4月
2025/4/10
ミャンマー地震 JPF 緊急支援へ SVA、寺院や僧院倒壊を報告
(特活)ジャパン・プラットフォーム(JPF)は4日、ミャンマー中部地震を受け被災者支援プログラムの説明会をオンラインで緊急開催した。JPFの加盟NGOである(特活)難民を助ける会、(特活)CWSジャパン、(公社)シャンティ国際ボランティア会(SVA)が現地の状況、被災者へのニーズを解説した。
難民を助ける会からは野際紗綾子氏が報告した。同会は発災翌日の3月29日から被災状況調査をスタートした。避難はしたが屋根もない路上で過ごさざるを得ない人々や、200ある家屋のうち180棟が倒壊した村、デング熱ほか感染症などの危機を説明。僧院に避難する人々もいるという。同会が主催する「障害者のための職業訓練校」の卒業生も深刻な被害を受けており、「私たちは全てを失った、家業のお菓子屋も潰れました…」と手話で悲しみを伝える映像も流された。同会では現在、火を使わずに食べられる食糧や水を配布する緊急支援を実施、障害者やケガをした人のための補助具も準備している。紛争影響下での支援には困難があることを認めつつ、女性や子ども、障害者のような弱い立場の人を取り残さないような支援を目指すとした。(続きは紙面でご覧ください)
2025/4/10
念法眞教 立教百年大祭で開闢法要 4月1日 念法菩薩の誓い新たに
開祖親先生の御真影を石舞台上に奉安して挨拶する桶屋燈主㊧ 小倉霊現初代燈主(開祖親先生)が「現世界極楽浄土建設」を掲げて立教開宗してから100周年を迎えた念法眞教は1日、大阪市鶴見区の総本山金剛寺で来年3月31日までの1年間に及ぶ立教百年大祭の開闢法要を勤修した。全国から信徒2100人超が参拝し、僧侶約90人が出仕。応現した久遠実成阿弥陀如来から人類救済・衆生済度の仏勅を受けた親先生に始まる100年の信仰を継承し、念法眞言や念法開祖御宝号を唱えながら念法菩薩として菩薩行の実践に邁進する誓いを新たにした。
午前10時から境内で塔婆庭儀式。桶屋良祐燈主を導師に記念の角塔婆を開眼し、立教百年大祭の開幕を飾る念法眞言に無魔円成の祈りを込めた。
一宮良範教務総長の「出発!」のかけ声に続き、念法浄土の荘厳を表現した「二十五菩薩おねり供養・稚児行列」を開始。北海道から沖縄までの支部旗をはためかせながら、全国支院主管者(住職)と大勢の信徒らが九角如来堂拝殿前広場まで進んだ。
僧兵姿の弁慶衆が担ぐ御駕籠には、立教100年大祭のために仏師が謹刻した親先生の等身大尊像が乗り、その後を桶屋燈主が微笑みながら進列。信徒が見守る壮麗なお練り行列の中で、親先生から歴代燈主を経て桶屋燈主まで念法の法燈が継承されていることを示した。(続きは紙面でご覧ください)
2025/4/10
天台宗審判 「性暴力肯定の不当決定」 女性僧侶と弁護士会見 再審と第三者委求める
会見で涙を拭いながら訴える叡敦氏 女性僧侶の叡敦(えいちょう)氏(50代)が14年間に及ぶ性暴力被害を天台宗に告発し、男性僧侶2人の僧籍剥奪を求めた問題。宗内の司法機関・審理局が3月27日までに加害住職(60代)を「罷免」処分、その師僧である大僧正(80代)を「懲戒に該当しない」とする審判決定を出した。これを受けて叡敦氏と代理人の佐藤倫子弁護士が4日、東京・永田町の衆議院第二議員会館で会見。叡敦氏は再審を強く望んだ上で、宗派内部の審判ではなく第三者委員会の設置による審判のやり直しを訴えた。
審判員3人で構成する審理局第一次審判所の審判会は滋賀県大津市の宗務庁で開かれ、1月24日・2月27日・3月24日の3回で結審。佐藤弁護士は「審判会の公開と傍聴を求めたが認められなかった」と説明し、「どういった事実を認定してこの判断に至ったのか、わからない。軽きに失する処分だ」と批判した。
今月中旬が不服申立と再審請求の期限だが、それを行えるのは懲戒処分当事者の加害住職と細野舜海宗務総長のみ。叡敦氏は、当日朝に代理人を通して宗務庁に送付したという不服申立と第三者委員会設置を細野総長に求める手紙を朗読。「被害者である私の声を一度も聞かず、たった3回の書類のみの非公開による審判会で、性暴力を肯定するかのような不当な審判決定を出された」と涙を拭い、「細野総長様、どうかお助けください、私にお力をお貸しください」と繰り返し切望した。(続きは紙面でご覧ください)
2025/4/7
大阪府佛教会 仏教徒会議大阪大会の概略発表 諸宗教対話 4大宗教登壇 いのちシンポ 万博プロデューサーら
概要を中間報告する清澤実行委員長 来る9月5・6日に予定されている全日本仏教徒会議大阪大会「無量のいのち―全ての『いのち』を慈しむ」(主催=大阪府佛教会、共催=全日本仏教会)。現時点で定まっている計画の「中間報告会」が3月27日に大阪市天王寺区の和宗総本山四天王寺で開かれた。
村山廣甫会長(豊中市・東光院)は挨拶で、「府佛教会は60周年を迎えることになりました。我々の先輩も檀信徒の追悼や世界平和の祈りを続けてこられた。その集大成が、戦後80年、阪神・淡路大震災30年の今年に重なった」と大会の重要性を説き、大会を経験したことのない若い僧侶の意見もどんどん取り入れたいと話した。
清澤悟実行委員長(門真市・願得寺)が概略を発表した。開会式の法要は戦後80年を受け、全世界物故者追悼法要として全日本仏教会の伊藤唯眞会長(浄土門主)を大導師に営む。続いての諸宗教対話フォーラム「未来社会における宗教の役割」は仏教からは戸松義晴氏(世界仏教徒連盟執行役員)、キリスト教からは小原克博氏(同志社大学学長)、イスラームからはアナス・ムハンマド・メレー氏(ムスリム世界連盟日本支部代表理事)とサイード佐藤氏(同理事)、神道からは諸宗教対話にも詳しい三宅善信氏(金光教春日丘教会長)が登壇。ファシリテーターは宗教学者の釈徹宗氏(相愛大学学長)が務める。「四大宗教の対話を通しての現状の社会への展望を見極めていきたい」と清澤氏は期待する。夜は懇親会。(続きは紙面でご覧ください)
2025/4/7
築地本願寺 空襲犠牲者悼み 被爆ビアノ演奏 米国出身ピアニストが平和願い
夜のコンサートで演奏するコーラー氏(塚野順子マネジャー提供) 東京大空襲から80年となる3月10日、防空壕があった東京都中央区の築地本願寺境内で、広島の原爆で焼け残った「被爆ピアノ」の演奏で全国ツアー中のピアニスト、ジェイコブ・コーラー氏(45)のコンサートが開かれた。
コンサートは「被爆80年 被爆ピアノコンサート実行委員会」(委員長・岩田幸一弁護士)が開催。「被爆地だけでなく、空襲によって東京でも多くの人が犠牲になった。防空壕で人々を守った築地本願寺で、平和を考えるきっかけとなるコンサートができれば」とピアノ調律師で被爆2世の矢川光則氏(広島市・矢川ピアノ工房代表)が企画した。
矢川氏は原爆投下に耐えた被爆ピアノを引き取って修復し、戦争の記憶を継承しようと全国各地で演奏会を開くなどの平和活動を行っている。築地本願寺で使われたのは爆心地から2・6㌔離れた広島市の民家にあったピアノ。自宅で被爆したカズコさんが矢川氏の活動を知り、2009年に託したものだ。
米国出身のコーラー氏は日本人女性と結婚し、2009年から日本を拠点に活動している。被爆80年の節目に合わせ、昨秋から矢川氏とともに被爆ピアノを演奏する全国ツアーを開催中で、今年元日には広島の平和記念公園で年越しコンサートを行い、原爆ドーム前でも演奏した。(続きは紙面でご覧ください)
2025/4/3
花まつり 寄稿 君島彩子氏 美術と出会った誕生仏
誕生仏に反映された美的価値 戦後は復興と平和のシンボルに
釈尊降誕会といえば「誕生仏」をご本尊に、参拝者が甘茶を灌いでお祝いするのが日本の「花まつり」の光景として定着している。日本書記にも「灌仏会」の記述があるほどで、古来より受け継がれてきた伝統の行事である。その主役ともいえる「誕生仏」もまた、時代ごとにその姿を変え、時に新たな価値が付加されながら伝承されてきた。君島彩子氏の寄稿から古今の「誕生仏」に触れてみよう。
現在の東大寺の仏生会における釈迦誕生仏像(東大寺提供) 釈尊が産まれてすぐに立ち上がり7歩歩いて、両手で天と地を指し「天上天下唯我独尊」と唱えた姿をかたどった仏像を「誕生仏」と呼ぶ。灌仏会(仏生会や降誕会とも)の本尊とされるため、多くの寺院に誕生仏が伝わっている。灌仏会では誕生仏に香水または甘茶を注ぐ儀礼がおこなわれ、多くは青銅に鍍金を施した金銅仏である。誕生仏は長い歴史の中で、釈尊の誕生を祝した儀礼で使用され、重要視されてきた。
造形性を重視
明治初期、欧米をモデルに美術や文化財といった概念が日本にも導入され、仏像は美術史の中に位置づけられた。誕生仏にも美術的な価値観が反映され、その造形性が重視されるようになった。近代から現在に至るまで、誕生仏の造形的な規範のひとつとなっているのが、東大寺に伝わる国宝の《誕生釈迦仏立像》だ。通常の誕生仏の倍以上の大きさがあり、肉づきのよい身体、胸や腕にあるくびれ、柔らかな表情で幼児らしい姿は天平時代の作風を現在に伝えている。この誕生釈迦仏立像は、現在、東大寺ミュージアムをはじめ博物館等に展示されることも多い。一方、東大寺では4月8日の仏生会で、大仏殿正面に国宝の誕生釈迦仏立像の複製を納めた花御堂が設置され、参拝者が甘茶をかけることが可能だ。目で鑑賞するだけでなく、甘茶をかけ、参拝することで釈尊の誕生を祝う儀礼に参加できる。
仏教に追い求めたアイデンティティー
明治期には誕生仏にも美術的な価値が見出されるが、さらに大正期に入ると、彫刻家の表現の発露として彫刻作品としての誕生仏が模索された。多くの青年が仏教の中に自己のアイデンティティーを追い求めた大正期、西洋的美術教育の基礎にある裸体表現と仏像の造形が結びつき仏像風の彫刻が多数制作された。その中で注目されたのが釈尊の母である摩耶夫人の姿である。こうして摩耶夫人の姿が裸体で表現されるようになったのだ。前近代にも法隆寺伝来の《摩耶夫人および天人像》や、摩耶寺の《摩耶夫人立像》のように摩耶夫人と産まれたばかりの釈尊を表現した像は伝わっているが、決して数は多くない。さらに摩耶夫人の姿を裸体で表すことは前近代の仏像ではありえないことだった。
大正以降の誕生仏を表した代表的な彫刻作品に、1926年の第7回帝展に出展された三木宗策の《降誕》、そして1929年に行われた構造社展に出品された陽咸二の《降誕の釈迦》がある。三木の《降誕》は、摩耶夫人のイメージを古代インドに求め、半裸で豊満な胸や装飾など随所にインドのグプタ朝の彫刻の影響が見られる。そして脇の下から釈尊が生まれる瞬間を見事に表現している。陽の《降誕の釈迦》は、聖母マリアとキリストの姿を連想させる構図で、デフォルメされた身体と、足へかかる布は写実的であるなど独自の造形理解が見られる一方で、摩耶夫人の腕に抱かれる幼児の釈尊は仏像のイメージを反映している。
戦死者の冥福祈る新たな仏像の造像
しかしこのような自由な表現の仏像風彫刻は日中戦争の開戦とともに制作されなくなる。そして戦後、戦死者の冥福を祈り新たな仏像が作り出された。その中には数奇な運命を辿った誕生仏もある。名古屋市の平和祈念施設である平和堂(千種区平和公園)には、常滑の陶彫作家である柴山清風が1950年頃に制作した陶製の《釈迦誕生仏像》が保管されている。空襲によって破壊された名古屋市の復興の指揮をとった名古屋市復興局長、田淵寿郎は、戦後の復興計画で道路用地などの確保のため、市内278寺院の墓地を東部丘陵地へ移転し、広大な平和公園の整備をおこなった。そして田淵は、平和公園の中央に、中国から送られた千手観音像を安置した平和堂を募金によって建設しようとした。
柴山清風「釈迦誕生仏像」の原型と考えられる仏像(大善院蔵・筆者撮影) 平和公園に誕生仏
平和公園には平和堂に先立って灌仏堂が建設され、清風が制作した釈迦誕生仏像が安置された。灌仏堂では平和堂建設の募金を集めるため小さな仏像の販売が行われた。そして毎年4月には灌仏式や稚児行列などが行われていた。さらに、この釈迦誕生仏像を動物園の象の上に乗せられ、名古屋市内を練り歩いたという証言もある。
しかし伊勢湾台風などの影響で、平和堂は募金だけでは建設できず、名古屋市の公共事業として完成。宗教的な儀礼は一掃され灌仏堂も廃止され、かつて多くの人々が手を合わせた釈迦誕生仏像は、現在は見ることもできない状態だ。常滑市の大善院には田淵の旧蔵で、平和公園内の灌仏堂に安置されていた釈迦誕生仏像の原型と考えられる像が安置されている。信仰対象として制作されているため造形的に大きな逸脱はなく、衣紋の表現などは東大寺に伝わる国宝の誕生釈迦仏立像を参照し、さらに身体の表現はより生身の人間に近い姿となっている。
君島彩子(きみしま・あやこ)和光大学講師。1980年東京都生まれ。大正大学大学院修士課程修了、総合研究大学院大学博士後期課程修了。博士(学術)。専門は仏像を中心とした物質宗教論、宗教美術史。著書『観音像とは何か』など。
※紙面には三木宗策「降誕」(耕三寺博物館所蔵)、陽咸二「降誕の釈迦」(宇都宮美術館所蔵)の写真も掲載されています。
2025/4/3
花まつり企画 誕生仏の世界
釈尊降誕を祝い、誕生仏に甘茶を灌ぐ花まつり。各地で見られる誕生仏は造られた時代や場所により様々な特徴を持っている。像高80㌢もある大きな誕生仏や、通常とは逆に左手で天を指す誕生仏、最古とも言われる誕生仏はピースしているようにも見えて、どれも興味深い。特徴ある誕生仏を紹介する。(紙面では9体をご紹介しています)
岡崎市・胎蔵院 昨年建立 像高80㌢
「子どもや女性に親しんでもらえるように」とつくられた。子どもの姿にこだわった お釈迦さまの生まれた姿を表すため、誕生仏は基本的に小さい。ところが、浄土宗西山深草派胎蔵寺(愛知県岡崎市保母町)の誕生仏は像高約80㌢のビッグサイズ。台座は1㍍ほどある。昨年の花まつりに合わせて建立された。
生まれた姿といっても成人のような外形が多い中、同寺の誕生仏は子どもの容姿そのもの。「保母」の山号や「胎蔵」の寺号が伝えるのは、子を宿したまま亡くなった女性の供養のため建立されたという縁起だ。本堂には子宝や安産の功徳をもたらす秘仏・准胝観音菩薩像も安置される。
「子どもや女性に親しんでもらえる寺にしたいと思っています」と同寺の誕生仏の由来を話す野村宗臣住職。自らデザインも考えた。広く知ってもらおうと、当初は石造として日本一の大きさを目指したが、今の形に落ち着いた。「写真を撮りに来る人が増えました。気軽に参拝してもらえたら」と話している。
大牟田市・通玄寺 左を天 中国式の尊像
黄檗宗通玄寺所蔵の誕生仏 誕生仏は、釈尊が生まれた際に右手で天を指し、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と唱えたという説話にちなみ、その姿を表した仏像。一般的に右手を上げ、左手を下げている像が多いが、稀に左手を上げた誕生仏も存在する。
福岡県大牟田市の黄檗宗通玄寺(金子衛三住職)には左手を上げた誕生仏がある。金子住職は「当山に古くから安置されている誕生仏です。残念ながらいつ頃造られたものか正確なことは分かりません。当山が1700年代に建立されたことや、細部に見られる特徴などから16世紀から17世紀頃の中国式の仏像ではないかと思われます」という。
左手を上げた誕生仏には中国式のものが多いとも言われ、「黄檗宗は特に中国の文化を色濃く残している宗派です。周りの地域の黄檗宗寺院にある仏像も明から清の時代のものが多いそうです」と宗派や地域と誕生仏の縁起に思いを馳せる。
経年劣化のため、天を指していた指がなくなってしまったが、誕生仏はガラスケースに入れ本堂で大切に安置している。「いずれにしましても、長きにわたり当山や地域の方々を見守り続けてきた仏像です。これからも変わることなく大切にしていきたいと思っております」と語った。
湖南市・善水寺 花まつりに特別公開
東大寺の誕生仏に似た姿の善水寺の誕生仏(写真=善水寺提供) 奈良時代の和銅年間に開創された滋賀県湖南市の天台宗善水寺(梅中堯弘住職)には国宝の本堂をはじめ、多くの寺宝が伝承されており、「金銅釈迦誕生佛」(重文)もその一つ。通常は非公開だが毎年5月5日に開催する「花まつり」に特別公開している。
天平年間(760年頃)の造像で、像高は23㌢ほどの金銅仏。同じ天平時代に作られた国宝の東大寺「銅造誕生釈迦仏立像」に非常によく似た姿で密接な関係があったと言われている。「右の手のひらを天に挙げているのが特徴です。東大寺は特別に大きくて47・5㌢。善水寺の誕生仏はちょうど半分ほどの大きさです」と梅中住職。
25年ほど前に途絶えていた花まつりを再開させ、誕生仏の特別公開も始めた。子どもの日に合わせ、灌仏用の誕生仏を置いた花御堂を置く。「小さなお姿」の誕生仏の公開には気も配りながら、地域の人々が訪れているという。この期間のみ特別公開を今年も行う。会期は4月29日から5月5日、時間は午前9時から午後4時まで。
2025/4/3
天台宗審理局 加害住職に「罷免」処分 性加害審判 師僧の大僧正、懲戒なし
女性僧侶の叡敦(えいちょう)氏(50代)が14年間に及ぶ性暴力被害を天台宗に告発し、男性僧侶2人の僧籍剥奪を求めた問題。宗内の司法機関・審理局は3月27日までに加害住職(60代)を「罷免」処分、その師僧である大僧正(80代)を「懲戒に該当しない」とする審判決定を出した。通知を受け取った叡敦氏側の発表でわかった。
被害者の叡敦氏が求めていたのは、最も重い懲戒処分である「擯斥(ひんせき)」(僧籍剥奪・除名)。今回下された「罷免」はその一つ下の処分で、現在住持している寺院の住職を解任されるという内容。叡敦氏代理人の佐藤倫子弁護士は、「審判結果は大変残念。大阿闍梨(大僧正)について不当なのは言うまでもないが、加害僧侶の『罷免』も、住職としての地位を失うだけであり、他の寺の住職にはなれる。住職としてでなければ、僧侶として今の寺で働き続けることも可能な処分であり、軽きに失する。また、審判の場で叡敦さんが直接審判員に言葉を届けることなく結果が下されたことも、大変残念に思う」とのコメントを発表した。
懲戒審判は2審制。被申立人の加害住職には審理決定から20日以内に不服申立と再審請求を行う権利があり、4月中旬がその期限。懲戒当事者以外では宗務総長にも不服申立の権利が付与されているため、叡敦氏側は3月28日に細野舜海宗務総長宛てに不服申立を求める嘆願書を送った。
審理局長が局員全11人の中から選定した3人(非公開)の審判員で構成する第一次審判所の審判会(同)は、滋賀県大津市の宗務庁で開かれ、1月24日・2月27日・3月24日の3回で結審。審理局は三権分立による独立機関であるため、審判結果が出るまで「審判会がどのくらいの頻度で何回開かれるのか、どのような審理がなされているのかなど、私たちも一切わからない」(宗務庁総務部)。
加害住職と並んで僧階最高位の大僧正までもが懲戒審判の結果を待つことになった前代未聞の審理は長期に及ぶと予想されたが、意外にもスピード結審。以下の規定が今回適用されたかどうかは不明だが、懲戒規程第七条には懲戒事犯該当者の処分の「軽減又は免除」の条文があり、その中に「七十五歳以上の者」という適用除外の項目がある。
叡敦氏側は、4日午後1時半から東京・永田町の衆議院第二議員会館で会見を開く。
2025/4/3
東京地裁 旧統一教会に解散命令 法人格喪失 民法上の不法行為は初
文部科学省が請求していた世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の解散命令について東京地裁(鈴木謙也裁判長)は3月25日、教団を解散する決定を出した。法令違反が解散の理由になるのはオウム真理教、明覚寺に続き3例目。民法上の不法行為が根拠となるのは初めて。
宗教法人法では、「法令に違反し著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為」や「宗教団体の目的を著しく逸脱した行為」がある場合、裁判所が解散を命令できると定めている。
旧統一教会をめぐっては、高額献金や霊感商法などの問題で、2023年10月に文科省が同法に基づき解散命令を東京地裁に請求し、今年1月に審理が終了。解散命令の根拠となる同法の「法令違反」に民法の不法行為が含まれるのか裁判所の判断が注目された。
これに先立ち、文科省が7回にわたり教団に質問権を行使したものの、多数の項目で回答を拒否したとして過料を科すよう求めた裁判で最高裁が3月3日、民法上の不法行為も宗教法人法の「『法令に違反』する行為に当たる」との判断を示していた。
今回の東京地裁の解散命令の決定では、「勧誘行為によって類例のない膨大な規模の被害が生じた」と認定し、教団が主張する2009年のコンプライアンス宣言後も被害申告が続いていると指摘。被害は少なくとも1559人、計約204億4800万円に上り、教団は不十分な対応に終始しているとして、「解散を命ずることはやむを得ない」と判断した。
教団側は解散命令の決定を受けて同日、「判決内容を重く受け止めつつ、東京高裁への即時抗告を検討していく」と声明を発表。「刑事事件を犯していない宗教団体が解散されるとなるならば、民主主義国家として、法治国家としてあり得ない」と今回の決定を批判した。(続きは紙面でご覧ください)
3月
2025/3/31
花まつりに花のメッセージカードを 世界に広がれ「花おくり」 京都の浄土宗僧侶が企画
カードを持つ河村さん㊨とザッキーさん 花まつりにはお花のメッセージカードで大切な人に感謝の思いを伝えよう―そんな「花おくり」の取り組みを京都市伏見区の浄土宗大光寺副住職の河村英昌さんが始めた。河村さんは㈱神社仏閣オンラインの代表として、宗派を超えて仏教界・宗教界を盛り上げるさまざまなイベントを企画しており、これもその一環だ。
灌仏会・仏生会などの法会は古くからあるが、それを「花まつり」と呼ぶようになったのは大正時代にドイツにいた日本人留学生が「ブルーメンフェスト」(花まつり)として誕生仏を花で飾ったのが始まり(諸説あり)。いわば言葉の「逆輸入」に着目した河村さんは、今度は花まつりにちなんで大切な人に花と感謝の言葉を贈るイベントを発信し、日本中ひいては世界中に広めていきたい、と考えた。
伏見区の旧知の美容師ザッキーさん、宮城県岩沼市に住むアーティストのハンナさんと、花まつりを世界に広める意気が投合。「花おくり」の第一弾として、ハンナさんのカラフルで温かいイラストに誕生仏を配したメッセージカードを作った。カードには彦根城の墨跡などで有名な書家・前田鎌利さんが「天上天下唯我独尊」という力強い揮毫を記す。「前田さんは世界に響く書家です」と河村さん。
このカードで誰に言葉を贈るか。河村さんは「いつも好きにやらせてくれている家族全員に感謝を伝えたい」。ザッキーさんは「両親へ。母の日や父の日にプレゼントとかはしますが、なかなか伝えられなかった感謝の言葉を改めて贈りたい。あと、姪っ子にも」と照れ笑い。もちろん、家族だけでなく恋人、恩師などに贈っても喜ばれるだろう。
カードだけでなく、LINEに登録することで、ハンナさんが描いた花の画像とメッセージを大切な人に贈れるサービスも提供。カード(500円)の注文は神社仏閣オンラインのホームページで。
2025/3/31
花まつりデザイン入賞作品展開催 仏教伝道センタービル 4月8日まで
入選作品20点を展示中 東京都港区の仏教伝道センタービル1階ロビーで21日から、全日本仏教会(全日仏)主催の花まつりデザイン大賞の「入選作品展」が始まった。お釈迦さまの誕生を祝う「花まつり」を広く社会に知ってもらうための作品展で4月8日(土日除く)まで開催している。主催は(公財)仏教伝道協会。
全日仏の花まつりデザイン大賞は釈尊の誕生を祝う絵画作品を募集し、入選作品をポスターや絵葉書にして寺院等に頒布している。今回の展示では158点の応募の中から選ばれた入選作品20点(大賞4点・佳作16点)を展示。右手を天、左手を地に向けた誕生仏をはじめ、白象や蓮の花など、降誕会のモチーフを色鮮やかに描いた作品が展示された。
同協会伝道部の福本良之助課長は「すべてのいのちへのリスペクトが溢れている。絵は言葉がなくても通じるものがあるので、世代や国を超えて多くの人に見てほしい」と話した。
会場の仏教伝道センタービル玄関には色鮮やかな花壇を設え、灌仏ができる花御堂や今年の願いの漢字「慈」の揮毫を展示。野生司香雪画伯の釈尊絵伝「降誕」の展示のほか、平等院(京都市)の神居文彰住職が「釈尊絵伝」を解説するDVDも放映されている。後援団体である全日本仏教婦人連盟から「花の種」、大和証券株式会社からサクマドロップスが提供され、来場に頒布された。
2025/3/27
築地本願寺 竒山明憲宗務長に聞く 目指すのは「先意承問」の人 興味本位でもいい 若い人が立ち寄る寺に
今年1月に就任した竒山宗務長 築地本願寺(東京都中央区)の宗務長に竒(は)山明憲氏(70)が1月29日付で就任した。「誰かと間違っているのでは」と、選出の知らせを聞いて驚いたという竒山新宗務長。浄土真宗本願寺派の首都圏拠点を担う重責にも、「近寄りにくいお寺じゃないと知ってもらえたら」と構えずに臨む。
昨年5月の「長嶋茂雄デー」。ファンである巨人軍の試合観戦のため上京した際に築地本願寺にも参拝したが、「そのときはまさかこんなことになるとは思いもしなかった」と話す。
自坊のある大阪府から荷物を積んだマイカーを運転し、築地本願寺へやってきた。15年前に妻に先立たれた後、両親も見送った。身一つで動けたこともあり、「役に立てるのであればと思い切った」。
首都圏の拠点として、安永雄彦元宗務長によって様々な改革が行われてきた築地本願寺。後任の中尾史峰前宗務長を引き継ぎ、運営方針は基本的に踏襲する考え。「私としては、まずは興味本位でも一歩境内に入ってもらえるようにできたら、仕事の一つは達成したようなもの。そして特に若い人たちに気軽に阿弥陀さまの前に座ってもらえることを目指したい」(続きは紙面でご覧ください)
2025/3/27
妙智會教団 宮本惠司會長誕生 「雲外蒼天」胸に精進努力
会員代表から花束を受け取る宮本會長 妙智會教団は20日、東京・代々木の本部大講堂で「宮本惠司先生會長就任式」を挙行。2千人を超える会員が新會長の誕生と、数え70歳の古稀を祝った。法嗣から三代會長に就いた宮本會長は表白で「この五濁悪世の全世界を救うため、會長として修行して参ります」と力強く宣言した。
休日とあって家族連れなどで溢れた大講堂。新會長は表白の中で、「法を継いだ者として宮本ミツ會主さま、宮本丈靖大導師さまの歩まれた道を突き進むため、妙智會教団を原点に返します」と自らに使命を課した。(続きは紙面でご覧ください)
2025/3/27
立正佼成会 庭野会長 米寿祝う集い開幕 毎月20日開催 11月まで全8回
会員に近い距離で行われた庭野会長との「お祝いの集い」 立正佼成会の庭野日鑛会長の米寿を祝う本部代表参拝「お祝いの集い」が庭野会長の満87歳の誕生日の20日、東京都杉並区の同会大聖堂で始まった。庭野会長の間近で教会の代表者がそれぞれ趣向を凝らしたお祝いの言葉を述べ、長寿を祝った。会員の熱烈なお祝いを受け、庭野会長は少し照れながら、「ありがとうございました」と感謝した。(続きは紙面でご覧ください)
2025/3/24
WCRP理事会 ミャンマー地雷で緊急声明 暴力停止へ円卓会議で討論
(公財)世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会(戸松義晴理事長)は14日、京都・北野天満宮を会場にオンラインを併用して第51回理事会を開き、「ミャンマーにおける地雷被害急増に対する緊急声明」を採択した。ミャンマーのチャールズ・ボー枢機卿(WCRP/RfP共同会長)の来日にあわせて開かれた円卓会議で、NGOから地雷被害の深刻さが報告されたことを受けて提案された。また7月の第3回東京平和円卓会議でもミャンマー問題に重点を置くことが決まった。
ボー枢機卿はミャンマー国軍のクーデターから4年にあわせて2月初旬に来日。背景にはロシアとウクライナの戦争、イスラエルとパレスチナ(ハマス)の紛争に隠れて国際社会の関心が薄れていることがある。受け入れの日本委はメディアとの会見、政府および国会議員との折衝、ミャンマー支援に取り組む国連機関と市民団体との円卓会議を企画した。
その円卓会議で地雷廃絶日本キャンペーンが報告。地雷死傷者数が1003人(2024年報告)に上り、世界最多となった。緊急声明では、「無差別に一般市民や子どもたちを殺傷し、四肢を損壊させ、その後の人生を大きく変えてしまう残忍かつ非人道的な兵器」と指摘。そして160余の国や地域が加盟している対人地雷禁止条約に、米国やロシア、中国などが加盟するよう強く訴えている。(続きは紙面でご覧ください)
2025/3/20
オウム事件30年・考 仏教界・宗教界は何をなし 何をなし得なかったか?
死刑でマインドコントロールの証明が困難に 楠山泰道氏(日蓮宗大明寺住職・日本脱カルト協会顧問)
30年経っても、この問題はまだ全く終わっていない。相変わらず後継団体には若者が入り続けています。あの事件はオウムの責任ではないという陰謀論とともに、麻原や弟子たちを死刑にしたことにより、麻原が最終解脱者として神格化されたまま、後継団体のアレフがいまだに麻原信仰を続けているのです。
後継団体は10年程前から、オウム事件以降控えていたサマナ(オウム真理教の出家信者)制度を復活させ、アパート等で共同生活しながら修行する出家制度が脈々と受け継がれています。大学の先生の名を使い、科学的医学的な呼吸法なども教義に取り入れ、SNSやボランティア等の若者受けのするものを利用して入信させる。事件を知らない若者がいまだにマインドコントロールにかけられている。そのために今も苦しむ親が生まれ、相談が寄せられています。
この問題は30年間、何も解決されていない。その理由は大きく2つあります。一つには、死刑執行という問題。麻原の死刑はやむを得ないとしても、弟子を一緒に死刑にした。マインドコントロールによって事件に関わった者の心理状態や、マインドコントロールが解けた際のショックなどが解明されないうちに処刑がなされてしまった。
二つ目は、マインドコントロールの立証について検証・研究がなされてこなったという問題。法律でマインドコントロールを認めなかったために、逆に法律がカルトを助長することも生まれた。例えば旧統一教会の問題であれば、解散命令に対し信教の自由を主張し、保護にも拉致監禁だと訴え人権が主張される。
マインドコントロールを証明できる者たちを死刑にしてしまったがために、最前線である現場では、法律とマインドコントロールの狭間でカルトに入った若者を助けることができない。
宗教者に何ができるのか。何をなすべきか。やはり宗教教育がなされてこなかった。学校本来の人間教育の中で、宗教教育ができていればカルトの予防もできたのでないか。それを宗教家が主張してこなかった。宗教離れが進むほど、実は社会が壊れていくのです。
世界的に見ても宗教教育をやらないのは日本だけだそうです。ただ宗教宗派を超えてこの問題を学ぼうという若い人も出てきている。若い宗教者に期待したいと思います。
2025/3/20
オウム事件30年・考 仏教界・宗教界は何をなし 何をなし得なかったのか?
〝オウム〟は再び登場する 高橋隆岱氏(元仏教情報センター理事長・高野山真言宗正光院住職
オウム真理教がなぜ歴史に登場したのか。バブル経済などの社会変化や新新宗教の台頭といった時代背景があっただろう。だが、既存の価値観に反発し、救いを求めた特に若者たちの関心を引く魅力があった。
どんなものかと、自坊から近かった南青山の本部へ足を運んだ。密教を説く彼らの話は確かに目を見張るものがあった。仏教に対する知識が深かったという事実は、僧侶としては忘れてはいけないことだ。
仏教情報センターでは当時、その他の宗教団体にまつわる相談が多く、オウムに関してはほとんど寄せられなかった。相談が舞い込んだのは、坂本弁護士一家殺害事件が起きた頃だった。
入信した子どもを持つ親たちが、脱退の説得をしてほしいと訪れた。仏教の専門家として僧侶に助けを求めたのだ。尾行がつくこともあったため、場所を変えながら話し合いを重ねたが、結果的には力になれなかった。
そして地下鉄サリン事件の当日。私は彼岸の棚経で横浜にいた。オウムだ、とピンときた。本当にやったのかと愕然とした。
何とかできなかったか。残されたのは無力感だった。オウムは、私たち既成教団の限界を突き付けたのではなかったか。それは社会で機能しているかという問いに等しい。凶悪事件を引き起こした異質なものを相手にする必要はないと、蓋をしてはいけない。
信仰と宗教は区別しなければならない。救いを求めた彼ら一人ひとりの信仰は純粋だったはずだ。それが宗教という政治を帯びた仕組みともなる。信仰が宗教に掠め取られるとき、“オウム”は再び登場する。
あれから30年。私たちは刻々と変わる社会に、信仰者としてコミットできているだろうか。
2025/3/20
オウム事件30年・考 仏教界・宗教界は何をなし 何をなし得なかったのか?
若者たちの苦悩を直視してきのか 神仁氏(全国青少年教化協議会執行理事・臨床仏教研究所所長)
かつてのオウム真理教の南青山総本部(1995) オウム真理教による地下鉄サリン事件から3月20日で30年。この間もカルト問題は後を絶たない。各種メディアで特報されているものの仏教界・宗教界の意見はほとんどみられない。仏教界・宗教界はこの間、何をなして何をなし得なかったのか。仏教者・宗教者の声を集めた。
事件当時のオウム真理教やカルトに対する認識
この件については、当時の宗教学者や関係者の批判にも繋がるためコメントは控えたい。
とは言え、自身の宗教観の中では、これまでにしばしば発言してきたように、「金銭」「超常現象」「奇跡」等を表立って標榜する団体は、擬似宗教団体あるいは偽宗教団体とみなしてきた。一方でオウムが出家主義を標榜している点が、若者たちの心を打ったとも認識していた。
事件後の30年、カルト問題を含めて仏教界は対応できたのか。また仏教界にどんな課題を突きつけたのか
仏教教団は一部の人間を除いて、常に「無関心」を装ってきたと受け止めている。「オウムは仏教ではない」等と、火中の栗を拾わないことにより「保身」を図ってきた感は否めない。オウムやカルトの問題に関わる宗教者は「異端」とさえ評されてきた経緯もある。
それが故に、当時の事件を知らない20歳前後の学生が、後継団体のアーレフ等に入信してしまう現況を作り出している。
令和を前にして、幹部の死刑が執行されたことにより、仏教界のみならず日本社会全体がこの問題に一応の終止符を打ったと感じているのではないか。しかしながら、有能な若者たちがオウムやその他の議論ある団体に入信していく心の奥底や環境要件について詳細な分析がなされていない以上、遠からず同様の問題が生じることは避けられないだろう。
当該問題において改めて仏教界・宗教界が苦手なPDCAサイクル(※)を回す必要性を感じる。「お寺は風景に過ぎなかった」と、当時の信者が口にしたとされる言葉は、仏教や宗教が眼目としてきた、生老病死等に伴う苦しみの受け止め方、救い、昇華を促すといった機能を果たしてこなかったことを指摘するものと理解していい。
仏教学者の中村元先生は「仏教では慈悲の理想は説くけれども、それをいかに実践すべきかということについて、仏教教団あるいは仏教学は適切な指示を与えてくれない。これは今日の仏教の致命的な弱点である−−」(「慈悲の精神」)と述べており、先の言葉と通底する。
幸いなことに近年、30~40代の若手僧侶や宗教者の中に、孤立や孤独感の受け皿となり、カルト問題のみならず社会苦に対して取り組む活動者が少なからず増えてきている(臨床仏教師の育成の目的もそこにある)。
教団や仏教者にいま問われていることは、釈尊やそれぞれの御祖師の教えに立ち戻り、現代社会の状況や背景・コンテクストに合わせた方便を尽しつつ、人々が抱える苦しみに真摯に寄り添い、共に歩んで行くことではないか。
※Plan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Action(改善)の頭文字をとった改善方法
2025/3/20
原発被災地14年 住民全体でまちづくり中 相馬市で慰霊法要営む 豊山派福島県第2号宗務支所
相馬市にある慰霊堂での支所法要 東日本大震災から14年、今年も真言宗豊山派福島県第2号宗務支所(山岡観舟支所長)では、震災が発生した午後2時46分に合わせて相馬市の大震災慰霊堂「慈眼院」で法要を厳修した。導師の山岡支所長(双葉町・自性院)をはじめとする支所下住職ら18人が出仕。地震と津波、原発事故で失われた全てのいのちを供養し、大災害の記憶を改めて胸に刻んだ。
午後2時半から、「東日本大震災罹災者諸精霊」に供養の読経。心を一つに、光明真言や三祖御宝号を唱えて回向した。
廃炉作業が続く福島第1原発から南に約20㌔の位置にある楢葉町・大楽院の酒主秀寛住職は、「原発に近い浪江町や大熊町、双葉町でも復興が進んでいるが、帰還する住民は少ない状態」と説明。「いち早く全町避難から帰還できるようになった楢葉町でも、帰還率は7割弱(約4350人)。昨年あたりでほぼ止まった」と話した。(続きは紙面でご覧ください)
2025/3/20
東京大空襲80年法要 大本山増上寺が出仕 小澤法主 4歳の空襲体験語る
増上寺が出仕した慰霊法要 10万人を超える死者・行方不明者を出した東京大空襲から80年を迎えた10日、東京都墨田区の東京都慰霊堂で春季慰霊大法要が秋篠宮皇嗣同妃両殿下参列のもと、浄土宗大本山増上寺が出仕して営まれた。東京都仏教連合会の各地区代表者も随喜した。
法要は増上寺の小澤憲珠法主を導師に一山式衆が出仕し厳修。石破茂首相代理の橘慶一郎官房副長官や東京都、地元墨田区の代表が追悼の辞を述べた。
小池百合子都知事は、東京大空襲や関東大震災による犠牲者を追悼しつつ、2度にわたり焦土から復興した東京の歴史に言及。「被災者、ご遺族の方々はその度に懸命に立ち上がり、今日の東京を築いてきた。私たちはこのことを胸に刻み、持続可能な都市を未来へと引き継いでいきます」と話した。
焼香では、秋篠宮皇嗣同妃両殿下をはじめ遺族代表、協賛団体代表らが香を手向けた。仏教界からも全日本仏教会や東京都仏教連合会の代表者が焼香をした。(続きは紙面でご覧ください)
2025/3/18
高野山宗会 宗費の自己申告制導入 専学授業料、半額免除 共に来年4月から
完全志納型の宗費賦課制度への大転換を表明する今川総長 高野山真言宗の第176次春季宗会(赤松俊英議長)が4~6日、和歌山県高野町の総本山金剛峯寺内宗務所に招集された。内局・議員共に任期中最後の定期宗会。今川泰伸宗務総長は施政方針演説で、制度調査会で約3年間熟議してきた財務調査(各寺院の収入額調査)の根本的な見直しに基づく宗費改革新制度を発表。「寺院・教会が負担する宗費は自己申告額を賦課することとし、(財務調査の結果を受けて各寺院の負担額を算出してきた)指数制度を廃止する」と宣明した。令和7年度を移行・周知期間とし、8年度から施行する。(続きは紙面でご覧ください)
2025/3/17
立正佼成会創立87周年式典 庭野会長の米寿を祝福
3月20日に満87歳となる庭野日鑛会長と佳重夫人に記念の花束が贈られた 立正佼成会は5日、東京・杉並の大聖堂で教団創立87周年式典を挙行すると共に、数え88歳で今月20日に満87歳を迎える庭野日鑛会長の米寿を祝福した。庭野会長は430人の功労者を前にして、「皆さまのおかげで87年を迎えることができた」と感謝した。全国から約1550人が参拝したほかオンラインでも配信された。
奉献の儀では、全国青年女子部員代表20人が晴れ着姿で、供物などを献じた。庭野光祥次代会長を導師に読経供養を行い、続いて庭野会長が啓白文を奏上。 昭和13年(1938)のこの日に庭野日敬開祖と長沼妙佼脇祖によって創立された原点や今日までの歩み、今年の年頭法話などを紹介し「天地万物に支えられているこの尊いいのちに感謝し、サンガ同士互いに助け合い、日に新たな心で元気に生き生きと精進して参ります」と誓願した。
教団を代表して熊野隆規理事長が挨拶。庭野会長の米寿にあわせ、「佼成会そのものも米寿の祝い年」にあたると説明した。さらに今年の功労者表彰では教会役員206人、特別会員224人の430人が対象で「本当に元気。90代が17名、80代が119名、最高齢は97歳。昭和・平成・令和と三つの時代を生き抜いた菩薩の鏡のような皆さんです」と讃えた。
また今年は終戦から80年を迎えるが、「久遠本仏を勧請してからちょうど80年を数える」と述べ、「平和活動の原点」である一食を捧げる運動も開始から半世紀になると続けた。(続きは紙面でご覧ください)
2025/3/17
最高裁、過料命じる決定 旧統一教会への「質問権」めぐり
宗教法人法の「質問権」に基づく調査に回答しない項目があったため、文部科学省が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に過料10万円の処分を科すよう求めた裁判で最高裁第1小法廷は3日、教団側の主張を退け、「民法709条の不法行為を構成する行為は、宗教法人法81条1項1号にいう『法令に違反する』行為に当たると解するのが相当である」と判示し、教団への過料を命じた。現在、東京地裁で審理中の教団の解散命令請求についての判断にも影響するとみられる。
旧統一教会をめぐっては、解散命令請求を行った文部科学省が同法に基づき7回の質問権を行使。しかし教団側が多数の項目で回答を拒否したとして、東京地裁に過料を科すよう求めた。地裁が10万円の過料を決定し、教団側は即時抗告を申し立てたが、東京高裁も地裁決定を支持していた。
高裁の決定に教団側は特別抗告し、解散命令請求の根拠となった宗教法人法上の「法令違反」について、民法の不法行為は当たらないと主張したが、最高裁は「民法709条の不法行為を構成する行為は、故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害するもの」として、「『法令に違反』する行為に当たると解したとしても、同号の文理に反するものではない」と5人の判事が全員一致で判断した。
教団は5日、ホームページで判決への見解を発表し、「信者のプライバシーに関する質問等,回答が不適切と思料される質問以外は、できる限り回答に務め」たと反論し、「この決定は他の宗教法人に対しても重大な脅威となり得ます」と述べている。
2025/3/13
日蓮宗定期宗会 勧募金取り止め大幅減額 750遠忌予算を修正可決
施政方針を述べる田中総長 日蓮宗(田中恵伸宗務総長)の第123定期宗会(川口久雄議長)が4~7日、東京都大田区の宗務院に招集された。日蓮聖人750遠忌の記念事業のため、寺院教師に勧募する臨時特別賦課金・臨時特別義納金を定める規程中改正案が修正され、勧募に関する改正を削除。遠忌特別会計総額予算案などを修正可決し、閉会した。修正により遠忌事業の予算が約19億9千万円から約13億5千万円に大幅減額される波乱の事態となった。(続きは紙面でご覧ください)
2025/3/13
豊山派宗会 宗会公開やコンプラ推進を 施政方針受けて要望
施政方針演説をする川田宗務総長 真言宗豊山派(川田興聖宗務総長)の第165次宗会通常会(佐藤眞隆議長)が4日から6日まで東京都文京区の宗務所に招集され、令和7年度収入支出予算案など、予算関連6議案を含む7議案が可決承認された。川田総長の執務方針を受け、宗会の公開やコンプライアンス推進など、開かれた宗派・宗政の運営が要望された。(続きは紙面でご覧ください)
2025/3/13
浄土宗宗議会 機構改革案 再び否決 6月25日 沖縄で戦後80年法要
演壇に立つ川中宗務総長 浄土宗は3日から7日まで第134次定期宗議会(宮林雄彦議長)を京都市東山区の宗務庁に招集した。昨年9月の前回議会で否決されていた宗務庁機構改革のための「宗教法人浄土宗規則改正案」が改良され再び上程されたが、議員多数の理解を得るには至らず2度目の否決となった。現行制度の下で可能な限り機構改革を進めるフレキシブルな対応が必要になってきそうだ。(続きは紙面でご覧ください)
2025/3/13
本願寺派宗会 11年ぶりに園城総長誕生 議案成立後、池田氏辞任
受諾挨拶をする園城新総長 浄土真宗本願寺派の宗会は会期最終日の6日、予算や宗務の基本方針を可決した。可決された基本方針の本文には、原案時点ではなかった「新しい『領解文』(浄土真宗のみ教え)に関する施策を取り止め、宗門の信頼回復に努める」という文章が4日の上程にあたって挿入されている。
直後、池田行信総長は「人心を一新し、一刻も早い信頼回復のため」と辞任を表明。緊急に会期延長の上で総長選挙が議題となり、大谷光淳門主は後任の総長候補に荻野昭裕氏(総務)と園城義孝氏(議長)を指名した。現職議長を総長候補に指名するのは珍しい。
翌7日に園城議長が「一身上の都合」で議長を辞したため、優先して議長選挙が行われた。出席議員75人中、72票を獲得して下川弘暎議員が当選。下川議長の進行の下で総長選挙の投票が行われ、園城候補が59票、荻野候補が16票で、園城新総長の選出となった。(続きは紙面でご覧ください)
2025/3/6
本願寺派宗会 新領解文、得度式で唱えず 新報への掲載停止 混乱収拾に道筋つける
演壇に立つ池田総長 浄土真宗本願寺派は2月26日、第325回定期宗会(園城義孝議長)を京都市下京区の宗務所に招集した。2年近く紛糾が続いているご消息「新しい『領解文』(浄土真宗のみ教え)」について、池田行信総長は得度式での唱和をしない、「本願寺新報」等での掲載を当面見合わせるなどの対応策を施政方針演説で提示し、混乱収拾に道筋をつけ始めた。会期は6日まで。(続きは紙面でご覧ください)
2025/3/6
智山派代表会 布施管長が辞任表明 6月末退任 次期管長推薦委を開催
答弁する三神総長 真言宗智山派の第140次定期教区代表会(深澤照生議長)が2月18~20日、京都市東山区の総本山智積院内宗務庁に招集された。三神栄法宗務総長は施政方針演説で、2期目に入っていた布施浄慧管長(90)が「2月12日に6月27日をもって辞任する意志表示をされた」と発表。「3月3日に管長候補者推薦委員会が開催される予定」と報告した。
布施管長(智積院化主)の2期目(重任)の任期は、令和5年(2023)6月28日から4年間。その半分を満了する今年6月に退山し、管長在職6年間の公務を全うすることになった。(続きは紙面でご覧ください)
2025/3/6
天台宗宗議会 大阪万博に正式参加 7月24日 滋賀県デイで比叡山発信
答弁する細野総長 天台宗の第158回通常宗議会(大澤貫秀議長)が2月18~20日、滋賀県大津市の宗務庁に招集された。昨年11月に就任し初の宗議会に臨んだ細野舜海宗務総長は執務方針演説で、阿(おか)内局が示した「人材の育成」「教えの普及」「寺院の存続」の3本柱を継承すると表明。「伝教大師最澄1200年魅力交流委員会」として、4月開幕の大阪・関西万博に滋賀県と連携して正式に参加すると発表した。(続きは紙面でご覧ください)
2025/3/6
相続人なき遺産 国庫納付年1000億円 宗教法人やNPOも対象だが…周知されず国庫へ 慈悲と祈りの遺贈が世界を開く
自分の遺産を法定相続人だけでなく、任意の宗教法人やNPOなどに寄付することを生前に定めることができる「遺贈寄付」制度。昨年、制度の啓発を連携して行う協定を締結した、認定NPO法人のおてらおやつクラブ(奈良県田原本町)、テラ・ルネッサンス(京都府京都市)、税理士などで作る(一社)日本相続知財センター(東京都中央区)の3団体に、遺贈寄付による新たな可能性について話を聞いた。
近年、国庫に入る「相続人なき遺産」が増えている。2015年に約400億円だった国庫納付遺産は22年には約768億円に増加。23年度は1000億円を超えたという(『日本経済新聞』(2月9日付)。2020年の国勢調査によると、子どもがいない夫婦は1115万世帯。全世帯の2割を占めている。
日本相続知財センター本部の鹿内幸四朗・専務理事は、国庫納付遺産について「これからまだまだ増えていきます。しかも、これは表に出てきただけのお金。銀行にもまだまだ埋もれているのです」。 銀行には文字通り眠っている休眠預金があり、「誰も取りに来ない。毎年銀行にそうしたお金が沈んでいく。遺産をどうしたいという遺言を作らずにいると、渡したいところに渡せない」と話す。
昨年、日本相続知財センターの仲介により、ある依頼人の遺産1億2千万円の内、子どもの貧困問題に取り組むおてらおやつクラブと地雷・子ども兵などの社会課題の解決に取り組むテラ・ルネッサンスがそれぞれ3千万円の遺贈寄付を受けた。
「私はいつ死ぬか分からないし、どこに寄付すればいいかも分からない。あなたを信じるから、良いところに寄付してほしい」。それが依頼人の願いだった。鹿内氏は「調べると、お寺やNPOがダイレクトな社会貢献をたくさんしている。動いてくれている人がもっと評価され、資金援助もあるべきだと思った」という。
効力のある遺言や遺贈には法律の知識が欠かせない。恣意的な遺言執行を防ぐために、用途の限定やチェック機能などが必要になる。檀信徒からお寺に遺贈される場合でも「適正な手続きを踏むことでトラブルを回避できる。ぜひ専門家に相談してほしい。残念なのは、遺贈寄付の認知度が低いこと。お寺の皆さんには、ぜひ檀家さんに遺贈寄付について話してほしい」と人生の伴走者である宗教者への遺贈寄付文化の定着を期待する。(続きは紙面でご覧ください)
2025/3/3
SZI講演会 盂蘭盆会太鼓に 駒形総監の揮毫 ハワイ強制収容所で
SOTO禅インターナショナル(SZI)の講演会が13日、東京・芝の檀信徒会館で開かれた。南原一貴副会長(総合研究センター常任研究員)が登壇し、戦時中にハワイ布教総監だった駒形善教氏が日系人強制収容所で盂蘭盆会に用いたと見られる平太鼓について報告した。
ハワイの日系寺院の文献や文化財に関する科研の研究(代表・安中尚史立正大教授)に携わる南原氏。SZIの総会後の講演会で「ハワイ寺院の仏教文化財―両大本山布哇別院を中心に」と題して発表した。
平太鼓はハワイ日蓮宗別院の所蔵。1921年に信徒から奉納されたもので、安中教授らが2017年に本堂地下の倉庫で発見した。胴部に「盂蘭盆會供養 於ホノウリウリ監禁所」とあり、「昭和拾九年八月拾五日」と日付が記されている。
これらの文字を書き込んだのが駒形氏だったという。開戦後、日蓮宗の開教師が米国本土に移送され、ハワイに残った駒形氏はホノウリウリ収容所に収容された。そのため太鼓を託したと推測されていると説明した南原氏は「宗派を超えて布教活動が維持されていた」と述べた。
太鼓には賛の揮毫もある。「満月皎々輝中天 梵香溢堂保峡鮮 打開甘露微妙法 萬霊斉潤菩提選」と朗唱し、「少しでも安らかになってもらいたいという切実な願いが込められている」と読み解いた。
オアフ島にあったホノウリウリ収容所は1946年の閉鎖から長く忘れ去られてきた。日系人ら有志の調査で跡地が特定され、歴史が掘り起こされたのは2000年代に入ってからだった。収容者から「地獄谷」と呼ばれた過酷な環境だったというが、「収容所で人々の安寧を祈っていたことが分かる貴重な資料だ」と話した。
また、駒形宗彦前総監が収集した写真資料「駒形コレクション」や、両大本山ハワイ別院正法寺に安置される西国三十三観音像にも言及。観音像の台座に記された施主の出身地は新潟県が最多で、「新潟出身の駒形善教氏の影響があるのだろう」と分析した。
2月
2025/2/27
曹洞宗宗議会 東京グランドホテル閉業 27年3月末 宗務庁分館含め再開発へ 跡地は定期借地権を活用
演説する服部総長 曹洞宗の第146回通常宗議会が17~21の5日間、東京・芝の檀信徒会館で開かれた。服部秀世宗務総長が、2年後の2027年3月末をめどに東京グランドホテルを閉業すると発表した。ソートービルは解体した上で、宗務庁が入る新ビルを建設。宗務庁分館なども合わせて解体する方針で、所有不動産再開発に向けて新たな計画を示した。跡地の運用は定期借地権を活用する考え。
東京グランドホテルとして運用するソートービルの再開発を巡っては、大和証券との契約問題で計画を変更。服部総長は昨年の宗議会で10年後をめどに建て替える考えを示していたが、大幅に早まった。建て替えまでの間、外部委託によってホテルを継続する計画は中止となった。(続きは紙面でご覧ください)
2025/2/27
妙心寺派宗議会 天衣尼僧堂、閉単か 女性師家の確保難しく
演壇に立つ野口総長 臨済宗妙心寺派は19日~21日にかけ、京都市右京区の宗務本所に第148次定期宗議会を招集し、令和7年度予算、花園禅塾の卒塾をもって専門道場在錫1年とみなす宗制別表改正案など全議案を原案可決した。数年間、掛搭者がおらず休単状態だった女性専門の天衣尼衆僧堂(岐阜市)については、閉単の方向が野口善敬宗務総長の施政方針演説で示された。(続きは紙面でご覧ください)
2025/2/27
リタ市民アセット財団設立 住職の取り組みを法人化 都内で記念フォーラム 寺院アセット 市民の公益活動支える
各団体のメンバーが参加した設立フォーラム NPOや市民団体に寺院アセット(土地や建物)を提供して活動を支えてきた大河内秀人氏(浄土宗僧侶)の取り組みを、持続可能な社会の仕組みとするべく設立された「一般財団法人リタ市民アセット財団」の記念フォーラムが2月11日に東京都江戸川区のタワーホール船堀で開催された。市民団体やNPOのメンバーが集い、寺院アセットを活かした市民社会の構築に向けた志を分かち合った。未来の寺院モデルとしても注目される。
青年僧の頃に国際協力活動に関わった大河内氏はその現場で住民参加の重要性に気づかされ、自坊の寿光院(江戸川区)と見樹院(文京区)のアセットを高齢者・障がい者・子ども福祉、人権・環境・難民・平和等に取り組む市民団体やNPOに提供。30年に及ぶ活動で豊かな市民ネットワークが形成された。ただし、全容を知るのは大河内氏のみで、その志に依るところも大きい。そこで持続可能な社会の仕組みへと発展させるための研究プロジェクトが始動。庭野平和財団の支援を受けて、活動を整理し、財団法人設立のための調査・研究が進められ、昨年11月に一般財団法人を設立した。財団が寺院アセットのマネジメントや公益事業の推進活動を行う。今後は公益財団法人へ移行し、寄付の受け皿となることも視野に入れている。財団名の「リタ」は仏教の「利他」を由来とする。
設立フォーラムには市民団体やNPOのメンバーら約80人が集い、各団体が活動を紹介する展示も並んだ。そのメンバーからなる財団の理事や評議員、監事で、財団の名前に因み「利他」「市民」「アセット」「財団」の各テーマでトークセッションを行い、財団の理念と使命も共有した。(続きは紙面でご覧ください)
2025/2/25
核兵器をなくす国際市民フォーラム 6月に日米同時平和巡礼 原爆開発地と被爆地で
登壇した左から鎌田氏、マリールイズ氏、森氏 原爆投下から80年となるのに合わせ、「核兵器をなくす国際市民フォーラム」が8・9の両日、東京・広尾の聖心女子大で開かれ、9日に宗教者の立場から発信するセッションがあった。超宗派で祈りの巡礼を続ける曹洞宗直指庵(鹿児島市)の鎌田厚志住職が今年、原爆を投下した米国と被爆国の日本の両国で同時巡礼する計画を発表し、「祈りとは生きること」と行動を呼び掛けた。(続きは紙面でご覧ください)
2025/2/20
日蓮宗大荒行 126人が成満 法華経寺117人 遠壽院9人
渾身の読経が堂内に響いた成満会(法華経寺) 祈祷修法を習得するために「寒一百日」間の苦修練行に籠る大荒行の成満会が10日、千葉県市川市の大本山中山法華経寺(新井日湛貫首)の日蓮宗加行所(若松宏泉伝師)と日蓮宗遠壽院荒行堂(戸田日晨伝師)でそれぞれ厳修された。法華経寺では初行が一人退堂し117人が成満。遠壽院は入行した9人が全員成満した。(続きは紙面でご覧ください)
2025/2/20
高野山大学 教育学科、継続困難に 文科省の指導後に決断
高野山真言宗の宗門校を経営する㈻高野山学園(理事長=今川泰伸宗務総長)の理事会・評議員会が14日、和歌山県高野町の高野山大学(添田隆昭学長)で開かれた。学生募集で極度の不振が続く教育学科の今年の入学予定者は、同日時点で推薦合格2人と短大からの編入学1人の計3人。設置5年目の今回から入学定員50人を15人に減らして臨んだが、今後も「改善の見通しが立たず」(添田学長)継続困難な状況が明らかとなった。
2月下旬~3月の間に、文科省から指導を受ける予定。その後の3月25日午後2時に理事会、3時に評議員会を招集し、募集停止の可否について最終決断を下すという。
大阪千代田短大の河内長野キャンパスを共有する形で令和3年度に新設した教育学科だが、初年から入学者11人、20人、7人と低迷。学科完成年度の昨年は5人だった。(続きは紙面でご覧ください)
2025/2/20
高野山大学 次期学長に松長潤慶教授
松長次期学長 高野山真言宗の宗門校・高野山大学(和歌山県高野町)の添田隆昭学長が3月31日に任期満了を迎えるのを受け、㈻高野山学園理事会(理事長=今川泰伸宗務総長)が12月12日に同大で開かれ、次期学長に松長潤慶・文学部密教学科教授(62/高野山補陀洛院住職)を選任した。任期は4月1日から4年間。父親は故松長有慶学長(同宗管長)で、同大史上初の親子二代にわたる学長の誕生となる。
松長氏は昭和37年(1962)10月4日和歌山県生まれ。平成8年(1996)に高野山大学大学院文学研究科密教学専攻博士後期課程修了。専門分野は密教図像学。『インドネシアの密教』で博士(密教学)の学位取得。
平成3年(1991)から27年(2015)まで清風学園教諭。高野山大学密教文化研究所委託研究員、種智院大学非常勤講師を経て、平成24年(2012)から高野山大学非常勤講師、27年に准教授、30年に教授。大学院委員長を務め、令和3年(2021)に副学長に就任した。
山口文章・高野山学園法人本部長(兼法人本部事務局長)も3月31日に任期満了。次期法人本部長に高岡隆真氏(49・高野山明王院住職)、法人本部事務局長に内海周浩氏(48・高野山南院住職)が選ばれた。任期は4月1日から4年間。
2025/2/20
大谷専修学院問題 不当な人事異動の撤回求める 係争中の職員2氏が会見
真宗大谷派(木越渉宗務総長)が運営する教師養成機関・大谷専修学院(全寮制・1年間/京都市山科区)の2025年度学生募集中止を、管轄する宗派当局が決定した問題。一昨年4月に就任した佐野明弘学院長と男性教職員2人との間で起きた昨年8月の人事異動命令に至る深刻な対立が主な原因とされる中、当該教職員2人が10日午前、京都市下京区内で会見を開き、「前例のない不当な人事異動」と「現場を無視して一方的に決めた」学生募集中止の撤回を求めた。(続きは紙面でご覧ください)
2025/2/17
身延山大学 ラオス全寺院の仏像調査へ
同大の事業で修復されたワット・アーパイ寺院の本尊 日蓮宗総本山身延山久遠寺を母体とする身延山大学(山梨県南巨摩郡身延町、望月海慧学長)は12日から3月9日まで、ラオス人民民主共和国で令和6年度第27回仏像修復プロジェクトを実施する。ラオス全仏教寺院の仏像調査を開始し、報告書を同国情報文化観光省遺産局へ提出する予定だ。
同事業は、2000年に仏教寺院の仏像修復・保護に関する協定を同大とラオス国が締結したことに始まり継続実施されてきた。前回の事業で同大とラオス国立美術工芸大学、情報文化観光省遺産局の三者による新協定を締結。これに基づき実施される今回の事業では、ラオス国全仏教寺院の仏像調査を開始する。
今回の調査対象はヴィエンチャン特別市内サイタニー郡の60カ寺とし、この調査により台帳に掲載する仏像を選別し、重要仏像の台帳登録作業を行う。
このほか、2006年までに調査を終えたルアンパバーン世界遺産地区内仏像(全1174体)の現況と盗難の有無についての調査や、従来の三次元測定器に加えてスマートフォンアプリを活用することで、データ収集の迅速化と効率化を図る仏像三次元測定調査も継続実施する。
同大が高い評価を受けている仏像修復および修復技術者育成についても、木彫仏像3体および鋳造仏像1体の修復を予定し、現地技術者育成が行われる。木彫仏像はルアンパバーン王宮博物館内本事業工房で、鋳造仏像はヴィエンチャン・ラオス国立美術工芸大学内施設にてそれぞれ主な作業を行う予定だ。
2025/2/13
節分会スケッチ 西新井大師總持寺 小雨の中、だるま供養
四隅に結界を張り、剣を振るう僧侶 関東厄除け三大師の一つ、東京都足立区の真言宗豊山派西新井大師總持寺では節分会にあわせて「だるま大供養」と「撒豆式」が開催された。午前中の「だるま供養」では、家内安全や商売繁盛などが願われ、つとめを終えた大小様々なだるまを焚き上げた。
法螺貝に先導され濱野堅眞貫首ら僧侶が祭壇まで行進。力強い読経の中、山伏姿の僧侶が祭壇の蝋燭で松明に火を移し、だるまに火をつけた。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」の九字を唱え、四隅に剣を振り下ろし結界を張ると、朝から小雨が続いた天候にも関わらず、だるまは勢いよく燃え上がった。多くの参拝者が見守る中、隣接する東武大師線「大師前」駅から供養の様子を見物する人もおり、境内や駅の中で合掌する姿が見られた。
午後の「撒豆式」では、俳優・歌手・コメンテーターと多彩な梅沢富美男さんなどが大本堂前の桟敷から豆をまいた。(豊山派大本山護国寺、とげぬき地蔵尊髙岩寺、曹洞宗大本山總持寺、聖護院門跡、寳光院はだか祭り、大本の節分会スケッチは紙面でご覧ください)
2025/2/13
宗教者核燃裁判第7回公判 原発事故で被災した住職が意見陳述
公判後に聖アンデレ教会(港区)で行われた報告会で話す田中住職全国の宗教者258人が原告となり、日本原燃を相手に青森県六ケ所村の原子力施設(再処理工場)の運転差止を求める「宗教者核燃裁判」の第7回口頭弁論が1月30日、東京地裁(霞が関)で開かれた。意見陳述では原発事故で被災した福島県南相馬市の曹洞宗同慶寺の田中徳雲住職は「司法と行政がそれぞれの責任に向き合うこと強く望みます」と訴えた。
福島第一原発から北西約17キロに位置する同慶寺の田中住職は「あの事故から生活の全てが一変した」とし、高齢の住民の「ふるさとに帰りたい」という心情を「利用された感じ」で避難指示が解除されたものの「元のようには戻りません」と主張。環境中の放射線量は震災前の安全基準を遥かに超え「私たちは自ら人体実験をしているようなもの」と住民の「不安」の一端を示した。
「この事故経験が活かされて、日本のエネルギー政策が転換される布石になるのであれば、私たちも救われる」との思いと同時に、便利な時代の恩恵を受けてきた自身を省みて「被害者であるが、加害者でもあった」という「大反省」のもとで歩み始めたと語り、司法と行政に対しても「それぞれの責任に向き合うこと強く望みます」と問うた。(続きは紙面でご覧ください)
2025/2/13
こんな悲惨なミャンマーを見たことがない―クーデターから4年、チャールズ・ボー枢機卿(WCRP共同会長)が来日
ミャンマー国内の悲惨さを語り、停戦を訴えたボー枢機卿。左は篠原ACRP事務総長 今月1日で軍事クーデターから4年が経過したミャンマーへの国際的な関心が薄れてきている中、同国のカトリック・ヤンゴン大司教で世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)国際共同会長のチャールズ・ボー枢機卿が来日。都内で行われた2日の記者会見では、国民の3分の1にあたる1990万人が家を追われ、そのうちの3分の1にあたる630万人の子どもが危険にさらされていると窮状を説明。国軍とそれに反発する武装勢力との交戦が続き、「ガザの停戦も課題だが、ミャンマーでの停戦も実現しなければならない」と強く訴えた。
会見には、WCRP国際委員会のフランシス・クーリア・カゲマ国際事務総長、日本委員会の戸松義晴理事長、ACRP(アジア宗教者平和会議)の篠原祥哲事務総長(日本委員会務局長)が臨席した。
ボー枢機卿はミャンマーの苦難と惨状を報告する一方、対話による停戦と平和構築に向けた「希望」は失っていないと繰り返して述べた。
一般市民が直面している苦難については、身の安全確保や子どもたちが教育が受けられないといった身近な状況から紹介。さらに18歳以上の男女に徴兵を課していることから「若い世代には徴兵は嫌だと自らのいのちを削ったり、人身売買の被害に遭ったりしている。兄弟は兄弟で、姉妹は姉妹を殺しあう状況がある。次世代の若者の人生が打ちのめされている」と深刻さを語った。(続きは紙面でご覧ください)
2025/2/13
「蛍寺」金光院が今春から宿坊事業を開始へ コロナ禍で開かれた寺院を決心
5月下旬から6月上旬にホタルが飛ぶ庭園と戸川住職 平安貴族や歌人が様々に詠んできたように、初夏の夜に光り舞うホタルは京都の風物詩。そんなホタルが庭園にたくさん棲むのが、左京区の浄土宗大本山金戒光明寺の塔頭である金光院だ。戸川克彦住職(51)が2年前からホタル観賞会を開催したところ、あまりの美しさに徐々に口コミで拝観者が増えてきた。手応えを掴んだ戸川住職は、今春からは宿坊事業を始める。「お寺をハッピーで開かれた場所に」との思いで奮闘する日々だ。
戸川住職が開かれたお寺をはっきりと志向したのは、実は数年前。コロナ禍がきっかけだったという。「元々、檀家さんも少ないお寺で、宗務庁で働いて兼職していました。このお寺が私の代で終わってしまったらどうしようかと悩んでいた」という。コロナ禍の後には1年以上葬儀がない時期もあったというから、事態は深刻だった。金戒光明寺の18の塔頭の中では最も古く創建(1558年)されたこのお寺を次代に残す重い使命を痛感したのだ。(続きは紙面でご覧ください)
2025/2/10
妙心寺派無住寺院対策委 1件あたりの解散補助費 上限150万円で議論 相談中の寺院は3カ寺
現地調査の報告もあった対策委員会 臨済宗妙心寺派は1月23日、無住寺院対策委員会を京都市右京区の宗務本所で開催した。寺院解散補助金について、補助を受けた寺院の「報告義務」を規定上明文化すること、ならびに運用細則で補助金額を1件につき上限150万円とする案が議論された。
令和5年に同委員会から補助金支給の基準再検討ならびに補助金予算の増額の検討を要望する答申書が宗務総長宛に出されており、今回の改定案はそれを受けたもの。現行の補助金額は年間予算として確保されている300万円を「超えない範囲」となっている。(続きは紙面でご覧ください)
2025/2/6
WCRP日本委 7月、3回目の東京円卓会議 理事会 評議員会 声明文の実行具合を確認
(公財)世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会は1月31日、東京・立正佼成会法輪閣でオンラインを併用して理事会(議長=戸松義晴理事長)と評議員会(議長=杉谷義純会長)を開き、人事をはじめ4月から始まる2025年度の事業方針や予算等を審議し、承認した。3回目となる東京平和円卓会議は7月1日から3日まで行われることが決まった。
新年度事業方針では、戦後80年、原爆被爆80年、国連創設80年の節目を迎え、阪神淡路大震災30年でもあることを踏まえて、「この重要な年にこそ宗教者による対話を深め、協力・連携することを通して苦難に直面している人々に寄り添い、安心・平和な社会実現をめざして事業を展開する」と展望した。
その重点事業が東京平和円卓会議。2022年9月と2024年2月の過去2回の会議には、ロシア、ウクライナの戦争当事国の宗教指導者のほか、イスラエル、パレスチナ、ミャンマー、コロンビア、ハイチなど紛争や対立を抱える国と地域の宗教者が参加し、具体的な行動を明記した声明文を採択した。
第3回会議は、声明文がどの程度実行できたのかを報告し合い、その上で課題や次なる行動を検討する予定。そして「一時的な平和会議ではなく継続的な実践を意識した平和プログラムの実践をめざす」と位置付けた。過去2回同様、紛争当時国の宗教指導者らが参加する。(続きは紙面でご覧ください)
2025/2/6
全日仏新年懇親会 大阪大会に向け機運高める 能登復興支援も継続
ポスターを掲げ招致挨拶を述べる府佛役員一同 (公財)全日本仏教会(全日仏)は1月29日、京都市内のホテルで新年懇親会を開催した。9月の全日本仏教徒会議大阪大会「無量の『いのち』―すべてのいのちを慈しむ」の成功に向けて加盟団体一同で機運を高めた。また、復旧が進まぬ能登半島など被災地の復興支援も引き続き行っていくことも確認された。
能登半島地震犠牲者のための黙祷に続き、伊藤唯眞会長(浄土宗総本山知恩院門跡・浄土門主)が挨拶。「災害を受けられても乗り越えようと頑張っていらっしゃる皆さま方が道を進んで、復興を一日でも早く遂げていただけるよう、私たちも応援を申し上げたい」と被災地を励まし、仏天の加護を祈念した。小松一幸財務部長が支援状況を報告。救援基金は1月25日時点で約2341万円が寄せられており、「寄託先については支援検討会議で協議させていただく」と引き続きの支援を呼びかけた。
全日仏副会長・大阪府佛教会会長の村山廣甫氏ら、大阪府佛役員一同が登壇し仏教徒会議の招致挨拶。村山氏は80年前の少年時代に大阪空襲で焼け野原になった故郷、そこから疎開した京都での生活を振り返って「無量のいのちを慈しむ世界に今、なっているでしょうか」といのちの尊さを強調。「万博では『いのちのデザイン』と言っており、それも素晴らしいことですが、無量のいのちという宗教家としての大きなテーマをこの大阪から発信したい」と力強く宣言すると拍手が沸き起こった。(続きは紙面でご覧ください)
2025/2/6
築地本願寺宗務長に竒山明憲氏
浄土真宗本願寺派築地本願寺(東京都中央区)の宗務長に竒山(はやま)明憲氏が就任した。1月29日付。東京仏教学院長も兼務する。竒山新宗務長は1954年11月生まれ。大阪府高槻市の信楽寺住職。
前任の中尾史峰氏は昨年12月に総局に入っており、後任が定まるまで宗務長を兼務していた。
2025/2/3
東京国立博物館 大覚寺開創1150年記念展 重文障壁画123面や五大明王像などを一挙公開
威厳と迫力のある五大明王像 真言宗大覚寺派大本山大覚寺(京都市右京区)が令和8年に開創1150年を迎えることを記念した特別展「旧嵯峨御所 大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画」が21日、東京都台東区の東京国立博物館平成館(上野公園13-9)で始まった。重要文化財の障壁画123面を一挙公開する他、平安後期の仏像の最高傑作とされる「五大明王像」など圧巻の内容だ。
嵯峨天皇(786~842)の離宮として建てられ、「旧嵯峨御所」とも呼ばれる大覚寺。貞観18年(876)に皇女・正子内親王の願いで寺院に改められ、来年で1150年を迎える。
過去に京都国立博物館で大覚寺の展示が2回あったが、東京では初となる。重要文化財に一括して指定を受けた同寺に伝わる約240面の障壁画のうち、計123面を前後期で展示。総長約22㍍の華やかな襖絵「牡丹図」(狩野山楽筆・17世紀・重文)は寺外初の全18面を公開する。
宗祖空海と天皇家ゆかりの明王信仰を伝える本尊「五大明王像」(明円作・平安期1177年・重文)も東京では5体そろって展示されるのは初めて。
刀剣ファン垂涎の大覚寺に伝来する太刀「薄緑」(膝丸)と北野天満宮の太刀「鬼切丸」(髭切)を展示。数々の伝説に彩られた「兄弟刀」を一度に観る貴重な機会。
後宇多法皇が空海への思慕の念を綴った国宝「後宇多天皇宸翰 弘法大師伝」や皇統と法流の護持を願った国宝「後宇多天皇宸翰 御手印遺告」など大覚寺の深淵で雅な歴史を語る名宝・寺宝が一堂に会する。
3月16日まで。一般2100円(当日)。問い合わせはハローダイヤル(☏050―5541―8600)。
2025/2/3
大本山總持寺新春展 「皇室と總持寺」開催中 綸旨や恩賜品から交流辿る
伏見宮文秀女王遺愛の菊紋香炉 横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺で、宝蔵館「嫡々庵」の新春展「皇室と總持寺」が開かれている。歴代天皇の文書や恩賜品など約35点から皇室と總持寺の交流を跡づける。
皇室と總持寺の関係は、後醍醐天皇の勅問に太祖開山瑩山禅師が答えたことから始まったと伝わる。その後1322年に紫衣の着用を認め、官寺に定めるとした綸旨が下された。転写された「後醍醐天皇綸旨写」(江戸期)をはじめ、第1部「天皇家と總持寺のご縁」では歴代天皇の文書を中心に展観する。
双方が並んだ後陽成天皇(1571~1617)と後光明天皇(1633~1654)の綸旨の用紙に注目すると、色の違いに気がつく。綸旨はいわゆる再生紙の「宿紙」を使用する慣例があり、白紙をあえて墨染めすることも多かったという。前者は原料紙の墨の色が強く、繊維のむらも確認できる。一方、後者の色は薄く均一に染まっている印象だ。高田信敬館長は「時代が下って宿紙を使う必要がなくなっても、似せた紙を作るところに伝統が感じられる」と解説した。
第2部「皇室ゆかりの品々」では、天皇家や宮家の美術工芸品が鑑賞できる。皇族出身の最後の尼門跡、伏見宮文秀女王(1844~1926)遺愛の菊紋香炉は、昨年の瑩山禅師700回大遠忌に参拝された高円宮妃久子さまの焼香でも使用された。菊紋は、中心にがくが施された親王家所用の14葉裏菊となっている。最後の第3部のテーマは「皇族を伝称筆者とする古筆切」。
2月28日まで。一般300円。休館日は木・金曜日。問い合わせは同庵(☏045―581―6065)。
1月
2025/1/30
展望2025 人口減少社会と多文化共生
在日ベトナム仏教信者会会長 ティック・タム・チー氏に聞く
四無量心で人間同士の交流を
2011年の東日本大震災から、困っている在日ベトナム人を助けるための支援活動を行ってきました。コロナ禍では仕事を解雇されたり、帰国出来ずに困窮する大勢の在日ベトナム人から連絡がありました。在日ベトナム仏教信者会と大恩寺で支援活動「幸せの贈り物」として次の8つの慈善事業を行いました。1食糧支援、2人道相談支援、3お葬式支援、4保護支援、5帰国支援、6仕事に繋がる支援、7大恩寺農浄園支援、8お念仏を通じた精神的な支援。賛同してくれるベトナム人、日本の企業、僧侶や一般の方からも多くの支援をいただきました。
約6万人分の食糧を配布し、住まいを失った方のために大恩寺と3カ所のシェルターを開き、約2千人を保護しました。その中には妊婦の方もいました。お寺の近くで畑をお借りして、自給自足ができるように野菜を育て始めました。地域の方から農作業を教えてもらい、収穫した野菜は困窮者にお分けしています。農作業を通して地域の方と交流でき、自尊感情や思いやりの心も育まれます。互いに支え合う優しい社会を作る一助になっていると実感しています。
お参りしやすいお寺を
今は相談者の数は落ち着きましたが、人間関係や言葉の問題等でトラブルになるケースもあります。お寺への連絡で一番多いのはお葬式の依頼です。死因は事故や事件、自殺や病気、過労死など様々です。日本に来て慣れない環境で無理をするのでしょう。若い人が亡くなってしまうのはとても辛いです。
上手くいかずに落ち込んでいる時にお寺にお参りしたいベトナム人の仏教徒はたくさんいます。ベトナム寺院は11カ所ありますが、今は北海道から沖縄までベトナム人はいるので、お参りしやすい日本の寺院が増えたらいいなと思います。
どんな支援ができるのか、と以前、日本の住職の奥様に質問されたことがあり、ベトナム人のお参りの仕方を教えました。本堂にあがり、お線香に火を点け、仏様にお願いする言葉を唱え、香炉にお線香をさす。人間界ではどうしようもないことを仏様の世界に預かってもらうんです。お参りするだけで安心感が生まれます。希望するベトナム人がいたら是非お参りをさせてほしいです。
国内で海外布教
私も日本の僧侶たちと交流が増え、東京の吉水岳彦先生のお寺(浄土宗光照院)をはじめ埼玉や栃木のお寺にも、ベトナム人の信者がお参りする姿が見られます。お参りして楽しかったという実習生の方は大勢いるんですよ。フェイスブックなどでお参りに行けるお寺の情報はすぐに共有されています。日本の各宗派には海外布教の部門があり、海外に拠点もあると思いますが、国内にいる外国人に布教すればそれも海外布教になります。(続きは紙面でご覧ください)
2025/1/30
大谷専修学院 次年度の学生募集中止 内部対立と混乱が深刻化 ベテラン職員異動を契機に
京都市山科区にある大谷専修学院 真宗大谷派(木越渉宗務総長)は12月25日、複数ある教師養成機関の中で全寮制(1年間)による「念仏のある共同生活」を行っている大谷専修学院(京都市山科区)の2025年度学生募集(本科・別科)を中止すると発表した。「学院の運営体制を整える必要があるため」としている。だが関係者によると、令和5年(2023)4月に就任した佐野明弘学院長とベテラン職員2人との間で起きた昨年8月の人事異動命令に至る深刻な対立が主な原因だという。(続きは紙面でご覧ください)
2025/1/30
阪神・淡路大震災30年 NPOアース 発災時刻に希望の鐘 震災の教訓語りつぐ
神戸の街を一望できるヴィーナスブリッジで行われた追悼の集い NPО法人「災害危機管理システムEarth」(アース、理事長=石原顕正・山梨県日蓮宗立本寺住職)が主催する「阪神淡路大震災 市民追悼のつどい」が17日、神戸市内で開かれた。7年ぶりとなる早朝追悼のつどいでは、発災時刻の午前5時46分に「神戸・希望の鐘」を鳴らし、追悼の祈りを捧げた。
アースは、阪神淡路大震災を機に石原理事長が1997年に設立。支援活動の中で、2001年から神戸の被災者と共に発災時刻に行う追悼集会や誰もが参加できる市民追悼式を共催してきた。しかし、現地の実行委員の高齢化により発災時刻の集会は18年、追悼式は20年に幕を閉じ、以後は石原理事長の自坊で追悼行事を行っていた。
今年は発災から30年の節目にあたり、現地の市民の協力により「忘れられようとしている震災の教訓を伝え続け、今を生きる人々の集える機会」として、早朝追悼の集いや5年ぶりとなる市民追悼式の開催に至った。
夜景スポットで知られる諏訪山ヴィーナスブリッジ(中央区諏訪山町)に集まった市民たちは、発災時刻に合わせ石原理事長が撞く「神戸・希望の鐘」の音と共に黙祷。読経が響く中、眼前に見える神戸の街からも呼応するかのように鐘の音などが聞かれ、参加者も希望の鐘を撞いて犠牲者の冥福を祈った。
午前10時からは、同区下山手の兵庫県中央労働センターで市民追悼式が開かれた。毎年共に追悼式で共演してきた琵琶奏者の川村旭芳氏とアースの僧侶メンバーが「声明と琵琶による音楽法要」を営み、最後に参加者が希望の鐘を撞いた。
石原理事長は、震災の翌年から始めた仮設住宅での慰霊祭やこれまでの追悼の集いを回想。「15年目の時に、震災の教訓が風化しないように鐘を皆で撞くことで震災を語り継ぎ、亡くなった方の慰霊にもつながればと願って希望の鐘を鋳造した」と振り返り、今後も震災の教訓を語り継いでいくと話した。
2025/1/27
終戦80年対談 戦禍と祈りの記憶
宮城泰年氏・本山修験宗総本山聖護院門跡門主 × 村山博雅氏・世界仏教徒青年連盟会長
脅しでなく理想を掲げよ 日々の祈りが平和の原動力に
聖護院門跡(京都市左京区)で語り合った宮城氏(右)と村山氏 今年で終戦から80年となる。仏教者は戦争協力を反省し、平和を祈ってきた。しかし、軍備増強や武器輸出が進められ、「新しい戦前」との警鐘に不安が漂う。戦争体験者は少なくなり、戦禍の記憶は遠い過去となりつつある。一方で世界各地で紛争は繰り返され、国内外で平和から遠ざかる現実が横たわる。当時を体験した宮城泰年氏と祈りの記憶を継ぐ村山博雅氏が語り合った。仏教者は平和な世界へ向けて何ができるのか。この節目に、国際活動にも携わる僧侶の対談を通して考える。
――今年で終戦から80年です。どのような気持ちを抱いていますか。
村山 私は戦争を知らない世代ですが、地元だけでなく地上戦があった沖縄や南洋で慰霊を続けています。決戦の舞台となったサイパン島では、昨年に陥落から80年を迎えました。玉砕を期した最後の総攻撃「バンザイ突撃」が行われた7月7日に、仏教者の代表として慰霊祭を営みました。知事ら現地の人たちも毎年参列するほか、昨年はカトリックの大司教も初めて参加し、神仏基の諸宗教による祈りを捧げました。
宗教者の祈りに意味はあるのか。そう疑問が投げかけられることがあります。しかし私は、祈りこそが平和な社会を形づくる原動力になると確信しています。そう信じるきっかけの一つが祖父の祈りの実践にあるかもしれません。
祖父は旧陸軍航空部隊の軍人でした(村山竹甫氏。陸軍航空士官学校出身、中佐。戦後に大阪市天王寺区の曹洞宗吉祥寺に住持)。敗戦時、クアラルンプールで教育飛行隊部隊長を務めていて、インドネシアの無人島レンパン島に抑留された。1946年7月の帰還まで、部下とともに漁や農耕をして生きのびたといいます。
復員後、戦前から心に決めていた僧侶となりました。サイパン島など南方各地を何度も巡拝し、遺骨の収集にも努めました。境内には遺骨を安置する観音像を建立し、供養していました。
私は戦争を体験していません。しかしながら祖父の祈りを受け止め直し、自分事として継いでいくことはできると思っています。社会に祈りをどう展開するのかという課題も考えながら、終戦80年の節目に心からの祈りを捧げるつもりです。
思考力を奪う戦争
宮城 平和な社会にとって、祈りは大切だと私も考えています。
聖護院の3代前にあたる師岩本光徹門主は日露戦争に出征しました。戦争に関して一切話されませんでしたが、よく聞かされたのは廃仏毀釈のことでした。修験の徒として耐えかねたのでしょう。平和が脅かされるときは権力側の圧力が伴うものです。
私が生まれたのは、満州事変の発端となる柳条湖事件が起きた年です。得度は終戦の前年でした。いつ死ぬかも分からない状況だったから、父(宮城信雅氏。宗務総長にあたる修験宗総務を務めた)は僧侶の一人として死なせようとしたのかもしれません。戦争へ行くべくして生まれてきた。しかし、戦地へも行かず勉学にも身が入らない。そんな少年時代でした。
戦時中、横文字はご法度でした。野球をしていてうっかり「ストライク」なんて言うと、げんこつが飛んできました。藁人形を竹で突く訓練では「10人で一人を殺せ」と教え込まれました。あるとき疑問を口にしたことがあったのですが、教官室へ連れていかれて指揮刀でめった打ちにされました。
私にとって平和とは、戦争が終わってものが自由に言えるようになったことです。終戦後も食糧不足は続き、それどころではなかったこともあって、そう実感できるようになったのは大学に入ってからだったように思います。(続きは紙面でご覧ください)
2025/1/27
昭和100年企画 みんなで選ぶ仏教者100人 思い出深い仏教者群ー③ 上位は有馬実成、中村元、松原泰道の3人
昭和100年企画「みんなで選ぶ仏教者100人」には48人から回答が寄せられ、合計111人の名前があがった。戦後世代の回答者が多いこともあるが、昭和仏教者のほとんどは昭和20年代以降から平成期に活躍した人たちだった。
集計したところ、上位にあがったのは仏教NGO開拓者の有馬実成、世界的な仏教学者の中村元、優しい言葉で仏教を説いてきた南無の会会長だった松原泰道の3人。それぞれ5人が取り上げた。
次いで3人の支持を受けたのは7人。そのうちの一人は尼僧。2人が選定したのは23人だった。残る88人は単独の選定である。
1回目(1月1日号)掲載後、複数から回答が寄せられた。機会を見て紹介したい。
複数から選定された仏教者は以下の通り。
5人が選ぶ
有馬実成 昭和11年(1936)~平成12年(2000)
曹洞宗僧侶。国際NGOシャンティ国際ボランティア会(旧曹洞宗国 際ボランティア会)創設者の一人。開発理論に仏教の視点を活かした。
中村元 大正元年(1912)~平成11年(1999)
東大退官後、財団法人東方研究会(現公益財団法人中村元東方研究所) を設立。仏教を研究したい人と学びたい人を結びつける場ともなった。
松原泰道 明治40年(1907)~平成21年(2009)
宗派にとらわれない南無の会会長として全国で講演活動を展開した。『般 若心経入門』はベストセラーで現在も読み継がれている。
3人が選ぶ
市川白弦 明治35年(1902)~昭和61年(1986)
仏教者の戦争協力を問う。代表的著書に『仏教者の戦争責任』。
小島賢道 明治31年(1898)~平成7年(1995)
曹洞宗僧侶。尼僧として初めて宗議会議員を務めた。
鈴木大拙 明治3年(1870)~昭和41年(1966)
国際的な禅学者。英語で仏教を発信した。
瀬戸内寂聴 大正11年(1922)~令和3年(2021)
天台宗僧侶・作家。岩手・天台寺での青空説法には県外参加者も。
沼田惠範 明治30年(1897)~平成6年(1994)
ミツトヨ創業者。仏教伝道協会を通じて『仏 教聖典』の普及に努めた。
丸山照雄 昭和7年(1932)~平成23年(2011)
日蓮宗僧侶。社会問題に仏教の立場から取り組む。
山田恵諦 明治28年(1895)~平成6年(1994)
天台座主としてしばしば海外渡航したことから「空飛ぶお座主」とも。(続きは紙面でご覧ください)
2025/1/25
訂正とお詫び
1月23日号の昭和100年企画「みんなで選ぶ仏教者100人」記事中、川橋範子氏の所属を「国際日本文化研究センター・客員教授」としていますが、「南山宗教文化研究所・客員研究員」の誤りでした。本人への確認なしに過去の所属を記載してしまいました。訂正してお詫びします。
2025/1/23
展望2025 寺院経営の未来と課題 現代の苦に向き合っているか 中島隆信・慶應義塾大学商学部教授
『神は妄想である』の著作で知られるR・ドーキンスによれば、仏教は宗教よりも人生哲学と呼ぶにふさわしいとされている。実際、私たちの苦しみの多くは、「○○でなければ厭だ」という執着から生じているのだから、「何事も程々にせよ」という釈迦仏教の教えは生き方の指針となり得るだろう。
だが、この教えを広めるには、それを会得する方法が必要となる。なぜなら、世俗の人々には日常の生活があり、修行や瞑想に明け暮れることができないからだ。
そこで考え出されたのが、仏や経典の偉大な力を引き出す祈祷、自力での会得を目指す坐禅、さらには仏の慈悲にすがって往生を目指す念仏などで、それぞれが仏教各宗派の教えにつながっている。
だが、江戸時代の檀家制度により仏教寺院が住民の戸籍を管理する幕府の出先機関になったことで、宗派の教えは檀家にとってどうでもよくなり、寺院も檀家の無宗教性をよいことに葬儀/法事の請け負い業者として生計を立てるようになった。そして、このシステムは寺院経営の安定化と信者獲得競争の回避につながったといえる。
ただ、各宗派が提唱する解脱方法には、開祖当時の時代背景に基づく裏付けがあった。実際、平安末期と現代とでは苦しみの原因も違って当然だ。にもかかわらず、仏教界はそうした世の中の変化に対応することなく、江戸時代以来の葬式仏教に依存してきた。この危機感の欠如により、檀家のお寺離れに抜本的な解決策を打てずにいる。このまま放置されれば、やがて観光寺院と一部の檀家寺を残し、ほとんどの寺院は日本国内から消えることになりかねない。(続きは紙面でご覧ください)
2025/1/23
天台宗 100歳 大樹座主の讓職発表 93歳 藤光賢探題 2月上任
藤光賢次期座主 天台宗(細野舜海宗務総長)と総本山比叡山延暦寺(獅子王圓明執行)は10日、令和3年(2021)11月に史上最高齢で就任した大樹孝啓天台座主(100)が2月1日に譲職(退任)すると発表した。同日、藤光賢次座探題(93)が第259世座主に上任(就任)。滋賀県大津市坂本の滋賀院で午前11時から上任式を営む。座主伝燈相承式(延暦寺晋山式)は6月10日午前10時半から厳修。祝賀会は同日午後1時半から京都市内のホテルで開催する予定。(続きは紙面でご覧ください)
2025/1/23
阪神淡路大震災30年 ドラム缶の鐘を新調 芦屋市西法寺 被災者支援の象徴
支援に尽力した先代の思いを継ぐ上原住職 阪神淡路大震災から30年目の17日、兵庫県芦屋市の浄土真宗西法寺(上原大信住職)では、2代目となる「ドラム缶の鐘」の撞き初めが行われた。震度7の芦屋市で、倒壊を免れ地域住民の避難所となった西法寺。その際、境内にあったドラム缶で簡易風呂を作ったり、焚き火を行っていた。いわば被災者支援の象徴がドラム缶だ。
初代のドラム缶の鐘は2003年に本堂の建て替えを行った際、震災を忘れないために作った。実際に被災者支援で使っていたドラム缶は脆くなって撞くことが難しいため、同じタイプの缶を探して加工。20年以上撞いたことでやや傷みもありこのほど新調した。
撞くと、「グヮン」という音が響く。17日早朝(発生時刻)の追悼法要には約100人が参列し撞いた。上原住職は30年前は17歳で、西法寺の出身ではないため当時の体験はないが、だからこそ「震災のことはずっと伝えていかなければいけないと思います」と話す。
2025/1/23
阪神淡路大震災30年 神戸市佛教連合会 語りと一絃琴で追悼
「しあわせ運べるように」を追悼演奏した須磨琴 阪神・淡路大震災で数多くの寺院が被災した神戸市佛教連合会は17日、兵庫県神戸市須磨区の真言宗須磨寺派大本山須磨寺本坊客殿で追悼法要を営んだ。善本秀樹会長を導師に、市内各区仏教会の会長が随喜して超宗派による読経。客殿本尊阿弥陀如来に回向し、物故者6434人の安らかなることを念じた。
須磨寺も本堂や護摩殿の損壊や塔頭寺院の倒壊など甚大な被害を受けたが、そんな中でも100人以上の犠牲者の遺体安置所としての役目を引き受けた。小池弘三管長は「これから先、この日を迎えることができなかった方の思いも自分の思いとして、繋ぎ合って、語り合って、良い世の中としていくのが私たちの務めではないでしょうか」と挨拶。矢坂誠徳兵庫県仏教会会長、和田学英全日本仏教会事務総長も来賓として挨拶を述べた。(続きは紙面でご覧ください)
2025/1/9・16合併号
展望2025 僧侶の資質向上と再教育 21世紀劈頭宣言を直視せよ! 「愚者」自覚し「共生(ともいき)」世界を 豊岡鐐尓・前浄土宗宗務総長
浄土宗では、もはや4半世紀前となるが、21世紀を迎えるにあたり、浄土宗21世紀劈頭宣言を発したことはご存じのことと思う。「愚者の自覚を」「家庭にみ仏の光を」「社会に慈しみを」そして「世界に共生(ともいき)を」である。
これは浄土宗宗門人、特に僧侶に向かって発したもので、僧侶自身、その義務、使命を理解し、ことに当たれということで、僧侶たるものその本分を忘れるなというもの。今自分が僧侶として生きていると胸を張って言えるようにということでもある。
通常、僧侶とは、言うまでもないが「出家して仏門に入った人」であり、我が浄土宗的に申し上げれば、宗祖法然上人の心を心としてそれを理解し、喜び、そしてほかの人に伝える人である。伝え方には様々あるが、多くは寺院に所属し、檀信徒を相手にあらゆる方法でこれを行っている。
津波被災地での念仏合唱に心打つ
宣言を発してから10年目、宗祖法然上人800年大遠忌を、一宗挙げて行おうとしていた時、あの東日本大震災大津波が発生、当時私は一宗議会議員であったが、浄土宗が何が出来るのか、何とか行動しなければ、と思っていた。結局、何も出来ずにいた時、浄土宗の僧侶十数人が、東北の海岸に集まり津波に遭遇し帰らぬみ魂に向かってお念仏の合唱をしたという記事を読み、心を打たれたものである。何ということもなく特に取り上げて言うものではないかもと思うが、浄土宗の僧侶として、今出来ることをしたのではないかと納得した。
その年の秋、浄土宗では、宗務総長選挙が予定されており、浄土宗劈頭宣言の心をより発信しようと、浄土宗が社会のために役立たなければと考え、同じ意見を持つ同志の協力を得て、「僧侶の資質向上」「意識改革」を目指して取り組んだものである。
しかしながら、言うのは易く、実行は大変であった。僧侶の意識とは、それぞれにあるが、浄土宗1万人の住職、それぞれに持っているもので十人十色。僧侶の資質といっても質にはそれぞれあるということであった。
一宗でできることは?
自分自身、考えが浅かったと言うしかないことが、残念ながら真実であった。我が宗では、僧侶になるには、大学またはそれに準ずる施設で単位を取得し、最終的には、総大本山で実施される「加行」で3週間の修行を修了すれば僧侶となれる。その後はそれぞれの道があるが、大部分は全国に7000カ寺ほどある寺院に入り、そこに所属する檀信徒を相手に、葬儀、法事をすることがほとんどである。
僧侶として、自分自身を高め、まわりの信頼を得る方法はそれぞれで、宗門が「これだ」と方針を決められるものではない、ということである。一宗が出来ることは、僧侶自身が「学びたい」と考えた時、それに対応出来るようにしようというのが、せいぜいであった。宗門としてこれが必要と思ったら、研修会を実施し、それに参加してもらうことぐらいであった。総本山の協力を得て研修施設を作り、そこに参加してもらうのが良いと考え、開設するのがやっとであった。
今、振り返ってもはずかしいが、よく理解が出来ていなかったということである。21世紀劈頭宣言を発し、僧侶の意識つまり自覚する心はそれぞれで、持っている資質は申し分ないが、向上させるのは自覚によるものである。「僧侶の意識改革」「資質向上」と大上段にふりかざした公約も、自分の力に限界を感じたものである。
力及ばず
ではどうすれば良いのか? 浄土宗には、全国に総本山と7つの大本山がある。浄土宗の教師が、それぞれの自坊で檀信徒教化に努力している時、それぞれの総大本山が受け入れ態勢を持っていただけることが大切と考える。
一方、浄土宗宗務庁は、寺院経営上さまざまな悩みにぶつかった時、トラブル等が生じた時、それに対応出来る組織であれば良い。
本務職員はそれぞれに教育を受けており、参拝者に対応する力を持っている。
宗務庁の職員は、寺院のあらゆるトラブルの解消に向けて勉強をしている。
彼らの協力を得て、浄土宗の生き残りを計らなければならない。
今一度、「愚者の自覚を」そして「世界に共生(ともいき)を」
力及ばなかった老人の愚痴である!
とよおか・りょうじ/1941年8月生まれ。早稲田大を卒業後、78年まで東京12チャンネル(現テレビ東京)で勤務。1994年から宗議会議員。2011年から2019年まで宗務総長(2期)。宗務総長時代、「僧侶の資質向上」を掲げ知恩院内に研修施設を開設した。自坊は三重県伊賀市の念佛寺。
2025/1/9・16合併号
願いの一字は「慈」 慈しみを向ける1年に
鈴木氏による揮毫で発表された願いの一字「慈」 (6日・増上寺) (公財)仏教伝道協会(BDK)が公募した「願いの一字コンテスト2025」の漢字が「慈」に決まり、6日に東京都港区の浄土宗大本山増上寺で書家の鈴木猛利氏の揮毫で発表された。
願いの一字は昨年10月から12月の約2カ月間で集まった100字(昨年は82字)の中から選ばれた。
「慈」の字は、思いやりの言葉と行いという意味があり、特定の人に対してでなくすべての人びとに友情をもつことを意味している。世界各地で戦乱が続く現状にあって、家族友人だけでなく、すぐ隣にいる人にも「慈しみ」の気持ちを向けていく一年になることを願い選ばれた。また仏教でいう「慈悲」の本源的な意味を多くの人に知ってもらいたいという願いも込めて選定された。「慈」の他にも「和」「平」など平和を願う文字の応募が多数あった。
揮毫した鈴木氏は「ゆっくり優しく、温かに書いた。字を書く時には気持ちを込めることがとても大事。慈とはどういうことなのか考えながら1年を過ごしていきたい」と話した。
増上寺執事の渡辺裕章法務部長は「仏教は大慈悲なりと言います。慈しみの中には戦いも人を騙すこともない。慈しみの輪を自分一人から始めて、隣の人へ広げ、世界がこれに覆われたら本当に良い年になる」と願った。
2025/1/9・16合併号
「繫紡心」平和を紡ごう 年賀式で比叡山から発信
垂示を述べる100歳の大樹座主 天台宗総本山比叡山延暦寺の年賀式が8日、滋賀県大津市の延暦寺会館で行われた。年頭恒例の比叡山から発信する言葉は「繋紡心」で、思いやりや感謝の心が人を繋いでいき、平和な未来を紡いでいくことを願う意味が込められた造語。その言葉通りに宗門高僧のほか政財界などから約400人が参拝し、心を繋紡した。
満100歳の大樹孝啓天台座主が法楽の導師を務め、般若心経や山家学生式を奉読。一隅を照らす精神を改めて仏前に誓った。大樹座主は「世界ではロシアのウクライナ侵攻が止むことなく、能登半島地震は日常生活を一瞬にして奪いました」と心を痛め、現代社会の道徳の荒廃などを憂慮。「まさしく末法の世の中ですが、伝教大師の『忘己利他』のお言葉を世界中にお届けしたい」とし、人々が心を寄せ合って戦争をなくす繋紡心を説いた。
祝賀会では獅子王圓明執行、細野舜海宗務総長の挨拶に続いて、延暦寺法燈護持会会長の鳥井信吾氏が挨拶。大阪商工会議所会頭でもある鳥井氏は、今年は関西万博の年であり、伝教大師最澄1200年魅力交流委員会でも多くの学生の万博への参加を調整中と報告。一方で「政治も経済も非常に不透明で、ポピュリズムが蔓延しフェイクニュースが飛び交っている。今こそ伝教大師の言葉を思い起こすべき」とし、道心ある人を国宝と為す宗祖の生き様が現代において肝要だとした。
三日月大造知事が乾杯を発声。秋の国民スポーツ大会・全国障害者スポーツ大会に多くの参加を呼びかけ、繋紡心あふれる世の中を期待した。
2025/1/9・16合併号
令和大蔵経へAI活用 大正大蔵経100年/SAT設立30年記念国際シンポ
仏教研究や人文学研究におけるAI活用を討議したシンポ SAT大蔵経テキストデータベース研究会は12月21日、東京都文京区の東京大学山上会館で『大正新脩大蔵経』刊行100年と同研究会設立30年を記念した国際シンポジウム「生成AIと仏教研究」を開催した。
人文学研究におけるAI技術の活用や仏教典籍のデジタルアーカイブなど、人文学研究の未来像について話し合われた。
同研究会の共同代表を務める下田正弘・武蔵野大学教授は、「大正新脩大蔵経の歴史とSATの将来」について発表。仏教典籍発展の歴史やSATの成果を振り返り、今後の展望も語った。
刊行から100年が経過した『大正新脩大蔵経』は、資金面や人材面の課題によりこれまで改訂が進んでいなかったが、「DXやAIが改訂事業を可能にしてくれた」とし、『大正新脩大蔵経』から「令和大蔵経」を編纂する構想を披露。現在、SATでは7種の大蔵経画像データを参照でき、同時に参照することにより大幅に作業の効率化が可能という。「過去からどれほど多くの方が関わってブッダの言葉を継承してきたのか。その努力による継承のプロセスに私たちもいる」と話した。
SATデータベースの開発に関わってきた永崎研宣・慶應義塾大学教授が「令和大蔵経」に向けた新技術を説明。画像からテキストデータを読み取るOCR技術の精度が高まっており、既存のテキストと比較することでさらに正確性を上げることができるとした。
大向一輝・東京大学大学院准教授は、人文学研究におけるAI活用の現状を解説。岩田直也・名古屋大学准教授が西洋古典に特化したAI「ヒューマンテクスト」を紹介し、AI技術の横断的な活用が議論された。
総合討議では、こうした技術の進歩により、「AIを使って一次、二次の文献にあたり論文ができてしまう。すでにある人文学の論文のフォーマット自体を見直さなくてはいけないのではないか」との提起もあった。
当日は、海外の研究者も多数参加。日英同時通訳による開催となった。翌日は海外研究者の発表も交え、仏教研究のデジタル化や国際的な協力体制・研究環境の整備についてシンポジウムが開催された。
なお今シンポを後援団体の1つである(公財)全日本仏教会(全日仏)は大蔵経運営事業として公益目的事業に位置付け、運営をサポートしてきた。
2025/1/9・16合併号
能登半島地震から1年 高齢化と人口減の中で 被災地寺院レポート② 寺院復興に行政の補助を 公益性の評価方針に課題
豪雨で倒壊した岩倉寺の住居。防災ヘリで救助された 大地震と豪雨の二重被災の中にある石川県最北部の寺院の復興は、地域のお寺ならではの公益性の発信と、少子高齢化地区からのさらなる人口流出への対応を迫られるものとなる。これらは全国共通の最重要課題であり、奥能登の寺院再興への取り組みは縮小社会に入る日本の仏教の未来を決める歩みと重なる。
日本海を望む山中にある岩倉寺(輪島市町野町)では元日の地震で伽藍に壊滅的な被害が出たが、隣接する住居での生活は何とか可能だった。一二三秀仁住職(55)と両親はここに留まり、両親は完成した仮設住宅に移る準備に着手。そんな矢先の9月21日、未曾有の豪雨災害が発生した。
「午前7時過ぎから雨の勢いが増し、1時間後には経験したことのない豪雨になったので、1階の母に『崖から一番離れたソファーにいて』と声をかけた。私は2階にいたが、9時40分頃に3秒ほどの轟音がして吹っ飛ばされた」(一二三住職)
倒壊した1階部分が50㌢しかなく、「母はもうだめか…」。外に飛び降り探したが、返事はなかった。ぬかるんだ土砂に埋まった足を抜こうとしていると、再び土石流が起こった。家の中に戻り、崩壊した階段部分へ。「『お母さん!』と呼んだら反応があった」。午前10時10分、携帯電話から救助を要請した。
午後5時頃、消防隊が下の駐車場に到着。だが二次災害の危険性が高く撤退命令が出された。「ヘリも飛べないという連絡が、私の携帯に来た」。一二三住職は母親の側を離れず、「僕の名前をずっと呼んでいるので、『疲れるから、そんなに声上げんな。ここにいるから』」と励まし続けた。
消防隊5人が来たのは翌朝7時半。一二三住職が「母はここ」と示した2階の床を隊員がチェーンソーで切ると、「ピンポイントでそこにいた」。約23時間後の8時15分に救出。午前11時の防災ヘリで、母・良子さんは病院へ。幸いにも3週間程の療養で退院できた。
増水の川で九死に一生
裏山は、頂上から大きく崩落していた。母親が救出された頃、自衛隊48人が救助応援で寺を目指していたが、一二三住職は消防隊長に「助かったし、もう来なくてもいいのでは」と提言。その30分後、自衛隊が上がってくる予定だった山道が轟音と共に崩れ去った。(続きは紙面でご覧ください)
2025/1/9・16合併号
昭和100年企画 みんなで選ぶ仏教者100人 思い出深い仏教者群② 48人回答、111人を選定
昭和100年企画「みんなで選ぶ仏教者100人」は最終的に48人から回答があり、111人の仏教者を選定していただきました。意外にも特定の人物にそれほど集中せず、幅広い昭和仏教者となりました。
全体的には実際に面識があったり交流したり、直接学恩に預かったりと近い人物を選ぶ傾向がみられました。もちろん、埋もれていた存在に光を当ててくださる方もいらっしゃいました。
ご協力頂いた皆さまに感謝申し上げます。(詳細は紙面をご覧ください)
2025/1/1
新春エッセイ 忘己利他 杉谷義純・世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会会長/京都・天台宗妙法院門跡門主
元旦の朝は心が少し改まった気がします。その新鮮な気持ちをできるだけ長く保ちたいものです。
世界は、内外とも昨年来激動の中を推移しております。まずウクライナ戦争は北朝鮮軍がロシア軍に加わり、新たな展開を見せようとしています。一方、イスラエルとハマスの戦争は、シリアの突然の崩壊によって中東全体の問題になろうとしています。
他方、国内政治は、自民党(与党)の過半数割れによって不安定な状況になっています。そんな中で米国の新トランプ政権の動向や、不況下の中国の巻き返し、ブリックスなどの新興国家の動きが、世界平和にも大きな影響を及ぼしていきそうです。
しかし、そのような中で、昨年暮れの日本原水爆被害者団体協議会(被団協)のノーベル平和賞受賞は、特筆すべきことでありました。今日まで被団協の皆さまが自らの命を削りながら、核の廃絶を訴えて来られたその姿は鬼気迫るものがあり、また偉大でした。WCRPは被団協の活動をずっと支援してきましたが、国連で私が世界の宗教者を代表して核廃絶を訴えた時も、被団協の代表も核がこの世に存在してはならないことを強く訴え、各国代表にインパクトを与えていました。そして今回の受賞は、核のタブーを国際常識にすべく、大きな役割を果たしました。
さて今年は、阪神淡路大震災から30年を迎えます。私はその時、天台宗の宗務総長をしており、すぐさま救援のため兵庫県へ飛びました。街道筋はすでに警察、消防などの関係車輌で渋滞なので、丹波で車を仕立て迂回して行きました。中型のトラックには物資と共に水を容れたタンクも積みましたが、重量オーバーで山道を走るうちにパンクするなどの失敗もあり、思い出になっています。
この阪神淡路大震災の年は、今では日本のボランティア元年と言われていますが、その後東日本大震災の経験を経て、日本のボランティア活動は目を見張るほど成長しました。東日本大震災といえば大津波で空前の犠牲者を出しましたが、宮城県石巻市の大川小学校の生徒のことが忘れられません。そぼ降る雨の中、校舎の前で慰霊の読経をしました。校庭に地震直後集まったところを、津波が近くの川を遡上してきて、84人が犠牲となりました。全くの想定外で悲しい出来事でした。
ボランティアの人々は、災害に遭い苦しむ被災者の姿にじかに接し、救援活動をします。まさに「忘己利他」(伝教大師の言葉)の行であり、相手の目線に立ちその苦しみを受け止める同事の心がなければ長続きしません。その意味で戦後80年、原爆の被災者が背負ってきた苦しみに対し、日本のボランティア活動にかかわってきた人々の心が、共鳴する時機も到来しているのではないかと思われます。
平和は永遠に課題であり、それは引き寄せるものではなく、平和へ向かって努力するその姿の中にあるものだと思います。その努力とは、荷車を押して山道を行くのと同じで、手の力を緩めれば、荷車は下ってしまいます。しかしボランティアで培われた心は必ずや輪を広げ、大きくなっていくでしょう。
すぎたに・ぎじゅん/昭和17(1942)年10月29日生まれ。慶應義塾大学法学部法律学科卒。大正大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。早くから大学仏青、仏教青年会で活動。天台宗では宗議会議員、同議長を経て平成5年(1993)から宗務総長(一期)。比叡山宗教サミット実行委員会事務局長(1986)を務めた。
またWCRP軍縮安全保障国際委員会委員長時代の平成16年(2004)、国連NPT(核不拡散条約)再検討委員会総会(ニューヨーク)で宗教代表として核廃絶を提言した。WCRP日本委員会事務総長、理事長などを歴任し、昨年6月、日本委員会会長に就任。平成29年(2017)、京都・妙法院門跡門主に。著書に『はじめての法華経』『平和への祈り』(ともに春秋社)など。
2025/1/1
オピニオン 多死社会 櫻井義秀・北海道大大学院教授
高齢化2025年問題 林住期の人々と「縮充」の仏教へ
社会の2025年問題
団塊の世代が後期高齢者となることで日本人口の20%が後期高齢者となる。認知症高齢者や独居高齢者が増加し、医療費・年金・福祉の社会保障費の増大に財政が対応できなくなることが予想されるが、政府や自治体は選挙結果を恐れて増税を言い出せず、国民は見せかけの所得を増やす減税策や給付金を掲げる政党に投票している。
そればかりではない。介護や医療従事者、保育士や教師など長時間労働とストレスを強いられる職種で人手不足が顕在化し、農林水産業や自営業をはじめ、後継者不在は全業種の半数に及ぶ。
私は札幌駅から10キロ離れた住宅地に居住するが、最寄りの地下鉄駅まで片道2キロを歩く。運転手不足と地域高齢化による乗客の減少によってバス路線が廃止されたからである。吹雪や大雪の日には覚悟が要る。コンビニも閉店し、足のない高齢者は生協の宅配サービスに頼るしかない。このような現実が全国各地でもう生じているのである。
人口減少社会の根本原因は、少子化と移民の少なさだが、手当できる時期を逃してしまった。子育て支援は全世帯の20%にしか届かず、未婚者を結婚に導くことはない。男性30%、女性20%の生涯未婚率はさらに上昇しているので、2040年に日本は高齢化率が40%に迫ることになる。最低賃金や物価が韓国・台湾より低い日本に働きに来る外国人は今後さらに減少するだろう。空前のインバウンドは、日本が何でも安いから生じている。
もはや縮小する超高齢社会日本であることを覚悟して社会を再デザインするしかない。
高齢社会を再定義する
私は近年アクティブ・エイジングの研究を始め、社会福祉先進国の北欧をモデルとせず、社会保障の遅れを家族・地域・伝統文化で補完するアジア諸国から学ぼうとしている。(続きは紙面でご覧ください)
2025/1/1
オピニオン 多死社会 濵名雅一・東京都葬祭業協同組合理事長 東京都23区火葬場 民間企業が寡占 行政が整備を
民営が多い特殊な状態
東京23区内の火葬料金の際立った高さが、新聞等でも報道されています。この2年あまりで段階的に値上げされ、現在の9万円(一般的な最上等)は、近県都市の7~15倍。当該住民ならば無料という自治体もあり、「東京では死ねない」といった記事も散見されます。その背景には、全国で99%が公営の火葬場に対し、東京23区内9カ所の火葬場のうち7カ所が民営で、容易に値上げができる寡占市場という特殊性から、「火葬は事業か公共サービスか」といった問題提起も生じています。
東京23区内7カ所の民営火葬場のうち、6カ所は東京博善という民間企業が長年にわたり運営しています。昭和23年に「墓地、埋葬等に関する法律」(墓埋法)が制定され、火葬場等の運営主体は「原則として市町村等の地方公共団体が行い、それが難しい場合は宗教法人、公益法人が経営主体となり許可を受ける」と定められたものの、既に経営実績のあった東京博善は制限を受けませんでした。同社の既得権益に対して23区行政側が長年放置し、今日に至っているのです。その間に公益法人へ移行の指導もなく、民間企業のまま見過ごした事実は、行政の監督不行届きといっても過言ではありません。さらに問題なのは、東京博善が印刷出版業の廣済堂HDの傘下になり、火葬場を廣済堂という一民間企業が運営しているという現状です。墓埋法の下、民間火葬場があっていいのか。他地域の火葬場はほぼ公営ですので、問題点は明白です。
近年は廣済堂HDに中国系企業が資本参入し、火葬事業の域を超えた葬祭関連ビジネスに積極参入していることを、TVやネットCMなどでご覧になった方も多いかと思います。さらに東京博善の併設斎場では、宗教者を呼ばない葬儀が、全国平均よりも高い割合を占めている、という情報もあるようです。
葬送文化伝承が課題に
15年前、日本の死亡人口は100万人を超え、現在は150万人に達しています。このうち、葬儀式を執り行わない人が半数近くとなり、周辺事業(墓、仏壇、位牌等)の縮小化も顕著です。現在、墓石業者の売上の約半分が「墓じまい」だそうですが、これは商売の一時しのぎに過ぎません。
私たち葬儀社も含めて、儀礼文化を今後どのように伝承すべきか。(続きは紙面をご覧ください)
2025/1/1
オピニオン 剃髪の意義 森香有・曹洞宗僧侶 僧侶のジェンダー問題 女性にとって高いハードル
曹洞宗ではSDGs(持続可能な開発目標)の推進を掲げ、2021年に「SDGs推進委員会」が設置されました。私も委員の一人として、SDGsの目標にも掲げられている「ジェンダー平等」を検討するためのアンケート調査「男女平等に活躍できる曹洞宗を目指す」に携わりました。設問の1つに「現在、曹洞宗における教師の男女比は97:3です。極端に女性教師数が少ない原因は何であると思いますか」がありました。一番多い回答は「剃髪への抵抗感」(16%)。次いで「後継者に男性が選ばれること」(14%)、「女性教師ロールモデルの少なさ」(13%)、「寺院女性が活躍しにくい曹洞宗の体質」(12%)でした。
「保つ」ことの難しさ
国際布教師として米国の曹洞宗国際センターに赴任していた折に、ジェンダーに関するアンケート調査に携わった経験を踏まえて思うのは、女性にとっての剃髪のハードルの高さの「中身」については、ほとんどの人が知る機会がないということです。「剃髪」自体はさほど難しいことではありません。難しいのはその姿を保つことです。
渡米するまではずっと東京で暮らしていました。剃髪姿でいると、周囲から向けられる好奇の視線にどう反応してよいのか分からず、少しずつ身を削られていく感じがありました。お寺から出ると、剃髪している女性は異質過ぎて、社会のどこにも馴染めない。男でもなく、女でもない。LGBTが世間から注目され始めた当初、当事者の方にインタビューを受けたことがありましたが、マイノリティという共通点で互いに共感を持ち、尼僧は社会から見ても、宗門から見てもマイノリティの存在であるということがようやく理解でき、もやもやとしていた自分の立ち位置が明確になりました。
剃髪という僧形に対して敬いの心を向けて下さる方もいて、ありがたいと思う反面、姿だけで判断されることに抵抗を感じ、髪を伸ばしていた時期もありました。「剃髪に抵抗があるのは男性僧侶も一緒だよ」と言われたこともありましましたが、それにはとても同意できず、その一言は剃髪について自分はどんなことを感じてきたのかを考え直すきっかけになりました。
出家するまでは、普通の女子大生として生きていたので、剃髪に関してはそれまでの自分と、出家した自分との折り合いをなかなかつけることができずに葛藤の多かった二十代を過ごしました。それでも僧形を保ってこられたのは、これまでに出会って共に坐り、学んだ、素晴らしい師や仲間がいたからこそでした。(続きは紙面でご覧ください)
2025/1/1
オピニオン 剃髪の意義 黒木啓宗・黄檗宗僧侶 仏道修行と毛髪 男女別なし 出家者の自覚の発露
黄檗宗における剃髪の意義付けについて、宗制や細則などに明記されたものは見受けられませんが、禅堂入堂時には「剃髪必須」、得度式、安居会参加時には「原則剃髪」が慣例化されているようです。
また、一部では師僧遷化時、満中陰までは剃刀を使わない(髪や髭などを剃らない)という慣わしが今も残っているようです。
別の観点から見ますと、黄檗宗歴代祖師方の中にも、有髪であったり、髭を伸ばされておられるご様子の頂相なども残されております。
さて、自身の髪型につきまして、五十歳手前で在家から出家得度を望みはじめた頃は、スーパーロングヘアでした。幼い頃は母の意向により、その後も自身の意向として、ほぼロングヘアで人生を過ごしてきましたので、長髪であることは、ある種のアイデンティティの一つであったのかもしれません。
また、師僧からは、出家得度するに際し、現段階では髪を剃らなくてもよいと告げられておりました。
その剃髪不要の判断背景としまして、当時、黄檗宗大本山萬福寺の寺務員として勤務しながらの出家得度でしたので、禿頭で寺務服着用という違和感や他の職員方などへの影響具合などを鑑みてのご判断であろうかと推察しておりました。
毛髪に未練なし
然しながら、自身としましては、得度=剃髪と認識しておりましたので、剃髪する事に躊躇もなく、周囲のご了承を得られるのであれば、禿頭で寺務服着用でも一向に構わぬ心持ちでしたが、やはりそこは懸念ありとされ、結局、短髪で落ち着きました。
そもそも出家得度をするということは、家族を捨て、これまでの世俗の生活を捨て、道を行じるための妨げになる事物から遠ざかり、仏道修行に邁進することだと認識しておりましたので、毛髪に執着や未練を感じることはありませんでした。
かと言って剃髪に固執するのも如何なものかと、短髪の髪が伸びたら、自分で事務用鋏を用いて切るという、中途半端なザンバラ頭で過ごしていました。
そして時は、黄檗宗の御開山隠元禅師の三百五十年大遠諱を控え、師僧の自坊がある滋賀県にて地方授戒を建壇するにあたり、尼戒頭の配役を賜る運びとなりました。
これを機に、師僧の了解を得、年度末の3月31日に剃髪遂行に到りました。
翌4月1日より、寺務服ではなく作務衣着用にて勤務をし、その一か月後に萬福寺の寺務員としてのなりわいを終え、その一カ月後に、滋賀県地方授戒の尼戒頭としての配役を全うと相成りました。
初めての剃髪は、授業寺の寺務所兼炊事場にて、扱い慣れぬ剃刀を用い、悪戦苦闘しながらも嬉々として遂行、師僧に仕上げをして頂きました。(続きは紙面でご覧ください)
2025/1/1
能登半島地震から1年 高齢化と人口減の中で 被災地寺院レポート① 檀家の一言で目が覚めた 檀家の誇りになる寺へ もう一度ゼロから頑張る
本堂に押し寄せた土砂の除去作業が続く(能登町・平等寺) 日本列島に暮らす人々が最も寛ぎ団欒する元日夕に発生した能登半島地震から1年。震災の復旧作業が緒に就こうとしていた矢先の9月21日に起こった奥能登豪雨からは、3カ月余が過ぎた。二重災害がもたらした過酷な現実を突き付けられている石川県最北部。だが、そこには懸命に前を向いて復興への一歩を踏み出した住職や寺族たちがいる。12月7・8両日、高野山真言宗能登宗務支所の川元祐慶支所長(穴水町・明泉寺住職)に案内してもらい被災寺院を巡った。
平安時代中期開創と伝わる能登町寺分の平等寺は、建物が地震で大きく歪んでいた。上野弘道名誉住職(84)は、「家族は最初の揺れで住宅から出て避難した。平成19年(2007)の能登半島地震によく似た状況だったので、私は本堂の確認に行った。その時(午後4時10分頃)に震度7の地震が来た。仏様もお位牌も倒れ、私は動けずに呆然としていた。外にいた家内が、裏山が崩落して土砂が本堂や庫裡に押し寄せるのを見た」とその瞬間を振り返った。
大量の土砂が建物に密着し、「高い所は4㍍近く」。二次災害の危険性があったため、「お寺の下にある空き家を借りて、1月から10月13日まで避難していた」。家族と暮らしていた住宅と蔵は全壊。平成19年の地震後に基礎を耐震化していた本堂と庫裡は中規模半壊の判定を受け、公費解体の対象になった。境内裏山の崩落で神社が倒壊し、本堂の屋根に衝突。その破損が、土石流の凄まじい威力を物語っていた。
自身は中学校の社会科教諭、妻は高校の養護教諭として勤務。共働きで寺を護持してきた。平成元年(1989)から「十三仏とあじさい寺」と名付けて、桜や紅葉も大規模に植栽。地域の参拝者で賑わう人気の「花の寺」だったが、「この地震でゼロになった」。
落胆は深く、「1月に金沢で檀家さんのお葬式をした時、住職と『あの土砂を見ると同じ場所でお寺を続けるのは無理かもわからんな。下に駐車場があるから、そこに小さなお寺を建てて何とかするか』と相談した」。そんな折、「親しい檀家の一人から『せっかく立派なお寺にしたのに…。何とか守れないか』と言われ、これで目が覚めた」。
すぐに行政に陳情。急傾斜地にある境内の土砂が下の集落に流れる危険性が認められたため、県が10月から12月頭にかけて大半を除去。「まだ終わっていないが、うちのお寺は早い方。手付かずの所がたくさんある」
現在は、本堂と庫裡を修繕しながら寺で生活。寺宝の一部は県の文化財レスキューによって町内の施設で保護され、崩れた裏山に鎮座していた高岡銅器の五尺の十三仏は土中から掘り出されるなどした。「どこまでできるかわからないが、もう一度檀家さんの誇りになるお寺にしようと頑張っている。本山や高野山大学の同窓生からの義援金、縁故のある方々からの援助に感謝している」
9月21日の豪雨災害では、裏山がさらに崩落。本堂の一部が床上浸水したが、「横浜の徳恩寺さんが6人で駆け付けて位牌堂を直してくれた」(続きは紙面でご覧ください)
2025/1/1
本願寺派特別宗会 大荒れ総長選 池田氏再び 退席、固辞した勧学61票、白票 反対派奇策で対抗 門主意思は新領解文推進
受諾後に挨拶を読み上げる池田新総長 宗会議員選挙を終えた浄土真宗本願寺派は12月18日から20日まで、新選良(定数78)により正副議長・総長を選出する第324回特別宗会を京都市下京区の宗務所に招集した。新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)を推進してきた荻野総局の総務2人、副総務1人が落選し、議席の大勢は新領解文反対派が占めた。大荒れのすえ、元総長の池田行信議員が9カ月ぶりに再び総長に選出された。出席議員74人のうち白票52が示すように、2~3月の宗会も嵐の予報だ。
初日に正副議長選挙が行われ、園城義孝議長、茶屋征夫副議長がそれぞれ再任された。
2日目の開会式の挨拶で大谷光淳門主は、浄土真宗のみ教えの肝要をわかりやすく伝えることは「これまで私が親教や消息で述べてきたこと」と挨拶し、伝わる伝道に議員が協力してほしいと呼びかけた。
慣例にならい、荻野昭裕総長が辞任を申し出て受理され、総長選挙となった。本願寺派の総長は門主が指名した総長候補者2~3名のうちから議員が投票で決する独特の仕組み。その候補者名を書いた紙が議場で開封されるまで誰が候補か知らされていない。
議員たちが固唾を飲んで見守るなか、園城議長が開封し、読み上げたのは、池田行信議員と満井秀城勧学。池田候補は2023年6月から24年3月までの総長で新領解文の推進派、満井候補は新領解文の教学的正当性を各地の学習会などで説いてきた。先の挨拶と併せ、門主は新領解文をこれからも積極的に用い続ける強い意思を示した形になった。
新領解文に反対する議員は結束し、奇策で対抗。昼休みを挟んで同日午後1時過ぎに本会議が開かれたが、園城議長が「総長選挙を行います」と宣言した瞬間に50人以上の議員が退席。定足数を満たさなくなり、有無を言わさず休憩となった。ここから3時間近く宗会は空転した。
再開後、出席議員76人により総長選挙は行われることになったが、反対派議員は奇策の二の矢を放った。満井候補に票を集中させ、満井候補61票、池田候補14票、白票1票で、満井候補が当選者に。しかし、満井候補は就任を辞退。非議員の学者である満井候補が固辞することを見越しての戦術だった。ただし、形式的にはここで一度議員の7割以上が新領解文推進者を選出したことにはなる。いずれにしろ門主による候補者再指名と選挙は翌日に持ち越された。
20日午前10時15分に再度門主が候補者名を書いた紙が議場に運ばれ、開封。今度は池田行信議員と、今回の選挙で引退した元総長の石上智康前議員の2人の名前があった。新領解文制定時の総長が候補に挙がったことに、ある議員は「もう言葉もないよ」とポツリと呟いた。
午後の投票では出席議員74人のうち池田候補が22票、石上候補がゼロ。残りの52票は白票だが法規上白票は当落に影響しないため、池田候補の当選となった。
池田新総長が受諾後に挨拶に立った時、数人の議員が議場外に退出。一方で「失礼なことはするな!」と諌める声があがった。池田新総長は「宗会が勧学寮を差し置いてご消息内容の是非について議論するとしたならば、宗会の多数決でその是非が決められることになる」と述べ、反対派議員をけん制。宗門内の相互理解が深まるよう努力をすると述べた。
【池田行信総長略歴】1953年生まれ。龍谷大学大学院修了。2005年から宗会議員。6期目。2023年5月31日から24年3月8日まで総長。現在、全日本仏教会理事長。自坊は栃木県那珂川町の慈願寺。
2025/1/1
日本被団協 ノーベル平和賞受賞 同行記 小野恭敬・宗平協事務局次長/日蓮宗僧侶 原爆死者に政府の補償なし 繰り返された発言 被爆2世「2度目は米国に向けたものと信じている」
ノーベル平和賞の賞状とメダルを授与された被団協代表委員。右から箕牧智之・田中重光・田中熙巳各氏(提供/長崎被災協 横山照子) 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が2024年ノーベル平和賞を受賞し、12月10日にノルウェーの首都オスロにて授賞式が行われた。筆者は、長年被爆者支援を行っている日本宗教者平和協議会(宗平協)から現地に派遣され、原水爆禁止日本協議会(原水協)などが主催するツアーの被爆者12名、被爆2世3世20名と共に渡航した。往路復路ともに日本被団協の代表団と同じ便であり、羽田空港でのマスコミの多さに驚きつつ、オスロ国際空港でも市民の方々が出迎えてくれ、平和賞受賞による現地の関心の高さを実感した。現地NGOは被爆者の証言会はじめ様々な関連イベントを企画してくれた。本稿は一連の同行記録の抜粋である。
ダイナマイトを発明し財を成したアルフレッド・ノーベル博士(1833~1896)の遺言で、ノーベル賞が創設された。ダイナマイトは殺人兵器にも利用され、「死の商人」とも形容されたノーベル博士は、当初より平和賞の構想があった。贖罪の意味もあったのであろう。そして兵器は化学品から物理学の応用、原子爆弾へつながる。その非人道的な無差別大量破壊兵器の犠牲者を追悼し、激甚厄災から生き永らえた被爆者の実践と実績を称え、そしてロシア、イスラエル、北朝鮮といった「核のタブー」を破らんとする国家に歯止めをかける今回の被団協への平和賞は、ノーベル委員会にとってもより一層意義深いものと感じた。授賞式は毎年ノーベル博士の祥月命日に行われる。
市民との松明行進。正面ホテルのテラスに代表3名が立っている 本稿で主題となるのが、日本被団協の代表委員の一人、田中熙巳(てるみ)さん(92)が行った受賞スピーチである。授賞式会場となるオスロ市庁舎へ車いすで入場した田中さんだが、21分間のスピーチでは終始起立し、自若泰然とした立派な姿であった。筆者らは近隣のホール内でパブリックビューイングにて被爆者の方々と見守っていた。スピーチ中盤、これまで手元の原稿に走らせていた視線を、スッと上に持ち上げ田中さんは正面を見据えてこう述べたのである。
《もう一度繰り返します。原爆で亡くなった死者に対する償いは、日本政府は全くしていないという事実をお知りいただきたい》
筆者も田中さんのスピーチ原稿を入手した。確かに上記文章は元原稿にはなく、その場のアドリブで発言したものであった。日本政府は原爆犠牲者に補償をしていないことを2度言及したのである。各国の大使が出席し、世界中が注目するなかでの、長崎出身の一翁の渾身パフォーマンスである。
英語でも完璧に
筆者は翌日、受賞スピーチの英語での同時通訳バージョンの録画を見た。この原稿にない部分をきちんと英語で訳出できていたかを確認したかったのだが、果たして完璧に英語でも伝えられており、ホッとした。田中さんの強い意志のこもったメッセージが世界に伝わったと。
これは、「日本批判だ!」とネット上で喧喧囂囂(けんけんごうごう)するようなレベルの低い話ではない。戦争犠牲者の国家補償を行わせる、するとどうなるか。軍人の恩給だけで60兆円とも言われる補償が、一般国民の犠牲者向けと合わせて倍増となったら、多くの国家は財政破綻してしまうだろう。つまり戦争を遂行すると国家破綻する、自滅する。よって戦争は全く意味がない、という究極の抑止力になり得るのである。
ノーベル平和センターで小野氏。唱題行脚の直前に撮影 朝日新聞の記者も現地オスロで直接田中さんに丁寧に取材をしている。スピーチのアドリブ部分に対して田中さんは、「『戦争犠牲者に対する国家補償は日本だけでなく国際的な問題でもある』として、世界全体で関心を持ってほしいという願いから繰り返したという」(朝日新聞デジタル、2024年12月12日 6時00分)。
帰国前夜のホテルでの食事会、全ての日程を終えて私たちはくつろいでノルウェー料理を堪能した。同席した被爆2世の方から次のようなコメントが飛び出した。「私は田中さんが繰り返した言葉は、2度目は、アメリカに向けて言ったものだと信じている」――
原爆投下80年と核禁締約国会議
次回筆者が田中さんと話す機会があれば、このコメントを伝えて、米国市民による原爆犠牲者追悼並びに被爆者支援基金の創設働きかけについて意見を交わしたいと思う。
5日間の旅ではあったが筆者は数多くのことを被爆者並びに被爆2世の方から学んだ。被爆2世の方のお話も、戦後世代の2世(団塊ジュニア)にしてみれば、十二分に生々しい被爆の実相に迫る語りで、人類の悲惨な歴史の証人であると痛感した。今回のノーベル平和賞受賞をきっかけに、ノーモアヒバクシャ!の叫びは、世代を超えて人類の叡智としてアーカイブされることを確信した。
今回日本中、世界中から集った平和を願う団体の掲げる旗の「色」は様々であった。また旗を持つ「手袋」も全部は見えないものの様々であるように感じた。しかし所属する組織は違えど平和を希求する思いは同じくして、我々は協力体制にあると信じている。またもっと数多くの宗教者が出てきて良いと思った。2025年は原爆投下80年。3月には核兵器禁止条約第3回締約国会議が開かれる。日本政府にはオブザーバーを要請したい。そして核兵器禁止運動という大きな乗り物に便乗させてもらった者として微力ながら支援を続けたい。
おの・くぎょう/1979年生まれ。富士宮市・日蓮宗富士山大乗坊住職、横須賀市・妙忍寺副住職。日本宗教者平和協議会(宗平協)事務局次長、日蓮宗立正平和の会事務局。
2025/1/1
曹洞宗2045年宗勢予測 教師数3割減の1万人 若手は5% 賦課金平均負担額15万円増 無住の墓地 東京ドーム2・5個
曹洞宗はこのほど、20年後に迎える2045年の宗勢を予測する報告書を発表した。教師数は約3割減の約1万人となり、若手は全体のわずか約5%まで減少する。後継者不足から半数が兼務寺院となり、経済格差を背景に無住寺院の増加が見込まれる。財政は現状の規模を維持すれば、賦課金総額に対する教師一人あたりの負担は大きくなる見通しだ。
宗務庁運営企画室が報告書「曹洞宗2045年予測」として公表した。教師数は現在(2024年)の1万5789人から約3割減の1万人程度になると予想した。
20~30代の若手教師数は1931人から大幅に減り、全体の約5%にあたる約500人まで減少。最多となる団塊ジュニア世代をはじめ60代以上が約7割を占め、3人に2人が60代以上という高齢時代を迎える。
教師1人が在籍中に得度授戒を行った徒弟数(得度者数)を算出した指標は0・77人に低下し、得度者数は294人から半減して約150人になるとした。
教師数の減少に伴い、本務寺院数も1万390カ寺から約3割減の約7400カ寺に減少。全寺院数約1万4千カ寺の半数近くまで兼務・無住寺院が増える計算となる。
現在の兼務(約3千500カ寺)・無住(約500カ寺)寺院の約8割が級階20級未満で、報告書では「経済力の低さは住職不在の恒常化や兼務住職の就任を困難にする要因ともなる。無住寺院あるいは実質的に無住の状態に近い寺院が今後増加する見通しが高い」としている。
一方で無住寺院の合併・解散は進んでいない。2023年に合併が15件、解散が8件と過去20年間で最多だったものの、2022年の調査で無住寺院の6割が合併・解散を望んでいる状況だ。
処分困難な残余財産が足踏み状態の要因で、無住となって5年以上経つ寺院の所有する墓地の面積は約11万7千平方㍍に及ぶという。東京ドーム約2・5個分の広さとなる。所有建物の解体費用は坪単価3万円で計算すると、約2億7千万円に上る。
財政に目を向けると、2045年までに2~3億円の歳入縮小を見込むが、準備資金を除いた一般会計歳入歳出は43~46億円と現在からほぼ横ばいで推移すると予測。教師が減少する中で予測通り現状の財政規模が維持されれば、賦課金の負担は当然大きくなる。賦課金総額に対する教師一人当たりの平均負担額を算出すると、約15万円増え約41万円になるという。
同室担当者は報告書に関し、「可能な限り信頼度の高い手法で検証を重ね、現実的な予測を出した」とし、「宗門の実態を把握し、将来を考えるきっかけにしてもらえたら」と話した。
また兼務・無住寺院や低級階寺院の割合、高齢化の度合いなどは地域差がかなり見られるとし、「地域によって状況は異なるため、一概に同じ施策を適用できるとは言えない」と指摘。「今後、中長期的な視点でどんな課題に取り組んでいくべきか提案していきたい」と述べた。