2026/2/19
東京都教誨師会設立70周年式典
先人の熱意と献身に感謝 希望の光すべての人々に
70周年式典の追悼式で来賓が献花した 昭和30年(1955)に設立され、昨年70周年を迎えた東京都教誨師会(田澤衛会長=府中刑務所所属、浄土真宗本願寺派)が13日、東京都港区の東京グランドホテルで設立70周年式典を開催した。教誨の理念を深め広げてきた先人を追悼すると共に、教誨を通した社会貢献への決意を新たにした。
同会会員52人、来賓として関東管区の各県教誨師会や都内施設の代表25人が出席した。
式典は初めに追悼式を執り行い、国歌斉唱に続いて田澤衛会長(浄土真宗本願寺派、府中刑務所)が挨拶。「神や仏など決して変わることがない大きなお働きをいただき、その支えによって、私たちは歩んでいる。もう一つの視点から私たちが被収容者に接していくことで、法を破り、罪を犯した人々が自らの心に向き合い、一日一日をしっかり歩んでいけるお手伝いをすることこそが教誨師の役割」と使命を確認し、「施設の方々と協力し合い、多くの仲間である教誨師の皆様と研鑽を深め、先人に感謝を申し上げ、新たに教誨師になる方々が活躍いただける。70年がその機縁になれば有り難い」と呼びかけた。
追悼文を野口眞澄氏(日蓮宗、東日本成人矯正医療センター)が奉読。70年の歩みを通して「罪を償う者たちに、弛むことなく真摯に向き合い、一人ひとりの心の声に耳を傾け、人生の再出発を支えてこられた。その熱意と献身こそが、教誨の理念を深め広めていく礎となっており、私たちの誇りとするところです」と先人たちの遺徳を偲んだ。そのうえで組織の意義として「連携の力」「個人では得難い学びの場があること」「情報発信の重要性」をあげながら、「これからも希望の光を求める全ての人々に寄り添っていけますよう努めてまいります」と結んだ。(続きは紙面でご覧ください)
2026/2/19
武蔵野大学 国際データサイエンス学部新設
記者発表で意見を交わした清木、紣川、小西、浅岡の各氏(左から) 浄土真宗本願寺派の宗門関係校・武蔵野大は2026年4月、通信教育部に「国際データサイエンス学部」を新設する。東京都江東区の有明キャンパスで1月27日に記者発表があり、デジタル技術を活用した地方創生の推進に対する通信教育の強みをアピールした。
同大は2019年に私立大として初めてデータサイエンス学部を開設し、デジタル技術の革新が進む社会の要請に先んじて対応。通信制の新学部もほぼ共通のカリキュラムで、通学生と一緒に参加することもできる「ハイブリッド型学修」が特徴だ。機械翻訳を備えた多言語システムを用いて海外の大学と連携した授業も行われ、世界で活躍する人材の育成を目指す。
対面参加が可能なゼミ形式の「未来創造プロジェクト」では、学生自身が住む地域の課題解決などに取り組む。地元の問題がほかの多くの地域に共通のグローバルな社会課題でもあることを視野に入れ、地域活性化の推進にデジタル技術が果たす可能性を学ぶ。
記者発表ではトークセッションが行われ、新学部への期待が語られた。新学部の学部長に就任予定の清木康・データサイエンス学部長は「居住地にいながら、その地域の問題に取り組めることが最大のアドバンテージだ」と通信制の意義を強調した。
地方創生支援官として全国の自治体支援に携わるデジタル庁の浅岡孝充参事官は、地方の課題は現地に行かなければ分からないとの経験を振り返り、「地域で課題を共有する人たちがデータサイエンスを学び、DXを実践していくことは大きな意味がある」と話した。
アマゾンジャパンでバイスプレジデントを務めた紣川謙・データサイエンス学部客員教授は、高齢化社会や過疎化など共通した課題が各地域に見られると指摘。「局所的な課題解決からスタートしたことが、グローバルな課題を解決する可能性がある」と語った。
小西聖子学長はデジタル技術が広がった社会では、「問いを立てる能力が非常に大事になる」と考えを述べ、そうした力を養うために体験を重視した教育に力を入れていく方向性を示した。
2026/2/16
悲願の本堂建立に着手 和歌山県橋本市 妙楽寺
檀家ゼロ 地区の力を結集/経費圧縮 昨秋地鎮祭
基礎ができた新本堂の前に立つ岩西住職(1月24日) 大雨被害と老朽化で失われた本堂の再建を目指してきた高野山麓・和歌山県橋本市東家(とうげ)の真言律宗妙楽寺(岩西彰真住職)で、悲願の新本堂建立工事が始まった。経費を大幅に抑えるため、当初想定していた本格的な寺院建築ではなく、一般住宅の工法を選択。岩西住職(47)は、「十数年間、本堂再建のために尽力してくださっている役員さんたちも高齢になってきた。皆さんに早く喜んでいただきたい」と話す。
平成23年10月の大雨で老朽化が進んでいた本堂の屋根が崩落し、翌年取り壊しに。だが妙楽寺は、檀家ゼロ軒の信者寺。そこで岩西住職は信徒でもある住民有志と本堂再建・伽藍再興を発願し、地元東家地区を毎年回る歳末托鉢を始めた。
托鉢の目的は、各家の除災招福を祈願しながら妙楽寺の活動を知ってもらうこと。さらに今では、空き家が増えて独居や高齢世帯も多くなった地区の見守りも兼ねた交流活動になっている。高野山真言宗総本山金剛峯寺に勤務する岩西住職は、母親の康子さんの協力を得て誰もが参加しやすい行事を開くなど、自坊活性化の工夫を重ねてきた。
令和4年7月に、境内を囲む土地(旧農地)を地元の地主から「奉納に近い値段で購入」(岩西住職)。まず、道路に接する参道と駐車場を作った。
境内裏の広大な敷地には一昨年10月、「百八十八ヶ所お砂踏み霊場」を開創。地区内外から多くの札所石柱の奉納を受け、「四国八十八ヶ所」「西国三十三ヶ所」「紀伊西国三十三ヶ所」「嵯峨天皇勅願寺三十四ヶ所」が一度に巡れる「日本一の霊場」が完成した。(続きは紙面でご覧下さい)
2026/2/12
臨済宗妙心寺派無住寺院対策委 解散補助金180万円超を検討
少ない尼僧 育成策を提言
答申書を野口宗務総長に手渡す樋口委員長(左) 臨済宗妙心寺派の令和7年度無住寺院対策委員会(樋口顕龍委員長)が1月26日に京都市右京区の宗務本所で開催された。同派の特徴的な制度「寺院解散補助金」について2カ寺から宗務本所に申請があり、その実情を検討。また宗門活性化推進局と総務部が解散を検討している寺院を視察した状況も報告された。
今年度寺院解散補助金の申請があったのは岐阜西教区の千手寺と三重教区の平安寺で、いずれも申請人は兼務住職。千手寺は被兼務寺院となって久しく、宗教活動を行うのが憚られるほど庫裡兼本堂の老朽化が進んでおり、梁が折れて屋根が落ちている危険な状況。檀家も少なく、新築はおろか改修することも不可能であり解散を決定した。残余財産だけでは解体費用の捻出が不可能であり、同教区の兼務住職の自坊が多大な負担をすることになるため、150万円の補助金を申請することになったという。今後、岐阜県に合併による解散の認証申請を行う見通し。
平安寺も被兼務寺院になってから久しく、檀家もなければ法要もない寺院だった。同教区の兼務住職が普段の維持管理費用をすべて負担してきたため預貯金はゼロ。官報公告や登記手続きなどにかかった諸費用約32万円を申請した。土地を解体業者に譲渡し建物の解体費用を相殺する形を取っている。なお、すでに三重県からの解散認証は受けている。2カ寺ともやむを得ない事情があるとして適当な申請であると委員会は野口善敬宗務総長に答申した。(続きは紙面でご覧ください)
2026/2/12
全日仏青 佐賀関大火災を見舞う 大分県庁と地元仏教会に義援金
県庁担当者に目録を手渡した全日仏青役員(全日仏青提供) 昨年11月に発生した大分市佐賀関の大火災は死者1名、被災家屋194棟の甚大な被害となっており、復興は緒についたばかり。その支援のため全日本仏教青年会(全日仏青)は1月28日、加盟団体が托鉢した義援金を県庁と被災寺院に届けた。来馬司龍理事長、瀧藤康教救援委員長ら7人の役員が現地を訪れ、被害状況を視察。復興まで長い時間がかかりそうなことを確認すると共に、息の長い支援活動を展望している。
全日仏青は大火災発生後から情報収集し、県庁や赤十字等の義援金受け入れの締切が12月中旬となっていたことで12月11日に救援基金から10万円を拠出して義援金として県庁に送った。瀧藤氏によると「その後、本当はボランティアに行きたかった。だが、状況を確認する限り素人の我々では手が付けられない状況」であり、加盟団体に托鉢を呼びかけて現地に直接届けることを提案。約70万円の浄財が集まった。
28日にはこのうち、県庁に50万円を目録として手渡した(先行送金分と合わせて計60万円)。県庁担当者は深く感謝。全国からの義援金を公平に配分する委員会を設置し、全焼被災者には1世帯に280万円が支給されることや、2年後をめどに復興のための集合住宅を建設する予定などの説明があった。(続きは紙面でご覧ください)
2026/2/12
節分会スケッチ 高幡不動尊金剛寺 キティちゃんに大歓声
福豆をまくキティちゃん 東京・日野市の真言宗智山派別格本山高幡不動尊金剛寺(杉田純一貫主)では3日、午前2回と午後3回にわたって「節分豆撒式」を行った。
暖かな陽光のもと、境内を年男年女がお練り行列。この日のゲスト、俳優の菊川怜さん、寺泉憲さん、ミュージシャンのつのだ☆ひろさんらもこの列に加わり、集まった参拝者に福豆を手渡しながら練り歩いた。
不動堂では杉田貫主を導師に法要を厳修。その後、宝輪閣2階からゲスト陣やはかま姿の年男と年女、日野市の古賀壮志市長らが「福は内!」の掛け声と共に福豆をまいた。大人気のサンリオキャラクターのキティちゃんが登場すると老若男女から「キティちゃーん!」の大きな歓声。「お子様優先位置」が設けられ、近隣の園児たちも訪れた。
2026/2/12
築地本願寺×仏教伝道協会
新パイプオルガンでニューイヤーコンサート 満員の1100人が来場
新しいパイプオルガンで初となるコンサートは満席となった 東京都中央区の浄土真宗本願寺派築地本願寺で1月30日、ニューイヤーコンサートが行われ、昨年上納された新しいパイプオルガンがクラシックや仏教讃歌が奏でられた。昼の部は1100人が訪れ、立ち見で本堂が一杯となった。
1970年に(公財)仏教伝道協会が仏教音楽の振興と芸術文化の発信のために同寺にパイプオルガンを寄贈し、以来、音楽礼拝やランチタイムコンサート等が行われてきたが、老朽化に伴って二代目となるパイプオルガンが昨年11月に上納された。ニューイヤーコンサ―トは同会と築地本願寺が共催し、昼・夜の2回行われた。昼の部は1100人、夜の部も321人が来場し、新たなオルガンの音色を楽しんだ。
コンサートの第一部は「トッカータとフーガ」(J・S・バッハ)や「ソワソン大聖堂のカリヨンの主題によるフーガ」(M・デュルフレ)などのクラシック、第二部は一転して「ドラゴンクエスト」やジブリ作品などのアニメやゲーム音楽。第三部は組曲〈浄土讃〉から「仏説無量寿経讃」「慶ばしいかな」をはじめ、「弥陀の名号となえつつ」「ひかりあふれて」「散華」といった仏教讃歌を、声楽家の安藤常光さん、米山茉莉子さん、築地本願寺合唱団楽友会の歌とオルガンの音色で響かせた。
コンサートに先立ち、パイプオルガンを上納した仏教伝道協会に対して感謝状と記念品が贈呈された。記念品は初代オルガンのパイプ18本を並べたモニュメント。
2026/2/9
宗教2世訴訟/原告が意見陳述
「人間の尊厳」剥奪された 弁護士 親も子も統一教会の被害者
公判後、記者会見する全国統一教会被害対策弁護団。前列中央が村越進弁護団長 宗教2世8人が昨年7月、旧統一教会(現世界平和統一家庭連合、東京都渋谷区)に対して約3億2千万円の損害賠償を求めて東京地方裁判所に提訴。その第1回口頭弁論が1月28日に行われ、原告の1人である野浪行彦氏が意見陳述し、「人間としての尊厳」が生まれつき剥奪されてきたと訴えた。原告代理人の久保内浩嗣弁護士も教団の人権侵害や不法行為を認めるよう主張した。
東京地裁103号法廷。正面に裁判長と左右陪席の裁判官3人。原告と20人余りの弁護団が左側に陣取るも、被告の旧統一教会側からは1人の出廷もなかった。傍聴席には20代と思われる若い人たちの姿もあった。(続きは紙面でご覧下さい)
2026/2/5
WCRP日本委員会理事会・評議員会 タスクフォース3部門に再編
平和構築 持続可能な開発 人道支援
理事会で挨拶する戸松理事長(正面左から2人目) (公財)世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会(杉谷義純会長、戸松義晴理事長)は1月29日、東京・杉並の立正佼成会法輪閣で理事会と評議員会をオンラインを併用して相次いで開き、4月からの新年度事業や予算案などを審議。活動部門である5つのタスクフォースを3つに再編することが決まった。また創設50周年を迎えるACRP(アジア宗教者平和会議)は11月にシンガポールで第10回大会を開催し、期間中の11月25日に記念式典を挙行すると報告した。(続きは紙面でご覧下さい)
次年度資産運用 1060万円の利益見込む
理事会・評議員会では、昨年9月理事会で承認された投資信託3600万円の資産運用により約724万円の運用益を得たと報告された。次年度は投資信託額を1400万円増の5千万円にするほか、EB債(他社株転換債)に1千万円を投じる。日本委のポートフォリオ(金融資産構成)は4種から5種となったが、総額1億6800万円はそのまま。
新たなポートフォリオは、日本国債6千万円、信託銀行2千万円、投資信託5千万円、普通預金4600万円、EB債1千万円。年間約1060万円の運用益を見込んでいるが、その9割にあたる950万円は「インベスコ・世界のベスト」への投資による。
事務局側は「リスクが伴うため、専門家と連携して資産の変動を随時確認し、金融状況が悪化した場合には資産運用規程に基づいて速やかにポートフォリオを変更することもあり得る」と対応を説明した。
理事・評議員から慎重を求める声が上がる一方、評価する意見が寄せられ、ドル建てによる運用提案もあった。
2026/2/5
全日仏新年懇親会 伊藤会長「唯仏是眞」説く
持田次期会長は「共栄」を提唱
挨拶する持田次期会長。右は伊藤会長 (公財)全日本仏教会は1月29日、恒例の新年懇親会を京都市内のホテルで開催。加盟宗派・団体の要職をはじめ政界などから約200人が参加し、設立の理念「時代に即応する活発な全一仏教の展開」に邁進することを確認した。3月末までの任期となっている第36期現会長・副会長の慰労の日と、かつ4月からの第37期新会長・副会長のお披露目にもなった。
伊藤唯眞会長(浄土門主)の導師による三帰依文の唱和で開会。伊藤会長は1931年生まれで、自分の名前は「唯仏是眞」から取られたものだと自己紹介。敗戦で天皇主義から自由主義になり、教育制度も国家体制も変わったことに混乱した中学3年生の頃を回想しつつ「仏教のことは変わりません。唯仏是眞ということだけは変わりません」と断言。「和をもって貴しとせよと、小学生の時に聖徳太子の言葉を習いました。我々の会もこの精神でやっていってほしい。それを受け継いでいただければ幸いです」と今後の全日仏を寿いだ。(続きは紙面でご覧ください)
2026/2/5
最高裁 大谷派難波別院 山門一体型ホテル訴訟で 参道部分に課税判決
御堂筋に面する山門。非課税判決から逆転敗訴となった 大阪市中央区の南御堂・真宗大谷派難波別院に建てられた山門一体型ホテルの参道部分への課税をめぐる裁判で1月26日、最高裁第二小法廷は課税を認める上告審判決を出した。2審の大阪高裁判決では参道部分に課された484万4400円の非課税が認容されたが、1審の大阪地裁判決が確定。難波別院側の逆転敗訴となった。判決は裁判官4人中3人の多数意見で決定し、1人が反対した。
難波別院は大阪市から令和2年度の固定資産税と都市計画税の合計3億1847万4千円の賦課決定を受けたため、その一部の取り消しを求め提訴。課税された山門一体型ホテルの参道部分が、宗教法人の境内地に当たるか否かが争点となった。(続きは紙面でご覧ください)
2026/2/5
浅草・仙蔵寺 ろう者が寺院で修行体験 手話で僧侶が手ほどき
手話で写経の説明をする青龍寺住職 東京都台東区の真言宗智山派仙蔵寺で1月17日、ろう者が修行体験する催しがあった。手話やろう文化を伝える「ともろう倶楽部」(杉並区)の会員ら16人が、青龍寺空芳住職の手話による手ほどきを受け写経に向き合うなどし、仏の教えに触れた。
青龍寺住職は耳の聞こえにくい子どもを持つ父親。昨年末、同寺を会場に開催された「東京浅草手話映像祭」で審査員を務めたともろう倶楽部の吉岡昌子代表が手話のできる青龍寺住職の存在を知り、修行体験を申し込んだ。
午前中は本堂で、ろう者の小林早苗さんが手話で指導するヨガが行われた。ともろう倶楽部は耳の聞こえる人も参加する団体。本尊の大日如来像が見守る中、気持ちを一つに汗を流した。
昼食は和食料理人だった榊原正蔵副住職(埼玉県川口市・同派歓喜院)が腕を振るい、精進料理を提供。「木の子と牛蒡の茶飯」のほか、「車麩の角煮擬き」などおかず5品をつめた弁当を用意した。榊原副住職は地元の地域包括支援センター主催の「男の料理教室」で講師を務めている。
午後からは客殿で心静かに般若心経を書写。手話を使って仏の教えを伝えた青龍寺住職は「写経を通して学んだことを日常生活でも意識してもらえたら。今日の経験をきっかけに、お寺や仏教を身近に感じてもらえるようになればうれしい」と語った。
吉岡代表は「お寺の落ち着いた空間で心からリラックスできました」と手話で感想を述べ、「聞こえない人にとって宗教は縁遠いもの。お寺にも入る機会がないと諦めていましたが、もっと話を聞きたくなりました」と話した。
2026/2/2
すぐれた女性史研究を顕彰「青山なを賞」
『無外如大尼 生涯と伝承』受賞
中近世の尼僧の姿を発掘
森本学長(左)からベーテ氏、フィスター氏、原田氏に表彰状が贈られた 女性史研究のすぐれた業績に贈られる「女性史青山なを賞」の2025年度(第40回)受賞作に中世日本研究所編『無外如大尼 生涯と伝承―中近世の女性と仏教』(思文閣出版)が決まり、14日に東京女子大学(杉並区善福寺)の女性学研究所(矢ヶ崎紀子所長)で授賞式が行われた。
円覚寺開山・無学祖元の法を嗣いだ高僧で、後世の尼僧たちにも多大な影響を与えた無外如大禅尼(1223―1298)。近世に編まれた伝記は禅宗と関わる複数の女性の伝承が混在した形で伝えられたが、本書は如大に関わる確実とみられる史料を分析し、その事績や人物像を明らかにした。日本と米国の6人の研究者がその成果をまとめ、日本語・英語の完全バイリンガルで紹介する。
授賞式には執筆者のモニカ・ベーテ氏(中世日本研究所)、パトリシア・フィスター氏(同)、原田正俊氏(関西大学)が出席し、東京女子大学の森本あんり学長から表彰状と副賞が授与された。
歴史に埋もれていた女性の姿を資料が不十分な中で丁寧に発掘、分析したこと、女性が率いた宗教空間が当時やその後の世の中でどのように受容されたかを探る方向性を打ち出していることが評価された。(続きは紙面でご覧ください)
2026/2/2
第1回梅原猛人類哲学賞 発表
写真家の志賀理江子氏 宮城を拠点に震災を撮る
志賀氏 仏教学や歴史学、芸術などジャンルを超えて挑戦的な学説を発表し続けてきた哲学者・梅原猛氏(1925~2019)を顕彰する(一財)梅原記念財団(京都市)は21日、第1回「梅原猛人類哲学賞」に写真家の志賀理江子氏を選んだと発表した。正賞のほか、副賞100万円の授賞式が3月に京都市内で行われる。
この賞は「人類哲学」を提唱した梅原氏の遺志を継ぎ、既存の考え方に囚われず学術的・芸術的な冒険に成果を挙げた人または団体を年1回選んで授与するもの。今回選ばれた志賀氏は1980年6月、愛知県生まれ。2008年に木村伊兵衛賞、2019年に写真の町東川賞を受賞した気鋭の写真家で、宮城県石巻市に拠点を置き、漁師など民俗的共同体に深く入り込みながら東日本大震災以後の復興とその煩悶を撮り続けている。
受賞にあたり「今はもう、天にいる梅原猛さん、少しの間でいい、あなたが生まれた宮城県にその魂を戻し、東北の地で繰り広げられる、東日本大震災後の復興政策がもたらした光景を今一度ご覧になってください。そして、梅原さんはどう思うのか、何をここから考えるのか、改めて私たちに語ってくれないでしょうか」とコメントを発表した。(続きは紙面でご覧ください)
1月
2026/1/29
展望2026 ジェンダー問題と性暴力 沈黙しない仏教界になるために
寄稿 露の五九洛氏(落語家・天台宗僧侶)
近年、「ジェンダー」という言葉を見聞きする機会が増えました。ところが、仏教界を含め、その意味はまだまだ社会に浸透していません。なかには、政治的なキーワードや極端な思想であると誤解している人も少なくないようです。
しかし、SDGs(持続可能な開発目標)の5番目の目標として「ジェンダー平等」が掲げられているように、これは決して政治的なものでも思想的なものでもありません。人類が持続可能な未来を生きるために、向き合うべき課題なのです。
では、「ジェンダー」とは何でしょうか?これは「生物的な性別」=「SEX」とは異なり、「社会的・文化的に作られた性別」、いわゆる「男らしさ、女らしさ」のことをいいます。つまり、「ジェンダー平等」とは、「男らしさ、女らしさ」で人を縛らず、「その人らしさ」に目を向け、すべての人が性別にとらわれず能力を発揮できる社会づくりのことをいうのです。しかし、このような時代において、仏教界では依然として「性別による役割分担」が横たわっています。
静かにお寺から離れる女性たち
先日も、中年の女性から、「私の菩提寺ではまだ女性がお茶の御接待係だ」という悩みを伺いました。女性たちはお茶の接待をするのがイヤなのではありません。時代遅れな寺院社会にため息をついているのです。以前、このような出来事があったということを僧侶向けの研修会で話したことがありましたが、そのとき私に寄せられたのは「自坊でも御接待は女性の係だが、そんな意見は聞いたことがない」というものでした。しかし、多くの檀信徒さんは「お寺に意見を言うなんてとんでもない」と考え、口に出すことはしません。だからこそ、「そのような意見は出ていないから大丈夫」と安易に考えず、危機感を持ち、時代に合わせたアップデートを行うことが、お寺離れを防ぐために重要です。疑問を感じている人たちは、意見を言うことすら諦め、静かにお寺と距離を置いていきます。
性加害への沈黙に世間は厳しい目
また、たびたび報道される仏教界の「性加害」問題も、お寺離れを加速させています。社会的に「聖」とされる僧侶が性加害をすることじたいが世間に大きな衝撃を与えていますが、さらに、その問題に「沈黙」する仏教界に、厳しい目が向けられているのです。ではなぜ、加害が起こり、また沈黙が起こるのでしょうか?
その原因の一つは、宗教界の「見えにくさ」や「密」にあると考えます。というのも、宗教施設では内面の課題や身内の問題などを一対一で相談することが多いですが、過去、私が相談を受けた案件では、相談者が相談相手である宗教者から一方的に好意を持たれ、抱きつかれたり、ストーカー被害に遭った、というものがありました。
宗教界は性質上、閉鎖的な側面を持ちますが、そのような環境では、倫理的・社会的に逸脱した思考を持ってしまったとき、その思考を修正する機能が薄れてしまう場合も少なくありません。だからこそ、「加害者を処分して終わり」ではなく、加害が起こらないための仕組みを考えることも必要になってきます。
また、性加害問題に多くの僧侶が沈黙する背景には、「保身」があると言わざるを得ません。仏教界は、師弟関係だけでなく、血縁、法類といった〝密〟な関係がありますが、それが「しがらみ」となって身動きをとれなくなっている僧侶が多いと感じます。しかし、「しがらみ」はあくまでも私たちの言い訳であって、世間ではそれを「保身」と呼びます。その保身が仏教界の信頼を失っていくことに、一刻も早く気付いて欲しいのです。
なぜジェンダーに積極的になれないか
ところで最近、SDGsをテーマとしたお寺の催しが増えましたが、その多くは貧困問題や環境問題を取り扱っており、ジェンダー平等がテーマとなるものはごく僅かです。しかし、これは仏教界に限らずマスコミも同様で、SDGsを取り上げるテレビ番組でも、ジェンダーはなかなか取り上げられません。ここには、主催者や番組制作側の「ジェンダー平等への苦手意識」が影響していると考えられます。なぜなら、ジェンダーはすべての人に当てはまる課題です。一番身近な人権だからこそ、つい、「実際に男女平等になったら、これまで女性に頼んでいた役割はどうなるのか」といった、無意識の「自分の都合」が働いていると思われます。宗教者の人権研修会でも、性的マイノリティの方について学ぶ機会は増えましたが、ジェンダー平等は驚くほど取り上げられません。性的マイノリティの当事者の方の声を知ることもとても大切ですが、すでに自身が「当事者」となっている「ジェンダー平等」の課題から目を逸らさないことも、「正見」を説く仏教界に必要な心構えではないでしょうか。
「性」とは、「心が生きる」と書きます。「性」で傷つく人をなくすためにも、沈黙しない仏教界になっていきましょう!
つゆのごくらく/1986年生まれ。落語家・天台宗道心寺住職。2005年、三代目露の五郎へ入門。テレビ朝日『ぶっちゃけ寺』等に出演。2025年、旧芸名「団姫(まるこ)」から「五九洛」に改名。自坊では悩み相談を行う。尼崎市男女共同参画推進員。
2026/1/29
阪神淡路大震災31年 追悼碑前で冥福祈る 大本山須磨寺
物故者追悼碑の前で法楽する一山僧侶 阪神淡路大震災から31年目の17日、兵庫県神戸市須磨区の真言宗須磨寺派大本山須磨寺では震災物故者慰霊法要を営んだ。発災時刻に近い早朝5時半からは本堂で、続く10時からは客殿で法要。小池弘三管長をはじめ一山僧侶が読経し冥福を祈った。
震災当日、須磨寺も甚大な被害に見舞われ、塔頭の蓮生院と桜寿院は本堂が完全に倒壊し、蓮生院では住職が犠牲となった。「今くらいの時間だったでしょうか、潰れた蓮生院の下からみんなで力を合わせてご住職を引っ張り出して、病院に連れて行ったのは」と緊迫したその時を振り返った。客殿はおよそ120人の遺体の仮安置所としても用いられた。「亡くなられた人が迎えられなかったこの日を私たちがありがたく過ごしている。それを考えれば感謝し、生きていかなければならないと思います」と語った。
境内の物故者追悼碑の前でも般若心経の法楽があり、参詣者も次々に焼香した。この追悼碑は全日本仏教会が第37回全日本仏教徒会議で発願し、1997年に建立されたもの。(紙面では各地の慰霊法要も掲載しています)
2026/1/29
安倍氏銃撃事件 奈良地裁 無期懲役判決 被告の生い立ち 認めず
安倍晋三元首相銃撃事件の裁判員裁判で、奈良地方裁判所(田中伸一裁判長)は21日、山上徹也被告(45)に対して、検察の求刑通り無期懲役を言い渡した。母親が旧統一教会(世界平和統一家庭連合)に入信し多額の献金によって家庭崩壊に至った被告の生い立ちについては「大きな影響を及ぼしたとは認められない」と退けた。
判決では、山上被告の犯行は殺人や銃刀法の発射罪等に相当するとした。さらに銃の威力や現場付近の状況から「公共の安全を大きく脅かすもので、極めて悪質な犯行であることは明らか」と厳しく指摘した。
犯行動機に関するところでは、幼少期から青年期の各種体験が「人格や思考などに一定の影響を与え、犯行の背景や遠因になったことは否定できない」としつつも、「殺人行為を決意して実行したことには大きな飛躍があると言わざるを得ない」と突き放した。
また山上被告が40代で犯行に着手していることに「自立した社会人として規範意識を形成できていた」と判示。安倍氏襲撃に至る意思決定についても「生い立ちの不遇性が大きく影響したとみることはできない」とし、いわゆる宗教2世が抱える苦悩には立ち入らなかった。
ジャーナリストの藤田庄市氏のコメント
人生を破壊した 事実無視の判決
裁判という仕組みは、「真相」を明らかにし「教訓」を導きだす場でないことを、我々につきつけた判決だった。そもそも山上被告の「生い立ち」は犯行の「背景」や「遠因」だとする裁判所の捉え方が、事件の実像を自ら見えなくしてしまっていた。日本語では「子どもの生い立ちを見守る」と使う。見よ。一家が信仰・献金地獄に突き落とされたのは被告が中2の時。自宅が献金のため売却されたのが高卒時。自殺未遂は25歳。兄の自殺は被告35歳の時。母が「献金をしたから兄は天国」と告げられフラッシュバックを起こし、犯行への道を歩み始めたのが38歳。人生そのものが統一教会により破壊された事実を判決は無視したのである。
2026/1/29
宗教2世が感じた奈良判決 寄稿 野浪行彦氏
被告人は無責任社会の犠牲者
安倍元首相銃撃事件の裁判で奈良地裁は山上徹也被告に無期懲役の判決を言い渡した。もちろん犯行は容認できるものではない。だがそこに至った親の統一教会信仰に苦しむ宗教2世の問題は置き去りにされた。『フランスで考えた中上健次のこと―宗教二世にとっての社会物語学』(田畑書店)の著者、宗教2世の野浪行彦氏から寄稿頂いた。
2022年7月に安倍晋三元首相が銃撃された。この事件をめぐる刑事裁判が25年10月から12月にかけて奈良地方裁判所で開かれた。裁判長は田中伸一。6人の裁判員も審判に関わった。26年1月21日には無期懲役の判決が下された。
巨悪あり、法これを裁けず、と被告人は事件の前に書き残していた。司法への絶望があったからこそ、被告人は自力救済に打って出た。そんな被告人が今、絶望的なまでに役立たずだった司法によって裁かれることになった。
このことが日本社会の根深い非人道性を今さらのように照らし出してくれている。検察側は被告人に内省が足りないということを繰りかえし指摘しており、弁護側にもそれを認めるような節があった。しかし、今あらためて、内省を欠いているのはいったい誰なのか、ということが問われなければならない。
被告人は何より、国家ぐるみの組織犯罪に苦しめられてきた被害者でもある。日本社会に蔓延する無責任の皺寄せを受けるようにして、幼いときから人生を損なわれ続けてきた。そんな一人の人間が今こうして懲罰を受け、残りの人生の可能性までも奪われようとしている。そのどこに正義があるのだろうか。被告人が人生を通して必要としてきたのは、正義であって、不正ではない。絶望に次ぐ絶望ではない。
公判の内容からも明らかな通り、事件の真実からは目が背けられてきた。ただ絶望的なまでの無知の結晶のような判決だけが示され、新たな禍根を残そうとしている。無論、それが事件の幕切れとなっていいわけがない。同じ統一教会の2世の一人として、控訴審を通じて真実が明らかにされることを望む。
被告人は公判で示した誠実さを通して、多くの2世を勇気づけた。絶望的なまでの孤独に苦しめられた昔と違い、今、多くの2世がエールを送っている。裁判が終わった後になっても、それはずっと変わらない。しかるべき刑期を経た後に自由の身となり、ほんのささやかでも被告人の人生に安らぎが訪れることをこころより願っている。
(野浪氏は、いわゆる「祝福2世」。合同結婚式で結ばれた両親のもとに生まれた)
2026/1/29
長生炭鉱 2月に遺骨収容へ 大規模潜水調査、海外の協力も
高市首相の発言を受け、国会内で記者会見した井上代表(20日) 戦時中の水没事故で朝鮮半島出身者を含む183人の労働者が犠牲となった山口県宇部市の海底炭鉱「長生炭鉱」で2月3日から、遺骨収容に向けた大規模な潜水調査が行われる。初めて人骨を発見した昨夏の調査で複数の遺体が確認されているため、大きな成果が見込まれる。
遺骨収容を進める市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」が昨年8月、犠牲者の遺骨と見られる人骨4点を収容。坑道内には4人の遺体と見られるものが確認できたという。
今回の調査は、刻む会が毎年主催する犠牲者追悼集会が開かれる7日前後に実施する。調査を牽引してきた水中探検家の伊左治佳孝氏が3日に坑道内に入る。追悼集会には韓国の遺族らも参加する予定で、遺骨発見の報せを届けられるよう努める。(続きは紙面でご覧ください)
2026/1/26
本願寺派 鎮西別院が門司教堂を吸収 経費削減、安定運営可能に
現在の門司港レトロ分院(宗務所提供) 浄土真宗本願寺派は12月1日に宗教法人門司教堂(福岡県北九州市門司区)を宗教法人鎮西別院(同)に吸収合併し、同5日に宗告で発表した。教堂と別院は宗規上「直属寺院」とされ、直属寺院規程第2条で「地方における伝道教化の中心道場」と定められている。
事情を宗務所に尋ねたところ、書面で回答があった。門司教堂は、明治43年(1910)に地方庁から許可を得た本願寺の説教所が前身。「大正3年(1914)現在の地に移転し、その後保育園の設立、納骨堂の建立等、寺院機能の拡充に努めておりましたが、昭和20年(1945)、戦時下の空襲により納骨堂以外の建物が焼失してしまい、一時仮本堂での活動となりましたが、門信徒からの再建の声をうけて、昭和46年(1971)に本堂が再建されました」といい、本願寺派門徒の多い北九州において、ご法義繁盛の重要な拠点だったようだ。(続きは紙面でご覧ください)
2026/1/22
展望2026 僧侶の資質向上と再教育 学業と修行 交差する育成現場 寄稿 桐野祥陽氏(花園禅塾塾頭)
臨済宗妙心寺派には、「花園禅塾」と呼ばれる学生寮がある。大本山妙心寺の東に位置し、塾頭1名・指導員2~3名での運営・指導のもと、主に花園大学に在学する学生20~30名ほどが共同生活を送っている。花園大学への入学と同時に入塾し、原則として1回生から2回生までの2年間としている。この期間、入塾した学生たちは大学生と修行僧という二つの立場を併せ持ち、昼間は大学で学業に励み、朝夕は坐禅や作務、読経など、将来の僧堂を見据えた生活を重ね、学問と禅の実践を両立させながら生活している。
花園禅塾は、今期で55期生を迎え、これまで延べ800人以上の卒塾生を輩出してきた。その目的は、人格の陶冶と宗門の後継者育成にあり、卒塾者の多くが僧侶として全国各地で寺院運営に携わり、今日の妙心寺派を支えている。
平日の生活は規則正しい。午前6時から朝課、坐禅、粥座、作務を行い、その後、大学へ通学する。夜は19時から薬石、坐禅、解枕諷経を行い、23時に消灯となる。夜間は僧堂生活を見据え、携帯電話や電子機器を回収し、学習や内省に専念する時間としている。
ボランティアも
このほか、禅塾では専門的な履修講座も数多く設けられている。特に令和7年度からは制度が改められ、より充実し深いものとなった。その内容は、年6回・5日間の禅塾大摂心や老大師への参禅、本山祝聖出頭をはじめ、御詠歌実習、宗教法制、法式実習、人権学習、漢詩講座、剪定実習、衣の畳み方講座、掛軸講座など多岐にわたる。これらに加え、お経や回向の暗唱試験や各種課題も課され、すべての単位を修めて初めて卒塾が認められる。2年間で単位を修められない場合は、卒塾後も通塾して残りの単位を取得する必要がある。確かに、大変な内容ではあるが、これらを履修することで今後に続く修行生活への堅固な基礎が形成され、より資質の高い僧侶の育成に繋がる。
更に、塾内だけにとどまらず、各僧堂や縁のある寺院への拝観や加担をはじめ、一昨年には石川県能登半島でのボランティア活動、昨年にはハワイ・マウイ島にある妙心寺派開教院で研修を行うなど、対外的な活動を通じて実際に体験し実践してこそ得られる学びの機会もある。
世界広しといえど、こういった生活の中で得られる経験と苦楽を共にする仲間は、ここでしか得られない一生涯を通じての大切な宝となる。
私自身、花園禅塾塾頭の務めに加え、大学や短期大学での講義、各教区における研修会の講師など、教育の現場に身を置く機会が多い。また家庭においては親として子を育て、師弟関係においては弟子を導く立場にもある。そのため「育成」は、特別な行為ではなく日常そのものであり、常に人と向き合う営みそのものでもある。こうした複数の役割を通して実感させられるのは、育成の場に立つ者は、知識や技術を伝える役割を担うと同時に、人としての在り方そのものを問われる立場にあり、育成という行為は決して一方向的なものではないという事実である。導く立場にありながら、教える過程で教えられ、自らが省察を迫られる場面が少なくない。常に周囲の視線にさらされる立場にあるからこそ、その言動には慎重さが求められ、その一挙手一投足には日々緊張感が必要となる。その積み重ねが、自らを律し、人として自身の成長へとつながっていくのだ。
このように、人は誰かを育てるとき、同時に自分自身も育てられているのだ。関わる相手が育ち・成長する歩みに触れることで、自らの未熟さや課題が浮き彫りになる。教えることが学びとなり、導くことが自身の修行となる。この循環こそが、「育成」という営みの本質であろう。この姿勢は人材育成に限らず、花や作物、動物など、すべての生命との関わりにも通じている。思い通りに動かそうとするのではなく、その成長の過程を尊重し、必要な時に必要な支えを惜しまないことによって、健やかな成長が育まれる。「育ててやっている」という意識が出たとき、傲慢さが生じ、その瞬間相互の成長は止まってしまう。育つのは、常に相手を思い、相互が学びの中に身を置くからこそである。
僧侶の資質向上が叫ばれる昨今、まずは私自身が自らの向上に務めたい。ご縁を頂いた方々がお互いに少しでも成長できたならば、全体の資質の向上に一役買うことができる。これが育成を通じて得られる大事だと信じている。
花園禅塾は、学業と修行を通して人を育てる場であると同時に、宗門の公器として将来を支える人材を育成するための重要な拠点である。ここでは、技能習得だけではなく、仏祖の教えを身心に刻み、僧侶として社会と向き合う基礎を養う場所でもある。時代や社会が大きく変化する中にあっても、妙心寺派の精神と伝統を正しく継承し、地域と社会に開かれた宗門を支える人材を送り出すことが、花園禅塾に課せられた使命である。その自覚を胸に、今後も育成の現場に身を置き、共に成長していきたい。
きりの・しょうよう/1978年、京都府生まれ。花園大学文学部史学科卒業。同大学大学院博士課程満期退学。修士(文学・花園大学)。圓福僧堂に掛搭。京都府舞鶴市大泉寺住職。妙心寺派布教師。花園大学・正眼短期大学非常勤講師。妙心寺派教化センター教学研究委員。2020年より花園禅塾塾頭拝命。
2026/1/22
各山会 後七日御修法を厳修 災害復興や停戦願う
灌頂院を背に、2日目の日中修法を終えて還列する中村大阿闍梨 鎮護国家・五穀成就・国土豊饒を祈る真言宗1200年の最高厳儀・後(ご)七日(しちにち)御修法(みしほ)(主催=真言宗各派総大本山会)が8~14日、京都市南区の総本山教王護国寺(東寺)・灌頂院で厳修された。新義真言宗総本山根来寺(和歌山県岩出市)の中村元信座主が大阿闍梨(大導師)を務め、各派の高僧14人が供僧として国家・国民の安泰や世界平和を祈願。7日間二十一カ座の熱祷を捧げた。
後七日御修法は、朝廷から勅許を賜った弘法大師が承和2年(835)1月に京都・宮中を道場として創始。同年3月21日、高野山奥之院に入定した。「令和八年丙午(ひのえうま)歳(どし)勧修寺流(金剛界)」の御修法は、創始から1191年目に相当。令和16年(2034)の弘法大師御入定1200年と同時に、御修法は創始1200年を迎える。特に現代の御修法では、宗派最極の秘法を通して、国内外で頻発する災害の鎮静化と早期復興、世界各地で続く戦闘の即時停止や恒久平和の実現を切に願っている。(続きは紙面でご覧下さい)
2026/1/22
選択文化財「真言声明」関係技芸者
豊山派僧侶 孤嶋由昌氏の指名を祝う
記念品を手にする孤嶋氏。親交の深い戸部謹爾氏と妻の東子さん 昨年7月に文化庁が「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に「真言声明」を選択し、その関係技芸者に孤嶋由昌氏(84、真言宗豊山派金蔵院住職=東京都小金井市)が指名されたことを祝う記念祝賀会が12月17日、東京都文京区の椿山荘で行われた。真言宗各派や天台声明七聲会など有縁の僧侶や関係者250人が集った。孤嶋氏は「観音様に微笑んでいただくような声明を唱えたい」と更なる精進を誓った。
日本の芸能や工芸技術で重要かつ記録作成を行う必要がある無形文化財に「真言声明」が選択され、それを体現・体得する関係技芸者として孤嶋氏が指名された。「真言声明」は昭和30(1955)年に初めて選択され、昭和53年に孤嶋氏の師匠である青木融光氏が関係技芸者に指名された。真言宗豊山派僧侶の指名は47年振り2人目となった。
祝賀会発起人を代表して挨拶した中川祐聖氏(総合研究院院長)は「仏教音楽、文化的価値が改めて認められた証」と喜び、「徹底した訓練の積み重ね」による孤嶋氏の声明を「千年の法灯を受け継ぐ者としての厳しさと現代に息づく新しい息吹が調和している」「声明の根底には必ず祈りがあるという信念は多くの聴衆の心に強く残る」と讃えた。(続きは紙面でご覧ください)
2026/1/22
金剛峯寺 高野山学園 高野町
南都銀行と遺贈寄附協定結ぶ
協定を結んだ4者の代表 和歌山県高野町の高野山真言宗総本山金剛峯寺で12月22日、遺贈寄附協定についての記者会見が開かれた。(宗)金剛峯寺・㈻高野山学園・高野町の3者と㈱南都銀行が、「遺贈による寄附制度」「遺言代用信託を活用した寄附制度」に関する協定を締結したと発表。4者は今後、相互に連携しながら、「寄附による地域貢献の一層の活性化」を図っていくという。
社会貢献に対する意識の高まりを受け、社会のために自身の財産を役立てたいと望む人が増加。金剛峯寺にも、そうした人から寄附の相談が寄せられているという。そこで、「安心して適切にその意思を実現していただけるように」今回の協定を結ぶことになった。会見には、金剛峯寺の今川泰伸執行長、高野町の平野嘉也町長、高野山学園の高岡隆真法人本部長、南都銀行の大西廣(ひろ)到(ゆき)執行役員(奈良中和ブロック本部長)が出席した。
遺贈寄附は、「生前に遺言書を作成し、金剛峯寺・高野山学園・高野町に財産を寄附することを指定する制度」。遺言代用信託は、「生前に南都銀行と信託契約を締結し、金剛峯寺・高野山学園・高野町を第二受益者とする信託契約によって財産を託す制度」。今回の協定(12月22日付)で南都銀行が遺贈寄附両制度の広報活動を担い、遺言書作成の相談やサポート、信託契約締結の支援などを行うことになった。
南都銀行は同日付のリリースで、「本協定により、各団体への寄附を希望されるお客さまに対しては、当行の専門の担当者が遺言書の作成などのアドバイスやサポートを行います。また、より簡便な方法での寄附を希望される場合は、当行の信託商品である「〈ナント〉安心とどける信託『家族円満』〔寄附コース〕」を利用いただくことで、遺言書の作成によらず相続財産の一部を各団体に寄附することが可能となりました」と発表。「今後も地域のお客さまの多様な寄附ニーズに対応するとともに、世界遺産等の文化財保護を含めた地域の振興と発展に取り組んでまいります」としている。
2026/1/19
被災地に生きる 能登半島地震
輪島市岩倉寺 2年ぶり除夜の鐘が響く 全壊伽藍から復興の祈り
降雪の中、除夜の鐘の準備をする一二三住職㊧ 日本海を望む石川県輪島市町野町の山中にある高野山真言宗岩倉寺は、令和6年元日の地震と同年9月の豪雨で伽藍の全てが倒壊した。一二三(ひふみ)秀仁住職(57)は、「復興の見通しは全く立たない。境内地が災害危険区域に指定される可能性もある。今、伽藍に至る山道を含む境内全域20カ所で、ボーリング調査を行っている。ここに住んでいいのかどうかさえ、まだ判断できない状況」と話す。
「現在は豪雨による裏山の崖崩れで流入した大量の土砂を少しずつ取り除き、まだ使える物を運び出している状況。泥の中から石仏も発見された。大きなテントを一つ買って、その中に大事な物を入れている」。地区内外から集まったボランティアの助力を得て、片付け作業を進めている。
境内の鐘撞堂は地面ごと崩落していたが、ボランティアが鐘を引き上げて救出。仮設の鐘撞櫓に吊り下げた。「大晦日に除夜の鐘が撞けるようになったことが、一番うれしい。山の中で電気も水道もトイレもないので、広く呼びかけられない。だがこれで、以前のように鐘の音と共に年越しができるようになった」。山中にある岩倉寺は、無檀家の祈願寺。地域の信仰によって護持され、様々な行事を通して地域の絆を繋いできた。山上から響く除夜の鐘も、そうした年中行事の一つだった。(続きは紙面でご覧下さい)
2026/1/19
縮小、解散、合併、縮充―寺院の現状から将来像を考える
松本市円乗寺・塩尻市大乗寺 合併は戦略的な寺院再編
塩尻市大乗寺を支院とした親寺の円乗寺と小倉住職 長野県松本市の日蓮宗円乗寺(小倉善光住職)と塩尻市の大乗寺は、このほど宗門から合併が認められ、あとは県からの認証を待つばかりだ。過疎化や後継者難で今後は寺院の維持が難しくなると言われる中で、檀信徒と共に将来を見据えて合併という道を選んだ。檀信徒の反対で合併を断念する寺院もあるというが、小倉住職は「反対する檀信徒はゼロだった」と話す。合併成功の秘訣はどこにあったのか。
宗教法人の合併は、吸収合併(宗教法人法第35条1項)と新設合併(同法2項)と2種類あるが、両寺の場合は吸収合併。日蓮宗の寺院等級は数字が小さいほど宗費課金が高く、20等級の円乗寺が27等級の大乗寺を吸収して包括承継する形となる。合併には、寺院が抱える後継者難や地域の過疎化の影響があった。(続きは紙面でご覧ください)
2026/1/19
仏教界の「縮充」を考える 『縮充する日本』著者・コミュニティデザイナー 山崎亮氏(関西学院大学建築学部教授)に聞く(下)
10年前に『縮充する日本』を刊行して「縮充」の言葉を世に知らしめた著者離山崎亮氏。前号では「現代においてなぜ宗教が必要なのかという問いに向き合わないまま、お寺だけを残そうとする状況は、どうなのでしょうか」と問題提起した。その上で、縮充のキーワードである「参加」に基づいた実践例として真宗大谷派の根室別院(北海道)と井波別院(富山県)の事例を紹介いただいた。
今号では山崎氏が寺院の特色を見出した提案が盛り込まれている。人口減と寺院存続難に直面する仏教界に希望の光となり得るが、それには意識変革も必要になってくる。
参加者同士の対話を重視したワークショップを通じて感性に訴える方法を試行錯誤しながらコミュニティデザインに取り組んできましたが、学校のアクティブラーニングと共通するところがあります。大学の授業も大きく変わりました。私は大学でも教鞭をとっていますが、以前大学側から積極的な学習に変えて欲しいと要請がありました。どうしてですかと尋ねると、「小・中・高とそれをやってきているから」との返答でした。実際、コミュニティデザインの考え方を学ぶ授業で、事前に提示していた課題図書を元に「グループワークをしてください」と言うと学生たちはすぐに取り掛かります。読んできた本の感想や分からないところを5~6人のグループで話し合います。概ね40分ほどですが、盛り上がると1時間を超える場合もあります。話しが尽きた頃に、「質問はありますか」と問いかけ、出てきた質問や意見を、他のグループに投げかけます。黙って90分間講義を聞いていれば単位がとれた時代とは大きく変化しているのです。
このように違うタイプの教育を受けてきた若者たちが、お寺でありがたい法話を聞く機会があったとしても、「どうもありがとうございました」と言って2度と来ない可能性が高いでしょう。これまでの一方向的な語りかけだけでは十分に届かなくなっていることから、昔ながらの認識のままで地域に向くのではなく、そこは切り替えが必要です。地域で話し合うには地域のファシリテーター役になることが求められます。
また別院輪番や役所の職員は数年ごとに異動します。そのため自分の代で決めたことが、次の担当者に受け継がれるとは限りません。ところが地域の住民参加によって物事を決めると、新しい輪番や担当者が来ても「ここではこのようにしています」と教えてあげればいいのです。持続的な活動ができるようになります。地域住民たちが決めて実行すると、何が起こるのか。例えば、お寺でヨガ教室や生け花教室を開いて5年、10年経ったとします。そのお寺が雨漏りや老朽化した際、私たちは知りませんというのか、それとも自分たちが使っているところだから修復に協力しようという気持ちになるのか。私は後者にかけたいですね。檀家であるかどうかは関係ありません。(続きは紙面でご覧ください)
2026/1/15
展望2026 戒と日本仏教の21世紀 「在家」か「出家」かを超えて
寄稿 清水俊史氏(仏教学者)
仏道修行の範とされる常不軽菩薩の像(目黒区・日蓮宗常圓寺) 日本の寺院に足を運べば、剃髪し、端正な袈裟を身にまとった僧侶の姿を目にすることができる。しかし、その私生活に目を向ければ、妻帯し、肉食を嗜み、世襲によって寺院を維持するという、実態として「在家」と変わらぬ生活が営まれているのが現状である。釈尊以来の伝統において、出家者とは「戒」を保つことで聖性を担保される存在であったが、現代の日本仏教はその根幹に矛盾を抱えている。日本仏教の僧侶は「出家」なのか「在家」なのか。原理原則を突き詰めるほど、その実態は出家ではなく在家に相当すると言わざるを得ない。
戒の形骸化
この矛盾に最も苦悩しているのは、僧侶自身であると私は信じている。遥か古代に定められた戒を現代社会において完遂することは困難を極める。釈尊から連綿と続いていた戒の伝統は、我が国においては既に形骸化しており、これを復興しようとする動きも主流ではない。その背景には、社会が僧侶に対して厳格な持戒をそれほど強く求めていないという現実がある。
多くの檀家にとって、先祖供養は重要な意義を持つものの、それが必ずしも峻厳な宗教心に基づいているわけではない。彼らが僧侶に求めているのは、先祖供養の場を管理し、儀礼を執り行う職能としての役割であり、第一義的な「持戒」ではない。したがって、仮に戒を厳格に保とうとする「清僧」が現れたとしても、それが直ちに日本仏教の復興や寺院の活性化に繋がるとは考え難い。このような時代の中で、僧侶はいかに行いを正していくべきなのだろうか――この問いを考えていきたい。
そもそも、最澄以降の日本仏教の伝統に立つ限り、「もはや戒を保てない時代」に生きているという前提を踏まえる必要がある。釈尊が成道してからの20年間は「第一菩提」と呼ばれ、この時期には詳細な戒律を定めずとも、出家者たちは清浄な修行生活を営み、悟りに達し、神通力を自在に用いることが容易であったとされる。それに対し、現代は「末法無戒」の五濁悪世である。修行によって現世で悟りを開ける可能性は、ほぼ皆無と言ってよい。浄土宗や浄土真宗といった鎌倉仏教の諸宗派が、現世での悟りを断念した背景には、周囲を見渡しても修行を完成させた者も神通力を現した者もいないという、切実な現実があったのだと確信する。
もはや、我々は悟れないのである。もし声聞蔵(三蔵)に記された通り、出家持戒によって悟りに至り、その証として空中を移動し、未来に起こる出来事を予言できたならば、どれほど信仰も実践も容易であったろうか。釈尊在世の時代に仏法に巡り合えなかったことを、「恥ずべし。悲しむべし」と嘆いた法然の言葉は、私たちもまた心に刻むべきである。
しかし、悲観する必要はない。日本仏教において、僧侶が「出家か在家か」「悟れるか否か」という問いは、本質的な課題ではない。日本仏教における僧侶の本懐は、自らが「菩薩」であるという自覚と反省にこそある。
より厳格な自制
釈尊がそうであったように、菩薩であることは必ずしも出家者であることを要求せず、その点においてすべての戒を保つことは必須条件とはならない。釈尊の菩薩時代を振り返れば、前世において大小様々な悪業を犯しており、決して完全無欠の善人ではなかった。シッダールタとして生を受けた最後生においても、出家するまでは王子として贅沢を享受し、妃を迎え、子を設けるという在家生活を送っていたのである。
したがって、日本仏教の僧侶が、無上正等菩提を目指し、輪廻をめぐりながら衆生を利益せんとする「菩薩」たらんとするならば、釈尊の事績に鑑みても、破戒か持戒か、あるいは出家か在家かという区別は、本質的な問題ではない。菩薩として何をなし、何ができるのか。その実践が、僧侶に問われているのである。
ただし、戒を保てるのであれば、それに越したことはない。菩薩であるという自覚と反省は、決して破戒の免罪符ではない。持戒が出家・在家の別を問わず推奨されるべきである以上、在家者よりも僧侶がより厳格な自制を求められるのは必然である。
それゆえ、もし戒を破っているのであれば、世間からの批判は甘んじて受けねばならない。自身の破戒を指摘され、躍起になって反論する僧侶の姿は、およそ美しくない。批判を受け入れ、耐え忍ぶことこそが忍辱という仏道修行である。人々から軽んじられ、罵られてもなお礼拝を続け、ついには成仏した常不軽菩薩のあり方に、我々は思いを馳せるべきである。
しみず・としふみ/仏教学者。2013年、佛教大学大学院博士課程修了、博士(文学)。主要著作に『上座部仏教における聖典論の研究』大蔵出版、『ブッダという男—初期仏典を読みとく』ちくま新書、『お布施のからくり』幻冬舎新書。
2026/1/15
願いの一字は「柔」 BDK公募 平和と調和を願って
鈴木氏による揮毫で発表された願いの一字「柔」(5日・増上寺) 仏教伝道協会(BDK)が公募した「願いの一字コンテスト2026」の漢字が「柔」に決まり、5日に東京都港区の浄土宗大本山増上寺で書道家の鈴木猛利氏の揮毫で発表された。
願いの一字は昨年10月から12月までに集まった60字から選ばれた。「柔」は柔軟でしなやかなあり方、耐え忍ぶ心を象徴する漢字。仏教において「柔軟心(にゅうなんしん)」や「柔和忍辱(にゅうわにんにく)」は重要な教えで、執着や偏った考えを手放し、心を柔らかく保つことが悟りへの一歩とされている。直面する困難や不安も、しなやかな心で受け止め、偏りなく向き合うことで乗り越えられると仏教は示している。新しい年の幕開けに、柔らかな姿勢で人とつながり、互いを思いやり、共に前へと歩んでいく一年になるようにとの願いを込めた。
毎年「願いの一字」を揮毫している鈴木氏は「年明けに課題をいただいた気持ちになります。柔らかく優しく書きたいが、ただ柔らかいだけでは軸がなく崩れてしまう。細い針金のようなしっかりとした芯があり、そのまわりに柔らかいものが付いているイメージで書かせていただいた。自分自身もそのような人間でありたい」と話した。
会場を提供した増上寺の中村瑞貴執事は新年の国内外の社会情勢に触れつつ「人によって社会が作られる。社会情勢も人の行いが作り上げる」と説示。そのうえで仏教の「身意柔軟」をあげて「仏さまのお光をいただくと、身意が柔らかで穏やかになり煩悩が消されて、善心を生じていく」と説いた。「柔らかで優しい心を持ち、安らいだ一年となりますよう、世界平和と皆様のご多幸をご祈念します」と語りかけた。
2026/1/15
大正大学特別協賛 地方創生フォーラム 豊かさからウェルビーイングへ
情報科学部4月から開設 デジタル人材を育成
大正大学の学生が登壇したパネル討論 超高齢化と人口減少による地域の衰退を克服するための取り組みを国・企業・教育機関が共に議論する日本経済新聞社主催の地方創生フォーラム「地域戦略人材の育成が日本の未来を創る!」が昨年12月9日に日経ホール(東京都千代田区)で開催された。前首相の石破茂氏が地方創生をテーマに特別講演。4月に「情報科学部」を開設する大正大学が特別協賛し、同大の実践的な学びが紹介された。
開会にあたり大正大学の神達知純学長が挨拶し、同大の地域創生に関する研究や地域に貢献できる人材育成の取り組みを紹介したうえで「若者が地域や社会、自然と向き合い、他者と協働しながら課題解決に取り組む経験はこれからの時代に不可欠」と述べ、今フォーラムの成果を期待した。(続きは紙面ご覧ください)
2026/1/15
立正佼成会 新年御親教 今年は開祖生誕120年
自ら揮毫した二幅の書を解説した庭野会長 立正佼成会(庭野日鑛会長)は7日、東京・杉並の本部大聖堂で新年恒例の御親教式典を挙行し、都内を中心に約1100人が参拝し、新しい年のスタートを切った。今年は庭野日敬開祖生誕120年にあたり、2年後には創立90周年、12年後には創立100年を迎える。
ステージ上には新年らしく庭野会長揮毫の「素心」と「深念」の二幅を掲示。庭野光祥次代会長を導師に読経供養が行われ、妙法蓮華経方便品第二、如来寿量品第十六を全会員で唱和した。
教団を代表して熊野隆規理事長が挨拶し、昨年の「今年の漢字」が自身の名字と重なる「熊」だったことから、清水寺での場面を「複雑で微妙な思いで眺めていた」とユーモラスに語った。
また庭野開祖生誕120年について「生きてこの賀寿を迎えられる人は、ほとんどいらっしゃらないが、私たちの心の中にはちゃんと開祖さまが生きている」と述べ、「この年にしっかりと菩薩としての六波羅蜜を実践してみてください」と呼びかけた。
会員代表による決意の言葉発表後、庭野会長が登壇。機関紙「佼成新聞」に掲載された年頭法話「歴史・伝統を尊重しつつ前進する」をゆっくりと読み上げた。その中で創立100年に向けて「人を植える(育てる)」ことと、「斉家(家庭をととのえる)」を強調した。
二幅の書き初めの「素心」は数年続いているが、「深念(しんねん)」を新たに揮毫。「深く思う」という意味で、「仏さまの教えに導かれ、有り難い教えを頂いたことを深く思う。自分の日ごろの心の救われ、それは自分でなければできないこと」と自己の内面洞察を説示した。
2026/1/5
仏教界の「縮充」を考える 『縮充する日本』著者・コミュニティデザイナー 山崎亮氏(関西学院大学建築学部教授)に聞く(上)
最近、仏教界でも「縮充」が提起されている。文字通りの解釈が多いようだが、10年前の2016年に刊行された『縮充する日本』(PHP新書)によれば、縮充のキーワードは「参加」。人口減少社会にあって地域の課題を地域の住民が解決する「コミュティデザイン」の先駆者である著者の山崎亮氏(関西学院大学建築学部教授)に、過疎化や檀家離れ等に直面する仏教界の「縮充」について提言や提案をいただいた。しかし、「宗教が必要かという問いに向き合わず、お寺(施設)だけ残そうという状況」でいいのかと、本質的な問題提起もあった。
真宗大谷派(東本願寺)での講演を契機に根室別院でコミュニティデザインによる寺院活性化に参画した山崎氏。理念から具体事例へと話が展開した。
やまざき・りょう/1973年愛知県生まれ。大阪府立大学大学院および東京大学大学院修了。博士(工学)。studio-L代表。関西学院大学建築学部教授。コミュニティデザイナー。社会福祉士。 建築・ランドスケープ設計事務所を経て、2005年にstudio-Lを設立。地域の課題を地域に住む人たちが解決するためのコミュニティデザインに携わる。著書に『コミュニティデザインの源流』(太田出版)『縮充する日本』(PHP新書)『ケアするまちのデザイン』(医学書院)『地域ごはん日記 おかわり』(建築ジャーナル)『面識経済』(光文社)など多数。 最初にお伝えしたいことは、お寺を残すことを目的化していて大丈夫なのかという懸念です。人々が宗教や仏教を必要とする状況をつくり、そのためには宗教施設がないと困るという世論が生まれ、その結果、お寺が存続している状態になることが望ましいはずです。しかし、現代においてなぜ宗教が必要なのかという問いに向き合わないまま、お寺だけ残そうとする状況は、どうなのでしょうか。
歴史を見ると、宗教がとても大事である時代が長く続いてきました。先進国と呼ばれる国々は近世に入るまではそうでした。中世ぐらいまで宗教は人間が生きていく上での拠り所でした。近世と近代は宗教にとって苦難の時代で、それは他の分野も同じです。哲学の分野ではデカルトが登場し、個人が着目され、理性が物事を考えるのであって、神が決めているわけではないと主張する人たちが現れました。ダーウィンやニュートンにみられるように宗教と科学とのせめぎ合いがありました。宗教から科学と哲学が分かれ、宗教はそのまま残っているけれども科学は肥大化しました。われわれは科学教の信者になり、その後、経済が大きな力を持つと経済教、お金教の信者がすごい勢いで増えました。科学や経済を信じていれば、自分の人生は憂いなく送れると思った時、宗教にかかわる意味は何があるのだろうか、と考えざるを得なくなりました。
今日の日本は、人口減少により消滅可能性都市が指摘され、宗教について考える余裕もありません。科学と経済から理性を考えると、損得勘定や人口減、高齢化率などは理性で語られる内容です。しかし、これらが限界に来ているのです。そこで忘れ去られていた感性――かわいい、かっこいい、おしゃれ、気持ちいい、おいしい――を理性や科学、経済にまぜていく、これがデザインです。人口が減り、しんどいなと思っているところに少し違う試みが生まれるのではないか。そう思い取り組んだのが、根室別院と井波別院です。
多くの人に来てもらい、参画してもらうのですが、決してお金が目的ではありません。一方で、おしゃれだねとか、インスタ映えするとか、こういうことは他者の心に欲望や嫉妬を植え付けてしまう行為なので、正直悩みもあります。その当たりを読者にお聞きしたい思いもあります。
根室別院の事例
真宗大谷派(東本願寺)での講演後、お寺もコミュニティデザインを取り入れたらいいだろうということになりました。本山が声をかけたら、根室別院の輪番が手を挙げました。そこから本山からの委託で取り組むことになりました。別院には輪番と若い列座(僧侶)が6人。それに門徒さん。ここで宗派関係なく集まってもらい、お寺をどう使いこなすかを考えるワークショップをやりましょうと提案。人生100年時代の生き方を考えてみましょうと呼びかけました。(続きは紙面でご覧ください)
2026/1/5
縮小、解散、合併、縮充―寺院の現状から将来像を探る
曹洞宗永正寺 首都圏に拠点を移して半世紀 下北沢の新寺で活動広げる
永正寺本堂で宝前に立つ藤木住職 小劇場やライブハウスが集まる東京・下北沢の曹洞宗永正寺。2021年に晋住した藤木隆宣住職(81)は故郷・福井県の日庭寺を2024年末に合併した。上京から半世紀以上。活動拠点は首都圏のため、整理することを決断した。
藤木住職は福井県越前町の臥牛院出身。1968年3月に大本山永平寺を送行し、地元の県立高校に非常勤講師として勤めた。転機となったのは駒澤大の同級生だった篠原鋭一氏(NPO法人「自殺防止ネットワーク風」理事長)から、全国青少年教化協議会(全青協)に参画しないかと声を掛けられたことだった。
上京したのは1970年頃。全青協を経て篠原氏らと設立した出版社パンタカで活動し、1982年に「曹洞禅グラフ」などを発行する仏教企画(神奈川県相模原市)を立ち上げた。現在まで広く禅の教えを伝え、仏教文化を発信している。
師匠が住持する金剛院(福井県越前市)の末寺にあたる日庭寺を兼務したのは1990年頃。檀家のない寺だった。臥牛院の檀家も少なく、保育園を運営するなどして寺院を護持してきた。
松井氏が2019年に遷化。翌年に臥牛院の住職を長男の総宣氏に継承し、永正寺晋住を機に日庭寺の合併を検討するようになった。「少子高齢化の進行で寺院後継者も減り続ける。いくつも兼務する時代ではない」と今後を見据え、「活動の場を首都圏に移して50年以上経つ。後代への継承を複雑にしないためにも、整理すべきときだろう」と決断した。(続きは紙面でご覧ください)
2026/1/5
縮小、解散、合併、縮充―寺院の現状から将来像を考える
浄土宗念佛寺 教区長が苦慮する解散 高齢尼僧住職退任
大津駅近くも踏切と石段 解体撤去に多額費用
本堂の前に積まれた廃材・ガレキ。搬出も困難 寺は残さなくてはならない、宗教法人は解散させるべきではない―もちろん、それが理想だ。だが、現実にはどうしても清算しなければならない状況にあるお寺もある。滋賀県大津市逢坂の浄土宗念佛寺は現在、増本俊幸教区長が代務者となって清算を進めている。
念佛寺の創建に正確な記録はないが、16世紀にできたとみられる。地図の上から見ればJR大津駅から徒歩10分程度、国道1号線沿いで好立地にさえ思える。それがどうして廃寺の状況になったのか。
2024年1月、念佛寺のG住職(尼僧)と檀家らで今後について考える会議が開かれ、G尼から住職退任と廃寺の申し出があったのが解散への始まりだった。後期高齢者のG尼は足が悪く、認知症もあり、家族も後継者もなく寺院を続けることはできないと自身も周囲も判断した。同じ逢坂の幻案寺の住職で、当時大津組長(2025年4月より滋賀教区長)でもあった増本氏が代務者として清算に当たることになった。残余財産の引受人は幻案寺だ。
増本氏は組長をしていた中で大津市内の別の寺院の解散に取り組んだことがある。「その経験があるから同じようにできると思っていたら大間違い」で、現在まで苦労が続いていると頭を抱える。
増本氏に念佛寺まで案内してもらった。驚いたのは、念佛寺は山の麓、しかも京阪電車の線路のすぐ隣で、参道は「念佛寺踏切」というそのものの名前の踏切を越えなければ到達できないのである。そこ以外に道はない。本堂に入るまでに石段もある。足の悪いG尼にとっては厳しい環境だっただろう。本堂前には瓦などの廃材が山と積まれている。「山門と客殿は老朽化がひどく、非常に危険でとりあえずこれだけは早急に解体しなければならなかったんです」と増本氏。しかし車両が通れないのでガレキの搬出は困難を極めている。(続きは紙面をご覧ください)
2026/1/1
仏教の幸福観 大安楽 大自在の境地に至るには
真言宗智山派管長・総本山智積院化主第73世 吉田宏晢
明けましておめでとうございます。この新しい年が平和で安らかな年であることを祈っております。ただ、世界ではウクライナやパレスチナの戦闘は収まっておらず、ベネズエラやインドとパキスタン、東南アジア各地での紛争や戦闘もいつ止むのかという見通しが立っておりません。地球温暖化の進行は止まることを知らず、去年の我が国の猛暑は耐え難いほどで、熱中症患者の救急搬送数が過去最高の8341人に昇ったということです。一方、イーロン・マスク氏の年収は150兆円だそうですが、世界の7億人以上が一日294円で生活していると言われています。
こうした災害や戦争、不平等を見ると、おめでとうなどと言っている場合かとも思いますが、しかし、年の初めや結婚式、会社の開業などは目出度いのであり、その目出度いことが続き、よりよくなることが願われているのだと思います。私も去年の6月28日から真言宗智山派管長、総本山智積院化主第73世という大役に任ぜられ、多くの方々から祝福されました。その後、毎朝の勤行や団参回向、様々な行事や執筆活動、法話や垂示等で毎日を過ごしておりますが、以前のようにおめでとうとは言われなくなりました。
昔、智山派のある化主猊下が「毎日が元旦のような気持でいれば毎日が目出度い」と言われたそうでありますが、確かにその通りだと思います。しかし、一昨年の元旦に起こった能登半島地震の時に、人々はとてもおめでとうとは言えなかったのです。
さて、目出度いはおよそ初めの時だけですが、幸福はもっとスパンが長いと思います。美味しいものをいつも食べていれば、その間は幸せですし、三世代の家族が揃って皆健康で仲良くやっていれば、こんな幸せなことはないと思います。ですがそういう幸せも、食べるものがなくなったり、家族の誰かが亡くなったりすると、途端にその幸せの百倍も千倍もの悲しみが襲ってくるでしょう。ですから普通の幸福は条件づきで、幸せの条件が無くなると、たちまちその幸せに倍する悲しみに襲われるかもしれないのです。また、どんなに幸せであっても永遠にその幸せが続くことはありません。
他方、自分の幸せが誰かの不幸になっていることがあります。例えば好きな人と結婚して幸せいっぱいな時に、失恋して泣いている友がいるかもしれません。さらに言えば、健康だから幸せだけれど、お金がない。お金はあるが病気がちである、など完全な幸福などはありえないのだと思います。
さて、仏教の幸福観はどのようなものかと考える時、釈尊は世間的な幸せを全部捨ててしまわれたと言うことが出来ます。何故なら釈迦国の王子として何一つ不自由なことはなく、結婚もして子どもも出来て、いずれは釈迦国の王様になるわけですから、こんなに幸せなことはないと思われます。しかしシッダールタ(釈尊の幼名)はその幸せを一切合切捨ててしまった。それは何故かと言うと、ある時、城門から外に出て(四門出遊)、老人、病人、死者を見て、自分もいずれそうなることを知って悩み、これを解決しようとして城を出たというのです。これが29歳の時だったと言われています。6年間の難行苦行の末、その苦行を捨てて山を下り、ニレゼー河を渡って、ピッパラ樹(菩提樹)の下で瞑想に入り、明けの明星を見て、遂に悟りを開いたと言われています。
それでは悟りを開いたことによって、何を解決したのか。それは老病死の問題で王位を捨てたのだから、老病死の問題を解決したのです。老病死の先には生まれるということがありますから、生老病死の問題を解決した。よく商売がうまくいかなかったり、受験や就職が上手くいかなかったりすると、四苦八苦しているなどと言いますがb、「人生は四苦八苦だよ」と言われると、「そんなことはない。人生には楽しいことも一杯ある」と反発するでしょう。
しかしこの四苦八苦の「苦」とは、「思い通りにならない」という意味だと言われると、生まれる、年をとる、病気になる、亡くなる、ということは正に「思い通りにならない」から「人生は四苦八苦である」ということは、まさにその通りだと気が付くでしょう。
インドから仏教が中国に渡った時、サンスクリットのドウッカを「苦」と翻訳したために、中国や韓国、日本の人々は、大きな誤解をしてしまったのです。しかし四苦八苦の「苦」は「思い通りにならない」という意味だと知れば、四苦八苦はまさに思い通りになりませんから、誰でも納得すると思います。従って釈迦は一切の苦しみ悲しみを乗り越えたから無条件の安楽(大安楽)を得、一切の思い通りにならないことがなくなったから、大自在の境地に至られたと言われているのです。
これを別の言葉でいうと、解脱涅槃で、解脱は生老病死の繰り返し(輪廻転生)から解放されること(大自在)、涅槃は無条件の幸福(大安楽)ということになります。釈尊はこの境地に如何にして至るかを説法されました。それが四諦(真理)八正道で、その最初の真理が「人生は四苦八苦である」でした。第二の真理は「苦には原因の集まりがある」、第三の真理は「苦の原因の集まりをなくせば苦はなくなる」、第四の真理は「苦の原因の集まりをなくす方法」です。
京都・総本山智積院の中心伽藍である金堂。宗祖弘法大師ご誕生千二百年の記念事業として昭和50年(1975)に建立された これを病気の苦しみとその原因、原因がなくなって健康を取り戻し、安楽と自由を得たことに譬えると、病苦の原因は三種類あり、直接的な原因と、間接的な原因と、無知だと考えられます。例えばお腹が痛い時、その直接的な原因は、胃癌か胃潰瘍か食あたりなどでしょう。そこでその原因がわかれば、手術をしたり放射線を当てたり、下剤を飲んで治療します。それによって痛みがなくなれば、健康を取り戻しますが、胃癌や胃潰瘍や食あたりになった間接的な原因があり、それは不摂生をしたり、ストレスが溜まったり、腐った物を食べたりしたからでしょう。それからさらに大事な原因があって、それは無知です。暑い日に水も飲まずにパソコンをやっていたら熱中症になるよという知識がなければバッタリ倒れて救急車で病院に運ばれるということになります。
そこで生老病死等の四苦八苦にも三つの原因があり、その直接的な原因は我執であり、間接的な原因は法執(自分は生まれてから死ぬまで変わらないと思っているが、それは自分という言葉が変わらないだけで実際には毎日毎年変わっていることに気が付かない)です。最後の無知に当たるものは無明でこれを打ち破るものが悟りの智慧であると考えられます。仏教の歴史はこの智慧を如何にして獲得するかの歴史であったと言っても過言ではないでしょう。従ってこの歴史をたどって実践すれば般若の智慧が得られると思います。
ただそれが得られなくても、直接的な原因と間接的な原因をなくせば痛みは無くなると思います。痛みがなくなれば四苦八苦はなくなるのですから、大安楽大自在の境地に至ったと考えてもよいでしょう。『般若心経』に「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄」とある通りです。
それでは年頭に当たって、皆様の幸運と安楽をお祈りして筆をおきます。
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よしだ・こうせき/昭和10年(1935)2月25日生まれ。90歳。自坊は埼玉県本庄市の宥勝寺。大正大学名誉教授。博士(文学)。令和7年(2025)6月28日から現職。任期は4年間。平成28年・30年に真言宗の最高厳儀である後七日御修法の供僧(伴僧・五大尊供)を務め、今年の御修法には舎利守として出仕する。令和4年(2022)に第32回中村元東方学術特別顕彰受賞。著書に『空海思想の形成』(春秋社)『やさしい密教』『覚鑁』(共に作品社)など。
2026/1/1
青森東方沖地震 むつ市と大槌町で曹洞宗2カ寺が避難所に
発生直後に受け入れ準備
青森県むつ市の大安寺(同寺提供)震源地に近い下北半島の津軽海峡に面する青森県むつ市大畑町の曹洞宗大安寺で8日夜に避難所が開設され、住民約180人が身を寄せた。避難所の開設は今年2回目。
地震の発生は8日午後11時15分。その10分後には受け入れ態勢に入った。7月のカムチャッカ半島沖地震で避難所を開設した経験から、スムーズに対応できたという。到達した津波の高さや休校などを伝える情報掲示板を設置し、避難者の不安をやわらげようと努めた。津波注意報が解除された9日朝に避難所を閉じた。
2019年の大雨で大畑町の市街地で浸水被害があり、海面から約15㍍の高台にある同寺にも住民が避難してきた。長岡俊成住職は「被害が長期間に及んだときに支援できるようにしておこう」と市に働きかけ、2022年4月に避難所の指定を受けた。翌年9月には市と災害時の協定を結んだ。ソフト面の強化を図ろうと、2023年に防災士の資格も取得した。
こうした準備が、今年に入って頻発する地震の際に役立った。「今回は停電や断水もなかったため乗り切れたが、今後さらに大きな地震が起きるかもしれない。しっかり備えておきたい」と語った。
岩手県大槌町の吉祥寺(同)最大震度5強の揺れを観測した岩手県では、津波警報が発令された沿岸部の大槌町で避難指示が出された。東日本大震災で避難者を受け入れ、記憶の風化を防ぐ様々な伝承活動を続ける同町の同宗吉祥寺で8日夜、避難所が開設された。
「カムチャッカ半島沖地震よりも強い揺れを感じた」と髙橋英悟住職は津波警報が出ると予想し、すぐに準備を開始。午後11時半に避難所を開設し、9日朝6時頃まで住民26人を受け入れた。
東日本大震災の経験から、近場の避難所ではなく海抜約60㍍の同寺を選ぶ住民もいたという。避難指示が解除されたのは9日午前3時頃だったが、残った住民が帰宅するまで閉鎖を延長した。
今回役場から物資が届かなかったため、寺院の備蓄品を提供。髙橋住職は災害時の対応について役場に確認を行ったとし、「大きな災害の前に新たな課題が分かってよかった」と話した。
2026/1/1
第8期臨床仏教師 2人を認定 3年余の研修修了し
臨床仏教師に認定された關氏(左)と丹羽氏(右)。中央は池田名誉所長(公財)全国青少年教化協議会(全青協)・臨床仏教研究所は12月7日、東京・芝の東京グランドホテル(曹洞宗檀信徒会館)で臨床仏教師認定式を挙行し、第8期を修了した2人に池田魯参同研究所名誉所長(駒澤大学名誉教授)から認定証が授与された。認証者はトータルで24人となった。
資格を認定されたのは關元生氏(愛媛県西条市・臨済宗東福寺派寿聖寺副住職)と丹羽隆浩氏(埼玉県秩父市・曹洞宗四萬部寺副住職)。およそ3年かけて座学やワークショップ、実践研修などを重ね、生老病死を含む現代社会が抱える諸課題を研さんした。
池田名誉所長が2人に認定証を手渡し、「おめでとう、しっかり頑張って」と激励した。両氏の認定期間に違いがあり、關氏は2025年12月1日から31年3月31日までの約5年。丹羽氏は2025年12月1日から28年3月31日までの約3年。丹羽氏は「臨床仏教師レジデント」となる。
認定書を手にした關氏は「とても重たいものをいただいた。皆さまや研究所にご迷惑をおかけしないよう、自分でできることを一生懸命精進してまいりたいと思います」と心境を語った。
丹羽氏は、臨床仏教師を志したきっかけが知人の母が末期がんで死去したことだとし、「その時から死に向かう方々に何かお手伝いができないかという思いで、無我夢中で来たような気がする。やっと目に見える形になった。しかしこれがスタート地点。気持ちを新たに色々な方々の思いに寄り添い、それが私の僧侶としての修行だと思っている」と決意を表明した。
臨床仏教研究所の神仁所長は、2人を祝福すると同時に若者たちの自死が増え、特殊詐欺に加担している状況に「経済苦と心の貧困が連動しながら進んでいるような思いをしている」と憂慮した。 そして「今日がスタート。それぞれ3年、5年後に再認定となるが、その中でどのような活動をしていくか。自分自身に気づきながらしっかりと他者ケアをしていくことが求められる。2人の姿を期待を持って見つめて参りたい」と現場での活躍を期待した。
2026/1/1
日蓮宗 井上日修管長就任奉告式 750遠忌円成へ常精進
就任の挨拶を述べる井上管長日蓮宗の第56代管長に推戴された井上日修・本山瑞輪寺貫首(88)の就任奉告式が12月17日、東京都大田区の宗務院で挙行された。井上管長は「祖願達成を目指し、日蓮聖人第750遠忌報恩奉行の無事円成に向け、常精進せんことを誓願し奉る」と6年後に迫った宗祖750遠忌への思いを語った。
式典では、管長推戴委員会の山田光映副委員長が井上管長の推戴に至る経過を報告。同委員会の総意により委員長を務めていた井上管長の推戴を決定し、委員長を辞した上で井上管長が推戴を承諾したことを伝えた。
井上管長に、山田副委員長による推戴書の奉呈、星日龍・管長代務による管長印璽の授与がなされ、田中恵紳宗務総長からは大僧正叙任、特別大法功章の奉呈がなされた。
田中総長は、体調不良のため辞任した菅野日彰管長の7年6カ月にわたる教導や星管長代務に宗会での教旨を賜ったことに感謝。井上管長には「第750遠忌事業の円成に向けてご教導賜りますよう伏してお願い申し上げます」と懇請した。
井上管長は、「宗門は今まさに6年後に迫った宗祖750遠忌に向け、いよいよ邁進致し始めたところ。けだし宗務院には宗祖750遠忌報恩奉行会、企画推進委員会が設けられ、6年後の準備も着々と進められております。不肖、その円成に向けて誠心誠意、精進致す所存」と述べ、事業円成に意欲を示した。(続きは紙面でご覧下さい)
2026/1/1
日蓮宗 新宗務総長に光岡潮慶氏「行動力と機動力」で対応
新宗務総長に就任した光岡潮慶氏 日蓮宗は12月11日、田中恵紳宗務総長の任期満了に伴う次期宗務総長を選出する第125臨時宗会を東京都大田区の宗務院に招集し、愛知県名古屋市栄立寺住職の光岡潮慶氏(57)を新総長に選出した。光岡新総長は「余力を残すことなく、全身全霊を傾け宗政宗務に尽力する覚悟」と決意を表明。22日には宗務院で内局認証式が行われ、光岡内局が発足した。
11月の宗会議員選挙で宗政会派の明和会が過半数となる23議席を獲得。今月9日、宗憲による参与推薦議員が阿部和正議員(明和会)、田邉木蓮議員(同心会)に決定し、明和会24議席、同心会21議席となった。
投票の結果、光岡氏(明和会)が43票、藤田尚哉氏(同心会)が1票、無効票1票で光岡氏が新総長に選出された。
田中総長は退任の挨拶で4年間の任期中に実施したグランドデザインをはじめとする施策や改革に触れ、「すべての施策に共通するのは、宗門がこれから先も今までと同じように存続しうるであろうかとの強い危機感に根差している」と強調。
総長就任時に述べた「誰がするかは重要ではなく、何をするかが重要である」との言葉を再び議場に投げかけ、「その〝何をするか〟の問いに私なりに出した答えの一つがグランドデザイン。新たな宗務総長と宗務内局の方々には、ぜひともこのグランドデザインを基として、その具現化に取り組んでいただきますよう」と呼びかけた。
田中内局で総務局長を務めてきた光岡新総長は田中総長について「多岐にわたる大改革をわずか4年で着実に実行された」「常に物事の本質を見抜く洞察力と状況を的確に把握し判断する決断力をまじかに拝見してきた」と述べ、「田中総長の後任者として重責をしっかりと引き継がせていただくためにも、決意を新たにして常に日々精進して参る所存」と話した。令和13年に迎える宗祖750遠忌に宗門一丸となって邁進する必要を訴え、「自身の価値は行動力と機動力にあると自負している」と宗政宗務の諸課題に迅速に対応していく意向を語った。
光岡新総長は昭和43年生まれ。立正大学仏教学部宗学科卒。議員4期目。田中内局で総務局長、災害対策本部副本部長、管長推戴委員会委員、日蓮聖人第750遠忌報恩奉行会常任役員などを歴任。立正大学学園理事。全国日蓮宗青年会第28代会長を務めた。

