日本仏教のハワイ伝道の歴史
ハワイにおける日蓮宗の寺院 ハワイ開教に着手した伝統仏教教団では、日蓮宗は真宗本願寺派、真宗大谷派、浄土宗に続き4番目にあたり、その後に曹洞宗、真言宗が続いている。日本ではあまり知られていないが、ハワイには想像以上に仏教の寺院、教会が多い。日蓮宗では、オアフ島に3カ寺、マウイ島1カ寺、ハワイ島に1カ寺、計5つの拠点で布教を展開している。
日系移民の歴史と仏教
ハワイにおける仏教徒の歴史を知るには、日系移民の歴史を知る必要があるだろう。当時、米国本土の南北戦争により、ハワイ産砂糖の需要が高まっていた。そのプランテーション(大規模農園)の労働者として、日本からの移民を多く受け入れたことが日系移民の始まりとされる。移民が始まったとされる明治元年にちなみ、最初に移民に訪れた人々は「元年者」と呼ばれている。ハワイ寺院の多くは、プランテーションで働く日系移民の人々が日本から布教に訪れた各宗の開教師とともに、寺院・教会を建立したものが多い。
日蓮宗初のハワイ拠点カパパラ教会。建立を祝い角力を奉納した(1902年)遠く日本から移り住んだ人々にとって、寺院は信仰を守り、学校や祭事を通して、故郷の日本の文化を感じさせる大事な場所だった。厳しい生活の中で資金を出し合って作り出したコミュニティの中心だったのである。特に寺院には日本語学校が併設されることが多く、今でも現地では開教師のことを「先生」と呼ぶことが多いのは、その名残であるという。
戦争を機に日系人に意識変化
その後、大戦によりハワイ仏教に変化が訪れる。それまで日本とアメリカに対する気持ちに明確な区別をつける必要がなかったが、日系人は戦争を機に日本人であるかアメリカ人であるか、選択を迫られていく。大部分は、アメリカ人であることを選び、この頃から仏教寺院もアメリカ化が進むようになった。
パンチボウル国立太平洋記念墓地の礼拝所。右側には仏教を示す法輪のマークがある
ハワイでの布教活動で共通するのが、サンデーサービス(日曜礼拝)やサンデースクール(日曜学校)である。伝道面では各宗の教義の他に、四聖諦、八正道など仏教の基礎を大事にし、英語で書かれた『仏教聖典』(仏教伝道協会刊)などが使われている。
こうした通仏教的な伝道は、ハワイ仏教連盟の各宗派に共通している。今日でも連盟主催の花祭り法要などには、宗派を超えて大勢の参加者が集っている。各宗派の寺院、教会で開催するお盆祭り「盆ダンス」は日系人以外にも人気がある行事だ。お盆の時期になると地元紙に予定表が掲載され、今では常夏の島ハワイの「夏」の風物詩となっている。(参考『日蓮宗ハワイ開教百年史』)