の活動が評価され、庭野平和賞贈呈が決まった。


庭野平和賞は宗教的精神に基づいて世界平和推進に顕著な功績のあった個人・団体に贈られる。125カ国700人の学識者・宗教者に推薦を依頼し、同賞選考委員会で審査して決定した。


(写真=受賞者のロサリーナ氏)



2012/03/08 灯せ! 希望の灯り被災地に 青年僧侶が徒歩練行



徒歩練行で「希望の灯り」を運ぶ青年僧侶一行阪神大震災の慰霊と復興の象徴「1・17希望の灯り」を神戸から東北の被災地に届けようと、真言宗智山派福島第一教区青年会(久野雅照会長)のメンバーらが800キロに及ぶ「徒歩練行」を行った。「灯り」は3日に福島県いわき市に到着。その後各寺院に分灯され、被災各地での一周忌法要や慰霊祭でともされる。


1月17日午前5時。阪神大震災から17年目となる神戸市中央区・東遊園地での式典で、久野会長(いわき市・安養院住職)が持つランタンに「希望の灯り」が分灯された。この分灯に高野山真言宗兵庫支所青年教師会が尽力。震災直後から被災地支援を始めた同教師会は、兵庫から福島の避難世帯に小型仏壇500セットを贈るなど智山青年会と連携してきた。


分灯された「灯り」を兵庫県西宮市の高野山真言宗門戸厄神東光寺(松田俊教住職)に一時安置してもらい、2月5日から行脚を開始。高野山兵庫支所の青年僧侶15人も智山青年会のメンバー15人と2日間、京都市の総本山智積院まで歩いた。


福島第一教区青年会の徒歩練行は「支援への感謝を伝える」旅でもあるが、「『今まで支援できなかったから』と言って浄財を渡す方もいます」(久野会長)。原発事故で避難し、やむなく異郷に定住を決めた人からは故郷への思いを託された。「いろいろな方の思いを受け止めて、『灯り』はどんどん大きくなっています」


1日30~40キロ、峠や難所も多い旧中山道を黙々と歩く。幾度も雨に濡れ、関ヶ原と諏訪湖では吹雪にも見舞われた。しかし、各教区の智山青年会メンバーが道案内するなど応援。「今まで関わりの少なかった地区の青年会とのつながりが深くなりました」(久野会長)


2月26日は午前6時から、宿泊した埼玉県新座市の東福寺(星野令光住職)で勤行。8時半過ぎに川口市伊刈を出発した。この日は途中参加も含め、15人が行脚。すでに600キロの道程を越えてきた鈴木公弘副会長(いわき市・泉蔵院副住職)だが、「歩いていると体も心もできてきます。去年の3月11日には冷たい水にのまれて、大勢亡くなった。疲れたなんて言ってられません! この『灯り』は被災地を照らす希望の灯明です」。


一行は埼玉を抜け千葉へ。利根川を渡り、ついに茨城県に入った。午後4時、常総市の神社に到着。社殿前で法楽を捧げ、この日は終了となった。





2012/03/08 仙台で一周忌法要 3県から2000人参列 曹洞宗



曹洞宗(佐々木孝一宗務総長)は5日、宮城県仙台市の仙台サンプラザで東日本大震災物故者一周忌慰霊法要並びに復興祈願法要を執り行った。岩手・宮城・福島の被災3県から約2千人の檀信徒が参列したほか、雪まじりの雨の中にもかかわらず、当日参列の市民の姿もあった。


最初の慰霊法要は大本山永平寺の福山諦法貫主を導師に、観音経を読誦。「負けることなく皆さんは一年を歩んできた。貴重な力だと思います」と垂示した。


続く復興祈願法要は、大本山總持寺の江川辰三貫主を導師として大般若経転読。出仕者の繰り出される力強い転読が、復興への希望を沸き出させるものとなった。「苦しみや悲しみを一日も早く生きる力へ転じることを念じて、祈りを捧げます」と垂示を述べた。


地震発生時刻の午後2時46分には、僧俗一同が一心に黙祷し、会場は静謐さに包まれた。



2012/03/15 瑞巌寺で一周忌法要 わらべ地蔵1559体を開眼



臨済宗妙心寺派(松井宗益宗務総長)は6日、宮城県松島の瑞巌寺陽徳院で、わらべ地蔵開眼供養と震災物故者一周忌法要を執り行った。河野太通管長をはじめとする同派僧侶のほか、臨済宗各派と黄檗宗の代表も列席した。


臨済宗と縁の深い仏師の冨田睦海氏(冨田工藝)が、子どもの姿に似た小さな「わらべ地蔵」の制作を発案。震災後発生後から、全国の僧侶が支援活動に奔走していたが、それだけでなく慰霊のために何かできないかと考えていた。


この日までに、全国の人々が1559体のわらべ地蔵を完成させた。これらが瑞巌寺に奉納され、吉田道彦師家の導師により開眼。遺族代表に手渡された。冨田氏は、感極まり声を振るわせ「私たちにできることをしたかった」と挨拶した。


引き続き、河野管長を導師に一周忌法要が営まれた。河野管長は法話で、震災犠牲者、被災者に哀悼といたわりの言葉を述べ、原子力発電所を痛烈に批判。「本当の供養は、この三陸が無事に立ち直り、再び世界に信頼されるような日本になることです」と語った。


被災地に奉納される「供養象徴仏」の鑿入れも、参列した僧俗の手により行われた。法要後、遺族や檀信徒で希望する人にわらべ地蔵が贈呈され、眼に涙を浮かべつつ受け取る人もいた。「一体一体、顔が違うのよね」と、微笑む地蔵の顔を見て呟き、想いを感じ取っていた。



2012/03/15 復興願い合同護摩供 修験者ら300人出仕



写真=近畿三十六不動尊霊場会と役行霊蹟札所会による追悼護摩供近畿三十六不動尊霊場会(大矢實圓会長)と役行者霊蹟札所会(東條仁哲会長)の僧侶・修験者約300人が出仕して11日、大阪市此花区のロッジ舞洲で合同大護摩供を修法。東日本大震災被災地復興を祈願し、物故者を追悼した。


大護摩供は、田中利典・札所会副会長が「共に東北の明日、この国の明日をお祈りしたい」と声を掛けて開始。緋の衣をまとった東條札所会会長導師のもと、大矢霊場会会長が追悼・復興祈願の願文を読み上げてから、阪神淡路大震災の慰霊モニュメント「希望の灯」から採った火を護摩壇に点火した。


修験者らが力強く錫杖を振り鳴らし般若心経と真言を唱えるなか、白い浄煙と赤い炎が盛んに立ち昇る護摩壇に、被災地・宮城県仙台市の市民らに願いを書いてもらった護摩木3千本と、その他加盟寺院が持ち寄った護摩木合わせて約7千本を投げ入れ、焚き上げていった。


地震発生時刻午後2時46分には全員で黙祷。同霊場会の東伏見慈晃副会長が「尊い火は東日本の皆さんに必ずや届いている」と述べ、円成した。







2012/03/15 本願寺派東京教区 原発避難者を築地本願寺に招待



浄土真宗本願寺派東京教区が中心となり3・4両日に、福島県田村市の仮設住宅で暮らす住民約40人を築地別院へ招待した。心のケアを目的にした支援プロジェクトで、住民らは築地市場や横浜市街を観光するなど、仮設住宅での生活から離れたひと時を過ごした。


3日朝に仮設住宅を出発した一行は築地別院に到着すると、見学と昼食を兼ねて市場を観光。その後、築地本願寺本堂で冨賀見智明副輪番を導師に営まれた東日本大震災の物故者追悼法要に参列。仏前にお香を手向けて、物故者を供養した。法要に続いて、群馬県・西蓮寺の艸香雄道住職が法話。艸香住職は全ての人に寄り添う「阿弥陀様」の教えを説いた。


翌4日は横浜市の日清チキンラーメンミュージアムでカップヌードル作りを体験、昼食時には中華街を巡った。住民からは「法要が素晴らしかった」「帰りたくない」と言った声が寄せられた。


本願寺宗務首都圏センターや東京教区では、原発事故で警戒区域に指定された田村市都路地区、浪江町からの避難者が滞在していた春山小学校で炊き出し支援などを実施。地元の社会福祉協議会と連携し、仮設住宅に移った後も、イベントの手伝いや傾聴ボランティアを継続してきた。


昨夏には子どもたちを築地本願寺の盆踊り大会に招待。今回の本願寺参拝は住民からの要望を受けて実現した。運営にあたっては、仏教伝道協会が昨年末に築地別院に寄託したチャリティコンサートの収益金などが充てられた。


「社協の担当者からは、お坊さんが来ていることが安心感につながっているとも言われた」と冨賀見副輪番。一方で、原発災害からの復興は先行きもみえず仮設住宅で暮らす避難者たちの間からは「先の希望がない」という声も届いているという。仮設住宅と自宅を行き来する人、「作付けができない」と話す農家。支援する側にとっても「これまでに経験のないこと」と話す。


東京教区では、今後も社協と連携しながら長期的な支援を続ける方針。降雪のため仮設への訪問は一時中断していたが、3月下旬から再開する。

2012/03/22 日宗連第1回宗教文化セミナー 震災と地域復興を検討

 日本宗教連盟(日宗連)は14日、東京・渋谷の国学院大学で「東日本大震災と地域社会の再興―宗教法人の公益性」と題して第1回宗教文化セミナーを開催。震災直後から行われた宗教法人の支援活動とその公益性を検討した。


 開会に当たり日宗連の有田恵宗理事長が趣旨説明をかねて挨拶。「大震災に対し宗教法人や団体は救援活動を行ったきた。今後は地域社会再興のためにどのような支援を行い、担っていけるかが課題となっている」と提起した。


 最初に「宗教法人の社会活動と地域社会について」と題して石井研士国学院大学教授が講演。総合テーマの副題に「宗教法人の公益性」がついていることに関して、「宗教の公益性なのか、宗教団体の公益性なのか、それとも宗教法人の公益性なのか」とし、複雑な内容を包含しており簡単には言えないとした。


 日本の地域社会における神社や寺院は「地域社会統合のシンボル」として存在。神社の場合には祭りや芸能を通して、寺院の場合は「家」の祭祀を通して地域社会の再生や統合の役割を担ってきた。一方で、地縁や血縁とは別に宗教的なつながりの「講」もある。


 しかし戦後の社会変動で宗教のあり方が変化。地縁や血縁は薄れ、「我々は地縁を壊してきたが、それは日本が先進国になったことの裏返し」とし、今日の無縁社会の問題も指摘した。


 またかつての調査から、宗教団体の社会貢献活動について多くの日本人が無関心だった。今回の震災救援は様々に行われたが、報道されないため一般に知られていない。「認知されることが望ましい」と石井氏。


 震災支援に積極的に取り組み地域社会の再生を促そうとする宗教側に対し、こうした宗教の活動に無関心な一般社会。対照的な両者の関係に石井氏は「宗教は、地域社会や人と人との『絆』再構築に貢献できるだろうか」と重い問いを投げかけた。


 第2講は、「被災地における宗教の関わり―今まだとこれから」と題して、稲場圭信大阪大学准教授が被災地の宗教施設を繰り返し訪れたフィールドワークをもとに、宗教者の関わりと役割を話した。


 宗教的利他主義を国際的に研究したきた稲場氏は、この言葉を「宗教的理念にもとづいた利他主義」と定義。さらに「宗教の社会的あり方」という社会レベルと、「宗教者の生き方、他者・社会のあり方」の個人レベルに分類し、信仰による救済観とも関連していると述べた。他方、特定の宗教にはよらないものの、「先祖や神仏、世間に対して持つおかげ様の念」を「無自覚の宗教性」と位置づけた。


 大震災における諸々の支援活動を俯瞰したとき、宗教的利他主義の宗教ボランティア、無自覚の宗教性によるボランティア、さらに「共感縁による『寄り添いのケア』」があると解説。またボランティアやNPOが地域の伝統行事にかかわることで、活動がしやすくなった事例も報告した。


 そして「公益的な活動を社会に情報発信していくことで、無宗教の人も宗教の重要性に気がつく」と述べ、宗教側の情報発信を課題とした。

2012/03/22 高野山真言宗 資産運用で6200万円損失

 高野山真言宗(庄野光昭宗務総長)の第143次春季宗会(安藤尊仁議長・2月28日~3月2日・金剛峯寺宗務所)で、宗団による資産運用で約6200万円の差損(損失)が発生したことが報告された。併せて今後の資産運用を担う専門部局の新設も発表された。高野山学園の経営改革におけるコンサルタントの必要性の是非についても活発な議論が交わされた。


 森寛勝財務部長が資産運用の現状を説明。世界的な金融危機の影響で損益が出たことについて、「自らの責任をもう一度自覚し直し、資金の運用管理にあたる」と述べ、外部の有識者も交えた「資産管理委員会」を新設して運用していくと話した。


 宗団では平成19年度から開創法会事務局資金のうち2億円を資産運用してきたが、昨今の金融不況で差損が発生。宗務部で開創法会保有債券を取得し売却したが、その売却益が8801万4216円と大幅に減少。約5000万円の利息収入があったため、実質6200万円の損失であると報告した。現在、宗団が行っている資産運用の詳細については、全体委員会(非公開)の場で説明された模様。


 学生減少など深刻な経営難に直面していた高野山学園(大学・高校・幼稚園)の改革のため、平成19年度から経営コンサルタントの三木事務所と契約。経営の合理化で「19年度から22年度の半ばまでで約11億8千万円の経費圧縮ができた」と成果を報告した。


 廣瀬義仙議員(山梨・宝壽院)が、三木事務所への年間コンサルタント委託料について質問。委託の具体的なメリットについても質した。


 村上了海議員(福岡・呑山観音寺)は、『高野山大学学報』1月号に学園経費削減額やコンサルタント料への疑義を呈する内部告発文(大学再雇用職員・福西勝久氏執筆)が掲載されたことを問題視した。


 森財務部長は「(経営コンサルタントの)三木事務所にはアドバイザリー料契約として、宗団から合計3087万円、高野山学園から2100万円の計5187万円が平成19年度から毎年支払われている」と答弁。学園経費圧縮分については「18年度の消費支出部合計が約15億1529万円」と述べ、経営改革に着手した19年度から4年度分の削減額合計が約11億8000万円だと話した。その上で「学園改革にコンサルタントは必要不可欠と認識している」とし、「費用対効果は内局の専権事項だが、それに対するご意見は当然伺い、情報公開もしていく」と了承を求めた。


 星島光雅議員(岐阜・寳心寺)は学園の経営改革を評価した上で、「コンサルタント契約は一定の成果を出したら離れて(解約して)いいのではないか。護持負担金約8000万円に近い額がコンサルタントに流れていることについて地方寺院の間に心配の声があるのは事実」と述べた。


 庄野総長は、根本的な経営改革のためには専門的な分析が必須であると強調。「教育機関を持たない宗団はない」として一層の理解を求めた。

2012/03/22 大震災一周忌 岩手県宮古市では灯籠ともしタイ僧参列

 岩手県宮古市の閉伊川河川敷で11日、地元の青年僧侶らによる「東日本大震災受難一切精霊一周忌追善供養」が営まれた。阪神大震災の慰霊と復興の象徴「1・17希望の灯(あか)り」を手作りの提灯約8000個にともし、「夢灯り」による灯籠流しも行われた。参列した市民からは、「灯籠に供養の祈りをこめて流したことで、ようやく止まった時間が動きそうだ」との声も聞かれた。


 宮古市にともった神戸の「灯り」。真言宗智山派福島第一教区青年会(久野雅照会長)が約800キロを徒歩練行し、いわき市まで大切に運んできたものだ。その分灯が、宮城・岩手両県の沿岸部で供養行脚を続けている中村隆海氏(宮城智山青年会)に託され、両県にもたらされた。


 一周忌法要には岩手智山青年会の武田秀山会長の呼びかけに応じ、真言宗智山派から5人、同醍醐派から20人、同豊山派から3人、曹洞宗から6人が参加。タイ人僧侶十数人も出仕し、日本側の般若心経に続いてタイ語の読経を捧げた。


 厳しい寒さの中、大勢の市民が参列。「僧侶の読経の迫力、祈りの強さを肌で感じ鳥肌が立った。日本だけでなく国を越えてタイからも駆け付けてくれたことに感動した」という声が寄せられた一方、「昨年、この寒さの中で水に濡れ、すべてを失った。不安な一夜を外で過ごした記憶がよみがえってきた」という悲痛な声もあった。青年僧侶は宗派を超えて、地元市民の心のケアを続けていく決意を新たにした。


 同日午後2時46分には同市内の長根寺(住職=武田会長)で、翌12日には同市田老地区や釜石市、山田町、大槌町の各地区で、有志による供養法要が厳修された。

2012/04/05 大谷派・本願寺維持財団裁判 目的など変更無効と認定



 真宗大谷派(安原晃宗務総長)が本願寺維持財団(※、大谷暢順理事長)を相手取り、寄附行為変更無効の確認と信託財産200億円の返還を求めていた訴訟の判決が3月27日、京都地裁であった。杉江佳治裁判長は、同派請求のうち、変更無効はほぼ認めたが、200億円返還請求は棄却した。安原総長は同日、判決に一定の評価をしつつも控訴する方針を表明した。

 裁判で大谷派が求めた寄附行為変更の無効は、本願寺維持財団が昭和57年4月の変更で、目的に「真宗大谷派本願寺(=この訴訟で大谷派と認定)の助成」だけでなく「納骨堂の経営」を追加したことと、同63年5月の変更で解散時の残余財産の帰属先を「本願寺」の他、「目的を同じくする、又は類似の目的を有する公益法人、又は団体」をも可能にした点。

 また同財団が公益法人改革に伴い一般財団法人となるにあたって平成23年2月に、目的を「本願寺伝承の有形、無形の文化及び広く仏教文化を興隆する事業を行い、広く国民の教化善導を図る」、残余財産の帰属先を「(法律が掲げる)法人又は国若しくは地方公共団体」と変更した点も無効の確認を求めた。

「寄附行為の本質的事項を変更するような変更は無効」というのがその理由だ。

 判決では寄附行為変更について「納骨堂の経営」を追加した変更は「広義において原告(大谷派)に対する助成を意味するものと解することができる」として有効と判断。

 しかし平成23年2月の目的変更、また大谷派以外の団体とした同63年5月と平成23年2月の残余財産帰属先の変更は「当初の寄附行為との同一性を失わせる根本的事項の変更にあたり、無効である」と同派主張を認めた。

 もう一つの争点、200億円返還は、財団へ譲渡されたJR京都駅前の土地のうち約3千坪の売却額について、同派がその土地を運用して収入を得る信託契約に基づいて譲渡したものだと主張し、この裁判で信託契約の解除を宣告して、その返還を求めたもの。

 この点、判決では土地等の拠出は、財団側の主張を認めて「贈与」と認定し、「財団との間にこれを信託とする明確な合意がなされたことを認めるに足る証拠はない」として請求を棄却した。

 裁判は2010年7月に提訴。弁論は書面のやり取りのみで、証人尋問は行われなかった。

 判決を受けて安原総長は下京区の宗務所で記者会見し、寄附行為変更無効がほぼ認められたことに「維持財団問題がその解決に向け大きく一歩前進した」と評価し「敬意を表する」と述べた。しかし200億円の返還が認められなかった点については「先達の願いに思いを致すとき誠に遺憾な判断」とし、控訴する方針を明らかにした。

 同財団は昨年2月に国の認可を受けて一般財団法人へ移行、名称も「本願寺文化興隆財団」と改めた。これに対して大谷派は認可の取り消しを求め行政訴訟を昨年3月、大阪地裁に起こし、同時に認可の執行停止も申し立て、この申し立ては今年1月10日、その決定が下されている。

 京都地裁判決通り、寄附行為の変更が認められず、解散時の残余財産の帰属先が大谷派となると、法律が認める一般財団法人への移行要件に適合しない可能性があり、認可が取り消される可能性が出てきた。同財団も控訴する考えを示している。


2012/04/05 全日仏 公益財団で新スタート 代議員会議を新設

第30期会長就任の挨拶を行う半田天台座主。右奥は第29期の河野太通会長、疋田哲寿副会長、有田惠宗理事長(3月28日、京都)
 全日本仏教会(全日仏)は3月28日、京都市内のホテルで理事会・評議員会・参与会を開き、4月1日から始まる平成24年度事業計画案・予算案、平成23年度補正予算案を承認した。同日は公益財団法人に移行し、より公益性の高い活動が求められることになり、全日本仏教徒会議や調査研究など8項目の「公益目的事業」が示された。その中で全体的な協議機関として「代議員会議」の新設が決まった。

 事業計画の大綱では、「わが国の伝統的仏教界における宗派、都道府県仏教会、仏教団体等で構成する唯一の連合組織として広く社会に向けて、仏陀の『和』の精神を基調に仏教文化の宣揚と世界平和に寄与することを目的としている」と公益財団法人としての全日仏を位置づけた。

 その公益目的として、(1)全日本仏教徒会議、(2)調査研究活動、(3)仏教文化活動、(4)広報活動、(5)国際交流、(6)WFB(世界仏教徒連盟)、(7)救援活動、(8)大蔵経テキストデータベース運営の支援を掲げた。

 ほぼ従来の活動を踏襲しているが、調査研究活動の中に代議員会議として、「加盟宗派代議員会議」「加盟都道府県仏教会・加盟仏教団体代議員会議」を新設。事業の周知徹底や精査と共に要望等があれば意見集約し、理事会に具申が可能となる。年1回程度で、研修会などと併催。宗派や地域仏教会の相互理解の場ともなる。

 また「東日本大震災中間報告書」(2月末現在)がまとめられ、救援金総額1億3623万円、支援総額7535万円であることが報告された。


 公益財団移行後は評議員会が上位に置かれ、理事会とは別々に開かれるため、全体での会合は今回が最後となった。3月末で第29期(有田恵宗理事長)は任期満了し、4月から第30期(小林正道理事長)に入る。

第30期役員(敬称略)
会長=半田孝淳(天台座主)
副会長=北河原公敬(華厳宗管長)横田南嶺(臨済宗円覚寺派管長)萩野映明(埼玉県佛教会会長)前田定戒(和歌山県仏教会会長)宮林昭彦(日韓仏教交流協議会会長)
理事長=小林正道(浄土宗)
事務総長=関﨑幸孝(真宗大谷派)

2012/04/05 花まつりによせて 埼玉県佛教会会長 萩野映明



 私は谷中(東京都台東区)のお寺の生まれですが、どういうわけか生まれ育ったお寺では花御堂を飾ったり、白象を拵えてというのはなかったんですね。そのせいか、こちら(能仁寺)に来てからも特別な行事はしていないんです。もちろん、降誕会法要を営み、静かにお釈迦さまに感謝する気持ちをささげることは欠かしません。

 お釈迦さまは縁起を説かれました。縁によって生ずるとよく言います。私もいろいろな縁によって今日まで来ました。縁は出会いでもあります。人生を変えた二つのご縁を紹介させていただきます。
  ◇   ◆   ◇
 私は大学卒業後、スポーツ紙の記者をしていました。しかもスター揃いの読売巨人軍の担当。みんなから羨ましがられました。苦労も多いのですが、根っからこの性格ですから、あまり苦労を苦労と感じずにいました。

 記者2年目になろうかというとき、先輩から「川上(哲治)監督に取材してコメントを取ってこい」と命じられ、緊張しながら都内の私邸に行きました。現役時代は「打撃の神様」と呼ばれ、監督としても独特のオーラがあり、気難しい雰囲気がありました。川上さんの私邸でバッタリ、ある老僧に会いました。即座に梶浦逸外老師(1896~1981)だと気づきました。臨済宗妙心寺派管長を務められた方です。咄嗟に、「谷中の玉林寺の次男です」と挨拶しました。梶浦老師と父(山口秀孝師、1908~1966)は一緒に海外へ禅普及にでかけた間柄で、お寺に来たときに私も挨拶させてもらったことがありました。梶浦老師も思い出して「ホウッ、山口さんの子か」と声をかけていただき、少し言葉を交わしました。

梶浦老師の教え

 この一部始終を黙視していたのが川上さんです。いつもまとわりついている新米記者が、なぜ梶浦老師と親しげに話をしているのかと驚いたような、不思議なものを見るような目で見ていました。というのも、川上さんの師こそ梶浦老師でしたから。厳しい修行で知られる岐阜の伊深正眼寺に住持され、指導されていた方です。川上さんもそこで参禅され、教えを受けていました。

 それから私に対する川上さんの見方も変わりました。話す機会も増えました。ゴルフにもよく誘っていただきました。もともと巨人軍担当になったのも、川上さんが禅に傾倒していることから、禅寺生まれの私に白羽の矢が当たったようです。

 川上さんが凄いのは、梶浦老師の教えを野球に取り込んだことです。その一つが「和」です。みんな仲良くワッショイワッショイ、といった感じではなく、チームワークということです。当時の巨人にはONの王貞治さん、長嶋茂雄さん、金田正一さんといったスター選手や個性豊かな選手がいました。それを和(チームワーク)を基調に上手にまとめられたのが川上さんです。後年、「ONがいれば、川上監督でなくてもV9は達成できたでしょう」と問われた川上さんは、「V4か5はできたかも知れないが、監督の力がないとV9はできなかった」という趣旨のことを話されました。私もチームワークを重んじた川上さんだからこそ、達成できたと思っています。

 もう一つ忘れられない出会いは、記者を辞めて永平寺で修行していたときのことです。とにかく足が痛くて坐禅が辛い。しかも欲の塊のような人間ですので、坐禅しても心が落ち着かない。当時、私たちを指導する先輩僧侶に長野純信という方がいました。この方の坐相がすばらしくピクリともしない。そのうえ自らを厳しく律し、修行僧からも一目置かれていました。足の痛さに困っていましたので、長野老師にどうしたらいいのか聞いてみました。返ってきた言葉は「私だって足が痛いです」。その瞬間、ハッとしました。あの長野老師でも足が痛いのだと。

 さらに「形をきちんと整えることですよ」と続けました。その際に「形直影端」という教えをいただきました。形がまっすぐであれば影もまっすぐだという意味です。つまり坐禅では形を整えなさいということなのです。救われました。さとりとは何か、どうしたら足が痛くならないのかなどと考えていた私は、形だけを気をつけるようにしました。それから精神的に楽になりました。

 川上さんとの出会い、川上さんと親しくなるきっかけとなった梶浦老師との出会い、坐禅について教えてくれた長野老師との出会い。すべてご縁だと思います。もとをたどれば、自分がお寺に生まれたことが最大のご縁かも知れません。
  ◆   ◇   ◆
 東日本大震災により多くのいのちが失われました。被災された皆さまには心よりお悔やみ申し上げます。

 有名な言葉ですが、越後の良寛さんは大地震に遭遇し、「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。これ災難をのがるる妙法にて候」と記しました。しばしば冷たい語感のように受け止められているようですが、仏教の基本的な教えを説いているのだと思っています。災難や死というものから、私たちは逃れることはできない、逃れられないからこそ、真正面から向き合いなさいと。誰もが当事者なのです。

 この危難にしっかりと向かい合い、みんなで手を取り合い、被災地の復興を後押ししていきたいものです。日本のチームワークが必要なのです。       (談)
 ……………………………
 はぎの・えいみょう/1940年(昭和15)生まれ。学習院大学卒業後、報知新聞社に入社し巨人軍を担当。川上哲治氏や長嶋茂雄氏、王貞治氏らと親交を深める。巨人常勝時代の1972年に退社し、永平寺に安居。翌73年飯能市の能仁寺に入山。2010年、埼玉県佛教会会長に就任。今年4月から全日本仏教会副会長。

2012/04/12 全仏婦・豊島区仏 池袋サンシャインで花まつり

豊島区仏教会(山田正宏会長=本願寺派香教寺住職)と全日本仏教婦人連盟(末廣久美理事長)は3日、東京・豊島区の池袋サンシャインシティで「花まつりフェスティバル」を開いた。買い物客で賑わうなか、甘茶の接待や花の種の配布で、お釈迦様の誕生日をピーアールした。

 大正大学音楽部混声合唱団のコーラスのなか、豊島区仏教会の僧侶と、お稚児さん37人がお練りし特設ステージに入堂。ステージには花御堂が置かれ、「結ぼう絆 贈ろう心」の幕も掲げられた。

仏教会の僧侶や全仏婦の会員、お稚児さんが誕生仏に甘茶をかけて合掌。偶然に花まつりに出くわした60代の女性客は「自分の子どもがお稚児になった時のことを思い出して懐かしいです」とその様子を見守った。
会場ではマジックショーが行われたほか、花の種500袋と鉢植え130鉢が見物客に配られた。

2012/04/12 第36回正力賞決まる 杉の子こども会と水月会


杉の子こども会の南京玉すだれ 仏教精神に基づいた青少幼年の教化活動や文化・社会活動を通じて社会教化に長年尽力してきた個人・団体に送られる「第36回正力松太郎賞」(全国青少年教化協議会主宰)の授賞者が決まった。本賞には杉の子こども会(角出好隆代表=三重県・浄土宗長泉寺住職)、一般社団法人水月会(本多隆法代表=東京・真言宗智山派来福寺住職)を選出。今後の活躍が期待される「青年奨励賞」には社会慈業委員会ひとさじの会(渡部教道代表=東京・浄土宗安養寺副住職)が選ばれた。表彰式は5月31日、東京グランドホテルで。

水月会の日中友好学校の完成式。手前が本多代表 杉の子こども会は1961年に日曜学校として開設。仏前参詣、学習、勤労、ボランティアなどの活動、花まつりや修正会などの仏教行事、お寺での夏合宿などを通じて子どもの健やかな育成に尽力してきた。

ひとさじの会による生活困窮者の追悼供養 水月会は1967年に、各宗の寺院関係者を中心に設立。中国をはじめ、ベトナム、バングラデシュ、ミャンマー、スリランカ、ネパール等、アジアの発展途上地区での学校建設、困窮生徒へ奨学金支給などを続けてきた。

 ひとさじの会は2009年に浄土宗の若手僧侶有志で結成し、浅草周辺の路上生活者や生活困窮状態にある人におにぎりを届けている。葬送支援や追悼供養、寺院への災害用備蓄米の呼びかけ、若者への啓発活動にも力を注いでいる。

2012/04/12 孝道教団 花まつりに脱原発宣言



声明発表後、放射能汚染の現状と被災者支援への思いを語る岡野統理(4月8日) 「幸せの縁(えにし)をむすぶ花まつり」をテーマとする孝道教団(岡野正純統理)の第60回「孝道山花まつり」が1~10日、神奈川県横浜市の孝道山で開催された。8日午前には信徒400人が参加する中、本仏殿で釈尊降誕会大法要を厳修。釈尊の教え「すべてのいのちは尊く、すべてのいのちを大切にしなければならない」に基づき、脱原発を求める声明「原子力発電に頼らないいのちを尊ぶ社会の実現に向けて」を発表した。

 「原子力発電は、ある特定の人びとに犠牲を強いることを前提としており、すべてのいのちを尊ぶ釈尊のみ教えに反するものです」「私たちは、福島原発事故の悲劇を二度とくり返さないために、原子力発電に頼らない自然エネルギーへの転換を促し、すべてのいのちの尊厳を社会に訴えてまいります」と表明する声明文を、山口正戒法務部長が読み上げた。

 孝道教団では震災直後から、炊き出しや生活物資の配布など被災地支援を開始。福島県いわき市や宮城県気仙沼市を中心に、引き続き行事交流等による生活支援を行っていくという。岡野統理は、「自治会の皆さんは、(被災者が)引きこもってしまうことを一番心配している。特に高齢男性が引きこもりがちなので、信徒の整体師の協力を得て住民交流のイベントも考えています」と話す。

14日にはいわき市を訪れ、「異なる地区から避難しているお母さんと子どもたちが交流できるように」(岡野統理)、子ども向けの催しを開く。教団が取り組んでいる子育て支援のノウハウを活かしていく考えだ。

 法要後、境内で民俗芸能大会も開かれ、気仙沼市浪板虎舞やいわき市じゃんがら踊りなど被災地からも出演。復興祈念物産展では気仙沼市のふかひれ寿司や山形の芋煮等々、各地の名物が盛りだくさん。終日、大勢で賑わった。

2012/04/12 天台宗 祖師先徳大法会が開闢


不滅の法燈が照らす根本中堂で半田座主のもと厳修された総開闢法要 平成24年4月から34年3月まで10年間にわたる天台宗(阿純孝宗務総長)の「祖師先徳鑽仰大法会」が1日始まり、大津市の総本山延暦寺根本中堂で半田孝淳座主が大導師を務め、宗本の内局が出仕して総開闢法要を営んだ。この日は延暦寺開館で記者会見も行って大法会をマスコミへアピールした。

 大法会は来年1月14日祥当の慈覚大師1150年遠忌から、平成33年6月4日祥当の伝教大師1200年大遠忌へ至る祖師先徳の佳節を記念し、鑽仰するもの。

 最初の3年間を第1期、その後7年間を第2期と区分し、第1期は慈覚大師遠忌法要を中心に事業を推進。来年1月の祥当法要は教区と天台仏青の代表で、来年5月14日は一宗挙げて遠忌御影供法要を執り行う。同27年3月末までに各教区法要も執行する予定。

 通期の記念事業として経年で不具合のある根本中堂修理、『天台学大辞典』の刊行、教化面では祖山参拝・結縁潅頂、写経を確立した慈覚大師にちなみ、団参時や各寺院での法華経の写経を推進する。

 このほか今年は慈覚大師の業績を広く周知するため「慈覚大師を語る」と題して7月26日に東京・虎ノ門の東京中国文化センター、7月28日に延暦寺で講演会を開催。同センターでは8月8日に天台声明の公演、8月10日に武者小路千家・千宗屋氏による講演会も予定している。

 慈覚大師に関する様々な書籍の刊行、国内外のゆかりの地への団参も計画している。

 第2期の事業案は今後企画委員会で策定する。5月11日には改めて総開闢奉告法要を宗門あげて厳修する。

2012/04/19 大正大学 杉谷理事長を再任

 大正大学(東京都豊島区、多田孝文学長)は3月29日、理事会を開き、杉谷義純理事長(天台宗)の再任を承認した。浄土宗以外の宗派で理事長を2期以上務めるのは初めて。任期は4月1日から3年間。4年後の平成28年(2016)に迎える創立90周年に向けて準備を整えていく。

 理事長を除く設立四宗派の常任理事は、岡本宣丈氏(浄土宗)と吉田宏晢氏(真言宗智山派)が再任され、星野英紀氏(真言宗豊山派)が新たに就任した。

杉谷理事長に聞く

 東京・西巣鴨のキャンパスでは、90周年事業の一環として整備が進められている。先月には新3号館が完成した。引き続き、4月11日には5号館の地鎮式が営まれた。また4号館の改築も決定している。「学生の満足度を高めたい。それには充実した学生生活により人格が高められるよう、教育・学術面でも力を入れたい」と杉谷理事長。

 昨年夏には、表現文化学科などの定員増(120人)が文部科学省から認められた。「2年前に仏教学部が復活し、表現学部が開設された。これに文学部と人間学部を合わせ4学部体制となった。おかげさまでこの3年間で受験生が毎年2割ずつ増加した。今年は前年より少しの増にとどまったが、大震災や少子化のことを考えると、影響は最小限に抑えられたのではないか」

 文系のイメージが強い大正大学だが、さらなる挑戦が続く。「経済もしくは経営関係の学部開設に向けて研究」していく方針を明らかにした。開設時期や内容は今後の検討課題とみられるが、仏教精神を視野に入れた新学部になりそうだ。

 また仏教や宗派教学の「社会化」についても思案する。仏教学部が復活した一因には社会問題に仏教はどう応えるのか、という視座があった。

「仏教の社会的責任をどのように果たし、発信していくか。社会問題に仏教は何ができるのか。宗門子弟はもちろん、一般の人が学べるようにしたい」と抱負を語る。様々な社会問題と仏教を結びつけることで、仏教学部の門戸をさらに広げようという試みである。

 国際交流の一環として米ハーバード大学のライシャワー研究所と提携することも決まった。今月中にも責任者が渡米して調印する予定だ。

 そして大学の評価を左右するのが就職である。「就職率のさらなるアップにも力を入れたい」。学士力を高め粘りのある人材を育成し、社会に送り出すことを目指す。

 大正大学は震災後、宮城県南三陸町で復興支援プロジェクトを継続している。他大学にも呼びかけ、「南三陸町再生私大ネット36」を立ち上げた。36は、三陸(サンリク)の語呂合わせ。被災地に研修センターを設置し地域再生に協力していく。

 こうした社会活動の背景には、4年前に打ち出した「大正大学の社会的責任(TSR)」がある。「文科省が先進的な取り組みだと評価し、助成金をいただいた。大学としても復興支援や地域社会との連携、交流を一層深めていきたい」

2012/04/19 仏教主義学校連盟 降誕会に800人参加


5校64人が集まった合同バンド(千代田女学園) 仏教を建学の精神に位置づける東京・神奈川・埼玉の私立中学高等学校17校が加盟する仏教主義学校連盟は7日、東京・千代田区の千代田女学園で第48回釈尊降誕「花まつり」を挙行した。加盟学校の生徒や教員約800人が参加し、釈尊の誕生をお祝いした。

 大澤紘一会長(千代田女学園中学校高等学校校長)が開式の辞。大震災からの復興について、「一日でも早く回復するために全国の皆が力を合わせる必要があります」とし、「世のため、人の為ため何をすべきか学んでいると思います。仏教主義の学校だからこそできることを、力を合わせて考えてほしいと願っています」と呼びかけた。

 式典では千代田女学園献香部の献灯・献華・献香、鶴見大学付属高等学校洋舞クラブによる「散華の舞」で壇上の花御堂を荘厳。全員で三帰依文の読誦、四弘誓願を斉唱し、大澤会長、来賓の新倉典生・東京都仏教連合会事務局長、各校代表の教員、生徒が灌仏して釈尊誕生を祝福した。

 新倉事務局長は誕生仏の姿について「全ての命を慈しみ、尊敬し、支え助け合うことが大切だと伝えている」と説示。震災復興で使われる「絆」の言葉を「ご縁」に置き換え、「家族、友人の命を大事に敬い合い大事にする。そういった心をお釈迦さまの姿から学んでほしい」と語りかけた。
次いで生徒を代表して千代田女学園高等学校3年の富谷弥法さんが奉讃文を読誦。「お釈迦さまの教えに耳を傾け、努力していくことの尊さを自覚し、これからの時代を築いていく」と誓った。

 清興では、世田谷学園中学校高等学校、駒沢学園女子中学校高等学校、立正中学校高等学校、東京立正高等学校、横浜清風高等学校の5校64人で結成した「仏教主義学校連盟合同バンド」が、前回に続いて演奏。各演目では、ソロを務める生徒がスポットライトを浴び、演奏を終えるごとに温かな拍手も。ラストは軽快なリズムが楽しい「テキーラ」で締めくくられた。

 昨年の花まつりは震災の影響で中止となったが、当日は「第47回」と記された記念品を配布。開会に先立って、被災地に思いを寄せ、黙祷が捧げられた。

2012/04/19 日蓮宗地域社会と寺院活性化コンペ 神奈川の建築士が大賞


大賞「大きな屋根の下から広がるコミュニティ」のコンセプトデザイン 昨年12月から日蓮宗(渡辺照敏宗務総長)が募集していた「地域社会とお寺の活性化アイデア」のコンペティションの結果が3月15日に日蓮宗ポータルサイトで発表され、4月2日に東京・池上の宗務院で授賞式が開催された。受賞者からは寺院への熱い思いが語られ、寺院への期待の高さを窺わせた。

 宗外の審査員を招いて実施されたアイデア部門は、応募総数221通の中から神奈川県の永山淳朗さん(建築士)の「大きな屋根の下から広がるコミュニティ」が大賞(賞金20万円)に輝いた。

 受賞したアイデアは、一般に敷居が高いとされる寺院のイメージを変えるもので、本堂の建具をなくし「誰でも入れるお寺」「地域の大きな縁側」という寺院の役割を喚起したコンセプトが評価された。審査委員からは「工夫次第でいくらでも活用可能な可能性を感じる」「お寺特有の建築物と空間を公園のように開放する大胆な提案」との評を得た。

 大賞を受賞した永山さんは「今回のコンペは純粋な建築のコンペではなかったのですが、建築が専門でない方にも評価していただき、大変うれしく思っています」と喜びを語った。

 優秀賞(賞金10万円)には、〝まちの駅〟と人生の問題解決法〝生きテク〟を組み合わせた「お寺大好きプロジェクト」。朝のお勤めや清掃など寺院の日常を体験する「坊‘s Hostel(ぼうずほすてる)~日常から一歩離れてお寺に泊まろう!」。敷地の壁を取り払い、お寺を庭園化する「仏陀と花見に行きましょう~」が選ばれた。

 この他、「『往復はがき』de お寺と文通」と寺院を出張授業や物々交換、図書館システム、物産展の場とする「出会い・つながり」が入賞(賞金3万円)した。

 活動部門では、「森と寺小屋のようちえん」「お寺de縁結び」「七尾山の寺学」「情操教育の一環としての立本寺でのお寺体験」が優秀賞を受賞。「輪を作り輪を広げ 地域が生き生き銀杏のお寺」「絆・縁で結ばれし~若者が集うお寺蓮紹寺」が入賞。若い世代や地域の人々と運営する活動が多く受賞した。

 渡辺総長は、自坊での活動を紹介しながら、「素晴らしい皆さんのアイデアをぜひとも宗門で取り上げて活かしていきたい。皆さんのご協力に感謝します」と挨拶。

 活動部門の審査員を務めた柘植海潮・過疎地域寺院活性化検討委員会委員長は、「多くのご寺院に知ってもらうこと。今後、どういう形でいただいたアイデアをご寺院が取り入れるかが大事」と話しており、第2回のコンペも視野に入れ、今後は結果をどのように活かすか委員会での検討に入る。

 宗務院伝道部では、今回のコンペの結果を日蓮宗ポータルサイトに掲載。授賞式の模様も同サイトで動画配信する予定で、寄せられたアイデアが宗内で共有できるよう周知していく。

2012/04/26 上醍醐薬師堂 新薬師三尊像を開眼


仲田座主導師のもと新薬師三尊像の開眼法要が営まれた 総本山醍醐寺(仲田順和座主、京都市伏見区)の上醍醐薬師堂(国宝)に、新造された薬師三尊像が安置され23日、仲田座主はじめ同寺僧侶約30人が出仕して開眼法要を厳修した。

 新薬師三尊像はいずれも桧の一木造り。漆の上に金箔を貼り、古く見えるように仕上げられた。中尊の薬師如来は像高180センチ、左脇侍の日光菩薩と右脇侍の月光菩薩が各122センチ。

 もとの薬師三尊像(国宝)は2000年11月に防災や文化財伝承の観点から下醍醐の霊宝館に安置され、以後今日まで堂内に本尊がない状態だったところ、大阪府箕面市在住の醍醐派僧侶・山本杲秀(ごうしゅう)千穂子さん夫妻と座主夫人の仲田惠津子さんが寄進した。仏像製作は「みやこ仏像彫刻総本家」の宮子紘一さんが担った。

 開眼法要後は仲田座主が施主ら4人へ感謝状、壁瀬宥雅執行長が記念品を贈呈。この後壁瀬執行長が挨拶し、もとの薬師三尊が千年の歳月を経たことを述べ「今日ここに造立されたお薬師様もこれから千年の時を刻んでいくと思います。ここにお薬師様を安置することは座主の念願でした」と述べ、奉納に感謝した。

 施主の山本杲秀さんは「一人でもお参りしていただき、ますます醍醐寺が栄えることを願っています」と述べるとともに、「門跡(仲田座主)が大変苦労されてきたのは知っていましたので、多少ともお手伝いできたらと思っておりました」と奉納の経緯を話した。

2012/04/26 地域をつなぐお大師参り 千葉・野田市の八十八箇所巡り


駒形神社境内の大師堂前で般若心経や光明真言を唱和 全国各地に広がる弘法大師霊場。中でも千葉県野田市にある「中郷新四国八十八箇所」では毎年4月9~11日、市内各所の大師堂を巡拝する「お大師参り」が行われている。お遍路一行とそれを歓待する各地区の「お接待」。今も大師信仰が地域の縁をつないでいた。

 江戸時代までさかのぼるという「お大師参り」。札所となる大師堂は、お寺の境内だけでなく神社や共同墓地、路傍、民家の敷地内にもある。祀られている大師像も木像や石像、塑像など様々だ。
真言宗豊山派富蔵院(大野弘俊住職)の檀信徒でつくる船形安養講。結願日となる11日には34人が参加した。大野住職(67)は、「私が子どもの頃はお大師様の幟旗を担いで歩いて回った」と振り返る。昭和40年代初めまでは徒歩。その後自転車になり、最近10年はマイクロバスで巡るようになった。

「お大師参り」の華は、お遍路一行が行く先々で奉納する「光明真言太鼓」。真言と太鼓のリズムが融合した郷土芸能だ。

 かつては地区ごとに大師講があり、講ごとの賑やかな「お大師参り」が春の風物詩だった。しかし講員の高齢化などで自然解散するケースが続き、10年前には10あった講が今では半減。しかし「講は消滅しても、4~5人の小グループでお参りを続けている人が結構います」(大野住職)。大師講復活の芽はあるのだ。

 そして、最も盛り上がるのが「お接待」だ。各町内会の有志が、手作りの料理などで遍路一行をもてなす。とれたての新鮮な食材を用いた地元の味と美味しいお酒。話が弾まないわけがない。

 斉藤亮一さん(76)は、「何年も行ってると、みんな顔見知りになります」と楽しそう。石塚景一さん(78)も「今、孤独死が増えてるけど、こういう行事があれば〝あの人来ないけどどうしたんだろう〟って心配するでしょ。これが絆ですよ」と笑顔を見せる。

 最終日は13カ所を回り、3日間で44カ所を参拝。最後は富蔵院境内の大師堂にお参りし、本堂で結願法要を厳修した。

 20年間、毎年参加している伊藤久子さん(75)は「体の具合が悪くてもお大師参りに行くと治るんだよ!」。斉藤弘子さん(75)も「楽しいからできる。また来年も回りたいです」。

 大野住職は「『お大師参り』はもともと豊作祈願の行事で、お接待は田植えの情報交換をする大切な交流の場だったと思う。長い間、大師信仰が地域をつないできた。この伝統をずっと守り伝えていくことが、私の務めです」と語った。

2012/04/26 地域といのちを守れ! フクシマ全国集会


宗教者と住民による対話。事態の深刻さを再認識した「原子力行政を問い直す宗教者の会」は17から19日まで、福島市のコラッセ福島を主会場に「2012フクシマ全国集会」を開催した。県内外から宗教者、市民ら80人が参加。原発事故が引き起こした放射能被曝や人々と地域の分断、子どもたちのいのちをいかに守るかといった問題を共有した。最終日には福島県庁と関係省庁に対して「子どもの保養(避難・疎開)への支援」「全国どこの原発も再稼働しないこと」などを求める申し入れを行った。

 初めに事務局長の長田浩昭氏(大谷派)が大会趣旨を説明。これまでの活動を振り返り、「原発が止まらない限り、事故が起こると知っていた。それを伝え続けてきたが、知っていた者の罪は、知らなかった者の罪より重い。力がたりなかった」と謝罪した。そのうで、「現実化した総被曝の真っ只中で生きる多くの人々の悲しみと、怒りの中から発せられる人間の声を聴きとるため」と福島での大会意義を説いた。

 集会では福島の宗教者や市民の声に耳を傾けると共に、“ただちに影響はない”といった言葉に代表される「安全キャンペーン」の根拠となったICRP(国際放射線防護委員会)の歴史と思想性についても学んだ。

 宗教者の報告では田中徳雲氏(南相馬市・曹洞宗)、片岡輝美氏(会津若松市・日本基督教団)、吉岡棟憲氏(福島市・曹洞宗)、佐々木道範氏(二本松市・真宗大谷派)が発題。吉岡氏は県外からは「普通の生活」に見える福島で子どもたちが県を離れ、農業や観光業が困窮している現状を訴え、「忘れられることが一番怖い。風化させること、それが国や東電の狙い」と憤りを露わにした。

 NPO法人「TEAM二本松」を設立し、食品の放射能測定や幼児の一時疎開、除染活動を実践している佐々木氏は、「避難した人も、残った人も共に苦しみ、罪悪感を抱えて生活している」とその声を代弁。「1年が経って、子どもを守る親も疲れてきている」と吐露した。

 市民からの報告では、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の吉岡裕之氏が、子どもたちの疎開や保養の取り組みの有用性などを挙げ、継続的な活動への支援を求めた。

 最終日には、福島県と関係省庁に対し、アピール文と要望書を提出。県に対しては「子どもの保養(避難・疎開)企画を支援する事業の対象を、県内だけなく県外にも拡げること」「『放射線副読本』を用いないこと」、関係省庁に対しては、「国はこれまで原発の危険性を隠し、推進してきたことを、国民に謝罪すること」「全国どこの原発についても再稼働をしないこと」などを申し入れた。

2012/05/10 築地本願寺 宗務長に不二川前総長


 新体制が発足した浄土真宗本願寺派(橘正信総長)で4月23日、直轄寺院・築地本願寺の第1回評議会が開かれ、初代宗務長(代表役員)に前総長で前築地別院輪番の不二川公勝氏が選ばれた。任期は2年。


 4月に施行された直轄寺院規程に基づき、橘総長と住職である大谷光真門主の協議によって宗務長候補者には不二川氏と前田至正氏(東北教区宮城組清林寺住職)の2人が指名され、評議会を構成する評議員7人の選挙で満票を獲得した不二川氏が当選した。


 不二川氏は昭和12年1月生まれ、75歳。広島県三次市(備後教区三谿組)明覚寺住職。03年11月から09年8月まで約5年90カ月総長を務めた後、10年4月から築地別院輪番を務めていた。宗務長は宗会議員を兼ねることができないため4月24日付で宗会議員は辞任した。


 築地本願寺は直轄寺院として東京・神奈川・千葉・埼玉1都3県(首都圏特区)における都市開教を強力に推進するため設置され、不二川宗務長はその陣頭指揮を執ることになる。


 なお築地の評議員7人は次の通り(敬称略)。


 橘正信(総長)北畠典生(執行長)松井角平(総代・松井建設会長)蔵田了然(東京教区会議長)桑原明文(同副議長)石上和敬(有識者・武蔵野大学准教授)安永雄彦(同・島本パートナーズ代表取締役)
   ◇   ◇
 宗務長と共に同寺執行機関・宗務室を構成する副宗務長には林安明氏(前和歌山教区教務所長)と藤井純惠氏(前宗門災害対策室部長)が4月25日付で就任した。

2012/05/10 真言宗豊山派 次期管長に加藤精一氏


 真言宗豊山派では小野塚幾澄管長が6月13日に任期満了を迎えるのを受け、管長推戴委員会を4月26日、東京・文京区の宗務所で開き、次期管長に加藤精一氏(75)を選出した。任期は6月14日から4年間。総本山長谷寺への入山式を6月中、宗務所での管長就任式を9月中、総本山長谷寺での晋山式を11月中に予定している。

 加藤氏は昭和11年6月生まれ。東京都練馬区・南蔵院住職。大正大学名誉教授。教化センター宗学研究所所長、総合研究院院長など宗内要職を歴任。東京都功労賞(平成4年)密教学芸賞(同7年)密教教化賞(同23年)。主な著書に『日本密教の形成と展開』『弘法大師の人間学』『弘法大師空海伝』『空海入門』など。

2012/05/10 原発再稼働反対! 89歳瀬戸内寂聴さん ハンガーストライキ

「仏教は絶対に人を殺すなという教えです。だから、人を殺す原発はあってはいけないんです」


 こう語るのは、天台宗僧侶で作家の瀬戸内寂聴さん。2日、89歳という高齢でありながら、関西電力大飯原子力発電所(福井県おおい町)の再稼働に抗議するため、霞が関の経済産業省前でのハンガーストライキデモに加わった。市民団体「経産省前テントひろば」の活動に共鳴しての行動。袈裟の胸元に「再稼働反対」のハチマキや缶バッヂを付け、朝から日没までのハンストを実践した。「医者に言うと止められるから」と医師には告げずに参加したという。


「90歳のばあさんが座ってデモをしていれば、若者も張り切って行動してくれるでしょう」と述べ、未来の世代に負の遺産を残してはいけないと力説。「原爆を落とされた経験がある日本が唯々諾々と原発を使うのは恥です」とも。


 また、子どもの日を「脱原発の日」とする運動にも同調した寂聴さんは、その日に掲げる鯉のぼりの模様を自ら描き、強烈に反原発をアピールした。


 同日はルポライターの鎌田慧さんやノンフィクション作家の澤地久枝さんもハンストに参加。作曲家の坂本龍一さんはメッセージを寄せた。日本山妙法寺の僧侶も団扇太鼓で反原発を訴えた。

2012/05/10 日本国憲法施行65年 沖縄本土復帰40年 平和維持に知恵生かせ(岡田弘隆)

帝国劇場「祝新憲法施行」の飾りつけ(『画報現代史第3集』)私は昭和21年7月生まれ。母の胎内へは昭和20年に入りました。父は戦争末期に応召。沖縄戦増援部隊として奄美近海で米軍に撃沈され、助かった一人として奄美特攻基地に所属し、そこで敗戦を迎え本土に復員。大空襲で丸焼けの寺を経て疎開先の熊谷にたどり着き、私が生まれたのです。その父も戦病死しました。父が沖縄に着いていれば、私は生まれなかったでしょう。その父のご縁の沖縄にきたのが、2006年(平成18)の9月末でした。


 沖縄本島の南端糸満市潮平一番地に長谷寺を開創し、6年目に入りました。先日は長谷寺を会場に沖縄県仏教会主催の花祭りが開かれ、稚児参加者が過去最高の50名に達し、終日賑わいました。


 さて薩摩藩は1609年に独立国琉球を軍事侵略し、以来琉球の中国貿易などの利権を横取り。明治政府は琉球国を廃し沖縄県をおき、日本最初の植民地として支配を強めました。かの戦争末期には沖縄に米軍を一日でも長く釘づけにする捨石作戦をとらせ、兵員も食料も現地調達という根こそぎ動員作戦により国内で唯一の地上戦で民間人が兵員を上回って犠牲になりました。
 方言を使う住民がスパイとして虐殺され、朝鮮半島出身の「慰安婦・軍夫」も多数犠牲になり、住民は軍事機密の漏えいを恐れる日本軍の軍命によって集団自決に追いやられました。その過酷な犠牲の上塗りとして、本土は沖縄を分離・捨石にして1952年4月28日独立し、ために沖縄は終戦から27年間の米軍支配を受けました。そのうえ、未だに米軍基地の74%を国土の0.6%に押し付けられています。そんなことができるのは沖縄が日本の植民地だからです。


 現在の沖縄は米軍と日本の二重の植民地支配にあえいでいます。本土の皆さんは、私もそうでしたが、沖縄には押し付けていていいという思いがあるのです。いや知らなかったと言えるのは、そこがいまだに植民地だからです。こちらにきてつくづくそれを知らされました。自分も知らないでいたのです。知らないのが幸せ、知れば何とかしようと苦しむのです。


 沖縄は「日本国憲法のある本土復帰」を求めましたが、1972年5月15日の本土復帰後も、例えば2004年8月13日の米軍ヘリの沖縄国際大学への墜落の際には、米軍が現場を封鎖して日本の警察も手を出せない状態でした。沖縄では本土復帰を「施政権返還」と呼びますが、実態はこの言葉の通り、「行政権の一部」だけが返還されただけで、司法権も警察権も課税権も未だに米軍は治外法権のままになっています。


原発問題と近似


 いやいや翻って本土を見てみれば、本土も米国と米軍はしたい放題、やりたい放題にやっているではありませんか。本土の米国支配からの1952年の独立も、米国に限りなく従属した半独立でしかないのではないですか?


 今年は日本国憲法施行65年、日米安保60年、沖縄の本土復帰40年の記念すべき年ですが、本土でも沖縄でも、日本国憲法よりも日米安保が優先する日々が続いているのではありませんか。


 でも、でもです。初めあるものは終わりありです。大河ドラマではありませんが、奢れる者久しからず。亡びが始まると早いものです。私は米国の凋落の多数の兆候を察知していますが、世界、特にアジアは激動期を迎えています。


 原発と沖縄は構造が似ていると言われています。危険なものは僻地に押しつけている構造がです。その福島の原発が爆発し,放射能は予測した僻地に留まるものではありませんでした。いま脱原発の戦いが全国に広がりを見せています。


 沖縄戦の教訓は、日本軍と共にあった住民は犠牲になり、日本軍のいなかった島は無傷で助かったのでした。私たちも米軍とともにいて安全なのか。軍事に頼るよりも、どうしたら平和を維持できるか。外交と民間の知恵を生かす方策に傾注すべきかと思います。日中を初めとして仏教徒の交流は益々重要になっています。曼荼羅の世界には、その外側という思想はありません。人類も生物もどの国家もどの宗教も全ては曼荼羅の内側の存在です。仲良くしないでよいはずはないのです。本土の皆さん、事実を知るにはその場所に立ってみるのが一番です。


 ぜひ沖縄にお出かけ下さい。いつでもご案内しますから。   合掌
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 おかだ・こうりゅう/1946年7月生まれ。真言宗豊山派長谷寺住職。6年前に都内の寺院から沖縄県糸満市に移住。弁護士。

2012/05/17 大正大学 ライシャワー研究所で講演



研究所前で記念撮影。中央左が星野教授、右がハーデカ教授 大正大学(多田孝文学長)は昨年9月1日、米国ハーバード大学のライシャワー日本研究所と学術交流を締結。交流の皮切りとなる講演会が4月24日、現地で開かれた。訪米した星野英紀名誉教授(元学長・常任理事)が「大正大学と仏教研究」と題して、大学の歴史と功績のあった学者7人を紹介し、大正大学の意義を話した。提携期間は5年で、英語による仏教研究の深化と発信が期待される。

 昨年5月、ハーバード大学東アジア言語文明学科のヘレン・ハーデカ教授から星野氏あてにメールで連絡があった。もともと旧知の間柄で、「仏教学や宗教研究の盛んな大学と協定を結び、大学院生・ポスドク(博士号を有した若手研究者)の交流を図りたい」 といった内容だった。多田学長はじめ大学当局で検討し、締結を決めた。昨年9月1日、事務レベルで調印した。

2012/05/17 第29回庭野平和賞贈呈式 マヤの精神で平和構築



賞状を読み上げる庭野名誉会長。右隣りがロサリーナ氏と子どもたち 公益財団法人庭野平和財団(庭野欽司郎理事長)は10日、東京・六本木の国際文化会館で、伝統的なマヤの精神をもとに活動をしているグアテマラ共和国の女性人権活動家ロサリーナ・トゥユク・ベラスケス氏(56)を迎え、第29回庭野平和賞贈呈式を挙行した。財団名誉会長の庭野日鑛氏(立正佼成会会長)は「庭野平和賞がこうした先住民の精神文化を背景にした実践者に贈られることは初めて」と祝福。ロサリーナ氏は感謝の言葉とともに、平和と調和の重要性を強調した。


 最初に庭野平和賞委員会のキャサリン・マーシャル氏が選考経過を報告。33人の候補者の中から選考を重ねてロサリーナ氏に決まったとした。彼女の歩みを紹介しながら、「ラテンアメリカで尊敬されるリーダー。庭野平和賞に相応しい人物」と讃えた。

 庭野名誉会長が登壇。マヤの民族服をまとったロサリーナ氏を前に、「マヤの伝統を受け継ぐ女性として、世界平和の実現に活躍するあなたの比類のない深い献身に感銘を受け、人類に対する傑出した貢献に対して第29回庭野平和賞を贈呈いたします」と読み上げ、賞状を手渡した。

 続く名誉会長挨拶では、ロサリーナ氏が設立に参加した「連れあいを奪われた女性たちの会」(コナビグア)の活動について、「コナビグアは先住民の女性たちが悲しみを分かち合い、社会の情報を得て自らの権利を学び、次第に自信を深めていく重要な役割を果たした」と高く評価。「仏教では同悲同苦、自利利他が菩薩の精神であると教える。まさにロサリーナ氏に菩薩の姿をみる思いがする」と述べた。

 受賞スピーチでロサリーナ氏は謝辞を述べるとともに、内戦で父と夫が拉致され行方不明であることや、自身の活動がマヤの教えに基づいていることなどを話した。「マヤの世界観において、存在の目的は均衡と調和の維持」「マヤの根本思想は、公平・平等・人の共存・コミュニティーの共存の原則に立ち行動できることであり、如何なる人も無視しないこと」と原点を提示した。

 スピーチ後、庭野名誉会長に登壇を促し、女性の手による伝統的な織物と「神聖なマヤの石」がはめ込まれたプレート(額)をプレゼント。カラフルな織物を肩にかけられた名誉会長は感謝の言葉を述べた。

 来賓祝辞は、平野博文・文部科学大臣、駐日グアテマラ大使館のバイロン・エスコベド大使、日本宗教連盟の芳村正徳理事長の3氏。エスコベド大使は、「グアテマラの迫害された先住民および民主主義のために闘った、すべてのグアテマラ人の象徴となる女性」とロサリーナ氏を讃えた。さらに今回の受賞が「日本とグアテマラの関係を一層強固にするもの」と庭野財団に感謝した。

2012/05/17 高幡不動尊金剛寺 大師堂・聖天堂落慶記念大法要



230年ぶりに再建された大師堂と聖天堂(奥)。春季大祭国宝まつり期間中、たくさんの参詣者の姿があった  東京・日野市の真言宗智山派別格本山高幡不動尊金剛寺(川澄祐勝貫主)は4月26日から始まった春季大祭国宝まつりに併せ、昨年竣工した大師堂・聖天堂の落成慶讃記念大法要を執り行った。230年ぶりに再建された両堂の落慶により、安永8年の大火で焼失した伽藍が整い、歴代住職が心血を注いできた復興事業が果たされた。
(全面大特集・詳細は本紙をご覧ください)

2012/05/24 仏教系団体 新法人移行祝う


仏教保育功労賞の授与式日仏保 功労者2人を表彰
日本仏教保育協会(上村映雄理事長)は15日、東京・港区の増上寺で社団法人から公益社団法人へ移行して初めての社員総会、都内のホテルで移行設立記念祝賀会を開催。仏教保育功労賞の授与式も行われた。

 同協会は平成22年から「将来検討委員会」を発足。計6回開催し、公益新法人への道を模索してきた。去年12月に内閣府に公益社団法人への認定を申請。今年3月下旬に認定を受け、4月1日付けで登記を完了した。


 祝賀会では、大本山増上寺法主の八木季生明要会長から、同協会の発展に尽力し、長年仏教保育に従事した小林昭彦参務(東京・言問幼稚園)、神谷周道参務(大阪・北港学園保育所)に仏教保育功労賞が贈られ、授与式が行われた。

 公益社団法人への移行設立について、同協会の国会議員懇話会に所属する議員が祝辞。与野党の議員からは共通して、仏教保育と公益活動に期待する声が上がった。多くの園長が集まる席でもあり、野党議員からは、政府が待機児童を解消するために進めている「総合こども園」を、「保育園、幼稚園にはそれぞれ違う役割がある」「十分な議論が尽くされていない」など、政府の政策を批判するスピーチも見られた。


 同協会は昭和4年に仏教系幼稚園、保育園等の全国組織として発足。昭和44年に社団法人の許可を受け、最も歴史の長い保育団体の一つとしても知られる。平成23年の時点で加盟施設は、1191施設(幼稚園647園、保育園512園、養成機関32校)。


 昨年発生した震災の対応では、被災地の保育施設への支援にも力を入れており、全日本仏教会や日本赤十字への義援金を寄託、さらに「いかせいのち」募金と併せ1600万円の義援金配布。福島の加盟園に線量計を配布する等の支援をした。


 上村理事長は「責任を感じつつ、胸を張って公益性を高めていく。保育のネットワークを生かして、今後も子どもたちのために頑張りたい」と話している。

いっそうの奮闘を誓う情報センターの高橋理事長仏教情報センター 来年30周年の節目
 仏教情報センター(高橋隆岱理事長)は昨年12月16日に一般社団法人格を取得。その記念祝賀会が15日、東京・港区の仏教伝道センタービルで開催され、センター員や来賓など30以上が出席。新しい門出を寿いだ。


 高橋理事長は「一般社団法人として、これからはいっそう社会に認められるように頑張りたい。宗派のしがらみにとらわれず、純粋に仏教を求道する初心を忘れずに、宗祖の弟子として努めていくつもりです」と挨拶。来年迎える30周年を期して、さらに気を引き締めての精進していくことを宣言した。


 全日本仏教会や全日本仏教婦人連盟など、各方面からの来賓も挨拶。


 最初期から運営に尽力していた吉水裕光氏(浄土宗光照院住職)は「今の私があるのも情報センターのおかげ」と話す。安孫子虔悦前理事長は30年の歩みを振り返りって、現在は会員数が147名を数えることに感慨を述べ、さらなる発展を期待した。


 祝賀会の前には大下大圓氏(高野山真言宗飛彈千光寺住職)による講演会もあり、実践的なスピリチュアルケアの手法をセンター員は学んだ。

2012/05/24 埼玉・歓喜院 聖天堂が国宝に

 昨年、保存修理工事が竣功文化審議会は18日、極彩色の精緻な彫刻で「埼玉日光」とも称される埼玉県熊谷市の高野山真言宗歓喜院(鈴木英全院主)の本殿・聖天堂(重要文化財)を、国宝に指定するよう平野博文・文部科学相に答申した。


 聖天堂は、奥殿・中殿・拝殿からなる権現造り。龍や鳳凰が飛翔し、神仙世界を表現した彫刻が随所に施された偉容は、江戸建築の頂点と位置付けられている。


 同寺の歴史は、『平家物語』で著名な平安末期の武将で妻沼地域を治めた斎藤別当実盛が、守り本尊の大聖歓喜天(聖天)を祀ったことに始まる。


 江戸中期、日光東照宮の造営に当たった棟梁の子孫・林兵庫正清が焼失した聖天堂の再建に着手。衆庶の間を勧進して資金を集めた。利根川の大水害に見舞われるなど幾多の苦難を乗り越え、25年を経た宝暦10年(1760)、父正清の後を継いだ正信が完成させた。


 以来、積年の風雨で彩色が剥落し、木肌が露出。破損も各所に及んでいたが昨年6月、8年間にわたった保存修理工事が竣功。絢爛たる250年前の姿がよみがえった。


 今回の国宝指定に際して特に高く評価されたのは、大名などの権力者の財ではなく、民衆が浄財を寄せ合って建立したという点。鈴木院主は、「聖天堂は人々の心が集まって建てられた〝信仰の結晶〟です。地元の皆さんは『先祖代々、自分たちで守ってきた聖天さまが国宝になる!』と自分のこととして喜んでいます」と話している。

2012/05/24 佛教大学 開学100周年でパレード

 10月23日に開学100周年を迎える佛教大学(山極伸之学長)は20日、育ててもらった地域の人に感謝の思いを伝えたいとして京都市中心部でパレードを実施。教職員、学生、同窓生ら380人が手を振って河原町通、四条通を歩き謝意を表した。


 100周年をアピールする狙いもあって記念事業の一環で実施。山極学長、浜岡政好副学長、中井真孝佛教教育学園理事長ら役員の他、加澤昌人会長、水谷浩之副会長ら同窓会役員も参加した。


 パレードは山極学長が「学生の皆さん、教職員、OB・OG一丸となり皆でとびきりの笑顔を届けて大学としての感謝を伝えたい」と述べ、水谷幸正学園相談役が「200周年へ向かって皆さんと共に出発しましょう!」と声を挙げて出発。御池大橋前から河原町通を南下し四条通を東へ向かい知恩院を目指した。


 先頭は山極学長と佛大のマスコット・キャラクター「ぶったん」が乗った赤いオープンカー。うしろには仏教専修科の修行僧、背中に「感謝―ありがとう」とプリントした紫やオレンジなど揃いのTシャツを着た体育会・文化会の学生、教職員、同窓生らが続いた。


 列に加わった吹奏学部がヒット曲などを奏で、チアリーダーが振りを付け、参加者全員が沿道の人々に手を振って感謝の気持ちを表し、賑わう街を1時間余り歩いた。


 三条河原町や四条河原町など大通りの交差点では東日本大震災被災者支援の募金も実施。四条通大和大路の交差点では4月12日の事故の犠牲者の冥福を祈り清水稔副学長が献花し、仏教専修科の僧侶らが回向した。


 知恩院三門前での到着式では伊藤唯眞浄土門主・知恩院門跡が関係者を労うと共に、佛大が仏教専門学校から始まり一般をも対象とした教育機関へと拡大していったことを「喜ばしいこと」と述べ「その陰で支えた多くの人に我々は感謝しなければならない」とし、また「人間教育のための機関が大きく育っていくことを心から願っています」と話して、佛大の今後に期待した。


 このパレードのため2月から準備を進めてきた学生実行委員長で日本文学科2年の西谷亜理沙さんは「沿道で見ている方も楽しんで見られているようでよかった。思っていたより反応がよかったです」と成功を喜んだ。


 佛大は1912年(明治45)、宗教大学分校が同大学から分離し、専門学校令に基づく高等学院となったことをもって開学としている。

2012/05/31 庭野日鑛氏、正式にWCRP会長に就任



 世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会は17日、都内の明治神宮文化館で公益財団法人移行後、最初の評議員会を開催。評議員9人(定員10人)と監事および杉谷義純理事長が出席し、内定していた庭野日鑛評議員(旧法人理事長、立正佼成会会長)が正式に会長(評議員会議長)に就任した。任期は4年。


 満場一致で選出された庭野会長は、「WCRP日本委員会は40年の歴史がある。公益財団となったいま、先達の方々が築いてくださったものを再確認しあいながら受け継ぎ、また現代に相応しい形で発展させていく大きなチャンスを迎えているのではないかと思う。より開かれた、より行動的なWCRP日本委員会を皆さんと共に築いてまいりたい」と就任第一声を述べた。


 議事では、4月18日の理事会で選任された人事等を承認。事業方針では新体制の行動指針である「ネットワーク化」「啓発・提言活動」「平和教育・倫理教育」「人道的貢献」の4本柱にそった事業計画を決定した。


 評議員・監事は以下の通り(敬称略)。


 評議員 黒住宗晴(黒住教)輿石勇(日本キリスト教協議会)武覚超(比叡山延暦寺)田中恆清(神社本庁)中島精太郎(明治神宮)庭野日鑛(立正佼成会)野村純一(カトリック名古屋司教区)深田充啓(円応教)三宅光雄(金光教泉尾教会)安田暎胤(薬師寺)
 監事 加藤隆久(生田神社)樋口美作(日本ムスリム協会)

2012/05/31 西山浄土宗東京別院で念仏のつどい 寺坂法主が初法要

 西山浄土宗総本山光明寺(寺坂義継法主)と光明寺東京別院(福井弘隆貫主)は19日、東京・町田市の光明寺東京別院で「第19回念仏のつどい―念仏のこえ 高らかに」を開催した。寺坂法主が初めて別院に訪れ、首都圏在住の檀信徒を中心に約100人が参加し、交流を深めた。


 法要は寺坂法主を導師に厳修。剃度式も営まれ、五戒の授与では、寺坂法主の「良く保つや否や」の問いかけに檀信徒は、「良く保つ」と声を揃えて答え、仏弟子としての自覚を新たにした。初代貫主として尽力してきた柴田康英前貫主(正覚寺貫主)には、その功績を称え、寺坂法主より感謝状が贈られた。


 寺坂法主は垂示で「皆さまと膝を突き合わせ、これから別院のために一生懸命に話がしたい」と抱負を語り、檀信徒と共に別院を作り上げていくことを誓った。


 当日は、町田市内のホテルで講演会と懇親会を開催。東京大学史料編纂所の高橋慎一朗准教授が「歴史の中の西山派」と題して講演し、歴史を学ぶ意味や西山上人が生きた時代について解説した。


 高橋准教授は、震災時の計画停電を例に「当たり前のことが当たり前ではなく、様々な条件のもとで、そうなっていることに気付くこと」が、歴史の面白さの一つだと説明。別院のある町田市も中世には、駅周辺よりも別院のある地域が中心地だったと紹介し、「当たり前のように思うことも、調べてみると色々理由があるのが分かる」と解説。関東に寺院が少ない西山派も、江戸幕府の政策によるまでは、関東にも縁のある寺院が多くあったことを説示した。


 講演後の懇親会では、福井貫主が「皆さん、お念仏で喜び合う毎日の生活を。お念仏を知れば、その日から考え方が変わります。私は関東の地に念仏が広がることを確信しています」と挨拶。西山仏讃歌の会とその東京支部と共に『どんな人が好きですか』『念仏讃、はなのうてな』などを披露した。


 伊藤総長は、先の議会でも承認された別院で計画中の納骨堂の建立を紹介。「納骨堂は、あちらの世でのマンション」と譬えて、「どうぞマンションのご加入にもご協力を」とユニークな表現で呼びかけ、檀信徒からは喝采が起こった。

2012/05/31 曹洞宗梅花流60周年大会 被災地講員 供養の奉詠



 昭和27年(1952)、高祖道元禅師700回大遠忌を機に誕生した曹洞宗(佐々木孝一宗務総長)の梅花流詠讃歌。創立60周年を記念して29・30の両日、千葉・幕張メッセで記念奉讃大会が「とどけこの誓願(ねがい)―詠讃歌(うたごえ)にのせて」をテーマに開かれた。昨年は東日本大震災のため中止となったが、今年は岩手・宮城・福島の被災3県の講員も登壇して奉祝奉詠し、ひときわ喝采を浴びた。


 会場は各日6500人の講員が参集。ステージに置かれた白い大型バルーンが割れると、斎藤裕道伝道部長が姿を表し、力強く開会を宣言した。


 曹洞宗管長の福山諦法・大本山永平寺貫首を導師に記念法要、江川辰三・大本山總持寺貫首を導師に東日本大震災物故者及び梅花講員物故者追悼法要が営まれ、追悼法要では被災地の講員6人が代表焼香した。


 福山管長は垂示で、60周年大会を祝福すると共に、「梅花流が今日の隆昌を迎えたのは、大地を耕し、種をまき、梅花流の苗木を育てられた先人の道心によるもの」と讃えた。大震災についても話し、「この大会は供養とお祈りの集いでもある」と位置づけた。


 式典では佐々木総長が式辞。現内局が掲げるスローガン「向きあう、伝える、支えあう」をテーマとした新曲「道心利行御和讃」が発表されることから、「大震災により改めて命の尊さを強く思い、真心をもって互いが向きあい、行動の中で教えを伝え合い、そして互いを信じ支え合って生きていくことの大切さを学んだ。この心をもって新曲をお唱えいただきたい」と呼びかけた。


 恒例の登壇奉詠は今回、人数を絞り、一組50人。それ以外は会場の自席で一緒に唱えた。

2012/06/07 天台・高野・神道が環境シンポ 伝統宗教界初の共同宣言



 天台宗・高野山真言宗・神社本庁主催による伝統宗教シンポジウム「宗教と環境―自然との共生」が2日、京都市下京区のホテルグランヴィア京都で開催された。半田孝淳天台座主(比叡山延暦寺)・松長有慶高野山真言宗管長(総本山金剛峯寺座主)・田中恆清神社本庁総長(石清水八幡宮宮司)が、自然破壊の阻止と生活の根本的な見直しを働きかける「自然環境を守る共同提言」を発表。伝統宗教界トップによる初の共同提言に、集まった市民ら500人超が盛大な拍手をおくった。


 共同提言の発表にあたり、半田座主は伝教大師の「忘己利他」の精神と大震災への復興支援を挙げ、「この思いやりの心を長く続け、育んでいただければ」と挨拶。「自然の恩恵に感謝し、自然と共に生活をするために、今日が起点となれば幸いです」と願いをこめた。


 松長管長は「環境問題は私たちの生活に密接につながってくるに違いありません。今日を第一歩として、宗教界から大きく展開していくように期待しています」と展望。


 田中総長は「私たちは今こそ、日本人の自然観に立ち戻る必要がある。先人の智慧に学ぶことをもう一度考え直さなければならないと思います」と述べ、共同提言を読み上げた。


 『温暖化地獄』などの著書がある山本良一・東京大学名誉教授が基調講演し、「宗教と科学が共同で環境問題に取り組まねばならない」として宗教界に提言。「寺社を自然奉仕・社会奉仕の拠点とする」「環境問題に関する超宗教のネットワークを設立し、定期的に報告書を公表する」ことを求め、具体的な政策提言を行うことなどを提案した。


 特に「自然環境を守ることが利益につながる社会システムを作り、強欲資本主義を変えていかなければならない」と主張。一度放出された温室効果ガスは千年単位で残留することを解説し、温暖化による水不足・食糧難や戦争などがすぐそこまで迫っていると警鐘を鳴らした。


 その上で、「清水の舞台から飛び降りる覚悟で(CO2などの排出を)大幅に削減しなければ」間に合わないと強調。「エコ文明」を構築するために、宗教界には「地球生命圏救済の思想を!」と要請した。


 パネル討論では、コーディネーターの竹村牧男・東洋大学学長が、「便利さや快楽を追求して自然環境を痛めつけてきた」と科学文明至上主義を批判。「日本の伝統宗教の中にある自然・いのちのとらえ方を、もう一度掘り起こす必要がある」と提起した。


 小林祖承・毘沙門堂門跡執事長は、天台宗の生命観「山川草木悉有仏性」を「生きとし生けるもの、山や川、存在のすべてに尊厳を認めていこう」と要約。天台宗が推進している植林活動などを紹介し、「我々ができるのは、いま手に入るもので満足する生活です。私も含め、ここにいる全員が(環境問題の)加害者。それを強く意識する必要がある」と話した。


 村上保壽・高野山真言宗教学部長は、弘法大師の教えから「人間は自然によって生かされているという自覚。そういう謙虚さを持ちなさい」を挙げ、人間と自然は「生かし生かされている」相互依存の関係にあると強調した。


 櫻井治男・皇學館大学教授は「自然を神として敬い畏れ、祭りを営んできた」神道の自然観を説明。震災・原発事故対応などをめぐり行政担当者らから住民への謝罪の言葉は聞かれたが、「(被災した)その土地や樹木、訪れる鳥たちに『申し訳なかった』と言えていない」と指摘した。


 開会にあたり、シンポ実行委員長の庄野光昭・高野山真言宗宗務総長が挨拶。大震災と原発事故以後、自然環境といかに向き合うかを自問してきたと振り返り、「私たちの宗教が千年以上の長きにわたって受け継いできた智慧と祈りの中に、私たちが果たすべきことのヒントを見つけることはできないものでしょうか」と主旨を語った。

2012/06/07 ブッダジャヤンティ2600年 バンコクで国連ウェーサク祝典



 第9回国連ウェーサク祝典が5月31日から6月2日までタイの首都バンコクと近郊施設で盛大に開催された。成道等を祝うブッダジャヤンティ2600年ということもあり、今年のテーマは「人間の幸福にとっての仏陀の成道」。85カ国・地域から5千人以上が式典やワークショップなど3日間の行事に参加した。


 日本からは世界連邦日本仏教徒協議会(世連仏、叡南覚範会長)はじめITRI日本センター(浅川重美会長)、それに叡山学院の齊川文泰教授を団長とする天台声明団(12人)、真如苑代表、研究者ら約350人が参加した。


 祝典は、初日がマハチュラロンコン仏教大学(MCU)アユタヤキャンパス会議場で開会式が行われ、主催者を代表して国連ウェーサクの日国際委員会議長でMCUのプラ・ダマコサジャン学長が歓迎の挨拶を述べた。またシリントーン王女を迎えて式典、基調講演、シンポジウムなどが行われた。


 夕刻からの文化パフォーマンスには天台声明団が登場し、伝統の声明を披露した。にぎやかなパフォーマンスが多い中で、独特の音階を奏でる声明に、会場は水を打ったように静かに聴き入った。


 2日目は同会場で研究者らによるワークショップや分科会が開かれた。
 最終日はバンコク市内の国連会議センターで、タイのインラック首相とスリランカのラージャパクサ大統領臨席のもと記念式典が挙行された。
 記念式典では、叡南覚範会長(天台宗毘沙門堂門跡門主)がスピーチし、出家・在家を問わず大切な指針を示しているダンマパダ(法句経)の価値に焦点をあて、「お釈迦様は諸法無我を知ることによって、人が苦しみから解放されることを諭された。この言葉は今の時代も有効」とした。その上で昨年相次いだ地震・津波・大洪水といった自然災害に言及し、「被災した人は今でも苦しい思いをされている。人はこのような苦を直面したとき何をよりどころとしたらいいのか。これは誰のみにも起きること。他人事ではなく、この世、人生はいつの時代も常ならない」と釈尊の教えに生きることを説いた。


 半田孝淳天台座主のメッセージを世連仏の秦順照氏(天台宗臨済寺住職)が代読。昨年のタイ大洪水被害へのお見舞いを言葉を述べつつ、東日本大震災と重ね合わせながら、「文明がいかに発達しようと『諸行無常』はさけることはできないということを改めて感じます。しかしそうであればこそ、なおさらいのちをいとおしみ、家族、隣人を大切にして生きるという大きな意味があります」と紹介した。  

2012/06/07 WCRP円卓会議 宗教者の役割大きく



 5月22・23日に仙台で行われた世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会主催の「復興に向けた宗教者円卓会議」。注目点をレポートする。


安全保障の考え


 WCRP日本委平和研究所の眞田芳憲氏(中央大学名誉教授)は「共有される安全保障」(Shared Security)の概念を語った。これは、2006年のWCRP世界大会で提唱された、「共にすべてのいのちを守るために」という理念である。人間の安全保障だけでなく、動物、地球そのもの、あらゆる「他者」の安全が自己の安全に直結している。「他者の犠牲の上に自らの安全はあり得ない」と眞田氏。


 WCRPの行動の中核をなす規範であり、震災復興支援もその例外ではない。いかにこの考えを世界に広めていくかが今後のWCRPの課題になるといえる。


「幽霊」が見える


 「幽霊が出てくるんです。どうしたらいいんでしょう」。被災者がしばしば訴えている。震災前は「オバケなんていない」と言っていた人、あるいは幽霊を否定する宗教の信者でさえも、幽霊に悩まされているという。奇妙な話ではない。「いる/いない」の問題ではなく、現に被災者は「見ている」。


 幽霊の相談を多く受けた金田諦應氏(曹洞宗通大寺住職、Café de monk主宰)は、「生きるためには死者とのつながりをどうするかという大きな問題がある」と語り、幽霊が出なくなるまで5年はかかると見る。それほど、2万人の死者・行方不明者を出したあの震災が心に与えた傷は深かったのだ。


 「こころの相談室」室長の岡部健医師は、「医者や心理士は異常とされた人間には術がある。しかし『正常』とされた人にはどうすることもできない」と述べた。今、まさに幽霊が見えることに怯えている人は、紛れもなく正常な人が大多数である。そういう人に、常に生死と向き合う宗教者が与えられるコンソレーションはやはり大きいのではないか。ある特定の宗教だけで解決できる問題ではない。そのためにWCRPのような宗教者同士の横の繋がり、あるいは臨床宗教師資格の取得が非常に重要になってくるに違いない。


「カルト」をどうする


 地元参加者から寄せられた声に「ボランティアとしてやってくる人の中に、布教目的のカルト教団信者がいるが、どうすればいいか」といったものもあった。日本基督教団仙台市民教会の川上直哉氏は、「地域・仮設住民が一丸となってカルトに拒否の姿勢を示せば、それ以上は絶対に踏み込んできません」という。宗教者が物心両面の支援に力を注げば、住民もカルトの甘い誘いを拒否しやすくなろう。もちろん、押し付け、強引な布教のようなカルトまがいの手法に陥らない自制が求められるのは言うまでもない。


* * *


 心のケア、地域コミュニティの再生、衣食住業と金銭の補助――。宗教者が為すべきことは多く、かつ大きい。


 だが、「これは被災地だけの問題ではありません。同じような災害は日本中、世界中どこで起きるかわからないのです」と、紅邑晶子氏(せんだい・みやぎNPOセンター代表理事)が言うように、今後の世界平和のためにも、ここで宗教者は踏ん張りが必要だ。後世への教訓としなければならない。

2012/06/14 安原総長が「遺憾の意」 野田総理の原発再稼働表明で 



 真宗大谷派の安原晃宗務総長が12日の宗・参両会で野田佳彦内閣総理大臣が大飯原発再稼働を表明したことに対し、「人のいのちよりも優先すべきことがあったのでしょうか」と述べた上「強く遺憾の意を表明」した。原発再稼働について同派は4月23日に宗派見解を表明しており、再稼働するまでは総長声明を出す考えはないとしていたが、8日の野田総理の会見を受け急遽、声明を発表した。


 声明で安原総長は「私たちは、福島第一原子力発電所の事故により、ひとたび放射性物質の拡散が起これば、取り返しのつかない事態に陥ることを、改めて思い知らされました。そして、原子力発電の『安全神話』も『必要神話』も、経済を優先するあまり、人間が創り出した闇であったことを認めなくてはなりません」とし、「今なお、福島第一原子力発電所の事故で多数の苦しんでおられる方がある中で、一旦停止した原子力発電所を再稼働する理由に、いのちよりも優先すべきことがあったのでしょうか」と疑問を呈した。


 その上で野田総理の再稼働表明に強い「遺憾の意」を表し、「大飯原子力発電所はもとより、他の原子力発電所も決して再稼働することのないように、念願するものであります」とした。


 宗議会では安原総長が力強い声で声明文を読み上げると、与野党問わず議場から賛同の拍手が沸き上がった。


 一方、この声明に至るまでには、4日から7日までの代表質問と一般質問で、大飯原発再稼働に対する宗派の対応を問う質問もあった。


 代表質問で無所属クラブの玉光順正議員は、大飯再稼働に関して「大飯原発か関西電力本社に直接、再稼働反対の申し入れをされては」と総長の対応を求め、恒沙の会の三浦長議員は4月23日の宗派見解が総長名ではなく解放運動推進本部長名でなされたことについて不満を述べ、「再稼働に至った場合には是非総長名で反対声明、抗議声明を提出していただけるか」と質問した。


 これに対し安原総長は「そういう事態(再稼働)が出現した時は宗派として何らかの声明を出さなければならない」と答弁。この答弁を受け一般質問で本多一壽議員が「再稼働されてからではなく正にされようとしている今だからこそ声明を出すべきではないか」と質したが、内局は事前の声明を拒否していた。


 この後、興法議員団を含め与野党3会派で事前の声明を求める建議を出す動きもあり、こうした要望を内局側へ伝え、声明につながったようだ。

2012/06/14 龍大で禁煙キャンペーン タバコの害訴える



龍大大宮学舎で昼休みに行われた禁煙キャンペーン(5日) 禁煙週間(5月31日~6月6日)に合わせて龍谷大学(赤松徹真学長)は5日、京都市下京区の大宮学舎でNPO法人京都禁煙推進研究会と共同で禁煙キャンペーンを実施。タバコの害を学生・教職員に訴え、禁煙を呼び掛けた。


 キャンペーンは2009年に始めて4年目になる。大学保健管理センター職員、学生、NPOの保健師ら14人が「無煙魂」と染めた揃いのTシャツを着て正門左側にある喫煙スペース「卒煙ブース」の近くで実施。


 タバコに含まれる発ガン性物質など有害な化学物質を展示し、喉頭ガン・肺ガン・動脈硬化など喫煙による病気をパネルで説明。血管年齢や肌年齢を測定する機器も用意して喫煙の害を訴えた。タバコを止めたい人にはニコチンパッチも診断のうえ無料配布した。


 健康被害は言うまでもなく、就職にも影響するような状況で、昨年から新入生対象に入学時のオリエンテーションで、タバコの害を説明する講演会も始めた。学内はもちろん「卒煙ブース」を除き全面禁煙。


 保健管理センターによると、龍大生の喫煙率は全学生の85.2%が受検した4月の健康診断での調査で1年生が0.9%、2年生が3.8%、3年生が11%、4年生が14%、5年生以上(留年生)が27.2%。全体では7.3%が喫煙者。しかしこれは調査を開始した08年の12.9%より5.6ポイント下回った。


 同センターの山川正司課長は「こうした取り組みで毎年学生20人ほどが卒煙。喫煙率も減ってきている」と話す。


 禁煙キャンペーンは4日に深草学舎、6日に瀬田学舎でも実施した。

2012/06/14 立正大学公開講座 妻を喪ったばかりのみのもんたさん迎え



 立正大学仏教学部(原愼定学部長)は1日、東京・品川区の大崎校舎で開校140周年記念の仏教文化公開講座を開催。テレビでお馴染みのフリーアナウンサー、みのもんた(本名・御法川法男)さんが講演。日本人の心の原風景や原発問題、亡き夫人への感謝などを語った。


 講演に先立ち、原学部長が挨拶。会場全員で唱題し、亡き御法川靖子夫人の菩提を弔った。


 みのもんたさんの講演では、アナウンサーになったきっかけや総代を務める日蓮宗安立寺での幼少期の思い出を披露。「昭和20年代の子どもにとって、お寺は心のやすらぎだった。今でも当時のことを思い浮かべることがある」とし、「寺院やお墓が心の原点につながる」と振り返った。


 一方で、時代が移り変わる中、日本人の心の原風景や志が変わってきたことも指摘し、原発問題の対応や放射線に汚染されていない被災地のがれきの受け入れが進まない現状には、そうした背景があることを示唆。
「仏教のことは良く分からないが、日蓮聖人は時の鎌倉幕府に一人で立ち向かった。今、野田政権に何かを言うことはできても、鎌倉時代にそれをしたのはすごいこと」と語り、先人の志を振り返って、今の日本を考える必要性を主張した。


 先日、本門寺で全国日蓮宗青年会が行った唱題行脚にも触れ、「あの勢いでがれき処理についても、〝うねり〟を起こしてほしい。日蓮聖人はそういう〝うねり〟を一人で引き起こしたのではなかったか」と呼びかけた。


 原発問題については、安全性よりも経済を優先する経済界を批判。経済への影響を鑑みながらも「日本に原発を制御できる技術はあるのでしょうか」と問いかけ、「もし福島のようになったらどうしますか。総理大臣の責任というが、総理は責任をとれませんよ。責任をとるのはあなたたち国民です」と言及した。


 夫人を亡くした心境も語り、「この一週間何が何だか分からなかった。でも、何が一番大事かは分かった。それは自分を必死な思いで支えてくれた人たち。毎朝3時に起きる私を皆はすごいと言うが、ちっともすごくなんかない。女房が一緒に起きてくれていたから。一つだけ分かるのは、〝ああ、支えてくれていたんだ〟ということ。失って初めて分かるようじゃ遅いのだと反省している」と涙で言葉を詰まらせ、「あなたたちにも支えてくれている人がいるはずだし、誰かを支えているはず。そして、国を支えるのはあなたたちです」と語りかけた。

2012/06/14 緊急寄稿:噴きだしたオウム事件の余炎 無視された事件の宗教的核心(藤田庄市)



 昨年12月から間歇泉のようにオウム真理教事件の余炎が幾度か高く燃え上がった。最高裁による中川智正、遠藤誠一への死刑判決で一連の裁判も終結かと思いきや、大晦日に平田信の出頭と逮捕、続けて内縁関係にあった斎藤明美が平田を匿ったとして自首し、3月には彼女に懲役1年2カ月の判決が下りた。5月にはいると予告宣伝も派手に、NHKスペシャル「未解決事件ファイル02オウム真理教」が土日の2夜連続計4時間弱の大枠で放映された。それから一週間後の6月3日、菊地直子の逮捕である。その逮捕により高橋克也の姿も可視化され、逮捕が近いかもしれない。


 中川智正判決から菊地直子逮捕に至る各種報道に接して感じるのは、オウム真理教事件が根本において宗教動機によって起こされた事件であるにもかかわらず、マスメディアが依然として司法による世俗的理解の枠組みにほぼ自己同化させ、宗教と事件の有機的結合の独自解明を怠っていることである。


 しかしNHKスペシャルは、マスメディアでは事件から17年目にしておそらく初めて、麻原彰晃と信者の内在的論理を明らかにしようとする姿勢を示した番組だった。(むろん筆者にも批判は多々あるが、拙稿では触れない。トータルに批判・評価したものでは滝本太郎弁護士のブログの閲覧をお薦めする)


 だが番組は結論から言えば核心である麻原とヴァジラヤーナ部隊信者の信仰・修行の内実と、それによる救済殺人への「情熱」を白日の下に曝すことはできなかった。麻原や教団の本当の恐ろしさを描き切れなかったのである。例を示そう。


 最初の救済殺人(早川紀代秀死刑囚は慈悲殺人と表現)となったT信者リンチ殺害事件の時、麻原は次のように語ったという。Tが脱会して、事故死した信者の遺体損壊をしゃべれば、教団の救済事業の障害となる。また麻原=グルを攻撃している。ために「(Tは)非常な悪業を犯すことになる」。この宗教言説が救済殺人の「情熱」、主因となった。何故か。


 まず麻原は信者のみならず人々のカルマを見切り、そのカルマを背負い、彼らを高い世界へ転生させる能力があるという信仰がある。それは修行による神秘体験によって信者にはこの世の現実よりもリアルな宗教的現実であった。Tが悪業を積めば地獄に堕ちる。地獄もまた信者にはリアルな世界だった。「法友」をむざむざと地獄に堕としてはならない。今がTの死ぬ時であり、麻原にポア=高い世界へ転生させてもらう適期なのだ。


 その宗教的確信がために犯人たちは麻原に命じられて、数時間のうちに殺害から護摩法による遺体焼却へと進んだのだった。すべてはオウムの宗教世界で完結していた。番組はこの救済殺人の中核思想を描き切れてはいなかったのではないか。この事件について判決ではTの口封じが犯行動機とされている。その側面があることはその通りであるが、じつは表面的なものだった。


 番組では犯行後の新実死刑囚のひどい動揺ぶりが描かれていた。何故、新実が? じつはロープでTの首を絞めるのに失敗し、新実がとっさにTの首をひねり、骨を折って殺したのである。その事実は省略されていた。彼の動揺ぶりを解消すべく麻原は新実をはじめ実行者全員に自作の「ヴァジラヤーナの詞章」を何万回も唱えさせた。その結果、彼らは強烈な使命感を植えつけられることになった。坂本弁護士一家殺人事件の時、新実は「ためらいは(部屋に)入る前に捨てた」と法廷で言い放った。彼はそこまで「進化」していた。


 その坂本事件を番組はまったくといっていいほど描かなかった。しかし同事件は教団外の人間を初めて殺した救済殺人の社会的展開への第一歩だった。岡崎一明死刑囚(現姓宮前)は麻原に坂本弁護士のポアを指示された時、彼の宗教的感性はこう反応した。「悪業を積ませない、と考え、そこまでして救済しなければいけないのか、と感動ではないが」と、つまりは大きく心を動かされたのだった。


 坂本事件の麻原らの意味づけは総選挙惨敗後にこう進展する。末世の現代人は生きているだけで悪業を重ね、地獄など三悪趣に堕ちてしまう。それゆえ殺して麻原と縁をつけ転生させて救済する。すなわち坂本事件は、地下鉄サリン事件にまで至る無差別大量殺人という宗教的実践の始まりとなったのである。番組が事件後の捜査の失態を含めて坂本事件を避けたのは残念だった。


 結論を急ごう。オウム真理教事件の宗教的核心を日本社会は無視した。NHK番組の不徹底さもそこに遠因がある。それは宗教界もほぼ同様だったといえよう。どうするか。宗教者の主体的日常的な信心決定の問い返しをする必要があるだろう。具体的社会的事象と己が対決することなく、社会との徹底的な断絶も含めて、信心決定の深化はあり得ない。それがなされなければ宗教への不信感嫌悪感そして危険視はなくならない。間歇泉的オウム真理教事件の残火の炎と社会の反応を見て、そう思う。

2012/06/21 神仏習合の役行者祭 天台尼僧が護摩供奉納



埼玉県秩父市の秩父今宮神社(塩谷崇之宮司)で3日、「役尊神祭(役行者祭)」が行われ、神道神事の中で天台宗天照院(千葉・柏市)の小澤暁宥住職による護摩供も奉納された。神仏習合の祭礼に約100人が参拝し、役行者の聖徳を仰いだ。


 役行者が八大龍王神を奉斎したと伝えられ、修験道場として栄えた秩父霊場だが、明治の神仏分離令では修験道の廃止によって、「今宮坊観音堂」(現・秩父札所14番)が分離されたが、今宮神社では行者堂を建立し、役行者1300年遠忌(平成13年)を機に役行者祭を復興。仏教による護摩供が修され、役行者が広めた「神仏習合」の信仰を伝える祭祀として多くの参拝者を集めている。


 役行者祭は初めに神式の祭礼を厳修。塩谷宮司が祝詞を奏上し、杉本昌子権祢宜が浦安舞を奉納。参拝者全員が玉串を捧げた。小澤住職による護摩供奉納では、力強い読経と清浄な護摩の炎によって荘厳な場がつくられ、参拝者の願いが記された護摩木が一つ一つ投じられた。


 祭礼後に挨拶した塩谷宮司は「役行者祭は神仏合わせてお参りする形です。今日は天照院様に本格的な護摩のご奉納をいただき、大変厳かな祭典ができた」と謝辞。小澤住職も「天候が危うく、朝来た時には雨が止むよう、必死に龍神様にお願いをしました」と笑顔を見せながら、今宮神社との結縁に感謝の言葉を述べた。


 祭典後には近隣の今宮坊観音堂に移動し、堂内で勤行し、秘仏の「聖観世音菩薩」がご開帳された。参拝者も慈悲に溢れた姿に静かに手を合わせていた。

2012/06/21 玉日姫廟所から人骨発掘 江戸後期の改葬判明



 京都市伏見区の玉日姫御廟所から発掘された骨壺と人骨(写真提供=西岸寺)京都市埋蔵文化財研究所の調査で、同市伏見区の浄土真宗本願寺派西岸寺にある「玉日姫御廟所」から骨壺と焼けた人骨が発掘されたと、このほど発表された。骨の年代や性別は不明だが、山形大学の松尾剛次教授(日本仏教史)は古文書などから、関白九条兼実の娘で親鸞と結婚したとの説もある「玉日姫実在の確実性が高くなった」としている。(紙面に松尾教授の見解掲載)


 伏見区深草直違橋にある西岸寺は中世の集落遺跡「西飯食遺跡」内にあるため、同寺の御廟所整備工事に伴い、御廟所の塚(直径約3.5m、高さ約0.8m)の調査が4月4日から13日まで実施された。


 この調査で、江戸時代後期に造成されたと考えられる土饅頭の盛土を発見。さらにその下から同じく江戸後期の割れた火消し壺(蔵骨器)と焼骨が見つかった。


 骨は頭骨など人骨であることが分かったが、小さいため性別や年齢は不明。焼けているため年代測定もできなかった。しかし墓の造成が江戸後期という結果は、御廟所が嘉永5年(1852)に改葬されたとする古文書や石碑銘文と整合すると同研究所では判断した。


 以前から玉日姫御廟所を調査研究している松尾教授は、嘉永4年11月の西岸寺住職の書状などから同5年の御廟所修復が「九条家、門跡、西本願寺広如門主の協力のもと大阪での勧進までしてなされた」とし、「玉日姫の実在の確実性が高くなった」としている。


 寺伝によると、西岸寺は兼実の父、藤原忠通が建てた法性寺小御堂があった所で、玉日姫は親鸞が越後へ流されたのち小御堂を守り、ここで亡くなった。その後、玉日姫に仕えていた田村光隆(有阿弥)が親鸞の弟子となり、九条家から小御堂の寄進を受け、西岸寺を開き、玉日姫の墓を守ったとする。


 法性寺小御堂は、別の場所だとする解釈もあるが、寺では『法然上人行状絵図』に出てくる兼実が流罪にされる法然をいったんとどめ置いた場所ではないかとする。


 人骨が出てきたことに西岸寺の山下順住職は「ずっと歴代住職が守ってきたもので、残っているだろうとは思っていましたが、目の当たりすると感慨深いものがあります」と話した。

2012/06/21 タンザニアでGNRC第4回フォーラム 貧困撲滅への第一歩

「貧困をなくし、子どもたちを豊かにする―啓発・行動・変革」をテーマに子どものための宗教者ネットワーク(GNRC)第4回フォーラムが16日、64カ国から約350人の宗教者や教育者、国連機関などが参加してタンザニア共和国で開幕した。キクウェテ大統領が臨席し開会宣言。主催の妙智會教団ありがとう基金の宮本けいし代表(教団理事長)は、02年国連子ども特別総会で宮本丈靖総裁(教団会長)が発表した提言に基づき、「貧困撲滅に本格的に取り組むときがきたと確信する」と述べ、倫理教材・子どものための祈りと行動の日(DPAC)と共にこの貧困撲滅に取り組むことを明言し、貧困イニシアチブ構想を明らにした。


 6月16日はアフリカの子どもの日。1976年のアパルトヘイトに抵抗した勇敢な子どもたちの行動を記念したもの。開会式での来賓挨拶などでこの事跡が繰り返し紹介された。


 主賓のキクウェテ大統領は、「まさにこの地にふさわしいテーマを選んでくださった」と開催を宣言。さらに1日32000人の子どもがいのちを失い、学童期にある6700万人の子どもが学校に行くことができず、3億人の子どもがおなかを空かせているといった状況を報告し、「26億人の子どもがこの地球上にいるが、半分がこうした状態に置かれている。彼らは未来の存在なのです」と述べ、「子どもたちには栄養(食料)と教育が必要なのです」と訴えた。


 またタンザニア国内の教育事情にも言及し、「97%の子どもが小学校に通っている。ミレニアム開発目標(MDGs)の年限である2015年までに全員ができるようになるでしょう」と報告した。


 そして、GNRCの取り組みを評価しつつ、「こうした課題は政府だけでできるものではない。いろいろな人たちの協力が必要なのです。宗教の違い、国や大陸の違いを超えて、子どものために行動しなければならない」と主張した。


フォーラムに先立って開かれた子ども会議について報告する各国の代表者たち 宮本けいし代表(ありがとうインターナショナル理事長)は、宮本丈靖総裁の国連演説に込められた3つの約束を紹介。「倫理教育の推進」と「子どもの権利条約の実施」だが、前者は13言語に翻訳された倫理教育教材(ツールキット)『共に生きることを学ぶ』に、後者は子どもの権利条約が批准された11月20日を「子どものために祈り行動する日」と定め、実行に移していると説明。3つ目は「貧困撲滅に向けた本格的な取り組み」であるとし、「3つのイニシアチブをこれからのGNRCの取り組みの柱としていきたいと強く願っている。3つがバラバラに動くのではなく、互いに連携しあいながら取り組むことによって、より多くの相乗効果を発揮できる」と期待。貧困対策の具体化として「貧困イニシアチブの立ち上げ」の構想を発表した。


 貧困イニシアチブは、GNRCの各地域のネットワークと共に各国政府や国連機関、世界銀行などと連携しながら草の根の活動を模索していく方向だ。


 フォーラムは18日に宣言文を採択して閉幕する。

2012/06/28 WFB人道支援委員会 委員長に日比野郁皓氏



 WFB世界仏教徒連盟(本部=タイ・バンコク)の人道支援委員会委員長に全日本仏教会(全日仏)国際交流審議会委員の日比野郁皓氏(浄土宗榧寺住職)が就任した。今月11日から韓国で開かれたWFB大会初日の委員会で選任された。WFBの主要役職に日本人の女性僧侶が就任するのは初めて。


 人道支援委員会の前委員長は正本乗光氏(浄土宗僧侶)だったが、今大会で退任し、日比野氏に後を託した形になった。


 日比野氏は「WFBY(世界仏教徒青年連盟)の頃から、長い間活動に参加させてもらい、委員会メンバーも日本での留学経験がある方、日本に詳しい方など、昔から知っている方もいらっしゃる。自分の力が至らないなかで、そうした人間関係の中で助けていただきながらやっていきたい」と話している。


 大会中に行われた人道支援委員会では、来年2月にインドの印度山日本寺でのスタディーツアーを実施することを決定した。日本寺の無料医療施設「光明施療院」や無料幼児保育施設「菩提樹学園」を視察する予定。


 なお複数いるWFB副会長には全日仏の小林正道理事長、国際執行役員には戸松義晴前事務総長がそれぞれ再任された。任期は2年。また慣例に従い全日仏会長の半田孝淳天台座主はWFB顧問となる。

2012/06/28 真言宗豊山派 次期総長に坂井智宏氏

 真言宗豊山派(川田聖戍宗務総長)の次期宗務総長候補者を選出する第131次宗会臨時会(櫛田良豊議長)が26日、東京・文京区の宗務所で開かれ、坂井智宏氏(集議、高知県室戸市・金剛頂寺住職)を選出した。坂井氏は来月5日に就任し、新内局を発足させる。任期は4年間。


 同派の宗務総長職は、興正系・一新系から交互に選任するのが慣例。来月4日に任期満了を迎える川田総長が一新系であるため、今回は興正系からの選出となった。


 坂井氏は昭和11年8月生まれ。宗会議長をはじめ、各委員会委員・委員長など宗内の要職を歴任。現在も宗機顧問の重責を担い、宗派の最高指導者の一人として篤い声望を集めている。


 次期宗務総長候補者を決める議案第1号は、宗会議員から成る特別委員会(青木教寛委員長)で慎重に審議された。議会再開後、委員長報告を行った青木議員(群馬・実相寺)から、坂井氏の名前が高らかに発表された。


 次いで大塚弘祥議員(千葉・福壽院)が宗会議員を代表して、坂井氏を推薦する演説を行った。


 その中で原発事故と政治の混迷、個人主義の蔓延による人間関係の希薄化、宗教心の低下など、激変する社会情勢を指摘。そうした中で宗派行政の舵取りを担う宗務総長職の重要性を力説し、「学徳兼備にして識見豊富なる坂井智宏大僧正が最適任者であると考えます」と推薦の辞を述べた。


 さらに宗派の危機管理や災害対策、子弟教育と後継者育成、宗派財政の安定化と総本山長谷寺の護持興隆など、喫緊の課題を列挙。「坂井大僧正によって構成される内局であれば、必ずや前進することを信じております」と強い期待感を表明した。


 次期宗務総長に選出された坂井氏は、「加藤猊下のもと、報恩謝徳の気持ちを持って全力で職務にあたってまいりたい」と決意を語っている。

2012/06/28 中村元博士生誕100年事業 松江市に記念館

 今年は世界的なインド哲学・仏教学者の中村元博士の生誕100年。中村博士が創立した公益財団法人・東方研究会では「中村元博士生誕100年記念事業実行委員会」を発足し、2014年までの様々な記念事業を計画している。


 事業の一環として、中村博士が生まれた島根県の松江市八束支所に、研究図書館機能を備えた「中村元記念館」を設立。同館には中村博士の3万冊に及ぶ全蔵書・研究資料、遺品などが整理収納されるほか、東京・杉並区の自宅書斎も再現される。


 記念館は中村博士の命日である10月10日の開館を予定しており、杉並区の自宅兼書斎でも、蔵書や研究資料の移管に伴う準備が進められている。


 記念館の名誉館長に就任する中村博士の長女・三木純子さん(66=東方研究会理事)は、「母は増改築が好きでよく大工さんが来ていましたが、そのたびに父は『ここに棚をつけてくれないか』と頼んでいました」と懐かしそうに振り返る。


 廊下にまで棚が作られるほどの膨大な蔵書群にあって、書斎の頭上に位置する本棚には師匠である宇井伯壽博士の書籍が並ぶ。防火設備も備えた一室には、「本を書くための資料」(純子さん)として大切にしていた、関係雑誌の細かな切り抜きなどを項目毎に分類したファイルが収蔵されている。


 3万冊に及ぶ蔵書リストは、純子さんの夫・保さん(68)が退職後に3年をかけて作り上げた。蔵書の管理はこれまでも様々に話し合われてきたが、純子さんは松江の記念館設立に「故郷に対する父の思いが形になってくれる」と喜ぶ。「一つの場所に(蔵書や資料を)置くことで一人の人間の頭の中がわかる。これからの方に役立ててもらえれば」と期待を込める。


 開館日には「第22回中村元東方学術賞授賞式」、記念特別展「ブッダのことば」などのオープニングイベントを開催する。また記念事業として山陰中央新報での連載「中村元・人と思想」が始まっているほか、2014年まで、講演会やシンポジウム、記念出版などを企画している。

2012/07/05 立正佼成会が声明発表 原発によらない社会を

 東京電力福島第一原発事故による被害を踏まえて立正佼成会は6月18日、「真に豊かな社会をめざして―原発を超えて」と題する声明を発表した。その中で「私たちに問われていることは、原子力発電によらない、真に豊かな社会を可能な限り速やかに築きあげていくこと」と脱原発の姿勢を明らかにした。


「声明」では、原発事故による放射線被害の影響が国内外に及んでいることを指摘し、「未来世代に計り知れない多大な負担を残しました」と告白。さらに原発の負の部分に目を背けてきた責任は、「私たち一人ひとりにある」としている。


 そして「今こそ、過剰な消費を抑えた『少欲知足(足るを知る)』の心を養い、簡素な生活の中に幸せの価値を見いだす最大の機会」と生活の転換を要請している。


 今回の声明は、同会の中央学術研究所と外務グループが中心に議論し、理事会での数度にわたる審議を経て作成された。


 声明と併せて渡邊恭位理事長の談話も発表された。東日本大震災以後の救援活動や日本のエネルギー事情に言及。特に高レベル放射性廃棄物の処理手段が確立されていないことを憂慮し、「現在の私たちの利便や欲求のために、後世にわたって子孫に禍根を残すやり方は、倫理的に許されるものではなく、不本意というしかありません」と自省を込めている。


 同会が実践している一食をささげる運動や平和活動、環境保全活動などを一層推進する姿勢を示しながら、「簡素な生活の実現」を改めて宣言している。

2012/07/05 原発被災寺院復興対策の会 東電との直接交渉継続へ

 福島第一原発事故の損害賠償をめぐり、放射能汚染のない安全な土地への寺院・墓地移転などを求めている「東京電力原発事故被災寺院復興対策の会」(半谷隆信会長・真言宗19カ寺)が6月29日、東京・千代田区の東電本社で直接交渉を行った。僧侶側13人に対し、東電側は福島原子力補償相談室部長ら5人が出席。しかし約3時間に及ぶ交渉の答えは、「前向きに検討します」「ご事情を承ります」に終始した。


 同会では6月8日付で、16項目から成る損害賠償要求書を送付。東電は各項目で検討を前提に交渉の継続を約束したが、代替地への寺院移転や国有地などに新しい寺町を造成することには強い難色を示した。


 仮の納骨施設の建設や墓地の除染も検討課題。遺骨の除染に至っては、方法自体がわからないとした。盗難防止のために本尊はじめ諸尊像や仏具類、位牌等を安置する場所も検討すると回答。持ち出す際の費用も賠償すると約束した。


 林心澄事務局長(浪江町・真言宗豊山派清水寺住職)は、「東電側は『一日も早くご帰還できるよう努める』などと言っていた。(高線量地域に寺がある)我々は、何十年も帰れないことを前提に移転を要求している。国は年間50ミリシーベルト超の所は除染しないと言っているのに、東電側は除染後の話ばかりしていた」と怒気を含んだ。だが「直接会えたことはよかった。継続交渉の足掛かりができた」と評価。東電から2~3週間後、検討課題の回答や次回の交渉日程の連絡が入る予定で、半谷会長(大熊町・豊山派遍照寺住職)は「宗教活動ができる場所と施設が早急に必要」と次回交渉の課題を示す。


 交渉を報道で知った南相馬市のある豊山派檀信徒は、「遅々として進まぬ除染や賠償、収入の減少などで、心身ともに追い詰められ、東電との個人交渉に憤りと限界を感じている。(同会には)遺骨やお墓への補償請求から、いま生きている檀信徒の心の支援につなげていただければ」と話した。

2012/07/05 日本・台湾尼僧100人出仕 石巻で合同法要



 宮城県石巻市の曹洞宗林昌院(佐藤知妙住職)で6月28日、日本と台湾の尼僧合同による東日本大震災物故者追悼並復興祈願法要が営まれた。被災者ら200人が参拝するなかで、日台合わせて約100人の尼僧が犠牲者を供養し、一日も早い復興を願った。


 合同法要は、台湾の碧山岩寺住職の黄禅海氏の「犠牲者の御霊をご回向したい」という呼びかけに応じ、全日本仏教尼僧法団の団員70人と台湾の尼僧25人が集まった。黄氏は震災直後から、台湾で募金活動を実施。昨年、岩手県陸前高田市を訪問して、約1500万円を寄託していた。


 28日の法要に先立って挨拶した黄氏は、1999年の台湾大地震の際にいち早く駆けつけた日本の救援隊の姿に感銘し、「テレビから地震のニュースが流れるとこの一幕が現れてくる」と回想。また「大自然の威力の前に、助けたいけど何も出来ない苦しさがあった」と述懐し、「物故者たちが仏さまの世界に往生して安心して暮らせるように。仏になってこの世の家族を見守って下さるようにお祈りします。それが復興へとつながっていきます」と語りかけた。


 台湾尼僧による法要では、太鼓や銅鑼などの音と読経の声が独特の拍子で奉じられた。続く曹洞宗・臨済宗による法要では「震災精霊供養御和讃」を奉詠。最後に浄土宗・浄土宗西山派による法要が営まれ、念仏の声が被災地に響き渡った。午後には黄氏と中宮寺門跡の日野西光尊氏導師に復興祈願合同法要が営まれた。


 法要後には支援金650万円が石巻市教育委員会の境直彦教育長へ手渡された。境氏は小中高等学校と幼稚園16施設が使用不能となり、現在も仮設校舎などで授業が行われている現状を説明。支援金は学校図書や教材など「子どもたちの教育のために大切に使わせていただきます」と感謝した。


 林昌院の佐藤住職は「昨年3・11の悪夢から今日の日を迎えられるとは本当に夢にも思っておりませんでした」と涙をこらえながら語り、「これから地域の復興のために一歩でも尽していきたい」と決意を新たにしていた。


 友人を津波で亡くしたという高橋智恵子さん(64)は、「時が経つにつれ無念さを感じていた。友人はお寺が好きだった。供養してほしいと言われている気がした」と、この日の法要に参拝。武山久仁男さん(72)は妻を亡くし、現在は仮設住宅で生活しているが、「供養するのは生きている者の務め。台湾や全国から来て下さり、有り難いことです」と感謝の言葉を口にしていた。

2012/07/12 京都佛立ミュージアム開館 平和と安穏の発信基地に

 本門佛立宗は今春、本山宥清寺にほど近い京都市上京区東堅町に「佛立会館」を竣工。その1階に設けられた「京都佛立ミュージアム」の開館記念式典が6日に行われ、併せて開かれた文化講座「テラコヤスコラ」第1回にも多くの人が参加した。


 テープカットでは山内日開講有や梶本日裔講尊をはじめとした宗内要職のほか、政界、藝術界から9人がハサミを入れてオープン。


 佐藤日凰宗務総長は「私たちの信仰を広く社会に発信し、個人の苦悩の救済やより良い社会の建設に役立ちたいと準備を進めてきました」と語り、宗教者として必要最低限の活動では駄目で「仏教者としての本分を厳しく見直し、平和と安穏を築いていかなければなりません。その発信基地としてこの京都佛立ミュージアムが持つべき役割を果たすと確信しております」と挨拶した。


 来賓からは山田啓二府知事の名代として府文教課参事の山本範子氏が挨拶。混迷する社会にあって「人々の心のよりどころとして宗教の大切さが見直されている中、このミュージアムの役割は非常に大きい」と期待を寄せた。


 スクリーンに長松日扇(清風)開導の生涯や開設の経緯が映し出され、ミュージアム制作担当の長松清潤氏(横浜・妙深寺、京都・長松寺住職)が解説。日扇開導の描いたユーモア溢れる「俗画さとし絵展」や、「もう一人の龍馬展」、東日本大震災復興祈願企画展の予定を紹介し、「当ミュージアムはこうした企画だけでなく、広く地域の方にも使っていただきたい。展覧会や発表会、ワークショップができる談話室を用意しており、無料で使用できます」と、無縁社会から『有縁社会』の中心にあるお寺にしたいと意気込みを見せた。


 続いて、文化講座「テラコヤスコラ」が始まった。「寺子屋」と中世ヨーロッパの「スコラ学」を合成させたネーミング。ミュージアムのロゴを作成したアートディレクターの浅葉克己氏は日扇開導の「俗画さとし絵」や日蓮聖人の文字のデザイン的センスを絶賛。坂本龍馬研究家の小美濃清明氏は、書簡などを繙き「幕末動乱、斬るか斬られるかの世界で、一人でいる時は静かな仏教の心を持っていた」と龍馬が仏教徒だったことを説明し、長松氏が来月出版する『仏教徒 坂本龍馬』も「海援隊が出した3冊の本はほとんど研究されていない」とし、それを読み解いたこの本の出版はとても意義があると述べた。この様子は同館ウェブサイトで視聴できる。


 長松氏は最後に、改めて市民に開かれた弘通をここでやっていきただきたいと、僧侶に力強く期待した。


 館内には日扇開導の遺品も多く並べられ、来場者は「幕末・維新の仏教改革者」の活躍に想いを馳せていた。

2012/07/12 駒澤女子大学 五輪女子サッカー岩渕選手を激励

 ロンドン五輪女子サッカー代表に選出された岩渕真奈選手(19)の壮行激励会が6日、岩渕選手が在籍する東京・稲城市の駒沢女子大学(光田督良学長)で開催された。


 岩渕選手は、同大の国際文化学科の2年生。同大が提携する女子クラブチーム「日テレ・ベレーザ」にも所属し、昨夏はW杯優勝の日本代表に選出された。ポジションはフォワード。鋭いドリブルが持ち味で活躍が期待されている。


壮行会では、葛城天快理事長が「持ち前のドリブルで、ワールドカップを上回る成果を期待して送り出したい」と激励。園児、生徒、学生代表から花束、寄せ書きを受け取った岩渕選手は、照れ笑いを浮かべながら、声援に応えた。


 岩渕選手は「先生方や友達に恩返しできる機会なので、ロンドンで活躍できるように頑張ります」と決意表明し、「なでしこジャパンだけでなく、日本選手団の応援もお願いします」と呼びかけた。


 質問コーナーでは、女子学生から「彼氏はいますか?」との質問に「いません!」と苦笑い。「勉強との両立は大変ですか?」との問いには、「大変です。でも先生方に協力してもらい、おかげさまでサッカーに集中できています」と答えた。

2012/07/12 善通寺で日韓大会 聖地巡礼をテーマに

日韓仏教交流協議会(会長=宮林昭彦・浄土宗大本山光明寺法主)は6月26日、香川県善通寺市の真言宗善通寺派総本山善通寺(樫原禅澄法主)を会場に第33回日韓・韓日仏教交流大会を開催。テーマは大会地にあわせて「聖地巡礼の文化コンテンツ発展方法」。大勢の巡礼者が訪れる霊場の中で日韓友好の絆を深めた。両国から約200人が参加した。


 同日午前、善通寺御影堂で樫原法主を大導師に平和祈願法要を厳修。日本側の宮林会長が大会の辞で、昨年の東日本大震災に対する支援への感謝や、韓国大会後の「人類和合共生祈願碑」への参拝などに言及し、「本大会の意義は日韓両国の長い歴史の中で困難な時代を乗り越えて、仏教精神を基盤として友好親善の絆を深め、未来志向で世界平和、人類和合共生の実を挙げることにある」と挨拶した。


 韓日仏教文化交流協議会の慈乗会長も震災につていて、「仏教的な知性と成熟した国民性で難関を克服している日本国民と仏教界の様子に接して、むしろ異なる新たな勉強をさせていただきました」と発言。さらに両国仏教は「進むべきビジョンを提示して共有し、具体的かつ実質的な交流を熟考しなければならない」と述べ、深化した交流を掲げた。


 午後からは遍照閣に移動して学術交流大会。日本側・大正大学前学長の小峰彌彦教授と、韓国側・東国大学校の利在洙教授が基調講演を行った。


 最後に共同宣言を採択。5項目からなるが、「 巡礼は重要な宗教儀礼であり、殊にこの地、弘法大師四国八十八箇所霊場においては、霊場相互の連繋をよくし、祖師を鑽仰し、巡礼信仰を高揚しているので、多くの巡礼者の帰依するところとなっている。ここにいま、巡礼信仰形態を考察して、巡礼地の発展方案の探究に努力する」とテーマに即した項目も加えられている。


 大会前夜には善通寺市内のホテルが歓迎レセプションが催され、両国代表が挨拶した。

2012/07/19 曹洞宗両大本山「桜プロジェクト」 總持寺に370本植樹

 永平寺(福山諦法貫首)と總持寺(江川辰三貫首)の曹洞宗両大本山による東日本大震災被災地支援「復興祈願桜プロジェクト」の第一弾となる育苗のための植樹が7日午前、横浜市鶴見区の總持寺仏殿前の育苗場で行われた。1年間育てたあと、被災地におくられる。


 植樹されたのは千年の樹齢をもつとされるエドヒガンザクラ。總持寺や永平寺に植樹してきた「日本さくらの会」専門委員の山形県白鷹町在住の金田聖夫さん(79)が苗木を提供。数センチから50センチほどの苗木370本が届けられ、金田さんと山形からのボランティア、總持寺の乙川暎元監院、本山役寮、雲水らが汗を浮かべながら願いを込めて植樹した。


 エドヒガンザクラの発芽は容易ではなく、「その年(の気候)によって左右されます。100%発芽の年もあれば20%の年もある」と金田さん。無事に発芽した苗木を運び植樹を指導した。苗木の横に竹串が刺され、小さな番線(針金)と結ばれた。風で飛ばないようにするためだ。「雲水さんたちの育苗にかかっています」と成長に期待した。この秋にも再び苗木が届けられる予定だ。


 また苗木の成長と被災地復興、そして震災犠牲者追悼法要が江川貫首を導師に仏殿で営まれた。永平寺の鈴木包一後堂ら役寮が参列。江川貫首は「本山・修行僧一丸となって育成に努め、被災地に届けることを楽しみにしている」と垂示を述べた。法要後、鈴木後堂も苗木を手に「大きくなってください」と声をかけて植樹した。


 桜プロジェクトは10年計画。苗木は1年間で大人の背丈ほどに伸張する。希望する被災3県の寺院に無償で贈る。気候的に雪深い永平寺より日本海側の總持寺が適していることから同寺での育苗となった。仏殿前には「エドヒガンザクラ育苗場」の案内板が設置されている。

2012/07/19 宗教者の社会貢献活動「知らない」60%超す 庭野財団調査



 庭野平和財団(庭野欽司郎理事長)の第2回「宗教団体の社会貢献活動に関する調査」報告、勉強会が12日、東京の新宿三丁目貸会議室で開かれた。学者、宗教者、教団トップら約50人が参加。宗教の社会貢献活動を社会がどう見ているかについての調査結果が発表され、現在、市井の人には宗教に冷淡な面も強いことが浮き彫りになった。


 財団が行った第2回調査は今年4月6日から15日までの期間、全国の20歳以上の男女4000人に層化3段無作為抽出法で個別面接調査。有効回答数は1232人(30・8%)。国学院大学の石井研士教授はこれを分析し基調講演とした。


「宗教団体が学校教育活動、病院運営などを長年行っていることを知っているか」という設問には、6割以上が「知らない」と回答。「とくにキリスト教系宗教団体の学校運営や、宗教系医療施設の多さを思い出してほしかったが、知っているのは3割ほど」と石井教授は惜しむ。「知っている宗教団体の社会貢献活動は?」という選択式の設問にも、3割以上が「知っている」と答えたのは「学校等教育機関の経営」のみで、「どれも知らない」が4割を超えるような厳しい結果になった。東日本大震災後の調査のためか、前回(2008年)調査時に比べて『災害時のボランティア活動』は知っているという回答は増加し、21%となったが、増加率は2.3%にとどまっている。宗教団体の震災支援活動を「ひとつも知らない・わからない」と答えた人も約半数だったので、支援は「必ずしも周知の事実とはなっていない」とした。


「期待する宗教団体の行う社会貢献活動」には「平和の増進に関する活動」が33.8%と最も高かった。また、「宗教団体のおこなう平和活動の評価」は、直接・間接的に平和に貢献しているとする回答が37.8%。特に突出して学生が平和運動に期待しているという。


 続いて、宗教者の社会貢献の実践が2例発表された。シャンティ国際ボランティア会専務理事の茅野俊幸氏は震災直後から現在まで継続している支援活動をはじめ、中華民国の慈済基金会や大韓仏教曹渓宗との連携を報告。立正佼成会外務部長の根本昌廣氏も同会の支援活動の特色を「一言で言うと、会員と非会員の区別をしなかったということでしょうか」とまとめ、被災者に広く支援を続けていることを説明した。


 石井教授は「こういった大規模な支援は宗教団体くらいしかできないはずなのに、それがあまり評価されない問題がある」と指摘。調査では平和活動に期待する声が大きかったことも踏まえ「宗教界はセクショナリズムを超えて、災害支援と平和運動には力を合わせていくべきではないか」と提言した。

2012/07/19 宗教・宗派を超えて12人が原発廃止求める

 宗教・宗派を超えて仏教、キリスト教などの宗教者ら12人が13日、京都市右京区の花園会館で会見を開き、原発の廃止を求める声明を発表した他、賛同者を増やす運動を進めると表明した。運動の呼びかけ人には河野太通臨済宗妙心寺派管長、宮城泰年本山修験宗管長も名を連ね、この日の会見にも出席して原発に反対する姿勢を示した。


 この運動は、日蓮宗僧侶で理学博士の鈴木章方山梨大学名誉教授が「理学上の知識をもつ宗教者の果たさなければならない使命」と原発問題に取り組む宗教者に呼びかけて開始。13日までに51人の賛同を得て声明の発表に至った。


 声明文では「私たち宗教者は、放射性廃棄物を必然的に蓄積させ、将来にわたって『いのち』を危機にさらし、子孫に負の遺産となる原子力発電所の廃止を求めます」とし、「人類が安全に暮らすことの価値を最高位に据える宗教者は、環境破壊のないクリーンなエネルギーを利用する社会、エネルギーと資源の無駄遣いをなくし、命の尊厳が重んじられる世を望みます」とした。


 会見に臨んだ鈴木名誉教授は「原発は安全だとの宣伝がまかり通ってきたが全くの嘘。事故がなくても放射性物質はどんどん増えて危ない」とした他、「原発は経済的でクリーンなエネルギーというがこれも全くの嘘。原発を安全に運転するには別のエネルギーを使うし後始末をするには莫大な経費がかかる」と廃止を求める理由を述べた。


 河野管長は、全日本仏教会会長在任中に福島原発事故に遭い、昨年12月に自身が主導して全日仏声明「原子力発電によらない生き方をもとめて」を出し、それ以降教団の脱原発声明が相次いだ経緯を述べた上、「今回、具体的な意見を運動に進めていこうとなったのは、私、反原発を言い出した者として一つの発展と思っている」と賛同の意を表明。


 宮城管長は、原発で出る放射性廃棄物を地中深く埋める計画に対し「地球がどんどん動いている中で直接処理なんてやったら、私たちは未来の地球に大変な罪を犯してしまう。自然環境を大事にする私たちとしては容認ならない」と発言。「原子力発電の中で電気をふんだんに使ってきた。多くの人の被害の上に使ってきた。そうしたことに今後私たちは反省の生活をしていく必要があるのでは」とも述べた。


 福島原発事故で避難生活を続ける浄土宗宝鏡寺住職の早川篤雄氏も出席し、「地域社会は消滅したと断言できると私は考えている。福島原発の事故の状況は語り尽くせない。第二のフクシマを許すことは絶対にあってはならない」と訴えた。


 大江真道日本聖公会司教らもこの後訴えた。


 この他呼びかけ人には有馬賴底臨済宗相国寺派管長、五十嵐隆明浄土宗西山禅林寺派元管長、福家英明天台寺門宗園城寺長吏らも名を連ねている。今後賛同者を増やすことにしている。

2012/07/26 昭徳会100年を祝う 大乗山法音寺福祉の原点確認

 日蓮宗大乗山法音寺(名古屋市昭和区駒方町、鈴木宗音山首)の前身を母体とする社会福祉法人昭徳会(理事長=鈴木正修・法音寺副山首)は20日、名古屋市内のホテルで創立百周年記念式典と祝賀会を開催。法音寺や昭徳会、さらに昭徳会施設のある自治体首長など愛知県内外から約400人が参集し、法音寺福祉の原点を再確認すると共にさらなる福祉向上に期待を寄せた。


 最初に鈴木理事長が登壇し、昨年5月に就任したことを報告。法音寺の起点となる仏教感化救済会を設立した杉山辰子女史(1868~1932)が大正元年(1912)、会内に育児院を創設したことを紹介し、次のように述べた。


「杉山先生の活動基本理念は釈尊のみ教え、わけても妙法蓮華経の実践にある。大変難解な経典であるが、一言で申し上げるならば、困っている人すべてを救おうというもの」「杉山先生は医師の村上斎先生のご協力を得て医院を開設するなど、どんなに貧しい人でも難病で苦しむ人でも、決して拒むことなくお世話をされた。そのため当時の救済会本部には、行き場をなくした貧しい母子やハンセン病、肺病など不治と言われた病に冒され、苦しむ方が数多居住し、まるで病気と貧乏のデパートのようであったと伝え聞いている」


こうした事業を支えたのが賛同者たちだが、単なる寄付集めではなく「杉山先生は法華経に説かれる菩薩行、慈悲・至誠・堪忍の三徳を説き、その実践を通して人々を本当の幸せに導く活動を展開された。幸せを得られた人々の真心が施設運営の浄財として現れ、救済活動は支えられてきた。この営みは、今日に到るもいささかも変わるものではない」と仏教精神が根底にあるとした。


 来賓祝辞は、大村秀章県知事と河村たかし市長が行った(各代読)。「障害のある方の働く場として一般企業に負けないお菓子工場の設置や、回想法による高齢者の認知症ケアなど各分野で特色ある取り組みを進められている」(大村知事)、「特に子どもの分野で児童虐待の夜間・休日の役割や児童自立のための就労支援など名古屋市の事業に力を注いでいる」(河村市長)とそれぞれ賛辞をおくった。


 引き続き会場を移動して祝賀会。大村知事が急きょ駆けつけて挨拶。昭徳会と日本福祉大学のルーツが同じことから「まさに愛知県の福祉の歴史は、昭徳会なしには語れないと思う。この100年を節目として、さらに200年というと先になるので、次の110年に向けて活躍されるようお願い申し上げたい」と激励した。


 日本福祉大学の渡辺照男理事長は学園創立者である鈴木修学師(1902~1962)の福祉活動に言及しながら、「社会事業の人材育成と教育は一体のものであると(創立者は)身をもって示されたと私は考えている。兄弟法人として固い絆を引き続き、作っていきたい」と誓った。


 この後、昭徳会の島田行学理事(安城支院主管)の発声で祝宴に入った。


 また式典後の記念講演では、女子マラソンのメダリストを指導した小出義雄氏(佐倉アスリートクラブ株式会社代表取締役)が「夢の実現にむけて」と題して話した。

2012/07/26 大谷光真本願寺派門主が研究発表 核廃棄物は倫理的宗教的に問題

 東日本大震災の復興支援と原子力エネルギーへの宗教者の対応を考える宗教倫理学会(高田信良会長)の研究会が20日、京都市下京区のキャンパスプラザ京都で開かれ、浄土真宗本願寺派の大谷光真門主が発表。寺院が復興支援をするにも門信徒らとのつながりを強くする日頃の活動が大事とし、使用済み核燃料の処理方法がない原子力発電について子孫に廃棄物だけ残すのは「倫理的宗教的に問題」と述べた。


「社会の危機に際して、できること―教団、信者、市民」と題して大谷門主は「本願寺住職、本願寺派門主ではありますが、その公的発言ではない、そこには出てこない日頃つぶやいていることをお話し致します」と私的発言と前置きして発表。


 寒川旭著『地震の日本史』を挙げ、「まあ、日本は本当に地震が多い国だ」と驚きを表明した上で、東日本大震災が「未曾有の災害」と言われたことに反論。「日本列島が今日成り立つためには人類の時間で計れるような期間ではない、長期にわたって地殻変動が起こってできた島ですから未だかつてあらずなんてあり得ない。ただ私が知らなかった、最近の私たちが知らなかったに過ぎない」とした。


 そして日本列島に生きるには「開き直り、諦めをもって生きなければならない」としつつも「あてにならないこの世を生きる生き方も同時に仏教から学びそれによって生きていかねばならない」とし、「避けることはできないが減らすことはできる」と防災意識を高める必要性も述べた。


 大震災にもかかわらず昨年4月9日から親鸞聖人750回大遠忌法要を予定通り執行したことについても触れ、「大遠忌はご命日の法要。いわゆるお祝い事ではない。むしろ悲しい辛い出来事を受け止める。遠慮する法要ではない。やろうとする側に立って話をした」と明かした。


 同派の震災復興については宗勢調査を基に「門信徒で定年退職して余力のあるような方々にお願いするのが一番可能性が高い」とし、「そのためには日頃からお寺とのつながりがあって、皆で何かしようと意見がまとまるようでないとできない。お寺の平生の活動が関係している」と日頃の活動の重要性を挙げた。


 原子力発電にも言及し、自身は20年以上前から「原発は人間の処理能力を超えたものとの認識をもっていた」と言明。


「一番の問題はトイレのないマンション」と使用済み核燃料の処理方法がない点を指摘。「そんなものをどうして許したのか。原発以外で廃棄物を処理する方法がないから溜まる一方でよろしいというものがあるだろうか」と疑問を呈し、「それほど歪んだ発電事業である」とした。


 さらに「昔の人は孫の代が使う木を植えた。今の人は自分が使えるものは使って孫にはゴミだけ残して、こういう生き方そのものが私自身にとって非常に辛い」「廃棄物だけ残していくのはとても倫理的宗教的に問題である」と述べた。


 野田佳彦首相が「私の責任で」と大飯原発再稼働を決めた件にも言及し、「原発で事故が起こったとして、たとえ現職でも引退する以上の責任はない。辞めていれば申し訳ないということでしかない。こんなことで責任を取ったことになるのか」と批判した。


 今回の研究会は同学会が3月から進めてきた「3・11以降の社会と宗教」をテーマにした研究プロジェクトの5回目。本願寺派関係者など百数十人が聴講した。

2012/07/26 いじめ自殺に宗教者は何が―実践者2氏に聞く

 大津市で昨年10月に市立中学2年の男子生徒がいじめを苦に自殺した問題は、学校側や教育委員会の隠蔽体質ばかりでなく「いのちの教育」が危機的な状況にあることを白日の下に晒した。果たして、仏教者は手をこまぬいていてよいのか。現場での実践者2氏に緊急寄稿してもらった。


積極的に関われ!/志田洋遠
 40年近く青少年育成に関わってきた僧侶の一人として、空しさと悔しさ、そして深い怒りを感じている。


 いじめが原因で自殺した生徒を思う時、〝いったい何人の子どものいのちを失えば気が付くのか!〟と叫びたくなる。最も安全なはずの学校で、死を選ばざるを得ないほどの苦しみに遭っていた少年。その心を理解しようとすらしなかった教師や教育委員会の責任は重い。周囲の大人たちが腹をくくって行動しなければ、いじめの悲惨な現実は絶対に解決できない。


 しかし、いのちの尊さを教えなくなった三教育(家庭・社会・学校)の歪みは末期的な状態にある。


 今、真っ先に宗教者がとるべき行動は、地元の小中学校などで「いのちの講話」を継続して行うことだ。特定の信仰を説くのではなく、いのちの尊さを子どもたちに問いかける講話なら、今の学校教育でも可能だ。最初は断られるかもしれないが、何度も出向いていく熱意を学校側に伝えることも重要だ。私は5度目で地元中学の校長から許可をもらい、以来10数年、毎年夏休み前に全校生徒に講話をしている。


 感想文を読む度に、「子どもの心は素直だ」と思う。ある1年生は「自分の命、他人の命、知識、知恵を大切にして、生きていきたい」と綴り、ある3年生は「(世の中を変えるために)小さなことでもいいので努力してみよう」と約束してくれた。心が希望に満たされている子どもは、他人をいじめるような行動には決して走らない。


 また、僧侶が可能な限り、民生委員・児童委員、保護司など公益性のある役職を引き受け、児童・生徒や学校と積極的に関わることも極めて重要だ。小中学校での講話も、こうした役職をしていれば実現しやすい。


 一方で、青少年の駆け込み寺になることも必要だ。先日、いじめに遭っているある女子生徒が祖母に連れられて相談に来た。私は、彼女の「魂の叫び」にひたすら耳を傾けた。帰り際、「またいつでも来てね」と伝えると、笑顔も見せてくれた。


 仏教者はいのちに関わる現場で積極的に声を出し、行動を起こしてほしい。そして苦しんでいる子どもを独りにせず、その声を聴いてほしい。すべての子どもは「仏の子」なのだから。


(しだ・ようえん/群馬県前橋市・真言宗豊山派金剛寺住職。青少年心の相談室主宰。不登校・いじめ・ひきこもりなどに悩む青少年や親の相談活動を行い、保護司・教誨師・行政相談委員などを兼務)


SOSになぜ気づかぬ/池田和嘉子
 大津市の中学生いじめ問題が連日報道されている。現代のネット社会で育つ子どもたちは、携帯やインターネットなどのツールを介して際限なくその交友関係が広がっている。そこでの彼らの人間関係は至って表面的で共通のルールすら存在しないため情報だけがひとり歩きし、当事者すら気づかぬうちに互いの関係性が崩れていく。


 その怖さは少年たち自身が一番よく理解しており、それゆえ身近な大人や友人にすら本音を語ることをしないのである。そんな中で起こる因果関係もあいまいな「いじめ」の問題を、被害と加害という単純な構造で議論すること自体甚だ疑問である。今回少年の通う中学校がその対応について厳しい批判を受けている。しかし、教育現場には個人情報の保護や人権への配慮から家庭環境の状況すら把握できずに指導を行っているという悲しい現実がある。


 一方家庭においては保護者が我が子の行動や生活を十分に把握できず、たとえ異変に気づいてもそれを明らかにすることを躊躇する。また周囲の者もおかしいと感じることを自ら声に出せず関わることをためらうといった風潮がみられる。


 自らの命だけが自身の意志の下にあると考えてしまった少年の傍らに、彼の言葉に耳を傾けその悩みを共に考え具体的な対応をアドバイスする大人が存在しなかったことはとても残念なことである。その上、事実が報道の通りならば、彼には救いを求める場もなかったことになる。その救いの場となるのは学校であり家庭であるが、それだけではないことを子どもたちに知らせることも周囲の役目だろう。


 個人の権利のみが主張される時、私たちはどこまで真摯にそして無条件に子どもたちの心に寄り添うことができるのであろうか。社会的役割が細分化される程、その役割ゆえに身動きできないことがある。何度もSOSを発信していた少年に対し、なぜ身近な大人たちが手を携えて彼の支えとなることができなかったのか。


 今一度人と人が共に生きることの意味を問いかけたい。子どもたちにとって身近な大人との信頼関係が心の安全基地となり、生きる原動力となるのだから。


(いけだ・わかこ/東京都世田谷区・日蓮宗玉川寺の寺庭婦人、玉川寺身延山保育園家庭支援相談員。精神保健福祉士、臨床発達心理士。元児童相談所・児童福祉司。子育て支援、家庭問題に取り組んでいる)

2012/08/02 東洋大学学長に竹村牧男教授が再選

 東洋大学(東京都文京区白山)では、任期満了に伴う学長選挙が行われ、文学部教授の竹村牧男氏(64)が再選。第42代学長に決定した。任期は今年9月11日から2015年9月10日までの3年間。


 竹村氏は東京大学人文科学研究科博士課程中退後、文化庁職員、三重大学助教授、筑波大学教授を経て2002年より東洋大教授。専門は仏教学。博士(文学)。主著『唯識三性説の研究』ほか多数。


 第41代学長として、第1回「宗教と環境―地球社会の共生を求めて」シンポジウムの開催など大学の発展に貢献した。

2012/08/02 真言宗豊山派 坂井新内局が記者会見で所信表明

 7月5日に発足した真言宗豊山派(加藤精一管長)の新内局(坂井智宏宗務総長)が同25日、東京・大塚の宗務所で記者会見を開き、所信表明を行った。前内局(川田聖戍宗務総長)の施策を引き継いだ上で、大震災・原発事故被災寺院への新たな支援策の策定と災害対策の拡充を発表。総合研究院では東日本大震災への対応を検証する研究に着手し、頻発する自然災害に備える『防災マニュアル』に盛り込む考えを示した。


 高知県の自坊・金剛頂寺が室戸岬に位置し、毎年激しい台風を経験している坂井総長は「災害と人災は違う。(自然に消滅しない放射能をまき散らす)原発事故の場合、いつ故郷に帰れるかわからない」と述べた上で、伝統仏教教団の役割として「〝自然災害が起きた時にはこういうことがある〟〝人災の場合にはこういうことがある〟ということをしっかりと検証して方向付けていくことが大事だと思う」と表明。真言密教の自然観と、そこから導き出される救済の思想を宣揚していく考えを示唆した。


 増澤秀丸総務部長は全国で相次ぐ自然災害と首都圏での大規模地震に備え、「危機管理は一番の問題としてやっていかないといけない」と明言。東日本大震災からの新たな復興支援策についても「被災地のご寺院には心からお見舞いを申し上げ、私たちが同じ気持ちになって進めていかなければならない」と述べ、災害復興支援金・義援金の配分や宗費の減免措置などに続く支援策を早急に策定すると話した。


 まず今月31日に福島県内の津波と原発事故による被災地域を再度視察し、現状を詳細に把握する計画だと発表した。


 吉田敬岳教化センター長は、総合研究院(平井宥慶院長)で災害対策の総合的な研究に着手すると発表。「宗派として、また各寺院として、東日本大震災で何ができ、何ができなかったのか。そして何ができ得るのか。それらの検証をしっかりとしなければいけない。『防災マニュアル』を、より現実に即したものにしていくために検証からスタートする」とし、「実際に被災地でいろいろな活動をした寺院もある。物資の輸送ルートなど、被災地から離れた所から何ができるのか(も重要)。そうした反省も踏まえた具体的な検証データが、すでに集まりつつある」と語った。


弘法大師信仰の宣揚で不活動寺院対策を推進


 川田前内局では不活動法人対策の対象を、無住職寺院だけに限定せず法人格を持たない不活動寺院や、宗教活動をしておらず法人格のみ存在する場合など幅広く設定。不活動状態からの再開を第一目標に掲げ、21カ寺あった無住職寺院のうち、これまでに10カ寺で住職が就任した。増澤総務部長は引き続き現地視察を行った上で、さらなる活動再開に向けて取り組みたいと抱負。坂井総長は、「経済成長の時代が終わり、もっと厳しい時代になる。その時に不活動状態になった場合、地域の信者の方々で活動を再開できる状態にしておく必要がある」と展望した。


 数十年間、無住職状態の寺院であっても、地域の信者が細々と法燈を守っていたことが活動再開に結びついた事例もある。


 吉田教化センター長は、 「〝家の宗教から個人の信仰へ〟という流れがある。不活動法人の法燈を継ぐというのも、そのあたりがヒントになるのではないか。私たちにはお大師様の教えがあり信仰がある。各地域で大師信仰を涵養していくということが、寺の法燈を守る大きな力になると実感している」と話した。四国八十八ヶ所霊場会会長を歴任した坂井総長は、「大師信仰は超宗派で広がっている」と説明。増澤総務部長も「全国に大師信仰がある。それを現実に生かして布教活動をしていくのが、これからの大きな活力になっていくのではないか」と述べた。


 防災整備事業が進む総本山長谷寺の護持興隆について、中正宣財務部長は「本山あっての宗派」と強調した上で、「(一般寺院でも)社会的な状況があまり良くない時期に寄付を募ることは簡単にはできない。本山護持も宗団全体の中で考えていかないといけない」との方針を示した。岩脇彰信教化部長は、本尊・十一面観音信仰の布教方針に言及した。坂井総長は、弘法大師教学の泰斗である加藤管長への全幅の信頼を表明。「猊下のお大師様への見方・考え方をじっくりと指導していただき、それに基づいて(施策を)実行していきたい」と力強く語った。

2012/08/02 戦場カメラマン僧侶・岸野亮哉さんに聞く 宗教は戦争の原因にあらず

 イラク、ビルマ(ミャンマー)、スリランカ―戦火を駆け抜けてその現場を撮影してきたカメラマン僧侶がいる。京都市左京区・浄土宗西山禅林寺派専修寺の副住職、岸野亮哉さん(37)だ。現在は東日本大震災の被災地に何度も入り、支援と聞き取り、写真の洗浄ボランティアを続けている。


 専修寺に生まれ育った岸野さんは、1997年に大谷大学を卒業して、大阪の写真スタジオに就職。「父親(住職)も健在でしたし、社会に出ようと思って、なりたかったカメラマンになったんです」と語る。報道写真ではなく広告宣伝写真の撮影に勤しむ日々だった。


 転機が訪れたのは2003年3月に始まったイラク戦争。「せっかく写真をやっているのなら、海外に行って取材してみよう」ということで単身7月にバグダッド入り。「テロリストとか言われているけど、イスラム教って本当に危ないんだろうか、という思いがありました」。現地で画家のグループと友人になり、イスラム教はまったく危険ではない、思いやりの宗教だと実感する。「仏教徒でお坊さんだというと、とても良くしてくれた」と懐かしむ。カメラをひったくられても彼らが助けてくれた。「彼らを通じてものを見られたのがすごく嬉しかったし楽しかった。楽しい体験がなかったら、もう2度と海外なんか行くか、と思っていたでしょうけど」。帰国して写真展を開き、大きな評判になった。2004年6月には密告と盗聴が常態化する軍政下のビルマを取材。


 さらに同年末のスマトラ沖地震直後、内戦まっただ中のスリランカに渡航。かなり危険な状況だと噂されていたが、「イラクの時もそうだったけど、行ってみれば何とかなるという考えがあって」思い切って飛び込んだ。2006年の夏まで断続的に4回、反政府組織「タミル・イーラム解放のトラ」(LTTE)の支配する島北東部を取材する。LTTEのナンバーツーにも面会した。内戦終結後の2010年、2011年にも訪れ、生き残ったLTTEの幹部とも再会した。「仏教とヒンドゥー教の宗教戦争とか言われていますが、あれは全然嘘でした」。タミル人がシンハラ人の支配から独立して、自分たちの国を作りたいという思いからの戦いであって、宗教の争いではないと確信。


「宗教は戦争の原因か?」をテーマに写真を撮り続けているが、現在の答えは「違うと思います」。どんな宗教も「殺すな」という教えが根底にある。宗教そのものではなく、宗教を利用し、都合よく捻じ曲げる人間が争いを生んでいると考える。「そこは誤解したらいけないと思います」。


 そして3月11日の東日本大震災が起きる。総本山禅林寺での研修中の出来事だった。矢も盾もたまらず、車を運転して有志と物資の支援に走り回った。何度も被災地入りし、被災者の話を聞き取りする中、住職や檀信徒が何とかしてお寺と地域を守ろうとしている現場を間近に見た。


 被災地ではこんな経験もした。本堂もめちゃくちゃになったあるお寺の住職に「何が欲しいですか」と言うと「友達がくれた1本の水で満足です。ラクダシャツも1枚くれた。暖かかった」と涙を浮かべたという。「この人は仏様だな、と思いました。被災地で出会ったお坊さんたちは、みんな素晴らしく、尊敬しています」とはっきりと言う。


 直接の現地支援や聞き取りの他に、自分に何ができるか。そう考えて昨年から始めたのが、「写真の洗浄ボランティア」だった。津波で汚泥にまみれた写真・フィルムを洗浄している。思い出が詰まった写真が手元に戻ってくると、強い心の支えになる。自坊専修寺で、社会人や学生ボランティアを募り続けている。


「お寺をいずれ継いで住職になると、寺から動けなくなってしまう。そこがジレンマでもあって、こうやって動くことをやめたら、自分が自分でいられるのか」と心中も吐露する。カメラを通じて、仏教とは何なのかを考える若き写真家和尚は今を走り続ける。

2012/08/09 GINZA TANAKAの金製仏像・仏具100点 現代仏壇とコラボ

 創業120年を迎えた貴金属ジュエリーの老舗「GINZA TANAKA」(田中貴金属ジュエリー株式会社=田中和和(まさかず)社長)は8日から9月23日まで、東京・中央区の銀座本店で純金製の仏像や、18金・銀製の仏具約100アイテム(総額3億円相当)を一堂に揃えた展示会「伝統仏具・現代仏壇展―現代の祈り空間がつなぐ絆」を開催している。


 展示会ではGINZA TANAKAと現代仏壇を製作・販売する株式会社八木研とのコラボレーション。


 機能性とデザイン性を兼ね備えた現代仏壇に、高貴な輝きと職人の卓越した技で制作された仏像や、仏鈴や線香立などの仏具を組み合わせた“祈りの空間”を創出。手狭な居住空間やマンション等の様々な事情を抱える現代の住宅事情にも合う仏壇・仏具の新たな形を提案している。


 マーケティング本部の石橋智子チーフマネージャーは「リビングにも合った、毎日の中で共有できる空間」として、展示会で若い世代や新たな顧客へもアプローチしたい考えだ。八木研の西田理亜・広報企画室リーダーは「温かみのある金で、木製の仏壇にも合っています。新たな発見です」と話していた。


 GINZA TANAKAでは高品質な貴金属と職人の卓越した技による工芸品を製作してきたが、「仏鈴」は貴金属工芸品で約2割のシェアを占める。澄んだ音色が長く続き、美しい余韻が残るのが特徴的だ。また昨年販売された「18金製仏鈴たまゆら」は直径約5・5センチのコンパクトサイズに加え、鳴らすたびに揺れ動く姿が愛らしい。参考価格は94万6千円。(金相場により価格は変動)。

2012/08/09 脱原発姿勢、後退か? 全日仏「いのちと原子力」シンポ

 全日本仏教会(全日仏、小林正道理事長)は1日、東京・新宿の損保ジャパンビル会議室でシリーズ「いのちと原子力(1)」と題してシンポジウム「福島原発事故について考える―技術と心の視点から」を開催した。原子力発電の基本的な構造と、原発事故の原因と経過までを学んだが、講師は「原子力発電にもう一度チャンスをいただけないか」と発言し、脱原発の宣言文とは異なる見解を示した。加盟団体や一般市民ら150人が聴講した。


 最初に全日仏の関崎幸孝事務総長が挨拶。昨年12月1日に発表した宣言文「原子力発電によらない生き方を求めて」が、「よく伝統仏教界がこのように踏み込んだ内容のものを発表されたと、大きな反響を呼んだ」と報告し、「宣言文で終わりにしたくないということで本日のシンポを企画した」と説明した。


 講演は「原発事故について考える―技術と心の視点から」と題して、元日立製作所技師長で福島第一原発の建設にも関わった牧英夫氏が話した。


 原子力の専門家である牧氏は冒頭で、昨年の福島原発事故に対して「技術者として痛恨の極み」「事故により被害を受けている県民の皆さんに誠に申し訳ないと思っている」と反省の弁を口にした。


 牧氏は原子力発電の仕組みから原発事故の直接原因にいたるまでの基本的な知識や事実経過を詳細に解説。さらに防災対策が取られていた女川原発や海外の安全対策に言及し、海外では全電源喪失といった「過酷事故時の対策」を完了していたが、「日本ではなされていなかった」。米国の専門家が来日した際の「もし9・11のテロ対策後、日本が勧告に従い全電源喪失の対策をやっていれば、今回の事故は起こらなかったのではないか」という発言を紹介し、「誠に残念」と悔やんだ。


 一方で21世紀末には世界の人口が100億人を超え、エネルギーが課題となると指摘。「10年20年あるいは50年ぐらいは化石燃料と自然エネルギーでしのげるかも知れない。ただ100年200年先を見越して、技術を全部やめるのか。開発までやめるのか」「より広く議論を戦わせることは必要だが、もう一回チャンスをいただけないか、というのが私の本音」と安全対策を前提にしたうえでの原発継続に理解を求めた。


 続いて共同通信社の井田徹治編集委員が会場からの質問を要約しながら牧氏に質問をぶつけた。行き所のない放射性廃棄物については、「最大のアキレス腱」と認めつつも、「地下500メートルに隔離保管する技術は完了している。しかし場所が決まらない。候補地はあるけれども言えないのが現状だ」と答えた。

2012/08/09 比叡山宗教サミット25周年「平和の祈りの集い」 自然災害と原発テーマに

 1987年8月の比叡山宗教サミットから25周年を迎え、海外12カ国から宗教指導者15人を招いて「世界宗教者平和の祈りの集い」が3、4日、京都市左京区の国立京都国際会館と大津市の比叡山上で開かれた。昨年の東日本大震災・福島原発事故を受けて、集いは「自然災害の猛威と宗教者の役割―3・11大震災と原発事故への反省と実践」をテーマにし、哲学者・梅原猛氏の記念講演、シンポジウム、フォーラム、祈りの式典を開催。2日間の意見交換を経て「原発を稼働し続けることは宗教的、倫理的に許されることではない」とし、また宗教者の使命は被災者が「安寧に暮らすことができるように祈念し、共に歩み続けることである」などとする《比叡山メッセージ2012》を発表して閉幕した。シリアの宗教指導者から内戦終結への支援要請もあった。(詳細は紙面をご覧ください)


比叡山メッセージ2012(全文)


 2012年8月3、4日、比叡山宗教サミット25周年記念「世界宗教者平和の祈りの集い」に参加するため比叡山山上に結集したわれわれは、平和を願う世界のすべての人々に心からのメッセージを送りたいと思う。


 人類は有史以来、大自然の豊かな恩恵によって生命を維持し、さらにより利便性に富み快適な生活環境を手に入れるため、様々な工夫をこらしてきた。そのことは、やがて科学技術の飛躍的発展をもたらし、物質中心の近代文明が人々の生活を覆い尽くすこととなった。その結果、自然の恵みを享受するという姿勢から、自然を利用し、また改造して、より一層人間の生活を豊かにしたいという、飽くなき欲望を充足させる道をひたすら求め続けることになった。


 そのようなとき、世界各地で自然災害が頻発、その甚大な被害の前に人々は為すすべもなく、呆然と立ち尽くす外なかったのが実状であろう。すなわち、科学技術が生んだ知見によって自然災害を防ぎ得るどころか、かつて日本の物理学者、寺田寅彦(1878―1935)が指摘したように、文明が進むほど自然の猛威による被害はその激烈さの度を増すという、冷厳なる事実を突きつけられたからである。その結果、ややもすれば自然を収奪し、思うままに利用しようとしてきたことが、いかに傲慢なことであるかに気付かされたといっても過言ではない。


 特に昨年3月11日の東日本を襲った大地震と大津波によって引き起こされた福島第一原子力発電所の放射能漏洩事故は、チェルノブイリやスリーマイル島の原発事故について謙虚に学ぶ姿勢が余りにも乏しく、科学技術のもたらす安全性を過信した結果である。われわれは、技術の進歩の成果を無条件に受け入れるのではなく、その選択に深い倫理性が求められていることを知るべきである。


 古代ギリシャ神話が物語るように、人類に火を与えたプロメテウスに、ゼウスは生きながら内臓を鷲に喰らわせるという罰を与えた、という。それは、すでに文明が人類に幸せをもたらすばかりではなく、厄災を内包するということを示唆しているのではないだろうか。


 核燃料から生じる危険な廃棄物の安全な処理方法が、未だに見出せない現実一つをとっても、原発を稼働し続けることは宗教的、倫理的に許されることではない。われわれ宗教者は、このことに強く警鐘を鳴らす責任があったことを、率直に反省するものである。


 あらゆる宗教は、欲望の充足が幸福をもたらすのではなく、まず日々の生活の中に平安を祈り、共に生かされて生きることを神仏に感謝することを説く。今や人類は物質文明に押しつぶされそうになっている現実に目を開き、誤りのない道を選ぶ岐路に立たされていることを知るべきであろう。


 一方、自然災害が発生するたびに、自らの生命をも顧みず救援活動に従事する人々の崇高さ、黙々とボランティア活動を続ける人々の気高さ、また直接被災地に駆けつけることは叶わぬまでも、物心両面にわたって支援し続ける人々の心の温かさに、人類の未来を見る。われわれ宗教者も、災害発生と同時に、各地で被災者支援に努力を傾注してきたが、甚大な被害を前にして、まだまだ至らぬことを痛感せざるを得ない。


 宗教者の重大な使命は、大自然の猛威によって亡くなった方々を弔うことにあると同時に、最愛の家族・友人を一瞬のうちに奪われた人々が、一日も早く平安を取り戻し、安寧に暮らすことができるように祈念し、共に歩み続けることである。ここに集うわれわれは、諸宗教の連携を深めながら、この使命を全うすることを誓うものである。


2012年8月4日
世界宗教者平和の祈りの集い参加者一同

2012/08/16・23 大本 開教120年祭瑞生大祭 教主、再稼働に「極めて残念」

 開教120年を迎えた大本(出口紅教主)の瑞生大祭が7日、亀岡市の本部万祥殿で執り行われ、参拝した2500人の信徒らが出口王仁三郎聖師の生誕を祝い、みろくの世(地上天国)の実現を祈った。出口教主は大祭にあわせて聖師が作った楽焼・伊都能売観音像が17年ぶりに公開されたのを喜ぶ一方、大飯原発再稼働に言及して「極めて残念」と教団の立場を示した。


 祭典は出口京太郎相談役が斎主となって執行。大祭祝詞の他、昨年の東日本大震災・福島原発事故後に毎日続けている被災地復興と事故収束を祈願する祝詞をこの日も奏上した。


 そして教主、斎主はじめ宗家の出口家・宣伝使代表、田賀紀之本部長ら教団関係者に続き来賓の上田正昭京大名誉教授、阿純孝天台宗宗務総長、延暦寺・円応教代表、栗山正隆市長らが玉串を捧奠し、開教120年と聖師生誕を祝った。


 挨拶に立った出口教主は、17年ぶりの展示となった伊都能売観音像について「そのお姿は優しく穏やかなご表情の中にも雄々しい迫力があり私たちを守護して下さっているようで大変心強く感じさせていただいています」と喜んだ。目下多くの人の関心を集める原発問題にも言及し、「放射能汚染の影響が非常に深刻であるにもかかわらず7月に大飯原発が再稼働されましたことは極めて残念なこと」と述べて、原発再稼働には反対の立場を示した。


 田賀本部長は大飯原発再稼働に対して遺憾の意を表明した教団声明を6月に出したことを報告。「原子力に依存しない正しいエネルギー、環境を損なわない自然エネルギーの開発に向け真剣に考えなければならない」と述べた。瑞生大祭には南米ブラジルから信徒22人の参拝があった。


 17年ぶりの公開となった伊都能売観音像(像高150㌢重さ110㌔)はみろく会館2階ギャラリーおほもとで聖師の耀盌や教主の茶盌などとともに展示され、祭典後に大勢の参拝者が観覧に訪れた。


 同観音像は95年の阪神淡路大震で台座の一部が破損し、大本資料館に保管。この度ギャラリーに免震台を設置したことで大祭を機に展示の運びとなった。

2012/08/16・23 第46回仏教伝道文化賞 本賞は西來武治氏 沼田奨励賞は玄侑宗久氏、白館戒雲氏

 財団法人仏教伝道協会(沼田智秀会長)は7日、第46回となる仏教伝道文化賞の選定委員会(木村清孝委員長)を開き、仏教伝道文化賞に西來武治氏、今年新設された沼田奨励賞に玄侑宗久氏、白館戒雲氏を選定した。贈呈式は10月12日に東京・芝の仏教伝道センタービルで執り行われる。


 仏教精神、仏教文化ならびに仏教学術の興隆等に貢献した人物または団体に贈られる仏教伝道文化賞を受賞した西來氏は1924年生まれ。昭和46年より自宅の電話を開放して「ダイヤルフレンド」を主宰。電話カウンセリングの草分けとして知られ、仏教を背景とした電話相談が高く評価された。また医事評論、元千代田女学園中学・高等学校長を務めるなど、医療・教育分野でも活躍。自身のHPでは「日替わり説法」として現在もほぼ毎日のように説法を更新している。


 新設された沼田奨励賞は今後の仏教伝道を通じた文化活動の振興が期待される人物・団体に贈られる賞。今年は臨済宗妙心寺派僧侶で作家の玄侑宗久氏とチベット出身の白館戒雲氏(チベット名=ツルティム・ケサン・カンカル)が選ばれた。


 玄侑氏は1956年生まれ。芥川賞作家として仏教文化活動に貢献するとともに、東日本大震災に際しては復興構想会議の委員に選ばれるなど、地元の仏教者として東北復興に努めている。


 白館氏は1942年、西チベット生まれ。1984年に日本に帰化し、大谷大学を拠点にチベットの仏教や文化を日本に伝えることに精力的に取り組み、また日本の仏教研究の成果をチベット語で世界に紹介している。


仏教伝道文化賞を受賞した西來氏には賞金300万円、沼田奨励賞を受賞が玄侑・白館両氏には100万円が贈られる。

2012/08/16・23 人生相談の場は献血ルーム 川崎・三宝庵 木下全雄氏

 日本赤十字社の献血は、病気や事故、災害で傷ついた命を救うために大切なもの。実は献血ルームは献血のみならず「特技を活かしたボランティア」ができる場でもあるのはご存じだろうか。東京都内ではネイルアートや占いなど、多彩なボランティアの人々が活躍している。


 一日に200から300人が訪れる東京の新宿駅東口献血ルーム。ここでは高野山真言宗三宝庵(神奈川県川崎市)の木下全雄住職(41)が月に一度のボランティア「お坊さんによる人生相談会」を行っている。老若男女、献血に訪れた人の悩み相談にのるものだ。恋愛や仕事など、持ち込まれる悩みは様々。毎回3人から7人ほどが訪れるという。時には優しく諭し、時には叱咤激励。保護司でもあるので現実的な解決に取り組む場合もある。


 「献血っていうのは本当に気軽にできる善行為、医療には欠かせないものです。そういった善行為をしている人が、悩み苦しんでいるのはもったいないですよね」と木下住職。善行為をしたら必ず幸せになる、という仏教の教えに基づいた回答を与えている。


 31歳の頃から献血を続けているという木下住職は、これまでも度々この献血ルームに通っていたが、「趣味が高じて」昨年10月からボランティアを開始した。お坊さん、しかも189センチ120キロの大きな体での人生相談には安心感があるだろう。


 昨年の全国の献血者総数は約525万人。10代、20代の若年層で減少傾向が著しく、今後、若い人にいかに献血に来てもらうかが一つの課題になっている。血液は人工的に作ることができないので、常に誰かの助けを必要としている。


 木下住職も「もっとみんなに自信を持ってガンガン献血してほしい。修行仲間が献血を始めてくれるととても嬉しいですね」と話す。こんなお坊さんが献血の輪を広げていくのは、とても価値があることではないか。

2012/08/30 曹洞宗大本山總持寺 大規模災害を想定し鶴見警察署と協定調印

 大規模災害時に鶴見警察署が使用不能となった際、曹洞宗大本山總持寺の施設を使用するという協定の調印式が24日、横浜市鶴見区の總持寺侍局で行われた。江川辰三貫首と渡辺道雄署長が署名し、不測の事態に備えることになった。


 2カ月ほど前に鶴見警察署から要請があった。同署は總持寺とは反対の鶴見駅の東側にあり、鶴見川からも近い。海抜も低いことから、巨大地震や津波といった大規模災害が発生した場合、警察庁舎が使用不可能となるおそれがある。そのため適所を模索していた。總持寺側は、江川貫首の理解のもと全面的な協力を約束し、今回の協定調印となった。


 調印式に当たり乙川暎元監院が「禅の精神に立ち、一人でも多くの人命が救われ、一人でも多くの方々の安寧が得られることを願い、協定に調印するものである」と挨拶。これをうけて協定書2通にそれぞれ江川貫首と渡辺所長が署名、押印した。


警察署使用不能時に1階と地下1階が提供される三松閣 署名後、渡辺署長が「災害時にはよろしくお願いします」と述べると、江川貫首も「こういう時代ですから何が起こるか分かりませんからね」と応じ協力体制を確認した。


 警察署が使用不能となった場合、總持寺は三門近くの三松閣1階(多目的ホール)と地下1階(食堂や会議室など)を提供。使用期間は両者が協議して決める。

2012/08/30 神田明神で「神仏和合」 若手僧侶と神主が宗教対話

 東京・千代田区の神田明神で22日、青年宗教者による勉強会「神仏和合 今知りたい神道 仏教のこと」が行われた。港区三田の青年僧侶有志の会「さんじ会」、品川仏教会青年会、神田神社が共催。普段は交流が少ない神主と僧侶が思想や社会的な役割について、活発に意見交換。約30人が参加した。


 勉強会では初めに神田神社を正式参拝してその作法を学び、清水祥彦・神田神社権宮司による神社概説セミナ―を聴講。清水氏は「敬神崇祖」「浄明正直」「共生」「言挙げせじ」といった価値観、「喜びと安堵の時間を共有する祭り」の意義を解説した。


 グループディスカッションでは、僧侶が神主へ質問を投げかけて進行。「死後の世界」について「罪人でも誰でも死んだらみんな神さまです」との回答に僧侶らは若干の不思議顔。「悩み苦しむ人にどう寄り添うのか」という問いには「寄り添う術がない」としながら、「神社は生を喜ぶ場」「この場に来てもらうこと自体が癒しや救いになるのかも」と回答。宗教の違いや共通点を見出していた。


 この他、神社界の組織や制度から靖国神社の問題まで、幅広い話題で盛り上がった。懇親会でも神主と僧侶が自然と組みになって話し込む姿が見られ、「面白い」「またやりたい」という声もあがった。


 今回の勉強会は「さんじ会」の友光雅臣氏(天台宗常行寺副住職)と神田明神の清水氏の出会いをきっかけに企画。友光氏は勉強会、自坊での音楽イベントを通じて「若い人への布教」を模索している。「神社とお寺で違いはあっても、(全国に)15万社寺ある。協力できれば凄い力になる」と勉強会に手応えを得た様子だった。

2012/08/30 国際円了学会設立 9月15日に東洋大学で設立大会

 近代を代表する仏教者の一人である井上円了(1858~1919)。仏教学のみならず、哲学や倫理学、教育学といった分野で優れた業績を残した。その円了を創立者とする東洋大学に「国際井上円了学会」が設立されることになり、9月15日の設立大会で、竹村牧男学長が記念講演する。


「諸学の基礎は哲学にある」を建学の精神とする東洋大学は、今秋創立125周年を迎える。これを機に、国際哲学研究センターが中心となって、円了の多彩な業績を研究し、全貌を明らかにするため国際学会の立ち上げを決めた。


 設立準備委員会委員長の三浦節夫氏(同大教授)は、「円了先生は哲学の通俗化と実際化と言ってますが、通俗化はいかにして一般へ哲学を普及させるか。実際化は、実践や実行です。そういう円了先生の志を継承していこうということでもあります」と説明する。


 学内で円了研究が本格化したのは創立100周年(昭和62年、1987年)を迎える前の昭和50年代からだという。そして三浦教授と故高木宏夫教授の執筆で『井上円了の教育理念』が100周年に出版され、併せて『井上円了選集』の刊行が始まった。以降、「近代仏教研究の中で仏教改f革者としての円了先生をとりあげる人が増えてきた」(三浦教授)。同時に海外研究者も円了の業績に注目している。


 正式設立前だが今年6月30日にはフランスのストラスブール大学で「国際井上円了学会フランス研究集会」を開いた。竹村学長や三浦教授、さらに海外研究者らが発表した。「参加者はそれほど多くはないが、海外で実施することで日本の枠を取り外した議論となった。出席者からは『円了は明治国家とどう関わったのか』といった率直な質問も寄せられました」(三浦教授)


 フランス集会のパネリストの一人は、ドイツの若手研究者のライナ・シュルツァ氏。円了の思想や哲学を主題とした博士論文を執筆し、ベルリン・フンボルト大学に提出した。三浦教授によると、西洋で哲学というと西洋哲学が当然で東洋にはほとんど目が向けられていない。そうした中でシュルツァ氏の研究は円了研究を通じて西洋哲学至上主義に批判を向けたものだという。「世代を超えて、国境を越えて国際レベルで井上円了が認識されてきたと思っている」(同)

2012/09/06 法華宗本門流教学研究所開設50年 尼崎・本興寺で先師顕彰・記念法要

 法華宗本門流(二瓶海照宗務総長)は4日、教学研究所が昭和38年の開設から50年を迎えたのを機に兵庫県尼崎市の大本山本興寺で記念法要を厳修、歴代所長・所員ら先師の遺徳を顕彰し、今後一層の発展を願った。


 同宗教学研究所は、戦後設置された研究機関「桂林同学会」を発展的に解消する形で開設。初代所長は株橋日涌氏が務めた。以来宗学や現代の問題の研究を進め、その成果を研究紀要「桂林学叢」として刊行。所員・研究員らが研究発表する総会も年1回開き、こちらも今月の開催で50回を数えた。後進の育成にも取り組み、所長は6代目大平宏龍所長が務める。


 記念法要は小西管長が大導師を務め各大本山貫首らが出仕、宗内外の僧侶ら約90人が参列した。二瓶宗務総長が顕彰文を読み上げ、先師の遺徳に感謝し、これから一層の発展を祈念した。


 小西管長は親教で「本日ひとつの区切りで法要をしましたがこれで止まるわけではありません。さらに研究所が歴史を続け学問の成果を積んで、名実ともに世間から研究所の価値が定まった時にこそ、先師上人の思いも達せられる」と今後の研鑽に期待した。


 宝前には50年を機に上梓した『法華宗記念論集』(東方出版)を供え、法要に先立っては小西管長と三浦日脩氏に名誉所員の辞令が授与された。

2012/09/06 国交回復40周年 日中禅文化交流協会発会

 日中国交回復40周年にあたり、両国の真の人的交流と両国の禅文化の向上を願い8月30日、東京・市ヶ谷の曹洞宗長泰寺(大谷哲夫住職)で「日中禅文化交流協会」の発会式が執り行われた。会長には大谷住職(前駒澤大学総長)が就任した。日中間で緊張感が高まっている中、奉告法要を営んだが、1000年以上続く交流史をふまえ、両国の円満な関係も願った。


 発会式は、大谷会長を導師に仏祖に奉告する形で営まれた。法語で、「日中禅文化交流協会を設立し、禅文化を基盤となして、日中にとらわれることなく世界人類、衆生、真実の交流並びに友好に尽くせんというものなり」と発会の意義を奏上した。約50人の参会者は読経の中、順次焼香して会の出発を祝した。


 発起人の一人として発会準備をしてきた大谷会長は、安堵と緊張の面持ちで挨拶し、道元禅師の事績に言及しながら思いを披瀝した(紙面に要旨掲載)。また中国側との交渉も行われ、理解を示していると報告した。


 続いて副会長の片山晴賢氏(前苫小牧駒澤大学学長)が発会経緯を報告。曹洞宗や宗門大学のみならず、他大学の研究者や宗教産業などの協力があったと説明した。


 祝辞では、特別顧問に就任した金沢・大乘寺の東隆眞山主による「この度の日中禅文化交流協会の新しい歩みは、世界的、国際的な視野に立って、世界平和に資する力強いスタートでありたい」とのメッセージが紹介された。株式会社翠雲堂の山口豊社長は、「仏具というのは漆工芸、木工事、飾り金物など基本的にはすべて中国から学び、日本人にあわせたもの。日本の文化は中国や韓国を通して来ている」と近い関係であることを説明し、「古い昔からの文化がますます求められる時期だと思いますので、協力していきたい」と話した。


 同協会会則も発表。「本会は、中国において育成され、我が国に将来し展開してきた禅文化を尊重し、確実に継承することを通じて、日中は勿論、全世界の人々と真の友好と交流を図ること」を目的に掲げている。具体的には、禅文化の思想や歴史の研鑽、建築物や仏像・庭園・墨蹟等を保持し後世に伝えることなどが盛り込まれている。


 日中禅文化交流協会の主な役員は次の通り。


▽会長=大谷哲夫(前駒澤大学総長)▽特別顧問=南澤道人(大本山永平寺副貫首)東隆眞(大乘寺山主)▽副会長=近藤良一(元苫小牧駒澤大学学長)岡本天晴(元防衛医科大学教授)片山晴賢(前苫小牧駒澤大学学長)▽幹事長=渡辺啓司(群馬県總和会会長)▽事務局長=鈴木潔州(禅文化洞上墨蹟研究会事務局長)

2012/09/06 日蓮宗静岡中部管区防災アンケート 70%の寺院が全半壊を予測

 想定されている南海トラフ地震に対し、防災意識を高めようと日蓮宗静岡中部宗務所(貫名英舜所長)が6月から実施していた防災アンケートの中間結果が8月31日、同宗務所主催の教師大会で発表された。回答した管内129カ寺の内、70%以上が大規模地震で全壊・半壊の被害を受けると予測していることが分かった。


 アンケートは寺院の防災意識、対策についての11の設問で構成され、管内の182カ寺に配布。同宗務所管区は太平洋沿いに西は沼津市から東は焼津市に至る。129カ寺が回答し、回収率は71%。貫名所長は「宗内で行われるアンケートとしては高い回収率だ。防災意識の高さが表れているのでは」とみている。


 「自分が大規模地震に遭遇すると思いますか」という設問には、65.9%が「そう思う」と回答。「大規模地震(震度7クラス)の寺院の被害予測」については、全壊が32.6%、半壊が38.8%と回答し、70%以上が大きな被害を受けると想定していることが分かった。


 しかし対策面をみると、「耐震工事を実施したか」の問いでは、本堂が30.2%の寺院でなされているものの、検討中を含めてなされていない寺院も70%に達した。庫裏・客殿も31.8%にとどまった。震災時に寺院は一時的な避難施設となる可能性もあり、その場合、耐震性がその指標となりそうだ。


 一方で、位牌・仏像・仏具の倒壊防止についての設問では、対策をしているは17.1%にとどまった。


 震災後の復興費用に関連した設問では、「地震保険に加入していますか」との問いに「はい」が59.7%。検討中が14%と各寺院で自主財源を確保している現状が浮かび上がった。


 ただし、保険を含め「自主財源で復興できると思う」と回答したのは、18.6%で、62%が「宗門の福祉共済基金からの支援金に期待したい」と回答しており、宗門の災害対策にこれまで以上に大きな期待を寄せていることがうかがえる。


 このほか、過去帳や檀信徒台帳の保全については、31.1%が対策を実施している結果が出た。事例としては、「データ化してバックアップ」「データをクラウド上においてある」や、銀行の貸金庫の利用、防災金庫を購入するなどが多かった。


 被災時の避難所としての対応については、「極力対応できるよう努める」「公共性をもって対応」という意見が多かった反面、連動して大地震が起こることが想定されている地域でもあり、震災後に「本堂があれば」という回答も多く、「全壊が予想され、受け入れは不可能」だと考える寺院も少なくなかった。


 今回のアンケートは静岡県下の各管区(東部・中部、西部)で実施され、現在各宗務所で集計中だという。集計結果は10月以降にとりまとめられ、対策の事例を共有し、各管区の防災意識の向上や被害の減少に役立てられる。

2012/09/13 大谷派 念仏者誕生を願い 『英訳 教行信証』改訂版を刊行

 真宗大谷派(安原晃宗務総長)が親鸞聖人750回遠忌記念事業として進めてきた鈴木大拙『英訳 教行信証』の改訂版が10月初旬に刊行される運びになり、それに先立って7日、京都市下京区の同派本山御影堂で刊行報告会があった。監修にあたった前田専学・中村元東方研究所理事長から安原総長へ完成した改訂版が手渡された。


 改訂版のタイトルは〝SHINRAN'S KYŌGYŌSHINSHŌ〟。B5判ほどで総頁数は336。オックスフォード大学出版局が刊行する。値段は55ドル、日本円で4500円(予定)で同派でも発売の予定。


 改訂版には今回の事業で発見された大拙自身の『教行信証』に関する序文も収載。旧版にあった大拙の英訳に編集者が付け加えた説明文は省き、詳細な用語解説を付け、引用されている経文の大正新脩大蔵経の頁数を付けるなどした。


 明治から昭和にかけて活躍した仏教学者、大拙が『教行信証』全6巻のうち「証」の巻まで4巻を英訳し、親鸞聖人生誕800年の1973年に発行された旧版は、大谷派から1000部刊行されたのみで、その後入手が困難な状態が続いていた。750回遠忌を迎えるにあたり、これを再び世界に公開しようと同派の親鸞仏教センター(本多弘之所長)が再版を企画。前田理事長に監修を依頼し、大拙の著作権を管理する財団法人松ヶ岡文庫の協力も得て2005年に事業を開始した。編集には日本仏教・浄土思想史を専門とするニューヨーク州立大学のマーク・ブラム教授ら外部の研究者の協力も得て、7年の歳月を経て完遂した。


 7日の刊行報告会では前田理事長が改訂にあたって大拙の本意を活かすこと、海外での普及を考慮して大学生・大学院生を対象としたことなどを説明。また大拙は「親鸞の教えを世界に広めるということでなくて世界の人々が当然知っていなくてはならない、そのような人類共通の宝物である、このように『教行信証』を信じていたように思われる」とし、「人類共通の宝物の刊行を終えました」と報告した。


 安原宗務総長は「世界中に親鸞聖人の教えを学ぶ場が創造され、一人(いちにん)の念仏者が誕生することを切に願ってやまない」と述べた。

2012/09/13 日本宗教学会 震災から宗教の公益考察

 東日本大震災後の「今」を問い直す日本宗教学会(井上順孝会長)の第71回学術大会が7~9日、三重県伊勢市の皇學館大学で開かれた。初日には公開シンポジウム「ためされる宗教の公益」が行われ、宗教団体や宗教者による被災地支援活動を「公益」の観点から考察。大会実行委員長の櫻井治男同大教授の趣旨説明を受け、宗教の社会貢献について議論した。


 稲場圭信・大阪大学大学院准教授は、「災害時における宗教者と連携の力―その意義と今後の課題」について発表。被災地での調査を基に、災害時の「宗教の力」について整理した。


 避難場所として宗教施設を見た場合、「(冷たくて硬い)板張りではなく、畳敷きの広い空間」を備えていることや、お供えの米など食糧・水を備蓄し、炊き出しなど氏子や檀家、信者の助け合いがあることを列挙。「檀家や信者でなくても宗教施設に避難したことが、「心の支えになった」と感謝する声も紹介した。


 最近、寺社が行政の地域防災計画に参画し、帰宅困難者の一時受け入れなどで協定を結び始めたことを説明。自治体の社会福祉課や防災課、NPOなどと積極的に連携し、日頃から「地域に開かれた宗教施設」にすることの重要性を挙げた。


 岡田真美子・兵庫県立大学教授は「宗教の公共力―自然とのネットワーキングを考える」と題して、環境宗教学の視点から「自然は便利に使うための収奪の対象であろうか」と厳しく問いかけた。


 鎮守の森が持つCO2削減の働きなどに加え、人心を癒すといった数値化できない森林の効能を指摘。「神仏を追い出して」神有地から私有地となり、「公共空間から公害空間」に変わり果てた自然の事例を説明した。


 「私たちは、自然は生き物であることを忘れてはならない。生き物の命を大切にするように自然と向き合わないと(いけない)」と主張し、持論「社寺梅干し説」を披瀝。「梅干しの周りにカビが付かないように、寺社のある所は緑が守られる。神仏が環境拠点に置かれるというのは、その場所が私の利益の対象にならず、公共の空間になるということ。しかも千年にわたって聖域として保護できる」と強調し、重要な「復興のビジョン」になるとの見解を示した。


 小原克博・同志社大学教授は、「祈りの公益性をめぐる試論―3・11によって照り出される『宗教』の境界」をテーマに発表。大震災での支援活動で宗教の「利他的な側面」が注目されるようになった反面、「公益性が良い宗教の条件とされ、多くの宗教が公益を味方に付けることによって、〝良い宗教であることを演じる〟」危険性も指摘した。


 3・11以降、強く認識されるようになった「自然への畏怖」から「公益」を考察。「自然・動物・人間を含めて公益を考えることができるのではないか。生者と死者の間にも公益があるのではないか。公益に時間軸を加えることによって、過去から現在、未来へと拡張していく必要があるのではないか」と提起し、「人間中心ではなく現代中心でもない『公益』を作り出すために、宗教は何ができるのか」と問いかけた。


 鈴木岩弓・東北大学教授は「東日本大震災後の『絆』再興にみる宗教の〝ちから〟」について、宗教民俗学の視座から報告。地縁による「絆」再興のために民俗芸能や祭りの開催が増え、宮城県石巻市針岡地区では20年ぶりに灯籠流しを復活させたと述べた。また「霊が見える」などの被災地における宗教的ニーズに応えるには、対象地域の伝統的信仰や習俗への理解が必要とした。

2012/09/13 特別寄稿 「シリーズ いのちと原子力①」を終えて 全日本仏教会事務総長 関﨑幸孝

 公益財団法人全日本仏教会(以下、本会)が8月1日に主催したシンポジウムに関する記事が、8月9日付仏教タイムス紙に掲載されました。その見出し等を見ると、昨年12月に本会が発表した宣言文「原子力発電によらない生き方を求めて」に貫かれている「いのちが犠牲にされない社会の実現」という姿勢が、あたかも後退したかのような表現になっておりました。そのため、本会へ疑念の声が寄せられ、混乱が生じたことに鑑み、本会の原子力に対する基本的姿勢と、シンポジウムの開催趣旨をあらためて寄稿することにいたしました。


 先ず、本会の原子力に対する基本姿勢は、重ねて申します通り「いのちが犠牲にされない社会の実現」であります。宣言文内に「一人ひとりの『いのち』が守られる社会を築くこと」を宣言しております。私たちは快適な生活を求めるあまり、利便性の陰にある未来に問題を残している現実を直視しておりませんでした。いのちと平和な生活が脅かされるような事態を一人ひとりの問題としてとらえ、深く反省する必要があります。その反省を踏まえ、いのちを脅かす原子力発電の依存を減らし、持続可能なエネルギーによる社会の実現を目指しております。この姿勢は、宣言文発表時点から今日まで少しも後退せずに持ち続けているものであることを、あらためて明確にいたします。


 次に本会主催シンポジウム「シリーズ いのちと原子力」の開催趣旨についてです。一言で申せば「原子力発電の必要性を問う」ということです。前述した基本姿勢を踏まえ、私たち宗教者が最も主張しなければならない「いのちの大切さ」を大前提に、宗教者・一般の方を問わず、参加者の皆様に「脱原発」「原発推進」という観点ではなく、起きてしまった原発事故に対して、深い知識の上に成り立つ復興への希望を見出していただくことを、開催趣旨としています。ここでいう復興とは、物質及び心の両面においての復興を意味し、両面の復興がなければ真の復興はありえないと考えております。


 この開催趣旨をより具現化するため、私たちは複数回にわたる開催を企画いたしております。エネルギー問題や環境問題にも視野を広げつつ、様々な方をお招きし、それぞれの観点からお話を頂戴しながら、真の復興について私たちはなにができるのかを真摯に考えていきたいと思っております。


 先日の第一回目のシンポジウムは、二部構成にて開催しました。第一部では福島第一原子力発電所の建設に関わった牧英夫氏より、技術者の視点で原子力発電の仕組み及び福島第一原子力発電所事故について詳細に解説していただきました。そもそも原子力発電とは何なのか、なぜ悲惨な事故が起きたのかを知識として学び直し、今後同じような事故が起きないようにするための課題を提示してくださいました。


 また、第二部では共同通信の井田徹治氏を聞き手としてお招きしました。井田氏は長くエネルギー問題の取材に関わり原発の危険性について、記事を通して訴えている記者の一人です。今回は参加者より寄せられた原子力発電に関する疑問、不安等の質問を直接牧氏へぶつけ、原子力発電そのものの危険性や問題点など、複雑な原発問題を参加者に対してわかりやすく伝えてくださいました。


 本会としては、このシンポジウムで、宣言文の内容を複数回にわたり推し進めていくことを、あらためて明らかにしたいと思います。第1回目のシンポジウムを踏まえ、次回はパネルディスカッションの形式で、原子力発電所の事故により多大な被害を蒙っておられる方を中心としてその声を聞き届けていき、いのちを脅かす原子力発電に依存しない社会を目指して、議論していきたいと考えております。時期は来年3月の開催を予定しております。詳細は決定次第、皆様に周知をしてまいります。一人でも多くの方々にご参加いただけるようにご案内いたしますので、是非お越しいただきたいと願っております。

2012/09/20 共生特集2012 慈済会による東日本大震災見舞金50億円


慈済会が見舞金を支給する情報を聞き、一人で来れないため電話で相談。自宅に駆けつけて会場で手続きができるように連れてきた。このあと慈済会と現地の被災者スタッフが車いすを担いで階段を登った(慈済会提供) 世界最大の仏教系NGO団体といえば、台湾の仏教慈済慈善事業基金会(慈済会)である。大規模な災害が発生すると国境を超えて支援活動に乗り出す。近年では、スマトラ大地震時のインドネシア、サイクロンが襲ったミャンマー、中国・四川省大地震、ハイチ大地震などに取り組んだ。これらを主導するのが證厳法師である。台湾仏教界を代表する尼僧で、その活躍に対して5年前、庭野平和賞が贈られた。

 東日本大震災では、その日の内に台湾本部に災難救援指揮センターを設置。3月15日に茨城県大洗町を視察し、同所で炊き出しを開始した。寸断されていた交通網やガソリン不足が解消されてくると、岩手県内で食品や衣類等20トンの物資を13カ所の避難所に配布。埼玉県騎西高校に避難していた福島県双葉町民にも物資を配布した。

 順調な滑り出しのようだが、専従職員の陳量達氏(日本支部行政主任)は「私たちの組織は知られていないため、なかなか受け入れられないことの方が多いんです」と語る。行政や被災者らと地道な折衝を繰り返しながらの活動だった。

 多い時には100人以上のメンバーがボランティアとして被災地にむかった(ちなみに、日本支部の専従職員は陳氏を含めて3人のみ)。家庭の主婦や仕事を持つ中国系の人たちが圧倒的で日本人は1割ほど。ほとんどが女性である。

 緊急救援後、被災地のニーズを探りつつ、これまでの経験を活かした復興支援を模索した。「インドネシアや四川では学校や住宅作りをしましたので、学校が建設できないかと打診しました。しかし土地がないことや、法律、復興計画など細かな決まりがあり、建設ができないことが分かりました」

 證厳法師が「被災者が一番必要としているものをさしあげたらいい」と助言したこともあり、被災状態に応じて見舞金を支給することになった。住宅が全壊・大規模半壊・半壊の世帯が対象で、1人世帯3万円、2~3人世帯5万円、4人以上7万円と設定。岩手県釜石市と陸前高田市を皮切りに、12月までに被災3県、合計9万6974世帯、総計50億1642万円が支給された。

 見舞金支給に当たっては罹災証明書と共に自治体の協力が不可欠。だが知名度がないため、なかなか理解が得られない。苦難の連続だった。一方で、被災者の中から理解者や協力者が増え始めた。昨年の夏休みには台湾から100人を超える学生ボランティアが参加したこともあった。照合と配布は人海戦術である。対象世帯の被災者には会場に足を運んでもらうため、介助者が必要なケースもあるからだ。

 こうした見舞金は世界39カ国の慈済会メンバーが募金を実施した結晶である。世界からの思いが慈済会を通じて被災者に贈られたわけだ。感謝の手紙は何通も寄せられた。現在は、被災地から要望があった場合に対応する。

 そして写真展と映画の上映会を今月21日(東松島市)、23日(多賀城市)に実施する。映画はアニメ『鑑真和上』である。「鑑真和上は日本に戒律を伝えるため5回も渡航に失敗してから、ようやく日本に来ました。勇気と志を持ち続けた鑑真。そのメッセージが被災者に伝えられたらと思っています」(陳氏)

 慈済会日本支部は、阪神淡路大震災や新潟中越地震、三条豪雨被害といった災害に出動したほか、普段はホームレス支援などを行っている。

2012/09/20 共生特集2012 真如苑救援ボランティアSeRVの活躍


震災直後、新潟市内の集積所で物資の仕分けをするSeRVメンバー(真如苑提供) 真如苑(総本部・東京都立川市)の救援活動組織SeRV(サーブ、真如苑救援ボランティア)は1995年の阪神淡路大震災直後に設立された。緊急災害時に教団職員を中にボランティア意識の高い有志信徒が加わって編成。各地の豪雨による水害、新潟中部地震、新燃岳噴火による降灰被害など東日本大震災以前までは、3カ国69回にわたって出動した。

 東日本大震災に際しては、直後の昨年3月13日にサーブ先遣隊を派遣。山形県を経由して被災地に入り、その状況は逐一ツイッターで報告された。混乱と情報不足の中で、貴重な情報源となった。義援金や物資の仕分けと支給、炊き出しなど緊急救援を展開したが、同3月25日には伊藤真聰苑主が陸前高田市に入り、自ら炊き出しを手伝った。

 その後、がれき撤去などを経て最近は足湯ボランティアを実践。「各地域で社会福祉協議会に連絡を取り、連携した活動を進めています。それにより初動から被災地のニーズをつかみやすく、また現地の要望にきめ細やかな対応がしやすいからです」(広報課)

 サーブが出動する際には総本部に統括センターが置かれ、国内の本部支部(73カ所)を拠点にボランティアを募集したり、物資の収集を行う。サーブ岩手、サーブ宮城といった名称で各地域ごとに組織されていることも特徴だろう。現在は11チームが活動している。

 職員と信徒による組織ということもあって情報共有しやすいメリットもある。「 信徒の方々は、日頃から信仰上、利他の精神を大事にしており、『人のお役に立ちたい』と社会生活の中での実践を重んじています。同じ理念を持った信徒によるグループなのでまとまりやすい」(同)

 サーブの働きは被災自治体でも評価されるようになった。今年2月には大寒波による大雪に悩まされていた新潟県長岡市の社会福祉協議会が除雪ボランティアの派遣を要請した。サーブ新潟が出動し、高齢者住宅の屋根の除雪作業にあたった。

 自治体からの信頼を得た背景には積み重ねられたノウハウや機動力と共にボランティアの質の高さがある。かといって定期的に専門的な学習をしているわけではない。「その時々の必要性に応じて講習会などは開催しています。例えば、東日本大震災の支援活動時には、活動前にボランティア参加者対象の『現地での心構えとお願い事項』を共有するための会合を開き、活動後に、ボランティア参加者のための心のフォローをする会合も開催しています」(同)

 自然災害の被災地では、オレンジ色でロゴの入ったベストを身につけたサーブのメンバーが、これからも活動し続けるだろう。

2012/09/20 共生特集2012 天理教災害救援ひのきしん隊 自己完結型 隊員1000人が即応

東日本大震災で瓦礫や汚泥を取り除く隊員ら(昨年4月23日、気仙沼市)=天理教道友社提供 東日本大震災を機に東南海地震など将来予想される災害に対策を強化する動きが行政で始まっている。伝統仏教教団でも相次ぐ災害への対応を強化しようという動きがあるが、その点では宗教教団の中で先駆的なのが「天理教災害救援ひのきしん隊」だ。

 隊名の「ひのきしん」とは日々受けている神の守護に対して信徒が感謝を行動で表すという天理教の言葉。漢字で書くと「日之寄進」で、地域や人々のために捧げる行為のこととされる。

 ひのきしん隊の田中勇一本部長は「ボランティアというのは善意の心から行うもの。私たちは善意の心でやっているのではなくて、いわゆるお礼の心で『ひのきしん』をさせていただいている」と話す。災害救援を含めひのきしんは教えの実践なのである。

 教団の災害救援自体は明治24年の濃尾地震に始り、大正12年の関東大震災等でも実施しているが、ひのきしん隊が本格的に組織されたのは昭和46年。この年全国47教区(都道府県)に教区ひのきしん隊が生まれた。各教区隊は隊員登録した信徒で構成。常設されているわけではないが、災害時に即応できる隊員は全国で1000人。隊員登録数は3000~4000人に上るという。

 隊員は災害発生後の数カ月間、緊急救援活動に従事するのだが、そのために日頃から瓦礫撤去・給水・炊き出し等の訓練も実施。本部に給水車10台を配備し、例えばカレー千食分ならどれだけの食材を使うかなど炊き出しためのマニュアルも用意している。

 関心するのは自衛隊同様「自己完結型」の組織である点。災害時は天理教の教会・分教会、あるいは行政から公民館、体育館等を借り受けて拠点・宿営地とし、期間の食事・生活などは自前で賄う。使った水道代なども支払う徹底ぶりだ。

 救援活動については「私たちは基本的に住民の声を聞いて入ることはしない。行政を通してしか行きません。住民の声を聞いても必ず役場に一報を入れて、こういう声がありますが、やらせていただいてよろしいですかと了解を得た上でないと入りません。常に行政とタイアップして行っています」(田中本部長)。

 支援の仕方はさまざまで、教団によっては被災した所属寺院や信徒を優先する所もあるが、ひのきしん隊はその方針はとらない。一宗教団体だけに行政から支援を断られることもあるというがあくまで各自治体の許可を得てから実施している。

 隊はもちろん昨年の東日本大震災でもフル回転。昨年3月12日から7月20日まで130日間にわたって活動した。岩手・宮城・福島3県の26市町村で救援物資の仕分け・運搬、瓦礫・ヘドロの撤去、給水・炊き出しなどを行い、提供した食事は3万3千食、出動した全国の隊員は延べ1万8621人に上った。

 隊の活動のため、被災者への義援金とは別に、「被災教区・災救隊支援募金」も今回は実施。集まった4億7391万円が、被災した教会・分教会支援と、交通費・食費・重機レンタル料・車両費・宿泊費など隊の活動に使われた。

 緊急救援の一方で心のケアにも取り組み、今は教会などで各教団とともに力を入れている。

2012/09/20 全国青少年教化協議会シンポ 仏教者の社会的責任とは?


社会問題に取り組んでいる実践者がパネリストに 全国青少年教化協議会(全青協)は11日、東京・豊島区の大正大学で「仏教者の社会貢献を考える集い」を開催した。4人の僧侶が、仏教あるいは仏教者による社会的責任・社会貢献「BSR(Buddhist Social Responsibility)」について自身の活動と共に考察。東日本大震災からの復興、貧困や自死といった社会苦と仏教者の課題も議論した。

 ターミナルケア実践者の谷山洋三氏(大谷派僧侶/東北大学准教授)は、ビハーラ僧としての取り組み、被災地での「心の相談室」活動、東北大学で始まる「臨床宗教師」養成などを紹介し、スピリチュアルケアの実践が「信仰を深める」場になることを提示。

 自死・自殺問題に向き合う僧侶の会副代表の藤尾聡允氏(臨済宗建長寺派)は自死問題の取り組むうえで、寄り添うという「実践」に加え、「修行」によって僧侶が担う伝統や儀式が「癒しと安心感を与える」と説示。「修行と実践」が僧侶にとって重要な要素であることを強調したうえで、「宗派の伝統を担える僧侶が社会に出て活動することに意義がある」とした。

 鈴木行賢氏(福島市・天台宗観音寺住職)は10年前に始まった「五大院縁日」によって地域コミュニティが再生した様子を紹介。地域住民と協同して月に1度(28日)開かれ、縁日が「人と人を結ぶ場」として機能。東日本大震災後には、「縁日」が原発事故で避難する飯舘村の復興支援の場にもなったと報告した。

 路上生活者を支援する「ひとさじの会」事務局長の吉水岳彦氏(浄土宗僧侶)は路上で暮らす人々との出会いが「私たち自身が信仰に立ち返る」機会となっているとし、「無常の世に生きていくことの大変さ、どう生きていくのかを共に考えていくのが役割ではないか」と問いかけた。

 神仁・全青協主幹を進行役に行った討論では、震災復興における仏教者の役割を考察。被災地・福島の鈴木氏は「お寺さんも被災者。私の地域では昨日やっと除染の説明会があったばかり」という現状を示し「地元の仏教者として法事や葬儀などを、とにかく一生懸命やる、ということしかない」と吐露。藤尾氏は「地域の拠り所となるお寺の住職への支援」をあげると、谷山氏は「住職を支える寺族も疲弊している。そこも含めたお寺の支援が必要だ」と提案した。

 貧困や自死といった「社会苦」に取り組む上での課題も検討。「ひとさじの会」に参加する僧侶ボランティアが一般人に比べて少ない点について、吉水氏は「建前論として教義が置かれている」「現実社会の矛盾や苦しいことを、個人の心の問題に等閑視してしまう」と要因を分析。一方、谷山氏は「仏教者は日常的に相談活動や社会福祉に関わる活動もしている。専門分野と対話ができる経験と知識を持ち、連携することが大事だ」と指摘。東北大学の「臨床宗教師」研修では専門機関との連携も学び、それによる宗教者の社会的な存在と活動の広がりを示唆した。

 社会と関わる仏教者として、吉水氏は「聖」のような「民間宗教者として会話のできるお坊さん」を提案。藤尾氏も「A(会って)K(語れる)B(坊主)。いわばAKBとして、修行と実践を兼ねた和尚がいてほしいと」とユーモアを交えて呼応した。

2012/09/20 宮城県曹洞宗青年会・同第13教区 石巻漁港で海施餓鬼


海に隣接して祭壇が設けられ、亡き人々を供養した(15日) 宮城県曹洞宗青年会(奥野秀典会長)と地元の曹洞宗宮城宗務所第13教区(北村泰秀教区長)は15日午後、津波により大打撃を受けた石巻市市内の慰霊行脚と、魚市場西副港岸壁で慰霊と復興の海施餓鬼を厳修した。法要前には3コースに分かれて慰霊行脚。他県の青年会メンバーのほか、近隣寺院住職らも出仕した。

 がれきは撤去され、数カ所の集積地のほかは空き地と化し背丈ほどの雑草が伸び放題のまま。港に隣接する工場や倉庫は一部で修復されているが、手つかずの建物も多い。陥没した道路など震災と津波の痕跡が色濃く残っている。

 今回の海施餓鬼は前半の慰霊行脚と後半の法要からなる。とりわけ慰霊行脚は、成仏できない諸精霊に苦悩する被災住民たちからの強い要望があった。被災自治体ではもっとも多い約4000人が死去した。

 宮城曹青の奥野会長を筆頭に地元僧侶ら74人は手甲・脚絆・網代笠を身につけ鈴を手に、港から3コースに分かれて出立。住民有志もこの後ろに続いた。事前にコースが告知されたこともあり、道ばたやかつての家の前でたたずみ合掌姿で迎える住民たちが数多くいた。遺影を胸に抱く遺族もおり、僧侶はその都度足を止め読経し、回向した。

 気温30度を越す残暑と強い日差し。僧侶らは経文を唱えながら汗をぬぐい、水分を補給し、歩を進めた。予定時刻をオーバーして、午後3時過ぎに漁港の岸壁に戻ってきた。

 岸壁沿いには祭壇を設置。四隅の柱にかけられた四天王幡が強い浜風にあおれてていた。法要に先立ち株式会社石巻魚市場の須能邦雄社長が挨拶し、「残暑厳しいなか曹洞宗の皆さん、大変ありがとうございました。震災から1年半が過ぎましたが、まだまだ震災から立ち直っておりません。成仏できない御霊(みたま)がたくさんいると聞いております。3コースに分かれて慰霊行脚していただき、大いに気持ちが鎮まったのではないかと思っています。水産業界と地域の家族の皆さんも、今日を境に前向きに大きく前進できるものと思っている」と感謝した。

 続いて奥野会長は救援物資の支給や避難所での炊き出し、行茶、傾聴活動といった取り組みを紹介すると共に、住民たちから「自分の家族、あるいは友人が亡くなった場所でお経をあげて欲しい」といった意見が寄せられたと報告。「7月28日に気仙沼で慰霊行脚を行い、本日は石巻の曹洞宗寺院、女川のご住職様、魚市場の方々などのご協力により慰霊行脚と法要となりました。2時間近く歩きましたが、ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りしつつ、一日でも早い復興をという気持ちでした」と静かに心境を話した。

 一分間の黙祷を捧げた後の法要は、最初に奥野会長を導師に復興祈願、続いて北村教区長を導師に慰霊海施餓鬼をそれぞれ執行。約150人の参列者は読経の中、慰霊の焼香を行った。

 法要を終えて北村教区長が挨拶し、「私も行脚しましたが、随所に頭を垂れ合掌される姿をお見受けしました。また写真をお持ちになって、供養して頂きたいという気持ちでお立ちになっていた方もおりました」と被災者の胸の内を推し量り、今後も慰霊供養を継続していくことを話した。

2012/09/20 高野山東京事務所 閉鎖へ


 高野山真言宗(庄野光昭宗務総長)の第144次秋季宗会(安藤尊仁議長)が13・14両日、和歌山県高野町の金剛峯寺宗務所で開かれた。宗団の運営状況を見直し、深刻な経営難に陥っていた高野山学園(大学・高校)の構造改革のため、平成19年度から業務にあたっていた経営コンサルタント三木事務所との基本契約を今年度末で解除。同宗と同大学の首都圏における活動拠点として、同20年8月に開設した高野山東京事務所(港区赤坂・責任者=森寛勝財務部長)も同時に閉鎖すると発表した。

 庄野総長は施政方針演説で、「両者(コンサルタントと東京事務所)の役割・機能については再三説明してきたが、宗会議員の大方のご意見を体して本年度末をもって高野山東京事務所を閉鎖し、その機能を高野山東京別院の東京出張所に移転する」と述べた。三木事務所との契約解除については、「当局の自立力を増強し、補完に努める」と説明した。

 経営コンサルタントを迎えて構造改革を進める中で開設された東京事務所は、宗団と学園の将来像を調査分析して具体的なプランを提案するマーケティング部署として位置づけられてきた。今春には「人口減少が宗団に与える影響」「宗団の次世代モデル」等を研究したレポートを当局に提出。「危機管理マニュアル」の作成や「寺院・寺族サポート制度」の研究も進行中という。東京開催の大学セミナーでは、大勢の一般参加者を集めて運営を黒字化。入試説明会も開き、大学院通信教育課程への入学希望者を中心に毎年入学者を獲得するなど、その成果が宗会で報告されてきた。

 しかし、三木事務所への年間コンサルタント委託料と東京事務所の年間経費の合計が、財政基盤安定化の目的で平成19年度に導入された護持負担金に相当する約8000万円に及ぶことなどから、費用対効果を疑問視する意見が集中。「既存の東京別院に対する位置づけが曖昧。別院に置かれている宗務出張所を拡充すれば足りるのでは」など、必要性を問う声が開設当初から上がっていた。

 先の春季宗会で学園経営改革の成果として4年度分の経費削減額合計が約11億8000万円と発表されたのを受け、「一定の成果が出たら契約解除すべきでは」という意見も出されていた。庄野総長は一般質問で、契約解除と事務所閉鎖について「断腸の思い」と無念さもにじませた。

2012/09/27 韓国「テンプルステイ」説明会 観音聖地巡礼も盛んに


ハングル版般若心経を拓経する騰睦事務局長 韓国で現在、内外から評判を集めている寺院体験「テンプルステイ」の説明会が19日、東京のホテルニューオータニで開催され、約40人が参加した。韓国仏教文化事業団と大韓仏教曹渓宗が主催。

 事業団の騰睦事務局長が最初に挨拶。「ニューヨークタイムスやルモンドも絶賛したこのテンプルステイは、多くの日本の皆様に感動を与えると思います」と、日韓の仏教交流のさらなる深まりを期待した。

 続いて同文化事業チームの金兌炫氏がテンプルステイの内容を解説。いわゆる宿坊体験に近く、坐禅、鉢盂供養(食事)、礼仏、回向、雲力(作務)などで仏教文化に親しむもの。現在では韓国の109の寺院でこの体験イベントを行っているという。料金は日帰りで約30000ウォン(約2000円)、1泊2日だと40000~70000ウォン(約2800円~4800円)ほど。

 そのうち、特に観音信仰の篤い寺では「韓国33観音聖地巡り」という、日本の霊場と同種のことも行っている。観光客の間ではご朱印集めも盛んだ。

 日本では寺院体験は写経が定番だが、韓国では経文を彫った板に墨を乗せて紙に手で刷る「拓経」も人気。騰睦事務局長が自ら般若心経を刷る実演をした後、会場からも2人がチャレンジした。

 現在、日本からの「テンプルステイ・モニターツアー」参加者を募集中。10月26日~28日までの2泊3日で、世界遺産の海印寺や仏国寺を巡る。往復航空費用のみ参加者負担だが、韓国国内のすべての行事費、宿泊費等は無料。問い合わせはコリアトラベル新聞(国際電話+82-2-737-1122)まで。

2012/09/27 浄土真宗本願寺派第32回千鳥ヶ淵全戦没者法要 平和宣言を世界に発信



優秀作文に選ばれた2人の女子生徒が「平和の鐘」を撞いた 浄土真宗本願寺派(橘正信総長)は18日、東京・千代田区の国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑で「第32回千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要」を厳修した。今年から講演に代えて、宗門による平和宣言を発信。京都市東山区の大谷本廟から運ばれた喚鐘「平和の鐘」を撞き、参拝者とともに安穏な社会を念願した。

 追悼法要に先立ち、宗門関係学校から「いのちの尊さ」「非戦・平和の大切さ」をテーマにした作文の表彰式が行われ、優秀作文に選ばれた京都女子中学校3年の牛田望未さんが「平和の裏側」、武蔵野女子学院高等学校2年の小田眞木子さん「平和から見つめる世界倫理」を朗読。受賞した2人の生徒が「平和の鐘」を撞き、橘総長が平和宣言を読み上げた。

 法要は橘総長を導師に厳修。仏教讃歌「みほとけは」や「み仏にいだかれて」を斉唱し、念仏を唱えて全戦没者を追悼した。各国大使や国会議員、全国の門徒が参拝。大谷光淳新門をはじめ約1600人が焼香し、平和への誓いを新たにした。

 平和宣言では、「敵対する人びとの憎悪の連鎖は止むことなく、この瞬間にも、数多くの命が失われ続けています」と非戦への願いが語られ、戦中に原子爆弾が投下された広島、長崎の市民の苦しみについても言及。
「あれから60年余り、私たちは、平和利用の名のもとに原子力開発をすすめ、原子力の事故が未曾有の災害をもたらすことを、知らず知らずのうちに、忘れてしまった」と指摘し、「飽くことなき欲望に基づいた科学の利用は、人類存亡の危機を招いてしまっているのです。この度の東京電力福島第一原子力発電所事故は、まさにその象徴的な事例となった」とした。

 その上で、「尊い命が失われた歴史を語り継ぎ、人類の叡智を結集し、恒久的な平和を実現するために、本日、私たちは、日本の各地で平和の鐘を響かせます。その響きに世の中安穏なれとの願いをこめて世界に広げてまいります」と宣言。

 来場者に配られた平和宣言や追悼法要の趣旨は、英語での表記もされており、今回の法要を機に、世界平和への願いをこれまで以上に世界に向けて発信していく。

2012/09/27 真宗大谷派 安原晃宗務総長が辞意表明

記者会見で辞意を表明する安原総長(24日・大谷派宗務所) 真宗大谷派の安原晃宗務総長(80)は24日、京都市下京区の同派宗務所で記者会見を開き、辞意を表明した。辞任理由については「御遠忌を終えましていつ総長職を辞すべきか考えておりましたが、2012年度は同朋会運動51年目、宗憲改正31年目という新たな一歩を踏み出す節目の年度ですので、新進気鋭の方にこれからの宗門を託して内局を交代するちょうどいい時期」と述べた。この日会見に先立って宗会理事会も開かれ、宗会臨時会を10月4・5日に招集し新総長を選出することが決まった。

 総長辞任については2月の臨時会で噂が流れたが、安原総長は「御遠忌がどういう意味をもっていたのか、これからの宗門はどっちへ向けて歩き出そうとしているのか、そういう総括、そして総括を含めて宗門のあるべき姿の課題を明確にしていく、それが執行者の責任」等として、その考えはなかったことを明言。

 6月常会後の辞任説も否定した上で、常会で宗務の方針が決まり、それを受けて各教区で教区会が開かれ年度の方針を決め、教務所長が教区の方針を伝えるため行う「組会巡回の終わりの目途が9月いっぱい。この時期を外して波風立てることはしたくない」と述べ、辞意表明を宗門の動き出しを見届けた9月にしたことを明かした。

 次の総長には「12年度がこういう形で動き出していることを踏まえて、そしてそれを徹底して行動に起こしていく、教化活動を展開し、それを宗務担当者として統括していく」と宗務の継続・推進を要望した。

 会見では昨年3月東日本大震災直後の親鸞聖人750回遠忌第1期法要を中止したことを特に取り上げ、「第一期法要を中止して被災者支援のつどいに切り替えた。あれはすごい決断がいったんですよ、はっきり言って」と吐露。「あの時『この責任は一切私が負います』と明言した。それによって宗務執行の体制が動き出した」とし、「宗門挙げてああいう御遠忌が執行できたことは私はむしろ本当に有り難いことと思っています」と自身の決断が間違ってはいなかったことを強調した。

 安原総長は熊谷宗惠前総長の辞任を受け08年11月に就任。正式な辞任は10月5日で在任期間は3年11カ月となる。

 辞意は宗議会宗政調査会開催中の9月12日に正副議長に、翌13日に与野党の代表らにすでに伝達。これを受け24日に宗会理事会が開かれ、新総長を選出する臨時会を宗議会は10月4・5日、参議会は同5日に開くことを決めた。宗議会の過半数を占める与党・真宗興法議員団では総長候補者となる代表選挙を3日に実施する予定だ。

2012/10/4 天台宗祖師先徳鑽仰大法会のイメージソング T-BOLAN森友嵐士さんが奉納



《雨上がりに咲く虹のように》を歌って奉納する森友嵐士さん 天台宗祖師先徳鑽仰大法会のイメージソング《雨上がりに咲く虹のように》を作詞作曲したロックバンドT-BOLANのボーカル森友嵐士さんが9月29日、大津市の比叡山延暦寺根本中堂でその歌を奉納した。


 根本中堂で執り行われた奉納式では、武覚超同寺執行導師のもと招待者含め多数が参列するなか法要を厳修。


 その後阿純孝同宗宗務総長が14年間声が出ない難病に苦しみ富士山麓の自然の中で生活して声を取り戻した森友さんに出会い、「自然を育んでくれる歌があれば」とイメージソングを依頼した経緯を紹介。「人生に希望を持つようにという大変美しい歌を大法会のためにご奉納いただきました」と感謝した。


 森友さんは「僕達の人生にも色々なことが起こります。目の前に起こった望まない出来事、大変な出来事、悲しいこと苦しいこと、それさえも逆にその先にある大きな虹につながると信じています」と歌に込めた思いを話し、本尊薬師如来に向かい《雨上がりに咲く虹のように》を1番のみ伴奏なしで歌いあげた。そして歌詞を書いた色紙を武執行へ手渡した。


 LEDでライトアップされた中堂中庭で奉納コンサートも開かれ、約200人が森友さんの復活した歌声に聴き入った。

2012/10/4 「宗教者九条の和」仙台シンポ 原発こそ最大の恐怖


宗教者や研究者が原発の問題や事故後の課題を話し合った 「宗教者九条の和」は9月29日、宮城県仙台市のカトリック元寺小路教会で第8回シンポジウムと平和巡礼in仙台「輝かせたい憲法第9条」を開催した。仏教者やキリスト者160人が集まり、「原発と憲法九条」をテーマに講演とシンポが行われたほか、憲法九条の護持と原発の放棄を訴えるアピールを採択。横断幕やのぼりを掲げ仙台市内を行進した。

 初めに一橋大学イノベーション研究センター特任教授の所源亮氏が講演。所氏は憲法前文の「ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利―」を引用したうえで、「原発こそ最大の恐怖」と述べ、放射性廃棄物の最終処分問題に言及。政府は地層処分を目指しているが、日本学術会議が活断層の問題などから見直しを提言。さらに放射能ごみの処理費用の莫大な数字などを示し、「技術的な解決する方法がない」「将来の人に苦しみやツケを与えているだけ」と断じた。

 地球上の生物でも多くのエネルギーを消費する人間の生き方にも見直しを求め、「地球に住む私たちのエチケット、それは足るを知ることしかない」と呼びかけた。

 シンポジウムでは所氏のほか、原田雅樹氏(カトリック神父)、梅森寛誠氏(日蓮宗/仙台市・法運寺住職)、田中徳雲氏(曹洞宗/南相馬市・同慶寺住職)が登壇。

 梅森氏は「原子力政策は国策。それは棄民をもたらすもの」とし、福島原発事故については「いきなり事故が起きたわけではない。事故やトラブルを起こし、その積み重ねの上で事故を招いた」と指摘。さらに「東北の場所ということを意識せざるを得ない」として、首都圏と東北の関係にある差別構造に強い憤りを示した。

 田中氏は南相馬市小高区の現状を報告。同区は今年4月16日に警戒区域が解除されたが、居住は認められておらず、人が住めない状況が続くため動植物が「想像を絶する繁殖力。家がねずみの巣になっていて、片づけても片づけてもあちこちでねずみが死んでいる」という状況で、死骸や糞尿が強烈な臭いを放つ。「自分が生活していた場所がそんな状況になっている。それでも故郷は守りたい」と吐露した。

終了後、仙台市内を平和巡礼 先行きの見えない状況下にも「地域や子どもたち、将来のために考えると、役目を与えられたと感じる」とし、「希望つないでいけること」として『いのちの森の防潮堤』計画を紹介。被災瓦礫と土を盛土し、木々を植えて森を形成しようという取り組みで、「コンクリートの防潮堤は老朽化するが、森ならば200年経てば立派になる。凄く希望が持てた」と話した。

 讃美歌を歌い祈りと黙想した後、原発の放棄と九条の護持を呼びかけるアピール文を採択。仙台市内を1時間半にわたって巡礼し、「女川原発再稼働反対」「憲法九条、世界の宝」と人々に訴えた。

2012/10/4 白熱教室in建長寺 原発反対は正義か? 科学技術と精神・倫理で叡智はどっちか?


白熱した建長寺での対話型講義。参加者も積極的に発言 神奈川県鎌倉市の臨済宗建長寺派大本山建長寺で9月14日に「白熱教室in建長寺」が開催された。主催は臨済宗建長寺派布教師会。「宗教はどう平和に貢献できるか? 原発問題から考えよう」をテーマに、原発問題の正義について市民・僧侶が熱い議論を交わした。

 講師はハーバード大学のマイケル・サンデル教授と親交が深く、対話型教育の普及に取り組む千葉大学の小林正弥教授(政治哲学・公共哲学)。小林教授は「善」や「美徳」といった倫理的な問題を重視する「コミュニタリアニズム(共同体主義)」の政治思想を解説しながら、「共通善を模索するためにも、議論する場が必要だ」と強調。3・11以降の原発問題の他、生命倫理の問題でも「科学者の中に一致した見解がない」として、「一致しない部分をどうするかは、多くの人々が議論するしかない」と指摘した。

 今回は午前の部で「原発反対は正義か」をテーマに白熱教室がスタート。まず原発反対派が、事故が起きた場合の被害の甚大さや核廃棄物の最終処理といった問題から口火を切ると、被曝労働や、それに関連する貧困の問題があがり、「次の世代への責任」として「脱原発」という意見が出た。

 これを受け「原発を維持すべき」という参加者は「被害の検証はまだできていない。リスクはあるに決まっている。自動車にだってリスクはあるがそれを撤廃するのか。その度合を議論すべき」、「(原発に)反対すれば正義という世の中」への疑問が呈された。また原子力発電を始め科学技術の発展を「人類の叡智」と位置付け、「世界に数百基あるなかで、日本が一番うまい付き合い方をすることが大切」と意見した。

 対して「私たちの欲望を追求してきた結果。科学技術の進展の間違った方向での結果ではないか」と反対派が語ると、僧侶からも「今の日本をみると十分豊か。その豊かさに胡坐をかいていたところに原発事故が起きた。これを機会に精神的な転化を図るチャンス」とし、「足るを知るという基本原則」「善くない心を作り出すものの原因は煩悩、欲」という精神的・倫理的な側面からの叡智が示された。この他にも、東京電力や原子力保安院といった組織における正義の問題、原発と原爆の問題など多岐にわたる発言があった。

「白熱教室in建長寺」は、建長寺派布教師会の現代課題研究会による「禅僧と市民の集い」として企画。昨年に続く2回目の開催となった。

2012/10/11 全日仏 初の宗派代議員会開く 関心高い不活動法人対策


 全日本仏教会(全日仏、小林正道理事長)は3日、東京・日本橋人形町の法華宗本門流宗務院で、公益財団法人に移行してから最初の宗派代議員会議を開いた。加盟団体のうち、評議員をだしていない宗派から16人が出席し、事業の報告を受けると共に意見提出した。

 最初に小林理事長が挨拶し、公益財団移行後の全日仏の組織変化を説明。宗派代議員会はその一環であるとし、「全日仏は104の宗派・団体からなりたっている。伝統仏教会が本来の役割を果たしていくために何ができるか。加盟団体が、より強い結束をもって進むことが求められているが、そのためには十分な情報の提供と収集、意見交換が重要になる」と述べた。

 各代議員の自己紹介と事務総局からの事業内容等の報告を受けて、各員が感想や意見を発表。仏教界の未来像や震災支援など発言は多岐にわたったが、不活動法人対策への関心が高かった。主な発言は以下の通り(要旨)。

 「傘下の寺院は全国的に縮小傾向にある。これをどう受け継いでいったらいいのか」「葬儀では東京と大阪では考え方が違う。東京は安ければいいと考えている」(糟屋眞教氏・真言宗国分寺派)。

 「中四国の税務署からの『お尋ね』文書は、本山では十分に把握できない。お上(役所)の多種多様な文書は判断に迷うことがある。こうした依頼に対する見解を示して頂きたい」(井上真英氏・真言宗須磨寺派)。

 「不活動法人(寺院)に対して、文化庁からご指導頂いているが、どう対処したらいいのか」「不活動法人を解散させるのではなく、再生しようという試みもあるが」(木村信安氏・黄檗宗)。

 「住職不在の中で不活動法人をどうするか。法人格を外すともうとれない。法人格を残しながらどうするか」(金井孝顕氏・法華宗本門流)。

 「(諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意・是諸仏教の)七仏通戒偈はお釈迦様の本意。これをしっかりとみな様と手を組んでれ実践していかなければならない」(川手誠誓氏・本門佛立宗)。

 これらの意見は、理事会に送られ、検討される運び。今月11日には都道府県仏教会・仏教団体の代議員会が行われる。

2012/10/11 大谷派臨宗 新総長に里雄康意氏


 真宗大谷派の安原晃宗務総長の辞任表明を受けて4・5日の2日間、京都市下京区の同派宗務所で宗会臨時会が開かれ、新宗務総長に与党・真宗興法議員団代表の里雄康意(さとおこうい)議員(63、岐阜県海津市緑林寺住職)が指名された。里雄議員は「一人の人、一つの寺を大切にする」を基本に、住職・寺族・門徒・市民の声を聞いて丁寧な論議を尽くし、宗政宗務に取り組むと抱負を述べた。

 新総長を指名する選挙は宗・参両議会で5日に実施。宗議会ではこの日出席した議員62人の投票の結果、与党・真宗興法議員団と無所属の議員の支持を得た里雄議員が44票、野党2会派が結成した「同朋社会をめざす会」代表幹事の玉光順正議員が18票で、過半数を獲得した里雄議員が当選した。この後参議会でも里雄議員が61票中過半数の53票を獲得して総長指名が決まった。ちなみに参議会ではこの他玉光議員6票、無効1票、白票1票だった。

 指名を受けた里雄議員は両会で挨拶。宗議会では「同朋会運動を生み出してくださった先達の志願を受け止め、受け継ぎ、受け渡していく。また同朋会運動50年を担ってくださった方々の志願も受け止め、特に教団の正常化・本来化に身を捨てて立ち上がってくださった先達の志願を忘れずにそれを受け止めさせていただきながら、宗政に取り組んでいきたい」と抱負を述べた。また「宗門の使命は如来より賜りたる信心の獲得と僧伽の形成、一人ひとりの主体を確立し生活共同体を形成していく」ことだとし、宗務遂行にあたっては「一カ寺一カ寺の住職はじめ寺に生活される方々の声、門徒一人ひとりの声、市民の声を十全に聞き取り、丁寧に論議を尽くし結論を導き出していく」とした。

 指名後の記者会見では「私は大垣教区ですが、少ない門徒数をかかえ住職の方が寺を護持・運営するのに汲々している。それを住職一人に負わせるのでなく、組・地域・隣寺そういう組織が一つの寺を支える、そういう環境を作れれば」との考えを述べ、教化面では「一つの家にはご主人だけでなく奥さんも子供さんもお孫さんもいる。そういう一人ひとりをいつも見据えながら教化活動を展開していかなければならない」とし、「いま小学校へ通っている子供さん達が親鸞聖人の教えに遇うことで、そこに生きる力、方向を見つけてくださるような丁寧な教化活動を作っていくことができれば」とも話した。

 里雄新総長は10日、大谷暢顕門首の認証を受け正式就任。同日、参務5人を任命して新内局を発足させる。

 里雄総長は1949年1月生まれ、63歳。大垣教区緑林寺住職。大谷大学卒。大谷派宗務役員を経て1993年12月から宗議会議員。現在5期目。この間木越・三浦・熊谷内局で通算5年参務を務めた。興法議員団で幹事長も務め、安原総長(同議員団代表)辞任表明に伴う代表選挙に立候補して当選した。

 同派で戦後生まれの総長は初めてとなる。

 安原総長辞任の弁


 4日の宗議会では安原総長が辞任にあたって最後の挨拶。宗門各位の支えで宗祖750回遠忌を厳修できたことを述べた上、その第一期法要を中止して被災者支援のつどいを開くことを判断させた東日本大震災について「改めて宗門ということ、御遠忌の意義、また自らの聞法生活というものを根本から見直す機会をいただいた」とした。

 そして「思いますことを一つだけ申しますならば」と前置きして「真宗大谷派なる宗門はいかなる宗門か」と言明。「言い換えますならば、この現代において念仏に生きるとはいかなることであるのか、本当に救われるとはいかなることであるのか」とし、「それを常に思考し表現し続けることこそ宗門の使命であり、私たち真宗に生きんとする者の務めである」と述べ、後進に託した。

 この他、横浜別院が学校法人「横浜大谷学園」を設立して幼稚園経営の充実を図ることになり、宗派が別院に貸している土地の賃貸契約(無償)を学校法人・別院とそれぞれ締結し直す財産処分承認案と元財務部長、関根良孝氏の審問院審事任命(7月1日付)について承認を求める件の議案2件が提出され、可決された。

2012/10/11 曹洞宗愛知専門尼僧堂 創立110年祝う 両禅師が祝辞


尼僧堂出身者でつくる城林会の会員物故者を追悼する青山堂長  愛知県・名古屋市の曹洞宗愛知専門尼僧堂(青山俊董堂長)で4日、福山諦法永平寺貫首、江川辰三總持寺貫首をはじめ、佐々木孝一宗務総長らが参列し、創立110周年記念法要が執り行われた。尼僧堂を支えた先達の遺徳を偲ぶと共に、正伝の仏法を伝える、僧侶育成の道場としての発展を祈念した。また午後にはノートルダム清心学園理事長の渡辺和子氏が「おかれたところで咲く」と題し記念講演した。

 初めに福山貫首を導師に祝祷諷経が営まれ、叢林110年の歩み祝い祈りが捧げられた。福山貫首は垂示で「私は元来人付き合いが上手くないのですが、青山俊董老師のお名前はよく知っているのです。青山老師を先生、先生と申し、実際に教えを請うたこともります」と親交の深さを伺わせつつ、「我々は出家も在家もみな、誰もが本来の仏性によって自覚し、男性も女性もみな等しく仏の道を歩んでいくことが肝要です」と説示した。

 続いて江川貫首を導師に開山暦住報恩諷経を厳修。江川貫首は現在に至る道のりに「誠に意義深いこととしみじみと受け止めております」と披瀝、「素晴らしい禅の教えを、自ら信心を起こして、人々に伝えていく真個の道心を育てる道場」としての更なる発展を念じた。

法要の最後には、青山堂長を導師に尼僧堂を支えてきた城山会員物故者追悼法要がしめやか執り行われた。

 第二部の式典では佐々木宗務総長ら3氏が祝辞。佐々木総長は昨今の世相において寺院の役割が希求されているとし、「僧侶の人材を育成する僧堂は宗門の命脈を担っています」と大きな期待感を示した。

法要当日に門前掲示板に「今が本番 今日が本番という姿勢で1年を そして三十年 五十年 一生を歩んでいきたい」と記した青山堂長は、「初心を心に刻み、限りなく相続していく」と句に込めた意を説き、「お釈迦様の掲げて下さいました灯を、真剣に受け継ぎ、次の世にお伝えせねばならない。皆さまとこの道を歩むことの喜びと責任を感じながら、この道場を一層に守って参りたい」と決意を示した。

 明治36年に愛知県の旧東春日井郡に「私立尼僧学林」が創立し、2年後には宗立認可を取得。2度の移転、戦火による僧堂の全焼などの苦難を超え、昭和22年に現在地に再建された。

2012/10/18 曹洞宗 第2次佐々木内局スタートへ 總和会の部長 交代か留任か?


臨時宗議会で挨拶する佐々木総長(11日) 曹洞宗(佐々木孝一宗務総長)は11日、東京・芝の宗務庁に第116回臨時宗議会を招集。佐々木総長の出身会派である總和会の会長選挙で佐々木氏が敗れたため、総長の進退が注目されたが、佐々木総長は記者会見で宗制に従って4年の任期を全うする姿勢をみせた。しかし、内局を構成する有道会の部長人事は決まったものの、總和会の部長は決まっていない(10月16日現在)。いずれにしろ第2次佐々木内局は波乱含みのスタートとなりそうだ。

旧多々良学園訴訟:金融機関との結審迫る 教職員とは和解が成立

 臨時宗議会では、通常議会での総長演説に代わって総長挨拶として佐々木宗務総長が、主に6月議会後の宗門の動向を報告した。

 旧多々良学園関係訴訟では、信用金庫を含む金融機関を原告とする訴訟は、和解の会議が開かれたものの、「請求元本に近い和解金額の提示もあり、被告(曹洞宗)側としては、到底受け入れがたい」として、判決による手続きになると説明した。今月24日に結審する予定。

 また教職関係を原告とする訴訟は、8月27日和解が成立。「被告ら(曹洞宗側)には法的責任が無いことを確認し、被告曹洞宗が解決金として160万円を支払うこと」で合意。和解金ではなく、「損害賠償金的な色彩を帯びない『解決金』の名目で支払うもの」とした。

 韓国・東国寺に「懺謝文」の一部が刻まれた石碑建立については、「著作権者である宗務庁の承諾なく、無断で流用した」と不快感を示した。報道機関の「財政部長が出席し、碑文を読み上げる」という記事は、誤報であるとあるとし、当事者である「東国寺を支援する会」に9月14日、書留内容証明郵便で、「著作物に係る複製権及び翻訳権を侵害したことによる、宗務庁への石碑の引き渡し。除幕式に出席する意思が一切ないこと。及び除幕式を中止すること」を要求したと報告。その後の経過についての言及はなかった。

2012/10/18 松江市に中村元記念館が会館 学術振興と交流の場に



松江市八束町にオープンした中村元記念館 世界的なインド哲学・仏教学者の故中村元博士の生誕100年記念事業の一環として進められた「中村元記念館」が命日にあたる10月10日、故郷の島根県松江市の八束支所に開館した。記念式典には研究者や宗教者、地元の商工会関係者ら200人が出席。中村博士の業績を顕彰し、記念館開館を祝った。

 記念館には中村博士の蔵書約3万冊が寄贈され、その一部を展示公開した閲覧室を設置。東京・杉並区にあった自宅書斎を再現し、遺品が展示されるなど、生前の姿を偲ぶアーカイブコーナーも併設された。記念館では今後、文化講座の開設や講演会・学会の誘致、仏教系大学のサテライト教室にするなど、学術振興や研究者や学生の交流の場としても活用する。

 中村元記念館審議会の古瀬誠会長(松江商工会議所会頭)は「美しい景観をもつこの地から“慈しみ”の心を国の内外に発信できる記念館に」と展望。公益財団法人中村元東方研究所の前田専学理事長は記念館のある大根島の名から「偉大なる根本、中村先生の元にも通じるものがある」と感慨を深めた。「生まれ故郷の松江に帰ってこられ、大勢の人に迎えられ、私以上に喜んでおられるのではないか」と偲んだ。

 記念館の館長には前田理事長が就任。運営管理は地元のNPO法人東洋思想文化研究所(清水谷善圭理事長=天台宗清水寺貫主)があたる。清水谷氏は多くの仏教関係者や地元の支援に謝意。「東洋思想の深化をめざし、同じ学問を志すものの交流の場にしていきたい」と抱負を語った。

 式典で、在大阪神戸インド総領事館のヴィカース・スワーループ総領事は生誕100年の今年が日印国交樹立60周年にあたることに触れ、「中村元氏以上にインドと日本を近づけた人はいない」と敬意を表した。島根県知事の溝口善兵衛氏も「世界の研究者の拠点になるよう、特に若い方々に来てもらい地域と交流を深めてほしい」、松江市長の松浦正敬氏も「何より嬉しいのは中村先生が松江市を愛してくれたこと。インドとの国際交流にも期待している」と歓迎した。 

 中村博士の子女・三木純子氏(中村元東方研究所理事)は「とても嬉しく、ホッとしています。父もたくさんの方と行き来して影響を受け、教えられてきたということがわかりました。若い人に活かしてもらいたい」と安堵した様子だった。

 近隣の大塚山公園では菩提樹を記念植樹し、記念碑を除幕。碑にはスッタニパータから「慈しみ」の詩が刻まれている。

2012/10/18 エッセイ:バンコク日本人納骨堂のお彼岸(神田英昭)


彼岸法要で読経中の神田住職(瀬戸正夫氏撮影) タイ・バンコクの中心部にあるお寺、ワット・ラーチャブラナ(通称:ワット・リアップ)の境内に、日本人納骨堂がある。納骨堂はバンコク日本人会によって護持されており、そこに堂守というかたちで高野山真言宗より僧侶が派遣される。堂守は主にバンコクで亡くなった日本人の為に、葬式での供養や命日の法事などを務める。

 またこの派遣制度には特色がある。それは日本の僧侶であると同時に、ワット・リアップの僧侶の一員として黄色い衣を着てタイ比丘と一緒の生活を送るのである。つまり日本の僧でもあり、タイの上座部(テーラワーダ)僧でもあるということになる。早朝には托鉢に出て、朝夕の勤行ではお寺の本堂でパーリ語のお経を読む。もちろん午後以降は食事をとらない「非時食戒」も守る。このような戒律による制約はまことに厳しいように映るかもしれない。

 しかし、いざその生活に飛び込んで慣れてしまえば、さほどの苦痛にはならないというのが本人の実感である。それよりも、上座部仏教の日々の生活を通して、日本の仏教の持つ可能性を捉え直すことができ、得難い経験をさせてもらっていると感じている。

 納骨堂で行われる大きな行事の一つに、春と秋の彼岸法要がある。今年の秋の彼岸法要は、9月21日に行われた。現在、納骨堂には557柱の方がまつられており、日本人会の関係者が彼岸法要に集い、祈りを献げる。今年の法要を準備するにあたって、最も気を使ったことは、連日続くスコールであった。昨年起こったタイの大洪水もまだ記憶に新しい。今年も9月に入ってから、ほぼ毎日大雨に見舞われていた。式の参列者はお堂の外に参列することになる。普段の法要の際は、テントを大型のものを一張り用意するのであるが、今年は二張り用意した。テントを張るときは、サーマネン(少年僧)の力を借りる。タイのほとんどのお寺にはサーマネンがいる。子どもたちの多くは、故郷で教育を受ける機会がないので、お寺に預けられてタイ語の読み書きを覚える。その学習法とは、もっぱらお経の暗誦だ。また、お寺での集団生活を通して社会性をも育んでいく。テントを組み立てるときも、一声かければ彼らが瞬く間に集まり助けてくれる。複雑な紐の結び方から、ネジの締め方などお手のものである。

 その逞しい姿をみていると、現代の日本の子どもの多くは、このような生きていく力があるのだろうかと疑問が湧いてしまう。彼らはいつも笑顔を絶やさず、無邪気な冗談を言い合いながらも、きちんと組み上げていく。法要の準備で最も印象に残っているのは、彼らの底抜けに明るい笑顔である。つけ加えておくが、その後子どもたち全員にジュースやアイスをおごらなければならない。

 秋の彼岸法要には、約40名の方々が列席した。法要で特色のあることといえば、日本式の読経のみならず、ワット・リアップから5人のタイ比丘が来て、タイ式の読経も行われることである。懸念されたスコールは、式が執り行われている間はまったく降らず、無事お役目を果たすことができた。

 ただ残念なことに、彼岸法要への参加者は年々減少傾向にある。参加する年齢層のほとんどは70代以上と高齢化が進む。団塊の世代以下は少数だ。日本から離れ、バンコクという地で彼岸法要という日本の伝統行事を行うからこそ、逆に現代日本が抱える問題がまともに表面化するといえるのかもしれない。日本の仏教は「死者供養」が大きな役割を果たしている。もちろんタイの仏教にもそれに似た儀礼はあるが、日本よりは重きを置かない。

 私は毎朝納骨堂にまつられている方々の為に、お経をあげさせていただいている。その経験を通じて、死者や見えないものに対し、日本の若い世代はもっと畏敬の念を持って接しなければならないと実感している。これからの世代の僧侶が一般の方々にその重要性を伝えていく人材になり得るのか。その答えは私にはまだわからない。ただこのまま何も努力をしないのであれば、日本の伝統仏教は必要とされなくなるのかもしれない。この問題は日本仏教と上座部仏教の間(はざま)に身を置いて、もうしばらく考え続けていきたいと思う。
……………………………
かんだ・ひであき/昭和51年生まれ。昨年6月、バンコク・日本人納骨堂20代目の堂守(住職)に就任。高野山真言宗僧侶。著書に奥山直司・雲藤等・神田編『高山寺蔵 南方熊楠書翰--土宜法龍宛 1893-1922』。

2012/10/25 第22回中村元東方学術賞 龍谷大学の宮治昭教授に


中村元賞を受賞し挨拶する宮治遇昭・龍谷大学教授 公益財団法人中村元東方研究所とインド大使館共催の第22回中村元東方学術賞は、龍谷大学の宮治昭教授(仏教美術史)が受賞した。授賞式は中村博士の記念館開館式後に、島根県松江市のホテル一畑で行われた。今年は記念館開館に尽力したNPO法人中村元記念館東洋思想文化研究所の清水谷善圭理事長(安来山清水寺貫主)に東方文化賞、長年にわたって中村元東方研究所の事業に尽力したとして同研究員の釈悟震氏に東方特別賞が授与された。

 前田専学理事長は審査報告で「インド、および中央アジアの仏教美術に関する図像学的な研究において極めて顕著」な成果を上げたとし、1969年から1978年の4度に渡るアフガニスタン・バーミヤン遺跡の調査では「バーミヤン美術の仏教美術史上の位置づけを明らかにされた」「美術史学に軸足を置きながらも、仏教学、文献学にも目を配り、仏教美術における図像解釈学の方法を確立された」と評価した。

 ヴィカース・スワループ在大阪神戸インド総領事は日印交流の根底に、仏教をはじめとする精神遺産があるとし、「この世に苦しみがある限り釈迦とそのメッセージが必要とされるでしょう。その教えを現在に伝えていくためにも宮治氏、清水谷氏、釈氏の存在が必要となります」と受賞に敬意を表した。

 祝辞では加藤純章・名古屋大学名誉教授が「中村先生は今から50年も前から他の学問への広い考えを持っておられた」と回想し、「生誕100年の時にインド哲学や仏教学の垣根を低くし、他の学問を顕彰するのが今日の宮治先生の授賞」と意義深い受賞を祝した。

 宮治教授は「今は失われてしまったバーミヤンの仏教遺跡を訪れ、その素晴らしさに心を打たれ、調査に従事したことが機縁となった」と述懐。「調査研究を通して、如何に仏教が広くアジアにおいて、人々の生活や人生観、世界観と結びついて深く根を下ろしていったかを実感するようになりました」とも述べ、「この授賞を励みに、残された人生を研究に打ち込み、仏教の素晴らしさを多くの人へ伝えたい」と抱負を語った。

2012/10/25 日本宗教連盟シンポジウム 尊厳死法案の是非問う

会場には定員いっぱいの200人が聴講に訪れた 日本宗教連盟(芳村正德理事長)は16日、東京・渋谷の國學院大学でシンポジウム「いま、尊厳死法制化を問う」を開催した。3月に国会議員が「尊厳死法案」を公表したことを受けて生命倫理について考究。議論が深まった一方、反対意見にパネリストが激昂するなど、波乱も見られた。

 最初に発題したパネリストの長尾和宏氏(尼崎市・長尾クリニック院長/日本尊厳死協会副理事長)は、実際に数多くの患者を看取っている現場の経験から、人権を無視するレベルの過度な延命治療を批判。「たとえば胃瘻(胃に穴をあけて栄養剤を直接注入する治療)にもハッピーなものとアンハッピーなものがある。行うことで回復する胃瘻なら大賛成です。しかし現実には、胃瘻で一旦元気になっても、やがて必ず食べる量が減り、ついには植物状態になることも多い。これが幸せなのか、と疑問に思い悩む人、家族がいる」と問いかけた。

 さらに、現行の法律では、延命治療を中止した場合に医師や家族が殺人幇助で逮捕されることもあると懸念。海外では尊厳死を認める国が多いことも指摘した。

「一部で言われているように尊厳死法は医療費の削減政策ではない。それとは全く違う、人権、幸福追求権の問題です」と強調し、「『死ぬな』という言葉は時として『死ね』という言葉より残酷なこともあるのです」と指摘。安らかに死に逝きたいと願う人とそれを助ける医者の人権を守ることを訴えた。

 慶応大学教授の加藤眞三氏は、「患者中心の医療」の観点から、尊厳死法案が「患者でなく医療者のための法案なのではないか」と疑義を呈した。浄土宗総合研究所主任研究員の戸松義晴氏は、宗教団体が出した尊厳死についての見解を解説(読売新聞2006年1月11日夕刊)。「いのちのことを法律で決めなければならないことへの違和感はある」とした。

 一方、東京海洋大学教授の小松美彦氏はナチスドイツの優生政策や故・太田典礼が主導した優生保護法、2003年の健康増進法を論じ、国家が命や健康の問題を左右することに強い危機感を打ち出した。

 この「ナチス」発言に長尾氏は不快感をあらわにし、「どこに行ってもナチス扱いされる。私は人殺し法案を作っている訳ではない。患者を殺したい医者なんているはずがないじゃないですか」と声を荒げた。「安楽死」と「尊厳死」は全く別物だとし、「尊厳死という言い方がだめなら、自然死と言い換えましょう」と、あくまでも人権を無視するレベルの延命治療をしない、あるいは中止できるように法制化することが目的だとした。

 その反面、人間の「終末期」をどう捉えるかという問題は長尾氏も難しいと発言。戸松氏は「リビング・ウィル」(尊厳死の宣言書)を作るにしても、「一人ひとりが考え、宗教者と医療者は協力していかなければ終末期の問題は解決しない」と、医療と宗教の連携を促した。

 長尾氏は最後に「宗教界は『自然死』として味方をしてくれると思ったんですけど…」と消沈した様子で話しつつも、「正直、わからないことだらけですので一緒に考えてほしい」と述べた。

2012/10/25 日中韓仏教友好交流会議 「黄金の絆」を深める


植樹後、日本の伊藤唯眞会長(中央)、中国の学誠副会長(左)、韓国の慈乗会長3氏が記念撮影。両氏に伊藤会長から記念品が手渡された日中韓3国仏教徒の絆を深めようと第15回「日中韓仏教友好交流会議日本大会」(主催=日中韓国際仏教交流協議会)が22日、横浜市の立正佼成会横浜普門館で開催され、3国の仏教者約400人(中国約40人・韓国約80人)が参加した。合同で世界平和祈願法要を厳修したほか、各国代表が「現代社会における仏教徒の役割」をテーマに講演。共同宣言を採択し、「人類の共生、世界の調和」を達成するために「慈悲、寛容の精神」を拠り所に行動していくと誓った。領土問題をめぐり日中・日韓の政治課題が浮き彫りになった中での大会だったが、一切言及せず「黄金の絆」を深めた。

 中国仏教協会の故趙樸初会長による「黄金の絆」提唱をうけて、同交流会議は1995年に北京で第1回大会を開催。以来3国持ち回りで開き、日本では5回目の開催となった。

 共同宣言では、「多様化する現代において、価値観の大きな変化が生まれている。この時に我々は目の前の物質的な利益にこだわり、調和の精神を忘れ、自分自身が良ければそれで良い、というような自己中心的な考えにとらわれてしまう事がある。また硬直した思考は時に極端な行動をとってしまうという現実も存在している」と指摘。その上で、仏教徒として一致団結して「仏教の持つ寛容性、多様性」を発揮し「調和のとれた社会を実現していく」と宣言している。宣言文は、則竹秀南・日中韓国際仏教交流協議会理事(臨済宗妙心寺派霊雲院住職)が読み上げた。

 宣言文採択に先立ち、講演会が開かれた。


 伊藤唯眞・同協議会会長(浄土門主・総本山知恩院門跡)が、「現代における仏教の役割」と題して基調発言。東日本大震災に際して寄せられた中韓両国からの「支援と祈り」に謝意を示し、「被災された方々の心を受け止め、共に悲しみ、共に苦しみ、共に生きていくために『四摂事』のネットを拡げましょう」と呼びかけた。

 続いて、持田日勇・同協議会常任理事(日蓮宗本山藻原寺貫首)が「仏教的な生きかたについて」発表し、「個人の幸福と世界の幸福を結び付けて考える」仏教思想の特質に言及。野澤隆幸・同常任理事(真言宗智山派大本山川崎大師平間寺長﨟)は地球環境を保全するため、仏教徒は「少欲知足」の教説を実践しながら社会に広める努力をすべきと説いた。

 中国側首席代表の学誠・中国仏教協会副会長は、「信心と文明―現代社会における仏教徒の使命」について基調発言。「仏教徒は団結の精神で人間同士の猜疑を突破し、徹底的に武力による対峙の膠着した局面を解消させ、感情のコミュニケーションをもって彼我の敵意にとって代わるべきです」と強調した。

 次いで明生・広東省仏教協会会長が、「仏教の慈悲、智慧を人間に徹底させるために」をテーマに発言。さらに湛如・中国仏学院常務副院長は「仏教徒は社会の平和と発展のために自分なりの力を捧げるべき」と実践を求め、心澄・江蘇省仏教協会会長は「中国、韓国、日本は仏教の大国」であるとして、その求心力と影響力を積極的に発揮していこうではないかと参加者を激励した。

 韓国側では、恵浄・韓国仏教宗団協議会副会長が基調発言。人や万物が互いに関係し合っているという縁起の教えや、偏った考えと行為に陥らない智慧である中道の教えを実践することを通して、現代世界の難題に当たらなければならないと述べた。そして法光・同協議会常任理事が「釈尊の教えを通じて意志と力を結集しなければならない」と語りかけ、そのスタートを「ここに集まっている3国の仏教人」で切ろうと力強く呼びかけた。

3国代表が記念植樹

 会場となった立正佼成会横浜普門館前で、3国の絆の証として梅の木を3本、植樹した。初めに伊藤唯眞・日中韓国際仏教交流協議会会長が幼木に土と水をかけ、続いて学誠・中国仏教協会副会長、慈乗・韓国仏教宗団協議会会長がそれぞれ行った。
 植樹後には、伊藤会長から両師に記念品が手渡された。

2012/11/1 佛教大学が100周年式典 先達、地域の人々に感謝




山田啓二京都府知事、門川大作京都市長も参列して開かれた佛大100周年記念式典浄土宗の宗立学校・佛教大学(山極伸之学長)の開学100周年記念式典が10月23日、京都市北区の同大鷹陵館で元学長でもある伊藤唯眞浄土門主・知恩院門跡、真野龍海清浄華院法主、豊岡鐐尓宗務総長らも出席して開かれ、明治45年(1912)の開学から今日までの歩みを支えた先達や地域の人々に感謝し、「社会貢献できる人材育成」を誓った。

 式典は山極学長導師のもと音楽法要を厳修した後、運営法人の佛教教育学園・中井真孝理事長が式辞。明治3年に知恩院山内源光院に「仮勧学場」が設置された「建学」以降の歩みを振り返った上で「本学が他大学に先駆けて成したことが二つある」とし、昭和28年に始めた通信教育と同59年開設の研究成果を市民へ還元する四条センターを挙げ「大学の開放性という観点から高く評価されるもの」と述べた。

 山極学長は「本学の出発点を築かれ、学校運営にご努力いただいた多くの先達のご尽力に深甚なる敬意を表したい」とするとともに大学を支えた人々と地域・社会に感謝。そして「佛教大学は仏教を校名に冠する大学として、そして法然上人の心を心とする大学として、変わることなく、仏教精神に基づく教育活動を展開してまいりました」と振り返った上「様々に悩み苦しむ人々の存在をしっかり捉え、そのような人々のために活動し、社会に貢献できる人材を育成すること。これが本学の使命」とし、東日本大震災など困難な社会状況の中で「百年の歴史とその中で培ってきた伝統と個性を発揮し、優れた人材の育成に努め」「高い志と勇気をもってしっかりと歩み続けることのできる『佛教大学人』を社会に送り出してまいります」と誓った。

 このあと伊藤門主が垂示。100周年記念事業として進められている「建学の理念を具現化する礼拝堂建設こそ画竜点睛ともいうべきもので大いに期待している」と表明し「佛教大学が仏教精神、とりわけ法然上人の教えに基づいた人間育成に努め、人間を見つめる開かれた大学として益々存在感を高めてくださることを」と述べた。

 引き続き山野智寛文部科学省大臣官房審議官が田中真紀子大臣の祝辞を代読。また山田啓二京都府知事、門川大作京都市長、豊岡総長がそれぞれ祝辞を述べた。

 この後伊藤門主の記念講演に続き、山極学長が《主体的に学ぶ力と課題に挑戦する志をもった人材を育成する大学》など8項目にわたる将来像と教育・学生支援・研究・社会貢献・生涯学習・管理運営の6点で改革の基本方針を示した「佛大Vision2022」を発表。学生らが100周年にあたって感謝の気持ちを表すため制作した歌が披露された。式典には来賓・教職員・学生含め約750人が参加した。

 佛教大学は、浄土宗の僧侶養成機関「宗教大学分校」から明治45年(1912)専門学校令に基づく「高等学院」となって開学。翌年「佛教専門学校」と改称した。


 戦後は新学制下、佛教大学として再出発。当初は仏教学部仏教学科の単科だったが、徐々に学部学科数を増やし、また大学院も開設し、現在は理系の学部を含む7学部14学科、4研究科12専攻を有する大学にまで成長した。

2012/11/1 都宗連 宗教法人実務協議会 宗教者の守秘義務を研修



宗教者の守秘義務について話し合ったパネル討論東京都宗教連盟(都宗連)は10月26日、第43回宗教法人運営実務研究協議会を東京・大田区の池上本門寺朗峰会館で開催した。「信教の自由と守秘義務」をテーマにしたパネル討論を実施し、宗教者が受けた相談内容について、秘密を守り社会的な信頼を損ねないよう注意することが確認された。

 パネル討論は、宗教ジャーナリストの廣橋隆氏を司会に、東京基督教大学の櫻井圀郎氏、弁護士の井堀哲氏、都宗連理事の山田一眞氏をパネラーとして実施。

 井堀氏は宗教者の守秘義務を法的に解説し、秘密漏示の罪を明記した刑法第134条2項を紹介。宗教活動で知った信者等の秘密を洩らした場合、「6カ月以下の懲役又は10万円以下の罰金」があり、「刑罰があることを知っている宗教者が少ない」と指摘した。

 裁判でも、刑事訴訟法で宗教者は「証言拒否権」という〝特権〟があり、相談内容を話す際はその自覚を持って「安易に考えず、慎重になるべきだ」と注意を促した。

 山田氏は、相談内容以外にも差別戒名の問題や興信所からの身元調査協力に対する警戒など、宗教者の観点から言及。「法律の前に宗教者の資質が問われる」と高い意識を持つ必要性を語った。

 櫻井氏は秘密を守ることは「当然の良識」としつつ、昨今喧伝される個人情報保護が法的に誤解されていると指摘し、個人情報とは「個人を特定する情報」であり、「知られたくないこと、プライバシーとは区別すべき」と提案。宗教者の秘密の取り扱いについては、「話した後で、当人の立場が変わらない」ように配慮すべきだと助言した。

 廣橋氏は、税務署が水子供養の名簿や過去帳のコピーを要求する事例に触れ、「公務員にも触れられない秘密があるはず」と意見。宗教者には、情報を扱う者として法的に権利義務があり、社会的に「大きな責任がある」とまとめた。

 研修では、東京都生活文化局の横尾信之氏、櫻井氏を講師に横尾氏が都の宗教行政、櫻井氏が宗教と税について講演。

 横尾氏の講演では、備付書類を所轄庁に提出する際の注意点やお願い、都が推進する不活動法人対策を紹介した。

 櫻井氏は、宗教法人税制の現状と問題点を講演し、個人と法人とで宗教活動に関わる税の違いや、教師の所得に関わる「みなし課税」などを解説。宗教活動の当否を所轄庁よりも税務署が独自に判断する傾向があることにも懸念を示した。

2012/11/1 鶴見大学創立50周年マスコット つるみん初登場!!




木村学長と永井さんに挟まれてスリーショット 来年度に創立50周年を迎える鶴見大学(短期大学部は60周年)。それに伴い各種記念事業が計画されているが、その一環として公式マスコットキャラクター「つるみん」が誕生。10月27日・28日の学園祭「紫雲祭」で公の場に初登場した。

 紫雲祭開会式後の「マスコットキャラクター任命式」で、出席者の「つるみ~ん!」の呼び声に、ちょっと照れながら登場。木村清孝学長から「任命書」を手渡され、「公式マスコットキャラクター」と書かれたタスキをかけられると、つるみんもお返しに自分がプリントされたパーカーをプレゼント。会場は和やかなムードに包まれた。その後、つるみんは学園門前で来訪者との写真撮影やゲストのお出迎え、チアガールとの共演など、忙しくアピールに働いていた。

 マスコットキャラクターは前田伸子副学長を中心に選定作業が進められた。学生と教職員、OBからの公募で案が寄せられ、応募総数54件の中から、総務課職員の永井瑞穂さんが考えたつるみんが投票で選ばれた。

 カワイイ鶴の擬人化キャラクターであるつるみんは、大学新入生の18歳で、男の子。妹が一人いる。大本山總持寺に居候をしており、趣味は坐禅。着ているTシャツには總持寺の桐紋があしらわれている。性格は恥ずかしがり屋で頑張り屋だという。永井さんが数年前からノート等に書いていたキャラクターが発展したものだ。

 今後、入学式や卒業式、オープンキャンパスといった学内行事に大活躍する。ゆるキャラサミットなどの学外行事に出る予定は? との質問に、永井さんは「できれば嬉しいですね、夢です」とニッコリ微笑んだ。

2012/11/08 高野山で乳がんの集い「生命の祈り」 平癒祈願と啓発行う


金澤翔子さんの揮毫「金剛不壊」 乳がんの平癒を願い、検診の必要性を呼びかける「生命(いのち)の祈り―乳がんの集いin高野山」が10月27・28両日、和歌山県・高野山麓の慈尊院(九度山町)と高野山(高野町)で開催され、患者や医療関係者ら210人が参加した。

 イベントは、高野山の参詣道「町石道(ちょういしみち)」の登山口に位置する慈尊院(安念清邦住職)からスタート。弘法大師の母公を祀る同院は、古来より女人高野と呼ばれる女性信仰の聖地。子授けや安産を願い、布で米を包むなどして作った乳房型(ちちがた)が奉納されることから「おっぱい寺」として親しまれ、乳がんの平癒祈願に訪れる人も多いという。

 参加者は同院に乳がん平癒の願いをこめて、手作りの「おっぱい絵馬」を奉納。続いて町石道や高野山奥之院参道で、乳がん検診啓発の「ピンクリボン祈りウォーク」を実施した。

 翌28日は、宿坊での勤行や大師教会での写経を体験。行を通して自身の心と向き合った。

 そして高野山大学の松下講堂黎明館で、NHK大河ドラマ「平清盛」の題字を担当したダウン症の書道家・金澤翔子さんが「金剛不壊」と揮毫。「決して壊れることのない、強い意志を持って乳がんに立向かってほしい」というメッセージを力強い墨跡で表現した。

 同イベントは総本山金剛峯寺や医療関係者らでつくる「乳がんいのちプロジェクト実行委員会」が主催。

2012/11/08 聖エジディオ共同体主催シンポ 日本は死刑廃止を!


弁護士や宗教者、政治家、作家らが国境を越えて死刑廃止について発言したシンポ(東京イタリア文化会館)「死刑は復讐行為であって、魂の癒しにはならないと気づいた。また亡くなった父が帰ってくるわけでもない」。こう語ったのは米国上院議員であった父を殺害された娘のケートさん。米国の殺人被害者の会メンバーだが、死刑廃止に取り組んでいる。10月29日、都内のイタリア文化会館で開かれた国際シンポジウムでは、死刑制度をめぐって被害者遺族を含めて国内外の活動家たちが声をあげた。死刑廃止が世界的な潮流のなかで、日本がこれを存置していることを問題視する意見も相次いだ。


 シンポは「いのちなきところ正義なし―グローバル化した社会において死刑制度へのさまざまな視点」と題して行われた。主催はイタリアのカトリック信徒組織「聖エジディオ共同体」。宗教間対話と協力を展開し、モザンビークの紛争和解を仲介した団体として知られ、庭野平和賞を受賞している。死刑廃止にも取り組み、これまで日本国内でもシンポを開いてきた。今回は欧州委員会が協賛した。

 シンポでは「死刑にモラトリアムを―日本も他の国々に近づけることができるのではないか」というサブテーマを設定。日本の死刑制度を国際的な視点から捉えようとした。ビデオ出演を含めて国内外から30人近くが次々とスピーチした。

 駐日欧州連合のハンス大使は、「EUにとって日本は大切なパートナー。多くの価値観を共有している。しかし人権の観点からEUには死刑はない。加盟の際にもそれを求めている」「日本政府の姿勢は世界の流れに反するもの。日本政府にはモラトリアム(一時停止)を求めている」とし、今後も働きかけを強めるとした。

 エジディオのメンバーでシンポ進行役のマリオ・マラツィーティ氏(死刑制度に反対する世界連合副会長)は、「日本では昔から死刑制度があるため、日本国内では注目されていないが、世界では問題視されている」と日本のおかれている状況を説明した。アムネスティインターナショナル日本事務局スタッフは、G8と言われる先進諸国で死刑制度があるのは日本と米国だけだが、今年に入って米国コネチカット州が廃止に踏み切り、廃止の方向に向かっているが、日本はむしろ死刑執行が増えていると注意を喚起した。

 米国内からは被害者家族と冤罪による元死刑囚が参加。殺人被害者の会のケートさんは、父が殺されたことに衝撃と深い悲しみ、苦しみを味わい、殺人犯にも強い怒りをもった。しかし「殺人(死刑)によって怒りが収まるわけでもない。父が帰ってくるわけでもない」という思いから、「死刑には賛成できない」と静かに語った。(詳細は本紙をご覧ください)

2012/11/08 バングラデシュの仏教徒とビルマのイスラム教徒 共に宗教的少数派が犠牲に(小島知広)

 バングラデシュとビルマ(ミャンマー)の国境を挟んでイスラム教徒と仏教とが衝突し、宗教施設が破壊され、死傷者が発生している。対立の背景には何があるのか。四方僧伽(CS)日本事務局の小島知広代表に報告いただいた。
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 10月初め、バングラデシュ南東部コックスバザール地区で9月29日から30日にかけて、インターネットの交流サイトにイスラム教の聖典コーランを侮辱する写真が掲載されたとの情報が広まり、激高し暴徒化したイスラム教徒数千人が少なくとも10の仏教寺院と住宅40棟に放火したとの情報が伝えられてる。バングラデシュではイスラム教徒が人口の約90%を占め、仏教徒はわずか約1%にしかすぎない。国際人権団体アムネスティの報告によれば、20以上の仏教寺院とキリスト教修道院 、少なくとも1カ所のヒンドゥ寺院が攻撃される等、宗教的マイノリティの家と商店が放火や略奪に遭い、多くの市民が犠牲になっている。目撃情報によれば、この宗教暴動に於いて軍は傍観するのみで、アムネスティはこれらの調査と、関係者の処罰を求めている。

 四方僧伽(CS=Catuddisa Sangha)は、今回の事件の舞台となったバングラデシュをはじめとしてタイ、カンボジア、ビルマ等、東南アジアを中心に難民や貧困層への自立支援や緊急援助を行っている僧俗一体となった仏教系NGOである。

事件が飛び火

 CSバングラデシュが報告を受けたバングラデシュのコックスバザール州ナラグリー村(ベンガル語ではボエド村)のピンヤデカラマ寺の住職メイダタラ・マハテロ師の話によれば、事件の発端はビルマ・アラカン州の村で今年5月28日に起きたアラカン人女性教師の強かん殺人事件である。その後、犯人3人を含む計10人のイスラム系住人がリンチを受け殺されたことから、この事件が暴動に発展し、6月8日~10日頃まで、アラカン州内の各地にまたがり、緊急事態宣言が発令された。ビルマ(ミャンマー)政府の発表によると、6月14日時点で29名が死亡。(ムスリム16人、仏教徒13人)2500の家屋が破壊され、3万人が暴力の下にさらされた。この暴動はラカイン(アラカン)暴動として知られ、今も火種はくすぶり続けている。
これらの事件を伏線として、9月下旬、今度はイスラム教徒が多数を占めるバンクラデシュに飛び火する。その後9月29日から30日にかけて、報道されているような大規模な放火や暴力行為がイスラム系住民により引き起こされ、1日で14もの村が襲われた。暴徒たちは300年の歴史がある仏教寺を灰塵に帰し、仏教徒系住民が住む地域の家屋や商店をも焼き払い、逮捕者は300人に上っている。現在は警察が介入し争乱は沈静化した模様だが、家屋を焼かれた住民のために軍がテントを設置したものの、雨季の中ではほとんど役に立っていない。いまだ海外からの救援物資や緊急医療支援が入れず、食料、衣料、医薬品など何もかも不足している状況である。現地では食料、衣料、医薬品の緊急支援はもちろん、心理的なサポートも必要とされている。

CSの活動

 事件の背景にはビルマとバングラデシュという宗教の異なる二つの国にまたがる複雑な民族問題が横たわっている。ビルマのイスラム系少数民族は、ロヒンギャと呼ばれる被差別民族であり、バングラデシュの被害者は宗教的マイノリティである仏教徒やヒンドゥ教徒、キリスト教徒である。今回の事件に宗教が関わっているのは事実だが、それを単に仏教徒とイスラム教徒との「宗教対立」とくくってしまうのは、あまりに一面的である。両者のそれぞれの国での力関係には圧倒的な差があり、共通しているのは、それぞれの国において宗教的・民族的マイノリティが犠牲者になっているという事実である。

 CSは宗教の和合を掲げて活動しており、カンボジアではイスラム系住民への支援もしている。今回の事件には非常に複雑でセンシティブな対応が迫られているが、CSバングラデシュのメンバーの村も焼かれていることから、以下の2点で活動している。また、現在タイ在住の日本人スタッフを現地に派遣して続報を待っている。

 1.バングラデシュ政府に対して、宗教的・民族的マイノリティを保護し、事件の真相の解明と再発防止を求めることを要請。
 2.一般へは、上記署名活動と被害者への緊急支援を呼び掛けている。
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 四方僧伽は、アジアを中心に20カ国に広がる国境を越えた、助け合いのネットワーク。現在タイ、カンボジア、ビルマ、バングラデシュを中心に住民の自立支援の活動をしている。

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こじま・ちこう/1962年生まれ。立正大学卒。日本山妙法寺の藤井日達上人の平和運動に共鳴し参画。湾岸戦争時には中東を平和行脚。その後アジアの貧困問題や自立支援に取り組む過程でCSに参加。昨年、井本勝幸氏の後を受け、日本事務局代表に就任。都内の日蓮宗安詳寺住職。

2012/11/15 総本山長谷寺 加藤精一化主が晋山

学山豊山の法灯を受け継ぐことを誓う加藤化主 真言宗豊山派(坂井智宏宗務総長)は7日、奈良県桜井市の総本山長谷寺で、加藤精一・同寺第86世化主(豊山派第32世管長)の晋山式を執り行った。

色づき始めた泊瀬全山に、清浄の気が充満する。午前9時、本坊大講堂で晋山の盛儀が営まれた。

 加藤化主は表白で、道明・徳道両上人が観音霊場として開創し、専誉僧正から歴代化主によって継承されてきた学山豊山の伝統に言及。「本日この伝統ある長谷寺に晋山し、先徳各位のともし続けし法灯を受け継いで、多くの人々の精神生活を安定せんとす」と表明した。

 さらに垂示で、「私はこれからも力を尽くして、正しい教えが多くの方々に行き届き一層弘まって人々の心の安定や安心、そして安らぎに寄与できますよう、励んでまいる所存でございます」と力強く宣した。

 次いで、川俣海淳寺務長が奉答、坂井総長が賀詞を述べた。
 その後、特別列車で京都に移動し、ウェスティン都ホテル京都で祝賀会を開催。日本仏教界を挙げて、豊山派の新しい歴史の幕開けを祝した。

2012/11/15 巣鴨で金沢伝統工芸展

永楽道店頭で蒔絵を実演する大竹喜信氏 東京・巣鴨の地蔵通り商店街に面し、とげ抜き地蔵尊高岩寺の山門前に位置する仏壇仏具の専門店「永楽堂」で7日から14日まで展示会「金沢伝統工芸の美」が開かれた。金沢の大竹仏壇製作所の製品が出展されると共に、伝統の技が披露された。

 昨年の展示会では、真宗地域に根強い人気をもつ大型の金仏壇で来場者を驚かせた。今年は、漆を何度も重ね塗りをして見事なツヤをだした黒仏壇がメイン仏壇。木地師の大竹正信氏は、「関東ということもあり、昨年の金仏壇は珍しがられた。しかし一般的ではないので、今年は新たに意匠を凝らしたこれ(黒仏壇)にしました。マンションのリビングにもあうデザインになってます」と語る。

 言葉の通り、イス生活に合わせて、立った目線の高さに本尊や位牌がくる構図。また組み立て式の下の台を外すと和室にもピッタリ。金沢らしく、本尊の後には金箔が貼られ金具など随所に職人技が活かされている。

 期間中の最初の3日間は近くの施設で蒔絵体験会が催された。子息で伝統工芸士の資格を持つ大竹喜信氏が指導。30人が受講した。年配者が多いが熱心な若い女性も。「蒔絵の初歩の初歩の初歩の段階です。受講者に言うのは、一回の体験では覚えられませんからと。それでも蒔絵の奥深さは感じてもらえたと思います」(喜信氏)

 永楽堂前でも机を並べて蒔絵の技を披露。漆地に細かな金箔が栄える漆器に参拝者らは見入っていた。

2012/11/15 RSE宗教と環境シンポ ライフスタイル見直しへ

会場の質問に答えたシンポのパネリストら 宗教者と様々な分野の研究者が環境問題の解決へ向けて組織した「宗教・研究者エコイニシアティブ」(RSE、竹村牧男代表)は10日、奈良県天理市のおやさとやかた南右第2棟・陽気ホールで第3回「宗教と環境シンポジウム」を開催。前回と同じく今回も「新しい文明原理の生活化と宗教」をテーマに、ライフスタイルを見直す観点から宗教者の社会貢献や食品ロスなどについて発表があった。

 開会にあたっては会場を提供した天理大学・飯降政彦学長が4月に「天理大学エコキャンパス宣言」をして環境保全に配慮した教育・研究の充実を図っていることを述べシンポ開催を歓迎。引き続き環境問題に強い関心があって参加したという松長有慶高野山真言宗管長が挨拶し「物にいのちがあるという考え方が日本人にある。環境問題にも仏教からの発言が可能で、特に平安仏教、神道からの発言が大きなウエイトを占めるだろう」と環境問題に貢献可能な仏教の理論的根拠について見通しを述べた。

 基調講演は稲の遺伝子解読に関わった分子生物学者で地元天理市出身の村上和雄筑波大学名誉教授が行い、一個の細胞の中に万巻の遺伝情報が存在することなどを「神技」とし、それを作った存在を「サムシング・グレート」と表現して生命の不思議を話した。

 この後3人がパネル発表。宗教の社会貢献を研究する大阪大学の稲場圭信准教授は東日本大震災で寺院・神社・教会が避難所となり、宗教者も炊き出しなどを担ったことの他、教団に所属しない人にも「無自覚の宗教性」があり、それが災害時に発現するとして宗教の役割を強調。また自分本位な世相の中で利他的精神を育てるのに宗教者が模範となる必要があると話した。

 風力発電を開発する天理教徒の佐藤隆夫いって研究所代表取締役は、ある時庭先にカラスが死んでいるのを目にして鳥の羽ばたきの上昇原理を風車にするのを思いつき、台風に弱い点や騒音公害を克服する「鳥翼風車発電機」を開発したことを発表した。

 セカンド・ハーベスト・ジャパンの井出留美広報・プロジェクトマネージャーは食品を余っている所から必要な所へ回すフードバンクの活動を発表。日本の年間食品廃棄量は「2272万㌧」でその内食べられるのは稲の年間生産量に相当する「500万~800万」になると食品ロスを強調。「世界的に見ても過剰な安全安心志向、清潔志向」が食品ロスにつながっているとした。供え物の食品を提供する寺院が出てきたことなども話した。

 この後岡本享二環境経営学会副会長がコーディネーターとなってパネル討論。井出氏は食品ロス低減のためスーパーなどでは消費期限の近いものから買うようにすると提案。稲場准教授は「自分達の世界観にこもって環境問題や社会貢献に一切関心をもたないのであれば宗教界に課税しろということになる」と述べた上、宗教者の社会貢献は「どんどん情報発信をしていくのが大事。行政のスタンスも社会的認知によって変えていく」と提案した。

2012/11/22・29 日本アルプスの麓で樹木葬 白馬村・曹洞宗貞麟寺


春は沢山の花、秋は美しい紅葉が墓所を彩る 長野オリンピックの会場にもなった風光明媚な長野県白馬村。人口は約9000人で寺院は3カ寺。その一つ、曹洞宗貞麟寺はもう10年以上も「樹木葬」に取り組んでおり、「自然に抱かれて眠りたい」と願う人々のよりどころになっている。

「元々は樹木葬というよりは、個人墓地をはじめていたんです。神葬祭で葬られて墓地がない人、跡取りがなくてよそで求められなかった人。それに、離婚して、婚家の墓にも、実家の墓にも入れなかった人のためですね」と、海野喜充住職は語る。平成元年頃の話だという。

 それから10年ほど経ち、樹木葬を推進するNPO法人エンディングセンター(東京)から問い合わせがあった。「個人墓地のことを説明すると、『それでは、樹木葬にしませんか?』と勧められたんです。はっきりと樹木葬をはじめたのはそれ以後ですね」。

 以後、ホームページ等で広報活動を続け、ちらほらと樹木葬の墓地を求める人が増えてきた。現在は約50人と契約している。ツツジやアジサイなどの、小さな木が約400平米の丘の上で風にそよぐ。ただし「木だけでなくやはり石碑も置きたいという人もいますから」、ささやかな石が立っている箇所も。人気の秘訣はやはり、雄大な山の麓だからか。ちなみに貞麟寺はカタクリの名所であり、村指定天然記念物の枝垂桜もある。「墓参に来て、シートを広げてお花見をしている人もいますよ。でも、それでいいんです」と、海野住職。

 苦労したことはと聞くと、「始める際には石屋さんとの話をつけるのに、少し骨を折りました」。とはいえ、貞麟寺は樹木葬だけではなく、一般的な石の墓地もある。それと「関心を抱いてくれるのは嬉しいのですが、『子どものことは考えてません』とばかりに、あまり家族と相談をしていない人もいて、そういう人には丁寧にお話して、家族ともじっくり相談してほしいとアドバイスしてます」とのこと。「高いお墓は子どもの迷惑になるから、樹木葬に……」と考える人には困惑することもあるという。「あくまでも『自然に還る』がコンセプト。そこから離れた人を無理に受け入れようとしないのは大切です」。

 両親がこの樹木葬に契約して、その後、子どもたちが見学し「私たちのお墓もここにします」と言ってくれることもある。「親と一緒に入りたいという気持ちが嬉しいじゃないですか」と微笑。

 弔いの形が多様化する中、貞麟寺の樹木葬もまた、しっかりと土地に根付いている。

2012/11/22・29 立正佼成会 「憲法改正」に対し見解を発表


 立正佼成会(庭野日鑛会長)は11日、「『憲法改正』に関する見解―憲法の『平和主義』を人類の宝に」を発表した。同会は政治に対する基本姿勢の一つに憲法の平和主義を掲げていることから、今度の総選挙の候補者推薦にあたっても判断基準となりそうだ。

 今回の見解は、各政党から憲法改正草案や大綱の中に、「従来の平和主義に基づく国のあり方を大きく変える内容が含まれている」ため、これまでの考えをもとに担当部署で議論してきたもの。とりわけ前文の国際協調と第9条に主眼を置き、「全人類の願いであり、日本の誇りである」と提示している。

 また「民族や国家、文化や宗教は異なるとも、人類は『地球』という大きな一つの乗り物に乗った兄弟姉妹です。兄弟姉妹が憎しみ、争うことほど愚かなことはありません」と大乗仏教の視点からも展開している。

 今回の見解に併せて根本昌廣外務部長の談話が発表された。立正佼成会は憲法を「一文たりとも変更してはならない」という立場を取っていないとし、改正そのものを否定してはいないと説明。しかし前文や9条改正論議は「国の根幹である『平和主義』を脅かし、日本のみならずアジアや世界の平和を損なう危険性をはらんでいると懸念しています」と表明し、見解発表に到ったとしている。 同会は憲法改正論議が高まった戦後60年にあたる平成17年(2005)12月、「『憲法改正』に対する基本姿勢」を発表。これには信教の自由などが含まれているが、今回の見解は平和主義に特化している。

 また、政治への取り組みとして「生命の尊厳を守る」「政教分離の原則を守る」など5項目の基本姿勢を明示。「平和主義の推進」もその一つで、今回の見解は今選挙の候補者推薦の基準となり得る。ちなみに前回総選挙(2009)では、各ブロックや教会単位で214人を推薦し198人が当選した。

2012/11/22・29 日蓮宗本山鏡忍寺 小松原法難750年前法要を営む


前会法要に合わせ日蓮聖人の万灯もお練りした 来年、日蓮聖人小松原法難750年の正当を迎える千葉県鴨川市の日蓮宗本山鏡忍寺(原日透貫首)で11日、同宗の千葉教区寺院で作る小松原法難750年奉行会は「宗祖日蓮大聖人小松原法難750年前会法要」を営んだ。檀信徒に法難の歴史を学び、宗祖や殉教2聖者への報恩感謝の念や自覚を持ったお題目信仰の糧としてもらおうと、法難をテーマにした講談や趣向を凝らした「問答法要」で法難の意味を分かりやすく伝える試みがなされた。


 小松原法難は文永元年(1264年)11月11日に、地頭の東条景信が聖人を襲撃し、弟子の鏡忍坊と助けに駆けつけた天津(現千葉県鴨川市)領主の工藤吉隆公が討死。聖人も腕を砕かれ、頭部に傷を負った。伝説では法華経の守護神「鬼子母神」が現れ軍勢を追い払ったという。同寺は吉隆公の遺児である日隆上人により建立された。


 前会法要では、まず講談師の一龍齋貞鏡さんが日蓮聖人御一代記から、小松原法難の場面を講釈。激闘の様子や神々しく鬼子母神が出現する場面など、講談ならではの独特のテンポと言い回しで表現した。


工夫を凝らした「問答法要」の様子 続く「問答法要」では、法難から12年後の身延山の設定で僧侶が日蓮聖人と日隆上人を演じ、小松原法難についての問答を繰り広げる趣向を凝らした法要となった。


 問答の中で御遺文や法華経を随時引用し、これに合わせて原貫首を導師に参拝者が読経するユニークな法要形態で、「なぜ法華経を弘める者が迫害に遭うのか」との問いに聖人が「勧持品に示されている」と答え、その箇所を参拝者とともに読経。


 最後は、聖人を守るために散った吉隆公の遺言とともに日隆上人がその忘れ形見であることが明かされ、参拝者は法難の意義を味わいながら思い込めて読経していた。


 奉行会総裁の原貫首は「お祖師様と亡くなった二人のおかげで今にお題目が伝わっています。お祖師法華経を弘めると災難がくるけれども、命がけでやる覚悟が必要だと確信された。皆様方にもお祖師様の覚悟を自覚していただき、今後の布教に邁進していだければ幸いです」と挨拶。法難会を通じ法華経の弘教者としての自覚を呼びかけた。


 当日は、午前と午後の2回、前会法要を厳修。日蓮聖人の万灯のお練りや、殉教した鏡忍坊の血染めの袈裟などが保管された宝物殿内を公開。延べ約600人が参拝した。

2012/12/06 高幡不動尊萬燈会 四恩に感謝の祈り


岩手県宮古市から届いた灯籠「夢灯り」 東京・日野市の真言宗智山派別格本山高幡不動尊金剛寺(川澄祐勝貫主)で11月23・24両日、萬燈会が執り行われた。紅葉深まる高幡山を大小様々な灯りが照らし、幽玄な雰囲気に包まれながら祈りが捧げられた。

 五重塔塔院では夕刻から川澄貫主を導師に萬燈会法要を厳修。灯明が参詣者の手を渡り仏前を荘厳。両親先祖の恩、国家の恩、社会の恩、み仏の恩に感謝の誠を捧げ、東日本大震災からの復興を祈願した。その後、五重塔前に移動し塔婆供養を奉修。参詣者は浮燈明や蝋燭に自身の願いや名前を記し、祈りの灯りを捧げた。

 午後6時からは、高幡不動駅からの参道を約2000個の灯籠が照らす「たかはたもみじ灯路」も開催。今年は東日本大震災の被災地・岩手県宮古市から届いた灯籠「夢灯り」が並んだ。夢灯りは仮設住宅に暮らす被災者が牛乳パックで作成。震災犠牲者の菩提を弔う「夢灯り」が高幡不動にも灯された。

2012/12/06 全日仏理事会 在家仏教協会が新加盟


 公益財団法人全日本仏教会(全日仏/小林正道理事長)は11月20日、京都市の浄土宗宗務庁で理事会を開き、社団法人在家仏教協会(東京都渋谷区)の新規加盟を承認した。来年4月から始まる来年度事業計画と予算の大綱についても協議。その中に来年10月の第42回全日本仏教徒会議和歌山・高野山大会が盛り込まれた。理事会には20人中18人が出席した。

 新加盟の在家仏教協会は、昭和27年(1952)の在家仏教会を前身とし2年後に社団法人在家仏教協会に移行。初代理事長の加藤辨三郎(1899―1983)は協和発酵(現協和発酵キリン)初代社長で篤信の財界人。仏教伝道文化賞受賞者でもある。同協会は現在、全国8カ所で定期講演会を催し、月刊誌『在家佛教』はこの12月で通巻727号を数える。

 財団法人仏教伝道協会と公益財団法人国際仏教興隆協会が推薦した。これにより全日仏の加盟団体は、 59宗派・36都道府県仏教会・10仏教団体の合計105団体となった。

 来年度大綱には和歌山・高野山大会が明記されることが固まった。同大会は「宗教と環境」をテーマに来年10月16・17日、高野山で開かれる。現全日仏会長の半田孝淳天台座主も出席する。

 さらに5年後の平成29年(2017)に財団創立60周年を迎えるため、来年度から予算を計上し諸準備を進めていくとした。



衆院解散後、推薦書類送付

 11月16日の衆院解散を受けて全日仏は加盟団体に推薦用の書類を発送した。加盟団体からの申請に基づいて候補者に推薦状を発行する運びだ。全日仏の目的を理解し、今後も協力することが推薦の条件となる。

 全日仏は3年前の総選挙で119人を推薦。当選者は98人だった(民主48人、自民35人、みんな1人)。

2012/12/06 「お寺ごはん」味わうレストラン レシピ本記念し限定オープン


レシピ本を手にする青江住職「シンプルで美味しい」。住職による家で作れるレシピ本『お寺ごはん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン刊)が話題を呼んでいる。出版を記念して、掲載されている料理を著者の青江覚峰住職(浄土真宗東本願寺派緑泉寺)が振る舞う「お寺レストラン」が11月30日、東京・神谷町の光明寺に1週間限定でオープンした。

『お寺ごはん』の料理は、マヨネーズを使わないポテトサラダ、肉の代わりにお麩を使った〝お麩じゃが〟など、野菜のみの低カロリーな献立。「心もカラダもキレイになれる」と流行に敏感な女性たちに大人気だ。

「お寺レストラン」は初日から若い女性たちが多く来店。「薄味だと思っていたけど、出汁がしっかりしていて味わいがありますね」「お肉の代わりにお麩とは普通思いつかない。斬新です」など、お寺由来の料理に舌鼓。

 精進料理をベースに現代風にアレンジした『お寺ごはん』。出汁の取り方など料理の基本から、前菜、汁物、焼物、揚物、汁物、ごはん、デザートまで計99品のレシピが掲載されている。

 執筆にあたっては、普段の法話のように「仏教の本質をはずさずに、普通の人がいかに分かりやすく違和感なく読めるか」に気を使ったという青江住職。誰にでも身近な料理という切り口で、仏教の教えに親しんでほしいと願う。

お寺ごはんを味わう女性客 来店した女性の中には、「野菜の皮を使ったり、これならごみが出ない。理に適っていますよね。スゴイ!」「一つひとつがとても丁寧にできていて、大事に食べました」など料理の背景にある仏教の考え方に自然と気付きを得る人も。

 青江住職は「仏教は教学も大事ですが、生き方でもあると思います。レシピ本で仏教というライフスタイルの提案をしたい」と話す。レシピには「日常に仏教を取り入れてほしい」という住職の思いが込められている。

2012/12/13 大正大学 次期学長に勝崎裕彦氏

 大正大学(東京都西巣鴨、多田孝文学長/杉谷義純理事長)は4日、理事会を開催し、教授会から学長候補者として推薦されていた仏教学部教授の勝崎裕彦氏を次期学長(第34代)に決定した。任期は来年4月1日から3年間。


 勝崎氏は昭和21年8月生まれ。大正大学仏教学部卒業後、大学院に進学。昭和51年に博士課程単位取得満期退学。平成11年に人間学部仏教学科特任助教授に就任し、以後、同助教授、教授等を経て2年前に復活した仏教学部の学部長に就任した。昨年3月、大正大学より博士号取得。共著書に『ブッダ・高僧の《名言》事典』『浄土教の世界』など多数。自坊は浄土宗香蓮寺(都内新宿区)。

2012/12/13 衆院選 全日仏82人、佼成会152人推薦

 今月16日に行われる第46回衆院選挙に際して全日本仏教会(全日仏)は82人を推薦した。3年前の総選挙では119人で30人以上少ないが、これから増える可能性もある。一方、立正佼成会は民主党を中心に152人を推薦した(ともに12月11日現在)。

 全日仏の推薦候補は、自民党33人、民主党37人、日本未来の党6人、日本維新の会2人、みんなの党2人、無所属2人の合計82人(小選挙区・比例代表含む)。前回は119人を推薦し98人が当選した。

 全日仏は、加盟団体からの申請に基づいて推薦状を発行する。仏教文化の宣揚や世界平和に寄与といった全日仏の目的を理解し、今後も協力することが推薦の条件となる。

 立正佼成会の推薦候補は、民主党118人、自民党20人、日本未来の党9人、みんなの党3人、社会民主党1人、無所属1人(すべて小選挙区)。前回は214人を推薦し、198人が当選した。同会は各地域や教会の推薦委員会で候補者を選定するが、結党以来民主党候補を中核に据えており、今回もそれを踏襲したようだ。

 推薦基準となるのは基本姿勢「5項目」(生命の尊厳を守る/平和主義の推進/思想・良心・信教の自由を守る/政教分離の原則を守る/政治倫理の確立)。

 このほか、複数教団・団体でも候補者推薦が行われている。

2012/12/13 2012回想 この不透明感は何なのか?/田原由紀雄


宮城県曹洞宗青年会などが実施した石巻での慰霊行脚。多くの遺族が被災場所で合掌した(9月15日) 日宗連、全日仏、新宗連、WCRP日本委員会などの財団法人から公益財団法人への移行や主要教団・関係組織でのリーダー交替、比叡山宗教サミット25周年、河野太通全日仏会長の日本記者クラブでの脱原発を強調した記者会見、鴨長明による『方丈記』執筆から800年など話題に事欠かない一年であった。だが、希望と光明に満ちた日々というよりも、どこかもどかしい不透明感に覆われた一年と感じたのは私だけではないだろう。

 不透明感は一体、何によるものなのか。それを読み解くために、50年前、1962(昭和37)年に時計の針を戻してみよう。この年は日本仏教界にとって記念すべき年であった。真宗大谷派(東本願寺)で前年に円成した親鸞聖人700回御遠忌の余勢をかって、真宗本来の信仰の回復を目指す「同朋会運動」が始まった。ほぼ時期を同じくして隣山の浄土真宗本願寺派(西本願寺)では末寺振興、人材育成、社会教化を掲げた「門信徒会運動」が、またこれ以降、浄土宗総本山知恩院では「おてつぎ運動」、臨済宗妙心寺派では「花園会運動」が始まった。

 伝統仏教教団が競ってこうした運動を始めた背景には当時、急成長していた新宗教教団の布教攻勢に対する強い危機感があった。農村社会の崩壊と大都市への人口集中など社会構造の変化への対応の遅れから守勢に立たされた伝統仏教教団にとって運動は起死回生の切り札となるはずだった。

 中でも同朋会運動は明治の学僧、清沢満之の教学を精神的なバックボーンとし、「人類に捧げる教団」という高い理想を掲げたことで注目を浴びたが、やがて運動の推進を急ぐ改革派と大谷家を頂点とする保守派の間で厳しい確執が生じ、長い泥沼の紛争にもつれこんだ。5億円の手形乱発事件など大谷家の乱脈が相次いで表面化したことから、宗門世論は改革派有利に動き組織・機構の民主化をうたった宗憲の抜本改正が成った。

 だが、紛争で膨大なエネルギーを消耗したこともあって肝心の同朋会運動は近年、停滞し進むべき方向を見失っているように見える。2月の宗議会では宗派の預貯金の一部を社債に替えて“保管”した結果、約3700万円の損失が出たことが問題となり財務長が陳謝した。

 1951年、蓮如上人450回御遠忌(49年)で出た巨額の赤字に苦しむ大谷派の宗務総長となった清沢の直弟子、暁烏敏(あけがらすはや)は信心より経営が優先される教団のあり方を批判してやまず、募財の方法を尋ねる教務所長にも「金を集める方法なんどをきく様な人は信心がないのだ。四十間四方の大堂は念仏から湧き出たものです。念仏がなくなった時は消えるのが当たりまえです。念仏がなくて金が集まらない時は潰れたらよいでしょう。心配はいりません」と答えた。

“念仏総長”暁烏敏のもとでまたたくまに赤字は解消した。暁烏はまた「念仏を中心とした生活」をスローガンに同朋会運動の前身ともいえる「同朋生活運動」を提唱した。その大谷派で財務上の不祥事が明るみに出たことは同朋会運動の精神が風化し始めていることの証に他ならない。

 西本願寺では1986年から門信徒会運動と、人権意識を高め、差別や人権侵害の防止・解決をはかる「同朋運動」、この二つを宗門の基幹運動と位置付けて推進してきた。しかし、昨年の宗法改正に伴う新体制のもとで、基幹運動の看板は下ろされ、このほど、「御同朋の社会をめざす運動」(実践運動)がスタートした。向こう3年の重点プロジェクト基本計画の総合テーマは「そっとつながる ホッがつたわる ~結ぶ絆から、広がるご縁へ~」。〈差別の否定〉といった基幹運動の基本理念は盛り込まれておらず、過去の蓄積が生かされていない点で突然、パソコンをリセットしたような違和感を感じる。

 運動による伝統教団再生への期待は大きかったが50年の歳月を経て明らかになったのは、教団の体質改善への道のりの険しさだ。加えて昭和30年代の高度成長がまるでうそのような日本経済の落ち込みを反映して厳しさを増す教団財政。こうした状況下で、教団の姿勢が内向きになり始めていることが不透明感の淵源ではないだろうか。

 だが、東日本大震災の被災者救援に取り組む宗教者たちの献身的な活躍には明るい希望が見いだせる。4月、東北大学に開設された「実践宗教学寄付講座」への期待も大きい。

 大徳寺第五百三十世の座に就いた泉田玉堂老師が10月22日、「視篆開堂(してんかいどう)」式を行った。泉田老師は自らの禅の境地を語る法語を朗々と唱え、開山以来の教えを受け継ぐ心構えを示した。中国・宋朝以来の古式にのっとった由緒ある儀式だが、大徳寺では第五百十一世の故・立花大亀老師が行って以来44年ぶり。いわれのない因習は打破すべきだが、古き良き伝統は護るべきだ。ましてそれが宗教としての根幹にかかわるものならば。記録にとどめるべき快挙である。
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たはら・ゆきお/1946年生まれ。70年毎日新聞社入社。奈良・京都両支局と大阪本社学芸部で宗教・美術を担当。05年4月から12年3月まで専門編集委員。ジャーナリスト。著書に『東本願寺30年紛争』(白馬社)、共著に『訓覇信雄論集』(法蔵館)、『蓮如を歩く』(毎日新聞社)など。