1月
2026/1/5
縮小、解散、合併、縮充―寺院の現状から将来像を考える
浄土宗念佛寺 教区長が苦慮する解散 高齢尼僧住職退任
大津駅近くも踏切と石段 解体撤去に多額費用
本堂の前に積まれた廃材・ガレキ。搬出も困難 寺は残さなくてはならない、宗教法人は解散させるべきではない―もちろん、それが理想だ。だが、現実にはどうしても清算しなければならない状況にあるお寺もある。滋賀県大津市逢坂の浄土宗念佛寺は現在、増本俊幸教区長が代務者となって清算を進めている。
念佛寺の創建に正確な記録はないが、16世紀にできたとみられる。地図の上から見ればJR大津駅から徒歩10分程度、国道1号線沿いで好立地にさえ思える。それがどうして廃寺の状況になったのか。
2024年1月、念佛寺のG住職(尼僧)と檀家らで今後について考える会議が開かれ、G尼から住職退任と廃寺の申し出があったのが解散への始まりだった。後期高齢者のG尼は足が悪く、認知症もあり、家族も後継者もなく寺院を続けることはできないと自身も周囲も判断した。同じ逢坂の幻案寺の住職で、当時大津組長(2025年4月より滋賀教区長)でもあった増本氏が代務者として清算に当たることになった。残余財産の引受人は幻案寺だ。
増本氏は組長をしていた中で大津市内の別の寺院の解散に取り組んだことがある。「その経験があるから同じようにできると思っていたら大間違い」で、現在まで苦労が続いていると頭を抱える。
増本氏に念佛寺まで案内してもらった。驚いたのは、念佛寺は山の麓、しかも京阪電車の線路のすぐ隣で、参道は「念佛寺踏切」というそのものの名前の踏切を越えなければ到達できないのである。そこ以外に道はない。本堂に入るまでに石段もある。足の悪いG尼にとっては厳しい環境だっただろう。本堂前には瓦などの廃材が山と積まれている。「山門と客殿は老朽化がひどく、非常に危険でとりあえずこれだけは早急に解体しなければならなかったんです」と増本氏。しかし車両が通れないのでガレキの搬出は困難を極めている。(続きは紙面をご覧ください)
2026/1/1
仏教の幸福観 大安楽 大自在の境地に至るには
真言宗智山派管長・総本山智積院化主第73世 吉田宏晢
明けましておめでとうございます。この新しい年が平和で安らかな年であることを祈っております。ただ、世界ではウクライナやパレスチナの戦闘は収まっておらず、ベネズエラやインドとパキスタン、東南アジア各地での紛争や戦闘もいつ止むのかという見通しが立っておりません。地球温暖化の進行は止まることを知らず、去年の我が国の猛暑は耐え難いほどで、熱中症患者の救急搬送数が過去最高の8341人に昇ったということです。一方、イーロン・マスク氏の年収は150兆円だそうですが、世界の7億人以上が一日294円で生活していると言われています。
こうした災害や戦争、不平等を見ると、おめでとうなどと言っている場合かとも思いますが、しかし、年の初めや結婚式、会社の開業などは目出度いのであり、その目出度いことが続き、よりよくなることが願われているのだと思います。私も去年の6月28日から真言宗智山派管長、総本山智積院化主第73世という大役に任ぜられ、多くの方々から祝福されました。その後、毎朝の勤行や団参回向、様々な行事や執筆活動、法話や垂示等で毎日を過ごしておりますが、以前のようにおめでとうとは言われなくなりました。
昔、智山派のある化主猊下が「毎日が元旦のような気持でいれば毎日が目出度い」と言われたそうでありますが、確かにその通りだと思います。しかし、一昨年の元旦に起こった能登半島地震の時に、人々はとてもおめでとうとは言えなかったのです。
さて、目出度いはおよそ初めの時だけですが、幸福はもっとスパンが長いと思います。美味しいものをいつも食べていれば、その間は幸せですし、三世代の家族が揃って皆健康で仲良くやっていれば、こんな幸せなことはないと思います。ですがそういう幸せも、食べるものがなくなったり、家族の誰かが亡くなったりすると、途端にその幸せの百倍も千倍もの悲しみが襲ってくるでしょう。ですから普通の幸福は条件づきで、幸せの条件が無くなると、たちまちその幸せに倍する悲しみに襲われるかもしれないのです。また、どんなに幸せであっても永遠にその幸せが続くことはありません。
他方、自分の幸せが誰かの不幸になっていることがあります。例えば好きな人と結婚して幸せいっぱいな時に、失恋して泣いている友がいるかもしれません。さらに言えば、健康だから幸せだけれど、お金がない。お金はあるが病気がちである、など完全な幸福などはありえないのだと思います。
さて、仏教の幸福観はどのようなものかと考える時、釈尊は世間的な幸せを全部捨ててしまわれたと言うことが出来ます。何故なら釈迦国の王子として何一つ不自由なことはなく、結婚もして子どもも出来て、いずれは釈迦国の王様になるわけですから、こんなに幸せなことはないと思われます。しかしシッダールタ(釈尊の幼名)はその幸せを一切合切捨ててしまった。それは何故かと言うと、ある時、城門から外に出て(四門出遊)、老人、病人、死者を見て、自分もいずれそうなることを知って悩み、これを解決しようとして城を出たというのです。これが29歳の時だったと言われています。6年間の難行苦行の末、その苦行を捨てて山を下り、ニレゼー河を渡って、ピッパラ樹(菩提樹)の下で瞑想に入り、明けの明星を見て、遂に悟りを開いたと言われています。
それでは悟りを開いたことによって、何を解決したのか。それは老病死の問題で王位を捨てたのだから、老病死の問題を解決したのです。老病死の先には生まれるということがありますから、生老病死の問題を解決した。よく商売がうまくいかなかったり、受験や就職が上手くいかなかったりすると、四苦八苦しているなどと言いますがb、「人生は四苦八苦だよ」と言われると、「そんなことはない。人生には楽しいことも一杯ある」と反発するでしょう。
しかしこの四苦八苦の「苦」とは、「思い通りにならない」という意味だと言われると、生まれる、年をとる、病気になる、亡くなる、ということは正に「思い通りにならない」から「人生は四苦八苦である」ということは、まさにその通りだと気が付くでしょう。
インドから仏教が中国に渡った時、サンスクリットのドウッカを「苦」と翻訳したために、中国や韓国、日本の人々は、大きな誤解をしてしまったのです。しかし四苦八苦の「苦」は「思い通りにならない」という意味だと知れば、四苦八苦はまさに思い通りになりませんから、誰でも納得すると思います。従って釈迦は一切の苦しみ悲しみを乗り越えたから無条件の安楽(大安楽)を得、一切の思い通りにならないことがなくなったから、大自在の境地に至られたと言われているのです。
これを別の言葉でいうと、解脱涅槃で、解脱は生老病死の繰り返し(輪廻転生)から解放されること(大自在)、涅槃は無条件の幸福(大安楽)ということになります。釈尊はこの境地に如何にして至るかを説法されました。それが四諦(真理)八正道で、その最初の真理が「人生は四苦八苦である」でした。第二の真理は「苦には原因の集まりがある」、第三の真理は「苦の原因の集まりをなくせば苦はなくなる」、第四の真理は「苦の原因の集まりをなくす方法」です。
京都・総本山智積院の中心伽藍である金堂。宗祖弘法大師ご誕生千二百年の記念事業として昭和50年(1975)に建立された これを病気の苦しみとその原因、原因がなくなって健康を取り戻し、安楽と自由を得たことに譬えると、病苦の原因は三種類あり、直接的な原因と、間接的な原因と、無知だと考えられます。例えばお腹が痛い時、その直接的な原因は、胃癌か胃潰瘍か食あたりなどでしょう。そこでその原因がわかれば、手術をしたり放射線を当てたり、下剤を飲んで治療します。それによって痛みがなくなれば、健康を取り戻しますが、胃癌や胃潰瘍や食あたりになった間接的な原因があり、それは不摂生をしたり、ストレスが溜まったり、腐った物を食べたりしたからでしょう。それからさらに大事な原因があって、それは無知です。暑い日に水も飲まずにパソコンをやっていたら熱中症になるよという知識がなければバッタリ倒れて救急車で病院に運ばれるということになります。
そこで生老病死等の四苦八苦にも三つの原因があり、その直接的な原因は我執であり、間接的な原因は法執(自分は生まれてから死ぬまで変わらないと思っているが、それは自分という言葉が変わらないだけで実際には毎日毎年変わっていることに気が付かない)です。最後の無知に当たるものは無明でこれを打ち破るものが悟りの智慧であると考えられます。仏教の歴史はこの智慧を如何にして獲得するかの歴史であったと言っても過言ではないでしょう。従ってこの歴史をたどって実践すれば般若の智慧が得られると思います。
ただそれが得られなくても、直接的な原因と間接的な原因をなくせば痛みは無くなると思います。痛みがなくなれば四苦八苦はなくなるのですから、大安楽大自在の境地に至ったと考えてもよいでしょう。『般若心経』に「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄」とある通りです。
それでは年頭に当たって、皆様の幸運と安楽をお祈りして筆をおきます。
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よしだ・こうせき/昭和10年(1935)2月25日生まれ。90歳。自坊は埼玉県本庄市の宥勝寺。大正大学名誉教授。博士(文学)。令和7年(2025)6月28日から現職。任期は4年間。平成28年・30年に真言宗の最高厳儀である後七日御修法の供僧(伴僧・五大尊供)を務め、今年の御修法には舎利守として出仕する。令和4年(2022)に第32回中村元東方学術特別顕彰受賞。著書に『空海思想の形成』(春秋社)『やさしい密教』『覚鑁』(共に作品社)など。
2026/1/1
青森東方沖地震 むつ市と大槌町で曹洞宗2カ寺が避難所に
発生直後に受け入れ準備
青森県むつ市の大安寺(同寺提供)震源地に近い下北半島の津軽海峡に面する青森県むつ市大畑町の曹洞宗大安寺で8日夜に避難所が開設され、住民約180人が身を寄せた。避難所の開設は今年2回目。
地震の発生は8日午後11時15分。その10分後には受け入れ態勢に入った。7月のカムチャッカ半島沖地震で避難所を開設した経験から、スムーズに対応できたという。到達した津波の高さや休校などを伝える情報掲示板を設置し、避難者の不安をやわらげようと努めた。津波注意報が解除された9日朝に避難所を閉じた。
2019年の大雨で大畑町の市街地で浸水被害があり、海面から約15㍍の高台にある同寺にも住民が避難してきた。長岡俊成住職は「被害が長期間に及んだときに支援できるようにしておこう」と市に働きかけ、2022年4月に避難所の指定を受けた。翌年9月には市と災害時の協定を結んだ。ソフト面の強化を図ろうと、2023年に防災士の資格も取得した。
こうした準備が、今年に入って頻発する地震の際に役立った。「今回は停電や断水もなかったため乗り切れたが、今後さらに大きな地震が起きるかもしれない。しっかり備えておきたい」と語った。
岩手県大槌町の吉祥寺(同)最大震度5強の揺れを観測した岩手県では、津波警報が発令された沿岸部の大槌町で避難指示が出された。東日本大震災で避難者を受け入れ、記憶の風化を防ぐ様々な伝承活動を続ける同町の同宗吉祥寺で8日夜、避難所が開設された。
「カムチャッカ半島沖地震よりも強い揺れを感じた」と髙橋英悟住職は津波警報が出ると予想し、すぐに準備を開始。午後11時半に避難所を開設し、9日朝6時頃まで住民26人を受け入れた。
東日本大震災の経験から、近場の避難所ではなく海抜約60㍍の同寺を選ぶ住民もいたという。避難指示が解除されたのは9日午前3時頃だったが、残った住民が帰宅するまで閉鎖を延長した。
今回役場から物資が届かなかったため、寺院の備蓄品を提供。髙橋住職は災害時の対応について役場に確認を行ったとし、「大きな災害の前に新たな課題が分かってよかった」と話した。
2026/1/1
第8期臨床仏教師 2人を認定 3年余の研修修了し
臨床仏教師に認定された關氏(左)と丹羽氏(右)。中央は池田名誉所長(公財)全国青少年教化協議会(全青協)・臨床仏教研究所は12月7日、東京・芝の東京グランドホテル(曹洞宗檀信徒会館)で臨床仏教師認定式を挙行し、第8期を修了した2人に池田魯参同研究所名誉所長(駒澤大学名誉教授)から認定証が授与された。認証者はトータルで24人となった。
資格を認定されたのは關元生氏(愛媛県西条市・臨済宗東福寺派寿聖寺副住職)と丹羽隆浩氏(埼玉県秩父市・曹洞宗四萬部寺副住職)。およそ3年かけて座学やワークショップ、実践研修などを重ね、生老病死を含む現代社会が抱える諸課題を研さんした。
池田名誉所長が2人に認定証を手渡し、「おめでとう、しっかり頑張って」と激励した。両氏の認定期間に違いがあり、關氏は2025年12月1日から31年3月31日までの約5年。丹羽氏は2025年12月1日から28年3月31日までの約3年。丹羽氏は「臨床仏教師レジデント」となる。
認定書を手にした關氏は「とても重たいものをいただいた。皆さまや研究所にご迷惑をおかけしないよう、自分でできることを一生懸命精進してまいりたいと思います」と心境を語った。
丹羽氏は、臨床仏教師を志したきっかけが知人の母が末期がんで死去したことだとし、「その時から死に向かう方々に何かお手伝いができないかという思いで、無我夢中で来たような気がする。やっと目に見える形になった。しかしこれがスタート地点。気持ちを新たに色々な方々の思いに寄り添い、それが私の僧侶としての修行だと思っている」と決意を表明した。
臨床仏教研究所の神仁所長は、2人を祝福すると同時に若者たちの自死が増え、特殊詐欺に加担している状況に「経済苦と心の貧困が連動しながら進んでいるような思いをしている」と憂慮した。 そして「今日がスタート。それぞれ3年、5年後に再認定となるが、その中でどのような活動をしていくか。自分自身に気づきながらしっかりと他者ケアをしていくことが求められる。2人の姿を期待を持って見つめて参りたい」と現場での活躍を期待した。
2026/1/1
日蓮宗 井上日修管長就任奉告式 750遠忌円成へ常精進
就任の挨拶を述べる井上管長日蓮宗の第56代管長に推戴された井上日修・本山瑞輪寺貫首(88)の就任奉告式が12月17日、東京都大田区の宗務院で挙行された。井上管長は「祖願達成を目指し、日蓮聖人第750遠忌報恩奉行の無事円成に向け、常精進せんことを誓願し奉る」と6年後に迫った宗祖750遠忌への思いを語った。
式典では、管長推戴委員会の山田光映副委員長が井上管長の推戴に至る経過を報告。同委員会の総意により委員長を務めていた井上管長の推戴を決定し、委員長を辞した上で井上管長が推戴を承諾したことを伝えた。
井上管長に、山田副委員長による推戴書の奉呈、星日龍・管長代務による管長印璽の授与がなされ、田中恵紳宗務総長からは大僧正叙任、特別大法功章の奉呈がなされた。
田中総長は、体調不良のため辞任した菅野日彰管長の7年6カ月にわたる教導や星管長代務に宗会での教旨を賜ったことに感謝。井上管長には「第750遠忌事業の円成に向けてご教導賜りますよう伏してお願い申し上げます」と懇請した。
井上管長は、「宗門は今まさに6年後に迫った宗祖750遠忌に向け、いよいよ邁進致し始めたところ。けだし宗務院には宗祖750遠忌報恩奉行会、企画推進委員会が設けられ、6年後の準備も着々と進められております。不肖、その円成に向けて誠心誠意、精進致す所存」と述べ、事業円成に意欲を示した。(続きは紙面でご覧下さい)
2026/1/1
日蓮宗 新宗務総長に光岡潮慶氏「行動力と機動力」で対応
新宗務総長に就任した光岡潮慶氏 日蓮宗は12月11日、田中恵紳宗務総長の任期満了に伴う次期宗務総長を選出する第125臨時宗会を東京都大田区の宗務院に招集し、愛知県名古屋市栄立寺住職の光岡潮慶氏(57)を新総長に選出した。光岡新総長は「余力を残すことなく、全身全霊を傾け宗政宗務に尽力する覚悟」と決意を表明。22日には宗務院で内局認証式が行われ、光岡内局が発足した。
11月の宗会議員選挙で宗政会派の明和会が過半数となる23議席を獲得。今月9日、宗憲による参与推薦議員が阿部和正議員(明和会)、田邉木蓮議員(同心会)に決定し、明和会24議席、同心会21議席となった。
投票の結果、光岡氏(明和会)が43票、藤田尚哉氏(同心会)が1票、無効票1票で光岡氏が新総長に選出された。
田中総長は退任の挨拶で4年間の任期中に実施したグランドデザインをはじめとする施策や改革に触れ、「すべての施策に共通するのは、宗門がこれから先も今までと同じように存続しうるであろうかとの強い危機感に根差している」と強調。
総長就任時に述べた「誰がするかは重要ではなく、何をするかが重要である」との言葉を再び議場に投げかけ、「その〝何をするか〟の問いに私なりに出した答えの一つがグランドデザイン。新たな宗務総長と宗務内局の方々には、ぜひともこのグランドデザインを基として、その具現化に取り組んでいただきますよう」と呼びかけた。
田中内局で総務局長を務めてきた光岡新総長は田中総長について「多岐にわたる大改革をわずか4年で着実に実行された」「常に物事の本質を見抜く洞察力と状況を的確に把握し判断する決断力をまじかに拝見してきた」と述べ、「田中総長の後任者として重責をしっかりと引き継がせていただくためにも、決意を新たにして常に日々精進して参る所存」と話した。令和13年に迎える宗祖750遠忌に宗門一丸となって邁進する必要を訴え、「自身の価値は行動力と機動力にあると自負している」と宗政宗務の諸課題に迅速に対応していく意向を語った。
光岡新総長は昭和43年生まれ。立正大学仏教学部宗学科卒。議員4期目。田中内局で総務局長、災害対策本部副本部長、管長推戴委員会委員、日蓮聖人第750遠忌報恩奉行会常任役員などを歴任。立正大学学園理事。全国日蓮宗青年会第28代会長を務めた。

