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Interviews & Report

<インタビュー> 
定松栄一氏 国際協力NGOセンター(JANIC)事務局長

期限迎えた国連ミレニアム開発目標 評価と社会変革

 2015年までに「世界の貧困を半減する」ことなど世界の共通目標を定めた国連ミレニアム開発目標(MDGs)。仏教界では、日蓮宗、立正佼成会、ありがとうインターナショナル、真如苑などが支援してきた。国際協力NGOセンター(JANIC)の定松栄一事務局長にMDGsの評価と課題、そして来年から始まる持続可能な開発目標(SDGs)について話を聞いた。


DSC09719.JPGJANICの定松栄一事務局長 これまでの発展途上国に対する支援は、国連機関や各国政府、NGOなどの援助機関が個別に目標を掲げて、援助する側の都合で援助内容の優先順位が決まっていました。しかし、2000年に世界が共通の目標を8つに定め、その達成のために集中的に援助資源を投入することを決めたのがMDGsです。これは過去に前例がないことでした。

 私が長く駐在していたネパールの例で言えば、ネパール政府が国をどう発展させたいのか、各機関がそのマスタープランに沿った整合性のある支援を行い、援助の競合や重複が減り、全体の効果を高めることになった。

 残念ながら結果として、100%達成できた目標は多くはありませんでしたが、リーマンショックの前は各国の支援も資金に余裕があり、特に絶対的貧困を半減させる目標では、大きな進捗がありました。共通のゴールを定めて皆で実行すれば、良くなるということが確認できたことは大きな成果でした。

 一方で限界や課題も見えてきました。リーマンショック後に世界的に開発資金が途絶え進捗が遅れたことや、地域格差、国内格差の問題は扱われませんでした。例えば、支援の結果、中国やインドで著しい経済成長があり、国全体では平均して貧困率が減りましたが、各国内ではむしろ貧富の差が広がりました。地域的にもアフリカで貧困、妊産婦死亡率、教育などの進捗が遅れています。

 さらに、MDGsでは貧困や保健などの社会開発の点では一定の成果がありましたが、環境面での目標は少なかった。これらの課題や反省の上に立って、次の2016年から15年間の目標を定めたのがSDGsです。

 最終的には今月下旬のニューヨークでの国連総会で決定しますが、MDGsの8つの目標、21のターゲットに比べ、SDGsでは17の目標と169ものターゲットが設定され、その領域も広がっています。貧困、ジェンダー平等、飢餓、健康などはMDGsから引き継ぎ、新たに水源・海洋・森林保全、気候変動、持続可能な消費と生産などの環境系の目標やエネルギー、雇用、インフラ、不平等の是正等も新たな目標に設定されました。

 SDGsの策定には先進国・途上国を問わず参加し、NGOなどの市民社会も加わって3年間慎重に議論を続けてきました。国際交渉の場では、「一方的に決められた目標には従えない」という戦術を使う場合がありますが、SDGsの達成にはどの国も責任を負うことになるでしょう。

 ゴール(目標)に対する考え方も大きく変わりました。MDGsでは、もっぱら発展途上国に適用されていましたが、SDGsでは先進国も含めてすべての国に適用され、当然日本でも取り組みが必要になります。

 例えば、目標の一つである持続可能な消費と生産では、コンビニやファストフードなどで捨てられる大量の食糧廃棄物を半減させるとしています。企業もそして消費者である我々の日々の生活も改善が求められています。

仏教が試されている

 MDGsとSDGsとの一番の違いは、MDGsが富を重視する従来の価値観を継承していたのに対し、SDGsでは富以外の価値にも重きを置いている点です。それは今月国連で採択される文書の「Transforming our world(世界を変革しよう)」というタイトルにも表れています。

 この話をして改めて思うのは、仏教の役割の大きさです。仏教とSDGsには親和性があり、ブッダの教えと重なっていると思います。目標の達成には、欲望に執着しない、無常なものに執着する煩悩から解放されるという、まさしく仏教の教えが必要です。むしろそれがないと達成できないようにも思えます。逆に言えば、「今、仏教が試されている」ということが言えるのかもしれません。

 SDGsはチャリティだけでなく、自分の日々の行いを省みて行動のパターンを変えていくという心の問題でもあります。だからこそ、仏教の根幹に関わってくる。仏教者の皆さんが自ら範を垂れ、檀信徒の方などより多くの人に、この世界的な取り組みを紹介していただければと願っています。(『週刊佛教タイムス』2015年9月17日共生特集号掲載)



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<新しい葬送>

超宗派11人のお坊さんが海洋散骨を体験 東京湾で合同法要

 海での散骨を選択する人は年々増えているが、僧侶が積極的に関わっているとは言い難い。そんななか「お坊さんのための海洋散骨体験クルーズ」が11月上旬に行われた。主催は海洋散骨を手がけるブルーオーシャンセレモニー(株式会社ハウスボートクラブ=村田ますみ代表)と曹洞宗僧侶でライターの太田宏人氏。

 ◇ ◆ ◇

 東京・晴海の船乗り場から出航したクルーザーには超宗派の僧侶11人(曹洞宗、浄土真宗本願寺派、日蓮宗、浄土宗、臨済宗妙心寺派、高野山真言宗、真言宗豊山派)が乗船した。このうち、海洋散骨に同行したことがあるのは1人で、ほとんどが初の海洋散骨体験だ。

 村田代表は8年前に海洋散骨を始めた。希望者は年を追うごとに増え、同社独自で行う「合同メモリアルクルーズ」も好評。当初は年2回、春秋のお彼岸だったが、申込が殺到し、現在は毎月1回運航するようになった。「また船で会いましょう」「陸でも合いましょうと」と〝散骨友だち″が生まれている。「意図しなかったことですが、大事にしたい」と話す。しかし、これまでの海洋散骨で宗教者が同行したのは僅か数例で、村田代表も僧侶との接点は少ないため「どう接したらいいかわからない」。

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共に葬送を担いながら、互いを知らないという状況がある。

“ビルが墓石に見えた”

 船は京浜運河を通り、羽田沖の散骨ポイントへ。この間、船内では模擬追善供養が営まれた。船酔いする僧侶が発生しつつ、羽田沖の散骨ポイントに到着すると、後部デッキの左舷から散骨が行われた。読経と船のエンジン音がBGMとなり、水に溶ける紙に包まれた遺骨(この日は塩)、故人へのメッセージを記した「おくり鳩」、たくさんの花が海に投じられた。その後、スカイデッキに移動し合同法要を厳修。最後は村田代表が鐘を10回鳴らし、散骨地点を中心に船が旋回。故人との別れの儀式である。海面には太陽の光と散りばめられた花びらが漂い、印象的な光景が広がる。

 主催者の太田氏は自分の意志で散骨を選択する人もいれば、「身内がいない」「子どもと疎遠」「離婚しても実家に戻れず入るお墓がない」など、「必要性があって、選ぶ方がいる」を指摘しながら、「お坊さんはどう対応するのか」と投げかける。

 海洋散骨を終えると「良いものだと思った」という人や「帰る時に寂しかった」「儚さを感じた」など三者三様の反応。「自然に還るというイメージがあったが、実際は違った。この場所は大きな墓地で、遠くに見えるビルが墓石のよう。メモリアルクルーズはお墓参りと一緒なのだろう」と、印象を異にした意見もあった。

 お墓を必要としない海洋散骨には少なからず複雑な心境ながら、「檀家さんがお墓の後継ぎは無し、散骨をお願いしたいといったら受け入れたい。心の準備が必要だと思う」という僧侶もいた。檀信徒を海洋散骨で送ったという僧侶は、お墓がなくなった後も、遺族との関係が続き、法事などでお寺にお参りに来ると紹介し、「散骨だから、墓地があるから、ということではないのではないか」と話した。

 お坊さんの海洋散骨体験は、村田代表にも貴重な経験となったようで、合同法要ではこれまで送ってきた故人や遺族が思い浮かび「鳥肌がたちました」と振り返った。宗教者との接点が少なかったが、「きっと私が感じたことを遺族の方も感じるはず。宗教者にしかできないことがある。ご遺族の方にも少しずつ提案していければ」と話した。
(『週刊佛教タイムス』2014年12月4日号掲載)

<寺院レポート>
彩漆(いろうるし)の両界曼荼羅を開眼

東京・智山派南蔵院

結縁灌頂で悲嘆ケア

 東京都板橋区蓮沼町の真言宗智山派南蔵院(花木義明住職)に彩漆の両界曼荼羅が奉納され、4月10日に大曼荼羅供開眼法要が厳修された。4時間に及んだ法要の間中、檀信徒や地域住民、道行く人らが焼香に訪れ、曼荼羅と結縁した。同寺では真言密教の伝統儀礼を現代に活かしながら、様々な教化活動を展開している。

 奉納された両界曼荼羅は、絵の具ではなく彩漆で描かれている。漆芸作家で日展参与の勝正弘氏が2年2カ月以上をかけて製作したもので、金剛界曼荼羅の一印会と胎蔵曼荼羅の中台八葉院(どちらも800×850ミリ)から成る。以前から勝氏の彩漆による仏画に感銘を受けていた花木住職が、従来作例のない細密な両界曼荼羅の製作を依頼したことで実現した。


大曼荼羅供.JPG曼荼羅と結縁する大勢の参拝者


 その開眼法要となる大曼荼羅供も、総本山や大本山で数十年に一度営まれるかどうかという大法要。そこで智山講伝所の小島佑雄阿闍梨を講師に迎え、昨年9月から月1~2回のペースで勉強会を重ねた。

 法要当日は組寺をはじめ、60人近い僧侶が各地から参集した。花木住職は「一生に一度の大法要を通じて、私自身の研鑽だけでなく、特に若い方々に経験を積んでいただきたいと思っていました。きっと自信になったと思います」と総括。



金剛界曼荼羅(左).JPG金剛界曼荼羅の一印会

 平成20年の智山青年連合会発足50周年記念事業の実行委員長として総本山智積院での大曼荼羅供を経験し、今回の法要でもまとめ役を務めた鈴木智之氏(杉並区・医王寺)は、「一寺院での大曼荼羅供は、おそらく今までにも例がないでしょう」と語った。勝氏は「これまで89作の曼荼羅を描きましたが、初めてこのような大法要にお招きいただき、85歳にして大感激です」と感慨深そうに話していた。

 法要に春を選んだのは、境内のしだれ桜を見に来る大勢の参拝客にも曼荼羅に結縁してほしいと願ったからだ。本堂を建立した昭和53年に桜を植えて以来、徐々に評判になり、現在は「板橋十景」に選定されるなど、区民の憩いの場になっている。

檀信徒も密教を体験

 南蔵院では約20年前から毎年、桜が満開を迎える4月の第2土曜日に結縁灌頂を開壇している。対象者は主に、同寺に墓地を求めて新たに檀家になった家族など。「真言密教がどんなものかわからない方が戒を授かり、投華得仏して(通常は秘仏の)ご本尊様にお参りします。そして真っ暗な本堂から外に出た瞬間、桜が満開に咲いている」。毎年10人から20人が参加するが、一様に「感動しました」と感想を述べるという。

 花木住職は「深い悲しみの中にある方が結縁灌頂を受けることで、亡くなった方が仏の世界にいることを知り、自分もその世界に入っていく体験をする。親やお子さんを亡くされた方に、『仏の世界で今、御魂は生きているんですよ』とお話しすると、

胎蔵曼荼羅(右).JPG胎蔵曼荼羅の中台八葉院

涙を流して納得される方もいます」と述懐。その上で「これが伝統的な仏教のグリーフ(悲嘆)ケアではないかと思います。仏教儀礼は生きている人の供養でもあるんです」と強調する。

 今年の結縁灌頂には12人が入壇。開眼されたばかりの彩漆の両界曼荼羅が参拝者を優しく出迎えた。

伝統儀礼で寺院興隆

 花木住職は「宗教的感動を与えることが、お寺から檀信徒への布施です。法施をしていかなければ、仏教は興隆しないと思います。大曼荼羅供も元々はそういう発想からでした」と振り返る。結縁灌頂も大曼荼羅供も「大きなお寺でしかできないとあきらめるのではなく、工夫さえすれば小さなお寺でもできます」と力を込め、「新しい試みをすることも大切ですが、真言宗にある素晴らしい伝統を活かしていくことが何より重要です」と語る。

花木住職.JPG南蔵院の花木住職 南蔵院では御詠歌講をはじめ、茶道や華道、体操、音楽などの教室を開設する一方、年中行事やイベントも多彩で、毎月28日のお不動様の縁日には護摩を焚いて法話の会も開催。いつでも気軽に訪問でき、密教儀礼を通して誰もが仏法に結縁できる寺院活動を実践している。

(『週刊佛教タイムス』2013年5月2日号掲載)

<特集>仏教伝道協会 
公益財団法人として新たな出発

沼田智秀会長
インタビュー

仏教聖典を一人ひとりの元へ

―公益財団法人としてのスタートに抱負を聞かせて下さい。
 新たな出発ではありますが、気持ちに大きな変化はありません。というのも、当協会はそもそも公益活動を基盤として始まったからです。発願者である父・惠範は仏教伝道の資金を得るためにミツトヨという会社を設立しました。普通なら利益の一部を社会に還元するという発想ですが、ミツトヨは仏教伝道のための創業です。売上げの1%は当協会の活動資金になっていますが、従業員も承知のうえで一生懸命やってくれています。これも大変有り難い事です。
 今回こうした公益法人制度改革がありましたので、これまでの事業を見直し、活動をより一般の人々に向け、また仏教に関心を向けてもらえるような活動を目指そうと考えています。

―活動は仏教聖典を世界中の言語に翻訳しての普及、大蔵経の英訳事業など非常に国際的です。
 父は若くして渡米しました。その経験から仏教精神を世界に広めたいと思い、当協会を設立して仏教聖典の普及を目指しました。お陰様で現在では大きな事業の柱になりましたが、新たな試みも始めています。
近年では、仏教聖典から抜粋した言葉を『ブッダのおしえ』という小冊子にまとめました。仏教聖典を持ち運べるようにという発想です。観光寺院や様々な催しで配布していただき、大変喜ばれています。

―これまでの事業で特に印象深いものはありますか?
 ここ数年で手応えを感じているのが仏教学術支援プログラムです。仏教学を学ぶ国内外の留学生への奨学金制度や世界の主要大学で「沼田仏教講座」を開設していてきました。昨年ヨーロッパで初めて沼田仏教講座の担当研究者会議を開いたのですが、その多くが協会の学術支援プログラムに関わってこられた方がたでした。学生から研究者となり主要大学の中心になっているのを見て、非常に嬉しく心強い思いです。

IMG_5775.JPG公益財団法人仏教伝道協会の沼田智秀会長

 世界的にも仏教学術研究への支援は他分野と比べ、非常に脆弱です。だからこそ仏教学術支援には大きな責任も感じています。欧米など⒖校の大学に沼田仏教講座が開設されていますが、研究者のネットワークを通し、更なる学術振興を図りたいと思っています。

―世界各地で仏教への関心も高まっていると言われています。
 そうですね。特に海外に行って感じるのはチベット仏教の力です。欧米でも仏教といえばチベット仏教。ダライラマ法王の話を聞いて涙を流す若者たちの姿を見ます。日本にも素晴らしい仏教者はおられますが、そういう人たちがもっと世界に向けて活動をしてほしいなと思っているのですが。

―海外からは日本仏教はどう映るのでしょうか?
 それぞれの宗派の教えは素晴らしいものがあります。しかし、広い世界で宗派が別々に伝道活動をしても、限られたところにしか仏教が伝わりません。一般に広く仏教を知ってもらう場がないのは残念です。お釈迦さまは人々が幸せに暮らしていくための教えを説きました。それが基本にあるのですから、仏教教団はもっと一般に門戸を広げるため、宗派を超えて協力しあい取り組む必要があるのではないでしょうか。そこに当協会の活動の場も生まれてきます。
 そういう意味では、ここ数年、超宗派の若手僧侶が集まり、様々な形で布教活動を始めています。我々も超宗派的な仏教伝道を目指してきましたので、こうした若手僧侶の活動には目を向けていき、公益性のある活動は後押していきたいと思っています。それによって各教団も横の連携を意識されるのではないかと期待しています。


―父・惠範師の思い出も聞かせて下さい。
 正直に申しますと、私はミツトヨでずっと働くものと思っていました。ところが創業50周年の時に「お前が会長になるんだ」と父に言われ「えぇ!?」とびっくり(微笑みながら)。当初はにわか勉強で財団の運営を任され「これは大変なことになった」と思った覚えがあります。ただ土台は出来ていて、協力者もたくさんいました。
 その点で設立当時は大変だったはずです。伝統ある仏教界で新参者が認められるには時間が必要でした。それでも父は仏教伝道という志を持ち続けました。所有していた土地や建物も寄附し、それが今は寺院や仏教系幼稚園にもなっています。「継続は力なり」と申しますが、48年の積み重ねを感じます。

IMG-0001.JPG発願者の沼田惠範師

―ありがとうございました。最後になりますがもうすぐ「花まつり」を迎えるにあたり一言お願いします。
 2500年前にお釈迦さまが生まれ、人々の幸せを目指して教えを説かれました。それが現在の日本にも伝わっています。とても有り難いことです。私が素晴らしいと思うのは対機説法をされたことです。一人ひとりの悩みを聴かれ、一人ひとりが幸せになるための教えを説かれました。それが膨大な経典の元となっています。傾聴という言葉をよく聞きますが、まさにそれを実践されたのではないでしょうか。
 経典そのままでは難しい部分もあります。いかにわかり易く伝えるかが大切です。私共もさらに理解を深めていき、仏教聖典をもっと直接的に届けられるような形を模索していきたいと思っています。

ぬまた・としひで/昭和7年生まれ。昭和31年に早稲田大学を卒業し、三豊製作所(現ミツトヨ)入社。昭和46年に社長、昭和60年に会長に就任。平成19年から相談役に就任し現在に至る。仏教伝道協会の会長は昭和60年に恵範師より仏教伝道協会会長を受け継ぎ現在に至る。

公益財団法人仏教伝道協会のホームページはこちらへ。

(『週刊佛教タイムス』2013年4月4日花まつり号掲載)

<発案者に聞く> 柴田文啓氏

臨済宗妙心寺派宗門活性化推進局顧問
長野県千曲市・開眼寺住職

臨済宗妙心寺派 定年者に「出家のすゝめ」

柴田さん.JPG定年退職後に僧侶になった自身の経験をふまえ、「充実した第二の人生」について講演する柴田氏(2月11日東京・龍雲寺) 人生100年とも言われる現代。臨済宗妙心寺派(京都市右京区・大本山妙心寺、河野太通管長)では定年退職を迎えたサラリーマンなどに向け、「第二の人生は僧侶になって、世のため人のために活動しませんか」と「出家のすゝめ」を呼びかけている。今春から本格的に受け入れ体制を拡充。「貴重な人生経験を心豊かで慈愛に満ちた社会作りに活かしてほしい」と期待を込める。

 妙心寺派ではパンフレット(写真)を作成して、各企業に配布。その後、様々なメディアで報道され、2月11日現在で約180人から問い合わせが来ているという。

 このプロジェクトの発案者で、自身も定年退職後に僧侶になった柴田文啓氏(78・長野県千曲市開眼寺住職・同派宗門活性化推進局顧問)は、「問い合わせは日々増えています。人生の第四コーナーを回って、一日一日を有意義に過ごしたい。仏教を勉強して世のため人のために活動していきたい。そういう強い希望を持っている人がたくさんいると感じています」と手応えを語る。

高齢者向け修行を構築中


img757.jpg企業などに配布されたパンフレット出家希望者は個人面談や禅寺体験入門、師僧面談・禅寺修行などを経て専門道場に入門し、1年以上の修行生活を行う。現在、宗派では高齢者向けの修行システムを構築中で、今秋からの導入を目指している。

 柴田氏は「若い人たちと同じ僧堂生活ではきつい。まずスピードについていけない。食事も高齢になると持病があるので注意が必要です。膝が痛んで通常の坐禅ができないなど、一人一人に合った健康管理をしながら修行してもらう。そういう配慮が要るということで、修行自体の厳しさは変わりません」と話す。

社会との接点を増やす

 なぜ、定年退職者に呼びかけるのか。柴田氏はこの問いに、「いろいろな心の問題が社会に溢れています。家庭内暴力やDV、自殺、不登校、企業人や学校の先生の精神疾患…。そういう悩む人の駆け込み寺が、最も必要ではないか。今回の取り組みの目的は、社会経験を十分に積み、かつ宗教に関心を持っておられる方が僧侶になることで、一般社会と仏教界の接点をもっと増やしていきたいということです」と回答。「兼務や無住寺院の住職になって再興してほしいという思いもありますが、それよりも僧侶がもっと社会の現場に出ていくことが重要です。たとえば終末期医療の病棟に牧師がいるように、病院勤務の僧侶がいてもいい。ターミナルケアだけでなく、入院患者がもっと気楽にお坊さんと話ができるような環境になれば、日本の仏教はもっと生き生きとしてきますよ」と展望する。

仏教文化を実生活に

 大手電機メーカーの役員だった柴田氏は、65歳で出家。永源寺僧堂で修行後、無住だった開眼寺の住職となり、ビジネスマン時代の経験を活かした活動を展開している。「会社や役所勤めをしている人たちが、宗教に何を求めているか。自分が会社勤めをしていた時に思っていたことを、一つでも実現したいという気持ちが今、非常に強いんですよ」。企業の社員研修をはじめ、様々な「心の相談の受け止め先」として寺を開放している。

 福井県出身で、学生時代から永平寺に参禅するなど坐禅に傾倒。就職し東京での生活が落ち着くと、「加藤耕山老師の坐禅会に毎週通いました。私は30歳、老師は90歳くらいでしたでしょうか、すばらしいお坊さんだと感動し、私も人生の最後はお坊さんの真似事でもしたいなと思いました」

 アメリカ赴任時には、キリスト教文化に根付いた住民の暮らしを目の当たりにした。今、僧侶として、「日本はすばらしい仏教文化の国。実際の生活の中に、少しでも活きた宗教を広めていきたいですね」と思いを新たにしている。

 ※「第二の人生は僧侶に」の問い合わせは臨済宗妙心寺派宗務本所・宗門活性化推進局(℡075―463―3121)。

(『週刊佛教タイムス』2013年2月21日号掲載)



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<インタビュー> 清水谷善圭氏 

中村元記念館東洋思想文化研究所理事長、天台宗安来清水寺貫主

宗派超えた研鑽と交流の場に

IMG_2978_R.JPG中村元記念館(松江市)に再現された博士の書斎の前で今後の抱負を語る清水谷理事長インド哲学・仏教学者の中村元博士(1912~1999)が島根県松江市に誕生したのは大正元年11月28日。今年生誕100年を迎え、松江市に中村元記念館が開館した。中村博士の蔵書約3万冊を保管・管理するほか、東京・杉並区の自宅書斎を再現、著作や遺品も展示する。同館の運営にあたるNPO法人中村元記念館東洋思想文化研究所では、その功績を顕彰すると共に、東洋思想・文化研究の啓発普及のため様々な事業を計画している。同研究所の清水谷善圭理事長(天台宗清水寺貫主=安来市)に聞く。


 中村博士と清水谷理事長の縁を結んだのは妻・生恵さんで、大学時代の恩師が中村博士の妻・洛子さんと親友だったことで親交が生まれた。「山陰のお寺に嫁ぐと決まった時に、先生方が心配して下さった。それから中村先生はお墓参りなどで島根に帰られると松江からタクシーを飛ばしてお寺に来て下さった。先生はとても世話好きだったようです」とその姿を偲ぶ。その後、清水谷理事長の次男・善暁さんが㈶東方研究会・東方学院に通うようになって縁は深まり、財団との共催で「安来清水寺仏教文化講座」も始まった。

生誕100年記念し開館

img615.jpg東京・杉並区の自宅書斎でペンをとる在りし日の中村博士 記念館の設立に動き出したのは一昨年の春。「(東方学院の)前田専学理事長が、生誕100年に間に合うよう松江に記念館をつくりたい。なんとかならないかと言われたんです」。急な話ではあったが、清水谷理事長は地元の商工会をはじめ各方面へ協力を打診。すると程なくして候補地として松江市の「八束支所」があがった。「もともと役所として造られたもので5万冊を蔵書できる書庫がありました。見に行ったら、文句のつけようもなく、ここにしようと決めました。そこからは早かった」。記念館の設立発起人会、運営団体としてNPO法人を設立。地元新聞社「山陰中央新報」で連載「中村元・人と思想」をスタートさせると、松江市側も積極的に援助を申し出てくれた。

 「私が中村先生にお会いしたのは数回。しかし僧侶として仕事をするなかで、やはり中村先生の本が一番の頼りになった。翻訳された仏典はもちろん、仏教語大辞典一つとってもそうです。これだけお世話になっているのだから出来ることはしたい」と清水谷理事長。加えて「蔵書3万冊」も大きな魅力である。「たぶん私たちが見たい本がいっぱいあるはずです。是非、松江に持ってきたいなと思ったわけです(笑)」。

仏教系大学との連携も展望

IMG_2897_R.JPG記念館オープン当日の様子中村博士の命日である10月10日に記念館は開館。今後は安定した運営と、有効的な活用のため文化講座の開設、仏教系大学のサテライトキャンパス、海外研究ツアーの企画、インドとの経済文化交流等の事業を計画している。大学のサテライトキャンパスについては、長期休暇などを利用した集中講義を開き、単位互換制度を活用した大学間の学術交流を提案し、仏教系大学へ協力を要請している。「他大学の先生の講義も受けられ、単位も修得できるようにする。それによって学生が大学や宗派の枠を超えて仏教を学んでいける。日本仏教はセクト主義の傾向がありますが、ここでは一つの仏教としてお互いに研鑽し交流できる場にしたい」と展望する。

神仏霊場の歴史を活かす

 因みに今年は古事記編纂1300年。出雲大社など数々の神話の舞台がある山陰地域だが、「古くから仏教が根強く浸透していた地でもある」と清水谷理事長。自坊・安来清水寺や出雲大社の別当寺だった天台宗鰐淵寺といった古刹が、神仏霊場の長い歴史を伝える。こうして仏教が根付いた背景には、古来より続く海を介した大陸との交流があるとも指摘する。「中国や韓国との感情的なもつれが生まれていますが、もう一度、インドも含め中国や韓国との文化や哲学との関わりや影響について明らかにしていくことで、今までと違ったステージで交流を始める事が出来る。中村先生は『東洋人の思惟方法』を書かれた。相互に理解を深めるための東洋思想・文化研究が記念館の一つの仕事だと思っています」。

(『週刊佛教タイムス』2012年10月18日号・12月6日号掲載)











IMG_2975_R.JPG中村博士の遺品の展示、テレビ出演のVTRが流れるアーカイブコーナー。大切に保管していた日記帳やのノート、新聞の切り抜きなどが並ぶ




IMG_2911_R.JPG研究に勤しんだ書斎はそのまま記念館に再現された。書斎の脇には恩師・宇井伯寿博士の書「一輪月照西湖水」。頭上には宇井博士の書籍が並ぶ。書斎にはたくさんのハサミやはたきがある。




IMG_2878_R.JPG約3万4千冊の蔵書等の目録が、中村博士の息女・三木純子氏により清水谷理事長に手渡された。右端は目録を作成した純子氏の夫・保氏




IMG_2968_R.JPG松江市内の本願寺派真光寺が中村博士の菩提寺。記念館開館の翌翌日には教え子、清水谷理事長はじめ記念館の学芸員や司書らがお墓参りに訪れ、開館を報告した




<著者インタビュー>
末木文美士氏
国際日本文化研究センター教授

日本の「哲学」構築へ 
『哲学の現場』を上梓

《本書を書くためにこれまでの僕のすべての研究生活があり、もっと強く言えば、本書のために僕はこれまで生かされてきたといってもよい》。最新刊『哲学の現場―日本で考えるということ』(トランスビュー)を上梓し、「あとがき」でこう書いた末木文美士・国際日本文化研究センター教授。といっても従来専門としてきた仏教学や思想史の本ではない。西洋哲学を乗り越え、日本の伝統に沿った「哲学」を構築しようという「哲学」の本である。
トランスビュー.JPG

「自分の生き方、考え方が決まらないで、人の跡追いをやっていても仕様がない」と哲学へ。しかしアカデミズムの枠内だけで流通する日本の哲学ではなく、仏教を含め日本の伝統思想を踏まえた「哲学」を目指した。「いろんな人が哲学を言っていますが、彼らの哲学は現実に適用できない。だって日本の場合、一所懸命ヨーロッパの神を論じても、日本人にとっては切実な問題ではない。しかも、彼らの哲学では日本の神仏を論じることはできない。それを論じる枠組みはどこにもない。死者の問題は、それこそ大震災があって大勢の方が亡くなり、亡くなった方にどう向ったらいいのかは大きな問題です。でも今の哲学者は誰も答えられない状況です。そんなものははっきり言って哲学ではない」。
 西洋哲学で蓄積された自我論・倫理学・言語哲学・他者論等に切り込み、批判的に検討し、世界の「顕―冥構造」を示す。鎌倉初期の高僧・慈円の言葉を借りて、人と人との関係を「顕」の領域、神仏や死者がいるのは「冥」の領域とし、その極限に一神教的な神を置いた世界観である。

「顕―冥構造」提示し 
いま生きる世界を表現

「日本では理論的に作られた世界観と、現実に行動している世界観が実は違ってしまっている。理論的な面というのは近代のヨーロッパから入った世界観で、これが正しいものだとみんな信じ込んでいる。神仏なんて、そんなものはないよと。この世界だけだと理屈では言うわけです。だけど現実にはそうじゃない。近代ヨーロッパの世界観は、本当に生きている世界観を表現できない」。公共空間は人と人の関係で成り立つが、それだけでなく、人は神や仏とも関係を持って生きている。「顕―冥構造」はそれを説明する。
 特に死者との関係を強調する。身近な人の死で経験するように、人はいまは無き死者と強く関わり、死者から呼び掛けられ、時に導かれる。また死者へ呼び掛け、働き掛けもする。田辺元の「死の哲学」や上原専禄の「死者との共闘」の思想を踏まえ、死者は「冥」の領域の他者を代表するものとされる。
「日本の現場に適用できないものをいくらやったってそれは抽象論です。まず、きちんとした哲学に立った世界観を持たないといけない」。日本の、哲学と称する学問に携わる者への挑戦でもある。

(『週刊佛教タイムス』2012年2月2日号掲載)


 『哲学の現場』(トランスビュー)は四六判・235頁・価2310円。

<寺院レポート>〝萌え〟なしでも熱い〝萌え寺〟

八王子市・日蓮宗了法寺

東京・八王子の日蓮宗了法寺といえば、「萌え寺」として、いわゆる「オタク」から熱狂的に支持されている超人気寺院だ。しかし、同寺は決して「萌え」だけの軽佻浮薄なお寺ではないというのは密かに知られるところ。折しも1月26日に同寺で「新護弁才天祭」が行われた。

 「新護弁才天」とは同寺に祀られている弁才天だ。琵琶ではなく右手に宝剣、左手に宝珠を持っている、八王子七福神の一柱でもある由緒正しき存在。厄除け・縁結びなどの現世利益があり、古くから地元の信仰を集めている。
 山門を入ると、右側にイラストレーターのとろ美さんが描いた「ようこそ了法寺へ」という境内案内図が目に飛び込んでくる。「萌えキャラ」になった弁才天「とろ弁天」や、稲荷などのカワイイ絵に思わずニンマリとしてしまう。この「とろ弁天」は一昨年にフィギュア原型師の宮川武氏により「萌え仏像」化され、本堂に安置されている。ガシャポンやゲームも置かれており、絵馬掛けもオタク系の絵や願いで埋め尽くされている。何だかまるで遊園地のようだ。
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萌え寺看板.JPG

 だが、この日の主役は、こういった萌えキャラたちではない。
 事実、本堂に入っていくのは中高年の檀信徒がほとんど。「オタク」系の姿はほとんど見えない。そう、真面目な日蓮宗の祈祷行事なのだ。
 午後2時、内陣に中里勝孝住職(47歳)が入ってきた。「ご祈祷というのは熱さまし。熱が出る原因というのも認識してほしい。今年一年、熱が出ないようご利益がありますように」と、魔を追い払い幸せを祈願するこの法要の意義を説明。

萌え寺団扇太鼓.JPG

古くから信仰集める 日蓮宗らしい団扇太鼓も

 中里住職は一度本堂から出て、すぐに2人の副導師と共に鉦を鳴らしつつ入場。副導師は組寺である善龍寺(八王子七福神の大黒天)の澁澤光紀住職と、中里住職の甥である赤坂円通寺の中里勝男氏が務めた。
 三人は弁才天に礼拝し、厳かに儀式が始まった。三方礼、開経偈の後に法華経の陀羅尼を唱和。その経文はかなり威勢よく、体の奥から痺れるような感じがする。その間、檀信徒は次々に内陣に入り、深々と座礼して祭壇に祈りと焼香を捧げる。
 やがて中里住職が読経を続ける中、副導師の二人は祈祷肝文を読みつつ木剣を鳴らしながら九字を切る。さらに、経巻と数珠で檀信徒の頭を撫でまわす。檀信徒は合掌し、深く頭を下げて功徳を受け取った。クライマックスはもちろん、日蓮宗名物の団扇太鼓の連打とお題目の合唱。「南無妙法蓮華経」の声が、本堂いっぱいに響き渡った。
 祭の終了後は、護符と弁天の絵が描かれた土鈴が頒布され、満足げに檀信徒は本堂を後にした。檀家の女性は「いつもこういうお祭りには来てます。本当にご利益もあってありがたいですよ」としみじみと語る。別の檀家女性に記者が「今日は素晴らしかったですね」と話しかけると、「今日だけじゃないのよ、いつも素晴らしいのよ」と応答。また、檀家はみな最近の「萌え」でのお寺おこしにも理解を示し、「誰も来ない寂しいお寺よりは、たくさん来てくれる方がいいに決まってるじゃないですか」と、住職を全面的に支援。言うまでもなく、この弁天祭のような年中行事を誠実にやっている土台があるからだ。

 今年は了法寺が「萌え」を打ち出して3周年。萌えのおかげで、普段お寺に縁のないような若者も訪れるようになった。中里住職は「法華経の、明るい気持ちで前に向かっていく情熱を伝えるお寺でありたいですね」と真摯に語る。萌え寺は萌えだけではない。日蓮宗らしい「燃え」る思いにあふれていた。

(『週刊佛教タイムス』2012年2月9日号掲載)