共生特集2024

2023/9/19 共生特集 農から考える地球環境 「食・農・環境」は一本と考えよう!


 昨年、国連のグテーレス事務総長は、地球温暖化は「地球沸騰化」になったと警告を発し、対応を迫ったが、2024年も異例の暑さとなった。地球環境の深刻さを実感しつつも、他方でロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナ・ガザ地区の戦争が続いている。地球温暖化に加え、こうした戦争は世界の農業にも大きな影響を及ぼしている。全世界が約束した持続可能な開発目標(SDGs)を含めて、「農」から環境と平和について東京農大名誉教授の板垣啓四郎氏にインタビューした。(一部掲載)

 農業が環境・資源を保全
 ——農業と環境は密接につながっています。両立するには。
 板垣 日本の食料自給率(カロリーベース)は38%とかなり低い。その一方で、食料・農産物の輸出に力を入れている。インバウンドの効果もあって日本の食事=和食に対する評価が高まり、ここを輸出に向けた商機としている。しかしながら、輸出品目は極端に片寄っている。サシの入った牛肉、ウイスキー、リンゴなどの果実、水産加工品など。

 言い換えれば、不足する原材料を海外から輸入し加工して輸出しているのが実態。 栽培している作物によって異なるが、稲作就業者の平均年齢はおよそ75歳。この人たちがリタイアしていけば、はたして後継者はいるのだろうか。耕作放棄地はさらに増えていくだろう。彼らに代わって農業法人に引き継いでもらうという政府の方針はあるが、このままでは米価が低いのでコストを十分に補い切れず、収益が上がらなければ、新規の就農者も増えず法人もまた農業を諦めるかもしれない。日本人のなかには、食料は安くて当たり前という感覚がある。食料価格が少しでも上昇すればすぐに政府が悪いとする。
 
 しかし農業(林業・水産業含む)によって、環境や資源が保全され、景観が維持され、農村の文化や伝統も守られている——というように考えなければならない。農業をコメなど農産物の量や価格だけで判断するのではなくて、農業が営まれる背後にある環境の側面にも貢献しているといったように目を向けてもらいたい。そういう観点から農業をもう一度見直し、コメや農産物の量と価格は妥当なのか、持続可能な農業で環境の保全と共生できているのか。すなわち「食・農・環境」を一本にして考えて欲しいものです。 

2024/9/19 共生特集 台湾・佛教慈済慈善事業基金会 能登で見舞金22億円配付 台湾地震でもお互いに思いやり


 被災地で見舞金配付の様子 台湾の仏教系NGOである仏教慈済慈善事業基金会(慈済会、東京都新宿区)は、国内外の大規模災害で支援を行っている。能登半島地震では、現地での炊き出しや無料カフェのほか、直接被災者への見舞金の配付を実施した。見舞金は7市町の約1万5千世帯に総額22億円だ。

 元日に発生した能登半島地震。5日には先遣隊を派遣し、それから炊き出し支援に着手した。行政にも活動が伝わり、台湾・基隆市と交流のある中能登町の厚意で同町の古民家を拠点に奥能登への水等の物資配付や炊き出しなどを行った。

 当時、被災地の水不足が深刻だったため、炊き出しは現地で自衛隊による給水を使わずに中能登町で下ごしらえをした後、奥能登への入り口である穴水町に食事を運んで調理した。60日間でボランティア延べ約630人が参加し、約1万3千食を提供した。炊き出しと並行して、穴水総合病院の一角で無料カフェを開催。コーヒーや台湾の烏龍茶を提供し、気軽に交流できる場も作った。

 5月から本格的に開始された被災者への見舞金の配付では、被災地の自治体の協力を得て、輪島市や珠洲市、七尾市、中能登町など7市町で行った。個人情報に関わる本人確認や罹災証明書を職員が確認し、その後は同会が担当。1世帯あたり13~17万円を直接被災者に手渡した。総額約22億円に達した。

 同会は東日本大震災の際、半壊以上の被害を受けた世帯に見舞金を配布。東日本大震災で「年金生活者の世代が特に厳しい」ことを目の当たりにしたことから、今回は半壊以上で65歳以上の高齢者がいる世帯に絞った。その分、見舞金は東日本大震災の時より10万円を上乗せした。

 見舞金準備中の4月3日に同会本部がある台湾・花蓮市で大地震が発生。今回、同会が日本で支援した自治体の中には、地震で被害を受けている台湾の人々から支援は受けられないと辞退するところもあった。

 日本分会の陳量達行政主任は「幾つかの市町で逆に台湾のために募金をしてくださる方もいらっしゃいました。互いに地震で大変な中、互いを思いやる人間の温かさを今回の支援活動でとても感じました」と振り返る。同会は台湾以上に能登の被害が深刻だと支援を続行。台湾国内の支援も早々に実施されたことを受け、辞退を申し出た能登の自治体も安心して支援を受け入れた。

 同会本部CEOの顔博文執行長は「東日本大震災は非常に広範囲に被害があり、被災者の状況を見て心を痛めました。能登半島地震は東日本大震災に比べれば範囲は狭いですが、実際に被災された方のお気持ちは、皆同じだと思っています。台湾も地震が多発している場所です。水や電気、道路などのインフラが壊れた不便さや地震の怖さ、心の痛みが分かるつもりです」と被災地への思いを話した。

2023/9/19 共生特集 浄土宗寿光院・見樹院 寺院アセットで市民活動支援 30年の実践が「新しい財団」に


大河内住職 浄土宗僧侶の大河内秀人氏は住職を務める寿光院(江戸川区)と見樹院(文京区)が所有するアセット(土地や建物)を30年にわたり公益的活動を行うNPOや市民団体に提供し、福祉や環境・平和の課題に取り組む市民の活動を支えてきた。この態勢を持続可能な仕組みにするため新しい財団法人「リタ市民アセット財団」を設立する。

 大河内氏は大学卒業後に全国青少年教化協議会に就職し、社会派の仏教者に出会った。浄土宗東京教区青年会の事務局長時代には国際協力を行うNGOと関係が生まれ、その活動に参加。「国際協力の現場では地域の人的資源を活かした持続可能な仕組みを作ることがゴールです。そこで一番大事なのが住民参加。この活動をしていると自分のことも問われます。私の場合はお寺であり、檀家や地域のコミュニティといったポテンシャルをどう活かすかを考えはじめました」

 地元で環境や平和を考える市民グループに参加し、同時に先代から引き継いだ寿光院所有の土地や建物を再整理した。1990年に土地交換で取得したマンションの2部屋を「小松川市民ファーム」と名づけて、住民主体の保健活動を行うNPO「シェア=国際保健協力市民の会」の事務所として提供した。これを皮切りに、地域の高齢者・障がい者・子ども福祉、人権・環境・難民・平和等に取り組む団体に提供してきた。市民活動のサポートは大河内氏にとっての布施や菩薩行であり、四諦八正道の実践である。「現実の問題があり(苦)、その原因を突き止め(集)、明確なビジョンを共有し(滅)、自分との関わりを自覚して行動する(道)」

 30年の取り組みで豊かな市民社会が構築される一方で、この仕組みを将来に引き継ぐという課題も生まれた。そこで始まったのが「新しい財団」設立プロジェクト。「寺院の社会貢献」から「市民みんなの社会貢献」へと作り変えることを目指し、専門家への聞き取りやワークショップ等を重ねてきた。最初のステップとして来月に「一般財団法人リタ市民アセット財団」を設立する。「リタ」はもちろん仏教用語の「利他」である。新たな財団が公益活動に提供している寺院アセットを委託管理し、活用団体を中心にしたネットワークを基盤に、新しい「公益」「コモンズ」「助け合いの仕組み」を創る。来年には「公益財団法人」へ移行し、「公益信託」の申請を行い、税優遇や寄付の受け皿になることも視野に入れている。(続きは紙面でご覧ください)

2024/9/19
共生特集 浄土真宗本願寺派 外から見えぬ被害、未だ復興せず 能登町・松岡寺でボランティア① 門徒が活躍 本紙記者も体験


軽トラ本願寺号に廃棄家具を積む川井氏と粂氏 北陸の浄土真宗本願寺派寺院は能登半島地震で甚大な危機に陥っており、宗派の公式発表によると、8教区513カ寺(加えて直轄寺院である別院6カ寺)に被害があった。発災直後から総局の指示で状況の調査が始まった。あわせて京都の宗務所から第1次復旧支援隊が石川県に入ったのは1月4日。同月8日には金沢別院(金沢市)に「能登半島地震支援センター」(以下、センター)が設置され、本格化した。

 センターは現在まで、被災寺院の整備や炊き出しといった直接支援だけでなく、全国から寄せられた物資の分配、ボランティアの受け入れなどコーディネート業務にあたっている。9月8日、記者は鳳珠郡能登町の松岡(しょうこう)寺(波佐谷真充住職)における、災害ゴミ搬出ボランティアに参加した。

 前日夕方にセンターに入った。参加者は川井周裕センター長、記者、それに女性ボランティアの3人だけだという。正直、少ないと思ったが「ゴールデンウィーク以降はボランティアはずいぶん減りました。被災地の情報の報道もあまりされていませんから」と川井氏は話す。センターではボランティアのための長靴やヘルメット、手袋などが十分に用意されていた。衣服や食料などの支援物資の箱も積まれている。

 ボランティアはセンターに無料で宿泊することができる(寝具を提供。風呂・食事はなし)。金沢別院も本堂や山門など被害が大きかった中で受け入れに奔走している。泊まる広間のテレビには金沢市内で行われた復興マルシェの短いニュースが映ったが、能登の様子は流れなかった。11時に消灯。

 翌朝7時半に2台の車で出発した。記者の乗った車を運転したのは一般ボランティアの粂亜希子氏。愛知県西尾市の教蓮寺の門徒で、この日で被災地入りは13回目。「困っている人が周りにいたらやっぱり助けるんじゃない?自分もいつ困るかわからないんだよ…お寺の日曜学校で、どうしてボランティアするの?と聞いてきた子にはそんなことを言いましたね」と話す。のと里山海道(高速道路)を北上し能登町へ。約130キロ約2時間半の道のりだ。「これでもずいぶん早く着くようになったんですよ」と粂氏。冬から春、道が悪かった時期には4時間半かかったため、朝5時半に出発したのだという。ちなみに、途中のパーキングエリアには本願寺派門徒が出している特産品の店もあり、帰り道に「爆買い」で支援することもあると教えてくれた。(続きは紙面でご覧ください)