2021年

8月


2021/8/26 没後50年 鈴木俊隆シンポ 北米に坐禅伝えた先駆者 根底に伝統宗学


在りし日の鈴木俊隆 北米で曹洞禅の布教に努めた鈴木俊隆(1904―1971)。没後50年にあたり、その功績を検証しようとオンラインシンポジウム「鈴木俊隆の人と禅」が21日、愛知学院大学教授の林淳氏を進行役に開かれた。サンフランシスコ禅センターを設立し、『禅マインド、ビギナーズマインド』を著し、坐禅を根付かせた先駆者だが、その根底には伝統宗学があった。 

 海外ではシュンリュウ・スズキとしてその名が知られている。1959年に渡米し、最晩年の13年間を禅布教に尽くした。

 最初に林氏のもとで研究に着手している大学院生の糸川定伸氏が、「鈴木俊隆研究の現在」と題して発表。生涯を辿りながら、「日本の禅仏教を北米に伝えた人物」と評価した。

 生前に出版された著書は『禅マインド、ビギナーズマインド』(1970)のみだが、世界24カ国以上で翻訳されているロングセラーだ。邦訳は3種。ほかに4点の著作があるが、『禅マインド―』を含めて「本人の書き下ろしではなく、英語の法話を録音し、それを弟子たちが書き起こし編集したもの」と説明した。

 日英両語文献を渉猟してきた糸川氏は「俊隆は日本の仏教史ではなく、米国の仏教史に位置づけられていることがわかった」。しかし「曹洞宗僧侶」としての側面が先行研究では軽視されており、一次資料の収集と検討により、俊隆研究が曹洞宗や日本仏教の海外開教、さらには日本仏教史研究上に位置づけられると展開した。

 南山宗教文化研究所研究員の守屋友江氏は「アメリカ仏教史における『二人のスズキ』―鈴木俊隆と鈴木大拙」を発表。鈴木大拙(1870―1966)は19世紀末に渡米し、「20世紀に入ってから大乗仏教と禅を英語」で論じ、禅思想の普及に大きく貢献した。

 曹洞宗は1920年代から北米に僧侶を派遣。その当時、俊隆は英語に堪能な忽滑谷快天が学長をしていた駒澤大学に在学。守屋氏は「俊隆の思想形成において海外に目を向ける機会があったのではないか」と推察した。

 北米の日系社会では葬式仏教が僧侶に求められたが、「『二人のスズキ』のZENは、必ずしも葬式仏教ではなかった」と説明。さらに宗教思想的な共通性として守屋氏は、「教義をフレキシブルに解釈し、普遍性と実践を重視」し、「儀式や学問のスペシャリストではなく、求道者的な在り方」をあげた。

 駒澤大学教授の石井清純氏は「Zen Mind, Beginner's Mindにみる鈴木俊隆の禅風」と題して『禅マインド―』の行間からにじみ出る俊隆の禅思想を探った。

 同著では「悟り」や「見性」には距離を置き、一元論的な理解が見られる。臨済の公案では独自の表現が見られるものの、基本には岸沢惟安や西有穆山の『正法眼蔵』理解があり、伝統的解釈に即した記述がなされているとした。「北米の個人主義的な傾向を意識した個の強調も存在する」とも話した。(続きは紙面でご覧ください)

2021/8/26 智山派教学振興会 SDGs債に初投資


 真言宗智山派教学振興会(理事長=芙蓉良英宗務総長)は20日、奨学金貸与事業を行う独立行政法人日本学生支援機構発行の債券「ソーシャルボンド」に投資したと発表した。投資額は非公表。債券購入を通して社会に貢献するという、伝統仏教教団の新しい資産運用の方法として注目を集めそうだ。

 「ソーシャルボンド」は、社会的課題の解決に資するプロジェクトに資金使途を限定して発行する債券。果実(収益)を期待する通常の投資とは考え方を異にする新しい債券で、元本保証の安全運用が大原則だ。国連で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)の達成を目指していることから〝SDGs債〟とも呼ばれ、宗教法人の活動とも親和性が高いとされている。

 智山派教学振興会(旧教学財団)は、宗内の学生・研究者らを対象に奨学金支給や研究費助成などを行っている宗内団体。これまでは国債などで資産運用をしてきたが、今回初めてSDGs債にも投資した。

 日下敞啓財務部長は今回の投資について、「日本学生支援機構の奨学金貸与事業に協力することを通して、全国の一般の学生を広く支援できる」と説明。「学ぶ人を大切にしてきた学山智山の歴史をふまえた上で、微力ながら現代社会での社会的責任を果たしていこうと考えている」と話している。

2021/8/26 急変するアフガニスタン情勢 アーユス緊急報告会〝予想できない〟と現地NGO


 アーユス仏教国際協力ネットワークは24日、オンラインによる緊急報告会「急変するアフガニスタン情勢」を開催。同国で識字教育や対話を通じた問題解決などの平和活動に取り組むNGO代表が混乱する現地の状況や共生のための課題、平和活動の重要性について報告した。同NGOパートナーに活動する(一社)平和ユナイテッドの小野山亮さんが通訳と進行、アーユスの枝木美香事務局長が司会を務めた。約250人が参加した。

 同NGOが活動拠点とする地域がタリバンの支配下に入ったのは8月15日。「誰も予想できないことだった。寝る時には民主的な世界だったのが、起きたらタリバンの支配下になっていた」。タリバン支配下で生活は大きく変わり、国内避難民の発生、国外避難のために空港に集まる人たちへの発砲、タリバンへの抗議と弾圧など危険な状況が生まれている。銀行が閉鎖しており、日々の生活に困窮する人もいるという。

 9.11から間もなく20年経つが、米軍が撤退したことについて「米国は平和のためにといって、私たちのシステムを破壊した。犠牲を払ったのはアフガニスタン人で、現実には平和をもたらしていない」とその責任を問いかけた。
 
 タリバン支配下で懸念される女性の人権については「以前は女性も教育の権利があり、外で働く人もいたが今は女性たちが不安を覚えている。タリバンの報道官は正式にどうするか言っていない。何が起きるかわからず、女性たちは基本的に外出を控えている」と話し、「以前は町に出る人の半分は女性だったが今はいなくなった」とその変化を話した。(続きは紙面でご覧ください)

リスクある人の庇護を
シャンティ国際ボランティア会(SVA)事務局長
山本英里氏の話

 SVAは首都カブールをはじめナンガハル県、クナール県、ラグマン県の4カ所で教育事業を中心に活動しています。現地スタッフ34人の安否は確認できています。あらゆる手段で情報収集しているところです。

 現地ではカブールがもっとも混乱しているように思います。タリバンが短期間で制圧できた背景には地方の事情が関係していると思います。地方によっては、タリバンが攻勢を強める以前から、女性は長年培われた習慣の中で生活しなければいけないところがありました。そういう地方ではタリバン制圧後もさほど日常生活は変わらないと報告されているからです。

タリバンは女性の権利を尊重する旨の発言をしていますが、一方で制限も加えているようです。この20年、一部では女性の飛躍はめざましいものがあります。女性の権利を広げていこうと行動してきた人もたくさんいます。今まで制限されつつも、認められてきた女性の権利の後退が懸念されます。

 1990年代半ば、タリバンが政権を取るまで何十年も紛争が続きました。私はタリバン政権崩壊後の02年、アフガニスタンに入りました。ほんとうに何もない悲惨な状況でした。再びそこに戻ってしまうのか。ここで国際社会が手を引いてしまうと、切実な人道危機を招きかねないと思っています。

 コロナも深刻で、感染者の実数が把握できていない。タリバンが制圧してから急激に感染者が増加し、私たちの身近な関係者が感染か非感染かよくわからない中で亡くなったりしています。以前から脆弱な医療体制でしたので、PCR検査もできないでいます。

今回の事態を受け、一定の方々がリスクを抱えているのは事実です。その中には援助関係者も含まれます。こうしたリスクを抱えた人たちの安全を保証し、庇護を国際社会にはお願いしたいと思います。

 アフガニスタンが自国だけで課題を解決していくことは困難で、そのためにはいろんなチャンネルが必要です。その一つが私たちのような市民団体です。市民同士が関係を継続していくことは重要です。我々はつながっているとのメッセージをアフガニスタンの市民に届けることです。(談)

2021/8/19 新宗連青年会「8.14式典」風化させず、次世代へ


雨の中、六角堂に代表者が整列し祈りが捧げられた  新宗連青年会(新日本宗教青年会連盟)主催の第56回戦争犠牲者慰霊並びに平和祈願式典が今年も14日夕、降雨のなか、東京・国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑で執り行われた。昨年同様オンラインによりライブ配信され、全国で平和の祈りが捧げられた。

 昭和37年(1962)から続くこの「8・14式典」。新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言下のため、参加者を制限して行われた。

 主催者を代表して新宗連青年会の宮本泰克委員長(妙智會教団)が挨拶。戦後76年が経ち、戦友会や遺族会の解散などが相次いでおり、「戦争の記憶が急速に風化しつつあるのではないか、と危惧する」と述べた。一方で半世紀以上にわたる式典の意義を力説し「次の世代へと伝えていかなくてはならない」と決意を披瀝した。

 続いて新宗連(新日本宗教団体連合会)の岡田光央理事長(崇教眞光教え主)が挨拶し、世界平和を祈り地道に平和への行動を重ね、近年は被災地ボランティアに従事するなどしてきた新宗連青年会の活動を評価。そして「宗教協力という崇高な理念のもとに、平和に向かって祈りを捧げる皆さまと共に、手を組みスクラムを組んで前進して参ります」と表明した。

 教団別礼拝には解脱会、思親会、松緑神道大和山、崇教眞光、善隣教、玉光神社、妙智會教団、立正佼成会の8教団が参加。降り続ける雨の中、一人ずつ戦没者遺骨を奉安する六角堂に歩を進め、それぞれの作法に則して経文や祝詞、メッセージを読み上げた。

 平和へのメッセージは、善隣教の泉愛さんが福岡県の教団本庁施設から発表。祖父母の戦争体験や教団が取り組んでいる「韓国原爆被害者救済活動」の一環で訪韓した自身の体験を紹介し、「韓国へ戻ってからの差別と偏見との戦いなど、(韓国の被爆者は)祖父母が体験した苦しさとはまた違う苦しみがあることを知りました」と吐露。そうした祖父母や韓国被爆者の言葉を「私の言葉で伝えていきます」と決意を述べた。

 最後に宮本委員長と8教団代表が六角堂前に整列し、配信視聴者と共に1分間の祈りを捧げた。

2021/8/19 土砂が墓地直撃 京都市山科区 お盆中の極楽寺


擁壁が崩れ土砂に覆われた極楽寺墓地(山科区) 8月9日に上陸した台風9号、さらにその直後から九州~東北まで広範囲かつ長期間にわたり発生した豪雨のため、各地の寺院に被害もあった。各教団は情報収集を進めている。気象庁によると、西日本での豪雨は20日をピークに続くという。

 京都市山科区の浄土宗極楽寺では14日、境内裏手の住宅の擁壁が崩落し、墓地に大量の土砂が流入。そのため墓石約100基が埋まる大きな被害となり、お盆のお墓参りに訪れた檀信徒を嘆かせた。山門・墓地入り口には黄色の立ち入り禁止テープが張られ、「危険回避の為、ご参拝はお控え下さい」という貼紙も掲示された。

2021/8/19 大本山總持寺祖院 開創700年記念ワイン 僧侶がラベルをデザイン


物産館の記念ワイン販売コーナー 曹洞宗大本山總持寺祖院(石川県輪島市)の開創700年法要が9月12~16日に厳修される。これを記念した開創700年限定ラベルのワインが、門前の商店や、のと鉄道七尾線穴水駅そばの物産館で販売されている。

 祖院とのと鉄道が企画し、能登ワイン(鳳珠郡穴水町)が製造。ロゼは香り高く爽やかな甘口で肉・魚を問わず色々な料理に合う。赤はヤマブドウとカベルネ・ソーヴィニヨンを掛け合わせた「ヤマソーヴィニヨン」で作られており、ボディの強さは満足感たっぷり。

 ラベルは瑩山禅師と定賢律師が向き合う様子で、赤には「お二人の想いが未来へ受け継がれる」との文字が力強く書かれる。定賢律師が住持していた諸嶽寺を観世音菩薩の夢告により瑩山禅師に譲ったことが總持寺の開創縁起である。

 デザインを担当した高島弘成副寺は「曹洞宗、瑩山禅師の教えが能登から日本中に広まっていったように、ワインをはじめ能登の素晴らしいものが日本中に広まっていって欲しいという思いを込めました」。ハーフボトル(360ミリリットル)で税込み1500円。

関連イベントは中止
 新型コロナウイルス感染拡大が止まらない状況に鑑み、祖院は市と協議の上でイベント「ぜんのきらめき」の中止を決定。全国曹洞宗青年会の記念行事が11・12の両日に予定されていたがこちらも中止となった。

 法要自体は厳修され、YouTubeの全曹青公式チャンネルでライブ配信される。高島副寺は「残念なことではありますが、ぜひ動画でご参拝いただければ」と話す。

2021/8/5・12日合併号 第55回仏教伝道文化賞 本賞 小川一乗氏 奨励賞 高岡秀暢氏


 (公財)仏教伝道協会(木村清孝会長)は7月29日、第55回仏教伝道文化賞選定委員会(大久保良峻委員長)を開催し、仏教伝道文化賞に小川一乗氏(85、大谷大学名誉教授、北海道北見市・真宗大谷派西照寺前住職)を選出した。沼田奨励賞は高岡秀暢氏(77、愛知県名古屋市・曹洞宗徳林寺住職)に決まった。贈呈式は10月14日午前11時から、東京都港区の仏教伝道センタービルで行われる。

 仏教伝道文化賞は国内外で仏教関連の研究や論文、美術や音楽、仏教精神を基に活動する実践者など、幅広い分野で仏教精神と仏教文化の振興と発展に貢献した人物や団体に贈られる。
 
 小川氏は長年にわたりインド仏教の根本思想を深く研究し、わかりやすく教化に尽くした。また臓器移植問題では仏教徒の視点を国会で積極的に発言するなど仏教精神を広めた。

 高岡氏は「ともに生きる」を理念に、自坊で外国人の受け入れを実践し、国籍を超えた新しいつながりを生んでいる。またネパールに伝わるサンスクリット経典や祭儀等の文化財保存活動にも尽力した。
受賞者には賞状と賞金(本賞500万円、奨励賞300万円)、記念品が贈られる。


受賞者コメント
 
小川氏 社会の中に生きる

 受賞は思いがけない報せだった。近代教学の礎を築かれた金子大栄先生は、真宗を学ぶのでないとおっしゃった。鎌倉期、親鸞聖人が仏教とどう向き合ったのか、その生き方を学ぶのだ。それが真宗の学びの基本となる、と。その言葉から受けた感銘を、これまで忘れたことはない。宗派を超え、こうした姿勢に共感していただけたと受け止めている。

 それから、臓器移植問題を巡り国会で発言したことが評価されたようだ。平成9年の公聴会だった。脳死による臓器移植は誰かの死を待つことになる。それによって誰かが助かるという人間同士のいのちのやり取りは止めるべきだ、と言った。ヒューマニズムにも限界はあるのだ。これを機に、社会の中に生きる仏教者としてその立場、考えをもう一度確認したい。

 
高岡氏 開かれた寺を実践

 ネパール仏教はあまり知られていない仏教ですが、受賞によりネパール仏教や仏教徒の方々がクローズアップされるのであれば嬉しいことです。

 ネパールで10年ほど暮らし文化財保護の活動をしていたご縁で、日本で住職になり、約20年前からネパール留学生たちの生活面での支援、医療やビザの問題のサポートを始めました。アジアやアフリカの人々の支援もしてきたなかで、昨年はコロナ禍でベトナム人の受け入れをし、それが報道されました。私にとっては長年の交流や活動があり特別なことではありません。ただ報道のおかげで資金的サポートをして下さる方もいて有難いことでした。

 住職になるときにお寺を支えてくださる方に「開かれたお寺にしたい」という思いを話しましたが、その実践です。

2021/8/5・12日合併号 残ったろうそくで福祉施設支援 曹洞宗僧侶が連携し支援 


施設の利用者にろうそくを手渡す和田住職(左)ら 茨城県取手市の障害者福祉センターふじしろで7月26日、利用者が手作りする着火剤の材料に役立ててもらおうと、神奈川県川崎市内の葬儀社などでつくる「川崎葬祭具協同組合」が、燃え残ったろうそく約200㌔を寄贈した。

 呼び掛けたのは曹洞宗茨城県宗務所の山﨑孝裕所長(つくばみらい市・瑞原寺住職)。ろうそくが不足していると知り、昨年、施設を訪問。「楽しそうに作業しているのを見て、利用者たちの家族の笑顔が思い浮かんだ。支えになりたい」と協力を決めた。

 県宗務所などの広報誌に援助を求める投稿を掲載すると、永平寺(福井県永平寺町)や總持寺(横浜市鶴見区)の両大本山からも届けられた。

 同組合に働き掛けた曹洞宗大乗院(川崎市中原区)の和田学英住職は、「ちょっとしたきっかけで、ものが生まれ変わる素晴らしい取り組み」と話した。

 この日、藤井信吾・取手市長ら関係者約20人が贈呈式に出席。同組合顧問の橋本勝・川崎市議会議長は「議会でも積極的に応援していきたい」と賛同。同組合理事長の齋藤隆・川崎葬儀社代表取締役は「葬儀などで使用したろうそくはそのとき限りで廃棄する。それがこのように好循環を生み出し喜ばれる。支援を続けたい」と述べた。

 同組合加盟の葬儀社は1年間に、市内の約3割にあたる約3千件の葬儀を執り行っているという。市に許可を得て、今後、火葬場にろうそくの回収ボックスを設置する予定だ。着火剤は茨城県内などのホームセンターで販売。売り上げは利用者の収入となる。

2021/8/5・12日合併号 臨済宗妙心寺派 ハラスメント防止委が発足 相談窓口のあり方検討


初招集の委員会で多角的に検討 臨済宗妙心寺派(野口善敬宗務総長)は7月27日、京都市右京区の宗務本所で第1回ハラスメント防止委員会を開き、委員7氏(うち女性は3氏)への委嘱状手交とハラスメント防止規約案の運用課題の検討を行った。宗務本所でのハラスメント行為の調査と事実認定のあり方から、調停・解決に至るまでの道筋について、規定される具体例を挙げながら議論を深めた。

 ハラスメント防止委員会の委員長に佐竹浩久・妙心寺派人権擁護推進委員長(宮城福島教区・建徳寺)、委員に三品桂子・同副委員長、河合宗徹・前同委員長(京都両丹教区・成徳寺)、橋本和明・花園大学社会福祉学部臨床心理学科教授、秦美香子・同大文学部日本文学科教授、清水勇磨・宗務本所職員、五十川実貴・同職員が就任。任期2年で、妙心寺派人権擁護推進委員長と宗務本所外部の有識者4人(2人以上は女性)、職員組合(養心会)から推薦された者2人(1人以上は女性)で構成されることになっている。

 最初の接点となる相談窓口を、総務部職員1人・同法務部職員1人、花園会館部職員2人が担当。運用上の主な課題として、「相談窓口からどのように事案を上げ、誰がいつハラスメント行為の調査と事実認定を行うのか」が検討された。

 委員の一人は「相談者保護」の観点から、「相談者が何を求めているのか。調査か調停か、話だけ聞いてほしいのか、明確にする必要がある」と提起。規約案では委員会派遣の調停員が委員会招集前にハラスメント行為の事実関係を調査するという流れになっていたが、「調停員2~3人で事実関係を決めていいのか。調停と調査が(案では)ごっちゃになっている。事実を認定してから解決のために調停するというのが順序。ハラスメントの事実の有無の判断は、やはり委員会がすべきではないか」との意見を述べた。

 相談窓口を担当することになる職員は、「窓口は自分の意見を言わずにひたすら聴き、委員長(もしくは委員)にそのまま伝えればよいのか」と質問。窓口担当の職員にかかる精神的なプレッシャーを和らげる面も含めて、「窓口が直接相談に乗るわけではない」など職務範囲が明確に示された。

 相談窓口用の記入式「受付シート」等の試作紙も提示。次回以降も規約案第2条の「宗務本所は、職場における人権侵害行為を許さない」という宣言に則って、多角的に検討を重ねていく方針。

2021/8/5・12日合併号 お寺の戦伝遺産を歩く A級戦犯遺骨の行方㊦ 江戸川区国柱会「妙宗大霊廟」 文京区護国寺「身代地蔵尊」


A級戦犯として死刑に処せられたのは土肥原賢二(元陸軍大将)広田弘毅(元首相)板垣征四郎(元陸軍大将)木村兵太郎(元陸軍大将)松井石根(元陸軍大将)武藤章(元陸軍中将)東條英機(元首相・陸軍大将)の7人。昭和23年(1948)12月23日未明に執行され、その日のうちに横浜・久保山の斎場で荼毘に付された。遺骨は米国の第8軍によって太平洋に撒かれたものの、残骨・遺灰は秘かに運び出された。翌昭和24年(1949)5月、熱海市の興亜観音に落ち着いた。興亜観音では毎年のご供養を欠かさない。

A級戦犯の東條・木村・板垣の遺骨を納める国柱会妙宗大霊廟 東京都江戸川区一之江にある国柱会の妙宗大霊廟。昭和3年(1928)に竣工した霊廟は、近代の合祀墓としては嚆矢に近いだろう。昭和30年(1955)9月、ここに板垣・東條・木村の遺骨が納められた。「大東亜戦争のA級戦犯として、悲運の最後を遂げた七人の遺骨が、昭和三十年に厚生省からそれぞれの遺族へ渡された。東條英機、木村兵太郎両元大将の未亡人は、板垣喜久子夫人の勧めによって、その遺骨を妙宗大霊廟に納鎮することになり、昭和三十年九月二十四日の秋季彼岸大供養会に際し、三霊位一緒に霊廟に納鎮された。因みに巷間A級戦犯の遺骨について憶測されているが、このように国家が正式の手続きをもって、遺族に遺骨は渡されているという事実を明らかにしておきたい」(『国柱会百年史』)

 すなわち妙宗大霊廟の遺骨は、興亜観音のそれとは異なった経緯を辿っている。昭和28年(1953)12月14日、横浜の久保山火葬場でBC級戦犯の遺骨発掘式が行われた。戦犯遺骨は米国第8軍によって海に撒かれたため、本来は存在しない。しかし残りの骨灰が埋められていた(捨てられていた)ことがわかっていた。

 遺骨を53等分

 発掘して集まった遺灰は、BC級戦犯刑死者にあたる53等分された。翌日には東京・護国寺で追弔会が営まれ、遺骨の一部は平和観音(身代地蔵尊)に納骨された(「仏教タイムス」1953年12月15日号)。

 この時に集められた遺骨は、後日(1955年4月)「復員局の一室でひっそり七人のものを引き渡したという」(千葉光則『東京裁判』)。国柱会の記述はこのことを指している。刑死した広田弘毅の生涯を描いた城山三郎著『落日燃ゆ』では、経緯がいささか異なるが、「昭和三十年四月、厚生省引揚援護局は、この骨灰を七等分し、それぞれ白木の箱に納めて、各遺族に引き渡された」とある。ただし広田の遺族は引き取りを断ったという。

護国寺境内にある身代地蔵尊。BC級戦犯の一部遺骨を納めているが、A級戦犯の遺骨も含まれている可能性がある 視点を変えれば、護国寺の身代地蔵尊にもA級戦犯の遺骨が眠っている可能性がある。地蔵尊はスガモプリズンの戦犯教誨師で豊山派僧侶の田嶋隆純(1892~1957、大正大学教授)が発願。昭和28年(1953)2月の涅槃日に建立された。説明石板の題字「身代地蔵尊」は曹洞宗の高階瓏仙管長が揮毫した。

 興亜観音の遺骨は昭和35年(1960)6月、松井石根の出身地である愛知県の三ヶ根山(西尾市東幡豆町)に分骨された。現在、同地には「殉国七士廟」が建つ。

 また長野市には、「前島照定」が建てた「七光無量寿之墓」がある。A級戦犯の骨灰を納めているという(住本利男『占領秘録』)。久保山火葬場の場長だった飛田美善から日本独立後の昭和27年(1952)5月22日、前島に届けられた(同著)。

 飛田は最初の入手に関わっているのは確かだが、長野に届けたのであれば、興亜観音に納めた遺骨とは別に持っていたことになる。この経緯は今後の検証・研究課題となろう。(敬称略)

7月


2021/7/22・29日合併号 仏教タイムス創刊75周年 再録「本紙創刊10年の回顧」「教学新聞の思ひ出」 

 
 弊紙仏教タイムスは7月25日で創刊75周年を迎えた。原爆投下からおよそ1年後の昭和21年(1946)のこの日、常光浩然(1891~1973)によって仏教タイムスは広島で呱々の声をあげた。常光は昭和25年(1950)10月に上京した。昭和27年に開催する第2回世界仏教徒会議日本大会を実行するため、盟友ともいえる中山理々(1895~1981)が強く働きかけたのである。その中山も以前は『教学新聞』を経営していたが、この頃は休刊中で、昭和28年には仏教タイムスに合流した。創刊75年にあたり、創刊10周年時の常光の回顧録と中山の『教学新聞』合流時の原稿を再録する。(一部、改行や句読点を補ったが、ほぼ原文のまま掲載)




常光浩然 再録「本紙創刊10年の回顧」常光浩然
 本年はわが仏教タイムスの創刊十年にあたるので、過ぎし十年の歩みの跡を顧みるとまことに感慨無量なものがある。そもそも本紙創刊の動機は、他の新聞のそれとは、やや趣きを異にしている。それは有史以来人類がかって経験したことのない恐るべき原子爆弾に関連がある。広島市民の大半は、昭和二十年八月六日午前八時一瞬の閃光と共に白骨と化し、あるいはこの世の人とも思えぬ悲惨な形相となり、あるいは幸に負傷を免れたと思って喜んだ者も相ついで原子病の症状が現れて、たちまちにして死亡するというまことに恐ろしい悪魔の洗礼をうけたのである。このような大混乱につづいて、やがて米軍が上陸すれば、鬼畜の如き残虐行為をあえてするであろうという不安が生じ、海岸地帯の人は恐怖のあまり、奥地へ奥地へと避難する人々の群を見るに至った。

昭和30年(1955)7月25日号の回顧録 こういう事態に直面した時、広島県下仏教寺院の有志者の中から、この時こそ仏教家が立ち上って、人心の安定に努力すべきであるという声が盛り上り、それが漸次具体化し、ここに「仏教伝道協会」を打ち建てた。その機関紙として創刊せられたのが、外ならぬわが『仏教タイムス』であった。時に昭和二十一年七月二十五日である。当時の社会の状況は、用紙を手に入れることも、容易なことではなく、また印刷機械も他の大都市の戦災で、なかなか見付からぬ有様であった。かような悪条件の下にあって、よく万難を排して、とにもかくにも毎月刊行をつづけ得たことは、今から思うと奇蹟ともいうべく、全く快心の至りである。

 仏教伝道協会は、講演会、座談会等を各地で開催し、人心の安定をはかると共に童謡、舞踊、仏教浪曲、仏教琵琶、仏教劇、盆踊等、あらゆる情操方面から呼びかけ、手段をつくして沈滞し切った県民に、明るい気持ちを持たせることに努力し、着々業績を挙げ成果をおさめた。時の仏教タイムスはこれを雄弁に物語っている。

 本紙は、戦後五カ年の間、広島県下全般にわたって、あらゆる意味の伝道事業をつづけたのであるが、やがて世の中も落ちついて来るとともに、東京仏教界の有志たちのすすめがあって、昭和二十五年十月、本紙を東京に移し、ひとり広島県下の一地方に限定せず、日本全国に向って、新たに仏教運動を起すことにした。(続きは紙面をご覧ください)





中山理々 再録「教学新聞の思ひ出」中山理々
 『教学新聞』の歴史は古い。大正十二年関東大震災の直後に遡りうるだろう。焼け野原となった浅草の一角に東本願寺の仮本堂が立った。その復興事務局の指揮者としてみえた御連枝大谷瑩潤師が小笠原義雄君に文書伝道として教学新聞を創刊させた。その後大東出版社長として岩野真雄氏が引き受け更に奥田宏雲氏の手に渡って日蓮宗の田中謙秀氏の後援する所となった。然るに昭和十六年の暮、時しも太平洋戦争勃発の直後、私に経営を一任された。私は年の瀬に迫った十二月二十三日に引きつぎ最初の号を出したがそれは第二千三百五十号であった。(続きは紙面をご覧ください)

2021/7/22・29日合併号 大雄山最乗寺参道で土砂崩れ 4県25カ寺に豪雨被害


神奈川県南足柄市の最乗寺で発生した信徒会館前参道の土砂崩れ 活発な梅雨前線の影響で今月、全国各地が記録的な豪雨に見舞われ、曹洞宗では関東・山陰地方4県(神奈川・千葉・鳥取・島根)の25カ寺で土砂崩れなどの被害が確認された。鳥取県倉吉市の大慈寺では土砂崩れで本堂が全壊し、島根県松江市の南正寺では同じく土砂崩れで鎮守堂が破損した。

 神奈川県(神奈川第1宗務所)では南足柄市の大雄山最乗寺のほか、秦野市の2カ寺と小田原市の1カ寺で土砂崩れがあった。千葉県(千葉宗務所)では、鋸南町の日本寺で土砂崩れと倒木があり、鴨川市の1カ寺でも土砂崩れがあった。鳥取県(鳥取宗務所)では大慈寺のほか、鳥取市の1カ寺で境内地に土砂が流入した。

 島根県(島根第2宗務所)では南正寺のほか、出雲市の荘厳寺の屋根が破損。そのほか安来市の4カ寺と松江市の4カ寺、雲南市の3カ寺、飯南町の2カ寺、出雲市の2カ寺の計15カ寺で土砂崩れなどの被害があった。

2021/7/22・29日合併号 宇宙寺院 劫縕寺打ち上げ 醍醐寺で概要を発表


人工衛星のモデルと仲田住職 宇宙から祈りが降り注ぐ―今年2月に開山が発表された宇宙寺院「劫蘊寺(ごううんじ)」(仲田順英住職)の概要が21日に真言宗醍醐派総本山醍醐寺の霊宝館(京都市伏見区)で発表された。この日はアポロ11号が月面に着陸した日。大日如来尊像と両界曼荼羅、それに祈りや供養のデータを搭載した人工衛星は地球の上空1000㌔以下の地点をゆっくりと回転。あらゆる生きとし生けるものの平和と安寧を願う。

 劫蘊寺は人工衛星開発企業の㈱テラスペース(京都市左京区)が開発する超小型衛星(縦20㌢横10㌢高さ30㌢)で、2023年11月の打ち上げに向けて準備を進めている。仲田住職は醍醐寺執行でもあるが、「醍醐派だけでなく広く真言宗、さらには各宗派の方にも共用の宇宙寺院として利用していただきたい」と述べ、宗派を問わず協力寺院を募集することも発表した。

 協力寺院はそれぞれの方法で祈願や供養を行い、映像や音声、戒名、さらには遺伝子情報などを電子データ化する。このデータを劫蘊寺が集積して搭載し打ち上げる。協力寺院の考えや教義にもよるが、ペット供養や人形供養のデータも受け付けられるという。

 テラスペースの北川貞大代表(劫蘊寺責任総代)はデータに偽造不可能な鑑定書を付ける「非代替性トークン」の技術を利用することで「宇宙寺院に載せられたデータが、正式な僧侶によって供養された唯一無二のものであるということが証明できる」と説明。北川氏は「遺骨や遺髪と違ってデータは質量がないので、従来の宇宙散骨などに比べるとお求めやすい価格で宇宙での供養を提供できる」とも話した。

 劫蘊寺の位置・軌道を確認したり、劫蘊寺からの案内が提供されたりする専用アプリも現在開発中。劫蘊寺は未来永劫宇宙に浮かぶわけではなく、5~10年程度で流れ星となり、宇宙の一部になると説明している。

 協力寺院の申し込みは劫蘊寺公式ホームページ(www.gounji.space)から。

2021/7/22・29日合併号 核兵器禁止条約 批准求め長野ネット結成 共同代表者の一人に若麻績敏隆氏就任


結成総会で講演する若麻績住職 日本政府に対し核兵器禁止条約の批准を求めて活動することを目的に「ヒバクシャの願いをつなぐ~核兵器禁止条約をひろげる長野ネット」(長野ネット)が結成され、総会が18日、長野県教育会館(長野市旭町)で開催された。

 2017年3月に結成された「ヒバクシャ国際署名長野県推進連絡会」の後継組織。同連絡会は2020年12月までに26万8563筆を集め、今年1月に「核兵器禁止条約」の発効を機に解消した。長野ネットは日本の同条約の早期批准を求めて署名活動や学習会を行う。結成総会までに22の団体個人が参加を表明。長野県原爆被害者の会の藤森俊希会長や無言館(上田市)の窪島誠一郎館主ら9人が代表世話人を務める。
 
 結成総会の記念講演では代表世話人の一人として名を列ねる善光寺白蓮坊の若麻績敏隆住職が「戦争・ジェンダー・仏教」と題し講演した。

 被爆者の藤森氏が国連で演説した「同じ地獄をどの国のだれにも絶対再現してはならない」という願いと、仏教が説く「怨みは怨みを捨ててこそ止む」の教えが同じ境地にあると指摘。「戦争を始めるのも心、平和を願うのも心」と説示した。

 子どもたちが描く自由画から男女の世界観の違いを考察。男児が乗り物や武器といった「闘争的世界観」、女児が自然物や人間などの「楽園的共生的世界観」を対比させた。男性に「闘争的世界観」があるものの、ブッダやイエスは修行などによって「心の中に共生的世界観を包括した。人間的な完成にむかうに従い統合がおこる」との見方も示した。

 そのうえで「世界の指導者の多くは無意識的に男性の闘争的世界観に依拠して、世界を認識している」とし、政治や意思決定の場に「半分近くは女性が関わっていかないと現状が回復しない。核兵器や環境問題など地球が持たない」と警鐘を鳴らした。

 総会では参加者が核廃絶と平和への思いを共有した。今月31日には長野駅善光寺口で署名活動と街頭宣伝を行う。

2021/7/15 大谷大学 国際学部がJAL・JTBと連携講座 グローカル思考を学ぶ


左から木越学長、JAL京都支店長の安部圭太氏、JTB京都支店長の上山裕之氏 大谷大学(京都市北区)は国際学部の講座として、航空会社大手のJAL、旅行会社大手のJTBと協同した「グローカルキャリア論」を9月からスタートする。観光企業との産学連携は同大で初めて。訪日外国人が増える社会を鑑み、「身の回りの国際化」から多文化共生を実現できる人材育成を目指す。グローカルとは地球規模(グローバル)の視点から地域(ローカル)を考えること。

 グローカルキャリア論は全16回の講義。JALは航空・ホテル・テーマパークなど様々な職種におけるホスピタリティ(おもてなし)やダイバーシティ(多様性)を、客室乗務員が実体験に即しながら教える。JTBは「インバウンドとアウトバウンド」「顧客分析・マーケティング」などを教え、京都の大学生が修学旅行生と一緒に観光する「京都B&Sプログラム」への参加、さらにはシンガポール支店と中継して現場の声を聞く。

 JAL産学連携部の白川和美氏は「どうやって人とコミュニケーションをとってより良い関係を早期に築いていけるのか、これから社会に出ていく学生たちにヒントを感じ取っていただければ」と抱負。JTB京都支店長の上山裕之氏はコロナ禍で旅行業界も人の流れが止まり「トラベル以外の事業をどうやっていくのかを色々トライアルしているところだった」と明かし、共同事業の成功は業界にとってもプラスだと期待した。

 木越康学長は「学生は世界の動きがそのまま自分の生活に大きく影響を与え、自分の行動が他者に大きな影響を与えることを肌で感じている」と話し、グローカルな視点はますます必要になっていることを強調。連携講座で学生たちへの教育ができることを喜んだ。

2021/7/15 世界救世教 熱海土石流災害で後方支援 緊急車両の駐車場提供


3日に土石流があぅた熱海市伊豆山  写真提供=(宗)世界救世教  静岡県熱海市で3日に発生した土石流災害。懸命な捜索活動が続くなか、発災地に近い世界救世教は境内を緊急車両などの駐車場として提供するなどの後方支援を行っている。

 世界救世教は人命尊重と災害救助を最優先に、自治体の要請をうけ、被災地域に隣接する聖地「瑞雲郷」境内地のすべての駐車場を提供した。自衛隊や警察、消防などの緊急車両の駐車場として活用されている。救助隊の休憩所として研修施設も開放。救急作業にあたる消防隊員らに風呂が提供された。

聖地瑞雲郷の境内が緊急車両の駐車場として提供された 写真提供=(宗)世界救世教  瑞雲郷内にあるMOA美術館は発災直後に十数人が一時避難。避難者はその後に自治体が設置した避難所に誘導され無事だった。MOA美術館は8日の木曜日まで臨時休館し、駐車場などの対応をとった。

 広報委員会は「実際に(災害が)起こってみると、何ができるかというよりも、求めに応じることだけですが、できる限りの支援に努めて参りたい」と話した。

 被害のあった伊豆山地域には世界救世教が包括する、いづのめ教団・東方之光の信徒もいるが、建物被害はあったものの、人的被害はなかったという。

2021/7/15 日本禁煙学会 平泉町と2カ寺に抗議書 SDGsに違背 タバコ会社の加熱式喫煙所


 世界遺産で知られる岩手県平泉町が、タバコメーカーのフィリップモリスジャパン合同会社と包括協定を締結し、中尊寺、毛越寺門前の町営駐車場に加熱式タバコ専用喫煙所を寄贈したことに対し、(一社)日本禁煙学会(作田学理事長)は14日、抗議の書簡を二寺一町の関係者に送付。フィリップ社との包括協定の破棄を求めている。

 同学会は加熱式タバコも従来のタバコ製品と同様に有害で、包括協定が「持続可能な開発目標(SDGs)」と、世界保健機関(WHO)が主導する「タバコ規制枠組条約(FCTC)」に違背しており、世界遺産と宗教的権威が狡猾に利用されている、と警鐘を鳴らし注意を喚起している。

 同学会の監事で、禁煙推進活動で知られる、東京・巣鴨のとげぬき地蔵尊高岩寺の来馬明規住職は、「加熱式タバコも、罪なき喫煙者をさらなるニコチン依存に陥れることを意図した製品。国際的な公害産業として悪名高いタバコ会社にだまされたようだ。神社仏閣は一切のタバコ製品を近づけず、タバコ産業と関わらないことが求められる」とコメントしている。

 フィリップ社は「たばこの煙のない平泉町を目指す」プロジェクトを今月1日から始動。中尊寺と毛越寺の町営駐車場に3カ所の加熱式たばこ喫煙所が新設された。

2021/7/15 伝教大師1200年遠忌シリーズ 天台仏教とその展開<番外・人物編②>一隅を照らすと忘己利他に生きた近現代の天台僧 葉上照澄と関口亮共


 【葉上照澄】
 戦後二人目の千日回峰行者として知られる葉上照澄(1903~1989)。その回峰は海外へも及び、イスラームとの対話に先鞭をつけた。

 岡山県の寺に生まれ、地元旧制六高を経て東京帝大に進み、ドイツ哲学を専攻し、哲学者フィヒテについて研究した。卒業後は開学して間もない大正大学の教壇に立った。教え子には後に大正大学学長となる佐藤密雄(鎌倉大仏高徳院)や中村康隆(後に浄土門主)らがいた。しかし日米開戦から間もない時期に大学を辞めて帰郷した。

 1947年比叡山で千日回峰行に入った。マッカーサーが日本の精神年齢は12歳と言ったことを聞き、「もう一度、若い者の教育を建直さなければいかんと考え、それには先ず自分からだ」(葉上著『願心』)と決意。40歳半ばで回峰行を始めたのだった。

 葉上のユニークさはその後である。円覚寺の朝比奈宗源の要請を受けて1975年12月、日本イスラム協会の代表と共にエジプトのカイロへ飛んだ。名門アズハル大学の総長と会見し、来日を促した。翌76年6月に総長は来日し、世界連邦日本宗教委員会主催の第8回大会で講演した。「これがフォーマルには日本宗教者とイスラムとの最初の出会い」と葉上は記す(同)。77年5月にはエジプトのサダト大統領と会談。その時に「照于一隅」の軸を贈り、「ポストにベスト」という意味だと伝えた。(続きは紙面でご覧ください)


 【関口亮共】
 関口亮共(1913~1982)については4年前、布川玲子・伊藤京子編著『教誨師 関口亮共とBC級戦犯』(日本評論社)が出版された。孫の伊藤京子が2015年春、本堂内から発見した「資料」を編集したもので、これにより関口がシンガポールのチャンギー刑務所で戦犯教誨師だったことが知られるようになった。

 関口は川崎大師に近い、明長寺(川崎市)に生まれた。1936年に大正大学を卒業(大学時代、教授だった葉上と出会っている可能性が高い)。地元小学校の教員となり、間もなく召集され中国大陸に渡った。2年後に召集解除となり帰郷した。1943年6月に臨時召集され、シンガポールに派遣され、現地で終戦を迎えた。

 連合国はポツダム宣言で「戰爭犯罪人ニ對シテハ嚴重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ」と明記。BC級裁判では捕虜虐待や人道に対する罪などが問われ、934人が刑死した。

 関口は僧籍を有していたことからチャンギー刑務所の教誨師に選任された。前任は大谷派の松浦覚了、後任は日蓮宗の田中本隆(日淳)である。関口が教誨師として活動したのは1946年5月から翌年3月のシンガポール出港までおよそ10カ月。同著によれば87人を見送った。この数は、他の戦犯教誨師に比しても圧倒的に多い。スガモ刑務所では、A級を含めて刑死者は60人であることからもそれが理解できよう。

 戦犯遺書を収載した『世紀の遺書』をめくると、「昭和21年9月11日」チャンギーでは10人が執行されている。その中に自分より若い人もいた。26歳の憲兵曹長は両親にあてた遺書の中で、「遺髪を送ります。(略)一つは関口と云ふお坊さんに托しました」と記している。(続きは紙面をご覧ください)

2021/7/8 伝教大師1200年遠忌シリーズ 天台仏教とその展開<番外・人物編①>一隅を照らすと忘己利他に生きた近現代の天台僧 半田孝海と山本慈昭


 前号で妙法院門跡の杉谷義純門主が、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が来日(1981)した際に、「己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり」を述べ、これを耳にした山田恵諦天台座主は感激し、宗教協力による平和構築への道を力強く歩み出したことを紹介した。「忘己利他」と共に『山家学生式』には有名な「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」がある。教団運動「一隅を照らす運動」の根源である。

 忘己利他と一隅を照らす――この精神を苦難の中で体現した近現代の天台僧がいる。とりあげるのは、生年順に半田孝海(1886~1974)山本慈昭(1902~1990)葉上照澄(1903~1989)関口亮共(1913~1982)の4人。共通するのは戦争が人生を大きく変えたことである。

半田孝海 【半田孝海】
 半田孝海は、第256世天台座主半田孝淳(1917~2015)の師父に当たる。茨城県水戸市の生まれで、幼少時に長野・別所温泉の常楽寺住職半田義海の養子に入った。旧制七高(鹿児島)卒業後、東京帝国大学に進み、心理学を専攻した。学者の道を志していたものの、養父が病気で倒れ、31歳で常楽寺住職となった。地元ではお寺を中心にさまざまな文化活動を行った。

 終戦は59歳の時だった。その後、長野県俘虜殉難者慰霊実行委員会委員長を務めた。長野県内で強制連行されてダム建設などに従事させられ死亡した中国人が多数いたことに胸を痛め、慰霊や遺骨送還事業に努めた。1964年11月の第9次遺骨送還団で半田孝海は副団長として訪中し、周恩来首相ら要人と会見した。もちろん、日中国交正常化以前である。

 他方、1954年3月1日のビキニ水爆実験は、日本の原水爆禁止運動のきっかけとなり、長野県でも運動が盛り上がった。翌1955年には原水爆禁止署名運動長野県協議会が発足し、県仏教会会長であった孝海は役員の一人となった。同年8月の原水爆禁止世界大会(広島大会)には県の団長として参加した。すなわち最初の世界大会に仏教者として参加したのである。運動が紆余曲折しながらも孝海は原水爆禁止に生涯を賭した。(続きは紙面をご覧ください)

山本慈照 【山本慈昭】
 半田孝海が副団長を務めた第9次遺骨送還団メンバーの1人が山本慈昭であった。山本は「中国残留孤児の父」と呼ばれる。1902年長野県に生まれ、8歳で僧侶の道へ進み、長野・善光寺、比叡山で修行し、叡山学院で学んだ。そこで「一隅を照らす」を教えられた。ハワイ別院を経て1937年、長野県阿智村の長岳寺住職となった。同時に地元国民学校の教員を兼務した。

 本土空襲さなかの1945年5月、学校教員として「阿智郷開拓団」に加わり、妻と4歳と1歳の幼い娘と共に渡満した。当初は固辞したが、有力者から何度も説得されての決心だった。満州に渡り3カ月後、ソ連軍が侵攻。満蒙には27万の開拓団員がいたが、8万人が犠牲になった。慈昭はシベリアに抑留された。待っていたのは厳寒の中での過酷な労働であった。

 2年後に帰国できたものの、家族の死亡と開拓団のほとんど全滅が知らされた(最近の資料では、約190人の団員のうち、帰国できたのは47人とされる)。慈昭は開拓団家庭をまわり状況を調べた。それは「阿智村・満州死没者名簿」としてまとめられた。また中国人労働者が長野県内で犠牲となっていることも初めて知った。関係者から中国人の遺骨と位牌を託され、1964年の第9次遺骨送還団のメンバーとなり、周恩来首相と会見することもできた。

 その後、中国に残された日本人孤児から手紙が届いたのが契機となり、日本人孤児の帰国事業に着手。1970年にNHKの協力で日本語と中国語で活動が紹介されると大きな反響があり、日中両国から多くの手紙が届いた。

長女と再会
 日中国交正常化の翌1973年には「日中友好手をつなぐ会」が結成され、慈昭は会長に就くが、運動は私財を投じてだった。この年に一人の孤児が帰国できることとなり、母との再会がかなった。以降、多くの孤児が肉親と涙の再会を果たした。(続きは紙面をご覧ください)

2021/7/8 善通寺派宗会 開運商法 勝訴を報告 詐欺グループ警戒呼びかけも


 真言宗善通寺派(齋藤弘道宗務総長)の第117次臨時宗会(生駒琢一議長)が6月25日、香川県善通寺市の総本山善通寺内宗務庁に招集された。宗費未納寺院への対応強化による不活動法人対策と、宗派の勝訴で終結した開運商法詐欺事件の再発防止について議論を深めた。

 岡山県内の所属寺院(昨年3月に宗派離脱)が開運商法詐欺に関与していた事件で、包括法人である善通寺派の監督責任も問われた民事裁判について、福原昌文総務部長が報告。「末寺のしたことで本山の責任が問われた今回の裁判は、宗派でも全日本仏教会でも初めてのこと。裁判の結果によっては各宗派の本山に波及してしまうため、和解ではなく完全勝訴でなければならないと思って裁判に臨んだ」とし、「完全勝訴で3月31日に結審した」と説明した。

 福原総務部長は、「被告とされた住職は『自分も(詐欺グループに)言葉巧みに騙されていた。自分は加持祈祷を一生懸命しただけ』と言っていた。だが、5600万円もの損害賠償を命じられる結果になった」と慨嘆。全所属寺院に、寺院を狙う詐欺グループへの警戒を怠らないよう呼びかけた。

 東京地裁で4年以上続いたが、議員からは同様の裁判の再発を危惧する声も。「宗派の勝訴だけでなく、末寺を救済する」(生駒議長)観点から危機意識を共有した。

 神野元道議員(愛媛県東温市・医王寺)は、「本山が宗費未納寺院の運営実態を確認する」必要性を提起。「不活動でも法人格は生きている。本山が確認していないと、そこを狙われる」と憂慮した。

 齋藤総長は、「不活動でも解散しない限り、法人は生き続ける」と指摘。「各支所と連携して把握していく」考えを示した。(続きは紙面をご覧ください)

2021/7/8 駒澤大学 元気だして!学生に食品配布 コロナ禍で3千人分 企業も協賛

声をかけながら学生に食料品を手渡した各務学長 新型コロナウイルスの影響で食に困る学生を支援しようと、駒澤大学(各務洋子学長)は5日、東京都世田谷区の駒沢キャンパスで食料品を無料配布した。米や水など約3千人分を用意し、カルビーや敷島製パンなど協賛企業からも食品が無償提供された。

 コロナ禍を受け実施する食支援プロジェクトの第2弾。前回は5月に、災害発生時用の備蓄品のうち、食品ロス削減につなげる意味も込め、賞味期限が近いカレーライス6千食を配った。

 今回は開催にあたり、東日本大震災の被災地支援も兼ねて福島県産の米(1合、約3千袋)とペットボトルの水(約2千本)を購入。ほかにも同大附属苫小牧高所在地の北海道苫小牧市のご当地カレー「ほっきカレー」(約2千個)などを準備した。

 さらに協力を依頼したカルビーや敷島製パン、全国包装米飯協会から賛同を得て、人気のグラノーラ(2種、計4千袋)や食パン(3枚入り1千袋)、パックご飯(1人3パック、3千人分)が無償提供された。

 会場の記念講堂では、入学・卒業式でのみ開帳される一仏両祖が出迎えた。学生たちは入り口でQRコードを読み取り、経済的な困窮があるかなどの簡単なアンケートに回答。昼休みになると大勢が列をつくった。

 職員にまじって声をかけながら食料品を手渡した各務学長は、「少しでも元気になってほしいとエールを送る気持ちでしたが、『おいしいものが食べられて、うれしい』といった学生の声を聞いて、反対に元気づけられました」。福島県出身の学生も多いといい、「今年で震災発生から10年の節目。こうした形ですが、改めて応援する思いを大学全体で共有できたら」と語った。

 一人暮らしをする経営学部の学生(18)はコロナ禍でバイトの収入が減っているといい、「仕送りを頼むのも申し訳ない。食費を抑えているので、助かります」と話した。

 同大では現在、履修者数によってはオンラインの授業も行っていて、1日に登校するおおよその学生数に合わせて食料品を準備。配布は9日までで、先着順とした。

 食支援プロジェクトは継続して実施する予定で、協賛企業・団体を募集している。担当者によると、日本学生支援機構の修学支援制度を利用した昨年度の学生・大学院生数は給付型が700人以上で、貸与型はのべ計約4500人だった。今年度の利用者は昨年度よりも増えているという。

2021/7/8 お寺の戦伝遺産を歩く12 宇治市靖国寺 靖国神社からの分霊祀る 〝勤王僧〟中井祖門が建立


分霊を受けた戦没者240万人余の霊璽簿と祖英東堂 京都府宇治市の曹洞宗靖国寺(中井英生住職)は、靖国神社から分霊を受けた戦没者を祀る、存在そのものが戦伝遺産という寺院だ。その経緯に触れるには、まず開基和尚である中井祖門(1880~1964)の生涯を知らなければならない。祖門の晩年の弟子である中井祖英東堂(82)は、戦災孤児だった自分を引き取り養子にした師僧に深い感謝を示し、語った。
     
 祖門は明治13年(1880)、奈良県北部の川西村の農家の次男として生まれた。幼名は吉井音次郎。13歳の時に大阪に家出したが、数年で母親に発見され連れ戻される。しかしその後ほどなく母は死去する。

 16歳の時、再び大阪に出て難波の多聞院の住職・中井祖峰に巡り合う。「母を亡くした懺悔の心があり、菩提を弔わねばと考えていたため、一番弟子となりました」。こうして養子となり中井祖門と改名。宇治の興聖寺で3年間安居した後、28歳で永平寺への上山を願い出るが安居者が多かったため、しばらく近くの吉峰寺を再興した田中仏心の下に就いてから本山に安居した。

 祖峰の求めに応じ帰山するが、「破れ寺でもいいから再興して、自分の力で寺を作りたい」と相談すると、八幡市の常昌庵という廃寺寸前のお堂を勧められ、托鉢の浄財で再興を成し遂げる。

 祖門はもう一つの目標に向かって動き出す。「祖門師は明治維新の志士を尊敬する心がとても強かった。自らを『勤王僧』と称していたほどでした」。志士だけでなく、戦没軍人や殉職警官など国家功労者を弔う寺の建立を発願したのが昭和2年(1927)の秋。「国家を挙げての運動にしなければならない」との思いから上京し、時の内閣総理大臣・田中義一に直談判する。

 一禅僧が総理とのコネクションをどう掴んだのかは謎だが、祖英東堂は「おそらくこの辺りの衆議院議員の紹介があったのでは」と推測する。祖門の影響力は政界にも及んでいたのだろうか。

 田中総理は国家支援には難色を示すが、祖門が提案した賛同者千人名簿には真っ先に署名。この千人名簿を基に「大日本勤王護国会」が結成される。会主は祖門で、会長に公爵・海軍大佐の一条実孝を迎え、軍人や華族から支持を集めた。

 宇治町から町有山林3万6千坪の無償貸与を受けたのが昭和9年秋。堂宇は少しずつ作られていったが、祖門が高階瓏仙(後に永平寺貫首、曹洞宗管長)の後を受け海外の軍人慰問に出たことや、戦争の激化もあり、当初の予定からは規模を縮小せざるを得なかった。昭和19年、高階を開山に迎え、正式に靖国寺が誕生した。この経緯から「永平寺御直末」となっている。

憲兵隊長の来訪
 この「靖国寺」の寺号について、祖英東堂は秘話を明かす。戦時中のある夜、建設中の靖国寺に憲兵隊長が刀を持って来訪し、差し違える覚悟で「靖国寺と名乗ることは絶対にやめてほしい」と訴えてきたという。国家施設の靖国神社と同じ名をつけるのは許されないということだった。(続きは紙面をご覧ください)

2021/7/1 安来市清水寺 島根大会100日前法要営む 大会円成とコロナ終息願い 


1400年の歴史を持つ安来市の清水寺で執り行われた100日前法要 第45回全日本仏教徒会議島根大会の無事円成と新型コロナの早期終息を願って大会開催100日前法要が6月24日、安来市の天台宗清水寺で島根県仏教会及び全日本仏教会(全日仏)の役員が出仕して営まれた。

 晴天のもと、出仕者は各宗派の衣をまとって庫裏から本堂へとお練り。導師は島根県大会会長で全日仏副会長の清水谷善圭氏が務めた。表白では昨年10月2・3両日に開催予定だった大会がコロナ禍のため今年10月2日に変更となったことを述べつつ、「実行委員会一同は『必ず成功させたい』との願い強く、鋭意準備に怠りなし。大会100日前に当たり、大会実行委員会の決意を新たにするとともに、御仏の御加護を祈るため、此処に結集す」と表明。

 重ねて「混乱の世界に平和をもたらし、一刻も早く新型コロナウイルス感染を鎮めたまえ。重ねて本年10月2日開催予定の第45回全日本仏教徒会議島根大会の無事円成を守護したまえ」と力強く宣言した。

 法要後、清水谷大会会長は、「とても良い天気に恵まれ、 10月2日を彷彿させそうです。おそらく対面で本願寺派ご門主の大谷光淳(全日仏)会長をお迎えして実施できそうな気がしている。 実行委員会、関係者の皆さん、これを機会にさらに準備に力を込めて邁進していただきますようお願いいたします」と挨拶した。

 全日仏の木全和博事務総長は、これまで実行委員会との打ち合わせがオンラインであったことから、「対面でお話しするのは初めて」と安堵したように口を開いた。さらにコロナ禍の大会になることから、「どのような大会を迎えるかについては、大会会長はじめ実行委員会の皆さま、県仏教会の皆さまに本当にお知恵を出していただき、大会円成に向けて細部にわたりご計画いただいていることに感謝申し上げる」とねぎらった。

 そして、コロナ禍で社会の価値観が変わろうとしているとしながら、「われわれ仏教徒は、仏の教えという確かな立脚地をいただいている。そういうことをぜひ島根大会で世界に向けて発信をしていただければと思う」と期待した。

 島根大会は「仏の心を稽古する―異文化理解と共存」をテーマに10月2日午後1時から、島根県民会館(松江市)で開催。大谷光淳会長を導師に世界平和を願う法要を営むほか、テーマに即して釈徹宗氏(相愛大学教授)による記念講演などが行われる。

 会場には坐禅や写経などの体験コーナー、出雲神仏霊場会のお砂踏みコーナー、不昧流茶席コーナーが設けられる。

2021/7/1 国際葬儀連盟50周年大会・全葬連65周年大会 葬送儀礼文化の世界遺産目指す 


横浜市内のホテルで行われた国際葬儀連盟と全葬連の大会。オンラインを併用して実施された 世界88カ国・地域が加盟する国際葬儀連盟(FIAT-IFTA)の創立50周年記念大会と全日本葬祭業協同組合連合会(全葬連)創立65周年記念全国(神奈川)大会が6月23日、横浜市内のホテルでオンラインを併用して開催された。世界的に猛威を振るう新型コロナウイルス感染症に苦慮しつつも臨機応変に対処している状況が各国から報告された。また共同宣言では、葬送儀礼文化をユネスコの世界無形文化遺産への登録を目指す取り組みが盛り込まれた。

 コロナ禍のため1年延期となった大会。FIAT-IFTAの北島廣会長は「私たち葬祭専門者は、新型コロナに罹患された個人や遺族に寄り添う存在として携わっている。全世界で懸命に対応している葬儀業界のメンバーに深く敬意を表する」と世界に感謝のメッセージを発した。

 世界大会実行委員長の石井時明・全葬連会長も「地球規模でのコロナ禍、世界のあらゆるところでわれわれの同業者、仲間たちが危険を顧みず使命を果たしている姿勢に誇りと感謝でいっぱいである」とエールを送った。

 来賓祝辞では、彬子女王殿下が新型コロナで亡くなった人たちに追悼の言葉を述べた。また挽歌に込められた「哀」の意味を繙きながら、「死者を弔う儀式をするのは地球上で人類だけです。どんな人種、どんな民族にもかかわらず、『哀』の感情を制御するのは共通して難しいもの」と述べつつ、葬儀文化の大切さを話した。

 各国からの葬儀事情報告ではコロナ禍の対応から最近の環境に配慮した火葬などが提起された。

 ドイツの法制度について述べたステファン・ヌーサー氏は、16の連邦州がそれぞれ独自の葬儀法を有しているが、基本は同じだとした。異なるのは施行の仕方だが、「コロナ死者の扱いに関して各州が個別に葬儀の方策を定め、異なるガイドラインを出した。その結果、業界は混乱。厳格な規制が葬儀の準備に影響を与えた時には、遺族の怒りも勝った」と振り返った。

 今日では火葬率が上昇し、全ての州で50%を超えている。しかし「亡くなった人の遺灰を分けることはドイツの法律で禁止されている。これは犯罪だと考えられている」。今では国をまたいだ骨壺の移動の必要性から、法律の見直しについて国会議員と話し合っていると報告した。

 ベルギーでは、コロナ禍以降、火葬率がアップし、「財政的な理由で火葬のみを求める家族が増え、儀式的な要素が減った。この傾向が新しい定番となっている」と日本と同様の簡素化を指摘。離れた場所への動画配信なども行われ、今後も続くだろうと述べた。

 イギリスでは新型コロナ後に成立した法律により、規定以上の会葬者があったため罰金を科せられた事例が報告された。アメリカではパンデミック初期に最も打撃を受けた地域へボランティアのために870人近い葬儀専門家を採用し、葬儀業者や検視官を支援した。

 ブラジルでは遺灰を納めた骨壺を安置して屋内でキリスト教式のお別れが行われていることが紹介された。さらに遺灰引き渡しの際に行われる鳩のリリース(日本で言う放生)が、最近の研究で遺族の肉体的・感情的な健康の一助になっていると報告。「約1分間上空を見るという単純な動きが、神経システムに刺激を与え、血圧を下げることで、リラックスさせ呼吸速度を落とすことにつながる。鳩の飛行に合わせた首の動きも緊張緩和の助けとなる」と解説した。

 他方、世界的な関心事である環境意識や持続可能な開発と遺体処理についてベルギーのトム・ウッテンバー氏が話した。天然ガスを使用した火葬炉ではなく、二酸化炭素を排出しない電気炉や、バイオ水葬とされるリソメーションについて説明した。リソメーションでは、遺体を専用機械に入れ、水とカリウムが加えられる。遺体を溶かしてお骨だけを残す。「排気ガスを出さず、無菌で安全」とし、残液は地表に流したり、墓地に転用したりできる。

 国際葬儀連盟と全葬連の両大会からなる共同宣言では、「葬儀は世界の全人類が生涯を終える時に必ず行う儀式です」と原点を確認し、「各国の歴史と伝統に育まれてきた葬送儀礼文化を、ユネスコの世界無形遺産へ登録することで弔いの文化を次世代へ受け継ぐ」といった5項目の具体的取り組みを表明した。

 なお国際葬儀連盟の北島会長は今大会で退任し、新会長にポーランドのマーク・シェシュウィック氏が就任。世界大会は2024年の予定。

 また国内大会は、来年10月18日、秋田県で行われる。

2021/7/1 具志堅氏が再びハンスト 遺骨残る土砂使用は国際問題


政府に断念を求めてハンストした具志堅氏(6月20日、平和祈念公園、上田慶司氏提供) 沖縄県名護市辺野古の米新基地建設工事に、沖縄戦の戦没者の遺骨が残る本島南部の土砂を使う計画に反対し、ハンガーストライキを行った沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」の具志堅隆松代表が6月22日、同県糸満市の平和祈念公園からオンラインで記者会見した。具志堅氏は「戦没者は日本人だけでない。国際問題だ」と訴え、政府に計画の断念を求めた。

 具志堅氏がハンストをするのは今年に入って2回目。沖縄戦の犠牲者らを悼む6月23日の「慰霊の日」直前の19日から県庁前(那覇市)で始め、21~23日に平和祈念公園に場所を移し5日間にわたり実施。埋め立てに使う土砂を本島南部から採取する政府の設計変更申請を承認しないよう県に求めるとともに、不承認とする理由に「人道的に許されない」と盛り込むべきだと訴えた。

 この日記者会見した具志堅氏は、沖縄戦では動員された朝鮮半島・台湾出身者や米兵も亡くなり、行方不明者もまだ多いと強調。現在、国が進める戦没者の遺骨のDNA鑑定に国内外を問わず参加してほしいと述べ、「遺族にはその権利がある」と語った。

 6月3日の参院外交防衛委で、本島南部に米兵の遺骨が残る可能性を政府が認めたことを挙げ、「国内だけの問題でない。国際問題だ」と主張。「遺骨を助けたい思いはどの国も一緒。戦没者の尊厳を守るためにともに声を上げるべきだ」と力を込め、参加した国内外のメディアに呼び掛けた。(続は紙面をご覧ください)



官邸前でハンスト行動をした土屋氏 平和ネット 都内で連帯集会 尼僧、官邸前で座りこみ
 前日の22日正午から、真宗佛光寺派僧侶の土屋和葉氏(59)は数人の支援者とともに首相官邸前でハンスト行動による座り込みを行った。

 ハンスト行動開始時に黙祷した後、「遺骨を含む土砂を基地建設に使わないこと」「戦没者の遺骨を国家の責任で収集し遺族に返還すること」などを要請する決意表明を読み上げた。

 参議院会館での集会にも参加した土屋氏は「夜中はロウソクを点けて、位牌を前に戦争を起こさないと決意を新たにしました。平和のために宗教者がまず伽藍から外に出て、一歩前に出なければいけない」と宗教者には、もっと関心をもってもらいたいと話した。

2021/7/1 伝教大師1200年遠忌シリーズ 天台仏教とその展開<諸宗教編②>
宗教サミットにみる宗教協力と宗教間対話 今こそ求められる忘己利他 杉谷義純(妙法院門跡門主)

 
比叡山宗教サミット30周年を記念して各国の宗教指導者が集い、平和の祈りを捧げた(2017年8月) 早いもので明年は「比叡山宗教サミット」35周年を迎える。諸宗教による平和の祈りが毎年比叡山上で開催されるのは、やはり伝教大師の宗風によるところが大きい。

 まず天台宗の開宗については、伝教大師が中国から帰朝した頃には、すでに日本には法相宗など南都六宗といわれる六つの仏教宗派が伝えられていた。しかしそのうち活動していたのは法相と三論の二宗のみであったので、伝教大師は他の四宗に天台宗を加え、七宗で手を携えて共に多くの人々を救いたいと、朝廷に願い出たのであった。

 そこではじめて天台宗は公認されるのであるが、その仏教は法華一乗を根本理念とするものであった。その教えは、智慧で相手を論破折伏する「破折の法華」ではなく、慈悲で相手を救いとる「融摂の法華」であった。伝教大師は法華一乗をいうが、法華経のみに依るのではなく、釈尊一代の説経はすべて真理が宿っており、それらを含んで三種の法華経とする教義を打ち立てた。さらにこれらを解決するのに「開会(かいえ)」の思想といって、いろいろな教理を切り捨てるのではなく、それらを包摂、止揚する立場をとった。

 従って比叡山から各宗の祖師たちが輩出されたことも、その後、天台宗が天台宗としてその命脈を保持してきていることも理解できるのである。そのうえ、そこには色々な宗派、宗教と対話が可能な素地も有しており、諸宗教間対話という現代的側面も内包していたともいえる。

 一方、伝教大師は天台仏教の実践者として菩薩を中心においた。その基本精神は慈悲と利他である。それを端的に次のように表現している。

 「悪事を己に向かえ、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり」(山家学生式)

 実はこの伝教大師の言葉に感銘を受けたヨハネ・パウロ二世ローマ教皇は、1981年に来日した時、日本の宗教代表をバチカン大使館に招き、この言葉を引用して宗教協力の重要性を訴えたのである。その席に招かれた山田恵諦天台座主は、教皇のスピーチに感激を覚えたと同時に、大きな責任を感じたという。
(続きは紙面でご覧下さい)